今週の読書はウェルビーイングに関する経済書のほか計5冊
今週の読書感想文は以下の通りウェルビーイングに関する経済書2冊と明治史に関する新書、そして、ミステリ小説2冊の計5冊です。
まず、山田鋭夫『ウェルビーイングの経済』(藤原書店)は、あまりウェルビーイングとは関係なく、レギュラシオン学派の観点から資本主義の先行きや調整について論じています。草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる』(明石書店)は、やや「ユートピア的」なウェルビーイングの考え方ではないかと思えるほどですが、成長モデルからウェルビイングのモデルへの転換について論じています。瀧井一博[編]『明治史講義【グローバル研究篇】』(ちくま新書)は、明治期の日本の歴史についてグローバル・ヒストリーの視点から、黒船来航という外圧による開国、そして、アジア各国が明治期日本を参照するという歴史をひも解いています。ネヴ・マーチ『ボンベイのシャーロック』(HAYAKAWA POCKET MYSTERY)は、1880年代の大英帝国の植民地であったインドを舞台にしたミステリです。最後に、ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(新潮文庫)は、ポール・オースターの別名義によるハードボイルドなミステリです。ニューヨークを舞台にしています。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10月には25冊、11月に入って先々週と先週で8冊で今週は5冊ですので、今年に入ってから210冊となりました。
まず、山田鋭夫『ウェルビーイングの経済』(藤原書店)です。著者は、名古屋大学を退縮された研究者です。本書では、レギュラシオン学派の調整理論に基づきつつ、大量生産・大量消費といったフォーディズムがどのように将来にわたってウェルビーイングな価値を重視しつつ、資本主義の調整がなされるか、に焦点を当てています。本書の構成は前編と後編にそれぞれ4章ずつを収録し、前編では内田義彦らの市民社会概念を紹介しつつ、ウェルビーイングの観点からの資本主義像を論じています。中国などの権威主義的な経済社会と市民社会が対象的に議論されます。特に、現在の岸田総理が持ち出した「新しい資本主義」については、分配が後景に退いて成長重視に回帰するとともに、賃上げや「所得倍増」ではなく試算所得の倍増に化けたのではないか、と批判しています。ただ、私の理解不足により、物質代謝については十分には判りませんでした。後編では、レギュラシオン理論に基づく資本主義の調整をテーマとしています。すなわち、資本-労働の関係では、テイラー・システムに基づく科学的管理を労働者が受け入れる一方で、労働需給による賃金決定ではなく生産性に基づく賃金が労働者に支給され、結果として、大量生産-大量消費というフォーディズムが資本主義に好循環をもたらした、というのがおそらく、1970年代の石油危機やニクソン・ショックまでのブレトン-ウッズを支えていました。それが、アマーブルのいうような多様性に富む資本主義がウェルビーイングの概念を軸に、いかに資本主義の新たな方向性として目指されるのか、について議論を展開しています。おそらく、私の目から見て、次の草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる』と同じで、自由かつ格差が小さいという意味での平等が実現され、さらに、ウェルビーイングな経済社会を、少なくとも短期間で構築することは、ユートピア的・空想的であって、それほど現実性は大きくないと考えるべきです。他方で、こういった大きな方向性について、多様な資本主義の累計を念頭に置きつつ議論することは、単なる「頭の体操」を超えて、現在の日本経済を始めとするいわゆる「閉塞感」、あるいは、欧米経済学のコンテクストでいえば、「長期不況」secular stagnationからの方向転換を考える上でとても重要です。ただ、難点をいえば、内容が難しいです。やや専門外であるとはいえ、私には「物質代謝」を含めて、理解が及ばない点がいくつかありました。一般ビジネスパーソンには難解に過ぎる可能性は指摘しておく必要がありそうです。
次に、草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる』(明石書店)です。著者は、関西大学の社会学部の教授です。本書では、国連のSDGsなどを引用しつつ、p.40で示した利益拡大の競争社会である経済成長モデル、現在のモデルから、p.115で示している循環型共生社会であるウェルビーイングモデルへの転換について考えています。基本的な方向性としては私は大賛成であって、まったく異論ありません。ただ、2点だけ指摘しておきたいと思います。第1に、一時期にせよ成功していたように見える経済成長モデルがどうしてダメになったのかについては説明を要します。