今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、大塚節雄『インフレ・ニッポン』(日本経済新聞出版)は、日経新聞ジャーナリストが我が国と世界のインフレについて考えていますが、小売店や消費者にはまったく取材せず、日銀当局の「大本営発表」みたいな公式見解をそのまま右から左に流すという形で、ジャーナリズムとして日経新聞のリテラシーの低さが垣間見える仕上がりになっています。メアリー L. グレイ & シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』(晶文社)では、アマゾンのMタークというプラットフォームに象徴されるようなweb上で仕事を請け負い、ソフトやアルゴリズムを補完する仕事に関して、人的資本や雇用の観点から強い警鐘を鳴らしています。綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)は、作者の芥川賞受賞作家の独特の軽妙でコミカルな語り口を堪能できる短編が収録されています。宮永健太郎『持続可能な発展の話』(岩波新書)では、SDGsなどに集大成されているサステイナビリティの議論を幅広く解説していますが、残念ながら、解決策や政策対応が抜け落ちていて物足りない印象です。有村俊秀・日引聡『入門 環境経済学 新版』(中公新書)は、20年余り前の旧版を改定した新版であり、環境経済学の理論を第1部で解説した後、第2部では日本の環境問題の実践編を展開しています。山形辰史『入門 開発経済学』(中公新書)では、マクロの開発経済学を基礎にし、資本蓄積や技術の応用、そして、国際開発援助まで幅広く論じています。一穂ミチほか『二周目の恋』(文春文庫)では、7人の豪華な執筆陣が短編、タイトル通りに成熟した「二週目の恋」の短編を収録したアンソロジーです。最後に、織守きょうやほか『ほろよい読書』(双葉文庫)は5人の作家によるお酒にまつわる短編を収録しています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、6~7月に48冊、8月に入って先週までに13冊、そして、今週ポストする8冊を合わせて113冊となります。
なお、新刊本ではないので、この読書感想文のブログには取り上げていませんが、奥田英朗『コメンテーター』の図書館予約待ちの間に、その前の精神科医・伊良部シリーズ3冊、すなわち、『イン・ザ・プール』、『空中ブランコ』、『町長選挙』も読んでいたりします。新刊書読書とともにFacebookあたりでシェアしたいと予定しています。
まず、大塚節雄『インフレ・ニッポン』(日本経済新聞出版)です。著者は、日経新聞のジャーナリストです。冒頭のプロローグで、日本の異常性について指摘があり、物価上昇を異常だと考えること自体が世界的には異常である、と喝破しています。まさにその通りだと思います。そして、ウクライナ危機の少し前2021年秋以降の物価上昇について、輸入インフレから企業間インフレ、そして消費者インフレに波及していったとし、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)による需給両面からのインフレ圧力、交易条件悪化による所得の海外流出、などなど、かなり的確な指摘だと思います。しかし、そう思ったのはこのあたりまでであり、ジャーナリストらしく、メディアで大きく取り上げられたトピックに引きずられている印象もあります。典型的には、当時の黒田総裁の「インフレ許容度」発言で、強制貯蓄の積上がりを根拠にした発言を、メディアといっしょになって議論するのはいかがなものかという気はします。また、タイトルと違って、物価やインフレに直接に向き合うのではなく、ニュースソースである金融政策当局に焦点を当てるのも、やや違和感を覚えます。マクロ経済学的には金融政策はとても重要なのですが、メディアのジャーナリストとしては金融政策当局に取材するだけではなく、企業行動や消費者マインドなどのマイクロな視点ももう少し欲しかった気がします。その意味で、本書は強烈に物足りません。金融政策当局の動向に着目するとしても、日銀をはじめとする多くの中央銀行と違って、米国の連邦準備制度理事会(FED)は物価安定とともに最大雇用の達成も、いわゆるデュアルマンデートにしているわけですので、そのあたりはもう少していねいに書き分けて欲しかった気がします。