今週の読書は経済書やミステリをはじめとして計5冊!!!
今週の読書感想文は以下の通りです。
玄田有史・萩原牧子[編]『仕事から見た「2020年」』(慶應義塾大学出版会)は、雇用に関する経済書です。さらに関連して、佐藤明彦『非正規教員の研究』(時事通信社)は、かなりブラックな職場といわれる学校の中でも、非正規教員の実態を明らかにしたノンフィクションです。さらに、単行本で最新刊のミステリを2冊読みました。方丈貴恵『名探偵に甘美なる死を』(東京創元社)と坂上泉『渚の螢火』(双葉社)です。前者は我が母校である京都大学推理小説研究会ご出身の作者で、後者は本土復帰50年を迎えようとしている沖縄を舞台にしています。最後に、酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎』(講談社現代新書)では、ネオリベ政策で数多く生み出されたブルシット・ジョブを解説する新書です。計5冊です。
なお、今週の5冊を含めて、今年に入ってから新刊書読書は計78冊と去年に比べてちょっぴりスローペースです。でも、年間200冊くらいには達するのではないかと考えています。また、新刊書読書ではないのですが、劉慈欣の『三体』を借りることができました。読み終えれば、このブログではなくFacebookでシェアしたいと考えています。
まず、玄田有史・萩原牧子[編]『仕事から見た「2020年」』(慶應義塾大学出版会) です。著者は、東大とリクルートワークス研の研究者です。本書では、リクルートが2016年に始めた大規模パネルデータである「全国就業実態パネル調査」(JPSED)に基づく研究が収録されています。出版社が出版社ですから、かなりレベルの高い学術書のようにも見えますが、それほど小難しい内容ではなく、直感的に理解できやすい事実が数量的に確認されています。2020年のコロナ禍の時点までを対象に、主として新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の影響について分析を試みています。もちろん、COVID-19による雇用や国民生活への影響についてはon-goingで継続している課題ですので、今後も研究が続けられるものと考えるべきであり、その意味で、中間報告的な位置づけと私は受け止めています。まあ、永遠に中間報告なのかもしれません。いろんな論点が示されていますが、働き方の柔軟性による格差の拡大、すなわち、テレワークなどの活用による柔軟な働き方は高所得者層ほど利用可能性が高くなっているわけですが、こういった働き方のレジリエンスの格差は確かに生じたものの、ウェルビーイングの格差にまではつながっていない、と結論しています。また、緊急事態宣言下においてテレワークの実施による通勤時間の削減は確実に家事・育児時間の増加につながったことが明らかにされています。地域別の失業の状況については、最低賃金の4地域別の考察がなされていて、都会ではテレワークの活用により失業率の高まりが抑制された一方で、地方では、というか、収録論文ではかなり露骨に「田舎」と記述していますが、テレワークとともに、転職の容易さという要因もあって難しい面がある、と指摘しています。また、ワーク・エンゲージメントについては、経験年数の短い若年労働者と事業を営む経営者・事業者にダメージ大きかった、との結論が示されています。加えて、エッセンシャルワーカーの高いワーク・エンゲージメントが示され、国民生活がエッセンシャルワーカーの義務感の上に成り立っていた事実が明らかにされているとともに、休業や自粛要請は業務が不要不急であることを示すシグナルとなってワーク・エンゲージメントの低下につながった可能性を示唆しています。ただ、「やりがい搾取」といった観点は含まれていません。テレワークの分析に関しては、緊急事態宣言とともにテレワークに移行したものの、宣言終了とともに60%超がフルタイム出社に戻っていて、必ずしも定着率は高くなかったことが明らかにされています。テレワークでは、仕事の評価に対する不安が残るとともにヨコの連絡が取りにくくて業務効率を阻害している可能性が示唆されています。また、こういったテレワーク下の職場でのコミュニケーションとして、労働組合や労働者代表・職場代表の存在が重要である可能性を指摘しています。この点については、ここまで考えが至りませんでしたが、実は、私は大学の労働組合の執行委員をしていたりして、それなりに組合活動に対する貢献はしているつもりだったりします。また、右派エコノミストから労働の流動性を阻害していると批判の大きい休業手当については、就業確率、人間関係などのスコアが高くて非労働力化しにくいという結果が示されています。私の想像ながら、人的資本の維持にもつながっていると考えるべきです。最後に、正規・非正規の格差については、従来から、所得と安定性の二重の格差が指摘されてきましたが、コロナ禍における雇用・労働においてはテレワークの利用可能性なども含めた柔軟性が重要となりますが、この柔軟性も含めて、正規・非正規の間には従来の所得と安定性の二重の格差に加えて、柔軟性という三重の格差が出現した可能性が示唆されています。そうかもしれません。
