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2023年8月26日 (土)

今週の読書は経済書をいっぱい読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、渡辺努・清水千弘[編]『日本の物価・資産価格』(東京大学出版会)では、主として研究者を対象に物価や資産価格の決定について分析しています。リンダ・スコット『性差別の損失』(柏書房)は、主として途上国における男女格差に基づいて性差別が大きな経済損失をもたらしていると主張しています。道重一郎『イギリス消費社会の生成』(丸善出版)は、産業革命前夜の近世の長い18世紀における英国の消費社会の成り立ちについて、産業革命を主眼に据えた生産面からではなく、需要や消費の面から歴史的に後付けています。櫻本健・濱本真一・西林勝吾『日本の公的統計・統計調査 第3版』(三恵社)は、統計調査士の資格試験テキストなのですが、公的統計についてコンパクトに取りまとめています。柏原光太郎『ニッポン美食立国論』(日刊現代)は、ガストロノミー・ツーリズムについて、ほぼケーススタディで個別の成功例を取り上げています。ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』(集英社文庫)は、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』をモチーフにしており、仏領ポリネシアのヒバオア島で「創作アトリエ」に集まった作家志望の女性が次々に殺さるミステリです。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、6~7月に48冊、8月に入って先週までに21冊の後、本日ポストする6冊を合わせて119冊となります。
最後に、新刊本ではないので、このブログでは取り上げませんが、森村誠一『高層の死角』を再読しました。そのうちに、Facebookあたりでシェアしたいと予定しています。ただし、どうでもいいことながら、奥田英朗の『コメンテーター』の予約が回ってくる前にと、精神科医・伊良部シリーズの前作『イン・ザ・プール』、『空中ブランコ』、『町長選挙』を先週のうちに読んでいるのですが、この3冊は未だにFacebookでシェアできていません。

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まず、渡辺努・清水千弘[編]『日本の物価・資産価格』(東京大学出版会)です。編者はそれぞれ、東京大学と一橋大学の研究者です。本書は、30年余り前の1990年に同じ東京大学出版会から公刊された西村清彦・三輪芳明[編]『日本の株価・地価』の後を受けて編集されています。タイトルに合わせて2部構成であり、第Ⅰ部全7章で物価を、第Ⅱ部全6章で資産価格を取り上げています。出版社から考えても、ほぼほぼ完全な学術書であり、ビジネスパーソンというよりも研究者を対象にしている印象です。すべてのチャプターを取り上げることが出来ませんので、第Ⅰ部を中心に私の印象に残った分析について考えたいと思います。第1章では日本の価格硬直性を取り上げ、フィリップス曲線がフラットになり、企業が価格形成力(プライシングパワー)を喪失したとしています。なぜかというと、需要曲線が屈折し、価格据置きが長引く中で、小売店で買回り品が値上げされている場合、別の小売店に回る、という消費者行動が一般的になったためである、と指摘しています。もしも、緩やかな物価上昇が継続しているのであれば、別の小売店に行っても同じように価格が上昇している可能性が高いのですが、価格据置きが長く継続しているのであれば、別の小売店では従来通りの据え置かれた価格で販売している可能性が高い、と消費者が考えるから、と説明されています。ただ、これは購買対象がかなり幅広く存在する都会部ではそうかも知れませんが、地方圏でも当てはまるかどうか、私はやや疑問です。また、第2章では貨幣量と物価の関係について、インフレ率や貨幣成長率が高い経済では古典派的な貨幣数量説に近い状態となって、物価と貨幣量に正の相関がある一方で、日本のようにインフレ率や貨幣成長率が低い経済では特に相関はない、と指摘しています。これは私もそうかもしれないと思います。