今週の読書は大御所による経済書をはじめミステリも含めて計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、大塚啓二郎『「革新と発展」の開発経済学』(東洋経済)は、開発経済学の第1人者がご自身の自慢話も交えつつ、途上国の経済発展における農業と工業での革新と集積の重要性を解き明かしています。平野啓一郎『三島由紀夫論』(新潮社)は、芥川賞作家が我が国の作家として川端康成などとともにノーベル賞候補に擬せられていた三島由紀夫の文学について論じています。近藤史恵『ホテル・カイザリン』(光文社)は、既発表の短編8話を収録しています。各作品は基本的に独立で関連はありません。紫金陳『知能犯の時空トリック』(行舟文化)は、中国の人気ミステリ作家が法執行機関のトップに対する復讐劇を倒叙ミステリの作品にまとめています。田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)では、ガバナンスが崩壊し、危機にある大学の現状をルポしています。坂上泉『インビジブル』(文春文庫)では、昭和29年1954年の大阪を舞台に、政治家の秘書が刺殺される殺人事件をはじめ、3件の殺人事件の謎が解明されます。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、6~7月に48冊の後、今週ポストする6冊を合わせると計98冊となります。
まず、大塚啓二郎『「革新と発展」の開発経済学』(東洋経済)です。著者は、開発経済学を専門とするエコノミストです。英文論文146本とか、あるいは、本文中にも研究者としてのアドバイスなんかがあったりして、いかにも年配の方の自慢話がいろいろと盛り込まれています。それはさておき、本書はかなりレベルの高い学術書に仕上がっています。はしがきには、学部4年生から大学院修士課程の院生、そして経済学の基礎がある実務家が読者として想定されている旨が記されています。まあ、私のような研究者も入っているんだろうと思いますが、一般のビジネスパーソンは含まれていない可能性があります。ということで、本書のスコープは農業と製造業(工業)であり、いわゆるペティ-クラークの法則で示されている第1次産業から第2次産業、そして第3次産業へと付加価値生産や雇用者がシフトするという第3次産業はスコープに入っていません。まあ、開発経済学ですからそうなのだろうと思います。タイトルにも示されているように、農業にせよ工業にせよ革新が重要であると強調しています。ただし、人口に膾炙したシュンペーター的な創造的破壊までのマグニチュードを持った革新でなくても、もっと普通の革新、本書では日本のQCサークル的な「カイゼン」まで含めて考慮されているように見受けられます。そして、もうひとつのキーワードが発展なのですが、これは、本書を読む限りでは発展というよりは集積のほうが適当そうな気がします。編集者の目から落ちたのか、著者の強力な思い入れ7日、私には判りかねます。集積については、平屋的集積という表現で繊維産業などで同じような生産関数を持った小規模零細企業が一定の地域に集まる集積に加えて、ピラミッド型の集積、すなわち、自動車産業のようにトップのアセンブラーに対して、部品を供給する1次サプライヤー、さらに2次サプライヤー、あるいは、3次、4次とあるのかもしれませんが、そういったピラミッド構造の集積を想定しています。そして、当然ながら、途上国の特性に応じた技術が採用されるべきであり、まずは、繊維産業やアパレルなどの平屋的な集積を分析の対象としています。さらに、「キャッチアップ」という用語は見かけませんが、当然、先進国からの直接投資(FDI)を受け入れ、あるいは、グローバル・バリュー。チェーン(GVC)に組み入れられ、何らかのスピルオーバーを受けて発展する、ということなのだろうと思います。ただ、日韓のように国内貯蓄を活用してライセンス的に技術だけを導入するケースと東南アジアや中国のように技術とともに資本も含めて受け入れる場合の違いについては、私自身は興味あるのですが、本書ではそれほど重視していないような印象でした。いずれにせよ、とてもレベルの高い議論が展開され、経済史と開発経済学のリンケージも指摘されていて、私にはとても勉強になりました。本書で強調しているように、開発経済学は戦後の新しい経済学の領域であって、まあ、財政学とか金融論とかの政府の経済政策を分析したり、あるいは、ミクロ経済学やマクロ経済学のようにいわゆる経済原論的な学問領域ではありませんので、私のような官庁エコノミストにも開かれている部分が少なくなく、したがって、私もマクロの開発経済学についてはそれなりに馴染みないこともないのですが、途上国の経済実態も含めてマイクロな開発の現場についてはよく知りません。これもとっても勉強になりました。大くの読者が対象になるわけではないのでしょうが、それでもできるだけ多くの方に読んでほしい気がします。
