今週の読書はケインズ卿の伝記やミステリなど計7冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ロバート・スキデルスキー『ジョン・メイナード・ケインズ 1883-1946』上下(日本経済新聞出版)は、マクロ経済学の偉大なる創始者のケインズ卿の伝記といえます。リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』と『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』(ハヤカワ・ミステリ)は、英国の高級高齢者施設による殺人事件などの謎解きを取り上げたミステリです。ゴジキ『戦略で読む高校野球』(集英社新書)は、たけなわとなった高校野球の戦略について2000年以降の甲子園覇者の高校を分析しています。青崎有吾『11文字の檻』(創元推理文庫)は、表題作のミステリをはじめとする短編集です。最後に、アリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』(創元推理文庫)はスコットランドの廃チャペルを舞台にして読者をミスリードし大きなどんでん返しを作者が用意しています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、6~7月に48冊の後、8月に入って先週6冊、そして、今週7冊を合わせると計105冊となります。
なお、新刊本ではないので、この読書感想文のブログには取り上げていませんが、綾瀬はるか主演で映画化されて昨日封切られた長浦京『リボルバー・リリー』も読んでいたりします。新刊書読書とともにFacebookあたりでシェアしたいと考えています。
まず、ロバート・スキデルスキー『ジョン・メイナード・ケインズ 1883-1946』上下(日本経済新聞出版)です。著者は、英国の研究者であり、経済学というよりは歴史の専門家です。英語の原題は John Maynard Keynes 1883-1946: Economist, Philosopher, Statesman であり、2007年の出版です。いくつかのバージョンがありますが、マクロ経済学を切り開いたケインズ卿の伝記です。家系をたどり、死後の経済学の広がりまで広範に取り上げています。1年近く前の昨年2022年11月末の読書感想文で、平井俊顕『ヴェルサイユ体制 対 ケインズ』(上智大学出版)を取り上げた際に、第2次世界対戦開戦前の段階で「1人IMF」としてのケインズ卿の活躍を実感しましたが、本書では国際舞台のみならず、1929年の米国ウォール街の崩壊から始まった世界不況において、英国内の緊縮派の大蔵省やイングランド銀行と対決する「1人リフレ派」の実践行動もスポットが当てられています。もっとも、国際舞台はまだしも、英国内では経済学に限定されないブルームズベリー・グループ、あるいは、経済学に限定しても、著者がケインズ・サーカスと呼ぶグループの支援はあったように感じますが、まあ、ケインズ卿のご活躍が本書の主たる眼目です。また、スラッファのように第1次大戦中は「敵性外国人」として収容所に入れられていたエコノミストがいることも確かです。私の関心は、もちろん、経済学、特にマクロ経済学であり、その中でも、不況期の経済博の実践です。この観点からケインズ派の特筆すべき点を著者は5点に取りまとめています。すなわち、本書下巻p.154からのパートを要約すると、1) 循環的な予算均衡、として、単年度で予算を均衡させるのではなく、不況期に債務を増やして好況期に返済すべき、2) 当時の英国は総和では需要不足ではないが、産業構造が硬直的で、産業や地域ごとに大きな需要不足が見られる場合がある、3) 幅広く公共投資の必要性を強調し、4) 需要管理のために国民所得統計の整備が必要、5) 恒久的な低金利が必要、という5点です。いわゆる長期不況=secular stagnation の下で、我が国にも当てはまる点だろうと私は受け止めています。しかし、日銀総裁の交代があって、「アンシャンレジーム復活」と称されるような金融政策の変更がなされ、財政も軍事費や少子高齢化対策のために着々と増税が模索され、日本の行く末を危惧する数少ないエコノミストに私は成り果てたのかもしれません。
