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2022年9月17日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!!!

今週の読書感想文は、大学の同僚教員からご恵投いただいた経済書、デジタル社会やAIに関する社会学の教養書、ミステり小説、宗教に関する新書など、以下の通り計6冊です。
なお、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、7~8月で45冊、先週までの9月で10冊、今週が6冊ですので、今年に入ってから167冊となりました。ほかに、新刊書ならざる読書も何冊かありますので、可能な範囲でFacebookでシェアしたいと予定しています。

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まず、松尾匡『コロナショック・ドクトリン』(論創社)です。著者は、私の勤務する大学の同僚教員であり、早くにご恵投いただいていたのですが、研究室に埋もれて発掘に時間がかかってしまいました。本書のタイトルはナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を踏まえており、いわゆる惨事便乗型資本主義という意味で、それに「コロナ」という形容詞が付け加わっているわけです。岸田政権前の菅政権下で押し進められた新自由主義的な政策を批判し、資本主義の最終段階である帝国主義と位置づけています。それにコロナが乗っかった惨事便乗型なわけです。ですから、それまでの円安誘導で「輸出で稼ぐ」から、円高誘導で「海外で稼ぐ」にビジネスモデルを転換し、雇用者はヘクシャー-オリーン定理に従って低賃金の海外労働者と競わせる「底辺への競争」を仕向け、安価な輸入品が国民生活を支える、という方向を志向すると指摘しています。この方向をコロナという惨事に便乗して一気に進める、というのが日本の支配層の意図であるわけです。私もかなりの程度には同意します。しかし、現在の岸田内閣の評価については、現状ではまだ時間が足りずに決定的な結論は得ていないようです。私は基本的に同様の新自由主義的な政策が志向されるものと考えていますが、ある程度の弥縫策、主として分配政策の適用などは考えられると想像しています。本書の分析で、人口減少社会で必然的に景気が停滞する、という前提が置かれているような気がしますが、それを別にしても、ひとつだけ疑問があるのは、雇用の非正規化をどのように位置づけるのが適当か、という点です。すなわち、自然人ベースでは多くの人数を雇用しつつ、各個人の労働時間は短時間雇用=パートだったり、あるいは未熟練労働に限定して低賃金で多くの国民を雇用する、というのは、新自由主義的な経済政策のような気もしますが、そうでない気もします。資本主義経済でいかなる意味があるのか、という点がもう少し深く分析されているとさらに良かった気がします。

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次に、アンソニー・エリオット『デジタル革命の社会学』(明石書店)です。著者は、オーストラリア出身の社会学研究者です。英語の原題は The Culture of AI であり、2019年の出版です。英語の原題から理解できるように、主としてAIに関する社会的な方向性を論じていますが、同時に幅広くデジタル化の文化についても展開しています。しかしながら、単なるオートメーションについても同様に当てはまる部分が少なくないような印象です。この点は著者も意識しているようで、デジタル化、AIやロボットの実用化、あるいは、そういった全般的な動向が今までのオートメーション化に対して、かなり根本的な変革をもたらすという意味で、変容的であるとの指摘を紹介する一方で、他方には変容に対する懐疑的な見方も両論併記的に示しています。この議論は、実は雇用に対して向けられるべき疑問であると私は考えています。すなわち、産業革命やラッダイト運動のころから始まって、21世紀初頭の現在くらいまで、各種の技術革新、オートメーションに限らない機械化は雇用を破壊するわけではなく、新たな高付加価値な雇用を生み出してきたのが歴史的な事実として認識されるべきです。しかし、AI活用やデジタル経済化が変容的であるとすれば、雇用が破壊され、人的労働がAIやロボットに従属する方向で「変容」する可能性が考慮されるべきです。私は、何人かの悲観論者はシンギュラリティでマシンの能力が人間を超えると、まさにその意味で、変容的に社会がすべて変わって、人間は現在のウマやウシのようにAIの家畜になる可能性がある、と考えています。本書はその根本的な問いに対しては、唯一の回答を用意しているわけではありません。経済学書ではないので、生産や消費ではなくついつい生活面での変化を追いがちなのですが、セックス・ロボットがそれほど重要とは私は思わないのですが...

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次に、未須本有生『天空の密室』(南雲堂)です。著者は、東京大学工学部航空学科卒で、大手メーカーで航空機の設計に携わり、本書のような航空機に関するミステリなどを書いている作家です。本書では、近未来の時代背景をもって、「空飛ぶクルマ」の開発を進めている自動車部品メーカーが、試作段階になったにもかかわらず、国土交通省航空局からテストのための飛行計画の許可が下りず、開発計画が頓挫しかけます。役所の表向きの理屈としては安全確保が不十分ということなのですが、さまざまな要因が絡んでどうしようもなくなった折に、その航空局の担当官が殺されて東京湾岸のヘリポートに死体が遺棄されます。千葉県警の刑事が捜査に当たるのですが、殺人犯も死体の運搬も一向に謎が解明されません。ということで、実は、読めば犯人が誰かはそれなりに想像がつきます。死体運送方法については私くらいの雑な頭では判りませんでしたが、ミステリファンであれば理解できるラインではないかという気がします。ただ、私が本書をミステリと呼ぶかどうか迷う点があります。というのは、名探偵が事件をさかのぼって謎を解明するのではなく、犯人自身が警察に自首して真相を明らかにするからです。倒叙ミステリというジャンルがあるのはよく知られたところですが、本書はそれでもないようです。何か、少し違和感を感じる読後感でした。もっとも、気にならない読者も多いかもしれません。

