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2024年4月13日 (土)

今週の読書は経済学の学術書2冊をはじめとして計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、衣笠智子『少子高齢化と農業および経済発展』(勁草書房)は、世代重複モデルと一般均衡的成長会計モデルを用いたシミュレーションなどによる経済分析結果を集めた学術書です。島浩二『外食における消費者行動の研究』(創成社)は、消費者が外食サービスを選択する際の情報について分析しています。佐藤ゆき乃『ビボう六』(ちいさいミシマ社)は、京都文学賞最優秀賞受賞作であり、長命な怪獣ゴンスはひなた/小日向さんとともに京都の街で活躍します。神野直彦『財政と民主主義』(岩波新書)は、「根源的危機の時代」において新自由主義に代わって経済社会を立て直す公共部門や財政のあり方を論じています。筒井淳也『未婚と少子化』(PHP新書)は、やや的はずれな子育て対策に終止している政府の少子化対策を批判しつつ、さまざまな少子化問題に関する誤解を解消しようと試みています。宮部みゆきほか『江戸に花咲く』(文春文庫)は、江戸の祭りにちなんだ短編5話を収録したアンソロジーです。各短編の出来はいいのですが、アンソロジーとしてはややまとまりがありません。
ということで、今年の新刊書読書は1~3月に77冊の後、4月に入って先週は7冊をレビューし、今週ポストする6冊を合わせて90冊となります。順次、Facebookなどでシェアする予定です。

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まず、衣笠智子『少子高齢化と農業および経済発展』(勁草書房)を読みました。著者は、神戸大学の研究者です。本書の副題は表紙画像にも見られるように「世代重複モデルを用いた理論的計量的研究」となっていて、出版社からも理解できるように、明らかに学術書です。ですので、経済学部で経済学を勉強している、もしくは、勉強していたとはいえ、学部生や一般のビジネスパーソンにはやや難しい内容を含んでいます。大学院修士課程レベルの学術書と考えるべきです。本書は3部構成で各部に3章ずつ配置されています。最初の第Ⅰ部は人口と農業、第Ⅱ部は人口と経済成長、第Ⅲ部は少子高齢化時代の農業と経済、をそれぞれテーマとしています。第Ⅰ部では、私も2021年の紀要論文 "Mathematical Analytics of Lewisian Dual-Economy Model: How Capital Accumulation and Labor Migration Promote Development" で取りまとめたルイス的な開発経済学における二重経済モデル、すなわち、広範に限界生産力がゼロ、もしくは、ゼロに近い余剰労働力を有する農業・農村に対比して、限界生産力に応じて賃金が支払われる近代的な産業部門が発達した都市部の産業を対比し、農業の産業としての特徴を明らかにしようと試みています。特に、二重経済に関しては、私が分析対象とした初歩的なルイス・モデルではなく、非常に精緻な一般均衡的成長会計モデルを用いた分析結果が明らかにされています。また、第Ⅰ部と第Ⅱ部を通じて、経済成長や経済発展と人口の関係についても簡単に取り上げられています。すなわち、学説史的には18世紀的な古典派の世界ではマルサスの『人口論』に基づいて、食料生産は算術級数的にしか増加しないが、人口は幾何級数的に増加するという有名な命題があります。したがって、人口≅経済の伸びが食料生産に制約される、という考え方がある一方で、現在の日本が典型なのですが、人口縮小に伴って経済成長が制約される、という考え方もあります。第Ⅱ部の第5章では、人口や労働の伸び、人口規模、人口密度、平均寿命、年齢構成などに関する都道府県データを用いたシミュレーション分析がなされており、少なくとも、1960年代から90年代にかけての出生率の低下に伴う年少人口の低下や人口の伸び率の低下は経済成長にプラスのインパクトを持ち、いわゆる人口ボーナスが存在したことを確認しています。同じ第Ⅱ部の第6章では世界各国のデータに基づく人口ボーナスの貯蓄率と成長への影響も分析していますが、コチラの方は地域ごとに影響が異なる、という結果が示されています。第Ⅲ部は農業が主たるテーマとなっているようで、私の理解が及ばない部分もありました。特に、第8章の大阪府能勢町における都市と農村の交流に関しては、よく判りません。逆に、第9章では世代重複モデルと一般均衡的成長会計モデルのシミュレーション結果では、寿命が伸びる一方で人口が減少する現在の日本経済では、いずれにせよ資本蓄積の低下がもたらされるものの、農業よりも非農業部門の方にその影響が大きい、すなわち、相対的に農業部門の重要性が高まる、というのは、それなりの説得力を持っていると感じました。いずれにせよ、人口減少はともかく、農業というのは、経済学で正面から取り上げられることの少ない分野であり、こういった本格的な学術書はとても有益だと思います。

