今週の読書は経済書からエンタメ小説まで計7冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、山川哲史『市場が見た日本経済』(金融財政事情研究会)では、海外投資銀行ご勤務の経験から、金融市場の視点から見た日本経済論、円資産を中心とした金融市場論が展開されており、各章も海外投資家によるトレーディングに応じた構成です。マクロ経済と金融市場の乖離の視点はありません。高橋和志・樋裕城・牧野百恵[編]『実証から学ぶ開発経済学』(有斐閣ブックス)では、途上国や新興国における開発案件の選定に関する実証的な研究成果が集められています。ただ、ミクロの案件選択問題ばかりですし、戦後日本の経済発展の経験を活かすという視点は見られません。上條一輝『ポルターガイストの囚人』(東京創元社)は、前作『深淵のテレパス』に次ぐ「あしや超常現象調査」シリーズ第2段であり、幽霊屋敷のような古い一軒家におけるポルターガイスト現象を芦屋晴子と越野草太らが解明しようとするホラー小説で、ラストはアクションの要素も入っています。円居挽『京都市民限定で求人が出ているとあるバイトについて』(角川書店)は、京都を舞台にしたホラー小説です。地方出身で京都に下宿する主人公の大学生が留年し5回生になって親元からの仕送りを止められたため、古道具屋の女主人から怪しげな高額アルバイトを次々と請け負います。森バジル『探偵小石は恋しない』(小学館)は、福岡にある探偵事務所を舞台に、浮気などの素行調査を通じて、様々な謎を解明するのですが、とても不自然、というか、小説を書くために設定されたような謎が多く、本格ミステリとしては評価が分かれるところだと思います。岩城一郎『日本のインフラ危機』(講談社現代新書)は、高度成長期に整備されたインフラの老朽化が進んでいる中で、前半はインフラ老朽化について、後半はご専門のコンクリート構造物のメンテナンスなどについて、国民生活のライフラインの重要性の観点から議論しています。海老原嗣生『外国人急増、日本はどうなる?』(PHP新書)は、タイトルから想像されるヘイト系ではなく、外国人の犯罪比率などをデータで示して誤解の解消に努めるとともに、人材としての外国人をどう考えるかを論じています。人手不足解消の守りの立場とともに、知日家を育てる攻めの姿勢も強調されています。
今年2026年の新刊書読書は、1月中に24冊、2月に入って先週までに13冊、今週の7冊を加えて合計24冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、大山誠一郎『アリバイ崩し承ります』と『時計屋探偵の冒険』(実業之日本社)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。
まず、山川哲史『市場が見た日本経済』(金融財政事情研究会)を読みました。著者は、日本銀行から外資系投資銀行、すなわち、ゴールドマン・サックス証券とバークレイズ証券を経て、現在は立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部の教授を務めています。私はゴールドマン・サックス証券のチーフエコノミストをされていたころに1度か2度かお会いしたことがります。本書は冒頭で明記されているように、「金融市場の視点から見た日本経済論であり、円資産を中心とした金融市場論である。」ということになります。ですので、章構成は海外投資家による7大トレード、すなわち、日本化トレード、脱デフレトレード、正常化トレード、機会主義トレード、割安トレード、日本売りトレード、匍匐前進トレード、ということになっています。多くのエコノミストが注目しているマクロ経済指標や統計、あるいは、それらに基づく景気循環といったものではなく、株式+債券というくくりの証券を中心とする金融市場の動向を通じて日本経済をひも解こうと試みています。その試みが成功であるかどうかは、まあ、読者次第なのかもしれませんが、私は基本的に懐疑的です。なぜなら、第1に、バックグラウンドに理論モデルが見えないからです。したがって、因果関係や相関関係も不明で、金融市場における証券価格の動向がそこにあるだけで、何で決まるのかについての解説に欠けています。第2に、金融市場は経済のファンダメンタルズと乖離することがあるからです。乖離してもいいから金融市場でひと儲けしたい、という向きにはいいのかもしれませんが、どちらに乖離するかは、ある意味で、ギャンブルですから、金融市場へのベットもギャンブルの要素を含む可能性がある、と私は考えています。ですから、私は金融市場の証券価格動向よりは雇用の質と量を重視するエコノミストでありたいと願っています。ただ、強く同意するのは、足元の株式市場の高騰は脱デフレに基づいていてる、という見方です。政府や日銀は慎重に「脱デフレ」とはいいませんが、少なくとも、現在の物価が日銀目標を上回っていることは明らかで、株式価格が上昇しているのはこの物価上昇と連動している面があります。