次に、平野啓一郎『三島由紀夫論』(新潮社)です。著者は、芥川賞作家であり、本書でも明らかにしているように、三島由紀夫に深く傾倒しているようです。700ページ近い本書は、序論、結論、あとがきを除いて4部構成であり、それぞれ三島の代表作を年代順に取り上げています。すなわち、『仮面の告白』論、『金閣寺』論、『英霊の声』論、『豊饒の海』論、となります。もちろん、これ以外にも三島作品は数多く取り上げられていて、私が読んだ印象では小説では『禁色』や『鏡子の家』、戯曲では『サド侯爵夫人』への言及が多かった気がします。実は、恥ずかしながら、私はこの4冊の中では『金閣寺』しか頭に残っていません。ほのかな記憶として『仮面の告白』は読んだ記憶があるのですが、中身は記憶からスッポリと抜け落ちています。一応、我が家には『豊饒の海』4冊の箱入りの本があって、カミさんのものなのですが、上の倅の中学校・高校の文化祭に行くたびにこの箱入り4巻セットの『豊饒の海』がバザーに毎年出されていて、4冊で500円というお値段でしたので、売れ残っている上に大した価格ではない、という印象しかありませんでした。まあ、それはともかく、大雑把に650ページ強のコンテンツで、最初の3部、すなわち、『仮面の告白』論、『金閣寺』論、『英霊の声』論がそれぞれ、これも大雑把に100ペジくらいなのですが、第4部の『豊饒の海』論は残り300ページ強あります。『豊饒の海』を構成する4巻、『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』については、ごていねいにもpp.326-27であらすじを紹介していたりします。でも、最後の第4部『豊饒の海』論については、p.350過ぎあたりから仏教のご説明があり、阿頼耶識、説一切有部の存在論、唯識や唯識における輪廻が三島論とともに展開され、私はその後は文字を追うだけで、中身が頭に入りつつも理解が及ばない、という状態になってしまいました。三島の文学をきちんと読んでいる読者でしたら、もっと理解がはかどったのだろうと思います。ただ、ひとつだけ指摘しておきたいのは、三島由紀夫は1970年に市ヶ谷で割腹自殺を遂げた右翼的な行動の人なのですが、平野啓一郎はツイッタのつぶやきを見ても理解できるように、我が京都大学の後輩らしく極めて左派リベラルな志向を示している文化人です。私も同じ方向性ですので、私自身は三島由紀夫や石原慎太郎の作品はそれほど多く読んでいません。文字や文学を用いて表現する創作活動と肉体や姿勢を持って表現する行動とは別物と考えるべきなのでしょうか、それとも、基本は同じとみなすべきなのでしょうか。私には不明です。三島の割腹自殺は1970年で、私自身はまだ小学生でした。しかし、政治的な行動に嫌悪感を覚えた記憶がありますし、その直後の1972年のあさま山荘事件の極左の行動にも同じく嫌悪と恐怖しかありませんでした。他方、石原慎太郎については私自身も投票した東京都知事としての政治的姿勢や活動は、一定の評価ができると考えていて、少なくとも、私の目から見て現在の小池都知事よりは「マシ」泣きがします。話を元に戻すと、三島についてはノーベル賞候補にも擬せられた文学者とシテの高い評価、それに対して、楯の会を組織し右翼として行動する政治的な面、本書については、後者はかなりの程度に捨象した上で前者の文学を論じていると考えてよさそうです。ただし、最後の最後に、本書の三島論は著者である平野啓一郎の「読書感想文」です。学術的な文学論と考えて読むのは適当ではないように私は受け止めています。
次に、近藤史恵『ホテル・カイザリン』(光文社)です。著者は、ミステリ作家であり、ホラー超の小説も少なくない作家です。ほとんどハズレがないですし、私は大好きです。本書は短編集であり、悪くいえばやや寄せ集めの感があります。出版社のサイトでは、「失ったものと手に入らなかったものについて」という統一的なテーマが設定されているかのような宣伝なのですが、統一したテーマは私には感じられませんでした。まあ、よく考えれば、バラエティにとんだ短編8話が収録されている、ということです。さらに、アミの会のアンソロジーなどにすでに収録されている短編もいくつかありますので、買う前には確認をオススメします。収録されているのは、「降霊会」、「金色の風」、「迷宮の松露」、「甘い生活」、「未事故物件」、「ホテル・カイザリン」、「孤独の谷」、「老いた犬のように」です。「降霊会」では、高校の文化祭でやらせの降霊会を仕組んだ女生徒なのですが、友人の大姿勢との妹が亡くなった死因について、知りたくもない事実が明らかになったりすして、ややホラーテイストに仕上がっています。