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次に、未須本有生『ミステリーは非日常とともに!』(南雲堂)です。同じ著者です。ただし、本書は前の『天空の密室』の前作となります。航空機に関するミステリではなく、別の乗り物、すなわち、クルーズ船とクラシックカーに関する短編、というよりはやや長い中編の2章を収録しています。登場人物はビミョーに重なっているので、連作中編集とみなす読者もいそうですが、私は独立した2編と考えています。少なくとも、最初の中編はタイトル通りの非日常なのですが、2編目はそれほどの非日常ではない気がします。ということで、最初のクルーズ船の方は、ミステリ作家の友人が主人公となり、ミステリ作家のファン80名ほどと数日の交流会を豪華クルーズ船で行う企画が舞台となります。完成されたミステリではなく、2社から依頼を受けた原稿のテーマを探すクルーズ旅行であり、ファンに対してミステリの謎を提供し、粗っぽく謎解きを解説する、という趣向です。ですから、本格的なミステリ小説の完成は本作の後段階になる、ということのようです。2編目は、映像作家が主人公で、30年くらい前のBMWのクラシックカーを入手し、頻度高い故障を修理してもらいつつ、友人の警察官僚から持ち込まれる車に関する謎を修理業者とともに解明する、というストーリです。私自身は、クルーズ船に乗ったこともなく、クラシックカーどころか、自動車の工学的な特性などもサッパリ理解できず、その意味でなかなかに難解なミステリでした。

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次に、松長有慶『空海』(岩波新書)です。著者は、高野山大学の学長や高野山真言宗管長を務めた経験ある碩学です。岩波新書から、1991年に『密教』、2014年に『高野山』をそれぞれ出版しており、三部作の完成かもしれません。ということで、空海=弘法大師から密教や、あるいは、さらに仏教全般の教義についても幅広く解説がなされています。いくつか対立的な存在、すなわち、無限と有限、対立と融合、自と他などのいわゆる不二に付いての簡単な解説があり、加えて、自然観について明らかにされた後、ズバリ、空海のいう仏性についての独自性が議論されます。すなわち、いわゆる「成仏」とは、人間が修行の上で、人間ではない仏になると考えられていたのに対して、自分が本来持っている仏性、自分が仏であるということに気づくことである、と定義し直されます。即身成仏なわけです。加えて、綜芸種智院式と呼ばれる教育理念、生死観、さらには、空海はまだ死んでいないとする入定信仰などまで含めて、かなり具体的で判りやすい解説が続いています。しかし、空海の教義そのものがもともとかなり難解であったわけですから、平易な解説といっても限界があります。そのあたりはそれなりの覚悟を持って、仏教や空海に深い関心ある向きにオススメする読書ではないか、と思います。

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最後に、道尾秀介『いけない』(文春文庫)です。著者は、売れっ子のミステリ作家であり、本書の短酵母は2019年に出版されています。実は、このブログでも2019年9月に読書感想文を取り上げています。文庫本で出版されましたので、まあ、2度読みなわけです。ということで、タイトル通りに「xxしてはいけない」という章が3章あり、ほかに最終章が置かれています。舞台はすべて蝦蟇倉市という設定なのですが、第1章だけは蝦蟇倉市のシリーズとして、他の作家の短編作品とともにアンソロジーに収録されています。第1章から第3章までは数年のタイムラグがあります。全体として、ややホラーがかった短編ミステリ、あるいは、連作短編集ですが、キチンとした論理的な推理、説明がなされています。その意味で、エドワード D. ホックの「サイモン・アーク」シリーズの短編と共通点があります。ホラーがかっているひとつの理由は、事件の裏側に十王還命会なる新興宗教団体が関係しているからです。ただ、もちろん、この作者の作風がもともと少しホラー気味なのも広く知られている通りです。第1章からして、読者をミスリードする仕掛けが随所に盛り込まれていて、短編ながら、すべてが殺人事件ではないとはいえ、各章で人が死にます。そして、最終章で、新興宗教団体の浸透ぶりが明らかにされます。(旧)統一協会みたいなものかもしれません。単純明快な謎解きではありませんが、私のようにこの作者のファンであれば、読んでおくべき作品だと思います。

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コメント

松永さんの本は気になりますね。ヒンズーの香りのする密教の教義についてはファンタジーとして見ていますので、あまり興味が湧きませんが、その中にある空海の教えの本質は、果たして碩学がどのように解説しているのか見てみたいものです。

投稿: kincyan | 2022年9月17日 (土) 09時48分

>kincyanさん
>
>松永さんの本は気になりますね。ヒンズーの香りのする密教の教義についてはファンタジーとして見ていますので、あまり興味が湧きませんが、その中にある空海の教えの本質は、果たして碩学がどのように解説しているのか見てみたいものです。

松永先生は空海やその教義を解説するにはもっとも適しているのは衆目の一致するところでしょうし、実際に、岩波新書の本書は判りやすく書かれているという印象です。ただし、それなりに難しいです。鎌倉仏教からは民衆を対象に布教活動がなされて、我が家の浄土真宗なんてのはきわめて判りやすく、親鸞上人も和讃をいっぱい残していたりします。でも、平安仏教は民衆を対象にするわけではなく、国家鎮護でお国のエラい人に対してご説明に及ぶわけですので、難しい部分が大いに含まれます。空海の真言教義は特に難しい気がします。

投稿: ポケモンおとうさん | 2022年9月17日 (土) 17時30分

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