« 今年の年末ボーナス予想やいかに? | トップページ | 今年2023年のベスト経済書やいかに? »

2023年11月18日 (土)

今週の読書は一風変わった価格形成に関する学術書をはじめとして計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、オラーフ・ヴェルトハイス『アートの値段』(中央公論新社)は、オランダの社会学者が絵画を例に取って一般的な規格品などとはまったく異なる芸術品の価格決定メカニズムの解明を試みています。ダグラス・クタッチ『現代哲学のキーコンセプト 因果性』(岩波書店)は、経済学ではなく哲学の観点から因果性・因果関係について論じています。髙石鉄雄『自転車に乗る前に読む本』(ブルーバックス)は、「疲れない」をキーワードに自転車を活用した健康増進を推奨しています。町田その子『ぎょらん』(新潮文庫)は、死に際して死に行く人の思いが残されるぎょらんをめぐる人生の転変を描き出しています。次に、篠田節子『田舎のポルシェ』(文春文庫)は、長距離を自動車で移動する人々を主人公にした新しいタイプのロード・ノベルです。最後に、辺見庸『月』(角川文庫)は、相模原にあった障害者施設の津久井やまゆり園での殺人事件を題材にしたと思われるフィクションであり、入所者のきーちゃんから見てさとちゃんがどのように犯行に及んだかを描写しようと試みています。
また、新刊書読書ではないので、ここには含めませんでしたが、詠坂雄二『人ノ町』(新潮文庫nex)を読みました。Facebookですでにシェアしてあります。
ということで、今年の新刊書読書は交通事故前の1~3月に44冊でしたが、6~10月に130冊を読みました。11月に入って、先週までに11冊、今週ポストする6冊を合わせて191冊となります。どうやら、例年と同じ年間200冊の新刊書を読めそうな気がしてきました。

photo

まず、オラーフ・ヴェルトハイス『アートの値段』(中央公論新社)を読みました。著者は、オランダにあるアムステルダム大学の研究者であり、専門は経済社会学、芸術社会学、文化社会学であり、エコノミストではありません。英語の原題は Talking Prices であり、2005年に米国プリンストン大学出版局から出版されています。本書は、極めて希少性の高い美術品の価格設定についての研究成果です。ほぼほぼ学術書と考えて差し支えありませんが、経済学、というか、計量分析を多用しているわけではありませんので、それほど学術っしょぽくはありません。まず、私なりに経済学的に価格設定を考えると、多くの場合はコストにマークアップをかけている場合が多いのではないか、と感じています。需要が強かったり、独占度が高かったりすれば、マークアップの割合が高くなるのは当然想像できる通りです。しかし、美術品、本書では主要には絵画や彫刻を想定していて、おそらく、文学作品の出版物とか、音楽で言えばコンサート鑑賞のための価格、あるいは、録音メディアの価格ではなく、単品、すなわち、唯一それしかないという絵画や彫刻などの美術品を念頭に、価格設定について分析しようと試みています。主たる分析方法はインタビューと簡単な数量分析ですが、圧倒的に前者の方法論が取られています。インタビューの場所は米国ニューヨークと著者の地元であるアムステルダムです。まず、本書で考える美術品は、芸術家、アーティストが生産します。そして、まず第1次(プライマリー)市場であるギャラリーにおいて固定価格、あるいは、リストプライスでコレクターに対して売却されます。固定価格というのは、第2次(セカンダリー)市場のオークションにおける競り値と対比しているわけです。あるいは、第3次以降の市場があるのかもしれませんが、第1次市場から後の流通市場は第2次市場と一括して呼んでおきます。第2次市場では、コレクターが直接オークションに出品する場合もありますが、ディーラーないしアート・ディーラーが仲介する場合も少なくありません。美術品市場で特徴的なのは、第1次市場のギャラリーで、例えば、個展を開催してディーラーが仲介しつつモン、ここではディーラーとアーティストの協議に基づいて価格が設定される点です。ですから、個展に行くと「売却済み」の作品がいくつかあるのを見ることがあります。「売却済み」の札が貼ってあれば、より高い値段を申し入れても買えるとは限りません。すなわち、第2次市場のようなオークションで競売されるわけではありません。しかし、作品が、あるいは、作者である芸術家が評価を高めると、第2次市場に出回ることもあり、その場合は多くの場合で第1次市場の価格よりも高い価格で落札されることになります。ゴッホやセザンヌの場合、第1次市場ではほとんど値がつかずにタダで引き取られた作品も少なくない、というのは広く知られているところです。そして、美術品を仲介するディーラーが何よりも重視するのは、作品の芸術性を反映した価格が設定されることだと本書では指摘しています。しかし、芸術性だけでなく、芸術家、ディーラー、オークションハウス、コレクターなどの多くのプレーヤーによる「意味交換システム」の中で決定される、という結論です。この「意味交換システム」がどういうものかは、本書を読んでいただくしかありませんが、商業的な俗な方向に流されるのではなく、芸術本来の方向を守理、同時に、芸術家を守るという守護神の役割をディーラーは果たそうとして、資産としての商業的な価格ではなく、あくまで芸術品としての評価を反映した価格をディーラーは追求するわけです。実際に、芸術家やディーラーが、どのような考えに基づいて、どのような価格設定行動を取っているのか、私は専門外にして知りませんが、本書の著者が実施したインタビューでは、そのような回答が多くなっているようです。こういったあたりは、多くの読者が想像できる範囲ではありますが、それが学術的に詳細に既存研究を引用しつつ検証されているのが本書の特徴です。エコノミストの私でも、一読の価値があったと思います。