次に、リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』と『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』(ハヤカワ・ミステリ)です。著者は、英国のコメディアンなのですが、第1作の『木曜殺人クラブ』からミステリの執筆を始めています。英語の原題は The Thursday Murder Club であり、2007年の出版です。タイトルはミス・マープルを主人公にしたアガサ・クリスティーの『火曜クラブ』を踏まえたものである、という点はミステリ・ファンであれば、すぐに気づくことと思います。なお、本シリーズ第3作の『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』も同じ出版社から邦訳が出版されています。ということで、このシリーズが英国の高級高齢者施設クーパーズ・チェイスを舞台に、70代の高齢者が施設の中のいくつかあるサークルのひとつである木曜殺人クラブの活動により、過去の殺人事件の解決に乗り出すことから、現在進行形の身近な殺人事件や謎解きに迫る、というものです。まあ、高齢者施設のサークル活動ですので、この木曜殺人クラブに限らず、基本的にヒマ潰しの活動なのですが、実際の事件の解決や謎解きに貢献するわけです。クラブのメンバーは、主人公で第1作では過去に関して謎の多いエリザベス、元看護師のジョイス、元精神科医のイブラハム、元労働運動家のロンの4人となっています。しかし、この4人には入っていないものの、エリザベスと2人でクラブを結成した時のメンバーのペニー元刑事がいて、退職直前に警察から未解決事件のファイルを持ち出して情報提供した、ということが素地になっています。第1作では、クーパーズ・チェイスを建設した業者であり、施設の経営にも携わるトニー・カランが自宅で何者かに撲殺されるという殺人事件が起こります。そして、施設の共同経営者であるイアン・ヴェンサムが容疑者と見なされますが、このヴェンサムも殺されてしまいます。しかも、約50年前の事件も浮かび上がり、これらの謎を木曜殺人クラブのメンバーが解き明かす、ということになります。第2作の『二度死んだ男』では、主人公のエリザベスの過去が元諜報員と明かされます。そして、エリザベツのところに離婚した元夫であり、同じく諜報員でもあるダグラスが助けを求めて連絡を取ります。ダグラスは米国のマフィアから2000万ポンドもの多額のダイヤモンドを失敬した、というのです。しかしそのダグラスが殺されてしまいます。加えて、クラブのメンバーであるイブラハムが地元のストリートギャングの強盗によりスマートフォンを奪われます。この2作では、ミステリよりもマフィアとか、ストリートギャングが絡むサスペンスの色彩が強くなり、ミステリとしての謎解きもさることながら、ダイヤモンドを巡っての騒動もひとつの読ませどころとなっています。whodunnit のミステリの謎解きとしては第1作の方が評価できるような気がします。でも、この2作については、単なるミステリとしての謎解きだけでなく、登場人物の会話の間合い、高齢者のコミカルな志向や行動、といった要素も十分加味すべきですから、2作品ともかなり水準の高いエンタメ小説に仕上がっています。加えて、邦訳がよく出来ていて、たぶん、原作のコミカルなタッチをちゃんと表現できている気がします。また、いろんなところで紹介されていますが、平文は3人称で書かれているのですが、いくつかのパートではジョイスと明記して、メンバーであるジョイスの1人称、というか、日記やモノローグの形でストーリーを進めています。私自身はこういった形式はそれほど評価しませんが、視点が移動する妙を感じる読者がいるかもしれません。いずれにせよ、私は第3作も読んでみたいと思います。
次に、ゴジキ『戦略で読む高校野球』(集英社新書)です。著者は、野球著作家と紹介されていますが、私は本書が初読でした。高校野球を題材にしていて、いろんなデータも豊富に収録しています。広く知られたように、ブラッド・ピット主演で映画化もされたビリー・ビーンの『マネーボール』で野球のデータ分析であるセイバーメトリクスが、というか、その一部が紹介されていて、収益につながるプロ野球だけでなく、高校野球でもデータ分析を生かした戦略が幅広く採用されていることはいうまでもありません。しかし、本書ではデータ分析の実態を明らかにするというよりは、2000年以降の高校野球の、しかも、春夏の甲子園大会というトップレベルの高校野球で日本一になる戦略を分析しようと試みています。ただ、実際には、私は我が家で購読している朝日新聞の記事「立命館宇治を支える教諭4人の分析チーム 選手の成長率をグラフに」なんぞを見て、テレビ観戦していたりして、勤務校の系列校であり、私の出身地を代表する高校でもあって、熱烈に応援していたのですが、あえなく大敗してしまったわけですから、まあ、それほど重視すべきでもないかな、という気もします。第2章と第3章ではいくつかの典型的な強豪校が甲子園大会で勝ち進んで優勝するまでの軌跡を後付けています。ただ、戦略とまでいえるかどうか、かつては三沢高校の太田幸司投手が典型で、1人のエースが大会を通じて投げ抜く、あるいは、超高校級の選手が投げてはエースで、打っては4番打者で、スターに頼って勝ち抜く、という程度のレベルであった高校野球が、投手は分業体制を敷き、打者もいくつかのポジションをこなす、というふうに変化しているのも事実です。その意味で、夏の高校野球まっただ中、野球をテレビ観戦しながら楽しむにはいい1冊かもしれません。
