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2024年3月 2日 (土)

今週の読書は話題の『技術革新と不平等の1000年史』ほか計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ダロン・アセモグル & サイモン・ジョンソン『技術革新と不平等の1000年史』上下(早川書房)では、技術革新に基づく生産性向上が必ずしも生活の改善にはつながらず不平等が拡大する歴史をひも解いています。水野敬三[編著]『地域活性化の経済分析』(中央経済社)は、限られたリソースをどのように地域活性化に活用するかをゲーム論などを用いて分析しています。太田愛『未明の砦』(角川書店)は、巨大自動車メーカーの非正規工員4人が労働組合を結成して待遇改善を求める姿とを共謀罪を適用して取り締まろうとする権力や企業サイドの対決を描き出しています。宮部みゆき『ぼんぼん彩句』(角川書店)は、短い17文字の俳句に詠まれた背景を小説にする俳句文学を目指す短編小説集です。天祢涼『あの子の殺人計画』(文春文庫)は、児童虐待などの社会的な背景ある殺人事件を取り上げた社会派ミステリです。町田尚子『どすこいみいちゃんパンやさん』(ほるぷ出版)は、大きなミケネコのみいちゃんがパンを作ってお店を開店する絵本です。
ということで、今年の新刊書読書は先週までの1~月に46冊、3月第1週の今日ポストする7冊を合わせて53冊となります。順次、Facebookなどでシェアする予定です。また、ついでながら、天祢涼『あの子の殺人計画』(文春文庫)のシリーズ前作『希望が死んだ夜に』も読みましたが、新刊書ではないので本日のブログには取り上げずに、Facebookですでにシェアしてあります。

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まず、ダロン・アセモグル & サイモン・ジョンソン『技術革新と不平等の1000年史』上下(早川書房)を読みました。著者は、ともに米国のエコノミストです。アセモグル教授はそのうちにノーベル経済学賞を取るんではないか、とウワサされていますし、ジョンソン教授は国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストも務めています。英語の原題は Power and Progress であり、2023年の出版です。ということで、実に巧みに邦訳タイトルがつけられています。まあ、Progress が技術革新に当たっていて、Power の方が権力者による不平等の基礎、ということになるんだろうと思います。ものすごく浩瀚な資料を引いていて、さすがに、私も所属している経済学の業界でも優秀な知性を誇る2人の著者の水準の高さが伺えます。ただ、いろいろと傍証を引きつつも、結論は極めてシンプルです。すなわち、経済が発展成長する素である技術革新、イノベーションは生産性を向上させ、もちろん、生産高を増大させることは当然で、これを著者たちは「生産性バンドワゴン」と読んでいますが、こういった生産性向上が自動的に国民生活を豊かにするわけではなく、その利益を受けるのはエリート層であって、決して平等に分かち与えられるわけではない、ということです。特に、現在のような民主主義体制になる前の権威主義的なシステムの下では、生産性の向上により労働が楽になったり、短くなったりするとは限らず、逆に、労働がより強度高く収奪されてきた例がいくつか上げられています。例えば、中世欧州では農業技術の改良によって飛躍的な増産がもたらされましたが、人工の大きな部分を占める農民には何の利益もなく、むしろ農作業の強度が増していたりしましたし、人新世の画期となる英国の産業革命の後でも、技術進歩の成果を享受したのはほんの一握りの人々であり、工場法が成立するまでの約100年間、大多数の国民には労働時間の延長、仕事の上での自律性の低下、児童労働の拡大、それどころか、実質所得の停滞や減少すら経験させられていました。こういった歴史的事実を詳細に調べ上げた後、当然、著者2人は現時点でのシンギュラリティ目前の人工知能(AI)に目を向けます。すなわち、ビジネスにおいては、AIを活用して大量のデータを収集・利用して売上拡大や収益強化を図る一方で、政府もまた同じ手法で市民の監視を強化しようとしていたりするわけです。