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2024年3月 9日 (土)

今週の読書は経済書3冊に加えてミステリ1冊の計4冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、安中進『貧困の計量政治経済史』(岩波書店)は明治後期から戦前期くらいの日本の貧困を税不納や娘の身売りなどの統計を用いて歴史的な計量分析を試みています。寺井公子 & アミハイ・グレーザー & 宮里尚三『高齢化の経済学』(有斐閣)は、高齢化が進むと教育への公費負担やインフラ整備にマイナスの影響が出るのではないか、という仮説を検証しています。山重慎二[編著]『日本の社会保障システムの持続可能性』(中央経済社)は、内閣府経済社会総合研究所の国際共同研究の一環で、社会保障システムの強靭性(レジリエンス)に付いて分析しています。一本木透『あなたに心はありますか?』(小学館)は、人工知能(AI)の軍事利用について考えさせられる社会派ミステリです。なお、これら4冊の新刊書読書のほかに、エンタメの既刊書読書としてスティーブヴン・キングのミステリ3部作、すなわち、『ミスター・メルセデス』、『ファインダーズ・キーパーズ』、『任務の終わり』の各上下巻計6冊を文春文庫で読みました。これは本日の新刊書読書のレビューではなく、Facebookでシェアしています。
ということで、今年の新刊書読書は1~2月に46冊、3月に入って先週7冊の後、今週ポストする4冊を合わせて57冊となります。今週のブログに取り上げたものについては、順次、Facebookなどでシェアする予定です。

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まず、安中進『貧困の計量政治経済史』(岩波書店)を読みました。著者は、弘前大学の研究者です。本書は、政治経済史とタイトルにあるように、通常の経済書よりはかなり長いタイムスパンで分析を実施しています。といっても、経済ですので通常は近代、すなわち、産業革命以降くらいを対象にするのが暗黙の前提であり、本書では1880年代から1900年前後からが分析対象となります。もちろん、西洋経済史であれば1700年代後半くらいからの分析も少なくありません。その上で、本書では貧困が大きなテーマですので、なぜか、直接的に所得をターゲットにするのではなく、貧困の表れである3点、すなわち、身代限を含む税不納、自殺、娘の身売り、乳児死亡を数量的に分析しようと試みています。デイタは本書でTSCS=Time Series Cross Sectionと命名しているデータなのですが、フツーの経済学であればパネルデータ、さらに、本書では府県別のデータですので、マクロパネルデータといっているものだと思います。私が知る限りはこういう呼び方は初めてです。学問分野が異なれば名称も違ってくる可能性がありますが、普通にパネルデータを分析するソフトウェアとして有名なSTATAでは「パネルデータ」を使っています。たぶん、STATAは経済学と医学の分野でもっとも使われているソフトウェアでしょうから、その他の学問分野では異なるソフトウェアで異なるデータ名称なのかもしれません。それはさておき、通常理解されるパネルデータ分析、明治期から昭和初期までの府県のパネルデータを用いています。まず、破産や税の不納、あるいは、身代限と呼ばれる差押えについては、本書の計量分析の結果として、松方デフレ期に米価と強い相関を示しています。1885年までの松方デフレは増発され続けた紙幣整理を目的とし、米価をはじめとする諸物価を強烈に引き下げて、これが身代限を含む税の不納、特に当時は地租でしたので土地関連税の不納を激増させた、と結論しています。極めて常識的な結論だろうと思います。続いて、自殺についても、警視庁の統計を用いて、松方デフレ期の経済状況が原因との結論を得ています。ただ、土地関連の税不納が及ぼす影響も無視できないとしています。バブル崩壊後の日本でも1990年代後半、特に、1997年の金融危機後に自殺が激増したのは記憶に新しいところです。逆に、待った起源大臣には心当たりがないのが娘の身売りです。その昔は、女性に限らず男性の奉公などもあったのですが、特に注目を集めたのが昭和恐慌からの娘の身売りです。他方、この時期には近代経済の萌芽として製糸工業や鉄道敷設が始まり、鉄道の普及が後進的であるとみなされている北海道や東北地方では娘の身売りに正の相関がある可能性が示唆されています。そして、製糸業は農家の現金収入を増加させた一方で、需要や価格の変動を通じて農家経済が世界と連動してしまう可能性もあり、製糸業の繭生産が減少すると娘の身売りが増加するという関係も見られます。最後に、乳児死亡については、日本というより世界のパネルデータを分析しており、民主化が長期的に乳児死亡率を低下させる結果が示されています。最後に、基本的に常識的な結果が示されていると私は考えていますが、ややデータの扱いが不明な部分があります。サンプル数がやや小さい気がするのでGMM分析にはムリがあるとしても、特に、ダイナミックパネルの分析がなされておらず、短期と長期の分析をもう少し掘り下げて欲しい気がします。

