今週の読書はコロナ期の労働市場分析を試みた経済書をはじめとして計8冊
今週の読書感想文は以下の通り計8冊です。
まず、樋口美雄/労働政策研究・研修機構[編]『検証・コロナ期日本の働き方』(慶應義塾大学出版会)は、国立の研究機関である労働政策研究・研修機構(JILPT)が独自に収集した個人を追うパネルデータの分析により、コロナ禍における労働市場や個人・企業の動向を明らかにしようと試みています。綿矢りさ『パッキパキ北京』(集英社)は、北京に単身赴任していた夫のもとに引越す風変わりな妻の行動と心情、さらに夫婦のやり取りを題材にしています。米澤穂信『可燃物』(文藝春秋)は、群馬県警の葛警部を主人公とするミステリであり、5編の短編から編まれています。榎本博明『勉強ができる子は何が違うのか』(ちくまプリマー新書)は、学力に直結する認知能力だけでなく、ガマン強さなどの非認知能力が備わっている子こそが勉強ができると主張しています。ジル・ペイトン・ウォルシュ『ウィンダム図書館の奇妙な事件』と『ケンブリッジ大学の途切れた原稿の謎』(創元推理文庫)は、英国ケンブリッジ大学の貧乏学舎セント・アガサ・カレッジの学寮付き保健師であるイモージェン・クワイが大学にまつわる謎を解き明かすミステリです。青崎有吾ほか『超短編!大どんでん返し』と浅倉秋成ほか『超短編!大どんでん返しSpecial』(小学館文庫)は、2000字、文庫本で4ページほどの超短編ながら、最後にどんでん返しが待っている作品を集めています。
ということで、今年の新刊書読書は1~2月に46冊の後、3月に入って先週までに11冊、今週ポストする8冊を合わせて65冊となります。順次、Facebookなどでシェアする予定です。
まず、樋口美雄/労働政策研究・研修機構[編]『検証・コロナ期日本の働き方』(慶應義塾大学出版会)を読みました。著者は、国立の研究機関である労働政策研究・研修機構(JILPT)とその理事長です。特に、樋口教授は労働経済の専門家です。本書に同じ出版社から2021年に出版された『コロナ禍における個人と企業の変容』の続編です。前書もそうでしたが、本書でもJILPTが独自に収集した個人を追ったマイクロなパネルデータを基にした数量分析を実施しています。3部構成であり、第Ⅰ部で労働市場を分析した後、第Ⅱ部で働き方も含めて分析した上で、政策効果について検証しています。まず、日本の雇用については格差が大きいのですが、企業活動の格差とともにもっとも大きな格差が規模別です。そうです。大企業ほど企業活動も、雇用のお給料なんかもいいわけです。ですから、大学生は大企業への就職希望が強いというわけです。そして、企業活動はともかく、雇用の特にお給料の格差が大きいのが雇用形態別、すなわち、正規/非正規、そして、性別、すなわち男女別なわけです。ですので、格差がないわけではないものの、産業別とか、地域別の格差は決して大きくないと考えられます。こういった格差の観点から、コロナ禍は格差の拡大をもたらしており、本書の分析でもそれが裏付けられています。ただ、産業別の格差が新たに生じていることも事実で、典型的には飲食や宿泊といった対個人サービスがコロナ禍で大きなダメージを受けたことは説明するまでもありません。性別の格差の拡大については、決して日本だけの特徴ではなく、世界全体で recession ではなく、she-cession と呼ばれたことは記憶に新しいところです。その上で、本書では、ウェルビーイングや政策効果にまで分析領域を拡大しています。私の目についた分析結果としては、テレワークのウェルビーイングに及ぼす効果です。テレワークはそもそもウェルビーイングに正のインパクトを持っているのは当然理解されるところですが、テレワークの時間数や日数が増えてもウェルビーイングにはそれほど影響ない、というのは新たな発見であろうと私は受け止めています。テレワークとウェルビーイングは単調関数ではなく、どこかに反転する閾値があるわけで、その点は、最近の The Review of Economics and Statistics にアクセプトされた論文 "Is Hybrid Work the Best of Both Worlds? Evidence from a Field Experiment" などでも分析されているところです。そして、自営業者やフリーランスの労働者に関する分析にも注目しました。自営業者では持続化給付金を受給した人のほうが給付を受けていない人よりも、事業の継続期間が短い、というのはややパラドックスなのですが、理解できる気もします。政策としては、雇用を守るための雇用調整助成金、経営を守るための持続化給付金、資金繰り援助の実質無利子無担保のいわゆるゼロゼロ融資、の3本柱となりますが、本書では雇用継続にせよ、事業継続にせよ、所得の面からしか見ていませんが、私は雇用におけるスキルの維持の観点からもこういった労働者や企業に対する政策的な援助はまったくムダではないと考えています。批判的な観点からゼロゼロ融資の返済を取り上げる報道なども見かけますが、効率的な支援よりも幅広い支援を私は支持します。いずれにせよ、ほかにない独自データを用いて、かなり高度な数量分析を実施しています。私はこの労働政策研究・研修機構(JILPT)に勤務した経験がありますから、やや内輪誉めになりかねませんが、コロナ期における労働市場分析として貴重な研究成果です。