いずれにせよ、民間部門、というか、繰り返しになりますが、価格戦略をはじめとする企業活動、小売店の価格対応、購買や支出の基となる所得や消費行動や消費者マインド、こういったジャーナリストが本来得意とすべき個別の分野で地道な取材をした上での分析ではありません。私はもともと日経新聞の報道姿勢については懐疑的なのですが、財政政策については財務省に取材して、また、物価については金融政策当局に取材して、それぞれの政策当局の公式見解を鵜呑みにして政府や日銀の広報活動を補完するようなジャーナリズム成り下がっているような気がします。やや悪い意味で「大本営発表」に近いと感じてしまいました。国民や企業、メーカーや小売店や消費者に取材したりはせず、日銀での取材結果をそのまま取りまとめている印象で、たぶん、その方がジャーナリストとしてはラクなんでしょうし、そういった公式発表の寄集めが「勉強になる」と感じる読者がいるのは判らないでもありません。そこは理解しますが、それでも、ジャーナリズムとしては独自のニュース・ソースを持って、それらに当たる取材をすべきであると私は考えています。例えば、東大の渡辺教授がプライシングパワーと呼んでいる価格形成力、というか、コストプッシュ・インフレの価格転嫁力を企業が持っているのかどうか、企業に取材して真実に迫るような方向性はジャーナリズムとして持っていてほしい気がします。その意味で、本書は記者クラブに流される政策当局の公式発表を寄せ集めたり、政策当局、特に、政権幹部のウラ情報を有り難がったりするばかりで、国民や中小零細企業に目を向けて取材しているのかどうか疑わしい日本のジャーナリズムのリテラシーの低さが詰まっていて、それほどオススメ出来ないと感じてしまいました。
次に、メアリー L. グレイ & シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』(晶文社)です。著者は、2人ともマイクロソフトリサーチの研究者であり、専門分野は経済学ではなく人類学、メディア学、社会学などだそうです。英語の原題は Ghost Work であり、2019年の出版です。まず、タイトルのゴースト・ワークなのですが、典型的には、アマゾンのメカニカル・ターク(Mターク)というWebインターフェースやAPIを通じて、色々な仕事を世界中の人に依頼することができるクラウドソーシングサービスで仕事を請け負う人達のこなすお仕事です。Mターク以外にもこういったプラットフォームがあるのかもしれません。本書でも指摘されていますが、現時点の人工知能(AI)やアルゴリズムでは、すべてをソフトとマシンで仕上げることは出来ず、アンケート、美しさの評価、ニュースの分類などを人力でやっているわけで、こういったお仕事です。リクエスターがMタークに仕事内容と報酬や納期などの条件をアップロードし、そのゴースト・ワークを請け負うのがワーカー、というわけです。リクエスターは主要にはGAFAなどのIT大手らしいです。たぶん、それなりにリクエスターとして発注している側のマイクロソフトの研究所の研究者が、こういった問題点を研究できるのですから、私はやや驚いています。60歳の定年まで国家公務員をしていた私には馴染みのない世界なのですが、馴染みなくても、容易に問題点は理解できます。まず、雇用関係ではありませんから、日本語のニュアンスでいえば、独立請負契約ということになり、当然ながら、最低賃金や労働災害などは適用されず、何らの雇用者保護も受けられませんし、必要なPCやネット接続などもワーカー側の負担となります。いろんなゴースト・ワークの実態を紹介し、問題点を指摘するとともに、18世紀産業革命からの雇用と労働の大雑把な歴史についても概観していたりします。たぶん、不勉強な私だけでなく、こういった働き方については知らない人が少なくないでしょうから、米国とインドだけながら、事実関係を情報として集めただけでもそれなりの価値があると私は受け止めています。最後に解決策を10点、社会的変化を起こすための技術的解決策5策と技術的な専門知識を必要とする社会的解決策5策です。これらの解決策については、私には評価が難しいのですが、AIやアルゴリズムが広く活用されるに従って、こういった働き方も増えていくことは明らかだと思います。私は雇用をもっとも重視するエコノミストであり、現在の日本経済の停滞は派遣やパートをはじめとする非正規雇用の拡大を深く関係していると考えていて、たとえ「規制強化」になるとしても、非正規雇用の拡大を食い止めたいと考えています。おそらく、現在の政権や経済界は私と真逆の方向性なのだろうということは認識しています。それだけに、近い将来の日本の問題として考えておくべき問題かもしれません。
