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2022年12月10日 (土)

今週の読書はカーネマンほか『NOIZE』を中心に計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ダニエル・カーネマン & オリヴィエ・シボニー & キャス R. サンスティーン『NOIZE』上(早川書房)では、人間の判断におけるエラーのうちのノイズを取り上げて、アルゴリズムに沿った、あるいは、ルールに基づく決定の方がノイズが少ないと主張しています。野村総合研究所『日本の消費者はどう変わったか』(東洋経済)では3年ごとの1万人アンケート調査に基づき、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミック後の消費者のマインドや行動パターンなどの変化をリポートしています。小林美希『年収443万円』(講談社現代新書)では平均的な収入があってもなお生活が苦しい国民生活の実態をリポートしています。高山正也『図書館の日本文化史』(ちくま新書)では図書館が文化的な豊かさに果たした役割を歴史的にひも解いています。貴志祐介『罪人の選択』(文春文庫)はSFとミステリの4編の短編を収録し、特にSFとではこの作者独特の世界観が味わえます。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10~月には49冊、12月に入って今週は6冊ですので、今年に入ってから227冊となりました。ひょっとしたら、今年は250冊に届くかもしれません。

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まず、ダニエル・カーネマン & オリヴィエ・シボニー & キャス R. サンスティーン『NOIZE』上下(早川書房)です。著者は基本的に3人ともエコノミストといえますが、カーネマン教授がノーベル経済学賞を受賞した経済心理学や行動科学の専門家、シボニー教授はマッキンゼー出身の経営学者で意思決定などの専門家、サンスティーン教授は法哲学や行動経済学の専門家です。英語の原題も NOIZE であり、2021年の出版です。ということで、基本的にカーネマン教授の前著『ファスト&スロー』の続編といえます。最初に、エラーをもたらす2つの要因としてバイアスとノイズを上げ、射的の結果から直感的に判りやすく解説しています。すなわち、精度高く的の近くに着弾したシグナル中心のいい例がある一方で、外している2例をもとに、一貫性なくアチコチにばらつきがあるのがノイズ、ばらつきはないがどこか・どちらかに偏っているのがバイアス、と分類しています。当然ながら、本書は前者のノイズを分析対象とし、標準偏差でもって計測される、と定義します。そのノイズの実例として、裁判での量刑、保険の査定結果、医師の診断、採用を含めた人事の評価などを上げて、実に多くのノイズで満ちた判断が下されていることを強調しています。そして、直感的にも理解できますが、バイアスは一方向に偏っていますから、例えば、裁判の量刑で厳しい/甘い、などの偏りを排除することはそれほど難しくない一方で、ノイズのばらつきは、いわば、一貫性なくアチコチの方向にばらついていますので修正が困難といえます。そのノイズを除去するために、本書では「判断ハイジーン」、すなわち、判断の事前にハイジーン=衛生管理をするイメージで、いくつかの手法を提案しています。そのひとつが、まさにAI時代にふさわしくアルゴリズムを用いた人間による解釈の裁量の余地の少ない方法です。逆にいえば、人間がその裁量で判断している限り、カスケード効果によりノイズが連鎖する可能性も十分あるわけです。要するに、ルールを設定して裁量の余地を狭めることが重要なわけです。その例としては、産婦人科のアプガー・ガイドラインを上げています。そして、私が考える中では金融政策のインフレ目標がこれに当たります。インフレ目標を採用する前の日銀が裁量政策にこだわって、日本経済にデフレをもたらし、ひどいトラック・レコードを記録して世界から笑いものにされていたのは記憶に新しいところです。最後に、私が読み進むうちに強い既視感に襲われました。すなわち、本書でノイズを除去すべく提案されているいくつかの方法は、ウェーバー的な官僚制に通ずる手段であるという点です。そして、最終第28章で、著者たちもそれを認めています。官僚制とは前例踏襲で融通が利かず、個別案件の特殊性を考慮せずに、一律にルールを適用する、と考えられていますが、まさにその通りです。おそらく、全部ではないとしても、エラーだらけの専制君主の判断に対して、ルールを議会で設定し、そのルースに従った執行体制を求めた結果が官僚制なのだろうと私は認識しています。本書ではノイズを削減・除去するためには、そういった官僚制のような融通の利かないルールの厳格な適用が必要、と主張しています。この点は忘れるべきではありません。