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次に、島浩二『外食における消費者行動の研究』(創成社)を読みました。著者は、大阪公立大学の研究者です。本書は、基本的に、マイクロ経済学の視点から取りまとめられています。すなわち、タイトル通りに、外食における消費者の選択をテーマにしています。ですので、経済学とともに、経営学的な要素も大いに含まれています。古典的な経済学では、情報が完全な市場において、生産物の品質(product)と価格(price)により消費者が選択を決定することになります。2pなわけです。しかし、マクロエコノミストの私ですら、今では2pではなく少なくとも4pにまで消費者選択の要素が拡大されていることを知っていたりします。すなわち、生産物と価格に加えて、場所や流通(place)とマーケティング(promote)です。特に、最後の要素のマーケティングが経済学というよりは経営学に近いことは広く認識されていることと思います。携帯デバイスの発達した現在では、こういった消費者が選択に際して必要とする要素がいっぱい増えていて、いったい、いくつのpが上げられるのか、私には理解が及びませんが、本書では消費の最後にあり得る要素として「投稿」(post)まで含めて論じられています。すべての消費に当てはまるわけではないのでしょうが、本書のテーマである外食を考える場合、SNS映えを意識した消費は分析の対象となり得ます。当然です。そこまでいかなくても、マイクロな経済学における選択では情報の果たす役割が大きく、供給サイドと需要サイドで情報が非対称であれば、アカロフ教授らの主張するように古典派的な市場が成立しない可能性もあります。本書では、そういった情報活用に着目した選択理論い基づいて外食について研究した成果を取りまとめています。ですので、まず、古典派経済学的な情報よりも、現代社会では情報過多になっている可能性が指摘されています。もちろん、ネット上にあふれる情報です。他方で、そういった過剰な情報を取捨選択するサイトもいっぱいあります。そして、そういったサイトはブラックボックスになっていて、ひょっとしたら、何らかの不正行為が行われている可能性も消費者サイドからはうかがい知れません。消費者の受け取る情報、本書では「刺激」(stimulus)と呼んでいる情報に、消費者がいかに反応(response)するか、という経済心理学的な分析です。それをいろんなケースに応じて分類しているのがp.35の図2-6で展開されている購買意思決定プロセスモデルです。消費者行動と注意(attention)を引きるけるマーケティングに分けて論じられています。加えて、消費者側には食欲を満たすという生存本能的な欲求だけではなく、マズロー的な意味での承認欲求もあるわけです。本書ではこういったさまざまな消費行動の基を形成する要因についてアンケート調査を実施した結果の分析を行っています。分析は、基本的に、仮想的市場評価法(CVM)により、支払ってもいい額や、放棄して我慢するに際しての補償額などについて調査し、とても有益な分析結果が得られています。プロスペクト理論やフレーミング効果などツベルスキー-カーネマンによる経済心理学の研究成果ともとてもよくマッチしています。また、第8章では、最近時点でのトピックとして、コロナ禍における外食への消費者需要を取り上げており、感染対策の充実を求めつつも、それらのコストを価格にに転嫁することを許容するのはわずかに1/4に過ぎず、デフレ経済ニッポンを象徴しているような気すらしました。

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次に、佐藤ゆき乃『ビボう六』(ちいさいミシマ社)を読みました。著者は、私の勤務校である立命館大学文学部のOGであり、本作品で2021年度の京都文学賞最優秀賞を受賞して作家デビューを果たしています。主人公はひなた/小日向さんという女性とエイザノンチュゴンス(ゴンス)という怪獣です。小日向さんはゴンスといっしょに過ごす時間を持つ一方で、ひなたとしてアルコールを提供するラウンジでアルバイトしながら恋人である達也にやや蔑まれながら同棲する世界とを行ったり来たりします。トイウカ、メタバースなんだろうと思います。小日向さんは、ゴンスといっしょに白いカエルを探して二条城の周辺を夜のお散歩をしたり、木屋町の純喫茶「ソワレ」でゼリーポンチを楽しんだりしますが、ひなたさんとしては、ラウンジのアルバイトでは酔客から嫌な思いをさせられたりします。すなわち、「男の人が、飲み屋の女の子をからかっているときの顔。自分が圧倒的に優位だとわかっているときのみ男性が発揮する、この世で一番しょうもないサディズム。」と表現したりしています。ひなたさんは、同棲している達也から「おまえが天使とか、似合わなさすぎ」とけなされながらも、小日向さんとして背中の羽で空を飛んで事情上近くで白いカエルを探しに出かけます。ということで、ひなた/小日向が入り混じって、小日向さんの方には怪獣のゴンスが登場してと、とても不思議な小説です。私程度の読者のレビューでは、この小説の魅力を伝えきることは出来ないような気すらします。ひなたさんとしては、アルバイト先の酔客はもちろんのこと、同棲している恋人や育ててくれた祖母からさえも、やや見下されて生きてきた主人公なのですが、小日向さんとしては、長命のゴンスはそんな彼女に優しく接して、いっしょに白いカエルを探します。このゴンスという怪獣が不思議な存在です。手足が6本あるといいます。本書では「たいへん長生きの怪獣」とだけ紹介されていて、年数は明記していないように記憶していますが、出版社の宣伝文句などでは「千年を生きる怪獣ゴンス」と言及されていたりします。表紙画像の左側はそうなんだろうと思いますが、出来れば、ビジュアルにもより詳しくどういった怪獣なのかを知りたいと考えるのは私だけではないと思います。京都文学賞に応募しただけあって、京都のいろんな名所が登場します。小日向さんがゴンスと出会ったのは二条城でしたし、木屋町や祇園、そして、北野天満宮の縁日にもゴンスと出かけたりします。私は京都の南の方の出身ですが、本書では衣笠キャンパスに通学していた経験ある作者らしく、京都の北の方の紹介が中心になります。縁日、ということになれば、本書で言及されている北野天満宮の天神さんとともに、京都の南方では当時の弘法さんも有名です。毎月21日が弘法さん、25日が天神さんです。いずれにせよ、京都やファンタジー小説が好きな向きには大いにおすすめします。