ですから、逆に、昨日2月20日に公表された消費者物価上昇率(CPI)、生鮮食品を除く総合のコアCPIの上昇率が日銀目標の+2%近傍にまで落ち着いてきましたので、先行き物価上昇がさらに鈍化すれば、株式相場の上昇が終了する可能性もあります。もしも、物価上昇が鈍化しても株式相場の上昇が終わらなければ、それはバブルの要素が入っている可能性もあります。最後に、海外投資家の7大トレードにはいちいち英訳がつけられていて、7大トレード以外にも英語表現が明記されているものがあるのですが、少なくとも「匍匐前進」はMuddling thoughではなく、crawling forwardではないかと思います。まあ、泥っぽい表現にしたい気持ちは判ります。
次に、高橋和志・樋裕城・牧野百恵[編]『『実証から学ぶ開発経済学』(有斐閣ブックス)を読みました。編者は、順に、政策研究大学院大学教授、上智大学経済学部准教授、アジア経済研究所主任調査研究員となります。本書は4部構成であり、農村開発、人的資本、産業振興、政治経済的アプローチ、の各部で構成されています。少しわかりにくいのが最後の政治経済的アプローチなのですが、ノーベル賞を受賞したアセモグル教授のような制度論、あるいは、汚職などが取り上げられています。冒頭のはしがきで明記されているように、本書は同じ出版社によるジェトロ・アジア経済研究所[編]『テキストブック 開発経済学』の後継書という位置づけになっています。私はその『テキストブック 開発経済学』は読んでいて、もしも、私が開発経済学を大学で教えることになれば教科書として使おうというくらい、とってもいいテキストだったのですが、本書はかなり違う趣きではないかと思います。というのは、一言でマクロとミクロの違いです。単に、私には合わない、というだけです。『テキストブック 開発経済学』は、割合と早いページでハリス-トダロ・モデルによるマクロ経済の開発や成長を解説しているのに対して、本書は延々と分野別のマイクロな経済開発のための案件選択を実証的に、半分くらいはランダム化比較試験(RCT)による開発案件選択の問題を取り上げて論じています。ですので、実証分析の宿命ではありますが、分析が部分均衡的であり一般均衡やマクロ経済の動向から乖離する可能性があります。しかも、多くのチャプターは実証分析をていねいに説明している一方で、実証研究論文を参考文献に示すだけで、いわば丸投げしているチャプターも散見されます。学生の出来のよくない論文で、ChatGPTなどの生成AIに参考文献をリストアップしてもらって、アブストだけを読んで勝負しているのがありますが、そういった雰囲気を漂わせているチャプターもあったりします。さすがに、第Ⅱ部の人的資本と第Ⅲ部の産業開発はいい出来だと思う一方で、私なんかが考える開発経済学のひとつの考えは、日本の発展モデルなのですが、そういった視点はまったく見られません。もちろん、本書でも言及されているメキシコ就学助成金プログラム=PROGRESAなんかは、世界的に見ても最近の特筆すべき成功例で実証分析結果もいっぱい出ているのですが、例えば、日本の高度成長期前の1950年には50%に満たなかった高校進学率が1955-75年の20年間で大きく上昇して、現在と同じほぼほぼ100%に達しています。こういった日本の歴史的な実例は本書にはありません。例えば、私がまだ公務員をしていたころに同僚と取りまとめた "Japan's High-Growth Postwar Period: The Role of Economic Plans" はそういった経済開発の上で個別の案件選択というよりも、政策的なガイドラインの提示が果たした役割を強調しています。個別の開発プロジェクトの案件採択に関する実証研究ももちろん重要ですし、私はほぼほぼ本書のコラムにあるようなフィールドワークをしたことがないので、そういった地に足ついた現地活動も必要なのでしょうが、アジアの多くの国は制度的にも政策的にも、かなり日本の高度成長期の経験を参考にしているところがあります。開発経済を専門にする日本のエコノミストなのですから、高度成長期の経済発展の経験を参考にするのも一案ではないかと思います。最後に、もう一度繰り返すと、マクロエコノミストである私には合わない、というだけで、マイクロな案件選択に関してはいい実証研究成果を集めていると思います。
