今週の読書は経済学の学術書をはじめ計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、山本勲・石井加代子・樋口美雄[編]『コロナ禍と家計のレジリエンス格差』(慶應義塾大学出版会)は、コロナ禍における家計のダメージの大きさとそのダメージからの回復が家計の属性と同関係しているかを分析しています。証券税制研究会『日本の家計の資産形成』(中央経済社)は、家計における公的年金以外の収入を得るための資産形成を分析しています。アンソニー・ホロヴィッツ『ホロヴィッツ ホラー』(講談社)は、ジュブナイルの向けに10代の少年少女が主人公となって怖い体験をするというホラー短編9話を収録しています。養老孟司『老い方、死に方』(PHP新書)は、450万部に達した『バカの壁』の作者の解剖学者が4人の識者と対談し、アンチアイジングや認知症介護など、老いと死を考えます。ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書)は、マルクス主義の観点から資本主義を搾取だけでなく収奪の過程として分析します。北上次郎・日下三蔵・杉江松恋[編]『日本ハードボイルド全集 2』(創元推理文庫)は、「野獣死すべし」をはじめとする大藪春彦の比較的初期の作品を収録しています。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊、その後、6~8月に76冊の後、今週ポストする6冊を入れて9月には34冊を読み、6~9月の新刊書読書は110冊、今年の新刊書の読書は合わせて154冊となります。交通事故による入院がありましたが、ひょっとしたら、今年も年間200冊に達するかもしれません。
まず、山本勲・石井加代子・樋口美雄[編]『コロナ禍と家計のレジリエンス格差』(慶應義塾大学出版会)です。編者たちは、慶應義塾大学の研究者です。出版社からしてもほぼほぼ学術書と考えるべきですが、それほど小難しい計量経済分析を展開しているわけではありませんので、一般のビジネス・パーソンでもそれほど読みこなすのに苦労するとは思えません。ということで、コロナ禍を経験した後、その後の回復過程においてレジリエンスが注目されています。本書ではレジリエンスについて「何らかのショックや困難・脅威が生じた際に、素早く元の状態に回復できる力」と定義し、日本家系のコロナ禍からのレジリエンスを検証しています。本書は3部構成であり、第Ⅰ部 パンデミックで露呈したレジリエンスの重要性、第Ⅱ部 パンデミックに強い働き方・暮らし方、第Ⅲ部』家計のレジリエンス強化に向けて、となっています。データは、日本家計パネル調査(JHPS)とコロナのパンデミックに応じて実施された特別調査(JHPS-COVID)を用いています。いくつか特徴的なファクト・ファインディングがあります。まず、前提として、レジリエンスを考える前に、コロナのパンデミックに際して家計のダメージがあります。当然ながら、ダメージも、そのダメージからの回復過程におけるレジリエンスも、家計ごとに異なっていて一様であるはずもありません。加えて、容易に想像されるように、ダメージが大きかった家計のレジリエンスがはかばかしくないのは実感にも合致しています。これまた、容易に想像されるように、家計の属性的には、母子家庭をはじめとする女性が主たる稼得者となっているケース、低所得家計、非正規雇用や自営業、そして、産業別に考えると飲食や宿泊といった対面サービス、エッセンシャル業務の業種、などがダメージ大きくレジリエンスも弱かった可能性があります。例えば、在宅勤務はパンデミック下でも就業を継続できるという意味でレジリエンスの高い働き方といえますが、男性、正規雇用、対面を要しない産業、で採用され、レジリエンス格差が露呈したといえます。また、所得階層や正規雇用といった経済社会的な条件以外にも、勤勉性や粘り強さ、ポジティブ思考などがレジリエンスの高い要因として上げられています。