今週の読書は理論モデルを扱った経済書のほか計7冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、新井潤[編著]『現代経済学の展開』(日本経済評論社)は、龍谷大学社会科学研究所の研究プロジェクトの成果の一部を取りまとめており、実数上で定義されたロジスティック方程式から拡張させ、複素平面で展開される複素ロジスティック方程式に基づく理論モデル分析や実証分析を収録しています。東野圭吾『マスカレード・ライフ』(集英社)は、シリーズ第5作であり、警視庁を辞職しホテル・コルテシア東京に転職して保安課長を務める新田浩介を主人公に、「日本推理小説新人賞」の審査会と受賞式場に現れると予想されている殺人・死体遺棄事件の有力容疑者をめぐってストーリーが展開されます。辻村深雪『ファイア・ドーム』上下(小学館)では、北陸の架空のL県を舞台に小学生児童の行方不明事件が起こり、25年前の百貨店受付嬢誘拐殺人事件や同じころの小学生児童の交通事故死事件、さらに、現在のサッカークラブにおける児童虐待、などをめぐって、真相解明とともにウワサの恐ろしさが詰め込まれています。朝日新聞「ひらく 日本の大学」取材班『崖っぷちの私立大学』(朝日新書)では、朝日新聞取材班による取材に基づいて、文部科学省中教審による「知の総和」答申が示す定員充足率だけを指標とする私立大学の統廃合や定員削減を批判し、若者の定着や経済的な側面も含めた視点を提供しています。藤本隆宏『日本のものづくり哲学』(日経文庫)では、生産とは設計の転写であると主張していて、設計における基本設計から構造設計に至るプロセスがアーキテクチャであり、パーツごとに練り上げるモジュラー型では米国や中国が強みを持つ一方で、日本は総合的に擦り合わせるインテグラル型と指摘しています。ロス・トーマス『悪党たちのシチュー』(新潮文庫)では、主人公は2人いて、政治家の資金調達係ヘイルとジャーナリストのシトロンです。シトロンはアフリカの独裁国家で投獄されていましたが、釈放されて米国に戻り、ヘールに雇われて、中米での麻薬取引スキャンダル情報を入手しようとします。
今年2026年の新刊書読書は、1~6月の半年で151冊、7月に入ってから先週の6冊と今週の7冊を加えて合計163冊となります。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。
まず、新井潤[編著]『現代経済学の展開』(日本経済評論社)を読みました。編著者は、龍谷大学経済学部准教授であり、チャプターごとの著者にも龍谷大学の関係者が多く含まれています。というのも、本書は、龍谷大学社会科学研究所の研究プロジェクト「非線形力学系の新しい成果を応用した複雑な経済変動の解明と将来予想」の成果の一部を取りまとめたものだからです。私は頭の回転が鈍くて、いわゆる比較静学的な分析がもっぱらで、動学の展開は不得手なのですが、時にはこういった経済書も読んでいます。はい、完全な学術書であり、大学学部レベルの学生では読みこなすのが苦しそうな気がします。本書冒頭では数式がいっぱい展開されていますので、そもそも、私が接している学生諸君の中には、それだけでアレルギー症状を呈する人がいそうな気すらします。ということで、基本は、実数上で定義されたロジスティック方程式から拡張させ、複素平面で展開される複素ロジスティック方程式に基づく理論モデル分析、実証分析を6章集めています。第1章では、マルサスの人口問題を解こうとした微分方程式、さらに、フェルフルストのロジスティック方程式から始めて、その複素ロジスティック方程式を簡単に解説した後、コロナの感染拡大と終息についてモデル化しています。