次に、綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)です。著者は、芥川賞作家です。本書には、関連のない、というか、独立した4話の短編を収録しています。順に、「眼帯のミニーマウス」、「神田タ」、表題作の「嫌いなら呼ぶなよ」、唯一の書下ろし「老は害で若も輩」となります。この作者は私は不勉強にしてそれほど読んでいないのですが、なかなかに軽妙な文章のテンポとクセのある登場人物が魅力だと考えています。本書では、そのどちらも楽しめます。「眼帯のミニーマウス」では、学生のころのファッション趣味から、社会人になってちょっとした美容整形を繰り返すようになり、その事実を職場でカミングアウトし、仲間内で話題になる、というストーリーです。なお、作者のデビュー20周年記念作の『オーラの発表会』の主人公の1人だった海松子が端役で登場します。「神田タ」では、飲食店のアルバイト女性から素人ユーチューバー神田への応援コメントが過熱していくさまがコミカルに描かれています。表題作の「嫌いなら呼ぶなよ」では、不倫を突き止められて、結婚前からの親しい友人宅の落成パーティーで吊るし上げられる男性を主人公に、口から出る謝罪の言葉と心の声である本音の対比が、どちらもありえないくらいに自然だったりします。最後の唯一の書下ろし「老は害で若も輩」では、女性作家にインタビューした女性ライターの原稿が女性作家に大きく手直しされ、男性編集者が間に板挟みになって苦しみつつ、でも、三者三様にバトルを展開します。なお、「老」を代表する女性作家の名字は作者と同じ綿矢だったりします。いずれの短編も、ある意味で設定はとても怖い毒なのですが、決してその怖さや毒を前面に打ち出すのではなく、コミカルで軽妙なテンポで文章が進み、さすがに芥川賞作家の筆力を感じさせます。私は『オーラの発表会』を読んでからこの作品を読むようにと、その昔の文学少女にオススメされたのですが、『オーラの発表会』を読まずにこの作品を読みました。オススメに従っておけばよかったかもしれません。
次に、宮永健太郎『持続可能な発展の話』(岩波新書)です。著者は、京都産業大学の研究者であり、専門は環境ガバナンス論だそうです。ということで、本書は環境に限定せずに、いわゆるSDGsに集約されているサステイナビリティに関する概説書です。ですので、地球環境問題、あるいは、環境の一部と考えられがちな廃棄物問題、生物多様性、水資源問題などを幅広く扱っています。当然ながら、現在のサステイナビリティ問題の元凶は人新世=Anthropocene であり、人間活動です。まあ、広い意味での経済活動といっていいと思います。本書では、私の見方に比較的近くて、環境サービスや生態系サービスが提供されていて、価格が付けられていないことから市場の失敗が生じている、というのが基礎にあります。ただし、私は Steffen 教授の Planetary boundaries と同じで、何らかの限界を越えると不可逆的な変化をもたらす、と考えていますが、そのあたりは本書では不明です。SDGsについては、その前のMDGsがほぼほぼ政府に責任を限定していた一方で、責任論をひとまず棚上げして、先進国だけでなく新興国や途上国も含めた「全員参加型」の目標設定になっていますが、それだけに、というか、逆に、参加意識の希薄なグループも少なくない、というのが私の印象です。でも、2030年に向かってもうSDGsの中間年を過ぎて、本書では、まだ、解決編が示されていないのが最大の弱点です。問題の指摘はいっぱいあって、いかにも岩波新書らしい気がしますし、研究者でなくてもジャーナリストでもこの程度の指摘はできそうな気がしますので、問題はSDGsの最終目標年である2030年に向けて、どういった行動が必要なのか、政府や企業の活動はどうあるべきか、という点はほのかに明らかになっていますが、そのためにどのような対策や解決策があるのか、そして、それらの評価やいかに、といった重要なポイントが本書ではスッポリと抜け落ちていて、外宇宙から地球を見た宇宙人の評論家のような視点しか提供されていません。その意味で、とても物足りないと感じる読者が多そうな気がします。