また、第Ⅰ部最後の第7章では、人口高齢化がインフレにどのような影響を及ぼすかを分析していて、貯蓄-投資バランスから自然利子率に影響するとともに、政治経済学的な要因、すなわち、高齢者が名目貯蓄額を維持するために低インフレを選好するのに対して、労働年齢階層は雇用や賃金のために高インフレを志向することから、年齢構成が高齢化すると低インフレが好まれ、中央銀行がインフレ目標を低位にする可能性がある、と指摘してます。これもそうかもしれません。第Ⅱ部の資産価格については、第12章で日本が、と明記していませんが、キャッチアップ型の成長が終わって世界経済の中でトップランナーとなった段階で、銀行がリスク回避型の貨幣や国債などの安全資産を需要するようになり、現在の日本のような安全資産の膨張が志向される可能性があると示唆しています。まあ、それぞれに説得力ある分析なのですが、3点だけ私から指摘しおきたいと思います。まず第1に、物価上昇率ないしインフレ率とは積上げで各消費財の価格を計算する、と言う暗黙の前提があるような気がするのですが、果たしてそうなのでしょうか。逆から考える見方も分析目的によっては必要そうな気がします。すなわち、物価とは貨幣価値の逆数であるという見方です。デフレで価格が低下する、というのは、逆から見て貨幣価値が上昇している、という意味である、という点が忘れられている気がします。ですから、円が希少性を高めてデフレになるのと、円高が進むのは表裏一体の同じ現象なのではないか、ということです。そして第2に、物価を計測するに際して、母集団、というか、真の物価水準をどう考えるかです。本書で見第3章で建築物価指数をアウトプット型で計測する試みがなされていますが、現状の消費者物価指数(CPI)がラスパイレス式で上方バイアスあるのは広く知られていますが、それでは、真の物価水準は何なのか、という視点も必要です。例えば、景気動向については、観測できない真の景気指標が存在して、それを観測可能な指標から状態空間モデルで計測しようとする試みもなされていますし、真の物価が何なのかについて考えるのもムダではないと私は考えています。最後に第3に、本書のように、財サービスの、いわゆる物価と資産価格を分割することの意味です。昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻から、石油や穀物の価格が上昇してコストプッシュ・インフレが進行していることは広く報じられています。しかし、石油や穀物は原材料となって財価格に波及するだけでなく、国際商品市況で取引される資産でもあります。原価のインフレの大きな特徴は、このように石油や穀物といった資産でもあり財の原材料でもある物資が資産価格と財・サービスのインフレをリンクする点だと私は考えています。でも、この点に着目した分析はそれほどなされているようには見えません。少なくとも、本書には含まれていません。本来でしたら、マクロエコノミストである私自身が取り組まねばならない課題なのかもしれず、それほど無責任な態度は取れませんので、私も勉強を進めたいと思います。

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次に、リンダ・スコット『性差別の損失』(柏書房)です。著者は、米国生まれで現在は英国オックスフォード大学やチャタムハウスの研究者をしています。世界的に有名な経済開発の専門家です。英語の原題は The Cost of Sexism であり、2020年の出版です。ということで、私の従来からの主張は、女性の経済社会への進出が大きく画期的に進めば、まだまだ日本経済も成長の余地が十分残されている、というものです。そして、いうまでもなく、日本での女性に対する不平等の度合いは先進国の中では飛び抜けて高く、6月21日に世界経済フォーラムから発表されたジェンダーギャップ指数でも世界146か国中の125位に位置しています。健康や教育はまだしも、政治経済の分野での男女格差がひどくなっています。本書では、その経済的な性的格差が大きな損失に結びついていると指摘しています。その前提として、本書から2点指摘しておきたいと思います。第1に、p.205に示されているルーカス-トンプソンほかのメタ分析、すなわち、Lucas-Thompson et al. (2010) "Maternal Work Early in the Lives of Children and Its Distal Associations With Achievement and Behavior Problems: A Meta-Analysis" により、1970年代ながら働く母親と専業主婦の母親の子供たちには行動面でも学業面でも何らの違いがないことが明らかにされています。