国民すべてに利益が及ぶように、テクノロジーを正しく用いて、社会的な不平等の進行を正すには、ガルブレイス的な対抗勢力が必須なのですが、組織率の長期的低下に現れているように労働組合は弱体化し、市民運動も盛り上がっていません。先進国ですら民主主義は形骸化し、国民の声が政治や経済に反映されることが少なくなっていると感じている人は多いのではないでしょうか。それでは、こういったテクノロジーの方向に対処する方法がないのか、という技術悲観論、大昔のラッダイト運動のようなテクノ・ペシミズムに著者たちは立っていません。かといって、技術楽観論=テクノ・オプティミズムでもありません。日本の電機業界が典型だったのですが、生産性の向上が達成されると雇用者を削減する方向ばかりでしたが、逆に労働者を増やす方向に転換すべきであると本書では主張しています。その典型例を教育に求めています。もちろん、エコノミストらしく税制についても自動化を進めつつ労働者を増やすようなシステム目指して分析しています。アセモグル教授は、かつて『自由の命運』で「狭い回廊」という概念を導き出していましたし、この著作でもご同様な困難がつきまとう気がしますが、企業に対する適切な規制や税制をはじめとする政策的な誘導、そして、何よりも、そういった技術を自動化とそれに基づく労働者の削減に向けるのではなく、テクノロジーを雇用拡大の方向に結びつける政策を支持するような民主主義に期待したいと思うのは私もまったく同じです。

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次に、水野敬三[編著]『地域活性化の経済分析』(中央経済社)を読みました。編者は、関西学院大学の研究者であり、本書は関西学院大学産研叢書のシリーズとして発行されています。地域経済の観点から、本書では限られた財政資源、人的資源、観光向けの社会的あるいは自然資源などのリソースを活用し、どういったシステム設計が可能なのか、についてゲーム論などを援用しつつ分析を進めています。まず、本書は2部構成であり、前半は地域経済の活性化、後半は地域サービズの活性化、をそれぞれテーマとしています。前半では、地方のインフラを始めとする社会資本整備について、いわゆるPPP(Public Private Partnershipp)を活かした社会資本整備について、地方政府に任せ切るのではなく中央政府の仲介機能を活用する、などの政策提言を行っています。また、公企業の役割については、民業圧迫を批判されることもありますから、民業補完と民業配慮について民業と官業=公企業の2企業の複占を考え、シュタッケルベルク的な反応とクールノー的な反応から分析を進め、短期では民業補完と民業配慮のどちらも社会厚生を上昇させる一方で、長期には公企業の民業配慮は社会厚生を悪化させる可能性があると結論しています。前半の部の最後には、雇用と就業のミスマッチについて、山形県庄内地方のケースを分析しています。後半のサービス経済の分析の部では、観光資源管理について富山県の立山黒部アルペンルート、また、兵庫県の城崎温泉に関して理論モデルによる分析、すなわち、コモンプール財の外部性を回避する方法につきゲーム論で分析しています。観光客の移動経路については、山形県酒田市のアンケート調査データなどを基に、ネットワーク分析を試みています。また、地域サービスとの関連が私には十分理解できなかったのですが、季節性インフルエンザのワクチン接種に関する公費助成の効率的な水準に関してゲーム理論からの分析を試みています。最後の章では結婚支援サービスの効果に関して理論分析を試みています。基本的に、ほぼほぼすべてマイクロな経済分析であり、ゲーム論を援用した分析も少なくありません。ですから、実証分析ではなく理論モデルの分析が主になっています。ただ、城崎温泉などをはじめとして、実際の地方経済分析の現場に即した理論モデル構築がなされている一方で、理論モデルそのものも明らかに地域経済分析のフレームワークを超えて一般性あるものではないかと私は受け止めています。私自身は東京で官庁エコノミストとして定年まで長らく働いていましたので、地域経済の現実はそれほど身近に接してきたわけではありませんし、本書のようなマイクロな理論モデル分析ではなく、マクロの実証分析を主たる活動分野としてきましたが、唯一の査読論文は長崎大学に出向していた際の長崎経済分析でしたし、関西に引越してからの我と我が身を振り返って、もう少し地域経済についても考えるべきではないか、と感じています。

