今週の読書は文庫が多くて計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、玉木俊明『手数料と物流の経済全史』(東洋経済)では、出アフリカからの人類の歴史を壮大に追って、プラットフォームを構築して手数料を取るというコミッション・キャピタリズムを跡づけようと試みています。残念ながら、この試みは失敗しているように私には見えます。岸見一郎『エーリッヒ・フロム』(講談社現代新書)では、『自由からの逃走』などで有名な社会学者の思想について哲学的に解明を試みています。新海誠『小説 すずめの戸締まり』(角川文庫)は、アニメ映画の監督自らが映画のノベライズを行っています。松井今朝子『江戸の夢びらき』(文春文庫)では、初代市川團十郎の一代記を妻の恵以の視点から描き出しています。望月麻衣『満月珈琲店の星詠み ライオンズゲートの奇跡』と『満月珈琲店の星詠み メタモルフォーゼの調べ』(文春文庫)は、三毛猫のマスターが注文を取ることなく差し出す飲み物やスイーツで登場人物が癒やされるラノベのファンタジーです。順次、Facebookとmixiでシェアしてゆきたいと予定しています。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10~11月に合わせて49冊、12月に入って先々週が6冊、先週が5冊、今週は6冊ですので、今年に入ってから238冊となりました。
まず、玉木俊明『手数料と物流の経済全史』(東洋経済)です。著者は、京都産業大学の研究者です。専門は経済史なのですが、私の記憶が正しければ、経済学部の経済史ではなく、文学部の歴史学科のご出身ではないかと思います。大きな違いはありません。私の勤務校の西洋経済史担当の准教授もこの著者を高く評価していると聞き及んだことがあります。ということで、本書は「覇権」をキーワードとしつつ、プラットフォームの形成者が手数料を徴収するという観点からの経済史、なんと、出アフリカ out-of-Africa からの歴史をひも解こうとしています。たぶん、私の勝手な想像では、ニーアル・ファーガソン『スクエア・アンド・タワー』のネットワークの歴史に対抗して、プラットフォームの歴史に挑戦したのではないか、という気がします。でも、残念ながら、長い歴史を概観しているだけで、覇権はともかく、プラットフォームの形成者が手数料を徴収する経済史、という試みは失敗している、としかいいようがありません。最後の方の第13章と第14章でコミッション・キャピタリズムについて少しだけ言及されているに過ぎません。悪いですが、ファーガソン教授と玉木教授の差なのかもしれません。ただ、長い経済史を概観することについては成功していますし、ややピンボケとはいえ一読の価値はあります。流通の輸送経路を掌握するという観点も、まあ、なくはないのですが、かなり希薄です。覇権の基礎となったプラットフォームとは、本書ではいくつか提示されていて、私も理解し同意する部分が少なくありません。例えば、文字で記録する、あるいは、現在では英語がプラットフォームになっていますし、会計的な記録では複式簿記がプラットフォームになっています。特に会計についてはIFRS何ぞという国際的な基準が作成されていますが、これらの言語や会計記録方式が手数料を徴収できるわけはありません。内容についても、明代の海禁政策によって中国が欧州のような産業革命を経験しなかった一因、とか、イングランドないしええ異国の戦争遂行の原動力は金融にあり、戦時に国債を発行して資金調達し平時に償還する、なんてのはもう言い古されているわけですから、それほど目新しさがあるわけでもありません。イングランドから始まった産業革命にしても、英国が海路を押さえているのも、確かに、工業化を大いにサポートしたとは思うのですが、それが工業化の推進要因のひとつであったとしても、主要な要因とは考えるべきではありません。例えば、21世紀の中国は「世界の工場」として製造業の振興が著しいわけですが、中国が輸送路を押さえているのかどうか、やや疑問だったりします。ただ、いわゆる「一帯一路」政策により、そういった志向が見られるのはその通りです。どうも、最近のギグ・エコノミーのAirbnbとかUberとか、あるいは、日本のメルカリなんかを注目しつつ、繰り返しになりますが、ニーアル・ファーガソン『スクエア・アンド・タワー』のネットワークに対抗しようと試みたのはいいのですが、どづも違うと感じます。総合的包括的な歴史を考えたいのであれば、ボリュームは大いに違いますが、岩波講座「世界歴史」のシリーズがいいように感じてしまいました。玉木先生のご著書に関しては、次の小ネタの新書などを期待したいと思います。
