今週の読書はいろいろ読んで計5冊!!!
今週の読書感想文は以下の通り、純粋な経済書はないものの、いくつかの学術書をはじめとして、ミステリや新書まで合わせて計5冊です。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、7~9月の夏休みに66冊、10月に入って先週までで14冊、今週が5冊ですので、今年に入ってから191冊となりました。200冊に達するのにカウントダウンに入った気がします。それから、新刊書読書ではありませんから、このブログの読書感想文には取り上げませんが、第164回芥川賞を授賞された『推し、燃ゆ』を読みました。そのうちに、Facebookあたりでシェアしたいと思っています。
まず、ダニー・ドーリング『Slowdown 減速する素晴らしき世界』(東洋経済)です。著者は、英国オックスフォード大学の研究者です。専門分野は地理学です。英語の原題も Slowdown であり、2020年の出版です。振幅と位相をもった独特の時系列図で、およそあらゆる減速をオンパレードで示しています。すなわち、人口、経済成長、情報、債務、などなど、これでもかこれでもか、というくらいに、いっぱいデータを示して実証しています。注を入れれば軽く500ページを超えるボリュームです。もちろん、世界の中で減速の先頭に立っている国は日本です。もちろん、科学的な減速の証明は十分ではありません。しかも、将来時点で仮置きされているのは2222年だったりします。ですから、気候変動=地球温暖化が十分進んで、海水面が数メートルも上昇した後だったりします。私から見ても、スローダウン=減速の原因が何かについては本書でも明確にされていません。その意味で、科学的な主張とは見なさない向きもあるかもしれません。ただ、いわうる経験則というのはマラゆる科学にあるのではないかと思いますし、とりわけ、経済や経営分野には「ジンクス」も含めた理由の不明な経験則がいっぱいあります。日本に住んでいて日本人をしているからというわけでもなく、私もスローダウン=減速は進んでいるのではないか、と思わないでもありません。特に、経済学に関しては、サマーズ教授が長期停滞論を主張し始めたり、ロバート・ゴードン教授の『アメリカ経済 成長の終焉』にあったように、イノベーションの先行きに不安があったりと、停滞色が強くて成長鈍化あるいは成長停止の議論がある一方で、生産力は加速しないまでも、もっと長期にわたって伸び続ける、とする見方も少なくありません。本書でも指摘されているように、気候変動=地球温暖化をはじめとするサステイナビリティの議論との関係も重要ですが、本書で仮置きされているように、2222年までに地球はすでにサステイナビリティを失ってしまっているという可能性もゼロではないと、私は危惧しています。いずれにせよ、一見して悲観論に見える減速を持って楽観的な将来を語っている点は評価すべきか、と考えています。最後に1点だけ、本書で世代の呼び方に、X世代とか、Y世代とかありますが、通常の世代の時代区分と異なっています。米国と英国の違いかもしれませんが、十分気をつけて読み進む必要があります。
次に、高槻泰郎[編著]『豪商の金融史』(慶應義塾大学出版会)です。編者は、神戸大学の研究者であり、専門分野は日本経済史です。本書は、数年前のNHKの朝ドラで放送された「あさが来た」で注目された廣岡家の古文書発見により、その研究成果として公開されています。ですから、タイトルのように広く豪商一般というわけではなく、あくまで、現在の大同生命の創業家である廣岡家の歴史をひも解いています。そして、出版社から受ける印象ほど、カッチリした学術書ではありません。江戸期の大坂における先物市場、デリバティブ市場などについては、それ相応の金融に関する知識が必要ですが、経営者としての廣岡家の歴史ですから、広く一般ビジネスパーソンが楽しめる読書ではなかろうかと思います。ということで、廣岡家の創業の地である大阪からお話が始まります。「天下の台所」大坂で米市場が開かれ、堂島の米市場で先物やデリバティブが取引されるようになった歴史をひも解くとともに、同時に、廣岡家が加島屋久兵衛=加久として、こういった世界でも稀に見る先進的な金融業に乗り出したことが明らかにされます。堂島米市場におけるデリバティブ取引から、三井家家訓では「博打」として否定された大名貸しに乗り出し、巧みにリスクをコントロールしながら業績を伸ばしてゆく様子が伺えます。そして、明治維新とともに大名貸しという事業形態ではなくなって、近代的な金融業を始め、加島銀行は昭和金融恐慌で破綻した一方で、大同生命は長らく生き残る、という歴史が実証的に分析されています。しかも、学術書ではないという意味で、適度にコラムを設けて、廣岡家の邸宅とか、節句飾りとか、西本願寺への信仰とか、いろいろなテーマで断片的な情報ながら、廣岡家の事業活動以外の側面を浮き彫りにしようと試みています。今となっては、岩崎家の三菱は明治維新直前の成立とはいえ、三井、住友などの財閥の家系からすれば廣岡家の加島屋はすっかり歴史に霞んだ気がするのですが、こういった古い文書の発見とともに、まあ、NHKの朝ドラに起因する発見であり、かなり気を使って加島屋の廣岡家を持ち上げている提灯本とはいえ、我が国の経済史の新たな発見があるのは決して悪くないと私は考えています。
