今週の読書は古典派経済学の経済書や統計学の本のほか小説も含めて計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、トーマス・ゾーウェル『古典派経済学再考』(岩波書店)は、社会哲学、マクロとミクロ、方法論の観点から古典派経済学の真髄に迫ります。デイヴィッド・シュピーゲルハルター『統計学の極意』(草思社)は、それほど数式に頼らず豊富な実例について確率と統計から解説を試みています。原田泰『日本人の賃金を上げる唯一の方法』(PHP新書)は、国を上げて生産性向上を妨害している、と独特の語り口で解説しています。くわがきあゆ『レモンと殺人鬼』(宝島社文庫)は、とてもよく出来たサスペンスフルなミステリで、アット驚くラストが待ち構えています。宮内悠介『スペース金融道』(河出文庫)は、宇宙を舞台にした金融会社の取立て業務をコミカルに表現したSF小説です。中島京子ほか『いつか、アジアの街角で』(文春文庫)は、アジアにまつわる女性作家の短編を収録したアンソロジーです。
ということで、今年の新刊書読書は1~5月に128冊の後、6月に入って本日は6冊をレビューし合わせて134冊となります。順次、Facebookやmixi あるいは、気が向けばAmazonなどでシェアやレビューする予定です。
まず、トーマス・ゾーウェル『古典派経済学再考』(岩波書店)を読みました。著者は、米国のエコノミストであり、現在はスタンフォード大学の研究者です。ご専門は経済学史、社会思想史だそうです。本書の英語の原題は Classical Economics Reconsidered であり、1974年の出版の後、1994年にペーパーバック版が出版されています。本書はペーパーバック版の邦訳です。ということで、本書ではタイトル通り、古典派経済学について4つの章から成り、4つの側面からの再評価を試みています。すなわち、社会哲学、マクロ経済学、ミクロ経済学、方法論の4章構成となっています。まず、社会哲学の冒頭章の中で、古典派経済学のスコープを論じていますが、これはそれほど難しくない気がします。重商主義を批判し否定したスミス『国富論』に始まって、リカードォが完成させた、と本書では考えていますが、要するに、ワルラスやジェヴォンズなどによる限界革命の前まで、ということになります。ほぼほぼ、異論ないところだろうと思います。ただ、本書ではマルクスも古典派経済学に含めています。第1章の社会哲学は、人口に膾炙した一言でいえば自由放任=レッセフェールということになります。他方、社会とは貴族社会と考えられているものの、土地所有からの地代については批判的ないし否定的な見方が提供されています。奴隷制についても個人的なリベラリズムから反対する古典派エコノミストは少なくないものの、経済学的な考えは明確ではないような気がします。続いて、第2章の古典派マクロ経済学の中心にはセイの法則が据えられています。そうです。供給が需要を作り出すというセイの法則です。ケインズが徹底的に否定したセイの法則です。私は誠に申し訳ないながら、このあたりの理解ははかどりませんでした。ただ、古典派経済学のマクロ経済学では成長の問題が重要であり、本書では言及されていませんが、ソロー=スワンの新古典派成長論につながるのであろうという点は理解しました。第3章のミクロ経済学で中心的な役割を果たすのは収穫逓減の法則です。ペティ=クラークの法則により、古典派経済学隆盛の時期は英国ですら第1次産業の従事者が過半であったろうと想像されますが、農業には典型的に収穫逓減の法則が成り立つ一方で、製造業では収穫一定ないし規模の経済が働きます。時代背景に従って、価格理論が発展してきたことが実感されます。最後の第4章の方法論は、私は少しムチャな気がしました。著者も、「古典派経済学自体は他と比べて殆ど語るべきものをもっていない」(p.101)と指摘しています。でも、モデル、因果律、数学の役割、科学、などについて論じています。本書はかなり難解な内容なのですが、この最後の第4章がもっとも難解です。
次に、デイヴィッド・シュピーゲルハルター『統計学の極意』(草思社)を読みました。著者は、英国ケンブリッジ大学の研究者であり、医学統計学への貢献によりナイトを叙爵されています。本書の英語の原題は The Art of Statistics であり、2019年の出版です。ということで、本書は9章構成であり、著者の専門分野である医療統計や犯罪統計を例にして解説しています。したがって、私の専門分野である経済統計はほとんど現れません。9章を順に簡単に追うと、カテゴリーカルな質的データ、連続変数の数値データ、母集団と測定、因果関係、回帰分析による関係性のモデリング、アルゴリズムと分析・予測、標本の推定と信頼区間、確率、確率と統計の統合、となります。