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次に、寺井公子 & アミハイ・グレーザー & 宮里尚三『高齢化の経済学』(有斐閣)を読みました。著者たちは、それぞれ、慶應義塾大学、カリフォルニア大学アーバイン校、日本大学の研究者です。本書は、この3人の著者が英語で書いた The Political Economy of Population Aging: Japan and the United States を基にしています。ただし、単純な邦訳ではないようです。本書も日本では都道府県別、米国も州別くらいのパネルデータ、マクロパネルデータを用いた分析を行っています。仮説として分析対象としているのは次の3点です。すなわち、高齢化により、高齢者の利益促進、あるいは、長期的な政策課題に対して否定的な作用があるのではないか、ということで、第1に、高齢化により教育への政府支出にネガティブな影響があるのではないか、これは人的資本への投資が過小になるリスクといえます。第2に、インフラへの政府支出へのネガティブな影響です。これは物的資本への投資が過小になるリスクです。そして最後に第3に、企業誘致やそれに基礎を置く雇用促進に不熱心で、法人税率の引下げや最低賃金の上昇に関心が低い、ということになります。これらにの3点については、内生性も考慮して操作変数法も活用しつつ、まあ、何と申しましょうかで、少なくとも日本については常識的な結果が示されています。高齢者比率が高いと中央及び地方政府の教育費支出が低くなり、同時に、インフラへの支出も低水準となります。ただ、最低賃金については引上げに対する高齢者の高いサポートがあります。これは、本書でも指摘しているように、定年を過ぎた高齢者が最低賃金で雇用されるケースが日本では非常に多くなっている、という現状の雇用・賃金を背景にしています。ただ、これらの政策志向の分析結果の結論に関しては、私はそもそも疑問があります。すなわち、医療費はもちろん、年金財政も今やほぼほぼすべての国で、日本はもちろん、賦課方式になっていて、現役世代の所得増加は医療保険料や年金保険料の上昇を通じて引退世代=高齢者にも裨益します。すなわち、勤労世代と引退世代の利害は正の相関を有しているのではないか、と私は考えています。政策あるいは財政的なリソースが、特に日本では希少性高く限定的であり、ゼロサム的な配分が前提されているのではないか、そ前提は正しいのだろうか、という疑問です。その点がやや忘れられている気がします。その代わりに、経済学の前提となる超合理的な利己主義ばかりではなく、利他主義を混入させたりするのはどうか、という気がします。もうひとつの疑問は、人的資本やインフラへの投資に影響を及ぼすのは、高齢化比率という水準なのか、あるいは、高齢化比率の変化、加速度なのか、という点にも疑問を感じます。ただ、たぶん、本書で前提しているような高齢者比率のレベルなのだろう、という気はします。1980年代くらいには日本では高齢者比率がまだ低かった一方で、高齢化のスピードはやたらと速かった時期があります。その経験を考えると、高齢者比率が問題であって、高齢化のスピードではないのだろうという点は理解できます。そして、3点めは、本書でもそれなりに考慮されているように、ティボーのいう「足による投票」です。日本の都道府県別、米国の州別のパネルデータ分析ですから、政治的意向を示すのに通常の投票行動、すなわち、自分の政策志向に合致する候補者に投票するだけではなく、都道府県、あるいは州をまたいで、自分の政策志向に合致する地方政府のある都道府県ないし州に移動する、という行為がありえます。少なくとも国境を越える移動よりはコストが小さいことは明らかです。この行為のことを「足による投票」(Voting with the Feet)といいます。ただ、本書では何ら言及されていないのですが、米国というのはこのモビリティが他国と比較してメチャメチャ高い点は指摘しておきたいと思います。大西洋岸の東海岸から、あの広大な国土を横断して太平洋岸の西海岸まで達したわけですから、米国民のモビリティの高さは飛び抜けていると考えるべきです。この「足による投票」に関して、日本と米国を一律に扱うべきかどうかには私は疑問があります。最後になりますが、そうはいっても、極めて常識的な高齢化の影響をフォーマルな定量分析によって確認した、という意味で本書の価値は十分だろうと思います。

