(2022年4月30日) 今週の読書は社会学者が書いた経済書からSF小説も含めて計5冊!!!
今週の読書感想文は以下の通りです。
ジェイク・ローゼンフェルド『給料はあなたの価値なのか』(みすず書房)は、社会学者が書いた賃金の不平等に関する経済書です。なかなか鋭く切り込んでいます。ただ、経済的な格差の進み方は日本と欧米ではかなり異なっていて、欧米ではお金持ちがさらに所得を増やして格差が拡大しているのですが、我が国では低所得者がいっそう貧しくなって不平等が拡大し貧困がひどくなっています。非正規雇用の拡大がどちらも一因となっていますが、特に、日本で非正規雇用拡大の影響が大きい気がします。カルロ・ロヴェッリ『科学とは何か』(河出書房新社)は、古典古代のギリシア時代のアナクシマンドロスの哲学、すなわち、雨や風や波を起こしているのは神々ではなく、原因は究明できるという観点と、事実を常に探究すべきであり既成事実に安住することはよくない、という点を強調しています。アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上下(早川書房)は、地球の危機を救うために13光年離れた宇宙をたった1人で旅するSF小説です。日本人なら、「宇宙戦艦ヤマト」を思い起こすかもしれません。最後に、濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)は、日本的なメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の違いを明らかにし、従来の誤解を解こうとしています。
なお、今週の5冊を含めて、今年に入ってから新刊書読書は計68冊と去年に比べてややスローペースです。昨年は5月1日の土曜日ですでに74冊を読み飛ばしていました。今年の4月は忙しかったせいかもしれません。ただし、何とか年間200冊には達するんではないか、と考えています。年間200冊は目標とかではなく、価値観抜きの単なる予想です。なお、このブログで取り上げた読書感想文は、順次、可能なものからFacebookでシェアする予定です。それから、本日の朝日新聞朝刊でアジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』(文春新書)の書評が掲載されていました。私のこの読書感想文では2月26日付けで取り上げていました。
まず、ジェイク・ローゼンフェルド『給料はあなたの価値なのか』(みすず書房) です。著者は、米国ワシントン大学の研究者なのですが、専門は経済学ではなくて社会学です。英語の原題は You're Paid What You're Worth であり、2021年の出版です。社会学が専門ですから、経済学的に限界生産性がお給料になる、といった点は無視して、かなりリベラル観の強い格差論、不平等論を展開しています。本書は4部構成であり、最初にお給料に関する疑問を上げています。お給料を決定する4要因として、「権力」、「慣性」、「模倣」、「公平性」を上げ、そもそも、お給料が過小であり、かつ、不平等に分配されていると主張します。第2部では、一般に広く信じられている成果主義にも疑問を投じ測定の問題や能力主義の落とし穴などを論じます。第3部では仕事、特に良い仕事と悪い仕事を対比させて、仕事とお給料の対応関係を考えます。最後の第4部では公平な賃金を目指す方策について取りまとめています。ということで、繰り返しになりますが、経済学的な観点からの限界生産力=限界生産性がお給料を決めるという理論はまったく無視されています。同じ小売業、後に悪い仕事の一つとして取り上げられるのですが、同じ小売業であっても低賃金しか提供しないウォルマートと高賃金のコストコを取り上げて、生産性や能力や、ましてや、成果がお給料に連動していない点を鋭く指摘しています。その上で、米国労働者が、日本もかなりの程度に同じと考えるべきですが、低賃金しか支払われていない理由として、分配率の変化、すなわち、株主重視のために資金を従業員のお給料から自社株買いにシフトさせたこと、派遣や臨時職(temporary)として雇用して給料を抑制したこと、労働組合が弱体化して使用者側よりも雇用者の方の交渉力が大きく低下したこと、などを上げています。その上で、技術偏向型の技術進歩という主流派エコノミストの見方を否定します。主流はエコノミストはこの技術偏向的な技術進歩により、高スキルを要求される職業が増加して高所得者がますます高所得になって格差が拡大する、という見方をしているのですが、この「高所得者がますます高所得になるので格差が広がる」という分析結果は、実は欧米各国に当てはまる見方であって、ですから、ウォール街の選挙運動で見られた1%と99%の対立があるわけですが、日本にはそれほど当てはまりません。というのは、日本では貧困層がますます所得を減少させて格差が広がっているからです。しかし、マルクス主義的ですらなく、勤労者と株主の対立について、株主のほうがますます所得を増加させる、という欧米型の格差拡大も、勤労者の、というか、定食と勤労者がますます所得を低下させる、という格差拡大も、両方の階級の格差が拡大する結果に変わりはありません。そして、最後には、格差拡大に対する処方箋として、低所得者のお給料に関しては最低賃金の引上げを提唱します。これは、むしろ、欧米ではなく日本に当てはまる可能性が高いと私は感じました。ただし、欧米諸国に当てはめるべき高所得者の天井を下げる方策については増税と取締役会に労働者代表を入れてガバナンスを強化する、という2点を主張しています。経済的な格差を是正するのは、とても困難な課題であり、現在の米国バイデン政権、そして、日本の岸田内閣ともに、少しずつ格差拡大を念頭に政策運営を変化させようとしているように見えますが、かなり長い期間が必要なのかもしれません。本書での指摘も、正しいのですが、どこまで実効性あるかは疑問なしとしません。社会学的な観点からの分析とはいえ、エコノミストにも大いに参考になる論考でした。