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次に、野村総合研究所『日本の消費者はどう変わったか』(東洋経済)です。著者は、いうまでもなく我が国でも最大のコンサルタント会社のひとつです。本書では1997年から開始され、3年おきに実施されている「生活者1万人アンケート」のい2021年調査結果を中心にタイトル通りの調査結果が示されています。主として、マーケターを主たる読者に想定していて、当然、マーケティング活動への活用に主眼が置かれています。でも、私のようなエコノミストにも十分活用できる結果ではないかと思います。特に、今回調査では2020年の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックにより、どのような消費者の志向や行動の変化が現れたかを追跡調査しています。とても興味深い結果なのですが、一言でいえば、まあ、常識的な結果と私は受け止めています。まず、私が就職してキャリアの国家公務員となってから、大きな経済社会的な変化がいくつかありました。バブル崩壊(1990年)、阪神・淡路大震災(1995年)、リーマン証券破綻(2008年)、東日本大震災(2011年)、そして、COVID-19パンデミック(2020年)です。おそらく、こういったイベントにかかわりなくトレンドとして進んでいく変化もあれば、循環的な変化もあります。そういった中で、私は消費者の意識や行動に強く影響をおよぼすのは雇用だと考えています。まず、1990年代から進んだのは非正規雇用の拡大です。これを基礎として結婚せずに子供も少ない流れが一気に加速したと考えるべきです。そして、COVID-19パンデミックはこの流れを加速したといえます。ですから、本書でも指摘されているように、挑戦=チャレンジというのは積極果敢なアニマル・スピリットの現れであって、起業家精神を肯定的に表現する言葉ではなく、むしろ、リスキーでギャンブル的なネガな言葉に受け止められたりしています。加えて、COVID-19パンデミックの最大の影響はテレワークの普及にあります。おそらく、特に日本では非公式な同僚との横の連絡が失われた結果として、かなりの生産性の低下を見たのだろうと思いますが、パンデミックを過ぎたとしても、100パーセント元の対面就業に戻るわけではありません。もともとテレワークに親和性があって生産性が確保できている産業・職業や、あるいは、テレワークに習熟して生産性の低下が食い止められている企業などでは、引き続きテレワークが継続されるのはいうまでもありません。その意味で、働き方のダイバーシティが進みましたので、幸福度は決して大きく低下したわけではありません。他方で、渡辺教授の『世界インフレの謎』で主張されていた宿泊や飲食などのサービス消費の低迷とモノ消費への回帰については、少なくとも本書では外食への需要については決してCOVID-19によってダメージを受けているわけではない、と指摘しています。そして、デジタル化については一気に進んだのは従来から指摘されている通りです。本書では「半ば強制的に」という表現を使っています。いずれにせよ、政府統計などに現れる消費のバックグラウンドを知る上では貴重な資料です。ただ、最後に、SNS誘発消費についてはそれほど重視されていません。インフルエンサーの影響については、私は雇用環境よりずいぶん弱いと考えているので、ある意味でOKなのですが、本書ではまったく無視しています。