次に、佐藤明彦『非正規教員の研究』(時事通信社) です。著者は、教育ジャーナリストです。本書では、臨時的任用教職員=臨任と呼ばれる非正規教員を中心に、その実態を明らかにしようと試みられています。p.51図表2-1に見られるように、教員とは、実は私も大学教員なのですが、正規教員のほかに4種類の非正規教員のカテゴリがあります。1年間で期間が区切られた臨時的任用教職員=臨任、産休・育休代替教職員、主として定年後の再任用教職員、そして、非常勤講師です。そして、非常勤講師のほかは副業、というか、兼業は認められず、クラス担任を受け持ったり、中高の場合は部活動の顧問をしたりと、ほぼほぼ正規教員と同じ役割が割り振られています。ただ、校長や教頭の学校経営方針により大きく違いがあり、非正規教員にはやっかいな業務はやらせないという学校がある一方で、逆に、非正規教員こそやっかいな業務を担当して使い捨てにする、という学校もあるといいます。ただ、私のような大学教員は何ら教員免許を必要としませんが、小中高の場合は、いわゆる教員免許が必要である一方で、教員免許を持っていても教員採用試験に合格する必要があり、教員免許を持ちながら教員採用試験に不合格となってしまった人が非正規教員になる場合が多いわけです。しかも、決して事実として公式に認められる内容ではありませんが、教員の年代構成に歪みをもたらさないという観点から、特定の年代の教員が採用されにくくなっているのではないか、という疑問も本書では指摘されています。最近、都立高校での男女別の合格ラインの違いが話題になりましたが、教員採用でも年代別に合格ラインが意図的に異なるようにされている可能性があるわけです。他方で、今年2022年1月31日付けで文部科学省から「『教師不足』に関する実態調査」の結果が明らかにされており、小中学校合わせて2500人を超える教員不足が報告されています。この背景には、制度的な劣化があり、2004年には総額裁量性が導入され、さらに、いわゆる三位一体改革の一環として義務教育国庫負担の負担率が½から⅓に引下げられたりといった財政面での教育の軽視が上げられています。加えて、将来の少子化進行の影響を見据えて、解雇できない正規教員の採用を手控えている可能性も示唆されています。学校教育の雇用や労働というのはかなり独特の制度であり、有期雇用の無期転換ルールはありませんし、残業に対する超過勤務手当もありません。ですから、非正規はいうに及ばず、正規教員ですらも、かなり「ブラック」なお仕事であるという認識はかなり広く国民各層で共有されているのも事実かと思います。学校はいわゆる「やりがい搾取」の職場なわけです。ですから、非正規教員は民間の派遣社員のように、派遣会社にお給料をピンハネされていることこそないものの、クラス担任を受け持ったり、部活の顧問をしたりと、正規教員と大差ないお仕事であるにもかかわらず、ボーナスの額が低かったり、1年ごとの契約で不安定だったりと、通常の正規・非正規の所得と安定性の二重の格差があるのはまったく同じであり、本書でも、まずは、非正規教員にも初任者研修の場を確保することから始めて、教員不足なのだから正規教員の採用数を増やすのがもっとも正当な解決策であることを指摘しています。私もまったく同感です。教育のクオリティが低下すると、経済はもちろん、いろんな点から不都合が生じます。何とかすべき大きな課題と考えるべきです。
次に、方丈貴恵『名探偵に甘美なる死を』(東京創元社) です。著者は、京都大学推理小説研究会出身のミステリ作家です。2019年に『時空旅行者の砂時計』で鮎川哲也賞を受賞してデビューし、長編第2作は『孤島の来訪者』、そして本作品は第3作となります。「竜泉家の一族」シリーズだそうですが、私はこの作品が初読です。綾辻行人や法月綸太郎などと同じく、我が母校出身のミステリ作家ながら、私は不勉強にしてこの作品をが初めてのわけです。だもので、前の「竜泉家の一族」シリーズの2作品を読んでいませんから、少し判りにくいところがあったかもしれません。でも、ミステリ大道のクローズド・サークルにおける密室殺人ミステリであり。相変わらず、まったく現実味はないものの、エンタメとしてのミステリの楽しさは十分に得られる大作です。