加えて、p.224に示されているハネット・ハイドほかの分析、すなわち、Hyde, Janet S. et al. (1990) "Gender Differences in Mathematics Performance: A Meta-Analysis" により、少年少女の数学の成績に性差がないことが明らかにされてています。これらは、第1に、専業主婦のほうが子育てに有利であるとか、第2に、女子は男子より数学の能力が劣っているとかの俗っぽい迷信を否定するものです。その上で、女性を高等教育からは除していることにより世界経済がこうむっている損失が30億ドルに達するとかの統計的なエビデンスを提供しています。ただ、専門分野のために途上国における例が多く、先進国のエコノミストからすればかなり極端に見える事例が多いことも確かです。ただ、こういった女性を教育から、そして、経済から排除することのコストが極めて大きい点は理解すべきです。そして、一面では、地球上の耕作可能地の80%が男性所有である、あるいは、マルクス経済学を持ち出している点など、本書でも十分に意識しているように、女性が生産手段を持たないことが原因になっているケースがかなり多く見受けられます。この男女格差の課題解決はかなり難しいことは事実です。私は何らかのクオータを設ける必要を感じていますが、本書では第14章が救済への道と題されているものの極めて短い章になっていますし、エピローグでは米国が取り組むべき優先課題6点に加えて、世界や個人ができることをいくつか上げています。これまた、私が常に主張しているように、男女格差是正に限らず、個人のココロや意識改革に訴えるだけでは解決につながりません。制度的に、あるいは、法令によっても何らかの強制力ある措置が必要です。強力な政治的リーダーシップの基で、女性のクオータを設けるのが私はベストだと思いますが、その政治的リーダーシップがいつまでも実現されないおそれもあります。そうでなければ、英国のサフラジェットのような直接的な行動に出ることを厭わない人々が現れる可能性も否定できません。

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次に、道重一郎『イギリス消費社会の生成』(丸善出版)です。著者は、東洋大学の研究者であり、専門は経済史です。歴史学ではなく経済史がご専門です。本書では、イギリス消費社会の経済史について、生産関係や供給サイドから後付けるのではなく、消費・支出や需要サイドからの歴史を明らかにする試みです。対象となる地域は英国であり、英国の中のイングランドには限定していません。そして、時代としては、本書でいう長い18世紀であり、17世紀後半から19世紀初頭の時期を指しています。この時期には都市化の進行とともに、ひと目で見て洗練されているとか、上品であるとか行った文化的な価値が重んじられるようになり、英国で消費社会が実現された、と指摘しています。そして、それを裏付ける史料として、都市における女性向け服飾品消費を破産したメアリー・ホールの目録から、また、都市における男子服飾品消費をセイヤー文書から、そして、農村における消費活動をハッチ家文書から、それぞれひも解いています。小売業者が残した経営文書を史料として活用しているわけです。もちろん、会計的な商店サイドの史料だけでなく、トーマス・ターナーなど個人の日記も大いに援用されています。そこから垣間見えるのは、現在と少し違って、店舗は店先のカウンターで売るだけではなく、カーテンで仕切られた奥にはテーブルと椅子があって、馴染客にとってはお茶を飲みながらの社交の場でもあった、といったあたりです。本書では、ほとんど意識されていませんが、おそらく public と private の違いがカーテンの仕切りだったのだろうと私は認識しています。他方で、英国が世界の工場となり、20世紀初頭まで世界の覇権国となったのは産業革命をいち早く開始したからであることは明白なのですが、本書が指摘するように、ここでは英国ではなくイングランドにおける消費社会の実現は、その産業革命に歴史的に先行していた、という事実は重要です。供給サイドからの産業革命の重要性はいうまでもありませんが、消費社会の実現という需要サイドから産業革命を導いたの要因も見逃すべきではありません。