私は興が乗ると「統計と確率は基本的に同じ」と学生に説明することがありますが、本書でも最後の方は同じ考えにたった統計学の解説が行われています。それはともかかく、本書を読みこなすには高校レベルの数学の基礎は必要です。出版社のサイトでは「数式は最小限」という宣伝文句が見られますが、数式だけでなく数学の基礎知識は必要です。邦訳者も文学部の英文科のご出身とかではなく、お茶の水女子大学大学院理学研究科数学専攻修了の方だったりします。私が教えている経済学部生は、高校レベルの数学はすでに怪しい場合が少なくなく、専門家である高校の数学教師が出来なかったことを、大学の経済学の教師である私に出来るはずがないと諦めています。ただ、数式が少ないことは確かで、しかも、数式を延々と解いていく論文形式ではなく、実務的な問題や課題を中心に据えてトピックを展開していますので、判りやすい気はします。例えば、冒頭から、英国のシリアルキラーだった医師について、統計学ではどの段階で止めることが可能であったかの確率、というか、蓋然性を考えたり、近所に有名大手スーパーがあると住宅価格がどれくらい上がるかを考えたり、といったところです。いずれも統計的な確率分布で信頼性のある数字が推計される可能性があります。いずれにせよ、本書で取り上げているようなデータサイエンスはディープラーニングやそれに基づく人工知能(AI)といった最先端技術の基礎となることはいうまでもなく、そのような最先端技術を直接に扱ったり、仕事として従事したりするわけではないとしても、一般教養的に情報として持っておくことは必要です。加えて、類書でも散々指摘されているように、統計やグラフの書き方、あるいは、アンカーをどこに置いてしゃべるかなどで、人の受ける印象は一定程度変わってきますし、そういった情報操作的な手法に騙されないリテラシーも現代では必要です。ただ、Amazonのレビューを見ていると、極めて高い評価とそうでないものと両極端に分かれている気がします。ちょっと難しいかもしれませんが、理解できれば面白いと思います。でも、理解が及ばないと面白くないかもしれません。ビミョーな気はしますが、私は面白かったです。
次に、原田泰『日本人の賃金を上げる唯一の方法』(PHP新書)を読みました。著者は、官庁エコノミスト出身で日銀政策委員も務め、現在は名古屋市立大学の研究者です。一応、私はこの著者との共著論文「日本の実質経済成長率は、なぜ 1970 年代に屈折したのか」を書いていたりします。ということで、本書のタイトルの質問に対する回答は、三段論法よろしく何段階かの論法になっているのですが、まず、第1段階は極めて常識的に生産性が上がらないから賃金が上がらない、ということに尽きます。しかし、第2段階でどうして生産性が上がらないかというと、政府や企業やメディアなどがこぞって生産性を向上させることを妨害している、というやや突飛な発想になります。ただ、その解決策は割合と常識的であって、高圧経済を達成して人手不足の経済を達成することが重要、ということになります。具体的な分析や政策的なインプリケーションは私自身の考えと一致する部分もあります。例えば、キャッチアップの余地がまだ大いに残されている、とか、日本は投資不足である、とかの本書の主張は私もほぼほぼ全面的に同意します。政府が成長戦略により成長率を高めることが難しい、というか、政府の成長戦略は成功することに対して否定的なのもご同様です。そんなことを政府ができるのであれば、目端の利いた民間企業がとっくにやっていると私は思います。その意味で、経済産業省の目指すような国家統制のもとでの経済成長に期待すべきではありません。財政赤字が成長の制約条件となるというロゴフ教授らの見方に反対であるというのも私は同じです。昨年の紀要論文 "An Essay on Public Debt Sustainability: Why Japanese Government Does Not Go Bankrupt?" で示したところです。ただ、本書の主張とは違う点も大いにあります。少なくとも所得分配を改善してより平等な所得を実現できれば、私は成長率は加速すると思っています。限界消費性向の高い低所得層に所得を分配すれば消費が伸びるのはかなり明らかだと思うのですが、本書では否定しています。もうひとつ異なっているのはアベノミクスの評価です。私は第2次安倍内閣発足直後の2013年の財政政策は評価しています。しかし、2014年と2019年と2度に渡った消費税率の引上げはどうしようもなく間違っていましたし、最近では2013年に就任した黒田日銀総裁による異次元緩和も少し疑問視し始めています。理由は簡単で、デフレ脱却が出来なかったという実績に加えて、コロナ後に東京の住宅価格が高騰するという副作用が大きく目につくようになった、と考えるからです。異次元緩和の最中、それも最近まで割合と金融緩和は高く評価していたのですが、最近になって少し評価を変更しつつあります。ケインズ卿と同じです。すなわち、"When the facts change, I change my mind - what do you do, sir?" ということです。