次に、岸見一郎『エーリッヒ・フロム』(講談社現代新書)です。著者は、よく判らないのですが、京都大学系の哲学者ではないかと想像しています。ですから、本書の対象としているエーリッヒ・フロムとは少しズレがあるわけで、かなり難しい内容になっています。本書の対象であるフロムは社会学者、特に、『自由からの逃走』によるナチス分析で有名かと思います。私も読んだ記憶があります。本書は、100ページ少々のボリュームなのですが、繰り返すと、かなり難しい内容です。たとえb、個人の性格というマイクロな心理学については、フロイトの影響を受けつつも、マルクス主義的な経済の下部構造というものをフロムの思想の中に見出していたりします。ただし、フロムの主眼は「技術」=artであり、まあ、さすがに、テクニックではないのでっすが、決して哲学を主眼としているわけではないと強調されています。ですから、本書の副題のように、自由に生きるためには孤独を恐れてはいけない、ということになります。孤高に生きる自由という技術なわけです。その上で、いろんなものを分類しようと試みています。このあたりが、フロム由来の思想なのか、それとも、著者による分類なのか、という点は私にはイマイチ不明でした。例えば、実人的二分性と歴史的二分性、合理的権威と非合理的権威、権威主義的権威とヒューマニズム的権威、などなどです。基本的に第4章自由からの逃走が読ませどころなのでしょうが、第5章のフロムの性格論もマルクスとフロイトの融合的な内容で、それなりに読ませるものがあります。しかも、現在目の前にある日本では、まさに、軍事費の議論などを聞いている限り、何かの権威に自分自身の自由を委ねて、あるいは、故意は無作為家は別にして、日本という国の先行きを決めかねない重要な議論から耳をふさいで、関知しないところまで逃走して、その意味で、自由から逃走している日本人がかなり多いと私は感じています。そして、そういった権威主義的な民主主義の否定について論じるとすれば、個々人で「孤独を恐れない自由」を求めるのではなく、経済社会のシステムとして国民生活を支えて、そして重要な決定に国民の目が向かう余裕ができるようにスルノガ、ホントの政治的なリーダーシップではないか、と考えています。戦争が個々人の善意で回避できるとは私は考えていませんし、国民が広く自由を、あるいは、基本的人権を享受できるようにするためには、マルクス主義的な経済の下部構造をしっかりと構築することが必要です。
次に、新海誠『小説 すずめの戸締まり』(角川文庫)です。著者は、アニメの映画監督であり、本書も映画バージョンを小説にしたもの、と考えてよさそうです。というのは、不勉強ん敷いて、私はアニメ映画の方を見ていないからです。ということで、これだけ話題になって流行しているアニメ映画ですので、荒っぽくは知っている人が多いかと思います。宮崎のJKすずめが閉じ師の草太とともに、というか、草太が呪文をかけられた子供用の椅子とともに、宮崎を出て、白猫のダイジンを追って四国は宇和島、神戸、東京、福島と旅をして、地震を引き起こすみみずを閉じ込めるべく努力する、というストーリーです。繰り返しになりますが、鳥の雀ではなく、このJKの名前がすずめ、なわけです。ファンタジーですので、何と申しましょうかで、大きなみみずが地震を起こすわけですから、決して科学的ではありませんし、ある意味で、荒唐無稽なわけで、どうして宮崎のJKがこれに巻き込まれるかというのは、私も理解がはかどりませんでした。ただ、主人公のすずめは母子家庭で暮らしていた福島で東日本大震災に遭遇し、母親を亡くしています。そして、この戸締まりの旅の最後には福島にたどり着きます。みみずが地震を引き起こすという点からも、東日本大震災がこの映画や小説の大きなモチーフになっている点は明らかです。アニメ映画ですが、ポケモンのロケット団のような敵役は登場しません。まあ、強いていえば、宮崎から逃げ出した要石のダイジンがそうなのかもしれませんが、少なくとも、すずめと草太の旅路を邪魔するような悪役めいた登場人物はいません。というか、すべての登場人物、宇和島で民宿に泊めてくれるJK、神戸までヒチハイカーのすずめを運んでくれるスナックのオーナーママ、そして、東京から福島までBMWを走らせる草太の同級生などなど、草太やすずめを力強く応援してくれる人であふれています。そうした人々に支えられ、常世と現世を行き来したりして、大災害を不正で、しかも、椅子に変えられた草太を救出するというミッションをすずめはやり遂げるわけです。そういったいろんな人々の強力や援助の大切さを感じられ、人のつながりでピンチを乗り越えるすばらしさを感じることのできる名作でした。ただ、チャンスがあれば、ビジュアルの感じることのできるアニメ映画も見ておいたほうがいいような気がします。なお、映画のポスターはドラえもんの「どこでもドア」を思い出させる図柄となっています。
