午前中、休講した講義の補講を延々としていたので読書感想文を取りまとめるのが遅くなってしまいました。
今週の読書は、研究費で買った福祉国家に関する経済書のほか、環境や経済などに関する新書が3冊、さらに、京都を舞台にした文庫のラノベと、以下の通り計5冊です。特に、最初の2冊はなかなかにオススメです。誠に残念ながら、今週はミステリに手が伸びませんでした。それから、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、7~9月で69冊と夏休みの時期があって少しペースアップし、さらに、その後、本日の5冊を含めて10~11月分が216冊になりました。年間250冊は少しムリそうな気がします。12月に入ったら、学生諸君に「年末年始の読書案内」として新書の経済書を何冊かオススメしようと考えています。果たして、どれだけ読んでくれるのかは不安です。

まず、デイヴィッド・ガーランド『福祉国家』(白水社) です。著者は、スコットランド生まれで、現在はニューヨーク大学の研究者です。よくわからないんですが、専門は犯罪学とか刑罰社会学だそうで、なぜに、福祉国家を論じているのかは、私には謎です。今年2021年9月11日付けの読書感想文で取り上げたカリド・コーザー『移民をどう考えるか』(勁草書房) と同じように、英国オックスフォード大学出版局から出ている A Very Short Introduction のシリーズの1冊で、英語の原題は The Welfare State であり、2016年の出版となっています。福祉国家=Wealfare Stateを短くしたWS1.0から2.0、そして、3.0まを論じているのですが、歴史的な発展段階に対応するとともに、大雑把に、福祉国家に対する考え方にも対応させている気がします。すなわち、第1に、WS1.0は貧困層に対する福祉の面を重視します。そして、WS2.0では殆どの先進国で広義の社会保障と呼ばれる分野をカバーします。すなわち、日本の場合には医療、年金、介護、そして、生活保護です。最後に、WS3.0というのは、まさに本書が焦点を当てているところであり、国家としての統治に関する福祉を念頭に置きます。ですから、多くの先進国は現在時点でまだWS2.0の段階にありますが、将来的には、国家のガバナンスについて福祉国家を中心に置くWS3.0の世界になるのかもしれません。私の専門分野である経済を中心に考えれば、従来のWS2.0的な所得の再分配だけでなく、資源配分のメカニズムとしての市場、そして、経済成長のコントロール、雇用はもちろん、財政や金融まで幅広く包含する国家システムとしての福祉国家を考える、ということになろうかと思います。ですから、著者の専門分野である犯罪学なんかも福祉国家の中で論じられるのかもしれません。あまり、私は自信ありませんが、そうなのかもしれません。もちろん、上の表紙画像の帯に見られるように、こういった議論の先駆者はデンマークのエスピン-アンデルセン教授であり、あまりにも有名で、私なんぞも授業で教えている福祉レジーム論、すなわち、自由主義的レジーム、社会民主主義的レジーム、保守主義的レジームから出発して、最終的にはWS3.0、すなわち、ガバナンス=統治の問題として福祉国家を必要不可欠なものとして捉えようとしています。ですから、WS3.0に至れば、ネオリベな経済政策の対極にある福祉国家ではなく、すなわち、市場と社会保障を対置させるのではなく、福祉あるいは社会保障を国家運営に絶対必要な要素として、どのように組み込むか、あるいは、活かすか、という観点です。最後にどうでもいいことながら、エシピン-アンデルセン教授の福祉レジーム論は、2012年版「厚生労働白書」第4章 「福祉レジーム」から社会保障・福祉国家を考えるで取り上げられており、私も授業で大いに活用しています。ひょっとしたら、軽くこの福祉レジーム論を見てから本書に進んだほうが理解がはかどるかもしれません。何ら、ご参考まで。

次に、明日香壽川『グリーン・ニューディール』(岩波新書) です。著者は、東北大学の研究者なのですが、かなり過激にアクティビストの面もあるようで、デモ行進大好きな大学教員として私は好感を持っています。本書のタイトルであるグリーン・ニューディールは米国下院議員のAOC=Alexandria Ocasio-Cortezとセットで固有名詞的に語られるケースが多いような気がしますが、本書ではどうも普通名詞として扱っているようです。著者は、正義=ジャスティスの問題として気候変動=地球温暖化問題を考えており、私はまったく同感です。エコノミストの私が格差問題を数ある政策選択肢のひとつと考えておらず、社会正義に包含されるひとつの政策課題と受け止めているのと同じ考え方ではないか、と勝手に想像しています。私は定年まで公務員を勤め上げましたが、公務員の本領というのは、国民の選良であり、意思決定を下す国会議員に対する選択肢を提示することと、それらの中から選ばれた政策を効率よく実行することの2点が重要と、常々考えてきたのですが、経済的な格差是正とか、あるいは、気候変動の課題とかは、オプションを示すのではなく絶対的な正義の方向に政策を進めるのがもっとも重要と考えています。その意味で、本書には共感できる部分が少なからずあった気がします。ただ、経済学的な自由貿易の価値を実現するための貿易交渉が、実務的にはその昔の「バナナの叩き売り」のように、エセ国益を求めて交渉するようになってしまっているように、最近のロンドンでのCOP26も議論がどこまで実行されるのか不安です。気候変動=地球温暖化だけは人類だけでなく、地球上の多くの生物を絶滅の危機に晒しかねないわけですので、キチンとした科学的に正しい議論がなされることが必要です。本書は、グラフや画像が少なくて、逆に、字がいっぱい詰まっていて、一見すると読みにくそうなのですが、実は、説得力抜群です。懐疑論への反論も切れよく展開されています。とってもオススメです。