photo

次に、ダグラス・クタッチ『現代哲学のキーコンセプト 因果性』(岩波書店)を読みました。著者は、CUBRC科学研究員ということのようですが、これだけでは私は何のことやらサッパリ判りません。まあ、ご専門は哲学のようです。英語の原題は Causation であり、2014年の出版です。なお、本書の邦訳書は2019年の出版であり、この読書感想文は新刊書読書を対象に最近2年くらいまでの出版物を取り上げているのですが、本書だけは別途の必要あって読みました。まったくの専門がいながら、ついでに読書感想文として含めておきます。ということで、まず英語の原題 Causation なのですが、因果関係がcusalityで、因果性はcausationなのか、と語学力に自信のない私なんぞは考えてしまったのですが、p.18のQ&Aで両者に違いはなくまったく同じ、と著者自身が記していて安心しました。哲学の学術書ですので、経済学の因果性や因果関係とは別の切り口になっています。すなわち、単称因果と一般因果、線形因果と非線形因果、産出的因果と差異形成的因果、影響ベース因果と累計ベース因果、の4つの観点から因果性を考えています。単称因果とは現実因果とも呼ばれ、実際の事象について当てはめられます。彼は自転車で転倒したので怪我をした、といった具合です。それに対して、一般因果は、一般的に当てはまる因果性で、ガラスのコップを落とすと割れる、といったカンジです。線形因果とはコイルのバネ秤に100グラムの重りを5コつけると500グラムになりますが、5コの重りはそれぞれ同じようにバネ秤に作用するのが線形因果で、何らかの限界値があって、例えば、50キログラムまでしか測れない秤に10キログラムの重り10コをつけて秤が壊れると、その因果関係は10コの重りに平等にあるわけではない、という非線形性です。産出的因果は、特定の原因が特定の結果をもたらすことで、自転車で転倒したのが怪我の原因、という因果関係で、差異形成的因果とは、誰かに自転車を貸してあげて、その借りた人が自転車で転倒して怪我をした、といった場合の自転車を貸すという行為と怪我という結果の間の因果性です。最後の影響ベース因果と累計ベース因果は、お酒を飲むと酔っ払う、というのが影響ベースであり、繰り返して何日もお酒を飲み続けるとアルコール依存症になる、というのが累積ベース因果です。ただ、やっぱり、経済学と哲学の因果性は大きく異なります。経済学では相関関係と因果関係を強く意識します。しかし、時には経済の循環の中でこの相関関係が逆の因果関係に転ずる場合が少なくありません。例えば、景気がよくなると失業が減り、失業が減れば経済全体として所得が増える人が多くなって、さらに売上げが伸びて景気がよくなる、というスパイラル的に正のフィードバックをもって経済が循環するケースが少なくないです。さらにやっかいなことに、景気と失業だけではなく、3つ以上の要因が複雑に絡まり合っているケースも経済学の分析対象ではいっぱいあります。日本だけではなく、世界的に、低所得と肥満と喫煙はお互いに強く相関し合っている場合が少なくないのですが、どれがどれの原因で結果なのかは判然としません。しかも、多くのデータサイエンティストが認めるところでは、サンプル数が多くなり、いわゆるビッグデータが利用可能になると因果関係がそれほど重要ではなくなり、相関関係の方が重視されます。さらにもっといえば、無相関なのに確実な因果関係が存在あする場合もあったりします。ある研究成果によれば、性交と妊娠は無相関なのですが、性交が妊娠の原因であることは、高校教育を受けたことがある常識的な日本人なら理解していると思います。ということで、とても難しい因果性・因果関係に関する哲学分野の学術書でした。

