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2024年2月10日 (土)

今週の読書はデータサイエンスの学術書をはじめとして計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、依田高典『データサイエンスの経済学』(岩波書店)は、理論的な面とともに、経済学、特にマイクロな経済学が我が国経済社会での選択にいかに役立つかを解説しています。塩田武士『存在のすべてを』(朝日新聞出版)は、誘拐事件の後3年を経て解放された男児が画家になってメディアに登場したことから、新聞記者が空白の3年を取材で埋めようと試みます。織守きょうや『隣人を疑うなかれ』(幻冬舎)は、連続殺人犯が同じマンションに住んでいるかもしれないという状況で、姉弟の2人が犯人探しを進めます。藤崎翔『モノマネ芸人、死体を埋める』(祥伝社文庫)は、引退した野球選手のモノマネしか出来ない芸人が、その野球選手から死体の処理を依頼されます。話題の達人倶楽部[編]『気の利いた言い換え680語』(青春文庫)は、対人関係の悪化を防止することも視野に入れて、ネガな表現をポジに言い換える例を多数収録しています。
ということで、今年の新刊書読書は1月に21冊、先週6冊の後、今週ポストする5冊を合わせて32冊となります。順次、Facebookなどでシェアする予定です。
なお、どうでもいいことながら、先週レビューした鳥集徹『コロナワクチン 私達は騙された』(宝島社新書)をFacebookでシェアしたところ、ブックレビューしたスレ主の私を差し置いて、コメント欄がやたらとバズっていたりします。まあ、そろそろ終了ではないかという気がしますが、よく判りません。

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まず、依田高典『データサイエンスの経済学』(岩波書店)を読みました。著者は、私の母校である京都大学経済学部の研究者です。本書は、ビッグデータや人工知能(AI)に先立つ段階からデータを分析する手法をていねいに解説し、理論的な面とともに、経済学、特にマイクロな経済学が我が国経済社会での選択にいかに役立つかを解説しています。データサイエンスとしてデータを集めて分析するという意味で、RCT(randomized controlled trial) や差の差(DID)分析などに加えて、因果推論や機械学習もカバーしています。基本的に学術書であり、大学のレベルや分野によっては修士課程では少し難しい可能性もあります。ですので、一般社会人、というか、ビジネスパーソンの手にはおえないと思います。はい、かくいう私もマクロエコノミストですので、こういったマイクロなデータの分析には少し読み進んで困難を感じています。本書の構成としては三部構成であり、まず、第1部はデータ収集から始まります。ですので、私も総務省統計局でやならいでもなかったアンケート調査の設計から始まります。最近ではネット調査が多くなるんだろうと思います。そして、顕示選好も含めてコンジョイント分析と続きます。第2部では、行動科学の成果フィールド実験におけるも含めたRCTやオプトインとオプトアウトの比較など、そして、第3部では因果推論や機械学習が取り上げられて、コーザル・フォレストや限界介入効果の測定などを例にした議論が進められています。実際の例としては、著者のグループがフィールドで実施したインターネット接続、というか、インターネット接続における需要代替性・補完性の調査、コンジョイント分析では喫煙習慣、時間選好度、危険回避度の測定、そして、ダイナミックプライシングに関してはけいはんな丘陵における電力選択、などなど、実例も豊富に入っています。本書については、キチンと然るべき目的で然るべき水準の知性を持った人が読めば、大いに役立つと思います。そのうえで、少しだけ私の理解がはかどらなかった点を上げておきたいと思います。まず、第1点目は、本書冒頭でも言及されている行動経済学の再現性です。ただ、再現性という点については、私自身がお仕事として従事していた統計局の調査でも、完全な再現性は望めません。調査疲れ(survey fatigue)は避けられませんし、厳密に要求すべきではないのは判っていつつも、それでも気にかかります。世の中には、あれほど騒がれながら、「STAP細胞はあります」とだけ言い残して学界を去った女性もいるわけです。第2に、因果関係がすべてではない点は強調しておきたいと思います。本書での第1部でコンジョイント分析が取り上げられており、あくまでマイクロに原因と結果を追求する姿勢が見られますが、マクロ経済では必ずしも因果関係が重要とは思えない場面もあることは確かです。第3に、こういった資金的に大規模な調査、フィールド実験はそのリソースを持つ大企業に有利な結果をもたらす点は忘れるべきではありません。例えば、ダイナミックプライシングで時間別に電力料金を設定すれば、電力会社は収益アップにつながるのでしょうが、中小企業や消費者はギリギリまで高い料金を請求されるわけで、経済学の専門家であるエコノミストが誰のために研究をしているのか、についてはちゃんと考えるべきだと思います。