次に、カルロ・ロヴェッリ『科学とは何か』(河出書房新社) です。著者は、物理学者であり、専門は量子力学だそうです。科学者であると同時に、非常の著名なサイエンス・ライターでもあります。でも、私は不勉強にして、この著者の本は読んだことがありません。本書のオリジナルはフランス語版で2009年に出版され、イタリア語版が出版され、それが邦訳の底本となっています。ということで、古典古代のギリシアの都市国家ミレトスのアナクシマンドロスの哲学を第1のテーマとし、第2のテーマは科学的思考の本質、すなわち、無知を自覚しつつ、知の探究としての「世界の描きなおし」であって、決して、科学の力は既存の知識の確実性の中には打ち立てられない、と指摘しています。その昔の古典古代のギリシアやローマなどでは、雨を降らせるのも、風を吹かせるのも、波を立てるのも、雷は言うに及ばず、こういった自然現象は神々に起因すると考えられていたわけで、それだからこそ、神に対する「雨乞い」なんてものが存在したわけですが、それを打ち破ったのがアナクシマンドロスであると指摘しています。不勉強ん敷いて、私は初めて接するお名前でした。経済学を物理学などの自然科学になぞらえる向きがあるのですが、かねてからの私の主張として、経済学がここまで不完全な科学に終わっている大きな理由のひとつは、現実に合わせたモデルを構築するのではなく、モデルに合わせて現実をカッコ付きで「改革」しようとしている点だと考えるべきです。物理学であろうと化学であろうと、経済学もそうですが、科学である限りはモデルを使って現実を表して理解を進めようとします。数式であったり、3次元の模型であったり、さまざまなモデルがあります。少なくとも、私の知る範囲で物理学は新たな事実が発見されれば、それまでのモデルを現実に合わせて修正しようと試みます。しかし、多くの主流派エコノミストは逆を行こうとします。モデルに合わせて現実の経済を修正しようと試みるわけです。罪深いのは「厚生経済学の第1定理」fundamental theorems of welfare economics であり、すなわち、自由な価格設定が許容された市場における競争均衡がパレート効率的である、というものです。ですから、かなり多くのエコノミストは、自由市場に対して政府が介入して価格に歪みをもたらすことのないように、あるいは、政府だけではなく独占や競争を阻害する要因を取り除いてやれば、市場価格に基礎を置く資源配分がもっとも望ましい均衡として達成される、と考えています。その意味で、最悪なのは中央司令型の社会主義経済だったりします。ですから、規制緩和や独占排除などの政策対応を必要と考えます。私は、これもかねての主張の通りに、市場における価格はかなり大きく歪められておりパレート効率を達成するとは限らない、と考えています。例えば、外部経済の多くは市場価格に盛り込まれませんし、情報の非対称が企業と消費者の間にあることはあまりに明らかです。その上、市場メカニズムは長期への対応が苦手で、現在排出される二酸化炭素が将来にどのような破滅的な気候変動=地球温暖化をもたらすかについては評価できません。もちろん、市場における資源配分が望ましくない大きさの経済的不平等、あるいは、社会的に許容できる水準を超えた格差をもたらす可能性を排除できません。私は本書を読んで、アナクシマンドロスが否定した自然現象を起こす神々の地位に、多くのエコノミストは市場を置いてしまっているのではないか、と危惧せざるを得ません。不断の知的探究を放棄して、既存の市場信仰の中に安住しているだけではないか、それは市場原理主義として否定されるべきではないか、などと連想をたくましくしてしまいました。いずれにせよ、私たちは間違うことがあります。正しい経済の発見が必要ではないでしょうか。
次に、アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上下(早川書房) です。著者は、人気のSF作家であり、ユーモア・ミステリというジャンルがあるのですから、それになぞらえると、かなりユーモアSFに近いコミカルな表現を多く含んだ作品を発表し続けています。英語の原題は Project Hale Mary であり、2021年の出版です。なお、「ヘイル・メアリー」とは、いわゆる「アベ・マリア」のことである、というのは私も聞き知っていたのですが、アメリカン・フットボールでは負けている方のチームのQBが試合の最終盤において、イチかバチかで投げるロングパスのことも指すそうです。本書のタイトルはこのイチかバチかのロングパスに近い意味だったりします。本書はこの作者の長編3作目、すなわち、『火星の人』、『アルテミス』に続く長編第3作です。私はこの既存長編2作は読んでいます。というか、私がウィアーの世界に接したのは、最初は、『火星の人』を原作として映画化された「オデッセイ」を、何かの折に飛行機の中で見たのが最初だったような気がします。そして、逆順で原作の『火星の人』を読み、『アルテミス』を読んでいます。『火星の人』は火星に取り残された科学者がいかに火星で生き残り救援を待つか、『アルテミス』は月在住の下層階級の壮大な企み、といった内容でしたが、この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』では地球を救う壮大なプロジェクトを描き出そうと試みています。