今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、平沢和司『格差の社会学入門[第2版]』(北海道大学出版会)では、社会学ないし経済学の教科書として執筆されていて、格差や不平等について、特に、現在の日本で機会の平等はホントに確保されているのか、について議論しています。続いて、鮫島浩『朝日新聞政治部』(講談社)では、東日本大震災の際の福島第1原発の運営にかんする「吉田調書」の「誤報」事件の際にデスクだったジャーナリストが、ご自分の半生を振り返るとともに、メディアと権力の関係などについて論じています。続いて、トニ・マウント『中世イングランドの日常生活』(原書房)では、中世イングランドにタイムトラベルするとすれば、どのように生き残るか、について解説しています。続いて、今村夏子『とんこつQ&A』(講談社)は、芥川賞を受賞した小説家が、持ち前のやや不気味な雰囲気ある短編小説4話を収録しています。続いて、五十嵐彰・迫田さやか『不倫』(中公新書)では、社会学者と経済学者が不倫という婚外性交症について定量的な分析を加えています。最後に、ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』(創元推理文庫)は、英国を舞台に女子高校生が行方不明になった友人の兄を探すというミステリです。シリーズの第2作です。
ということで、今年の新刊書読書は、先月1月中に20冊、そして、2月に入って先週まで14冊、今週の6冊を含めて計40冊となっています。これらの新刊書読書のほかにも何冊か読んでいますので、順次、Facebookやmixiでシェアしたいと思います。
![平沢和司『格差の社会学入門[第2版]』(北海道大学出版会) photo](http://pokemon.cocolog-nifty.com/dummy.gif)
まず、平沢和司『格差の社会学入門[第2版]』(北海道大学出版会)です。著者は、北海道大学の研究者であり、専門分野は社会学です。第2版であり、しかも、2021年年末の出版で1年余りを経過していますが、私の興味分野のひとつである格差や不平等に関する学術書ですので、まあ、いいとしておきます。繰り返しになりますが、出版社から軽く想像されるように、学術書です。しかし、本書冒頭にあるように、教科書としての役割を期待されているように、学生諸君にも理解しやすいような工夫がなされており、定量分析のいくつかのテクニカル・タームを別にすれば、一般ビジネスパーソンにも判りやすい内容となっている気がします。やや先進的な部分は「発展」として別枠で記述されていますし、「コラム」も適切に配置されています。ということで、本書の結論として、おそらくは社会学の観点から、平等と不平等を論じる際にもっとも重要な観点である「機会の平等」が現代日本では必ずしも確保されていない、という点が重要であると私は考えます。経済学的には、ついつい、平等と不平等を結果としての所得を代理変数として考えますが、社会学ですので排除や包摂とも考え合わせて、まあ、複雑ながら経済学よりも深みのある議論が展開されています。そして、平等と不平等を考える際に、原因から結果に向かう中間経路として、本書では教育ないし学歴を大きなポイントに据えています。要するに、制度上はあくまで義務教育ではないにも関わらず、ほぼほぼ事実上の全入制となった高校進学を前提として、ホントに機会の平等が保証されているのであれば、誰でもが大学に進学する機会を平等に有しているかどうか、について定量分析も含めて考察を加えています。そして、その結論は否定的といわざるを得ません。すなわち、日本では大学進学における機会の平等は確保されていない、ということになります。その詳細な議論は本書を読むしかないのですが、私は少なくとも機会の平等を考える上で、あるいは、貧困からの脱出を考える上で、大学進学は重要なポイントになると考えています。その点は本書の著者と基本的によく似た見方をしています。米国の「大統領経済報告」ではじめて示されたグレート・ギャッツビー曲線を援用したりして、定量的なパネル分析からも大学進学が「親ガチャ」からは独立ではありえない、という分析結果です。本書は社会学的な分析ですが、経済学的に私が授業で教えているポイントは、その昔の高度成長期に広く観察された雇用慣行である年功賃金制にあります。チョット見では、いかにも子供達が大きくなって大学進学などで教育費がかかる時期にお給料が上がるのは好ましく思えますが、実はそうではありません。というのは、親が大学授業料を負担できる給与体系である年功賃金をもらっているがために、いわば、行政がサボって大学の学費を低く抑える必要がなかったわけです。すべてではありませんが、米国などの一部を除いて欧州諸国、特に北欧諸国では大学の学費を極めて低く、しばしば無料にしている点は広く知られているとおりです。