次に、松井今朝子『江戸の夢びらき』(文春文庫)です。著者は、時代小説家にして、直木賞受賞作家です。私はとても時代小説が好きなのですが、この作者の作品は直木賞を受賞した『吉原手引草』は読んだものの、ほかは歌舞伎をテーマに取り入れたものが多いせいか、それほど読んでいません。本書は2020年に単行本として出版されたものを今年文庫化されましたので読んでみました。ということで、一言でいえば、本書は初代市川團十郎の一代記です。團十郎の妻である恵以の視点で書かれています。すなわち、10才そこそこの恵以、当時は浪人の娘だったころに、目黒で團十郎と出会ってから、団十郎が舞台で刺殺され、2人の長男が2代目團十郎を継ぐあたりまでがとても簡潔に取りまとめられています。まさに、お江戸の花の盛りの元禄時代ころから、大地震や大火や、果ては富士山の噴火まで、いろいろな事件が江戸周辺に起こる中で、初代市川團十郎が年700両の契約を取り付けたり、あるいは、私生活では次男坊を舞台稽古の事故で亡くすとか、京都に團十郎とともに出向くとか、いろんなイベントが盛り込まれています。その中でも、特徴的なのが、まだ團十郎が若手のころにある殿様のお城で芝居を披露し、豪華なふすまをずたずたにしたとか、江戸の地震や大火の後に團十郎が辻々で舞台小屋復興の資金集めに精を出したとか、やっぱり、個人的な生活とともに、歌舞伎の芸術としての発展を跡づけているのが印象に残ります。舞台での荒業の大立ち回りの「荒事」を完成させ、京に上っては坂田藤十郎と座談したり、成田山への信心熱くて「成田屋」の屋号をつけられたりと、初代市川團十郎の魅力が余すところなく描き出されています。ただ、逆から見て、かなり團十郎が美化されているおそれがないか、と危惧します。例えば、信心が強いにもかかわらず僧にはならず、その理由として欲が強く、特に女性に対する欲望が強いと言わしめておきながら、妻の恵以の視点を借りているという理由もあるとはいえ、女性遍歴がまったく言及されていません。「芸の肥やし」くらいの女性遍歴があってもいいような気まそますが、そこは省略されてしまっています。ただ、芸術としての歌舞伎の発展や進化の過程については、よく追っている気がします。
最後に、望月麻衣『満月珈琲店の星詠み ライオンズゲートの奇跡』と『満月珈琲店の星詠み メタモルフォーゼの調べ』(文春文庫)です。著者は、京都在住のラノベ作家です。この2冊は、「満月珈琲店の星詠み」シリーズの第3巻と第4巻ということになります。なかなかに、私や我が家の構成員のように平々凡々とした人生を送ってきた人ではなく、かなり得意な人生で、いかにも小説になりそうな人生が描き出されています。その意味で、私は決して高く評価するわけではありませんが、時間つぶしにはこういったラノベがぴったりです。それから、私は料理という嗜みは持っていませんが、本書では三毛猫のマスターが言うに、注文は取らずに店側で飲み物やスイーツを用意する、ということになっていて、私は不勉強で知りませんでしたが、このシリーズで出てくる喫茶店のメニューがレシピとともに紹介されているサイトや本があるらしいです。つい最近、聞き及びました。主婦の友社から『満月珈琲店のレシピ帖』として、本書のイラストを書いている方が出版されているそうです。私はもう食べたり飲んだりする方の欲はすっかり抜けてしまいましたが、確かの本書冒頭のイラストなどを見ていると、そういったレシピ本の需要もありそうな気がします。本格的に隠居生活に入ったら、料理も趣味のひとつとして始めてみようかと思わないでもありません。
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コメント
すずめの戸締まりは、予告編だけ見ましたが、そういうストーリーだったんですね。鳥の雀が出てくるのかと思ってました。早くテレビで放映しませんかね。
投稿: kincyan | 2022年12月24日 (土) 15時57分
>kincyanさん
>
>すずめの戸締まりは、予告編だけ見ましたが、そういうストーリーだったんですね。鳥の雀が出てくるのかと思ってました。早くテレビで放映しませんかね。
そうなんです。漢字であれば「鈴芽」と書きます。
いかに地震を止めるかが努力の対象になっています。
大昔の万城目学『鹿男あをによし』に少し似ています。
投稿: ポケモンおとうさん | 2022年12月24日 (土) 22時40分