加えて、低所得階層や自営業などではコロナのパンデミックに伴って、将来的な不確実性が大きくなり、所得減少以上に大きなショックとなっている分析結果が示されています。そして、政策インプリケーションとしては、医療制度をはじめとする社会保障の拡充や効率化、特定給付金をはじめとする各種の支援制度の迅速化・適正化、などなどがコロナ禍における家計のリスクや心理的な不安を縮小する上で重要な役割を果たした点が明らかにされています。また、こういった格差については、特に、ウェルビーイングに関してはパンデミック前のいわば平時のウェルビーイングはパンデミック後とかなりの相関があり、パンデミックの有無にかかわらず平常時からのウェルビーイングが重要であるという観点も示されています。1点だけ、私から指摘しておくと、ドイツとの比較分析はありましたが、データの制約が強いのは理解するものの、諸外国との比較は絶対に必要です。我が国のコロナ禍のひとつの特徴は、そもそも感染者数も感染による死者数も、諸外国と比較して決して多くなかったにもかかわらず、ショックはそれほど小さくなかった、という事実です。今後の研究に期待します。
次に、証券税制研究会『日本の家計の資産形成』(中央経済社)です。著者は、証券経済研究所におかれた研究会組織ですし、それなりに、証券業界の提灯持ちのような分析ではありますが、例の金融庁のリポート「高齢社会における資産形成・管理」、そうです、老後資金に2000万円必要と指摘したリポートとともに、老後資産運営の観点も含んでいますので、簡単に見ておきました。まあ、提灯論文満載でNISAやiDeCoの推奨、さらに、貯蓄から投資への動きを進めようとする分析が主となっているのは当然です。その昔に、消費者金融の分析で、東京にある有名私大の先生方がライフサイクル仮説の一つの条件である流動性制約の解消に消費者金融が大きな役割を果たす、といった論文集を出版していましたが、そういった業界のポジションを反映する分析と考えつつ、眉に唾つけて読んだ方がいいと思います。なお、本書は4部構成であり、第1部 私的年金の役割、第2部 家計の資産形成と税、第3部 老後の資産形成のモデル分析、第4部 証券市場・個人投資家のデータ分析、となっています。本書のポジションを明確に表しているのは、基本的な認識であって、「公的年金だけでは老後資金が不足する」というものです。「老後資金2000万円」のリポートと同じ論旨なわけです。そういう基本認識なのであれば、私のような左派リベラルなエコノミストは「もっと年金をくれ」ということになるのですが、ネオリベな見方をすれば、あくまで自己責任で稼ぐ必要あるということになり、もっと働くか、資産運用する、という方向が示され、本書はそのうちの後者の資産運用を分析しているわけです。大きな特徴は、繰り返しになりますが、公的年金では不足するといいつつ、バックグラウンドでは成長が考えられているようで、労働市場参加を促して自ら生産に参加するか、あるいは、貯蓄を進めて成長資金を供給するか、という選択を迫っているように私には見えます。岸田内閣のひとつの看板政策である「資産所得倍増」の観点が盛り込まれていて、資産の少ない所得階層は資産運用が出来ないので、労働市場にとどまって働くべし、ということのようです。ですので、資産運用のひとつの形態で、最初は私的年金の分析から始まります。米国やカナダの退職者勘定(IRA)、特に確定拠出年金などが分析対象となります。そして、第2部以降ではさまざまな老後の資産運用が論じられています。基本的に、研究会を構成するメンバーが論文執筆を担当していますので、精粗区々の論文で成り立っています。第7章なんかは参考文献リストもなく、学術論文の体裁を外れているような気もします。これも繰り返しになりますが、消費者金融会社からそれなりの額の研究助成金をせしめて、ゼミの学生までも海外研修旅行に連れ回していた先生方の卒業生は、今はどうしているのでしょうか?