次に、鮫島浩『朝日新聞政治部』』(講談社)です。作者は、長らく朝日新聞で記者をし、政治部を主にキャリアを積んだジャーナリストです。東日本大震災の折の福島第1原発の吉田調書に関する報道で処分を受けて、現在ではネットメディアを主催しているようです。本書では、基本的に著者自身の経験とある程度の憶測を交えながら、著者の半生の自伝を語りつつ、同時に、メディア論についても展開しています。すなわち、権力とメディアの距離感、そして、メディアの企業としてのあり方、などです。まず、よく知られたように、著者は朝日新聞特別報道部のデスクとして「吉田調書」を入手した部下とともに読み解き、吉田所長の待機命令に反して福島第1から第2に退避した職員がいたことを明らかにするスクープをモノにします。「新聞協会賞」に相当する快挙として社内ではもちろん、広く称賛されますが、実は、吉田所長の待機命令に反してではなく、その命令を知らずに避難した職員がいたのではないか、また、実際に退避した職員への取材がなされておらず、裏付けが取れていない、などといった疑問が持ち上がって、逆に「捏造」としてバッシングを受けます。社長が辞任し、現場の記者やデスクだった著者も処分を受けます。そして、同時に慰安婦問題に関する「吉田証言」も虚偽であったことなどをはじめとして、著者はここで朝日新聞は死んだと表現します。すなわち、権力の対するチェック機能とか、「社会の木鐸」と呼ばれる存在でなくなった、という意味なのだろうと私は考えています。そして、大手全国紙が横並びで東京オリンピックのスポンサーとなり、オリンピック開催反対の意見はしぼんでゆきます。現在では、大手メディアは権力と癒着し提灯持ちの記事が多くなっていることも事実です。本書に関して、私から2点だけ指摘しておきたいと思います。第1に、問題の「吉田調書」の読み方ですが、「待機命令に反して退避」というのは、「命令違反」というコンポーネントと「退避」というコンポーネントの2つの要素があり、私は報じられた当時から前者の「命令違反」がどこまで重要かを疑問視していました。むしろ、重点は「退避」の方にあるのではないか、という気がしていたからです。すなわち、現場を放棄して退避することが問題なのであって、命令違反というのはその退避という行動の悪質さをより重くするものであることは確かです。しかし、現場を放棄しての退避が重要と私が考えるにもかかわらず、本書でも「命令違反」の方に重点が置かれています。不思議です。この重心おき方を誤らなければ、この問題はここまでこじれることはなかったような気がします。本書で指摘する朝日新聞社内の危機管理体制以前の報道の問題です。第2に、本書の著者もそうですが、メディアと権力との距離感に関しては、記者クラブ制というシステムを考慮する必要があります。記者クラブという極めて特殊で排他的なシステムを、おそらく、全国紙やテレビのキー局の記者は当然のように考えているのでしょうが、地方紙や海外メディアからすれば、とてつもない特権としか見えません。こういった特権を与えたれているわけですから、全国紙やテレビなどのキー局が権力に近いという印象を持たれるのは当然です。私は、役所が主催する閣僚の出席する会議の写真を撮ろうとして、写真を撮れるのは記者クラブ所属のカメラマンだけ、といわれて諦めざるを得なかったことがあります。会議の事務方の公務員ですら写真が撮れなかったわけです。こういったべらぼうな特権を与えられている記者クラブ制がある限り、メディアの権力依存は続く、あるいは、少なくとも眉に唾つけて見る国民がいるような気がします。

次に、トニ・マウント『中世イングランドの日常生活』(原書房)です。著者は、歴史家、作家となっています。英語の原題は How to Survive in Medieval England であり、2021年の出版です。原題からほのかに理解できるように、21世紀の現代人が中世、本書では1154-1485年のプランタジネット王朝のころのイングランドにタイムトラベルしたとすれば、どのように生き残るか、という観点で記述されています。単純な修正の歴史書ではありません。まず、中世ですから、私が時折主張するように、英国=イギリスあるいは連合王国とイングランドが区別すべきです。本書でも、イングランドはスコットランドと戦争したりしています。おそらむ、本書の対象とする中世初期にはイングランドとウェールズでは言語がビミョーに違っていたのではないかと私は想像しています。そういった意味からも現代的にイングランドを英国やイギリスと同一視するべきではありません。ただ、細かい点ながら、タイトルに "survive" を用いているにも関わらず、以下に生計を維持するか、稼ぎを得るか、という観点は本書では極めて希薄であり、もっと原始的、というか、まるで無人島で生き残るかのような観点が支配的である点は申し述べておきたいと思います。まず、今もってそうなのですが、欧州諸国、というか、日本以外の多くの国は階級社会であって、所属する階級によっていかに生活するかは大きく異なります。