主人公の加茂冬馬はゲーム会社のメガロドン・ソフトのプロデューサーから犯人役を依頼され、岡山沖の瀬戸内海に浮かぶ孤島での試遊会に出席します。なお、「犯人役」という役回りは後ほど。そこには、前作でごいっしょっだったらしい遠い親戚の竜泉佑樹もいて、現在はミステリ作家となっています。2024年秋に時代は設定されていて、ほぼコロナの感染拡大が抑制ないし管理されて、昔のノーマルな生活に戻った、との設定です。加茂冬馬と竜泉佑樹のほかには、素人探偵が数人招かれていて、さらに、メガロドン・ソフトのプロデューサーとディレクターと名前すら出ないスタッフが加わります。メガロドン・ソフトが開発したのはVR=ヴァーチャル・リアリティのミステリのゲームであり、ゲームの中で殺人が実行されます。ですから、主人公の加茂冬馬が犯人役として招待されるわけです。ただ、この犯人役についてもいろいろとトリックが隠されていますし、犯人役だけではなく、ほかの役割を持った人物もいたりします。しかし、試遊会のイベントは実のところ、メガロドン・ソフトのディレクターが仕組んだ実際のゲームであり、招待された素人探偵とその人質の命を懸けた殺戮ゲームが始まってしまいます。なお、ここで人質というのは、例えば、主人公の加茂冬馬の場合、妻と娘であり、人質は招待されたゲストと同じスマートウォッチを付けていて、何と、VR制作のゲーム会社でありながら極めてアナログな毒針が仕込まれている、という設定です。デジタル・アナログ両方でご活躍の会社のようです。とても大掛かりな殺人が、リアルとバーチャルの両方でいくつか実行され、登場人物も決して多くはないので、私もじっくりとていねいに読み進みましたが、さすがに私くらいの頭の回転ではトリックを見破ることはできませんでした。特に、最初の方の毒殺については、現実にはありえないとしても、エンタメ小説ですから、とっても斬新な殺害方法と評価できます。あるいは、私くらいの頭の回転でも、何度か読み返せば、ひょっとしたら、どこかに論理のほころびがあって、それを見つけることが出来るかもしれませんが、取りあえず初読の段階ではムリでした。VRのミステリといえば、その昔に岡島二人の『クラインの壺』を読んだ記憶がありますが、細かな点、例えば、ポケットに鍵が入っているかどうか、といった部分については岡嶋二人の作品に軍配を上げたくなりますが、大掛かりな特殊設定によるとはいえ、斬新なクローズド・サークルにおける密室殺人という点では、本作品が優れています。ミステリとしての濃厚な殺人事件があり、しかも、めいっぱいのトリックを駆使しています。ただし、私の場合は、繰り返しになりますが、「竜泉家の一族」シリーズの前2作品を読んでいませんから、不明の点が少なくありませんでした。砂時計のペンダントがクラッキングを実行出来るとか、ワトソン役、というよりは、クイーン作品のJJマック役のホラの存在と砂時計のペンダントとホラの関係とか、できれば、前作にさかのぼってこの作家さんの作品を読んでみたいと思います。
次に、坂上泉『渚の螢火』(双葉社) です。著者は、注目のミステリ作家です。デビュー作の『へぼ侍』、第2作『インビジブル』に続いて、本作品が第3作となります。私は不勉強にして、この作者の作品は初めて読みました。前2作と同じで警察小説です。舞台は本土復帰直前の1972年4-5月の沖縄であり、琉球警察本部、すなわち、後の沖縄県警に勤務し、東京の日大を卒業し警視庁に出向していた経験を持つエリート刑事が、ドルから円への切替えに際して起こった100万ドル強奪事件の真相に迫ります。ということで、もうすぐ、沖縄の本土復帰50年ですし、私が毎朝熱心に見ているNHK朝ドラも沖縄が舞台です。特に、NHK朝ドラでは主人公の兄がドルから円への切替えに当たって詐欺に巻き込まれます。ということで、この作品を読んでみました。なかなかによく出来た警察ミステリなのですが、同時に、沖縄の少しビミョーなあり方というのにも接することができました。米軍基地がいっぱいあるというのは、ある意味で重荷でしょうし、そのために、というか、それを遠因として倒れた内閣もありました。他方で、いろんな不都合はありつつも、米軍基地のお陰で生活が成り立っている県民もいるのかもしれません。私は沖縄と米軍基地というテーマを考える時、私はル-グィンの『風の十二方位』に収録されているヒューゴー賞受賞作「オメラスから歩み去る人々」を思い出します。確か、サンデル教授の何かの本でも紹介されていました。脱線してしまいましたが、この作品の読書感想文に戻って、最後に一挙に真相が明らかにされる、というよりも、ジワジワとタマネギの皮をむくように少しずつ真相に迫るミステリの手法であり、私の好きなミステリのタイプといえます。