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次に、小林美希『年収443万円』(講談社現代新書)です。著者は、ジャーナリストです。タイトルの年収443万円というのは、国税庁の「民間給与実態統計調査」における2021年給与所得者の平均年収となっています。ハッキリいって、とても低い額なのですが、これはあくまで平均であって、平均はトップモストの層に引っ張られますので、中央値はもっと低いことになります。バブルが崩壊した後、ここ30年でお給料はほとんど上がっていないわけです。3部構成となっていて、第1部と第2部はインタビュー内容を1人称で取りまとめています。第1部が平均年収がっても生活が苦しい人たち、第2部は平均年収以下のインタビュー結果です。第3部で著者の視点が示されます。ということで、平均的に、というか平均以上の年収1000万円でも生活が苦しいという訴えに満ちています。子供の教育費であったり、老親の介護であったり、あるいは、非正規雇用の不安定さと所得の低さであったり、生活が苦しい原因は必ずしも同じではありませんが、収入と支出のバランスの間で、30年以上前のバブル崩壊から苦しみ続けている国民の姿が浮き彫りにされています。私は何をどこから見ても、明らかに、収入の不足であると考えています。読者によっては家計の節約不足やムダな出費を指摘する向きがあるかもしれませんが、そうではありません。現代の技術水準に基づく豊かな生活を送ろうとすれば、それ相応の出費が必要です。テレビや自動車は文化的な生活には必要性高いといわざるを得ませんし、生活が苦しいからといって、インターネットへの接続の出費を切り詰めるのは、ひょっとしたら、選挙などで基本的人権の正当な行使が出来なくなるおそれすらあります。あるいは、権力者にはそれが狙いなのかもしれないと勘ぐったりもします。ですから、支出を切り詰めるのではなく、収入を増加させる必要が力いっぱいあるわけです。しかし、他方で、本書もやや踏み込み不足といえます。収入の増加や所得の確保には何といっても雇用がもっとも重要な要因なのですが、本書ではやや雇用についてアサッテの見方しか示されていません。すなわち、まず第1にマクロの視点で、経済の拡大を目指す必要がスッポリと抜け落ちています。気候変動=地球温暖化の抑制やほかのSDGsについて考えれば、脱成長とか、ゼロ成長とかが目標になりかねませんが、まず、経済の拡大による雇用の確保が大前提と考えるべきです。しかし、本書ではそこには目がつけられていません。第2にマイクロな視点では、安定した高収入の雇用のためにはスキルの向上が何よりも必要です。大学に戻ってのリカレント教育などにも目を向ける必要がありますが、本書では残念ながら、採用面接の際のテクニックだけが重視されている印象です。この2点をしっかりと政策的に支えて、国民を貧困状態から引き上げる措置が必要です。そして、何度も繰り返しましたが、国民生活の基礎は雇用にあります。まず、短期的には手始めに非正規雇用に対する規制緩和の行き過ぎの是正が必要です。本書にも「非正規雇用の拡大によるコストカット」といった旨企業サイドの見方が批判的に紹介されていますが、正規雇用の拡大という雇用者サイドの政策のためには、非正規雇用の行き過ぎた規制緩和の是正が現時点では必要です。非正規雇用を悪者視するわけではありませんが、正規雇用を求める雇用者に非正規の職しかないという現状は、行き過ぎた規制緩和の是正により改める必要があります。

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次に、高山正也『図書館の日本文化史』(ちくま新書)です。著者は、慶応大学の図書館学の研究者です。国立公文書館の館長も経験しているようです。ということで、本書では、図書館文化を中心に据えつつ、その前提としての文字文化、書籍の歴史なども押さえています。ですから、大陸からの漢字文字の導入なども重要かもしれませんが、やや著者の歴史認識に歪みがあるように私は感じましたので、それほど重視する必要もないかと思います。というのも、本書では何度かハティントンの『文明の衝突』を引いて、日本は中国漢字文化とは少し異なる独自の文明圏を形成していて、その日本の文明の発展を図書館が担っている、という説を何度か主張しています。ということで、私が図書館の役割として重要と考えているのは、文書の保存と利用者への提供です。しかし、この2点はある意味でトレードオフである点を、著者は暗黙裡にしか理解していないような気がします。私は国立国会図書館の図書カードも持っていましたし、東京では日比谷図書館をはじめとして、公立図書館も大学などの研究機関の図書館も、かなり数多くの図書館を利用してきました。ハッキリいって、図書館のヘビーユーザだろうと思います。おそらく、私が接してきた国公立の図書館では、主として文書・図書の保存を主眼に置かれているタイプと、逆に、利用者への提供を主眼に置いているタイプがあります。私自身は各図書館ごとにバランスが重要と考えているわけではなく、図書館によってその役割を特化させてもいいくらいに考えています。すなわち、利用者への提供はほとんどせずに図書や文書の保存を主眼にした図書館もそれなりに重要です。現時点では、図書ではなく文書に関する国立公文書館がこれに当たります。国会図書館もこれに近いような気がします。逆に、おそらく、多くの市区町村レベルの公立図書館が貸出に精を出すシステムになっており、適宜古い図書を処分しつつ地域住民へのサービスに努めているわけで、本書では「無料の貸本屋」とやや揶揄した表現を用いている部分もありますが、行政サービスとして重要な役割を果たし、良識ある市民層の形成にて大いに役立っていることはいうまでもありません。ただ、本書でも指摘しているように、図書館に関する政策が文教政策には入っておらず、国会図書館という頂点を持った立法府に属しているため、政策的な重点がぼやけているのは事実だろうと思います。最後に、本書では電子図書の役割、あるいはさらに進んで電子図書を図書館でどのように扱うか、については、p.267で「時間がかかる」としか述べられておらず、少し不満が残ります。この先、デジタル本が比率を高めていくことは明らかなのわけですし、実は、私自身は図書館のヘビーユーザでありながら確たる見識は現時点では持ち合わせていませんから、本書の著者には何らかの見識を持った見方を示してほしかった気がします。