経済成長モデルが経済的格差を構造的に生じさせ、社会的な分断をもたらし、現時点でこのままではよろしくない、というのは、百歩譲っていいとしても、高度成長期の1950-60年代くらいまではこの経済成長モデルで日本だけでなく多くの先進国が成功してきたわけであり、21世紀に入った現時点で、どうしてダメになったのかについては、こういったステレオタイプの紋切り型ではなく、もう少していねいな説明がほしい気がします。第2に、ではウェルビーイングモデルをどう実現するか、については水俣市と長久手市の例が示されているだけで、どこまで一般性あるのか、はなはだ疑問です。当事者主体の地域協働を醸成するための6つのポイントがp.172に上げられていますが、後に、リーダーの存在の必要性などが述べられているとしても、はなはだ不親切であると私の目に映ります。ウェルビーイングについては所得と幸福度の関係についてイースタリンのパラドックスを展開したり、あるいは、センやヌスバウムらの潜在能力アプローチ、あるいは、ヘリウェル-サックスなどの幸福度に関する計測の研究、などなど、しっかりとした理論的な基礎があるだけに、方法論があまりにも貧弱と感じてしまいます。まあ、マルクス主義的な暴力革命からプロレタリアート独裁というのも乱暴な方法論だと大学生のころに感じた記憶はあるものの、本書はどうも科学的な観点が少し不足する「ユートピア的あるいは空想的ウェルビーイング理論」のような気がします。もっとも、現状の幸福度やウェルビーイングの研究はほぼほぼすべてこういった水準にとどまっているのも事実です。ひょっとしたら、経済学以上に未熟な科学なのかもしれません。逆に、私自身はウェルビーイングなモデルを大いに支持していますので、今後の学術的、科学的な発展を期待します。大いに期待します。
次に、瀧井一博[編]『明治史講義【グローバル研究篇】』(ちくま新書)です。編者は、国際日本文化研究センター(日文研)の研究者です。本書は、2018年に明治維新150年を記に開催されたシンポジウムの報告から構成されています。なお、同様の出版物として、同じちくま新書から【テーマ篇】と【人物篇】はシンポジウム直後の2018年に刊行されていますが、なぜか、本書【グローバル研究篇】だけは4年遅れでの出版となっています。私も役所の研究所に勤務していたころにこういったコンファレンスの出版を担当した記憶がありますが、私の担当で大きく出版が遅れたのは最終稿の確認が、おそらくたった1人のために、遅れに遅れたことが原因であったと覚えています。それはともかく、本書では内外の16人の報告を収録しています。出版社のサイトに各報告のタイトルが示されています。大雑把にいって、私の理解として、国家近代化として捉えるべき明治期の日本については、その出発点である明治維新がいわゆる外圧、すなわち、象徴的にはペリー提督による黒船来航によってもたらされ、そして、明治期の日本での国家建設がアジアをはじめとする当時の途上国によって参照された、というのが明治期の歴史をグローバル・ヒストリーの中で位置づけるひとつの視点ではなかろうか、と考えています。明治期の歴史の最終的な仕上げのひとつのエポックは日露戦争であり、日本が大国ロシアに勝利したという事実により、当時の途上国から国家の発展モデルとして大いに注目を集めたことは容易に想像できるかと思います。特に、当時の清-中国あるいは台湾や朝鮮といった近隣諸国への影響は無視し得ないものであったと想像しています。本書では、さらに範囲を広げて、タイ、ベトナム、トルコといった国への影響も報告されています。本書のまったくのスコープ外ながら、私が同様に日本の歴史的な発展がアジアをはじめとする途上国のモデルとなったのは1950-60年代の高度成長期であったと考えています。逆に、20世紀なかば以降の戦後の世界経済において、いわゆる経済開発に成功して先進国の仲間入りをしたのは日本モデル以外には、現時点では、ないものと考えています。韓国についてはかなりの程度に日本モデルを採用して経済開発が進められました。ただ、中国が日本モデル以外の新たな経済発展モデルとなるかどうかは、大いに注目です。激しく脱線しましたが、明治期の日本をグローバル・ヒストリーの視野で捉えるとすれば、国家の近代化≈西洋化の際の発展モデルであろうと私は考えます。そして、本書はそういった明治史について、さまざまな観点を提供してくれます。
次に、ネヴ・マーチ『ボンベイのシャーロック』(HAYAKAWA POCKET MYSTERY)です。著者は、インド生まれで現在は米国在住のミステリ作家です。英語の原題は Murder in Old Bombay であり、2020年の出版でこの作品は作者のデビュー作で、そして、米国探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の最優秀新人賞にノミネートされています。ということで、舞台は1892年のインドのボンベイ、今でいうところのムンバイです。インドは大英帝国の植民地として発展を遂げており、時代はまさにシャーロック・ホームズの活躍したビクトリア時代です。主人公はインド人女性と英国人男性の混血として生を受けていますが、父親は不明で、姓はインド系、しかも、カースト最上位のバラモンである一方で、名はジェームズ(ジム)と名付けられています。