次に、くわがきあゆ『レモンと殺人鬼』(宝島社文庫)を読みました。著者は、京都府ご出身の小説家ですが、専業の作家さんではないようなことを聞いた覚えがあります。記憶はやや不確かです。2021年に第8回「暮らしの小説大賞」を受賞した『焼けた釘』でデビューし、本作品は2023年の第21回『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ受賞作です。ということで、主人公は小林美桜、大学事務室に派遣職員として働いています。10年前に、そこそこはやっていた洋食屋経営の父親恭司が通り魔の少年に殺されて、母親寛子も失踪し、妹の妃奈とは別の親戚に引き取られて、不遇な人生を歩んできています。その上、生命保険外交員だった妹の妃奈の遺体が発見され、しかも、その妃奈に保険金殺人のウワサが立ったりします。ちょうどそういったタイミングで、父親を殺害した当時14歳だった少年の佐神翔が10年を経て出所したりします。そういった中で、妹の潔白を信じて疑惑を晴らすべく、主人公が行動を開始します。大学内に協力してくれるジャーナリスト志望の経済学部4年生の渚丈太郎を見つけ、真相解明に乗り出します。ほかに、主人公が有償ボランティアという名の副業を始める学童クラブの後に子どもたちを預かるボランティア活動している農学研究科の院生である桐宮証平、大学事務室の同僚派遣職員である鹿沼公一、中学のころにいじめられた海野真凛は協力者の渚丈太郎の恋人であるとともに一緒にボランティア活動をしたりして気まずい思いをします。こういった登場人物に囲まれて、妹が付き合っていたレストラン経営者の銅森一星に話を聞きに行こうとしたり、その銅森一星の用心棒の金田拓也から妹の話を聞いたり、サスペンスフルなストーリーが展開します。基本的にミステリの謎解きですので、あらすじはここまでとします。でも、ミステリといいつつ、いわゆる謎解きに当たる名探偵は登場しません。最後の最後に、犯人が主人公を殺害しようとして真相が明らかにされるタイプのミステリです。私は頭の回転が鈍いので、意図的にミスリーディングな作者の展開にすっかり騙されましたが、私だけではなく騙される読者は少なくないものと思います。いろんな伏線がいっぱいばらまかれていて、最後には見事に回収され、衝撃的などんでん返しとなります。ただ、どこかに既視感がある気がしたのは、我孫子武丸『殺戮にいたる病』とプロットが似ています。名探偵が登場しない点も似ています。共通するのは読者をミスリードするバラバラな視点、アチコチと前後する時系列、それぞれの視点からの観察結果が記述され、そういったバラバラかつアチコチなストーリーが一気に加速してラストを迎えます。最近では、なかなか完成度の高いミステリ読書だったと感じています。オススメです。
次に、宮内悠介『スペース金融道』(河出文庫)を読みました。著者は、ワセダミステリクラブ=通称ワセミスご出身のSF作家、ミステリ作家であり、SFでもミステリでもない昨年の『ラウリ・クースクを探して』で直木賞候補にノミネートされています。ということで、本書はタイトルのスペース=宇宙から容易に想像される通り、SF作品となります。主人公は金融会社である新星金融で働いていて、イスラム教徒であり量子金融工学の研究をしていた経験を持つユーセフの部下として取立て業務に携わっています。舞台は人類が最初に移住に成功した太陽系外の惑星、通称「二番街」であり、新星金融の二番街支社に所属しています。要するに、少し前までの日本の消費者金融と同じで、小売の資金を貸し付けては、かなり過酷に取り立てるわけです。「バクテリアだろうとエイリアンだろうと、返済さえしてくれるなら融資する。そのかわり高い利子をいただきます。」というのがモットーになっています。また、ユーセフが主人公に何度も復唱させる企業理念は「わたしたち新星金融は、多様なサーボスを通じて人と経済をつなぎ、豊かな明るい未来の実現を目指します。期日を守ってニコニコ返済」というのもありますし、取立てについては「宇宙だろうと深海だろうと、核融合炉内だろうと零下190度の惑星だろうと取り立てる。」と、ユーセフが何度も繰り返し発言します。本書は5章構成となっていて、表題章が冒頭に置かれているスペース金融道、続いて、スペース地獄篇、スペース蜃気楼、スペース珊瑚礁、スペース決算期、となります。舞台となる二番街では、いかにもSFらしく、人間よりも数の少ないマイノリティながらアンドロイドがいっぱいいて、実は、新星金融の主要な顧客はアンドロイドらしく、ユーセフと主人公が取り立てる対象はアンドロイドばっかりです。もちろん、マイノリティですのでアンドロイドは人間から差別を受けているのですが、なぜか、二番街の首相はアンドロイドのゲベイェフが選ばれていたりもします。そのアンドロイドに関して、アシモフが『われはロボット』をはじめとする一連のシリーズで設定したルール「ロボット工学の三原則」になぞらえて、新三原則が課されています。潜在的なスペックは人間よりもアンドロイドの方が高いわけですから、少なくとも知性の面で人間を超えないようなルール設定がなされているわけです。以下の通りです。
