今週の読書は少しもの足りずに計5冊!!!
今週の読書は、話題の書をいくつか読みましたが、ハッキリと期待外れでした。『幸福の歴史』は人間の性善説と性悪説の根本的な要因を見逃しているように見えますし、『アイデア資本主義』も目新しい主張は見られません。ただ、新書はいつも通りにコンパクトな内容です。それから、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、7~9月で69冊と夏休みの時期があって少しペースアップし、さらに、その後、本日の5冊を含めて今週までに221冊になりました。年間250冊は少しムリそうな気がします。
まず、ルトガー・ブレグマン『希望の歴史』上下(文藝春秋) です。著者は、歴史家となっていますが、ジャーナリストなんだろうと思います。4年ほど前の2017年9月にこの私のブログで、ベーシックインカムにスポットを当てた『隷属なき道』を読書感想文で取り上げています。本書では、人類というものが、決して狡猾であったり自分勝手な性格ではなく、その本性として善良であるという性善説を展開しています。私は2点疑問があり、まず第1に人間の本姓を他の条件から切り離して論じることの限界であり、第2に人間個々人の性格や性質から必ずしも集団としての人間の行動が演繹できるわけではない点です。最初のポイントについては、まあ、中国古典古代の春秋のいくつかの説にもあるように性善説も性悪説もどちらも成り立つ気がします。私のようなエコノミストの目から見て、性善説かつ性悪説であって、その底流は合理的というのがキーワードであり、従って、大雑把な表現ながら、十分な所得があって生活に余裕あるなら性善説が成り立ち、逆に、所得が不足して生活にゆとりなければ性悪説が成り立つような気がします。とても緩やかな関係ながら、例えば、所得と人口密度のよって犯罪の発生がある程度は説明できます。ですから、所得とか、あるいは、所得から派生する生活レベルと独立に性善性悪を語ることは完全に片手落ちです。意味がないとまではいいませんが、人間性善説を発見したければ豊かな社会から例を取ればいいでしょうし、性悪説であればその反対です。加えて、マルクス主義的な疎外の理論を待つまでもなく、人間個々人と集団としての国家や社会の動向はそれほど強くリンクするわけではありません。ケインズ経済学的な合成の誤謬というものも発生することもありますし、例えば、小学生が考えるように、人々の心から憎しみがなくなれば戦争が怒らないとの思考はいつも成り立つものではありません。第2のポイントは少し難しいかもしれませんが、第1の点については、性善説・性悪説ばかりではなく、他の多くの分野にも共通して成り立つ点は忘れるべきではありません。大学教員として教育の他に研究にも従事する身として、予算がタップリあれば研究が進むというのは、豊富な実例があります。教育にお金をタップリかければ学力は上がりますし、病気の治りも早くなるんではないでしょうか。現在の資本主義では悲しくも、おカネというものに還元されるわけですが、資本主義特有の見方を離れれば、「利用な可能なリソース」ということになります。保特やお金やと行ったエコノミスト特有の表現をお好みでなければ、利用可能なリソースがタップリあれば、人間には性善説が成り立ちますし、研究は進みますし、学力は上がり、病気の回復も早くなり、その他、好ましい方向にコトが進むのではないか、と考えるのは私だけでしょうか。従って、本書では、いろんな実例を並べているものの、例えば、今さらジンバルドー教授のスタンフォード監獄実験やミルグロム教授の実験を否定しても、何の生産的な結論も得られないと思うのですが、いずれにせよ、私には疑問だらけの主張だった気がします。
次に、大川内直子『アイデア資本主義』(実業之日本社) です。著者は、本書のアイデア資本主義を実践するような企業を起業しています。ということで、いろんな主張を取りまとめているのですが、私は「インボリューション」という養護以外は、ほとんど目新しい主張を見かけませんでした。第5章の参考文献に挙げられている水野教授の『資本主義の終焉と歴史の危機』にかなりの部分を負っているような気がします。水野教授や最近の多くの論調と真っ向から対立させているように見えるのは、一定のセールス・ポイントにするつもりなのでしょうが、資本主義が終わって新しい経済システムが始まるというよりは、定義を変更し、「消費を抑制して将来への投資に蓄積する」という定義を新たに設定して、資本主義が継続する、という主張ではないなと思います。でも、これも定義次第では新たな資本主義の外延的延長、継続と大きな違いはありませんので、基本的には最近のいくつかの論調と変わるものではありません。私自身の歴史観では、工場における生産が始まった産業革命ころに資本の蓄積とともに成立した資本主義1.0が、20世紀の2度に渡る世界大戦、そして、その戦間期の大恐慌とともに、20世紀なかばからケインズ経済学に支えられた福祉国家として資本主義2.0に進化し、現時点では、今世紀初頭の金融危機やコロナ危機を契機として、資本主義3.0を模索している、ということになります。