「金色の風」では、短期の留学でパリに来た女性がチェコ人の女性と犬と知り合って成長するというストーリーで、モロッコに感傷旅行する女性を主人公にした「迷宮の松露」とともに、それほどミステリでもなく、ホラーでもなく、この作者にしては純文学的な作品ではなかろうかと思います。「甘い生活」は幼少のころから人も持ち物を欲しがる女性を主人公にして、甘い生活を意味するイタリア語のネーミングがなされたボールペンにまつわる少しホラーな作品です。「未事故物件」とは、アパートなどで自殺などがあった部屋を指す「事故物件」に「未」がついた物件で、空室なのに人がいる気配のする部屋にまつわる事件を未然に回避した女性の物語です。表題作の「ホテル・カイザリン」は、その名もホテル・カイザリンで出会って友情を深める女性2人なのですが、会えなくなった事情が生じた際に、そのうちの1人が取った行動がとってもホラーでした。「孤独の谷」では、まあ、SF調のホラーというか、その昔に「読者が犯人」という謳い文句のミステリがありましたが、そんなことで人は死ぬのか、というカンジで私は読んでいました。最後の「老いた犬のように」では、主人公の男性小説家を中心にして、離婚した妻と男性の作品のファンの若い女性と、ある日突然に態度が豹変する女性に対して戸惑う男性を描き出しています。2話ほど既読の短編があり、どれもまずまずの作品なのですが、最後の「老いた犬のように」はちょっと何だかなあ、というカンジで、男性を主人公にするストーリーの面白みはなかったです。ただ、逆に、というか、何というか、「金色の風」、「迷宮の松露」あるいは表題作の「ホテル・カイザリン」などで、女性を主人公にした旅を題材にする作品はとってもよかったです。特にミステリファン必読、とまでは思いませんが、この作者のファンであれば読んでもいいのではないかという気がします。
次に、紫金陳『知能犯の時空トリック』(行舟文化)です。著者は、中国のミステリ作家であり、官僚謀殺シリーズや推理の王シリーズがヒットしているそうで、映像化されている作品も多いと聞き及んでいます。でも残念ながら、日本で邦訳されている作品は多くないようです。なお、表紙画像に見えるように、本書は前者の官僚謀殺シリーズの作品です。舞台は中国の寧県で、当然、ミステリですので殺人です。寧県検察院のトップである検察長が喉をかき切られて殺害された後、寧県人民法院の裁判長が自宅マンションの入り口で落下してきた敷石の直撃を受けて死亡し、さらに、寧県公安局長が海岸から投身自殺をしたように見える死に方をします。最初の殺人事件は市公安局の刑事捜査担当の副局長である高棟が捜査に当たります。そして、高副局長は事故死に見える人民法院裁判長や自殺に見える公安局長の死についても捜査を進め、かなり真相に近いラインに到達します。すなわち、最初の検察長の殺人とその後の2人の事故死ないし自殺に見える事件は犯人が異なっていて、特に後者については、物理学や力学の知識を十分持った教師とかエンジニアとかによる計画犯罪ではないか、という見立てです。ということで、小説としては、いわゆる倒叙ミステリの形を取っています。ですから、私が読んだ感想としては、日本のミステリである貴志祐介『青の炎』とよく似た印象でした。でも、犯人の犯行に及ぶ知的レベルが極めて高く、逆に、というか、捜査側の高副局長もかなり真相に迫るのですが、最後は、犯人の自供を持ってしかホントの真相にはたどり着けません。しかも、これまた、日本のミステリになぞらえると、東野圭吾『容疑者Xの献身』に似た方法でDNAなどを偽装した上で、犯人は逃げ切ったのではないか、と示唆する終わり方になっています。犯人と捜査側の知恵比べ、心理戦という色彩もあります。その上で、シリーズ名になっている官僚謀殺に示されているように、国家公務員として定年まで長らく勤務した私には心苦しいながら、中国の治安当局トップの官僚の実に腐敗にまみれた実態も明らかにされています。同じ作者と邦訳者のコンビで、この作品の前作に『知能犯之罠』というタイトルのミステリがあると紹介されていますので、読んでみたいという気にさせられました。ただし、邦訳がそれほどこなれていません。やや読みにくい、と感じる読者もいるかも知れませんが、それを補って余りあるプロットやストーリー展開の素晴らしさを感じます。中国の小説としてはSF作品で『三体』が余りに有名ですが、ミステリもいくつかいい出来の作品が出始めているように感じます。