そして、本書でも指摘しているように、都市化に伴って見た目で判る上品さや洗練などの消費に対しては、女性的であるとか、フランスかぶれとかの批判もありましたが、18世紀後半の啓蒙主義を待たねば克服されなかった、との本書の指摘は重要だという気がします。いずれにせよ、中性的な自給自足に近い生活から、本書でターゲットにする近世=アーリー・モダンの時期は、分業の発達とともに生産力が伸びて、個人がひとつの職業に特化して剰余物を販売するとともに、自分で生産しない物資を商品として購入するという意味で、市場経済の成立に向かう時期です。その最先端を走る英国の消費社会について、とても勉強になるいい本でした。経済学や経済史を専門にしていなくても、多くの方が楽しめると思います。

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次に、櫻本健・濱本真一・西林勝吾『日本の公的統計・統計調査 第3版』(三恵社)です。著者は、立教大学社会情報教育研究センターの研究者や研究アシスタントです。本書は、立教大学社会情報教育研究センター(CSI)の統計調査士の資格試験テキストとして開発されています。したがって、その資格試験の練習問題が各部の最後の方に収録されていたりします。この統計調査士の資格は、社会調査士などとともに、どちらかというと、経済学部学生よりも、マーケティングなどを学んでいる経営学部や商学部の学生に馴染みあるように思います。それはともかく、本書は、資格試験を志す学生はテキストとして通して読むのでしょうが、一応、手元に置いて辞書的に活用する場合も多そうな気がします。pp.130-33にかけての見開きには政府が取り組んでいる基幹統計の一覧表が掲載されています。ただし、統計局を中心とする調査統計が主となっており、業務統計は含まれていません。ですから、何と申しましょうかで、調査票を作ってわざわざ統計として調査するわけです。そうでないものは主として業務統計です。ハローワークのお仕事から有効求人倍率を弾き出したり、通関業務から貿易統計が出来たりするわけです。主要な統計は、人口統計、雇用統計、生活関連統計、物価統計、産業・企業統計、国民経済計算の各章に分かれています。差以後の国民経済計算だけが、いわゆる加工統計で2次統計とも呼ばれます。調査票を配布して調査する1次統計をいくつか組み合わせて加工して統計を作ります。そして、基礎的な統計データ分析も収録しています。クロスセクションの分布を見たり、時系列の変化を追ったりという分析です。おそらく、表計算ソフトでできるレベルの分析であって、それほど高度な計量経済学的な分析ではありません。記述統計が主となっていますが、いくつかの統計には必要とされるので、季節調整についてはそれなりの解説がなされています。いずれにせよ、夏休みの宿題とか、何かの機会に、手元にある、あるいは、近くの図書館で借りることができると便利そうな気がします。

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次に、柏原光太郎『ニッポン美食立国論』(日刊現代)です。著者は、60歳の定年まで文藝春秋社で編集に携わった後、現在は美食倶楽部「日本ガストロノミー協会」を設立し会長を務めています。本書では、「立国論」と銘打っているものの、まあ、そこまで大きな風呂敷を広げているわけではなく、具体的な個別のガストロノミー・ツーリズムの成功例を取り上げています。インバウンドとともに国内富裕層のガストロノミー・ツーリズムだけでなく、いわゆるラグジュアリー・ツーリズムへの示唆も豊富に含んでいます。ただし、成功例から演繹して、部分的に、より一般的なコンサルのような方向性も示していますが、ガストロノミー=美食の関係はあまりにも好みが分かれているため、一般論の展開は難しそうな気もします。ということで、私自身はガストロノミーにはまったくご縁がありません。食事とは基本的に体力維持や活動のためのエネルギー補給だと考えていて、もちろん、マズい食事よりは美味しい方がいいに決まっていますが、それほどのこだわりはありません。富裕層、というよりも、超富裕層のツーリズム、ガストロノミーだけを主眼とするものだけではなく、ガストロノミーも含めてラグジュアリーなツーリズムは、私のような庶民の目から見てもツーリズムの多様性を広げるには大いに有効だと見えます。