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次に、神野直彦『財政と民主主義』(岩波新書)を読みました。著者は、東大名誉教授の研究者であり、ご専門は財政学です。実は、未読ながら Financial Times 紙のジャーナリストが書いたマーティン・ウルフ『民主主義と資本主義の危機』をつい最近勝ったのですが、まさに、本書の問題意識も同じところにあります。すなわち、マルクスの『資本論』ですら資本主義と民主主義は親和性あるものと示唆しているのですが、1980年代からの新自由主義=ネオリベ的な政策の採用により、政治的な民主主義と経済的な資本主義の乖離が目立つようになっています。経済的な格差や貧困が拡大し、環境破壊が進んで気候変動が深刻化しているわけです。すなわち、政治的な民主主義はすべての人の平等な権利や義務に基礎をおいている一方で、格差の大きい経済面ではすべての人は決して平等ではなく、保有する購買力、富または所得によって裏打ちされている経済力によってウェイト付けされているわけです。株式会社の株主総会の決定方式を想像すればいいかと思います。ですから、問題は経済力による支配を政治の面まで拡大しようとする方向性がある一方で、それに対抗して、政治的な平等を経済政策の分野まで拡大して格差の縮小や貧困、さらには、別の観点ながら、気候変動の抑制まで視野を広げようとする方向です。別の見方が提供されていて、前者の方向はコモンを縮小して私的領域を拡大することであり、後者の方向性はコモンの拡大とする見方もあります。たぶん、厳密にはビミョーに異なるのでしょうが、お起きは方向性としてはほぼ同じであり、少なくとも協力共同する可能性は大きいと私は想像しています。その民主主義的な政治的決定を経済、特に、市場に持ち込もうというひとつの手段が財政です。広く知られたように、財政は歳出にせよ、歳入=税収にせよ、議会の多数決により決定される財政法定主義を取っています。国民多数の意見が反映されるシステムといえます。その意味で、本書のテーマとなっているわけです。しかし、実際には、国民の意見が反映されていると感じる人の割合はどれくらいあるのでしょうか。実際には、「誰かエラい人」、あるいは、政治家が国民の意見とはかけ離れたことを決めている、と感じている人は少なくないと思います。パーティー券の売上を裏金にしたりして、どんなにあくどいことをしても政権交代という形で国民の声が反映されう余地は限られています。こういった私の問題意識を本書では、「根源的危機の時代」と呼んでいます。ですので、私も本書の方向性には大いに同意する部分があります。ただ、北欧のシステム礼賛はいいのですが、我が国のロールモデルになるかどうかは、やや怪しいとは思います。