次に、田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)です。著者は、ジャーナリスト、ライターであり、大学の雇用崩壊やガバナンス、ハラスメントなどを執筆しているようです。本書では、タイトル通りに大学の崩壊について、国立大学、私立大学、ハラスメント、雇用崩壊、文部科学省からの天下りの5章の章立てで論じています。我が母校の京都大学が突端で吉田寮の問題や立て看板の撤去などの大学の自由と自治の観点から始めています。ただ、最終的には文科省からの天下りで大学の自治がおかしくなったり、教職員の人事が専断されたりといった観点からの結論になっているように感じて、少し違和感があります。本書の観点はすべてに重要なのですが、3点ほど抜けているように思うからです。第1は学問の自由、第2に人事と絡めた業務分担、第3に大学院の過剰な定員です。まず、学問の自由については、軍事研究の観点からチョッピリ触れられているだけで、例えば、日本学術会議の任命拒否問題などもう忘れ去られている印象です。次に、大学の観点ばかりで、学部の観点も入っていません。というのは、教員人事など、最終的には大学評議会的な全学の会議で決定されるとはいえ、学部教授会の権限である場合が少なくないわけで、私のようなヒラ教員は学部執行部が直接の「上司」筋に当たることから、大学執行部というよりは学部執行部からのハラスメントなんぞの可能性の方が高いわけです。たしかに、初等教育や中等教育の場での教師の負担が大きくなっている点は報道などで注目されていますが、大学などの高等教育機関でも同じです。ですから、サバティカルで1年間の研究休暇をチラつかせて「やりがい搾取」まがいの業務割当てがあったり、何らかの人事的な扱いを眼目に授業の担当を増やしたりといった行為はハッキリとあります。私の経験からも、授業の担当コマ数を割り当てすぎたので、むしろ、学部執行部の方から減らすべく働きかけを受けた教員もいたりします。最後に、本書で忘れられている点は大学院です。バブル経済崩壊後、1990年代半ばの就職氷河期・超氷河期あたりから、就職の先延ばしのために大学院の定員がやたらと増員されています。ですから、経済学部だけなのかもしれませんが、15年ほど前の長崎大学でも、現在の勤務校でも、日本人学生だけでは定員に達せず外国人留学生を大量に受け入れている大学があります。というか、それが経済学部に関しては大半だろうと思います。教員サイドでどこまで英語での大学院授業や論文指導をできるのか、そうでなければ、院生サイドでどこまで日本語授業を消化できるのか、不安に感じる場合すらあります。そういった点も含めて、本書だけではカバーしきれていない分野で大学は崩壊を始めているのかもしれません。
次に、坂上泉『インビジブル』(文春文庫)です。2021年に単行本が出版され、大藪春彦賞と長編および連作短編部門の日本推理作家協会賞を受賞しています。今年2023年になって文庫化されて私も読んでみました。著者は、ミステリ作家であり、社会派の骨太でサスペンスフルな作品が多い印象です。私は、沖縄返還直前のドル円交換を題材に盛り込んだ『渚の螢火』を読んだ記憶が鮮明に残っています。ということで、この作品は、まだ戦争の記憶が色濃く残っている昭和29年1954年の大阪を舞台にしています。このころは、現在の自衛隊はもちろん、警察組織もまだ完全に整備されているとはいいがたく、自治体警察と国家警察が並立されていて、大阪市の自治体警察は警視庁と呼ばれていたころです。まあ、国家警察というのは、米国の連邦捜査局=FBIになぞらえた組織だったのでしょう。そして、その大阪、シンボルの大阪城付近で代議士の秘書が頭に麻袋を被せられた刺殺体となって発見されます。中卒の若手ノンキャリアながら刑事になっている20歳そこそこの新城は初めての殺人事件捜査に意気込み、国家警察の東京帝大卒のキャリア警察官である守屋と組んで捜査することになります。その後、同じように頭に麻袋を被せられた殺人が2件連続して発生します。そして、刺殺体の凶器は軍の武器である銃剣で刺された痕であることが判明します。さらに、冒頭から満州開拓団の挿話が挟まれたり、街中で覚醒剤の使用による犯罪が発生したり、華僑を顧客とする金融機関でのマネロンまがいの金融取引があったり、なぜか、えびす信仰が注目されたりと、いろいろな伏線がばらまかれます。ついでながら、ストーリーの本筋にはあまり関係ありませんが、競艇事業を手がける大物フィクサーの笹川という人物も登場したりします。そして、大阪市警視庁の刑事部長が政治家を巻き込んだ汚職事件の匂いを嗅ぎつけて、大いにやる気を出したりした後、少しずつ少しずつ真相が明らかになります。これまた、最後の最後で名探偵が真相を一気に明らかにするタイプのミステリではなく、少しずつtラマネギの皮を剥くように真相が明らかになっていくタイプの、私の好きなミステリです。ホームズやポアロなどのようなたった1人の名探偵はこの作品には存在しません。ミステリとしての謎解きだけでなく、当時の経済社会情勢もふんだんに盛り込まれて、大いに雰囲気を盛り上げます。政治家の汚職だけでなく、太田愛『天上の葦』を思わせるような戦争に関する壮大な社会的テーマを底流に秘めています。
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