今週の読書感想文は以下の通りです。社会学の専門書・教養書のほかは、小説が2冊、新書も2冊の計5冊です。佐藤究の『テスカトリポカ』の予約が回ってきたのですが、読み切れませんでした。来週に取り上げる予定です。やや忙しいので、簡単に以下の通り紹介しておきます。
![辻大介[編]『インターネットと民主主義』(有斐閣) photo](http://pokemon.cocolog-nifty.com/dummy.gif)
まず、辻大介[編]『インターネットと民主主義』(有斐閣) です。編者は、大阪大学の研空車であり、専門分野は社会学のようです。というのは、第9章を編者ご自身が分担執筆していて、正面から田中辰雄・浜屋敏『ネットは社会を分断しない』(角川新書)を「計量経済学者」の研究として取り上げて批判していて、方法論を否定しています。しかしながら、極めて情けないことに、本書はネットが社会を分断していない点を否定できるだけの結果を示せていません。実は、私はこのブログで『ネットは社会を分断しない』を読書感想文の中で取り上げることはしていませんが、読んだ記憶は鮮明に残っています。本書第9章でも指摘しているように、ネット利用者のクロス接触率=自分とは反対の意見に接する比率、がかなり高い点をひとつの理由としつつ、かなり大きな10万人規模のサンプル数の調査の計量分析に基づいて、ネットは社会を分断しているわけではなく、極端な意見を持つ論者の意見が目立ちやすいだけである、と結論しています。同時に、特に若年層では社会的な分断は生じておらず、むしろ中高年層の方が政治的に分断されている、といったポイントも含まれています。こういった結論を本書では方法論から批判しているのですが、繰り返しになりますが、本書の計量分析ではこういった先行研究の結論は否定できていません。もちろん、本書は社会の分断以外にも幅広い観点からネット利用の副作用的な効果を分析する学術書ですので、本書の中心となる編者の分担執筆の部分は大きく失敗している点は別としても、それなりに参考にできるポイントはいっぱいあります。確かに、ネットには過激な言説で溢れている印象があります。どうしてかというと、極端な意見は単純に多数決を取れば多数派となることが出来ない可能性が高く、それを論じが認識しているとすれば、目立つ言説としてプレーアップする必要が生じるわけですから、目立つようにプレゼンされるわけで、当然ながら、そういった極端な意見が目立つ、という結果になります。特に、私自身の経験からすれば、「嫌韓嫌中」に関する意見はそういった傾向にある気がしますが、あくまで私の個人的な経験です。それから、もうひとつ、最後に私自身の実感なのですが、本書の第4章では「ネットは自民党支持を固定化させるのか」と題して、タイトルに肯定的な結論を導いていますが、私はどちらもあり得ると考えています。というのは、本書でも繰り返されているように、ネットが発達して情報量が極めて膨大な量に上る中で、「フィルター・バブル」とか、「エコー・チェンバー」といった新語にも現れているように、自分と親和性ある情報に接する機会が増えるのは当然としても、逆に、比率はともかくクロス接触の情報量も大きく増加します。ですから、自分の元来の政治的傾向と一致する固定化の方向と多様化の方向とどちらも生じる可能性があり、おそらく、時代や地域によって固定化と多様化がまだらに生じる可能性のほうが高いのではないか、という気が、あくまで私の気が漠然としています。もちろん、方法論によっても異なる結論が導かれる可能性も否定できず、決定的な結論が得られる可能性はそれほど高くなく、むしろ、分析するアカデミアの方向性により、かなりバイアスある結論が出そうな気すらします。

次に、逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房) です。著者は、新人作家ながら、この作品は、史上初にして選考委員全員が5点満点をつけて第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞した話題作です。物語の始まりは1942年独ソ戦であり、主人公のセラフィマは20歳前です。地理的にはほぼほぼ一貫してドイツに攻め込まれた当時のソ連領内です。故郷の村をドイツ軍によってほぼほぼ全滅させられた主人公のセラフィマが、もう1人の主人公であるイリーナが教官を務める女性狙撃兵の訓練学校に入学し、戦争を転戦するというストーリーです。その訓練校でもいろいろとあります。当時のソ連のことですから、共産党から政治将校が送り込まれてきたり、諜報機関からスパイが潜入したりといったエピソードです。しかし、もちろん、最大の山場は歴史的にも独ソ戦の分岐点となるスターリングラードの戦いです。セラフィマはここで故郷の村で母を殺害したドイツの狙撃兵と遭遇しますが、取り逃がします。それから、ドイツ領に侵攻してケーニヒスベルクの戦いでソ連軍は勝利します。そして、冒頭から「女性を守る」という使命を明確にしたセラフィマが、このケーニヒスベルクの戦いの後で、その女性の敵を射殺します。最後は、イリーナとセラフィマが戦後に余生を過ごす、というオチになります。セラフィマやイリーナは言うに及ばず、女性狙撃兵仲間のシャルロッタ、あるいは、途中から女性狙撃兵招待に加わる看護師のターニャなどなど、人物の造形が素晴らしいと感じました。ただ、ストーリーとしては、これがミステリなのかとやや疑問に思わないでもありません。アガサ・クリスティ賞のミステリにふさわしい謎解きは現れません。ただ、歴史的な事実を跡付けているだけでなく、細かなストーリーや人物造形の出来が素晴らしく、小説としてとても楽しめます。ミステリというよりは純文学に近い気すらします。雑な表現ながら、人気が出るのももっともだと思いました。