次に、有村俊秀・日引聡『入門 環境経済学 新版』(中公新書)です。著者は、いずれも大学の研究者です。本書は「新版」とあるように、20年余り前に出版されたものを改版しています。ということで、本書は2部構成であり、第1部は理論的な環境経済学について解説し、第2部で日本の環境問題についての実例を引いています。本書では、環境経済学はやや狭く外部性で解説しようと試みています。私は大学の講義で環境経済学とは自然環境から得られる環境サービスに関する経済学であり、いくつかの特徴として、外部性とともに不可逆性についても付け加えています。すなわち、経済学においても、いくつか不可逆的な動きは観察されるのですが、自然環境から得られる環境サービスについては不可逆性があると考えています。例えば、気候変動が進んで極地の氷が溶けるともう元通りにすることが出来ない、といった点です。ただ、本書第1部の経済理論については、不可逆性を持ち出すことなく外部経済だけで極めて明快に解説されています。この方がいいのかもしれないとついつい考えてしまいました。私の専門はマクロ経済学ですので、マイクロな経済学から環境を説明しようとすれば、本書のようなやり方がいいそかもしれません。第2部では、廃棄物問題、大気汚染、気候変動について現実の問題とその解決方法について解説しています。ただ、経済学の弱点なのかもしれませんし、むしろ長所かもしれませんが、ゴミなどの廃棄物も含めて、汚染物質とかほかの何らかの排出をゼロにしようとすれば、経済活動をストップさせて生産をゼロにしなければならないわけで、結局、本書でも重視されている費用便益分析で最適点を探る、ということになりますが、実はこれはそう簡単ではなく、経済学のような不確定な学問に基礎を置くと、それぞれの主張者に都合のいい結果が示されかねません。他方で、政府に委任しても政府の失敗も無視できません。あまりにこういった点を強調すると、不可知論に陥ってしまいますが、環境をどの程度重視し、それとのトレード・オフの関係にある経済活動をどの程度重視するか、これにかかってきますし、場合によっては党派性もむき出しになります。理論的には可能でも、実践がどこまでできるかは疑問、というのが、環境経済学かもしれません。
次に、山形辰史『入門 開発経済学』(中公新書)です。著者は、私の所属する国際開発学会の会長も経験したエコノミストであり、当然ながら、開発経済学の専門家です。本書で扱っている開発経済学はあえて分類すればマクロの開発経済学であり、大塚啓二郎教授の最近の出版『「革新と発展」の開発経済学』が個別の政策や国際協力案件の評価といったマイクロな開発経済学を主たる眼目にしているのとかなり趣が違っています。ですから、本書で何度か強調されているのが公平や平等の観点であり、「理不尽な悲惨さ」を低減させ回避することを本書では主たる眼目のひとつにしているようです。ですので、私が一昨年の夏休みに書き上げた紀要論文 "Mathematical Analytics of Lewisian Dual-Economy Model: How Capital Accumulation and Labor Migration Promote Development" と同じように、二重経済における資本蓄積や成長からお話が始まっています。ただ、私も何度か強調していますが、この21世紀になっても、というか、戦後80年近くを経過して、途上国から先進国レベルの所得を達成した国はそれほど多くありません。おそらく、産業革命以降で欧州と北米を除いて、いわゆる先進国レベルの所得を実現したのは、日本のほかはシンガポールと韓国くらいなのだろうと思います。その意味で、大塚教授の本と同じ用に、本書でもイノベーションの重要性が強調されていますが、私はそこまで大上段に振りかぶらなくても、先進国へのキャッチアップを主眼にした開発が可能なのではないか、という気がしています。もちろん、日本の場合は、当時の欧米から技術を導入し、それを洗練された、というか、日本流に変化・変形させて対応する、という方法を取ったわけですが、途上国ではまだまだ応用可能なキャッチアップがあるのではないかと考えています。最後に、私はインドネシアの首都ジャカルタでのお仕事だった国際協力の虚しさを感じています。本書では最終第4章で取り上げています。日本ではJICAが受け持っている国際援助や国際協力なのですが、ホントにこれらを活用して先進国並みの所得を実現できるのでしょうか。本書では、「外交の視点」という名の国益重視を批判していますが、批判、ないし、反省すべきは、それだけではない気がするのは私だけでしょうか。