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次に、太田愛『未明の砦』(角川書店)を読みました。著者は、シナリオライターが本業かもしれませんが、いくつか秀逸なミステリも書いていたりする脚本家・作家です。私は、探偵事務所の鑓水などが主人公となっている『犯罪者』、『幻夏』、『天上の葦』の社会派の三部作を読んだ記憶があります。本書と同じで、いずれも角川書店からの出版です。ということで、本書も社会派色が強くなっています。主人公は、日本を代表する大手自動車メーカーで働く非正規工員4人、すなわち、矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平です。本書冒頭のプロローグでは、この4人が日本で初めて共謀罪で逮捕されようとしているシーンから始まります。本編では、この主人公4人が会社の正規社員である組長に誘われて、千葉県笛ヶ浜で夏休みを過ごすところから時系列的なストーリーが始まります。4人が労働組合を結成して巨大資本の自動車メーカーに対抗しようとし、御用組合に加入している正社員から差別され、様々な不利益をこうむります。かなりの長編ですので、この巨大資本の自動車メーカーの工場労働者とともに、経営トップも登場します。会社名と経営トップの名前が共通していますから、明らかにトヨタを意識したネーミングだと考えるべきです。もちろん、この自動車メーカーを巡って、与党政治家、キャリア官僚、そして、所轄の公安警察官、さらに、「週刊真実」なるネーミングで、いかにも「週刊文春」を想像させるような週刊誌のジャーナリストも登場します。作者の視点はあくまでも非正規労働者や彼らを支援する労働組合ユニオンの関係者に優しく、経営者、キャリア官僚、与党政治家などには批判的なまなざしが向けられます。過去に私が読んでいる同じ作者の小説に比べて、それほどスリリングな場面が多いわけではなく、自動車工場における労働の実態がかなり誇張され、ここまで死者が出るのも異常だろうと思わないでもありませんが、日本経済のもっとも基礎的、エッセンシャルな部分を構成する人々についてはよく描写されている気がしました。巨大資本には対抗するすべがなく、単に企業の言い分を受け入れるだけの存在から、自覚的で社会や、その前に自分の境遇をよくしようと考える方向に変わっていく様子が実に感動的に、決して現実的とは思えませんが、とっても感動的に描写されていました。その昔であれば、抑圧されたプロレタリアートが蜂起して革命を起こす、ということになるのかもしれませんが、今ではその選択肢は極めて限定的な気もします。最後に2点指摘しておきたいと思います。第1に、与党政治家が登場するのですから、野党政治家の活躍も何とか盛り込めなかったものか、という気がします。主人公の4人をサポートするのが労働組合関係者だけ、というのは、小説として少し視野が狭い気がしてなりません。もう少しジャーナリストのご活躍もあってよかったのでは、という気もします。あまりにもサポートが少なすぎる印象があります。ただし、労働関係の場合、私のような大学教員はそれほど出る幕はないかもしれません。他方で、ミャンマーのクーデタなどは大学教員もしゃしゃり出たりします。同僚教員の推測によれば、私はミャンマー軍政政府のブラックリストに入っている可能性が高いそうです。第2に、本書は小説であり、しかも、第1の点で指摘したように、救いの道が労働組合に限定されていますから、市民運動とのバランスを取るためにも、エリカ・チェノウェス『市民的抵抗』(白水社)をオススメします。チェノウェス教授は、非暴力の自覚的な市民抵抗者が人口の3.5%まで増加すれば社会は変わる、という研究成果を実証的に示した米国ハーバード大学の研究者です。昨年2023年10月末に、私はFacebookでこの本のブックレビューをポストしています。