最初の第2章の社会構造や住宅事情などは本書でもその観点がありますが、食べ物や医療事情になると、かなりの程度に忘れられている気がします。おそらく、電話や鉄道などはいかんともしがたいと思いますが、居宅近くでの日常生活では上流階級の人々は現在とそう遜色ない生活を送っていたのではないか、と私は想像します。だた、第2章の社会構造に次に第3章に信仰や宗教に関する歴史を持ってきているのは秀逸です。私はイングランドに限らず、おそらく、日本でも前近代においては宗教の果たしていた役割がかなり大きいと考えています。本書の対象とする期間のイングランドの宗教は、いうまでもなく、キリスト教の中でもカトリックなのですが、普段の日常生活を律するのは死後の天国と地獄ではなかったか、と私は想像しています。日本の中世のひとつの時代区分である鎌倉時代に仏教の新宗教が浄土宗や日蓮宗のように日本地場で起こるとともに、禅宗の臨済宗や曹洞宗が中国から持ち込まれたように、中世の12世紀から15世紀くらいまでは宗教の役割は大きかったですし、変化もありました。私の勝手な想像では、ゲーテが「もっと光を」といって死んだように、光が不足する、というか、夜が暗かったのが地獄をはじめとする異世界を想像たくましくさせたような気がします。今でも都会に比べて夜が暗い、というか、早くに暗くなる地方部では必ずしも宗教に限らず信心深い気がします。

次に、今村夏子『とんこつQ&A』(講談社)です。著者は、芥川賞を受賞した純文学の作家です。この作品は短編集であり、4話を収録しています。まず、表題作の「とんこつQ&A」では、大将と坊っちゃんで切り盛りする中華料理店「とんこつ」で30代半ばの独身女性である主人公が働き始めます。しかし、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」すらいえなかったため、しゃべるのではなくメモを読み上げることで克服します。それから、挨拶をはじめとする店内で発するあらゆる会話、例えば、店の名前の由来、おすすめメニューなどをメモに記入し、「とんこつQ&A」を作り上げます。おしゃべりではなく、メモを読むことで対応するわけです。そこにもうひとり、主人公よりももっと鈍なアルバイトの丘崎さんが働き始めることになり、いろいろとお話が展開します。最後の結末は、思いもしなかったものでびっくりです。続いて、「嘘の道」では、小学校でのイジメられっ子の与田正のクラスメートの少女を主人公に、いじめられていた与田正が「イジメはよくない」という教師の指導などもあって、逆に、チヤホヤされるようになります。でも、おばあさんが教えられた近道でケガを負うという事件があり、濡れ衣を着せられた与田正が再びイジメにあいます。でも、おばあさんにその近道を教えたのが誰であるか、という真相は別のところにあるわけです。「良夫婦」では、小学生のタムに親切にする若妻を主人公に、タムがその主人公の家の庭にあるサクランボを取りに来て期から落ちて大怪我する時間があった際、すべてを処理する夫の事件処理のやり方を描き出しています。それは、夫婦が結婚前にそろって勤務していた介護サービス事業所での妻が起こした不都合な出来事の処理方法と同じでした。最後に、「冷たい大根の煮物」では、高校を卒業してひとり暮らしの工場勤務を始めた女性を主人公に、同じ工場の同僚で中年女性の柴山さんとの人間関係を描き出しています。柴山さんには寸借詐欺のウワサあるにも関わらず、主人公にはそれなりに親切で料理してくれたり、レシピを教えてくれたりします。でも、結局、柴山さんは工場を辞めることになります。あらすじは以上の通りですが、読者としては、主人公とそれ以外の登場人物の間のズレをどう考えるか、という点がポイントになります。ある意味で、ものすごく深い読み方をしなければ、この作者の作品をホントに味わうことが出来ないと私は考えており、その意味で、この短編集はこの作者の典型的な作品ともいえます。特に、4話の短編の中でも短めな「嘘の道」と「良夫婦」はホラーとすらいえる内容ですが、スラッと読めばホラーでも何でもなく読めてしまう可能性もあります。最後に、私もこの作者の作品をすべて読んだわけではありませんが、この作品の理解を進めるためには、『あひる』を読んでおくと参考になりそうな気がします。