次に、一穂ミチほか『二周目の恋』(文春文庫)です。7人の作家によるアンソロジーです。収録作品は順に、島本理生「最悪よりは平凡」、綿谷りさ「深夜のスパチュラ」、波木銅「フェイクファー」、一穂ミチ「カーマンライン」、遠田潤子「道具屋筋の旅立ち」、桜木志乃「無事に、行きなさい」、窪美澄「海鳴り遠くに」となります。「最悪よりは平凡」は、魔美という特別な名を持つ平凡な容姿の女性を主人公に、家庭のトラブルと恋愛遍歴を描き出しています。「深夜のスパチュラ」は、合コンで気の合った男性に対してバレンタインの手作りチョコを渡すべく悪戦苦闘する女性のコミカルな騒動を題材にしています。タイトルは料理とかお菓子作りに使うヘラのことのようです。「フェイクファー」では、大学の手芸サークルに入ったものの、実は着ぐるみの愛好家が集まっていて、その魅力に引かれた男性の数年後の物語です。「カーマンライン」では、19歳の女子大生が日米で分かれて育った双子の男性が来日して再会します。タイトルのカーマンラインとは地球と宇宙を分けるラインだそうで、私は線=ラインじゃなくて平面=プレーンじゃないの、と思ってしまいました。「道具屋筋の旅立ち」では、年下でありながらファッションや化粧まで口出しする横暴で強引な恋人に、かつての太っていたころの自分を思い出す女性の物語です。「無事に、行きなさい」では、アイヌの血を引くインテリア・デザイナーとレストランのシェフの恋物語です。最後の「海鳴り遠くに」では、夫を早くに亡くした女性が別荘に隠棲して自分の性に目覚める、というストーリーです。本書のタイトルの「二周目」からも理解できるように、初恋の物語ではなく、やや年齢を重ねた雰囲気があり、成熟したラブストーリーを集めています。しかも、作者を見ただけでも理解できるように、豪華執筆陣です。決して女性向けとか、もちろん、女性限定というわけではなく、私のような年齢のいった男も含めて楽しめる短編集だと思います。
最後に、織守きょうやほか『ほろよい読書』(双葉文庫)です。5人の作家によるアンソロジーです。収録作品は順に、織守きょうや「ショコラと秘密は彼女に香る」、坂井希久子「初恋ソーダ」、額賀澪「醸造学科の宇一くん」、原田ひ香「定食屋「雑」」、柚木麻子「barきりんぐみ」です。表題から理解できるように、何らかのお酒にまつわる短編を収録しています。一応、双葉社の発行する月刊誌『小説推理』に掲載されていた作品を集めているのですが、まったくミステリではありません。念のため。ということで、まず、「ショコラと秘密は彼女に香る」では、チョコレートボンボンが取り上げられます。海外勤務もしたカッコいい独身の叔母の登和子を姪のひなきが語ります。叔母が姪の自宅である実家を訪れる際に定番のお土産で持ってきてくれたのがチョコレートボンボンです。その思い出を追って、主人公ひなきは神戸に旅して叔母の過去の友人さくらを訪ねます。「初恋ソーダ」では、果実酒が取り上げられます。主人公の果歩は自分でも果実酒を漬けるとともに、果実酒のバーにも通います。そこで同じ常連の中年バツイチ男が果歩のアパートに寄って来たりします。「醸造学科の宇一くん」では日本酒です。同じ一族の親戚ながら、仲のよくないご両家の酒造一家の娘と息子が同じ大学の醸造学科に相次いで入学し、しかも同じ学生寮の男子寮と女子寮で生活するという青春物語です。「定食屋「雑」」では、たぶん、ビールなのだと思いますが、酒類は特定せずに食事と飲酒をテーマにします。新婚ながら、亭主が食事時に飲酒するのが我慢できない女性沙也加が主人公です。結局、沙也加の主人公は気詰まりで家を出ていってしまうのですが、主人公は亭主が通っていた定食屋でアルバイトを始め、いろいろな発見をしたりします。最後の「barきりんぐみ」では、名門カクテルバーkilling meのバーテンダー有野は、コロナ禍で店が立ち行かなくなった時、大学の同級生である大塚からオンライン飲み会でシェーカーを振る腕前を披露してくれと、かなり破格のギャラで誘われます。しかし、そこは、コロナ陽性の疑いある保育士を出して一時的に閉鎖されている保育園きりん組の保護者がオンラインで集まってストレス発散を図っている場でした。そこで、主人公の有野はありあわせの材料でできるカクテル、モクテル、お料理を紹介する。というストーリーです。私のような酒好きには、とっても身にしみるような短編集です。
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