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次に、塩田武士『存在のすべてを』(朝日新聞出版)を読みました。著者は、ミステリ作家です。私はグリコ・森永事件を題材にした『罪の声』ほかを読んだ記憶があります。ということで、いや、すごい迫力があり、よく考えられた小説でした。まだ2月も始まったばかりなのですが、ひょっとしたら、私が今年読むであろう中で今年一番のミステリかもしれません。物語は、神奈川県を舞台にした1991年の二児同時誘拐事件から始まります。1人は厚木の小学生男児、もう1人は横浜山手の未就学男児です。厚木の小学生は早々に、そして、横浜山手の男児は身代金受渡しに失敗しながらも、何と、3年後に無事に保護されます。そして、この小説では、後者の3年後に帰還した男児が3年間どこでどう過ごしていたのかについての謎解きを主たるテーマにしています。でも、その謎解きの開始は誘拐事件から30年後という大きな時の隔たりがあり、誘拐事件としては時効が成立しています。謎解きの主役、というか、事実関係を求めて全国を回るのは、誘拐事件当時は入社早々ながら、30年後には地方の支局長になっている大手新聞の記者の門田です。プロローグをおえて、誘拐事件当時の刑事であった中澤が死んで葬式に門田が出席するところから物語の幕が切って落とされます。ひとつのきっかけは、写真週刊誌に新進気鋭で期待の若手写実画家が、この誘拐事件の被害児童であった、とすっぱ抜かれたことです。そして、門田とともに、もう1人、この写実画家の高校時代の同級生であった画廊経営者の娘の里穂もこの画家を探します。もう後は読んでいただくしかありませんが、とても綿密な構成と感動的なストーリーです。特に、ラストはとりわけ感動的です。ということで、本書と深く関係する画壇と美術品について、雑談でごまかしておきたいと思います。ランガー女子による古い古い『芸術とは何か』(岩波書店)に従えば、芸術、もちろん、ハイカルチャーであって、サブカルを含まない芸術には4分野あり、順不同で、美日、文学、音楽、舞踏、となります。このうち、文学についてはグーテンベルク以来コピーがかなり容易になり、大衆性が増しています。音楽と舞踏についても、昨今の技術進歩によりかなりの程度にコピーが普及しています。他方で、美術、絵画や彫刻については、本書でもしてk敷いているように、「一品もの」であって、コピーは容易ではありません。ですから、というか、何というか、クリスチャン・ラッセンのようなデジタルアートでコピーが無制限に可能な絵画は、ややハイカルの中では価値が低いとみなされるわけです。他方、芸術については、特に美術については、経済学的にスピルオーバーが大きく、公共財的な周囲に広く便益を及ぼすことから、そのままでは過小供給に陥る可能性が高くなります。日本ではまだまだですが、欧米では芸術に関してはチャリティをはじめとして、公共的な財源も使って補助がなされています。本書では、公共的な補助はどうしようもなく皆無なのですが、美術愛好家の手厚い援助により芸術家の才能が伸ばされるさまがよく描かれています。美術界の旧弊あるしきたりなんかも、私がよく知らないだけで、本書に書かれている通りなのかもしれません。