ただ、日本人からすれば「宇宙戦艦ヤマト」の焼直しに見えるかもしれません。というのは、ある日、太陽エネルギーがわずかながら減少をはじめ、気候変動や農作物への被害などにより、20年足らずで地球人口が半減するという予測も飛び出したりします。原因はアストロファージと名付けられた超小型の微生物が相対性理論的に太陽用エネルギーを吸収しているためであり、このアストロファージはエネルギー備蓄にはうってつけながら、地球が受け取る太陽エネルギーの減少をもたらすわけです。そして、このアストロファージに太陽をはじめとする多くの恒星が「感染」している中で、13光年先にあるタウ・セチは感染を免れており、そこに科学者を送り込んでタウ・セチの「免疫」について分析・情報収集し、地球に情報を送って太陽に「免疫」を与えて正常化させる、というものです。イスカンダルに送られる「宇宙戦艦ヤマト」そのものであり、ガミラスのデスラー総統からの攻撃こそないものの、本書では友好的かつ目的を同じくする地球外生命体と邂逅し、主人公と協力して母星にエネルギーを送り込む恒星を正常化させるべく努力します。この異星人もコミカルに描かれます。結論としては、タウメーバなる、これまた微生物がアストロファージを駆逐するカギとなります。そして、こういった太陽正常化の情報や技術が得られるのは、当然のように軽く想像され、地球にとってのハッピーエンドとなる一方で、主人公の処遇については驚愕のラストがあります。主人公がタウ・セチに送り込まれる経緯とともに、作者のひとひねりが利いた部分だと思います。私は恒星間飛行などの宇宙物理学についてはトンと不案内で、そういった部分がどこまで現実にできているのか、あるいは逆に、どこまでSFなのかはまったく理解できませんでしたが、とても面白いです。一気読みした感じです。本書の主人公は、『火星の人』を原作として映画化された「オデッセイ」で火星に取り残される主人公と、かなりの程度に重なる部分があります。すでに映画化が進んでいるようですが、「オデッセイ」で主役を演じたマット・デイモンではなく、ライアン・ゴズリングが主演だそうです。ご参考まで。
最後に、濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書) です。著者は、労働省・厚生労働省出身で、現在は国立研究機関で研究所の所長をしています。私も同じ国立研究機関に勤務していた経験があり、著者とも少しだけ勤務時期が重なっていたりします。ただし、著者と私に共通しているのは、ほかに、ソニーのウォークマンを愛用していることくらいかもしれません。ということで、タイトル通りにジョブ型雇用について、メディアで流れるさまざまな誤解を修正し、正しくジョブ型雇用、あるいは、ジョブ型雇用社会について解説しています。なお、ついでながら、現在、というか、高度成長期に確立された日本の雇用がメンバーシップ型と呼ばれる一方で、ジョブ型雇用を取り上げて両者を区別することを主張したのはまさに著者であり、この方面の第一人者といえます。ただし、本書の第1章でジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の基礎の基礎を展開した後、労働法に基づく訴訟の紹介が多くなり、やや私の専門分野からズレを生じてしまった気もします。ということで、私もかなりの程度に理解しているつもりですが、メンバーシップ型雇用というのは人に中心を置きます。現在の多くの企業でなされているように、新卒一括採用で人を確保した後、その人にジョブを割り当てることになります。工場が不況で操業を一時的に停止すれば、まあ、工場周辺の草むしりをしたりする場合もあるわけです。年功賃金が支払われて、長期雇用で定年まで勤め上げます。他方で、ジョブ型雇用ではジョブ=職を中心とした雇用となります。職に空き(vacancy)ができると職務記述書(job description)を明示して、それに従って資格や能力を持った人が採用され、能力や成果に応じた賃金が支払われて、その職が終了もしくは消失すると解雇されます。そして、経済界では多くの経営者が、メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への転換を主張しているように見えます。私の勤務する大学でも、就活パンフレットに「ジョブ型採用への対応」なんて用語が踊っていたりします。ですから、私も4回生演習なんかを持ったりしていますから、それなりの就活対応の必要性もあって、本書を読み始めています。でも、ジョブ型雇用に転換すると社会全体が、まさに、マルクス主義的な見方ながら、下部構造が上部構造に大きな影響を及ぼすように、我が国経済社会に大変換をもたらすような気がします。ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の違いはかなりよく判りましたし、授業などにも活かせそうな手応えを感じますが、ホントにジョブ型雇用を日本社会に普及させていいものかどうか、もう一度よく考える必要がありそうな気がします。ただ、現実として、すでに日本でもジョブ型の雇用システムが採用されている分野があります。医師の世界と大学教員の雇用です。私もその中に入ります。大学教員でいえば、どのような学位を持っていて、あるいは、その学位相当の能力があり、どのような分野の授業がどのような言語でできるか、を明示した採用となります。そして、その職務記述書に沿ったお給料となるハズなのですが、なぜか、私の勤務する大学では年功賃金が支払われています。少しだけ謎です。
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