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次に、山重慎二『日本の社会保障システムの持続可能性』(中央経済社)を読みました。著者は、一橋大学の研究者であり、本書は内閣府経済社会総合研究所(ESRI)における国際共同研究の成果を一般向けにも判りやすく、という趣旨で取りまとめたものです。ですから、かなり本格的な数量分析も引用したりしていますが、かなり本格的な内容hが理解しやすくなっています。英語の学術論文で読みたい向きには内閣府のサイトにpdfでアップロードされています。ということで、本書は3部構成であり、医療と介護の強靭化、家族と労働力の強靭化、子育て世帯の強靭化から成っています。私はハッキリいって「強靭化」なんていう用語は決して好きでもないし、使いたくもないのですが、ここではどうもresikience の邦訳語として当てているようです。序章と終章を別にして8章あり、繰り返しになりますが、3部構成を取っています。本書の基本的な問題意識のひとつは、医療や介護などの社会保障におけるリソースの不足です。リソースとしては財源と人材が考えられています。ですから、財源だけを必要とする年金についてはほぼほぼ無視されています。と同時に、医療や介護といったほかの社会保障関連の施策についても財源はかなり軽視されている印象です。ですので、リソースの観点はついつい人材に向けられることになっています。その上で、医療については医師の働き方改革がホントに実施されるとどうなるか、そして、何よりも介護の人材確保の取組み、育児についても家庭での子育てに加えて保育園の人材確保などが検討対象となっています。いくつか興味深い結果を私なりに整理すると、まず、昨今の物価上昇の中での社会保障人材の待遇改善なのですが、特に介護職員については、女性の非正規職員として考えれば、介護職に対しては競合職と比較して10~20%の賃金プレミアムが発生していると計測結果が示されています。やや信じがたい結果だと私は受け止めています。その一方で、経済学の理論に反して、賃金率が上昇すれば労働時間が減少するという既存研究が引用されていて、意地の悪い見方をすれば、介護職員に対してはすでに十分なお給料を払っていて、お給料を上げると労働時間が減ってしまう可能性すらある、という政府の立場を強烈に示しているのか、とすら思ってしまいます。直感的には国民一般の理解は得られない可能性があります。それから、少子化対策として重要な役割を果たすことが期待されている保育園の保育費用についても、やや疑問を感じます。従来から、保育費用の効果は欧州と米国で異なっていて、保育費用に対する補助金を増額すると、米国では母親の就業率が高まる一方で、欧州、特に北欧などではすでに十分な補助金が交付されている上に、もともとが女性の就業率が高いので、それほど大きな効果がない、というのは事実です。そして、本書の研究では日本における保育費用の引上げについては、大きな変化をもたらすわけではない、と結論しています。その理由が振るっていて、日本では保育園に漏れる可能性がある、というか、ほかの先進国に比較して漏れる可能性が高く、しかも、その次の年度にチャレンジするための基礎的な条件とされる場合もあり、すなわち、前年度保育園に落ちると次年度に保育園に「当たる」確率が増すなど、保育料金と大きな関係なく保育園に申し込んでいる可能性がある、という理由で保育費用を補助金により引き下げる効果が小さい可能性を示唆しています。どうも本末転倒な議論が展開されているように感じます。また、「東京都保育士実態調査」を用いて、すでに離職した潜在保育士の留保賃金を計算していますが、現役保育士の約3倍という結果が示されていて、やや非現実的な試算結果だと感じるのは私だけではないと思います。いずれにせよ、経済学的な分析ですので基礎となるモデルの設定により、試算結果や結論が大きく変わる可能性があるのは私も認識しています。例えば、本書でも指摘しているように、女性の労働参加率と出生率の間に正の相関があるのか、それとも負の相関があるのか、これはモデルの設定により違いが生じます。でも、本書の結論を見て、政府がEBPMを進めています、といわれるのには少し疑問を感じてしまいます。政策決定はしばしばオープン・クエスチョンになりますから、その昔は、どこかで決まった結論にあわせて理屈をつけていたのですが、現在ではmキチンとしたエビデンスに根拠を置くような政策決定が模索されています。この動きが進むことを願っています。