本書でも指摘しているように、年期の入ったSIRモデルが感染拡大と終息に活用されてきましたが、複素ロジスティック方程式の解の構造からコロナの感染者数の広がりを追おうと試みています。第2章が私がもっとも興味あった公債の持続可能性を取り上げています。人口一定という仮定が少し気にかかるものの、公債=資本ストック比率を一定とするターゲットと、現在の高市内閣が取っている公債残高のGDP比率をターゲットとするケースを比較しています。結論として、前者の公債=資本ストック比率をターゲットの方が、相対的に高い消費-資本比率が実現できることを示しています。第3章では、個人のエネルギーに関するリテラシーがZEH型の省エネ住宅の選考に与える影響について、選択実験のアンケートを基に、ランダムパラメーターロジットモデルと潜在クラスモデルによる実証的なコンジョイント分析を行っています。第4章では、中央政府と地方政府が複占理論を応用したシュッタケルベルグゲームにおいて、それぞれリーダーとフォロワーになる中央集権的リーダーシップゲーム、それとは逆の分権的リーダーシップゲームを考え、前者の場合に地域間人口配分と地方公共財供給が最適、すなわち、パレート最適な資源配分が達成されると結論しています。第5章では、レオンティエフ型2部門最適成長モデルを応用して、戦後日本の復興経路を分析し、最後の第6章では、環境意識の高い消費者やCSR活動に熱心な企業の存在が資源リサイクルに有効である一方で、持続可能性の観点からは十分ではない、という結論が導かれています。最後の方の2章の詳細は、読んでみてのお楽しみながら、このレベルの学術書を読みこなすにはかなりの能力が必要かもしれません。
次に、東野圭吾『マスカレード・ライフ』(集英社)を読みました。著者は、人本でも有数の人気ミステリ作家です。このシリーズも本書で5作目となります。私はたぶんすべて読んでいます。本書でも主人公は新田浩介なのですが、前作までの警視庁の刑事ではなく、警視庁を辞職しホテル・コルテシア東京に転職して保安課長を務めています。もちろん、ホテル側の山岸尚美や総支配人の藤木なども登場します。本書冒頭では、いきなり高校生のころの新田浩介と父親の新田克久の関係からストーリーが始まり、しかも、現在はシアトルで法律事務所を構えている新田克久が、日本で弁護士として活動していたころに関わった刑事事件の関係で帰国し、ホテル・コルテシア東京に宿泊していたりします。ストーリーの本筋は、集英社ならぬ灸英社の「日本推理小説新人賞」の最終候補者の1人が、住所定まらぬ放浪のフリーターながら、最有力候補となっていて、しかも、殺人につながりかねない死体遺棄事件の重要参考人、警視庁ではほぼ犯人確定のように見なしているというところから始まります。したがって、警視庁が灸英社に強力に要請して、「日本推理小説新人賞」の審査会と受賞式場を、警察の捜査活動に万全の協力が期待できるホテル・コルテシア東京に変更してもらい、その新人賞の最有力候補である正体不明の青木晴真を待つわけです。灸英社の担当者は面倒を避けるために青木晴真の受賞を回避するような作戦を試みたりもしますが、はたして、受賞者が誰になるのか、また、新田浩介の父の新田克久が弁護士として関わった刑事事件の関係者とは誰で、どうなるのか、といったあたりは読んでみてのお楽しみです。はい、確かに定番のシリーズの最新作であり、私のようなミステリファン、この作者のファンであれば、押さえておきたい作品です。また、主人公の1人の新田浩介が警視庁を辞職し、ホテル・コルテシア東京に転職したり、新田浩介の父親を登場させたり、いろいろとマンネリ化を防ぐ手段を講じています。そのあたりをどう評価するかは読者次第といえます。ですので、中には、さすがに、そろそろホテルを舞台にするのは飽きが来つつある読者もいそう気がします。どこまで続くのでしょうか?