次に、上條一輝『ポルターガイストの囚人』(東京創元社)を読みました。著者は、まだ会社員の兼業作家らしいのですが、前作『深淵のテレパス』で創元ホラー長編賞を受賞してデビューしています。私はこの前作を読んで高く評価していますので、次作の本書も読んでみた次第で、その評価は裏切られませんでした。ということで、本書も映画宣伝企業に勤務する芦屋晴子と越野草太の「あしや超常現象調査」の2人が御茶ノ水自由大学の研究者と協力して超常現象のデータを収集するというシリーズ第2弾です。タイトル通り、ポルターガイストがテーマになっています。あしや超常現象調査に案件を持ち込むのは、アラフォーで売れないイケメン俳優の東城彰吾です。父親が脳卒中で施設に入った後、雑司ヶ谷にある古い一軒家の実家に戻るとポルターガイストに悩まされます。越野が中心になって法則性を探り一応の対策をしますが、超常現象は続いてしまいます。そして、依頼者の東城彰吾は行方不明になってしまいます。前作でも登場した元警察官で現実主義者の倉元、超能力者のオカルトマニアの犬井、そして、倉元の事務所で働き始めた前作の被害者(?)の桐山楓がチームになって超常現象の解明に努めます。前作と同じ登場人物のキャラが明確で、単なる怪奇現象や超常現象というだけではなく、この作品ではチョッピリ科学的な裏付けらしきものもありますし、ラストはアクションシーンもあって、前作よりも格段にパワーアップしています。加えて、依頼者の東城彰吾が行方不明になってからの場面では、叙述トリックも駆使されています。ですので、ホラーなのはもちろんですが、ミステリの要素も入ってたりします。はい、私のようなジーサンでも前作よりもずっと怖いと感じました。未確認で、SNSか何かの情報だと思うのですが、このあしや超常現象調査シリーズは三部作で、次作で完結というウワサを小耳に挟みました。もしホントにそうなら残念ですが、私は次作も読みたいと思います。
次に、円居挽『京都市民限定で求人が出ているとあるバイトについて』(角川書店)を読みました。著者は、京都大学ミス研ご出身のミステリ作家です。ただ、本書はミステリというよりはホラーと考えるべきです。本書の主人公は神田祟といって、閉じた田舎で生まれ育って、黒髪の乙女と出会う青春を夢見て京都の大学に進学したものの、就活に失敗して留年し5回生となったところで親からの仕送りを止められて、ちゃぶ台を古道具屋の深村堂に売りに来たところ、その深村堂の女性店主の深村魔美から怪しげなアルバイトを紹介される、そして、次々にその怪しげなアルバイトが連鎖する、というストーリーです。最初の方は、幽霊が出るかどうかの確認で古アパートに泊まり込んだり、小学校に上る前の子どもの部屋で不審音を確認したり、だったのですが、本格的なホラーめいたアルバイトとしては、第4章で尾張谷橘人という高校生の家庭教師をし、実は、あの世とこの世を行き来するヨモツミハシラだった、というあたりから始まります。続いて、第5章で京都、いや日本最古の古書店である書楼祇陀林へ行って稀覯本の『洛東巷説顛末』を取ってきたり、第6章で深村堂の魔美とともにお宝の骨董品を探す百歩の家に入ったり、第7章ではきしもじ講への代理出席したり、とかがあります。詳細はレビューでは言及しません。どこがホラーなのかは読んでみてのお楽しみです。そして、第10章では沌蘭寺でビデオの監視を請け負い、「それ」が出現する時刻を特定するアルバイトながら、「それ」と目を合わせてはいけない、という条件です。ラストの方では、失敗するとホラーな結果が待っているというリアル京都市民.botの出す指示に従って、京都市内を移動する、というのもあり、この部分はホラーというよりも、ややアクションのような内容です。最後に、なにぶん我が母校ですので、私は京大ミス研ご出身の作家の小説はなるべく読むようにしていますが、本書の作者の作品は初読でした。京都の地名のついた作品はいくつか聞き及んでいますが、文庫本でかなりの分厚さなので手が出せずにいました。本書を読んで、特に、ほかの作品を読みたい、というカンジはしませんでしたが、機会があれば以前の作品にも挑戦したいと思います。
次に、森バジル『探偵小石は恋しない』(小学館)を読みました。著者は、もちろん、小説家なのですが、前作の『ノウイットオール』が松本清張賞を受賞してデビューしています。私はこの前作は読んでいます。本書は、福岡に拠点を置く探偵事務所を舞台に、代表兼調査員の小石27歳、相談員兼調査員の蓮杖2-3年年下を中心にストーリーが進みます。探偵事務所にはアルバイトの雛未という大学院生もいますが、個人情報には接しませんし調査もしません。小石は殺人事件とか、警察でも手を焼くような難事件の推理をしたいのですが、依頼される案件はほぼほぼ素行調査、というか、浮気の調査ばかりです。小石は特殊技能として、誰から誰に対して恋情の矢が延びているかが見えたりします。したがって、浮気をはじめとする素行調査にはうってつけで、事実、やる気がないにもかかわらず、かなり成績はよかったりします。高校生ながら、1000億企業の創業者の娘が、親も許した結婚を前提に付き合っている恋人の浮気調査、事実婚の男性が妻の浮気を疑って事実調査、アイドルと結婚した男性が脅迫状を受け取って、ボディガード兼犯人解明、などですが、主人公の小石の高校のころの事件も振り返って語られます。それらの謎解きも興味深いところですが、ラストにドカンと大きな謎が待ち構えています。もちろん、小石が謎を解き明かします。