もちろん、少しずつ真相に迫りつつも、読者をミスリードする点でも作者の素晴らしい力量が示されています。すなわち、大量に人が死んで、しかも、米軍はもちろん、米国国務省の役人まで関係していたことから、「ひょっとしたら、日米外交関係にも影響を与えかねない大事件」と思わせつつ、実は、単なる、といっては申し訳ないのですが、個人的な復讐が動機になっていたりします。そのあたりの作者のプロット作りの上手さには舌を巻きます。そして、私がもうひとつ感激したのは、沖縄生まれの登場人物が、いかにも、沖縄っぽい苗字で登場する点です。鈴木とか田中とか佐藤とかいった姓の登場人物はいません。実に巧みに、私のような沖縄通ではない読者に、いかにも沖縄という雰囲気をもたらしてくれています。また、主人公にかけられる疑いの中で、極めて通俗的なのですが、「スパイ」というのがあります。実は、そのスパイが主人公の身近にいるというのも、まあ、プロット上で判るのですが、それなりに上手く描き出されています。主人公自身のアイデンティティの問題とも絡めて、果たして、どちらに付けばいいのか、というとても大元の問題を見ているようで、その意味で、沖縄の複雑さを際立たせている気がします。
最後に、酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎』(講談社現代新書) です。著者は、大阪府立大学の研究者であり、専門は社会学です。というよりも、本書のタイトル通りに、グレーバー教授の『ブルシット・ジョブ』や『負債論』の邦訳者です。ですから、本書のタイトルに深く関連する『ブルシット・ジョブ』だけでなく、『負債論』からも多くの引用が引かれています。本書は、序論に当たる0講から始まって8講までの講義形式を取っています。ということで、私は本家のグレーバー著『ブルシット・ジョブ』をすでに読んでいて、昨年2021年2月7日付けで読書感想文を明らかにしていますので、特に、大きな感激はなかったのですが、今回改めて知らされたのは、ブルシットなジョブが資本主義、というか、特に現在のネオリベと深く関係しているという点です。逆にいえば、ネオリベな経済政策によって、しょうもなくて有害ですらあるジョブがはびこっているということで、実に、マルクス主義的な阻害の実体を見る気がします。本書や本家の『ブルシット・ジョブ』で、ブルシットなジョブとされているのは、マーケティングで「欲しい!」を作り出す仕事とか、たんなるマネジメントだけの仕事とかなのですが、実は、現在の先進国において、そういったマネジメントの仕事が、もっともお給料がよくて、しかも、社会的なステータスも高いわけです。典型的には、私のいた官界ではキャリアの国家公務員、ということになります。例えば、官界でもエリートとされる財務省主計局でいえば、電卓をたたいて計算し、表計算ソフトにインプットするという作業をするのはノンキャリの公務員なのですが、そういったノンキャリの公務員を統括して仕事を割り振ったり、大きな会議で発言したりするだけのキャリア公務員の方が地位は上だし、さらに、お給料は多い、ということになっています。しかも、こういったブルシットなジョブの逆転現象は日本だけではありませんし、もちろん、官界だけではなく広く民間企業に見られます。実際に組立ラインで製品を作ったり、あるいは、計器とにらめっこをしてプラントを動かしたりしている現場の作業員ではなく、ホワイトカラーと呼ばれマネジメントに携わる従業員の方がランクは上だし、お給料も多い場合が圧倒的多数です。同じことが社会的グループにもいえて、非正規職員の方が正規職員よりも所得が低くて安定性にも欠ける、というのが通り相場だったりします。ホントは、経済学的に考えると、「雇用の調整弁」という言葉があるように、非正規雇用が不安定な雇用であれば何らかのプレミアムがお給料に上乗せされていてもおかしくないのですが、そうなっているのはほとんど見かけません。現場作業している労働者の方がランクが上という例外であるのは、病院の医師と学校の教員だけです。どちらも高学歴職であり、少なくとも大学を出ている必要があるとはいえ、病院の事務職員よりも医師の方がステータスは上でお給料も高いのが普通であろうと思います。私が勤務経験あるのは学校の中で大学だけなのですが、たぶん、現場で教育サービスを提供する教員の方が事務職員よりも高ステータスで高給なのではないか、と思います。実に不思議なのですが、こういった謎のブルシット・ジョブについての講義形式の解説書です。
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