次に、辻村深雪『ファイア・ドーム』上下(小学館)を読みました。著者は、小説家であり、日本でももっとも人気のある作家の1人といえます。本書の舞台は架空の北陸地方のL県、時代はコロナ前の2019年とされています。まず、その2019年のさらに25年前に県庁所在市にある百貨店の受付嬢が誘拐されて殺害される事件が起こっています。被害者は当時20代前半で、市会議員の娘でした。犯人はすでに逮捕され判決も無期懲役で確定していて服役しています。まったく同じ日付で小学生が行方不明になっており、少し後になって交通事故で亡くなっている遺体が発見されます。この交通事故は未解決です。その誘拐殺人事件を背景にして、2019年のL県に視点を移すと、主人公は東京出身ながら、L県にある国立大学に進学し、そのままL県の公立小学校の教員をしている佐村美冬であろうと思います。大学生のころは女子サッカー部を立ち上げて、教師になって2年目の20代半ば前半の独身女性で、恋人は30代半ばで年齢が離れている地方新聞L紙の記者の桜木透真です。その佐村美冬が担任をしている小学校の4年生の児童である戌井光汰朗が行方不明となります。行方不明になる直前の最後に戌井光汰朗に会ったのは、まさに、担任教師の佐村美冬であり、夕刻の日暮れ時に自転車で疲労回復のために鍼灸院に行く途中でした。行方不明に関する小学校での記者会見場に週刊誌記者が現れて、担任の先生がエステに行く途中に行方不明児童に出会って、日暮れ時であるにもかかわらず自宅まで送ることをせずにエステに行ってしまったのではないか、と質問し、ネット記事になって心ないコメントがいっぱい書き込まれ、佐村美冬はかなり心理的に参ってしまうわけです。しかも、佐村美冬は恋人の桜木透真から取材を申し込まれて、本格的に弱ってしまいます。ということで、この先は読んでみてのお楽しみなのですが、行方不明になった戌井光汰朗の事件はストーリー半ばで解決します。ついでに、別のサッカークラブの児童虐待事件も同時に解決します。どちらも犯人は明らかです。そこから、25年前の百貨店受付嬢の誘拐殺人事件をまだ追いかけているL新聞記者の浅川実が桜木透真とともに、誘拐殺人事件と交通事故を検証し始めます。ただ、ラストはそれほど驚くべきものではありません。ネットの書き込みも、私から見て、それほどという感じはしませんでした。「1か月30万部」と評判がものすごかった割りには、私自身は少し拍子抜けした印象を持ちました。
次に、朝日新聞「ひらく 日本の大学」取材班『崖っぷちの私立大学』(朝日新書)を読みました。著者は、朝日新聞の取材班です。その取材班の1人で、はじめにを書いているジャーナリストは、全国800余りの大学のうち200を取材したと明記しています。日本の私立大学に関する行政の今後の方針は、本書でも何度も繰り返し引用されているように、中教審では昨年2025年2月に取りまとめた「我が国の「知の総和」向上の未来像~高等教育システムの再構築~ (答申)」で明らかにされています。すなわち、この答申では、今後の人口減少と少子高齢化に伴い、2040年までに4割、約250校の削減や統廃合、そして、学部定員を18万人程度縮減するとの財政審議会報告に基づいて、特に地方私立、さらに特に特にで、人文科学系や社会科学系の私大の統廃合が盛り込まれています。別途のお話しながら、大学なのに小学校みたいに、四則演算の算数レベルを教えている、といったネガキャンを見かけた人は少なくないものと私は想像しています。本書では、都市部ではない地域における中小私大の役割を考え直し、単純に定員充足率だけで私大の統廃合を考える政府の姿勢に疑問を投げかけています。はい、私は本書を大学生協の書店で購入しましたが、まあ「立命館大学は大丈夫でしょ」という感じでした。東京のGMARCHとか、関西でいえば関関同立や産近甲龍とかの都市部にあって知名度が高くて規模の大きい私大ではなく、地方圏の中小規模私大に着目し、地域での学びの場というだけでなく、若者の定着や経済的な側面も含めて、かなり大規模な取材とインタビューにより、私大の統廃合という政府の方針に対して疑問を呈しています。
次に、藤本隆宏『日本のものづくり哲学 (増補版)』(日経文庫)を読みました。著者は、東京大学名誉教授・早稲田大学教授であり、ご専門は技術・生産管理、進化経済学だそうです。ステレオタイプながら日本の製造業に関する理解として、本書ではひとつの典型として、「工場は強いが本社が弱い」というのがあり、米国的な「本社は強いが工場は弱い」と逆になっていると主張します。はい、高度成長期以来の伝統的な見方だという気がします。その上で、著者の長年の研究の流れで、競争力⇒組織能力⇒アーキテクチャの順で積み重なるとの見方を示します。