次に、アンソニー・ホロヴィッツ『ホロヴィッツ ホラー』(講談社)です。著者は、英国のミステリ作家です。私もいくつか作品を読んでいます。本書は9話の短編から編まれており、この作者が得意とするジュブナイル作品となっています。すなわち、主人公はほぼほぼティーンエイジャーです。私の直感では、日本人でも小学生高学年生から中学生くらいが対象のような気がします。でも、年長者でも、B級ホラーや都市伝説的なホラーが好きな読者には気楽に楽しめると思います。収録作品タイトルは収録順に、「恐怖のバスタブ」、「殺人カメラ」、「スイスイスピーディ」、「深夜バス」、「ハリエットの恐ろしい夢」、「田舎のゲイリー」、「コンピューターゲームの仕事」、「黄色い顔の男」、「猿の耳」となります。「恐怖のバスタブ」では、アンティーク家具の趣味ある親が買ってきたバスタブが、実は、かつての殺人鬼のもので、主人公の少女がバスタブに尋常ならざるものを見ます。「殺人カメラ」では、主人公の少年が蚤の市で父親の誕生日プレゼントにアンティークなカメラを買いますが、このカメラで写真を撮るとその被写体に何かが起こります。「スイスイスピーディ」では、競馬の勝ち馬を予言するパソコンを主人公の少年が入手しますが、不良の年長者にカツアゲされて奪われてしまいます。「深夜バス」では、ハロウィンのパーティーから帰りが遅くなった主人公の少年が弟ともに乗り込んだ深夜バスの物語です。「ハリエットの恐ろしい夢」では、わがままな主人公の少女が父親の事業の失敗により従来の生活を送れないことから、ヨソにもらわれていって恐怖の体験をします。「田舎のゲイリー」では、母方のおばあさんの住む田舎に来た主人公の少年が帰れなくなってしまいます。本作だけは、私の理解がはかどりませんでした。「コンピューターゲームの仕事」では、日本でいうニートの少年が主人公で、コンピューター・ゲームの会社に雇われて仕事を始めるのですが、日常生活に異変が起こります。「黄色い顔の男」では、主人公がティーンのころを振り返って、駅に設置してあるセルフサービスの写真撮影をしたところ、4枚出来上がったうち見覚えのない写真が混じっていたのですが、その後、鉄道事故に遭遇して見覚えのない写真の正体を理解します。最後の「猿の耳」では、3つの願いを叶える猿の手ならぬ猿の耳は4つの願いを叶えるのですが、ビミョーに聞き間違えをして大変な事態を招きます。繰り返しになりますが、これは児童書です。でも、私はそれなりに楽しめました。
次に、養老孟司『老い方、死に方』(PHP新書)です。著者は、『バカの壁』などでも有名な解剖学者です。本書は4章構成となっており、すべてが対談の結果を取りまとめた内容です。第1章は「自己を広げる練習」、と題して曹洞宗僧侶の南直哉師と、第2章は「ヒトはなぜ老いるのか」、と題して遺伝子学者の小林武彦教授と、第3章は「高齢化社会の生き方は地方に学べ」、と題して日本総研エコノミストの藻谷浩介氏と、そして、第4章は「介護社会を明るく生きる」、と題してエッセイストの阿川佐和子氏と、それぞれ対談しています。私自身はエコノミストですので、ついつい第3章に注目してしまいましたが、もうそろそろ都会と地方の二分法には限界が来ている気にさせられました。対談相手の主張に従って、地方は「里山資本主義」で、ネオリベでお金中心な都会と違う価値観がある、というのは、思い込みにしか過ぎないように私は考えています。例えば、「渡世の義理」の世界のヤクザや宗教、特に、新興宗教の世界はお金そのものです。統一教会が先祖の霊を持ち出して壺を高額で買わせるのが、もっともいい例ですし、ヤクザの世界も義理や何やといいながら、結局はカネの世界であって、それ以外の価値観は大きな影響はないように私は感じます。高齢化という意味では、確かに地方の方が都会の先を走っているように見えますが、それでは、地方の現在が都会に適用できるかといえば、私は疑問なしとしません。ただ、第3章で正鵠を得ていると考えるのがp.133であり、「経済学は旧式の学問で、常に生産のほうがボトルネックだった20世紀までに発展したものですから、生産ではなく消費のほうが足りないといういまの日本の状況を説明できません。」というのはまさにその通りです。ただ、逆から見て、その生産を下回る消費というのは都会のお話であって、地方では生産が、輸送や流通も含めた供給サイドが、いまだにボトルネックになっているように見えるのは私だけでしょうか。私はもう60代なかばの高齢者に入って、老い方や死に方を考えるために本書を読みましたが、それほど参考にはなりませんでした。