photo

次に、髙石鉄雄『自転車に乗る前に読む本』(ブルーバックス)を読みました。著者は、名古屋市立大学の研究者であり、自転車による健康づくりが主たる研究分野のひとつのようです。冒頭に本書の目的が明記されていて、食生活の西洋化などによって日本人の体型が変化してきており、例えば、ボディマス指数(BMI)で計測すると、特に男性の肥満化が進んでいることから、自転車による健康増進、それも、疲れないことをキーワードとして、つらくなく長続きする運動を科学的に解説しようと試みています。ほぼ第1章だけで著者のいいたいことは尽きている気もしますが、すべからく自転車による長続きする運動がいいことが強調されています。歩行、すなわち、ウォーキングよりも運動強度が高く、したがって、カロリー消費も多くなり、中年期以降では筋力アップにもつながります。さらに、屋外でのサイクリングは疲労感よりも爽快感の方が上回る、といった具合です。私自身は、退院した後にはさすがに屋外の自転車は自粛して室内のエアロバイク、本書でいうところの自転車エルゴメーター中心でしたが、たしかに、屋外の自転車は爽快感がタップリです。ただ、今年のような酷暑の際には考えものかもしれません。また、疲れにくいという点を強調して、ペダルを漕ぐ際に膝が伸びるようにサドルを高く設定する必要も主張しています。私の勤務している大学の自転車置き場にも、スポーツ自転車にもかかわらず、やたらとサドルを低くしてるケースを見かけたりしますが、単に私の目から見てカッコ悪いだけでなく、運動生理学の観点からもサドルを高くする必要が明らかにされています。そして、ロードバイクに乗っている上級者なんかを見て明らかなように、番号の小さい軽めのギアで回転数を上げて漕ぐことが推奨されています。どのタイプの自転車がいいかというと、クロスバイクを推奨しているように私には感じられました。まあ、常識的なラインではないかという気がしますが、私はカッコをつけるにはマウンテンバイクもいいと思っています。また、運動強度という観点から電動アシスト自転車には、私自身は手を出しかねているのですが、電動アシストでも立派に運動できると、使い方、というか、電動アシスト自転車の乗り方の解説もあります。自転車は有酸素運動ですから脂肪燃焼に役立ちますが、その際の運動強度の目安は心拍数であると指摘しています。もちろん、運動生理学の観点から、心拍数だけでなく、血糖値や何やといったデータも豊富に示されています。もっとも、統計局に勤務経験あるエコノミストの目からすれば、ややデータの取り方に気がかりな点がないわけではありませんが、学術論文に採択されているような結果もあり、私のような自転車シロートが気にすることではないかもしれません。最後に、自転車に関連して、最近、Moritz Seebacher "Pathways to progress: The complementarity of bicycles and road infrastructure for girls' education" という Economics of Education Review 誌に掲載された教育経済学の論文が面白かったです。道路インフラを整備し自転車を普及させれば、低所得国の女子教育の改善につながることを検証しています。まあ、エコノミストの中でもこんな論文を読んでいる人は少ないと思いますが…