次に、青崎有吾『11文字の檻』(創元推理文庫)です。著者は、ミステリ作家であり、本書は表題作をはじめとする短編集です。特に統一的なテーマの設定はありません。巻末に作者自身による作品ごとの解説が付されています。収録されている作品は、「加速してゆく」、「噤ヶ森の硝子屋敷」、「前髪は空を向いている」、「your name」、「飽くまで」、「クレープまでは終わらせない」、「恋澤姉妹」、最後に表題作の「11文字の檻」、ということになります。繰り返しになりますが、巻末に著者人による解説があり、特に、著者から「前髪は空を向いている」については解説を先に読んだ方がいいというオススメがあります。私はオススメにより先に解説を読んだのですが、それでも十分な理解が出来ませんでした。海浜幕張駅前の地理などについて詳しくないからかもしれません。それから、「噤ヶ森の硝子屋敷」と「飽くまで」は既読でした。前者は文芸第三出版部[編]『謎の館へようこそ 黒』(講談社)に、後者は講談社[編]『黒猫を飼い始めた』にそれぞれ収録されています。ということで、実は、恥ずかしながら、私はこの著者の著作は初読でした。というのは、前に上げた2短編だけでなく、いくつかの短編をアンソロジーで読んだ記憶はあるのですが、本として取りまとめられているのは初めてでした。ということで、8話の短編すべてを取り上げることはしませんが、かなりミステリ色の強いのが「噤ヶ森の硝子屋敷」と表題作の「11文字の檻」、ということになります。でも、さすがに冒頭に置いた「加速してゆく」もいい出来です。JR西日本の福知山線脱線事故を題材として、地方紙の報道カメラマンが、現場に隣接する駅で見かけた高校生に関する謎を解き明かします。3年B組金八先生の第6シリーズがキーワードです。続く「噤ヶ森の硝子屋敷」は、見取り図付きで密室殺人の謎解きを展開します。少し省略して、「クレープまでは終わらせない」は、ガンダムを思わせる巨大ロボットにまつわるSFなのですが、戦闘ではなく整備に関するストーリーです。「恋澤姉妹」は作者自身が百合小説と称していますが、これこそ接近戦を含む戦闘小説です。師匠を殺害された主人公が、中東を舞台に恋澤姉妹に挑みます。そして、本格ミステリとして評価が高いのが最後の表題作「11文字の檻」です。近い将来でファシスト国家となった日本を舞台にしたディストピア小説です。言論統制国家である東土で敵性思想により収監された主人公らが、当てれば釈放されるという日本語の11文字のキーワードを論理的に推理しようと挑戦します。この最後の短編だけでも読む値打があるような気がします。
次に、アリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』(創元推理文庫)です。著者は、英国のミステリ作家であり、2年前に同じ出版社から前作『彼と彼女の衝撃の瞬間』というミステリも出ていますが、私は未読です。ということで、私のような頭の回転が鈍い田舎者はすっかり本作には騙されました。主要な登場人物はたった3人であり、40歳を少し過ぎた中年夫婦であるアダムとアメリアと、それに、ロビンという名の同じ年ごろの女性です。アダムは脚本家であり、アメリアは動物愛護団体で働いています。取りあえず、ロビンは謎の人物です。タイトルになっているのは、相貌失認という病気をアダムが持っていて、顔が見分けられない、という病気だそうです。もちろん、これがストーリー展開のカギになります。この相貌失認も一因で、夫婦関係がうまく行かない夫婦がコンサルタントに勧められて、2020年2月の真冬に2人で旅行する、というのが主たるストーリーで、その旅行先というのがスコットランドの雪の積もる廃チャペルを改造したところ、ということになります。着いた途端に、窓の外を人の顔が通り過ぎ、それが近くに住むロビンということになります。チャペルの方では停電や断水したり、また、夫婦が乗って来た自動車のタイヤがすべてパンクさせられていたり、と、さまざまな不気味な出来事が起こります。その中で、主としてアダムの過去について、ただし、アラサーで結婚して以降の人生遍歴、作品の映像化をまったく許可しない人気作家から指名を受けて、その作品の脚本を執筆し、当然ながら、注目を集めて脚本家として充実した活動に入る、という点が明らかにされます。そして、繰り返しになりますが、私がすっかり騙された点がp.318から明らかにされます。そこは読んでのお楽しみ、ということになります。殺人事件が起こって、その謎、すなわち、whodunnit 誰が、あるいは、whydunnit どうして、あるいは、howdunnit どのように、といった謎を解き明かすタイプのミステリではありませんが、読者をミスリードし、隠されていた事実を明らかにするどんでん返しの作品です。
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