次に、綿矢りさ『パッキパキ北京』(集英社)を読みました。著者は、芥川賞も受賞した純文学作家です。主人公は30代後半の既婚女性です。夫は分かれた妻と2人の男女の子供がいますが、現時点では中国の首都北京に単身赴任しています。時代背景は、2022-23年の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミック最終盤の北京です。いろいろとあって、夫から北京に来て欲しいという連絡を受けて、主人公は北京に行くわけです。2022年12月に引越します。主人公は銀座のホステスを辞めて結婚し、まあ、悪い表現をすれば遊び回っているわけです。北京に来ても基本的な精神構造や行動原理は変わるわけではなく、中国人大学院生のカップルといっしょにショッピングや観光で遊び回っています。この中国人大学院生のカップルは、女性の方が日本語を勉強しているのですが、男性の方に主人公がちょっかいを出したりしてケンカ別れします。2023年が開けて、元旦にもかかわらず北京では日本的な正月行事とかはなく、むしろ、1月下旬の春節の際の方が正月っぽかったりします。もちろん、外を遊び回っていますので、というか、何というか、夫婦してコロナに罹患したりしますし、夫婦の会話から、魯迅の『阿Q正伝』の精神的勝利を「スーパー錬金術」と呼んで称賛したりします。夫婦間での考え方に私が共感したのは、電話で部下に指示を下す夫を見て、「いつか老いたらこんなふうにはできなくなるから、そのときは支えてやる、できなくなってからが本番」、という考え方です。うちのカミさんはともかく、世間一般の夫婦関係では真逆かもしれないと考えてしまいました。行動としては、ある意味で、チャランポランで外を遊び回っている主人公なのですが、夫婦の関係については、やや独特ながら、しっかりとした考えを持っているのは意外でした。最後に、やっぱり、海外生活は華やかでいいと思い出してしまいました。私は独身の時には在チリ大使館勤務を経験し、そして、結婚してカミさんと子供2人を連れてのジャカルタ暮らしもあって、それぞれ3年ほどの海外生活を2度送りましたが、もう一度、出来ることであれば人生最後に海外生活を送ってみたいと思います。まあ、年齢的に難しい、ないし、ムリかもしれません。
次に、米澤穂信『可燃物』(文藝春秋)を読みました。著者は、ミステリ作家です。本書は群馬県警の葛警部を主人公とする新たなシリーズです。ちなみに、この作者の一番の人気シリーズは古典部シリーズだと思いますが、長らく新作は出ていません。そして、本書はその葛警部を主人公とする短編集です。5編の短編が収録されていて、収録順にあらすじは以下の通りです。すなわち、「崖の下」では、スノーボードでバックカントリーを滑走中に崖の下に落ち遭難した30代男性2人のうち1人がもう1人を頸動脈を刺して失血死するも凶器が不明です。葛警部が意外な凶器を推理します。「ねむけ」のタイトルはロス・マクドナルドの『さむけ』へのオマージュかもしれません。深夜の交通事故にもかかわらず、コンビニ店員や工事現場の交通整理など目撃者が4人もいて、しかも、目撃情報が一致している不思議を葛警部は「情報汚染」と考えて、真実を解き明かそうと試みます。「命の恩」では、山で遭難した際に助けてもらった命の恩人をバラバラ殺人で殺したと自供する男性の供述について、葛警部が真実を見抜きます。タイトル作である「可燃物」では、ゴミ捨て場に時間外の早くから不法に投棄されていた燃えるゴミへの放火事件が相次いだところ、犯人はもちろん、この放火の裏に潜んだホントの目的は何かを葛警部が推理します。最後に、「本物か」では、ファミレスに拳銃を持った犯人が、店長ほかの人質を連れて立てこもりますが、拳銃はホンモノか、犯人は本気か、といった点を葛警部が推理します。全編を通じて、とても本格的な推理小説に仕上がっています。ただ、伝統的な whodunnit、すなわち、犯人探しではなく動機を考えたり、あるいは、表面的な事実の裏に潜むホントの事実を解き明かす点が主眼となっています。