photo

次に、町田その子『ぎょらん』(新潮文庫)を読みました。著者は、小説家です。この作品は連作短編集であり、収録されている短編は、「ぎょらん」、「夜明けの果て」、「冬越しのさくら」、「糸を渡す」、「あおい落葉」、「珠の向こう側」、「赤はこれからも」の7編です。最後の「赤はこれからも」は文庫化に当たって、単行本の短編に書下ろしで付け加えられています。ぎょらんとは、人が死に際しての願いや思いがいくらに似た形状の赤い珠になり、それを口に含むと思いが伝わるとされています。連作短編のすべてに登場するのは御船朱鷺という青年です。彼は、大学に入学したばかりのころに長い付き合いの友人が自殺し、そのぎょらんを口にして自殺した友人が自分に対して大きな恨みを持っていたことを知り、大学を退学して自宅に引きこもり30歳になります。ただ、いろいろとあって、葬儀社に就職して人を送る仕事を始めます。そもそも、ぎょらんというのは、マンガ雑誌に連載されていたマンガ、そのタイトルが「ぎょらん」というマンガに由来するのですが、作者はもう亡くなっており、ネット上にはぎょらんを解明、検証する掲示板(BBS)が設置されたりしています。そして、御船朱鷺は「珠の向こう側」でそのマンガ「ぎょらん」の作者の家族に会います。その女性からぎょらんとは何かを聞き出します。これはまったく私の想像通りでした。ヒント、というか、実際に、同様の例はハリー・ポッターのシリーズの第7巻最終巻『死の秘宝』におけるハリーとダンブルドア先生の会話に出てきます。ダンブルドア校長先生はすでに死んでいるのですが、ハリーと会話を交わします。ハリーはダンブルドアが死んでいるはずなのに、こうして会話できている点をいぶかしみ、このダンブルドアとの会話についてダンブルドアに質問し回答を得ます。ぎょらんは、その回答と基本的に同じといえます。ネタバレになるので、ぎょらんの正体についてはここまでとし、あとは小説を読んでいただくしかありませんが、それなりの常識ある読者であれば理解できると思います。最後に、この作者の作品は『52ヘルツのクジラたち』を呼んだところだったのですが、この作品も重いです。人が死ぬ際に残すぎょらんですから、常に死とともにあります。当然です。そして、ぎょらんを口に含んで死者の思いを得ることが、実際には、どのような結果をもたらすかについては、もう論ずるまでもありません。少なくとも、私は親しい人の死に際の思いを知ろうとは思いません。というか、絶対にカミさんの死に際の思いは知りたくありません。通常の夫婦は亭主の方が先に死ぬケースが多いと思うのですが、もしも我が家でカミさんが私よりも先に死んでぎょらんを残しても、私は絶対に口に入れないでしょう。

photo

次に、篠田節子『田舎のポルシェ』(文春文庫)を読みました。著者は、小説家なのですが、昭和の損保OLの小説『女たちのジハード』で第117回直木賞を受賞しています。この本は、短編というよりは少し眺めの中編くらいの3話を収録しています。順に、「田舎のポルシェ」、「ボルボ」、「ロケバスアリア」となります。すべて自動車にまつわるお話ですので、ロード・ノベルと紹介されているのも見かけました。「田舎のポルシェ」では東京出身で岐阜在住の女性が主人公です。主人公が、東京の実家まで自作米を引き取るため大型台風が迫る中、強面ヤンキーの運転する軽トラで東京を目指す道中のストーリーです。いろんなハプニングがいっぱい起こります。「ボルボ」は企業戦士だった男性2人が志を達することなく退職し、北海道までボルボで旅行します。このボルボが20年ほど乗り尽くされて廃車寸前ながら、北海道で熊を相手に大活躍します。最後の「ロケバスアリア」では、コロナでいろんなイベントが中止される中、カラオケ自慢の年配女性が、憧れの歌手と同じステージに立ちたいと浜松までロケバスで移動し、その歌唱をCDに収録しようとします。最後の「ロケバスアリア」はややコミカルなタッチで進行しますが、それ以外の2編はそれなりに重いというか、考えさせられる部分が少なからずあります。私自身は今世紀に入ってジャカルタから帰国して、東京ではもちろん、開催に帰ってきてからもまったく車を運転することはなく、ましてや、岐阜から東京とか、北海道まで自動車で旅行したりなんぞという遠距離を自動車で移動することがなく、近場で自転車、というばかりなのですが、自動車に愛着を感じる向きには実感するところがあるかもしれません。特に、「ボルボ」については、死にゆく廃車寸前のボルボの活躍に拍手したり、涙したりする人がいそうな気がします。作者のストーリー構成の上手さに感心しました。