次に、浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』(角川書店) です。著者は、中堅どころのミステリ作家らしいのですが、誠に不勉強にして、私はこの作家の作品は初読です。本書は就活ミステリとでも考えられるジャンルであり、2011年の春先の大学生の就活から始まります。就職先は成長著しいネット企業のスピラリンクスであり、まあ、SNSないしメルカリのようなネット企業のイメージではないかと思います。6人の学生が内定となるのですが、なぜか、というか、震災を口実に内定は1人にしか出さないとスピラリンクスが言い出し、6人の大学生内部の相互評価によりたった1人の内定者を決めることになります。小説らしい突飛もない設定です。そして、そのディスカッションの際に、突然、封筒が現れて大学生1人1人を貶めるメモが明らかにされます。謎解きとしては、そのメモを取りまとめたのが誰か、ということになり、この謎解きについてはさほど面白くもありません。ただ、この角内定者を貶めるメモについては、その内容を否定するような事実も示されたりして、やや支離滅裂という気もします。いずれにせよ、面接で内定を決めるシステムが疑問視されされているわけです。学生のサイドの企業の人事担当のサイドもムリがあることは言うまでもありません。今でこそSPIなども取り入れられていますが、本書には現れませんし、私が大学生のころの40年前には、すべてが面接によって決められていたのも事実です。私は公務員という試験のある選抜方法でしたが、それは少数派です。まあ、世間の評判ほど私はこの作品には感心しませんでした。

次に、本間龍『偉人の年収』(イースト新書) です。著者は、作家・歴史エッセイストということのようです。本書では、タイトル通りに歴史上の偉人、というか歴史的な人物の年収の現在価値を推計してみたり、そういった歴史上の人物の金遣い、マネーテクニック、金銭トラブル、さまざまなお値段についてのエッセイです。おそらく、第2次世界対戦後の現在の経済は、私のような左派リベラルのエコノミストは、最近は経済格差が拡大していると批判的な意見を持っていますが、おそらく、歴史上でもっとも平等な経済社会であろうと私は思いますので、本書で取り上げてるような「歴史上の偉人」の年収はかなり高く見積もられていますし、金遣いも荒っぽく描き出されています。まあ、半分以上は当たっているような気もします。ただ、従来からの世間一般の偉人像からすると、やや意外感あるエピソードがいっぱい取り上げられています。その点は大いに楽しめる気がします。私はJICAの短期専門家としてワルシャワに行った経験があリ、その際に、ショパンの手の石膏像が欲しくてたまらなかったのですが、そのショパンのピアノレッスンは1時間で2万円とか、リストのコンサートは4万円とか、かなりいいセンで推計されています。コロナを別にすれば、私はこの価格はお値打ちだという気がします。2万円なら、1回だけでいいのでショパンのレッスンを受けてみたい気がします。

最後に、本間龍『東京五輪の大罪』(ちくま新書) です。著者は、博報堂出身の著述家、ということになっていますが、取材などを見ているとジャーナリストに近い気もします。競争相手の博報堂ご出身ということで、「電通による、電通のための、電通の東京オリンピック」を強く批判しています。ただし、タイトル通りに、「罪」の方だけを取り上げていて、まあ「功罪」ではありませんから、「功」の方は一切無視しています。私はこの見方は正しいと思います。本書でも指摘されているように、国会では後のれいわ新選組の代表となる山本太郎議員を唯一の例外として、オリンピック招聘の段階では与野党のほぼほぼ全会一致で賛成していますし、そして、何よりも、全国紙の大手新聞社がすべてオリンピックのスポンサーに取り込まれてしまったために、メディアからの東京オリンピックへの疑問が一切封じられた点が特筆されるべきです。私は新興宗教と反社はカネがすべて、と考えているのですが、じつは、ロサンゼルス大会以来、オリンピックもカネがすべて、に成り下がっている実態がよく判りました。中でも、東京大会は電通をもうけさせるために内閣をひとつ潰してまで強行開催した悪しき前例として後々まで語り継がれるような気がします。
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