資本主義3.0は、もはや資本主義ではなく社会主義ないし共産主義かもしれませんし、別の資本主義かもしれません。資本主義にとっては、文字通り、資本の蓄積がもっとも重要な時代を画期する判断材料になります。そして、我々が暮らしている資本主義2.0では、その画期が1970年代です。1970年代までの資本主義2.0前期では、資本の蓄積が、戦争で失われたこともあって、十分ではなく、需要に対して供給が十分ではなかったため、経済学の分析も供給面の生産性を重視していました。逆に、1970年代から現時点まで、資本蓄積が十分進んで供給能力が十分であったことから、むしろケインズ的な需要不足を招いて、私のような高圧経済を重視するエコノミストも現れ、需要喚起の政策が必要となっています。でも、まだエコノミストの多くは供給サイドの生産性を、一所懸命に分析しているのが実情です。そして、そういった供給サイド重視のエコノミストも、ようやく、実物的な資本ストックよりも無形資本、intangible capital に気づきつつあるのが最近の経済論壇でも見かけることが出来るようになりました。本書でいう「アイデア」も実は、この無形資本の一種であると考えるべきです。でも、いくつかのアタラな資本主義への模索の動機も私は注目しています。すなわち、気候変動=地球温暖化の防止だったり、格差是正だったり、あるいは、本書ではさらなる成長の促進だったりするわけですが、物理学の大統一理論ではないですが、それらが統一的に把握される新しい経済学も私なりに考えたいと思います。
次に、浜矩子ほか『日本人の給料』(宝島社新書) です。著者は、第1章から第7章まで7人いる、というか、著者というよりもインタビューを受けています。人事や賃金のコンサル2人、エコノミスト3人、労働組合と左派政党を代表して1人ずつ、という構成です。ですから、何ら統一性はないわけですが、私は東京都立大学の脇田教授の第3章が圧倒的に正しいと受け止めています。ほかに、政府の提灯持ちのように長期雇用かつ雇用の超安定性のために解雇ができない点を重視した議論を展開していたり、デジタル化の遅れなどの技術革新の遅れをい適していたりと、やや的を外した議論が多い気がします。もっとも、編集者からすれば、お給料=賃金が上がらない点について学術的にも迷走している中で、新書レベルで決定打が飛ばせるハズもなく、いろんな議論をいっぱい並べるという編集方針にも、私は一定の理解を示すべきか、という気がします。ただ、本書の最初の部分にある人事・賃金コンサルの人が、本書のテーマであるお給料ではなく、中小企業の経営の苦しさを日本人の高賃金に帰している議論は、やや目に余るものがあります。編集者として何とかならなかったものかという気がします。本筋に戻って、脇田教授の議論は企業の利益が賃金を圧迫しているというもので、経済学的にいえば、資本分配率が上昇して、労働分配率が低下している、ということになります。私はミクロ経済学的な見方ながら、基本的に資源=リソースの希少性に従った価格付けがなされ、従って、これほどまでに資本地区性が進んで人口減少社会になれば、労働分配率が上昇するのが当然と考えていますが、真逆になっているのは、労働組合の切り崩しとか、労使間の力関係が大きな影響を及ぼしている可能性を考慮せざるを得ません。マルクス主義的な見方をすれば、階級闘争ということになるのかもしれませんが、バフェットが "There's class warfare, all right, but it's my class, the rich class, that's making war, and we're winning." と New York Times でうそぶいているように、勝っているのは資本家階級のようです。
最後に、小林誠[編著]『宇宙はなぜ物質でできているのか』(集英社新書) です。編著者は、今年亡くなった益川教授とともにノーベル物理学賞を受賞した物理学者です。今週火曜日にSPring-8を見学したことから、少し物理学に興味を持って読んだのですが、誠に申し訳ないながら、ほとんど理解できませんでした。収録されているのは、難しい物理学のお説の展開から、この宇宙物理学の学説史、はたまた、カミオカンデ、スーパーカミオカンデ、ハイパーカミオカンデといった大型施設を造る苦労話まで、いろいろなレベルの議論が展開されていて、すべてがすべて理解できなかったわけではないのですが、家大学院留学生とともに見学したSPring-8でのご説明とともに、恥ずかしながら理解が及びませんでした。申し訳なくもまったく書評になっていませんが、物理学の学問の香りに触れたければ、その限りに置いてオススメします。
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