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次に、織守きょうや『隣人を疑うなかれ』(幻冬舎)を読みました。著者は、ミステリ作家です。私は『幻視者の曇り空』や『花束は毒』を読んでいます。本書は、同じマンションの連続殺人犯がいるのではないか、という設定のミステリです。謎解きの探偵役は姉弟であり、マンションに住む姉の今立晶と隣接したアパートに住む弟の小崎涼太です。小崎涼太の隣室の土屋萌亜が、殺人事件の被害者のJKを隣のマンションで見たと小崎涼太に相談した直後に行方不明になります。小崎涼太はフリーランスの事件を追うライターなのですが、隣接するマンションに住む姉の今立晶にその話をし、今立晶の高校の同級生だった友人で同じマンションに住む県警刑事にも相談します。他方、土屋萌亜が目撃したJKは3都県にまたがる連続殺人犯の3人目の被害者であり、その手口が25年ほど前の「スタイリスト」と呼ばれた未解決犯の手口に酷似している点が指摘されます。まず、どうして3都県にまたがる連続殺人事件だと判明したのかというと、持ち物リレーが施されていたからで、これが「スタイリスト」とまったく同じであることがキーポイントになります。持ち物リレーとは、この場合、1人目に殺された女性のネックレスが2人目に殺された女性の首にかけられていて、2人目に殺された女性の腕時計が3人目の女性の腕につけられていた、ということです。土屋萌亜はこの3人目の被害者のJKを隣接するマンションで目撃したわけです。ただ、土屋萌亜がJKを目撃した日付から1か月が経過しての殺人事件でしたので、防犯カメラの動画は上書き消去されてしまっていました。そして、探偵役の姉弟がマンションの住人の中に連続殺人犯がいると見立てて、犯人探しを始めます。本書のタイトルはこのあたりの事情を踏まえています。ですから、マンションの隣人が連続殺人犯であっても不思議はないわけで、事実、何度か黒いパーカーの男につけられるケースもあります。本書も、『幻視者の曇り空』や『花束は毒』と同じで、登場人物がかなり少ないです。海外ミステリなんかでは2ダースくらいの登場人物がいて、犯行の動機ある人物だけでも1ダースくらいいる小説が少なくなく、外国人の人名に不案内なことも相まって、なかなか理解がはかどらない場合もあるのですが、この作品の作者の場合、登場人物が少ないにもかかわらずラストで大きなサプライズを用意する、という特徴があります。本書でもそうで、探偵役の姉弟以外には、ほんの一握りの登場人物で、しかも、かなりキャラが明確なので読みやすいといえるのですが、ラストは少しびっくりします。ただ、難点は姉弟の2人の探偵役がいるので仕方ないかもしれませんが、視点が頻繁に入れ替わります。やや読みづらい印象を持つ読者がいそうな気がします。しかも、姉の今立晶がヤンキーの男言葉で語りますから、よりいっそうの混乱を生じかねません。その上、マンションの設定に少し疑問が残ります。マンション住人を片っ端から当たるので、わずか20戸少々という設定なのですが、そんな小規模マンションがどこまで不自然でないと感じるかは読者次第といえます。加えて、今どきのマンションはすべからくオートロックになっています。誰でも簡単にマンション内に入れるわけではありません。特に、関東首都圏のマンションは2重のオートロックになっているケースも少なくありません。少なくとも、我が家が住んでいた城北地区のマンションはそうでした。作者は関西在住なので、関西には私が知る限り2重のオートロックのマンションはほぼぼないのですが、本書の舞台は千葉県ですし、どこまでマンションの実態を作者が理解しているのか、やや疑問に感じないでもないところがいくつかありました。