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次に、一本木透『あなたに心はありますか?』(小学館)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、前作の『だから殺せなかった』で第27回鮎川哲也賞優秀賞を受賞して、新聞記者から作家デビューを果たしています。本作では、人工知能(AI)をモチーフとして、まず、AIに人間のような「心」があるかどうか、次に、AIの軍事利用についてどう考えるか、を考えさせる社会派ミステリです。ということで、主人公は東央大学工学部特任教授の胡桃沢宙太です。交通事故で妻と子供を失い、自分自身も障害を負って車椅子生活を送っています。なお、東央大学は国立大学のトップ校ということですので、東京大学がイメージされているのだと思います。主人公の胡桃沢は盟友の二ツ木教授と産学官共同の巨大研究開発プロジェクトを立ち上げ、助教や研究員などとともに巨大企業も巻き込んでAIに心を持たせる研究をしています。その研究プロジェクトの一環となる講演会のパネルディスカッションで胡桃沢のほかに登壇した4人の研究者のうち、まず一番年配の研究者が壇上で倒れて死亡します。そして、メールで残る3人の研究者の殺害予告が届きます。胡桃沢自身は最後の4人目と予告されています。同時に、東央大学工学部の内部でのAI開発の主導権争いが始まります。断固としてAIの軍事利用を拒否する胡桃沢-二ツ木の研究室に対して、政府の要望や企業の意向に沿ってAI軍事利用を進めようという他の研究室へのデータや資金の移管が画策され、軍需品製造企業のトップも研究室に乗り込んできたりします。そして、予告された連続殺人はどうなるのか、といったミステリとしての進行に加えて、AIの軍事利用に歯止めはかけられるのか、といった政治経済社会的な動向もスリリングに展開します。頭の回転が鈍くて察しの悪い私なんかは、ラストの結末には驚愕しました。レビューの最後に、小説に対するコメントとしてはどうかという気もしますが、AIに「心」があるかどうかは「心」の定義次第だと私は考えています。その上で、私が考える「心」の定義は共感力です。少し脱線すると、その意味で、貴志祐介『悪の教典』の蓮美なんかは心がない、ということになりますし、ほかのホラー小説そのたに登場する人物で共感力のない登場人物はいっぱいいます。そして、共感力のひとつの形、人によっては最高の形というかもしれませんが、それは愛情だと考えています。脱線の最後に、私はホントの意味で「心」があるかどうかは別にして、少なくとも賢い人間やよく教育を施されたAIは、十分に心があるふりをすることが出来る、と考えています。ですから、AIに心があるように振る舞えるようにすることが出来る以上、AIに心があるかどうかの議論、あるいか、AIに心をもたせることが出来るような研究、というのは、まったく意味がないと見なしています。

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コメント

心とAIの問題は、混迷をきたしていますね。IT面からのAI研究者は心も持てるはずだと言っていますが、そもそも人間の心とは何か、意識とは何かを解明していない以上、作れないと思います。ブラックボックスの中に知識とルールを詰め込めば心ができると考える学者たちは、釈迦の仏教を学ぶべきですね。

投稿: kincyan | 2024年3月11日 (月) 19時57分

>kincyanさん
>
>心とAIの問題は、混迷をきたしていますね。IT面からのAI研究者は心も持てるはずだと言っていますが、そもそも人間の心とは何か、意識とは何かを解明していない以上、作れないと思います。ブラックボックスの中に知識とルールを詰め込めば心ができると考える学者たちは、釈迦の仏教を学ぶべきですね。

難しい問題ですよね。
人間の心とは何かが解明されていない限り、AIに心を搭載することは不可能、という議論はそれはそれで説得力あります。でも、心がなにか不明なだけに、何とでも解釈できそうな余地も残されている気がします。

投稿: ポケモンおとうさん | 2024年3月11日 (月) 22時55分

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