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最後に、貴志祐介『罪人の選択』(文春文庫)です。著者は、私と同世代で、京都大学経済学部出身の小説家です。本書では短編4話から構成されており、ハッキリいって、やや寄せ集めの感があります。単行本は2020年に発行されていますが、今年になって文庫本が出版されましたので読んでみました。収録されている短編は、「夜の記憶」、「呪文」、「罪人の選択」、「赤い雨」であり、タイトル編となっている「罪人の選択」はミステリですが、ほかの3話はSFです。特に、冒頭に置かれている「夜の記憶」は『十三番目の人格 -ISOLA-』や『黒い家』で著者が本格デビューする前に書かれた貴重な一編といえます。節が交互になっていて、人間ならざる生物と人間がそれぞれ登場し、人間編の方では、男女の結婚前カップルが南の島のバカンスで太陽系脱出前の最後の時を楽しんでいます。浅い読み方しかできない私のような読者には、かなり難しいSFだと感じさせられました。第2話の「呪文」では、主人公は文化調査で植民惑星『まほろば』に派遣され、諸悪根源神信仰を調べ、集団自殺や大事故などを引き起こす危険な信仰を防止することを目的にしています。唯一のミステリである「罪人の選択」では、1946年と1964年の2時点を舞台に、罪人が選択を迫られます。すなわち、焼酎の入った一升瓶とフグの卵巣の缶詰を前に、どちらかに猛毒が入っていて、他方は無害、という選択です。最後の「赤い雨」は遺伝子組換え生物として誕生したらしいチミドロによって汚染された世界と選ばれた人間だけが入れるドームの世界を対比し、以下に破局的な終末を阻止するかという研究をしている男性とチミドロが引き起こすRAINという病気の治療を研究する女性を主人公にしています。何といっても、私は最後のSF「赤い雨」を高く評価します。私が貴志祐介のSF作品としては最高傑作と考える『新世界より』にやや近い世界観、すなわち、分断され上下関係に支配されつつも、協力し合う2つのグループが、地球という狭い世界でいかに生きるか、という観点が示されています。ミステリの「罪人の選択」は、まあ、標準的なレベルという気がしますが、繰り返しになるものの、冒頭の「夜の記憶」は私の理解がはかどりませんでした。「呪文」も短いストーリーにいろんな要素を詰め込んだSFをの好編です。長編小説のようなスケールはありませんが、なかなかに中身の濃い短編が収録されています。ただし、まあ、一貫したテーマはなく寄せ集めです。

最後に、最新号の ECONOMIST 誌にて年末特集のひとつだろうと思いますが、以下の今年の読書的な2つの記事を見かけました。雑誌としてのオススメと寄稿者のオススメのようです。中身はまだそれほど詳しく見ていませんが、面白そうであれば取り上げてみたいと思います。

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コメント

図書館は、私にとって命であります。狭い家で図書を蓄えるわけにはいきませんから。リタイアしてから特によく利用するようになりました。定期的に貸し出しの少ない本を廃棄するのは仕方がありませんが、見ていると切なくなりますね。

投稿: kincyan | 2022年12月11日 (日) 17時06分

>kincyanさん
>
>図書館は、私にとって命であります。狭い家で図書を蓄えるわけにはいきませんから。リタイアしてから特によく利用するようになりました。定期的に貸し出しの少ない本を廃棄するのは仕方がありませんが、見ていると切なくなりますね。

そうですよね。
昔は、本を買える人は大きなお家に住んでいたのかもしれませんが、今や、年間10冊買うとしても、人生終盤に入れば数百冊になるわけで、オーディオCDや映画のDVDも含めれば大量です。狭い家に住まざるを得ない国民の知的水準を維持する意味でも図書館は重要です。ただ、ひとつだけ気がかりなのは、書籍の売行きが鈍れば、小説などの創作意欲に悪影響を及ぼしかねない点です。これは何とか考える必要あるかも知れません。

投稿: ポケモンおとうさん | 2022年12月11日 (日) 23時11分

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