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次に、藤崎翔『モノマネ芸人、死体を埋める』(祥伝社文庫)を読みました。著者は、お笑い芸人から転じた小説家です。まず、あらすじですが、主人公の関野浩樹はタイトル通りにモノマネ芸人です。マネ下竜司の芸名で、プロ野球の往年の名投手竹下竜司のモノマネ一本で生計を立てています。竹下竜司ご本人にも気に入られ、晩酌のお供をして多額の小遣いまで稼ぐ順風満帆な芸人生活で、アルバイトの必要もなく生活できています。モノマネされているご本人の竹下竜司の方は、若い2人目の夫人と広尾の豪邸に住んでいて、現役時代に稼いだ貯金がワンサカとあって、マネ下竜司にも金払いがよかったりします。その一方で、荒っぽい気性でプロ野球チームのコーチや監督は務まらず、酒と不摂生でぶくぶくと太っていたりもします。ある夜破局が訪れて、竹下竜司は行きずりの女性を殺してしまいます。殺害現場である竹下竜司の広尾の自宅に呼び出された浩樹は愕然とする。竹下竜司が捕まれば、竹下竜司のモノマネしか芸のないモノマネ芸人であるマネ下竜司こと関野浩樹は廃業必至となるわけです。自首を勧めるといった選択肢がないでもなかったのですが、マネ下竜司こと関野浩樹は事件を隠蔽する道を選びます。まず、タイトル通りに、死体を北関東の山中に遺棄し、モノマネ芸人ならではの方法で警察のDNA検査をすり抜けたりします。最後がどういうラストを迎えるのかは読んでみてのお楽しみ、ということになります。ひとつの読ませどころはモノマネ芸人の会話や生活実態です。作者自身が元はといえば芸人さんですから、かなり真に迫ってリアルです。どこまで作者の実体験に基づいているのかは、私には知りようがありませんが、まったく私の知らない世界ですので、かなり面白おかしく接することが出来た気がします。そして、タイトルの死体が登場して埋めるあたりから、後半は怒涛の展開になります。チラッと言及した警察とのやり取りも含めて、なかなかよく考えられています。ラストは少し尻すぼみなのですが、それなりに楽しめます。

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次に、話題の達人倶楽部[編]『気の利いた言い換え680語』(青春文庫)を読みました。著者は、「カジュアルな話題から高尚なジャンルまで、あらゆる分野の情報を網羅し、常に話題の中心を追いかける柔軟思考型プロ集団」と出版社のサイトで紹介されています。本書は、1月末にブック・レビューした『すごい言い換え700語』の続編といえます。基本は、話し相手に不快感を与えないような形の言い換えなのですが、中には意味が違うんじゃあないの、といった例もあったりします。落語家と教員はしゃべるのがお仕事の要ですので、おしゃべりの「極意」とまではいわないとしても、それなりの判りやすい話し方が要求されます。ただ、私の場合は判りやすくかつ正確である必要があると考えています。というのも、今年度後期の期末リポートの採点を終えて成績をインプットしようとしたところ、非常に出来が悪いことに気付かされました。さすがに半分とはいいませんが、かなり高い割合で単位を認めない、「落単」という結果になりそうです。学生の理解が悪いとばかりはいい切れず、私の教え方も悪いのかもしれないと反省しています。ただ、本書のような言い換えで済む問題ではありません。本題に戻って、本書では聞く側の印象をかなり重視しているように見受けられます。典型的には、A but B. であればあとの方のBが強調された形になりますし、逆に、B but A. であればAが強調されます。この例では意味だけですが、言い換えの中にはネガな表現からポジな表現に置き換えるというのが少なくありません。「根暗」を「落ち着いている」とかです。ただ、私は京都人でひねくれた考え方、受け止め方をする傾向にありますので、本書の逆を念頭に人の話を聞いていることが少なくありません。本書では登場しませんが、よく持ち出される例で、「ピアノがうるさい」とはいわずに、「ピアノの練習ご熱心ですね」というのがあります。逆から考えて、「ピアノの練習ご熱心ですね」とまるで褒められているような表現をされたにもかかわらず、「ピアノがうるさい」という意味なんだと理解して、ピアノの練習は控える必要があるのかもしれない、と考えたりするわけです。話す方のサイドでは言い換えになるかもしれませんが、聞く方のサイドになった場合は、素直に聞くだけではダメなのかもしれません。

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コメント

存在のすべてを、はヘビーで面白そうですね。図書館で予約しましたが長い待ち行列です。気長に待ちます。

投稿: kincyan | 2024年2月12日 (月) 07時28分

>kincyanさん
>
>存在のすべてを、はヘビーで面白そうですね。図書館で予約しましたが長い待ち行列です。気長に待ちます。

はい。お説の通り、重厚なミステリ作品です。
2月も初旬にして、今年のミステリ読書の中で、一番かもしれません。とってもオススメです。

投稿: ポケモンおとうさん | 2024年2月12日 (月) 08時26分

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