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次に、筒井淳也『未婚と少子化』(PHP新書)を読みました。著者は、立命館大学の研究者ですが、私とは学部もキャンパスも違います。ご専門は家族社会学だそうです。本書でノッケから批判しているのは、政府の少子化対策が子育て対策に終止している点です。私も基本的には同じ考えであり、我が国では婚外子の割合が諸外国と比較してやたらと低いので、子育て対応を考えるず~と前に結婚促進、別の見方をすれば未婚・晩婚対策を重点的な目的のひとつにすべきだと主張しています。諸外国、特にフランスで婚外子の割合が高いのは、我が国でいうシングルマザーの割合が高いというのではなく、法律婚ではないカップルの割合が高いからです。その点も本書では適確に主張しています。その上で、本書では結婚に対する意識についても的確に主張していて、いい条件の結婚相手がいれば、結婚希望は高まるのは当然です。実際に、本書では3000万円の年収などを例示していますが、年収などの経済的な条件が重要な比率を占めるのは当然です。ですので、結婚適齢期という表現はもはやよろしくないのかもしれませんが、結婚を考える年齢において十分な経済的余裕があるかどうかが重要であろうと考えるべきです。もちろん、いわゆる「出会い」がないのが未婚率の上昇につながっている面があるのも確かなので、地方自治体が後援しているような婚活パーティーのようなイベントも決して不要というわけではありませんが、まずは、基礎的な条件として所得の増加を重視すべきです。所得の低下と出生率の低下は連動しているのではないか、と私は考えているのですが、それを計量的に確認した研究成果は今までのところそれほど蓄積されているわけではないように思えます。本書の目的のひとつは、少子化に関する誤解を解くことであろうかとも思いますので、本書にそこまでは望まないのですが、少なくとも結婚生活が送れる所得を政策目標のひとつに組み入れることは意味ないわけではないと思います。ただ、私が知る限りでも、十分安定的で結婚生活を送るにふさわしい所得を得ている人々でも結婚していない人がいっぱいいるわけで、その点については本書でも十分な分析がなされているとは思えません。おそらく、マクロの思考ではそういった個人の選択の問題を解明するのには限界があると思います。本書の冒頭で主張されているように、国家としてのグランドデザインの問題かもしれません。経済的な生産や消費の問題だけではなく、国防や安全保障の観点も動員しつつ、国家としての適正な人口規模を考える必要があるのかもしれません。

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次に、宮部みゆきほか『江戸に花咲く』(文春文庫)を読みました。5人の著者による江戸時代を舞台とする時代小説のアンソロジーです。ただ、私の感触では、タイトルと内容なチグハグです。「江戸の花」といえば、火事と喧嘩であると相場が決まっているのですが、本書ではなぜか祭りを主体においています。その祭りも大きな天下祭2つを中心にしていて、やや重複感があります。天下祭2つとは、すなわち、浅草の三社祭と神田明神の神田祭です。私は60歳の定年まで東京住まいで独身のころは浅草にほど近い三ノ輪橋の下町に住んでいましたので、三社祭の影響圏内でした。少し懐かしく感じます。ただ、どちらも天下祭であって、なぜそう呼ばれるかといえば、江戸城内まで入り込んで将軍のお目もじにかかるからです。ということで、収録作品とあらすじは以下の通りです。まず、西條奈加「祭りぎらい」は狸穴屋お始末日記シリーズの作品で、浅草三社祭を舞台にします。笛職人で祭囃子に使う笛も作っている親方の家から入り婿が離縁されようとしている問題を、離縁を専門とする公事宿「狸穴屋」が解決して復縁を図ります。諸田玲子「天下祭」では、2つの天下祭と並ぶ日枝神社の山王祭を舞台にして、武道の達人だった伊賀者の初老の男の屋敷に、何とお庭番の忍びの娘が押しかけてきて、沸き起こる騒動を描き出しています。三本雅彦「関羽の頭頂」は運び屋円十郎シリーズの作品で、モノや理由を詮索することなく淡々と運ぶハズの円十郎がいろいろと考えを巡らせます。祭の山車の描写がとても巧みで、そういった祭の中の動きや展開がとてもスピーディで楽しめます。高瀬乃一「往来絵巻」は貸本屋おせんのシリーズで、神田祭の豪華な絵巻を名主が注文したのですが、出来上がった絵には10人いるはずの人々の中から1人欠けている人がいて、その時間差からある出来事が推理されます。最後に、宮部みゆき「氏子冥利」は三島屋変調百物語シリーズの作品で、神田祭で小旦那の富次郎が助けた老人から不思議な話を聞き出します。怪談であって、在所での非道な行為が含まれているのですが、「人殺し」として自分自身を責める老人に関しては心温まる結果を引き出しています。収録された短編の中では質量ともに頭ひとつ抜けている気がします。ハッキリいって、繰り返しになりますが、火事でも喧嘩でもないのに「江戸の花」を称するのには疑問が残りますし、祭りを舞台にしているほかは特段のテーマもなく、いろんな有名作家のシリーズからつまみ食いして寄せ集めた印象があるのは確かです。でも、一話一話は完成度が高くて読み応えあります。個別の作品で評価すれば高い評価になりますが、アンソロジーとしてはそれほどではないかもしれません。各作家の作品はいい出来で、編集者は凡庸といえるかもしれません。

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