次に、野口悠紀雄『データエコノミー入門』(PHP新書) です。著者は、ご存じ、財務省というよりも大蔵省ご出身のエコノミストです。ややタイトルに難ありで、本書でデータエコノミーに着目しているのはごくはじめの方だけで、残り大部分は銀行業務に関する記述で終始しています。なぜに、データが経済を回すのか、あるいは、企業活動としてデータが収益を生み出すのか、といった点はかなりの程度に「当然」なのか、無視されています。私の意地の悪い見方からすれば、データエコノミーなんて、ひと昔前のクレジットカードと同じで、停滞しつつある消費を無理やりに喚起するものでしかないような気もしなくもない、という見方に対する反論も聞きたい好奇心は満たされませんでした。広告をタイムリーに打てば消費者の購買意欲を強くそそる、ということなのでしょうが、代替される部分はどう考えるべきなのか、やや疑問です。ただ、著者に成り代わって私自身の見方に反論しておくと、おそらく、単純な広告宣伝の有効性を高めるだけではなく、マネーに関すデータが経済に有益で企業にも収益をもたらす、ということなのだろうと思います。というのは、本書でも指摘されているように、現金=キャッシュは金利がつかないだけでなく、極めて匿名性の高いマネーです。ですから、日本では高額紙幣がいくらでも通用しますが、私の経験では、例えば、米国の街中のスーパーやコンビニでは100ドル紙幣は大いに嫌がられます。光を当てたりして、ホンモノかどうかをかなり厳密にチェックした後でなければ受け取ってくれません。しかし、デジタルなマネーはデータとして追跡しやすいわけですし、マネーに関するデータは確かに収益を生みそうな気もします。ただ、本書はそこまで説得力あるわけではなく、私のような浅い読み方では、銀行業の新しい方法を少し垣間見る程度のお話、という気がしました。本書の内容が薄いのか、私の理解が浅いのか、まあ、そんなところです。

次に、杉田俊介『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』(集英社新書) です。著者は、批評家ということらしく、本書を読む限りでも、性差別などに関して広範な文献に当たっているようです。ということで、本書でいう「マジョリティ男性」とは、私の受け止めでは支配的な役割にある、というか、そういう役割にかつてあった男性ということのようです。日本ですから少し判りにくい気はしますし、「マジョリティ」がホントに「多数派」の意味で使われているかどうかも不安ですが、米国でいうなら、もう死語かもしれないものの、WASPということになりそうです。そして、日本社会では、おそらくあくまでおそらく、ですが、私は本書で指摘する「マジョリティ男性」に入っているものと自覚しています。そして、本書でも指摘しているように、日常的に無感覚で特段の意識をしたり葛藤があったりしないのがマジョリティの最大の利点である一方で、それなり大小があることも事実です。ただ、マジョリティでないという意味でのマイノリティよりもそのコストが格段に小さい点は当然です。マジョリティでないグループのコストのうちでは、各種の差別や偏見があるわけで、本書(p.24)では民族差別、性差別、障害者差別、社会的排除を受ける困窮者などを想定しています。そして、これらはひょっとしたら資本主義社会である限りは存在する可能性を指摘もしています。そうかもしれません。総合的に、いろんな文献をよく勉強されていて、一見、学術論文に近い印象を持つのですが、映画をいちいち長々と紹介して、ヘンに意味をもたせようとするのはやや疑問に感じました。私は「ゾートピア」以外の映画はよく知らなかったのですが、「ズートピア」って、私はヘッセの「車輪の下」のような見方をしていました。謎。

最後に、白川紺子『京都くれなゐ荘奇譚』(PHP文芸文庫) です。著者は、同志社大学ご卒業の小説家であり、「後宮の烏」シリーズで人気のようですが、私は不勉強にして存じ上げませんでした。初めての作品です。ということで、基本的にファンタジー小説、ただし、女子高生JKを主人公にした青春小説ともいえます。長野の蠱師の一家に生まれ、「20歳まで生きられない」という呪いをかけられた少女を主人公として、タイトル通りに場所は京都を舞台としています。私も京都に住んでいますが、霊的なものがいっぱいいそうな土地ということになれば京都なのかもしれません。私の世界観とかなり共通する部分があるのですが、おそらく、シリーズ化されるであろう最初の作品のようですから、まだ本書の世界観は深まっていない印象です。加えて、ファンタジーというよりも、ややホラーなところもあり、好き嫌いは分かれるかもしれません。ハッキリとした主人公に対する敵キャラがいるわけではないのですが、どういう位置関係にあるのか不明な1000年蠱の高良の存在が気にかかりますし、主人公のJKは多気女王の血筋、というか、生まれ変わりなのかもしれませんし、まだまだ謎が多い展開です。私はラノベは決して嫌いではないので、何となく図書館で借りてしまいましたが、この先も読み続けるかどうかはビミョーなところか、という気がします。
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