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次に、宮部みゆき『ぼんぼん彩句』(角川書店)を読みました。著者は、日本でも有数の販売を誇っているであろう小説家であり、本書は俳句小説と銘打った新しい試みだそうです。短編集であり、俳句の17文字をタイトルに取って、以下の12編が収録されています。なお、短編タイトルの後のカッコ内の人名、というか、俳号はタイトルの俳句の作者となっています。好きな作者の作品ですし、かなりていねいに読んだので長くなります。まず、「枯れ向日葵呼んで振り向く奴がいる」(よし子)では、婚約解消した女性が主人公となります。婚約解消した相手の男性は二股をかけていて、もう1人の女性が妊娠したため婚約を解消したところです。バス代1800円の「長旅」をして市民公園に着き、そこにある熱帯植物園には向日葵がいっぱいでした。続いて、「鋏利し庭の鶏頭刎ね尽くす」(薄露)では、離婚する女性が主人公となります。主人公の女性は司法書士の高給取りですが、男性の方は15才の時に交通事故死したみっちゃんが忘れられず、妹をはじめとして家族ぐるみで思い出を共有しています。男性は、そのみっちゃんが描いた未完成の鶏頭の絵を形見のように、今もって大事にしていますが、実はみっちゃんが鶏頭を描いたのは別の理由からでした。続いて、「プレゼントコートマフラームートンブーツ」(若好)では、ハンドメイドを趣味とする男性が小学生の息子とともに、土地の神様が宿る大きな銀杏に住むリスを題材にクリスマスプレゼントの作成を始めます。そこに、男性に騙されたらしい女性がやって来ます。続いて、「散ることは実るためなり桃の花」(客過)では、すでに結婚した娘を持つ女性が主人公です。その娘の結婚相手が、司法試験に挑戦しながら働きもせず、善良を信じ過ぎる娘を騙しているようにしか見えず、他の女性との浮気すら許容しています。続いて、「異国より訪れし婿墓洗う」(衿香)では、やや近未来的でSFのような設定です。再生細胞が広範に医療に利用されるようになり、寿命が100歳を軽く超えるようになった日本で、主人公の女性の娘は国際結婚をして外国ぐらしをしていましたが、お盆の亡夫の墓参りに帰国します。続いて、「月隠るついさっきまで人だった」(独言)では、のんびりした姉としっかりものの5歳違いの妹の姉妹が主人公です。姉に彼氏ができたのですが、トンデモなタイプの男性で、祖母の葬式の名古屋まで追いかけて、ナイフを振り回したりします。続いて、「窓際のゴーヤカーテン実は二つ」(今望)では、アラフォーで子供のいない夫婦が主人公です。南西向きの部屋が暑いのでゴーヤをカーテン代わりに植えたところ、真冬になっても実がなったままで枯れそうにもありません。不妊治療に奇跡をもたらすゴーヤの実に使えるのではないかと夫がいいだしたりします。続いて、「山降りる旅駅ごとに花ひらき」(灰酒)では、家族の中の「黒い羊」のようなパッとしない次女、しかも、母親似の美貌の長女と次女に挟まれて、父親似の次女が主人公です。祖父の遺言状の確認のために温泉宿に一族が集まり、遺言状ではまたまたパッとしない腕時計を譲られますが、その宿の女将から重大な祖父の秘密を知らされます。続いて、「薄闇や苔むす墓石に蜥蜴の子」(石杖)では、小学生が主人公で、引越し先の裏山を探検しているとトカゲが走り去り、追いかけるうちにキラリと光る虫眼鏡を発見して、交番に届けたところ大騒動になります。というのも、虫眼鏡には5年前に行方不明になった小学生の名があったからです。虫眼鏡が発見された近くからとんでもないものが発見されます。続いて、「薔薇落つる丑三つの刻誰ぞいぬ」(蒼心)では、女子大生が主人公で、彼氏になってから豹変した男性とその取巻きから無理矢理に心霊スポットの廃墟の元病院に連れて行かれてしまいます。そこで出会ったのは人ならぬ存在だったりします。続いて、「冬晴れの遠出の先の野辺送り」(青賀)では、かなわぬ恋に敗れて26歳で自殺した男性の妹が主人公です。昔ながらの徒歩の野辺送りではローカル線に沿ったルートが設定されましたが、列車は停まってしまいます。県庁所在都市の名門校の女子高生と話しているうちに、主人公は亡き兄について、いろいろと感情を高ぶらせます。続いて、「同じ飯同じ菜を食ふ春日和」(平和)では、夫婦と女の子の家族3人が主人公です。父親の方の郷里に法事や何やで帰省するたびに訪れる展望台での会話で構成されているのですが、ざっと考えても十数年にわたっての会話です。展望台からは Remember 3.11 の文字が見えます。と長々とあらすじを展開しましたが、人ならぬ存在が登場する「薔薇落つる丑三つの刻誰ぞいぬ」がもっともよかったと感じています。12の短編の前半は、あるいは、後半のいくつかの短編も、やや常軌を逸した男性が登場し、どこまで現実的なお話なのかと疑問に思わなくもないのですが、まあ、そこは小説なのだと割り切って考えるべきなのかもしれません。

