今週の読書は財政政策に関する経済の学術書をはじめとして計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。退院後に初めて本格的な経済書を読みました。
まず、オリヴィエ・ブランシャール『21世紀の財政政策』(日本経済新聞出版)では、従来財政収支黒字にこだわった議論がなされてきた財政のサステイナビリティに関して、利子率と成長率に着目した理論を展開しています。一穂ミチ『光のとこにいてね』(文藝春秋)は2人の女性の出会いと別れを切なく描き出しています。長野正孝『古代史のテクノロジー』(PHP新書)では古代日本の歴史について鉄中心史観のような考え方が展開されています。兼本浩祐『普通という異常』(講談社現代新書)では、ADHDやASDではない健常発達者について、正常とか普通とかはホントにそうなのかを考えています。最後に、戸川安宣 [編]『世界推理短編傑作集6』(創元推理文庫)では、20世紀なかばまでの傑作短編推理小説を集めた第5巻までの傑作集の補遺となっています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、退院後の今月が本日分を合わせて19冊、合計63冊となります。
まず、オリヴィエ・ブランシャール『21世紀の財政政策』(日本経済新聞出版)です。著者は、マサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授であり、国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストの経験もありますし、そのうちにノーベル経済学賞を受賞する可能性も十分あり、世界のトップレベルのエコノミストの1人です。英語の原題は Fiscal Policy under Low Interest Rates であり、2022年の出版です。本書は、米国経済学会の会長講演の論文 "Public Debt and Low Interest Rates" を基に、財政赤字の持続可能性について論じています。実は、私も長崎大学の紀要論文「財政の持続可能性に関する考察」で同じような視点を取り上げているのですが、まあ、何と申しましょうかでエコノミストとしての格が違いすぎますので、比較もできません。ということで、前置きが長くなりましたが、財政の持続可能性については、大昔の1940年代にドーマー教授が提唱したドーマー方程式、とか、ドーマー条件といわれるものがあり、基礎的財政収支=プライマリバランスが黒字であるか、利子率が成長率よりも低ければ、財政のサステイナビリティが確保され、公的債務のGDP比は低下する、というものです。しかし、日本の議論が典型的ですが、学界でも長らく前者のプライマリバランスの黒字化だけが注目されていて、利子率と成長率の関係についてはほぼほぼ無視されていました。しかし、本書では無視されていた利子率と成長率との関係に着目し、財政政策のあり方を論じています。現在の岸田内閣でも、私はそもそも軍事費の拡大には反対ですが、少子化対策などの財源先送りの再出拡大策が議論されており、本書も今後注目が集まることは明らかです。だから、ではないのですが、実は、私自身の今年の夏休みの論文は財政のサステイナビリティについて書き始めており、英語の原書をひも解いていたのですが、早速にこの訳書を入手して作業が格段はかどるようになって大助かりです。でも、逆に考えると、完全な学術書ですので、一般ビジネスパーソンにどこまでオススメできるかは自信がありません。財務省のエコノミストなんかは読むけど無視するのかもしれませんし、逆に、大いに取り込もうとするのかもしれません。いずれにせよ、現代貨幣理論(MMT)のような極端な議論でなくても、反緊縮の理論的基礎は主流派経済学のスコープで十分得られる、と私は考えていますし、本書はその信念を裏付ける学術的な研究成果だと受け止めています。最後に、今年2023年まだ半ばで、しかも、さらのその半分を病院で過ごして経済書のフォローが十分ではないながら、それでも、私は本書を今年のベスト経済書に推すと思います。
次に、一穂ミチ『光のとこにいてね』(文藝春秋)です。著者は、ミステリもモノにする作家さんです。私は不勉強にして、『スモールワールズ』しか読んだことがありません。この作品は昨年2022年下期の直木賞にノミネートされています。ということで、女性2人の物語、と読む人が多そうな気がしますが、私は母親と娘の関係を描き出しているというふうに読みました。それはともかく、同い年の小瀧結珠(後に結婚して藤野結珠)と校倉果遠(後に結婚して果遠)の2人を軸にストーリーが展開されます。3部構成であり、第1部は2人が古びた団地で出会う少額2年生のころ、第2部が高校1年生のころ、そして、最後の第3部が30歳手前の29歳のころ、ということになります。医者の父や医学生の兄がいる何不自由ない家庭で育ちながら、自分を評価してくれない母に対するやや歪んだ感情から抜けきれない結珠とシングルマザーの家庭で生活し、結珠と同じお嬢様女子校に入学しながらも、すぐに結珠と別れてしまう果遠でした。たぶ、この2人の出会いと別れの繰り返しに涙する読者も多いことと思います。でも、繰り返しになりますが、この作品は母と娘の関係性に着目して私は読みました。誠に残念ながら、私は男ですので母にも娘にもなれませんし、そういった視線から読むと、ある意味で、不自然極まりない設定の小説ではないか、という気すらします。でも、魔法使いの男の子の成長物語が世界的にヒットして映画化もされる世の中ですので、こういった現実離れした世界を楽しむのもいいかもしれません。