葛警部は群馬県警の捜査部隊の班長さんなのですが、上司の指導官や刑事部長とのやり取りも興味深く読めます。私はもともとホームズものなどの短編ミステリが好きなのですが、本書もオススメの短編ミステリです。最後に、本格的かつ論理的な謎の解明がなされます。レビューの最後の最後に、2話目の「ねむけ」のタイトルについて感想です。私はこの3月で定年退職し4月からは、一般的な民間企業では退職後再雇用に当たる特任教授になって、2人部屋に引越したのですが、もう1人の先生も私も大学支給品ではなく事務椅子を買い替えていて、もう1人の先生は背もたれなしの椅子で、かつ、足を複雑に組んでバランスを取って、眠気を追い払う目的の椅子のように見えます。私の考え方まったく逆で、ハイバックでヘッドレストまである上に、大きくリクライニングするタイプの椅子で、眠くなったら快適に寝ることを目的にしています。性格の違い、というか、勤勉さの差が出ているような気がしました。
次に、榎本博明『勉強ができる子は何が違うのか』(ちくまプリマー新書)を読みました。著者は、私よりやや年長で心理学の博士号を持ち、MP人間科学研究所代表ということなのですが、私にはよく理解できません。本書では、タイトル通りに、小中学校の義務教育からせいぜい高校くらいまでの児童や生徒を対象に勉強ができるようになるには、いわゆる学力の認知能力だけではなく、その学力をつけるために忍耐力などの非認知能力が必要である、と指摘しています。まあ、その通りだと思います。少なくとも、じっと静かに座って一定時間の勉強がこませなければなりません。そして、その論拠として心理学だけではなく経済学でも言及されるマシュマロ・テストのガマン強さを上げています。特に、最近では身の回りに勉強を逃れて遊ぶ道具がいっぱいありますから、そういったいわゆる「誘惑」に屈することなく勉強する意志の強さです。加えて、非認知能力だけではなく、メタ認知能力についても言及しています。すなわち、どのような勉強方法、勉強時刻、などなどが自分にあっているかどうかを見極める能力です。そして、注目すべきなのは、メタ認知能力は別としても、「誘惑」に屈することなく勉強に打ち込む忍耐強さは、学校でも、親からも与えられないのが現実となりつつある点を強調している点です。学校では厳しく叱ることが避けられつつありますし、ましてや、体罰なんてもっての外、というところで、家庭でも「誉めて伸ばす」なんて、本書の著者からすれば「甘やかしている」としか見えないような子どもとの接し方が推奨されていて、厳しく叱って忍耐強い子に育てることが学校でも家庭でもできなくなりつつある、と著者は結論しています。こういった子どもに対する教育法というのは典型的なオープ・クエスチョンであり、すべてのケースに通用する正解というものはありません。本書の見方も、まあ、学力を支えるという意味での非認知能力の重要性は、それはそれとして認めるとしても、ひとつの見方、参考意見として考えるべきかという気はします。でも、年配の人からは支持が多そうな気がします。
次に、ジル・ペイトン・ウォルシュ『ウィンダム図書館の奇妙な事件』と『ケンブリッジ大学の途切れた原稿の謎』(創元推理文庫)を読みました。著者は、英国の小説家であり、児童文学や歴史小説のオーソリティです。たぶん、児童書の『夏の終りに』が日本ではもっとも有名ではないでしょうか。というか、私はそれしか読んだことがありません。しかし、というか、何というか、1993年に発表した『ウィンダム図書館の奇妙な事件』に始まるイモージェン・クワイのシリーズからミステリ作家に転身し、2作目の『ケンブリッジ大学の途切れた原稿の謎』でCWAゴールドダガー賞候補となっています。さらに、1998年にはドロシー L. セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿シリーズの公式続編である Thrones, Dominations を刊行したりしています。シリーズはすべてで4編発表されています。『ウィンダム図書館の奇妙な事件』の英語の原題は The Wyndham Case であり、1993年の出版、また、『ケンブリッジ大学の途切れた原稿の謎』の原題は A Piece of Justice であり、1995年の出版となっています。でも、ともに、本邦初訳だったりします。ということで、小説の舞台は1990年代の英国ケンブリッジです。名門ケンブリッジ大学の貧乏学寮であるセント・アガサ・カレッジの学寮付き保健師をしているのが主人公のイモージェン・クワイということになります。Imogen Quy と綴るそうです。日本でいえば、保健室の保健師さんあたりの存在でしょうか。