photo

最後に、辺見庸『月』(角川文庫)を読みました。著者は、共同通信のジャーナリストであり、作家やエッセイストとしてもご活躍です。この作品はあくまで小説であり、巻末に「本作品はフィクションであり、実在の人物、団体、組織とは一切関係ありません。」というお決まりの文句が並べてありますが、相模原にあった障害者施設である津久井やまゆり園における入所者19人の殺害事件を描き出そうと試みていることは明らかです。この事件の殺害犯は植松聖(うえまつさとし)であり、すでに横浜地方裁判所における裁判員裁判で死刑判決を受け、控訴を取り下げたことで死刑が確定しています。本書では「さとくん」として登場しています。そして、主たる語り手は入所者の「きーちゃん」であり、「寝たきりのごろっとしたかたまりにすぎないあたし」(p.93)と自ら称しています。さとくんの心境の変化が極めて写実的に描き出されています。教授の自慰行為あたりからさとくんの「人間」に関する定義に大きな変化が見られ始めるのが手に取るように判ります。実は、私自身の肩書が「教授」ですし、やや、ドキッとしたところがあります。それはともかく、これだけの重いテーマの作品ですから難解です。きーちゃんの視点と天からの視点が入り乱れています。というか、作者が意図的に入り乱れさせています。極めて抽象度が高くて、それなりの知的レベルにある読者にしか読解できないような気がします。それはそれで当然です。これだけの手練れの作者ですから、平易かつ具体的な描写で、誰にも判りやすい作品にするハズがありません。ある意味では、作者の妄想が大部分かもしれません。小説の形を擬したこの事件に関する作者の心象風景を冗長に記述しているだけかもしれません。私はそれほどレベルの高い読者ではないと思いますので、私の判る部分はこのあたりまでです。でも、すごい作品を読んでしまいました。とてつもなくオススメなのですが、これを読んで廃人になるおそれすらあります。覚悟して、そして、私の嫌いな言葉ではありますが、自己責任でお読み下さい。

|

« 今年の年末ボーナス予想やいかに? | トップページ | 今年2023年のベスト経済書やいかに? »

コメント

自転車本にあたるのは久しぶりです。おおむね書いている事は正しいようですが、一般の人に言ってもなかなか信じてもらえません。もっとも70歳を過ぎると危険であることは確かですが。同期の友人には薦めないようにしています。

投稿: kincyan | 2023年11月18日 (土) 12時28分

>kincyanさん
>
>自転車本にあたるのは久しぶりです。おおむね書いている事は正しいようですが、一般の人に言ってもなかなか信じてもらえません。もっとも70歳を過ぎると危険であることは確かですが。同期の友人には薦めないようにしています。

研究者だれしも、自分の研究分野に愛着があり、ややバイアスをかけて自分の研究分野を誇張することはあります。まれに、地域研究をする人なんかで、真逆の感情を対象地域に持つ人がいないわけではありませんが、研究者でなくても、通常は自分の仕事分野に愛着があり、重要だと考えています。私のように比較優位で考えて、他にできる仕事がないから今の仕事をしている、と考える人は少ないと思います。ですから、この著者のように、自転車による軽くて疲れない運動が万能感を持って語られることはあるのだろうという気がします。その分、自転車に対してさしたる感慨を持たない人には理解がはかどらない可能性があります。それにしても、やっぱり、70歳を過ぎるとスピードの出がちな自転車って危ないんだろうと私も思います。

投稿: ポケモンおとうさん | 2023年11月18日 (土) 15時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 今年の年末ボーナス予想やいかに? | トップページ | 今年2023年のベスト経済書やいかに? »