次に、長野正孝『古代史のテクノロジー』(PHP新書)です。著者は、国土交通省の技官で港湾技術研究所のご出身です。古代史について何冊かの著書をモノにしていて、たぶん、私はまったく読んでいませんが、鉄中心史観のようなものを展開している印象です。本書でも、古代のテクノロジーに関しては冒頭の第1章で縄文時代の三内丸山遺跡の縄文タワー、古墳時代の河内・大和大運河、奈良時代の平城京の基礎となった水プロジェクトについて取り上げているだけで、第2章以降は古代史について持論を展開しているだけのような気もします。まあ、我が国を出て朝鮮半島や中国大陸との交渉に当たったのは国家としての正式な外交使節ではなく、通商に携わった証人である、というのは、何となく理解できるわけですし、繰り返しになりますが、鉄中心史観もまあいいと思います。そして、最終章の古代のテクノロジーでは川の氾濫は防ぎきれず、古代人は治水を考慮していなかった、というのも、まずまず、いいセン行っていると思います。鉄中心史観に加えて、水に関する着目もいいのではないかと思います。ただ、タイトルに引かれて余りにも期待を膨らませない方がいいと思うだけです。
次に、兼本浩祐『普通という異常』(講談社現代新書)です。著者は、愛知医科大学の精神科の研究者です。タイトルのごとく、本書ではいわゆる正常とか普通とかについて、ニューロティピカル症候群や健常発達症候群として捉え、その特徴をADHDやASDと対比させ、また、現在のSNSでの「いいね」を求める承認欲求を交えつつ明らかにしようと試みています。ひとつだけ、経済学というよりは経営学的に承認欲求を研究したケースとして、マズローの5段解説がありますが、これについては本書では認識が及んでいないようですので、あくまで、精神医学的な解説となっています。すなわち、生活臨床を引いての「色、金、名誉」を目指す通常の思考や行動のパターンに収まりきらない、という意味での異常を考えるだけではなく、いろんなトピック、例えば、テレビのリアリティ番組「あざとくて何が悪いの?」から派生したあざとかわいいを考えたり、著者自身のディズニー不感症とか、はては、ADHDはノマド的で、そうでない健常者は定住民的、といった判りやすい部分も少なくなく、それ相応に工夫はされています。しかs,トピックの飛び方が極めてマチマチで、関連性なく話題が並べられている上に、本としての構成も下手くそです。ホントに編集者がチェックしているのでしょうか、という疑問すらあります。ですから、パートパートを拾い読みする分にはいいのかもしれませんが、系統的な理解を得用とすると、少し骨かもしれません。
次に、戸川安宣 [編]『世界推理短編傑作集6』(創元推理文庫)です。著者は、ミステリの編集者であり、東京創元社社長も務めたことがあります。このシリーズは5巻まで読んで、その5巻までは、基本的に、江戸川乱歩の編集、ということになっていたのですが、その補遺として本書も編まれています。収録短編は、エミール・ガボリオ「バティニョールの老人」、ニコラス・カーター「ディキンスン夫人の謎」、M. P. シール「エドマンズベリー僧院の宝石」、E. W. ホーナング「仮装芝居」、オルダス・ハックスリー「ジョコンダの微笑」、レイモンド・チャンドラー「雨の殺人者」、パール S. バック「身代金」、ジョルジュ・シムノン「メグレのパイプ」、イーヴリン・ウォー「戦術の演習」、ハリイ・ケメルマン「9マイルは遠すぎる」、E. S. ガードナー「緋の接吻」、ロバート・アーサー「51番目の密室またはMWAの殺人」、マイケル・イネス「死者の靴」、となっています。短編としてはチョー有名なケメルマンの「9マイルは遠すぎる」とか、あるいは、ミステリの世界では有名なチャンドラー、シムノン、ガードナーなどの作品も収録されています。もちろん、シムノン作品はメグレ警部が主人公ですし、ガードナー作品は弁護士メイスンの法廷シーンが見せ場です。意外と思われるのは、ハックスリーやバックの作品が収録されているところですが、少なくとも、バックの「身代金」はその昔から有名なミステリと見なされていたようです。私は不勉強にして知りませんでしたので、ご参考まで。
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