次に、五十嵐彰・迫田さやか『不倫』(中公新書)です。著者は、社会学の研究者と経済学の研究者であり、おそらく、ともに計量分野のご経験が豊富と思います。本書ではタイトル通りに、不倫、本書では婚外性交渉と定義されている行為について定量的な分析を試みています。ただし、婚外性交渉とはいっても風俗店での行為や風俗店できっかけの出来たものは除外されています。定量的な分析ですから、その基礎となる情報を得るために、NTTコムオンラインでアンケート調査を実施しています。ただし、選挙におけるブラッドリー効果のように、アンケート調査で真の結果を得られていない可能性もありますから、そのあたりはリスト実験などの工夫がなされています。ということで、構成として、第1章で不倫とは何かを考え、第2章でどれくらいの人が不倫しているのかの把握に努め、p.31表2-1のような結果を得ています。すなわち、既婚男性の半分近く、既婚女性の15%ほどが、結婚後に現在進行形も含めて何処かの段階で不倫の経験あり、という結論です。第3章で、不倫しやすい属性を検討し、第4章で誰と不倫するのかを解明しています。軽く想像される通り、男性の場合は職場で不倫相手が見つかりやすい、ということがいえます。第5章で不倫の終わり方、あるいは、なぜ終わらないのか、を検討し、不倫行為に関する定量的な分析はここまでなのですが、最後の第6章で社会的に不倫を非難する人たちについても考察を進めています。本書でも言及されているように、シカゴ大学のノーベル経済賞を受賞したベッカー教授などの「経済学帝国主義者」が結婚の経済学を分析したことは有名ですが、本書は経済学的なアプローチもなくはないですが、基本的に、社会学的なアプローチを取っていると私はみなしています。日本においては、ほぼほぼ先行研究のない分野ですし、本書も新書とはいえ、定量分析の手法の選択や参考文献の渉猟など、学術書とみなしていいと私は考えます。いくつかの章の終わりに置かれている補論は学術書っぽくなないですが、まあ、いいとします。ですから、基本的に、本書の不倫に関する分析結果は、諸外国、特に、米国の先行研究との整合性も考えると、十分に受入れ可能なものだといえます。分析結果は本書を読んでいただくしかありませんが、十分に評価するという私の基本を踏まえた上で、たった1点だけ指摘したのは、不倫においてマッチング・サービスの果たす役割です。基本的に、マッチング・サービスは結婚を希望する人々に開かれていて、私のような高齢の既婚者には関係ないと考えていますので、私はまったく情報がありませんが、おそらく、あくまでおそらくですが、既婚者の不倫行動に対して何らかのポジティブな役割を果たしている可能性が否定できません。でも、本書では、それについてはまったく無視しているように見えます。

最後に、ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』(創元推理文庫)です。著者は、英国のミステリ作家です。この作品は、英国のリトル・キルトンのグラマー・スクール最上級生のピップ(ピッパ)が探偵役を務めるシリーズの第2作であり、前作は『自由研究には向かない殺人』であり、3部作といわれています。英語の原題は Good Girl, Bad Blood であり、2020年の出版です。3部作最後の As Good As Dead もそのうちに邦訳されることと私は想像しています。ということで、この作品では、主人公のピップに友人のコナー・レノルズから兄のジェイミーが失踪したので行方を探して欲しいと依頼が入ります。ほぼほぼ1週間7日が経過してもジェイミーは見つかりません。その間に、ピップは着々とリサーチを進めるわけです。前作と違って、この作品ではPodCastが多用されます。ミステリですので、あらすじも早々に、5点ほど指摘しておきたいと思います。第1に、前作では主人公のピップはきわめて強気に捜索を進めたのですが、この作品では少なくとも前作に比べれば控えめです。最後の方に、ピップの仲間、すなわち、前作で相棒になったラヴィ・シンとこの作品の依頼者のコナー・レノルズが家宅侵入をしたりしますが、まあ、強気な捜索というよりは控えめといっていいと思います。第2に、前作でも女子高生(当時)の行方不明事件であって、殺人事件とは確定していませんでしたが、本作品でもやっぱり行方不明事件です。ただ、この作品では最後の最後に殺人事件が起こります。主人公のピップの目前での銃撃殺人ですので犯人探しは不要ですが、生々しい殺人が描かれていることは確かです。第3に、この作品では有色人種に対する差別はそれほど大きく扱われていません。記者のスタンリーは前作では差別意識が激しい人物とされていたように私は記憶していますが、別の事情もあって、この作品ではとても好意的に、しかも、主人公のピップも同情を寄せるように描かれています。やや矛盾を感じる読者は私だけではないと思います。第4に、先週レビューした『罪の壁』で少し言及しましたが、このシリーズは登場人物が多岐に渡り、隠れた顔がいっぱいあります。それを「深みがある」と称するかどうかはともかく、極めて複雑なミステリ作品に仕上がっていることは確かです。第5に、最初の作品である『自由研究には向かない殺人』に比較して、この作品はミステリとしてクオリティは大きく落ちます。3部作の最後の作品がやや心配です。最後に、おそらく、作者はまったくあずかり知らぬことなのでしょうが、日本人であれば神戸の連続児童殺傷事件、俗にいう「酒鬼薔薇事件」を強く思い起こさせる可能性があります。
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