最後に、本書はミステリであることは確かですが、謎や事件がどうこうというよりも、目いっぱい読者をミスリードすることに主眼が置かれているような気もします。その意味で、本格ミステリかということになると、疑問を持つ読者がいそうな気もします。私自身は、かなり本格性の高いミステリだと思いますが、ノックスの十戒やヴァン・ダインの20則には則っていたとしても、その当時の想定外の点もあるため、本格ではないと考える読者がいても不思議ではありません。ただ、本格ミステリとはいえ、というか、本格ミステリであるがゆえに、とても不自然で作為的なストーリーで、通常ではありえない設定です。「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、本書は常識的な事実からはかなりかけ離れていて、よく考えたものだと私は感心していますが、否定的に評価する読者がいておかしくありませんし、その意味で、評価が分かれる可能性は大いにあると思います。
次に、岩城一郎『日本のインフラ危機』(講談社現代新書)を読みました。著者は、日本大学理工学部土木工学科の教授であり、コンクリート構造物の高耐久化やインフラのメンテナンスがご専門のようです。ですので、本書ではコンクリート構造物のインフラを主として取り上げています。昨年1月末に埼玉県八潮市で道路が陥没し、トラック運転手の方が亡くなったのは、まさに、本書で指摘するインフラの劣化が原因のひとつと考えられます。本書では、米国も1980年代にインフレの劣化対策が進められています。1930年代のいわゆるニューディール政策のに基づくインフラ整備の50年後に相当するわけです。日本では、米国が1930年代から進めてきたインフラ整備を、1960年代から70年代に急速に進めたため、現在の時点で50年ほどを経過して老朽化が進み、タイトルになっている「インフラ危機」の時期となっている、という指摘です。前半ではこういったインフレ整備や老朽化の一般論、日米比較がなされた後、後半では著者ご専門の橋などのコンクリート構造物についての技術論が展開されています。後半は私の専門外の分野ですし、本書の技術的な内容なほとんど理解できませんでしたが、そろそろ、日本もリニア新幹線なんかの新しいインフラを建設するよりも、ひょっとしたら、既存インフラのメンテナンスや耐久診断などに力を入れる段階に来ているのかもしれないと感じさせられる部分はありました。特に、インフラは地方公共団体に依存する部分が少なくないわけですから、いずこも同じご予算不足で限られたリソースをインフラの維持管理に振り向ける必要も感じました。最後に、本書ではコンクリート構造物に焦点を当てていますが、ある意味では、国民生活のライフラインとしてさらに重要な水道、特に上水道の水道管の劣化が私は気になっています。でも、技術的なことに理解が及ばないだけに、ややもどかしさも感じています。
次に、海老原嗣生『外国人急増、日本はどうなる?』(PHP新書)を読みました。著者は、リクルートワークス研究所にて雑誌「Works」の編集長を務め、その後、人材コンサルのようなお仕事をしているのではないか、と私は想像しています。前作『静かな退職という働き方』も同じ出版社から上梓されており、私は昨年読んでいます。ということで、本書は、タイトルからすれば、最近よく聞く一種のバズワード調であり、ヘイト系の本かと受け止める読者もいるかもしれませんが、決してそうではありません。外国人の犯罪比率などをデータで示して誤解の解消に努めるとともに、人材としての外国人をどう考えるかを論じています。まず、外国人で本書で問題と考えるのは不法滞在者、すなわち、外国人滞在者の中のわずかに2%ほどだと指摘し、ほかの大部分の外国人滞在者は真面目に働いたり、勉強したりしている、としています。当然です。その上で、ここまで外国人が増加したのは政策の瑕疵であると指摘し、2010年に難民認定制度が改正され、それまで認められていなかった就労が、難民申請から半年を経過すれば可能になったため、ごく一部の国から難民申請数が激増し、半年を経過して就労するようになってしまった、と指摘しています。少なくとも、外国人とか、難民とか、一括りにした議論は避けることが賢明だろうと本書でも結論しています。その上で、人口が減少する中で労働力確保のための外国人受入れといった守りの考え方ともに、積極的に日本を好きになり、知日家を増やすための方策などの攻めの考え方も示しています。具体的には読んでみてのお楽しみです。私は、本書第2章の議論の中で、菅内閣のころに流行りそうになったアトキンソン流の淘汰選別の議論があって、それには賛成しませんが、ほかにはいくつか考えさせられるトピックが展開されていると受け止めています。ただ、外国人の「同化」にやや傾いた議論のような気もします。外国人をあるがままに受入れて、決して野放図ではない多様化を適切に進める、という観点は大事だと思います。
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