次に、ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書)です。著者は、米国 New School for Social Research の研究者であり、私よりも10歳くらい年長であったと記憶しています。専門は政治学です。経済学ではありません。英語の原題は Cannibal Capitalism であり、2022年の出版です。原書のタイトルを直訳すれば、「共喰いの資本主義」ということになります。ということで、著者が明記していますが、資本主義についてマルクス主義の観点から批判的な議論を展開しています。すなわち、マルクス主義的にいえば、労働者を搾取して資本蓄積を進めるということになっているわけですが、本書では搾取とともに収奪にも重点を置いています。古典的な植民地からの収奪や人種や性などの差別的扱いから生じる収奪だけではなく、現代ではケア労働者の収奪、さらには自然に対する収奪が環境問題を生じている、といった点が明らかにされ、そういった収奪により民主主義が危機に瀕している、という議論が展開されています。そうした中で、基本的な議論として、私のような左派ではありながらも改良主義というか、何というか、資本主義が悪いというよりは現在の新自由主義的な政策、ネオリベが悪いんじゃあないの、という議論ではなく、根本的に資本主義がダメなのである、という結論という気がします。その点は私にはマルクス主義の根本が理解できていないので、十分にレビューすることができません。悪しからず。特に、環境問題については、私は現時点では未確認ながら、成長と環境負荷がデカップリングできれば、あくまで、デカップリングできれば、という前提ですが、成長を続けて希少性が減じる社会を達成できる可能性があると考えています。私自身は、本書でいう外部経済のような市場の不完全性だけでなく、長期の資源配分などにも適していないし、伝統的な主流派経済学が想定するほど市場の機能が優れているとは考えていません。しかしながら、同時に、本書のようにネオリベな新自由主義ではなく、そもそも資本主義がダメなのである、とまでは考えていません。そういった中途半端な私のスタンスからして、マルクス主義の色濃い本書の理解はなかなかはかどりませんでしたが、ひとつの参考意見としては傾聴に値すると考えてよさそうです。
最後に、北上次郎・日下三蔵・杉江松恋[編]『日本ハードボイルド全集 2』(創元推理文庫)です。編者3人は、文芸評論家、編集者などです。このシリーズは現時点で7巻まで発行されており、第7巻だけが1作家1編の16話からなるアンソロジーなのですが、それ以外は各巻すべて同一著者の作品を収録しています。この第2巻は大藪春彦であり、順に、第1巻は生島治郎、第3巻は河野典生、第4巻は仁木悦子、第5巻は結城昌治、第6巻は都筑道夫、となっています。各巻では、各作家の割合と初期の作品を収録している印象です。この第2巻は、繰り返しになりますが、大藪春彦の初期の作品、すなわち、デビュー作である「野獣死すべし」から始まって、長編の『無法街の死』、さらに、「狙われた女」、「国道一号線」、「廃銃」、「黒革の手帖」、「乳房に拳銃」、「白い夏」、「殺してやる」、「暗い星の下に」が収録されています。冒頭収録のデビュー作である「野獣死すべし」があるいはもっとも有名かもしれません。かなりの程度に自伝的な内容であり、ソウルで生まれた後、徴兵された父と生き別れになりながらも日本に帰国し、東京の大学に入学し英文学教授の下請けで小説の翻訳をしつつ、暴力的かつ非合法な手段で資金を得て、米国の大学院に留学する、というのがストーリーなのですが、銃器がいっぱい出てきますし、それ以外にも暴力満載で、さらに、それらがグロテスクな表現で描写されています。ほかの収録作品も、ストーリーとか、プロットとかの展開ではなく、各シーンのグロで暴力的な描写が大きな特徴となっています。21世紀の現時点から考えれば、ほとんど理由のない暴力とすら感じられるかもしれません。当時の日本の現状をよく反映していて、銃器は欧米製、自動車も米国車中心に欧米製が頻出します。また、編者の1人である杉江松恋による巻末解説はとても充実しており、加えて、馳星周によるエッセイも収録されていて、私のようにハードボイルド作家としての大藪春彦についてそれほど情報がなくても、いっぱしのファンを気取ることができそうです。
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