軍人として大尉まで務めましたが、30歳にして傷痍退役し新聞社に勤務します。そして、数か月前にボンベイで話題となった2人の裕福な若い女性の時計塔からの転落死事件について、その被害者の1人である女性の夫から調査依頼を受けます。被害者やその夫はパールシーです。すなわち、ペルシャ系のゾロアスター教徒であり、同じ宗教の信者としか結婚しません。ということで、主人公が謎解きに挑み、もちろん、成功するのですが、とてもびっくりするような謎でした。ハッキリいって、どうもあり得ないような解決だと私は考えます。一応、何と申しましょうかで、莫理斯(トレヴァー モリス)『辮髪のシャーロック・ホームズ』がとてもよかったので、同じような本ということで借りてみましたが、決してオススメしません。かなりのボリュームある長編ですし、解決は現代の日本人には想像できないような内容です。しかもしかもで、パールシーの結婚観に触れておきましたが、女性に対する興味を示さなかった本家のホームズと違って、この作品の主人公の探偵役は、たぶん、ヒンデュー教徒であるにもかかわらず、パールシーの女性に対して求婚したりします。捜査方法もどこまでホームズを参考にしているのかは不明です。少なくとも、『辮髪のシャーロック・ホームズ』で組織されていたベイカー街イレギュラーズを模した少年たちは登場しません。ただ、米国での評価はそれなりですし、ミステリとしては謎解きの妙は味わえます。評価はビミョーなところです。
最後に、ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(新潮文庫)です。著者は、米国の作家なのですが、通常は、ポール・オースターとして理解されている作家であり、本書は別名義で執筆しています。英語の原題は Sueeze Play であり、本書巻末の主要著作リストに従えば、何と40年前の1982年の出版ながら、本邦初訳だそうです。ペーパーバック出版の1984年の翌1985年には米国私立探偵作家クラブによるシェイマス賞最優秀ペーパーバック賞を受賞しています。ということで、主人公はニューヨークの私立探偵なのですが、米国東部アイビーリーグの名門校を卒業し、州の検事局を最近辞職しています。そして、この探偵への依頼者は、これまた、アイビーリーグの名門校出身で5年前まで大リーグのスタープレイヤーであって、キャリアの絶頂期に交通事故で片足を失いながらも、今は政治家として注目され、州上院議員に民主党から立候補するとウワサされている人物です。その依頼者が殺意すら匂わせている脅迫状を受け取り、探偵に事実調査を依頼します。いろいろと調査を進めているうちに、実に、その依頼人は実際に毒殺されてしまいます。ほかにも、死者がいっぱい出ます。作風としては、いわゆるハードボイルドであって、私は大好きです。謎解きについては、今となってはそれほど目新しさもなく、ありきたりな気もします。ミステリですので、これ以上は詳細について触れず、どうでもいい脱線をいくつか書いておくと、第1に、タイトルの「スクイズ・プレー」はまさに、野球、特に、高校野球でよく見かけるスクイズそのものを指しています。主人公の探偵が離婚した妻といっしょに暮らしている9歳の息子と大リーグの試合観戦に行って、日本でいうところのツーラン・スクイズ、すなわち、3塁走者だけではなく2塁走者もホームに生還するスクイズからヒントを得て事件を解決に導きます。なお、私がスクイズ・プレーのある競技として知っているのは、野球のほかはコントラクト・ブリッジだけです。第2に、サム・スペード、リュウ・アーチャー、フィリップ・マーロウというハードボイルド御三家ともいえる探偵は3人とも西海岸カリフォルニアで活動しているのですが、私はハードボイルドにはニューヨークが似合うと常々考えています。本書ではハードボイルド探偵はニューヨークを舞台に事件解決を成し遂げます。その意味でも、いい読書でした。
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コメント
明治史は面白いですよね。あの武家・封建時代から一気に近代国家になったのですから、驚きです。当時の欧米も驚いたに違いありません。
投稿: kincyan | 2022年11月19日 (土) 20時51分
>kincyanさん
>
>明治史は面白いですよね。あの武家・封建時代から一気に近代国家になったのですから、驚きです。当時の欧米も驚いたに違いありません。
そうなんですよね。
たぶん、日本人は幕末史とか、維新史の方が好きなのでしょうが、私は幕末から明治期全体、さらに大正初期くらいまでの50-60年間の歴史の方が実り多い研究ができそうな気がします。
実に単純化すれば、世界のリンケージを主眼に置くグローバル・ヒストリーでは、黒船来航という外圧で開国した日本が、ご指摘のように、極めて短期間で近代化を押し進め、それが近隣の中国や朝鮮半島の近代化のモデルとなった、ということなんだろうと思います。
投稿: ポケモンおとうさん | 2022年11月19日 (土) 22時54分