- 第1条
- 人格はスタンドアロンでなければならない
- 第2条
- 経験主義を重視しなければならない
- 第3条
- グローバルな外部ネットワークにアクセスしてはならない
第1条は人格の複製や転写を禁じるもので、第3条は知識の面で制限するためです。第3条に基づいてアンドロイドはグローバルなwebへのアクセスが禁じられており、アンドロイドの間だけのネット空間である暗黒網=ダークウェブだけにアクセスしています。第2条は判りにくいものの、「黒猫が前を横切ると不吉の前兆」といったジンクス的なものを取り入れて、アンドロイドを人間っぽくすることを主眼としています。といった前提ばかりが長くなりましたが、主人公が上司のユーセフに振り回されつつ、回収額を超えるコストがかかっていそうな取立てをして、とても酷い目に合うわけです。なぜか、カジノで自分の臓器をチップに変えてポーカーをやったり、差別主義的な人間原理党の党首に祭り上げられて、人間票を分割してゲベイェフの再選のために犠牲になったり、というわけです。そのあたりは読んでいただくしかありませんが、とてもテンポのよい文章で、ユーモアのセンスも抜群ですので、とても楽しめる読書でした。
次に、中島京子ほか『いつか、アジアの街角で』(文春文庫)を読みました。著者は、6人の女性作家です。収録順に、簡単にあらすじを追っておきたいと思います。まず、中島京子「隣に座るという運命について」の主人公は女子大生の真智です。知った人もいない大学生活が始まって、隣の席に座ったよしみで仲良くなった「よしんば」に誘われた文芸サークルで偶然に出会ったエイフクさんの名前の通りに台湾に思いが飛びます。桜庭一樹「月下老人」のタイトルは、台湾の民間信仰の縁結びの神様です。舞台は、大久保のイケメン通りにほど近い道明寺探偵屋なのですが、火事を出した台湾料理屋がそこに転がりこんできて、火事にまつわる誤解が解明されます。島本理生「停止する春」はややディストピアのストーリーです。東日本大震災から11年を経て、社内の「黙とうをささげます」の放送がなくなり、主人公は勤続15年になるのですが、会社を休みます。少し不安定な主人公の心の動きが気にかかります。大島真寿美「チャーチャンテン」は、台湾ではなく香港です。1997年夏の香港でお腹のなかにいた子は、2022年に東京で働くことになり、初めての東京勤務を心配した友人から会ってやってくれるように依頼されますが、まったく何の心配もなく、逆に、東京にある香港に擬した一角に連れて行ってもらいます。宮下奈都「石を拾う」は、タイトルの石ではなく、むしろ、マグマの方がふさわしいかもしれません。外国人の同級生に対する陰湿なイジメに、小学生の主人公の身体の中にある活火山が噴火します。でも、そのマグマが固まった火成岩を見て、主人公は地球はマグマで出来ていると感じます。角田光代「猫はじっとしていない」では、19年飼って1年前にいなくなった愛猫のタマ子が、夢の中に出てきて台湾にいると告げられた主人公は、もちろん、台湾に向かい、猫がいっぱいの猫村を訪れます。最後に、「チャーチャンテン」では、ラストに主人公が金髪にして出社して、周囲が仰け反ったり、「グエ」と声を上げたりするシーンがあります。実は、私も頭髪がさみしくなってきて、できれば、丸刈りにしたい、でも、何らかの差し障りがあるかもしれないので、息子の結婚式の後に丸刈りにする、という人生プランを持っています。早く結婚してくれないものかと待ち望んでいますが、まだ先は長そうな気がします。
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コメント
新三原則面白いですね。確かにスタンドアロンじゃないとAIの個性は崩れていくかもしれません。経験値も尊重しませんと、個性は生まれないでしょうしね。
投稿: kincyan | 2024年6月 2日 (日) 09時25分
>kincyanさん
>
>新三原則面白いですね。確かにスタンドアロンじゃないとAIの個性は崩れていくかもしれません。経験値も尊重しませんと、個性は生まれないでしょうしね。
アシモフのロボット三原則になぞらえて、アンドロイド新三原則を作者が創作しています。とてもよく考えられています。ただ、やってることは『ナニワ金融道』と同じ過酷な取立てです。滞納しているのがアンドロイドで、舞台が宇宙であるという新規性あふれるSF金融小説です。
投稿: ポケモンおとうさん | 2024年6月 2日 (日) 14時57分