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次に、天祢涼『あの子の殺人計画』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、本書は、同じ作者の『希望が死んだ夜に』に続く社会派ミステリ仲田蛍シリーズの第2弾となります。前作と同じで神奈川県警真壁刑事といっしょに捜査に加わります。何の捜査かというと、風俗産業のオーナーの殺人事件です。前作と同じように川崎市の登戸付近の事件です。容疑者は、かつて殺害されたオーナーの経営する風俗店で働いていた女性なのですが、その小学生の娘が殺害当日の母親のアリバイを詳細に記憶しています。深夜でテレビがついていて、真夜中で日付が変わったシーンなどを克明に証言して、警察でも全面的ではないとしても証拠能力があると認定されます。その容疑者は今では風俗店ではなく、ファミレスで働くシングルマザーであり、容疑者の娘がきさらという名です。家庭ではシングルマザーの母親がこの小学生の娘を虐待、というか、ネグレクトしつつ虐待していて、食事を十分に与えなかったり、母親の気分次第で風呂場で水攻めにしたりします。もちろん、家庭での洗濯や入浴が行き届かないわけですので、小学校でもいじめにあっています。しかし、きさらは少なくとも母親から虐待されているという自覚はなく、一種のマインドコントロールの状態にあって、風呂場での水攻めがしつけであると思い込まされています。小学校では、同じクラスの翔太だけが味方になってくれていますが、きさらは少なくとも家庭での虐待については自覚しません。そこに、仲田が登場して謎解きをするのですが、ある意味で、本格的なミステリなのですが、時間のミスリードがあり、同様に、ノックスの十戒のひとつである双子のケースに近いミスリードもあったりしますから、ホンの少しだけ反則気味であると感じるミステリファンがいる可能性はあります。でも、なかなか見事なプロットだと思います。社会派のミステリファンを自負するのであれば、特に前作の『希望が死んだ夜に』を読んだファンであれば、ぜひとも抑えておきたいオススメ作品です。ただ、読者によっては、前作の方がクオリティ高いと支持する人がいそうな気もします。私もその1人です。

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最後に、町田尚子『どすこいみいちゃんパンやさん』(ほるぷ出版)を読みました。著者は、イラストレータ・絵本作家です。本書は単独での執筆ですが、私が読んだ範囲でも『なまえのないねこ』(小峰書店)なんかのように、原作者とともにイラストを担当したりしている作品も少なくないと思います。ということで、とても久しぶりの絵本の読書感想文です。私も周辺ではこの絵本の評価は高くて、それなりにはやっているようです。従って、出版社も力を入れているのか、特設サイトが開設されたりしています。「どすこいちゃん」の写真募集と称して、いわゆるデブ猫の写真を募集していたりします。なお、この絵本は4-5歳からが対象となっています。私も読んでみて、主人公のどすこいみいちゃんが、朝早くから起き出して、お相撲体型を利用して、というか、何というか、力仕事でパンを作るという労働を賛美する趣きがある一方で、それ以外はさほどの社会性があるわけでもなく、ましてや、何らかの人生の深い教訓を示唆しているわけでもなく、その上、表紙画像に見られるように、いかつくて、それほど愛嬌があるわけでもない表情のデブ猫が主人公ですので、絵本としてはいかがなものか、と私自身は考えないでもないのですが、繰り返しで、なぜか、私の周囲ではなかなか評判がいいようです。

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