例えば、本書でも第4章で「7.30.100」の壁として指摘していますが、1泊2食付きの高級旅館でも1泊7万円の値段を付けるには心理的な抵抗がある、というもので、それでも、インバウンドも含めて超富裕層であれば、例えば、JR九州の「ななつ星」で1泊30万円の実例はありますし、さらにその上を行く1泊100万円もあり得る、と指摘しています。私はこういった超富裕層からの波及効果、本書では、特に食に関しては「ヘンタイ」と呼んでいるフーディーから滴り落ちるという意味で、「トリクルダウン」というやや評判の悪い言葉を使っていますが、何らかの超富裕層からの波及は考えるべきだと思います。もちろん、インバウンドはともかく、国内の超富裕層からの波及は、できれば、政府がキチンと徴税した上で所得の再配分を実施するというのがもっとも好ましいのですが、現実にできていないのであれば、ビジネスでこういった同じ効果を模索するのも一案かもしれません。例は違いますが、私が経験した範囲では、スポーツジムが典型的に高齢者から若年層への所得移転を実行しているように見えました。高齢者が会費という形でおカネを払ってスポーツに励む一方で、インストラクターやスタッフの年齢は若くて、量的に十分かどうかはともかく、一定の所得の移転ないし再配分されている気がします。本書では、ガストロノミーだけでなくアートも含めて、ラグジュアリー・ツーリズムの成功例をいくつも上げています。私の従来からの指摘で、こういった成功例の裏側にはその数倍以上の失敗例があるのだと思いますが、行政によるフォーマルな所得再配分に加えて、富裕層・超富裕層からの所得の移転を受けるよう、ビジネス面からの何らかの方策も合わせて考える価値があると思います。

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次に、ミシェル・ビュッシ『恐るべき太陽』(集英社文庫)です。著者は、地質学者で、元ルーアン大学教授、2006年に作家デビューしています。私は、たぶん、『黒い睡蓮』と『彼女のいない飛行機』を読んでいるのではないかと思いますが、すっかり忘れ去っていたりします。本書は、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』をモチーフにしたミステリです。舞台は画家ポール・ゴーギャンやシャンソン歌手ジャック・ブレルが愛した南太平洋仏領ポリネシアのヒバオア島です。日本ではその近くのタヒチ島やパペーテの方が有名かもしれません。実は、私もタヒチ島には行ったことがあります。また、アルファベットの表記では Hiva Oa ですので、「ヒバ・オア島」とカタカナ表記した方が一般には通用しやすいかもしれません。それはともかく、謎めいた石像ティキたちが見守るこのヒバオア島在住のカリスマ的な人気ベストセラー作家であるピエール=イヴ・フランソワ(PYF)が、彼の熱烈なファンでもある作家志望の女性5人とその同行者を招いて、「創作アトリエ」なる7日間のセミナーを開催します。彼女たちの宿泊すバンガローがタイトルの「恐るべき太陽」荘、ということになります。しかし、ここからが『そして誰もいなくなった』的なストーリーが始まります。招かれたのは、野心的な作家志望の女性、ベルギーの人気ブロガーの老婦人、パリ警察の主任警部には夫の憲兵隊長が同行し、黒真珠養殖業者の夫人にも娘が同行し、謎の多い寡黙な美女、ということになります。加えて、バンガローのオーナーと娘やパリの出版社の編集者なども重要な登場人物を構成します。ストーリーの冒頭でまずホストのPYFが疾走した上に、招かれた女性が次々に殺されます。タヒチからの警察は到着が期待されながら、まったく現れません。その意味で、「恐るべき太陽」荘ではなく、ヒバオア島が全体としてクローズド・サークルを形成しています。ストーリーの進行とともに、パリでの昔の殺人事件など、登場人物の黒歴史、というか、いろんな秘密が明かされ、人間関係の交錯した、また、決してきれいごとで済まない部分が明らかにされていきます。ただ、徐々に真実が明らかにされるタイプのミステリではなく、最後の最後に大きなどんでん返しの大仕掛けがあります。中には、冒頭から再読するミステリファンもいそうな気がします。明示されるとはいえ、語り手が時折変わる点は、私にはマイナス点と映りますが、決して『そして誰もいなくなった』のいわゆる二番煎じではありませんし、本書を高く評価するミステリファンもいっぱいいそうです。私もそうです。ひょっとしたら、ミステリの中では今年一番の収穫かもしれません。

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