製造業とは当然に製品を作る=ものづくりなわけですが、製品とは設計に対して実体を持たせるための媒体を加えたものであり、生産とは設計の転写であると主張していて、その設計における基本設計から構造設計に至るプロセスがアーキテクチャであると説明されています。そのアーキテクチャの基本タイプは2つあり、パーツごとに練り上げるモジュラー型では米国や中国が強みを持っている一方で、日本は総合的に擦り合わせるインテグラル型と指摘します。さらに、それぞれのタイプでオープン型とクローズド型があるとしていますが、そこは詳述されていない印象を持ちました。私のいつもの経営学やコンサル的な見方に対する批判ですが、要するに、成功例がある一方で、その裏側に失敗例がいっぱいあるのを見落としているような気がしてなりません。ですから、本書でも成功と失敗の両方を説明できるモデルにはなっていない気がします。実は、私自身の見方では、日本の製造業の成功も失敗も同じ原因であり、要するにオーバースペックとそれに起因する高コストなのだろうと考えています。私自身の歴史感として、1970年代の石油危機やニクソンショックまでは供給すれば需要がついてくる、という需要超過モデルが基本なんだろうと思っています。典型的にそれを表したのが松下幸之助の「水道理論」です。それに対して、日本で高度成長が終焉し、世界経済が成熟化して、というか、経済学的には労働よりも資本ストックの蓄積スピードがより速いわけですので、資本ストック=生産能力が十分になった1980年代くらいからは供給超過モデル、逆から見て需要不足モデルに移行します。日本の製造業のオーバースペック=高コストは需要超過型経済では問題ありませんでしたが、供給超過=需要不足型となった経済では日本の製造業が苦戦するのは当然だと考えています。要するに、日本の製造業の内生的な要因だけではなく、日本の製造業を取り巻く経済が需要超過型から供給超過型に変化したのが日本の製造業の不審や停滞の最大の原因だと思っています。その点を実証的に表しているのはユニクロではなかろうか、と私は考えています。オーバースペックに陥ることなく、したがって、それほど高コストではない製造を行っている気がします。なお、ついでながら、「おもてなし」に代表されるサービス産業も、まったく製造業と同様にオーバースペックかつ高コストである点は、付け加えておきます。まあ、日本経済は専門分野ながら、経営学は専門外ですので、私の個人的な見方です。
次に、ロス・トーマス『悪党たちのシチュー』(新潮文庫)を読みました。著者は、米国の小説家であり、すでに30年以上も前の1995年に亡くなっています。本書の英語の原題は Missionary Stew であり、1983年の出版です。ただし、40年余りを経過して本邦初訳だそうです。表紙画像はよくできていて、主人公は2人いると考えてよさそうです。政治家の資金調達係として暗躍し、まあ、政界のフィクサーともいえるドレイパー・ヘイル、それに、パリ生まれの米国人ジャーナリストであるモルガン・シトロンです。小説の舞台は、基本的に、米国のカリフォルニアです。出版が1983年ですから、米国大統領はカリフォルニア州知事からホワイトハウス入りしたレーガン大統領です。私は1983年にはすでに大学を卒業して働いていましたので、そのあたりは頭に入っています。こういった時代背景を持って読むとヨサゲな気がします。シトロンはアフリカの独裁国家の政治囚として投獄されていましたが、釈放されて米国に戻ります。戻った米国でシトロンはヘールに雇われて、現政権のスキャンダル情報、すなわち、中米トゥカモンドでCIAだか、FBIだかの麻薬取引を巡るスキャンダル情報を入手するために、2人で渡航します。でも、実際に渡航するのは邦訳書のページ数で計測したボリュームでいえば最後の30%くらいだったりします。ですから、ストーリーの大部分は米国内での出来事で占められています。この主人公の男性2人をめぐる女性陣もとってもユニークです。シトロンの母親のグラディスは米国人ですが、フランスがナチス・ドイツに屈服した時代にパリにいて、フランス人陸軍中尉との間にモルガンをもうけるわけです。しかも、その時期のフランスでは反ナチスのパルチザンに参加し、今は米国に戻って裏社会にも大いに通じています。シトロンの恋人はチーズと同じ名を持つヴェルヴィータであり、やや天然のところがある女性で、虚言癖があったりします。父親は元麻薬王でしたから大金持ちの一家です。また、カリフォルニア州の次期知事の夫人がヘールと懇ろな仲だったりします。1950-60年代のハードボイルド小説とはまた違うドタバタですが、麻薬や中米のわけのわからない独裁国家、それに、米国の政府機関であるハズのCIAやFBIが関係し、政治家や裏社会の麻薬王なんかが暗躍する、というまさにごった煮のシチューのようなストーリーで、それなりに楽しい本だという気がします。
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