次に、莫理斯(トレヴァー・モリス)『辮髪のシャーロック・ホームズ』(文藝春秋)です。著者は、香港出身で、英国のケンブリッジ大学を卒業後、香港に戻り、映像業界で活躍中ということです。いわゆるホームズもののパスティーシュであり、ホームズ役が福邇、満洲旗人であり、ワトソン役が華笙、武科挙の進士であり、負傷して現役を退くと香港で医師をやっています。この2人は下宿しているわけではなく、ホームズ役の福邇が立派な住まいを所有し、そこにワトソン役の華笙が下宿しています。ハドソン夫人の役割をこなすのは鶴心という名の小間使です。なお、依頼のうちいくつかは差館(警察)から寄せられ、英国人の養子となった中国生まれのクインシー警部やインド人のグージャー・シン警部がスコットランド・ヤードのレストレイド警部やグレグスン刑事、ということになるのかもしれません。舞台はもちろん香港で、主人公たちは荷李活道(ハリウッド・ロード)221乙に暮らしています。時代は1880年代のホームズと同時期のビクトリア女王のころです。ということで、前置きが長くなりましたが、収録されている短編は6編で、「血文字の謎」、「紅毛嬌街」、「黄色い顔のねじれた男」、「親王府の醜聞」、「ベトナム語通訳」、「買弁の書記」となります。冒頭短編の「血文字の謎」でホームズ役の福邇とワトソン役の華笙が出会います。ついでながら、正典ではベイカー街イレギュラーズとして登場するストリート・チルドレンのグループが本書でも登場し、この「血文字の謎」で荷李活道義勇隊として活躍します。また、「ベトナム語通訳」はタイトルからして「ギリシア語通訳」を思い起こさせるのですが、ストーリーは大きく違います。でも、何と、シャーロックの兄のマイクロフトが登場した短編ですから、この短編でも福邇の兄の福邁が登場します。やっぱり、政府機関にお勤めだったりします。中でも私が最も高く評価するのは「親王府の醜聞」であり、コナン・ドイルの正典の「ボヘミアの醜聞」に当たります。正典と違うのは、ホームズ役の福邇とワトソン役の華笙が最高級ホテルの一室に呼び出されて、京劇の面をつけた依頼者+ボディガードの計5人と会って依頼される点などです。ひょっとしたら、ミステリ・ファンの中には正典の「ボヘミアの醜聞」よりも、出来がいいと感じる人もいそうな気がします。実は、私もそうです。私は詳しくないのですが、ミステリとして上質であるだけでなく、当時の香港に関する歴史小説としても読めるかと思います。なお、訳者あとがきによれば、このシリーズは全4巻が予定されており、最後の4巻ラストは1911年の辛亥革命だそうです。本書出版時点では「第2巻を完成させつつある」ということだったのですが、すでに出版されているという情報にも接しました。邦訳されたなら、私はまた読みたいと思います。
次に、中野剛志『奇跡の社会科学』(PHP新書)です。著者は、経済産業省にお勤めで、MMTに近い財政政策観を持っている方であると、私は認識しています。ということで、本書では古典的な社会科学者8人が取り上げられています。順に、官僚制に関してマックス・ウェーバー、保守主義に関してエドマンド・バーク、民主主義が生み出す専制制についてアレクシス・ド・トクヴィル、市場経済を「悪魔の挽き臼」と称したカール・ポランニー、自殺についての考察を進めたエミール・デュルケーム、戦争の起こる機器を歴史的に見ようとしたE.H.カー、リアリズムの極致ともされるニコロ・マキアヴェッリ、そして、マクロ経済学の創始者であるJ.M.ケインズです。現在からの視点としては、すべて、それなりにリベラルな社会科学者に注目した、といえそうです。私のようなエコノミストからすれば、最後のケインズ卿がもっとも親しみあるのですが、不況の世の中にあふれる失業者に思いを致し、生活に困窮する失業者に職をもたらすべく、古典派的な自由放任から政府による雇用創出を理論的に解明した功績はとても大きいと思います。ほかの7人にしても、活躍した当時だけでなく、21世紀の現在に至るまで理論的な正当性はいささかも失われていません。私は大学のゼミで「古典を学ぶ」と称してケインズを学生に読ませていますが、こういった古典的名著を振り返る余裕も欲しいものだと改めて感じました。
最後に、野田隆『にっぽんの鉄道150年』(平凡社新書)です。著者は、都立高校の教員ご出身で、鉄道に関するノンフィクションのライターです。ということで、今年は広く知られているように、新橋~横浜間で1872年10月14日に鉄道が開業してから150年という記念の年であり、さまざまなイベントなどもありましたが、本書もそれを記念する意味で出版されています。まずは、走る車両の歴史ということで、蒸気機関車から始まって、何と、高速鉄道に飛んで新幹線となり、私鉄で走っている電車、ブルートレインの寝台車や豪華列車・観光列車、その間に、青函トンネルや瀬戸大橋などの本州と北海道・四国を結ぶ線路の拡充が語られ、最後の方は、廃止された路線、もうすっかり廃れた切符、鉄道ミュージアムが取り上げられています。私は決して鉄道ファンではありません。でも、鉄道唱歌で「線路は続くよ、どこまでも」というのがありますが、私は長崎大学に出向した折に、長崎駅では線路が終わっていて「続かない」のを目にして、ある種の衝撃を受けた記憶があります。中学校の通学から電車に乗り始め、ほぼほぼ私鉄の通学が多く、東京に出てからも私鉄や地下鉄を使う通勤が多かったのですが、関西に戻って、今では主としてJRに乗っています。20歳前後の今の学生諸君と話をしていても、「国鉄』というのは、まったく死語になったと感じています。中曽根内閣の1980年代後半に、国鉄だけでなく、専売公社や電電公社の3公社が民営化される法案審議の際には、私はすでに国家公務員として働いていたのですから、年を取るはずです。最後に、本書は300ページを超えるボリュームで、新書としては分厚い本なのですが、モノクロながら写真が多数収録されていて、写真を眺めるだけでも楽しい気分にさせてくれます。
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