まず、ミステリデビューを果たした『ウィンダム図書館の奇妙な事件』では、ウィンダム図書館でテーブルの角に頭をぶつけたように見える学生、1年生のフィリップの死体が発見されます。セント・アガサ・カレッジには図書館が2つあって、通常の図書館に加えて、寄贈された稀覯書などを所蔵する私設のウィンダム図書館があり、後者で事件が起こります。事件直後にトイレで泣き叫ぶ女学生がいたり、フィリップのルームメイトのジャックが行方不明になったりします。加えて、稀覯書収集に熱心なワイリー教授のコレクションが1冊消失し、ワイリー教授自身も失踪したりします。主人公のイモージェン・クワイは友人の警察官マイクとともに謎解きを進めます。この作品は少し骨が折れます。時系列をかなり乱れさせてミスリードするからです。でも、立派な本格ミステリだと思います。次に、第2作の『ケンブリッジ大学の途切れた原稿の謎』では、イモージェン・クワイの家に下宿する女子学生院生フランが指導教授からの指示で、数学者の伝記のゴーストライターを務めます。この数学者は、目立った業績は幾何学のパターンに関するたったひとつなのですが、なぜか、すでに3人の前任者が伝記執筆を断念、というか、死亡したり、行方不明になったりしています。それはすべて同じ時期、すなわち、1978年の夏にこの数学者が数日間の夏季休暇を取ったあたりを調査している直後に生じており、そのあたりの謎解きを進めるべく、フランとイモージェンが、マイクの助力も得つつ、この数学者の生涯に関してリサーチします。犯人探しの謎もさることながら、その動機に関する謎解きも秀逸です。最後に、英国のカレッジでは会計士が大学の資産運用を担当するので、「セント・アガサ・カレッジにもケインズ卿のような会計士がいたらよかったのに」、というイモージェン・クワイのモノローグには思わず感心してしまいました。また、本シリーズも登場人物のネーミングが判りやすくて素晴らしいと感じました。何てったって、殺人事件が起こるのがセント・アガサ・カレッジなのです。
次に、青崎有吾ほか『超短編!大どんでん返し』と浅倉秋成ほか『超短編!大どんでん返しSpecial』(小学館文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家などです。各冊ごとに50音順で著者を羅列すると、第1集の『超短編!大どんでん返し』の30名は、青崎有吾、青柳碧人、乾くるみ、井上真偽、上田早夕里、大山誠一郎、乙一、恩田陸、伽古屋圭市、門井慶喜、北村薫、呉勝浩、下村敦史、翔田寛、白井智之、曽根圭介、蘇部健一、日明恩、田丸雅智、辻真先、長岡弘樹、夏川草介、西澤保彦、似鳥鶏、法月綸太郎、葉真中顕、東川篤哉、深緑野分、柳広司、米澤穂信、そして、第2集の『超短編!大どんでん返しSpecial』の34名は、浅倉秋成、麻布競馬場、阿津川辰海、綾崎隼、一穂ミチ、伊吹亜門、伊与原新、小川哲、織守きょうや、加藤シゲアキ、北山猛邦、京橋史織、紺野天龍、佐川恭一、澤村伊智、新川帆立、蝉谷めぐ実、竹本健治、直島翔、七尾与史、野崎まど、乗代雄介、藤崎翔、万城目学、真梨幸子、宮島未奈、桃野雑派、森晶麿、森見登美彦、谷津矢車、結城真一郎、柚月裕子、横関大、芦花公園、ということになります。これだけ多彩な執筆陣ですから、読者から見てきっと好きな作家が含まれていることと思います。逆に、好きではない作家も含まれている可能性も十分あります。また、ミステリ、ホラー、SF、時代小説、恋愛小説、などなど、様々なジャンルで一級品の短編を楽しむことが出来ます。わずかに2000字、文庫本で4ページほどの凝縮された超短編集です。それなのに、タイトル通りに、超短編でありながら最後の最後にどんでん返しが待っています。出版社の謳い文句は「2000字で世界が反転する!」というもので、小説誌「STORY BOX」の人気企画をオリジナル文庫にして出版にこぎつけています。もうこれだけあると、個々の超短編作品のあらすじをすべて紹介するのは難しいのですが、まったくあらすじがないのもどうかという気がしますので、私が印象に残っているのは、第1集では、完璧な密室を作り上げた推理小説家の苦労、第2集では、硬直化した官僚システムを打破するために落語家が公務員試験を作成する、というそれぞれのストーリーが面白かったです、とだけ紹介しておきます。というのも、一応、私は現役の公務員だったころに人事院に併任されて、当時の国家公務員Ⅰ種経済職の試験委員を経験していたりします。もちろん、各短編は完全に独立していますので、バラバラに楽しむことが出来ますし、まあ、ヒマつぶしの読書にはピッタリです。
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