今週の読書は経済書や小説など計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、佐々木宏夫『「二つの人生」を生きるための経済学再入門』(慶應義塾大学出版会)では、長くなった人生に対して、現役と引退ではなく、第1と第2の「現役時代」と呼んで、特に第2の現役時代を、必ずしも合理性だけではなく、生きる知恵としての常識の体系として経済学を活かす方法を考えています。友寄英隆『日本経済再生への道』(新日本出版社)は、マクロ経済学の合成の誤謬をキーワードとし、新自由主義的な経済政策からマルクス主義経済学的な計画経済を志向する経済書です。ただ、合成の誤謬だけでなく、囚人のジレンマの方も頭においておく必要があると思います。瀬尾まいこ『ありか』(水鈴社)は、夫の浮気を理由に離婚したシングルマザーを主人公に、保育園に通う娘、元夫の弟、保育園のママ友、職場の年配の同僚、そして、生活費に窮して主人公に無心する母親、など親子を取り巻くやや重いストーリーです。町田その子の作品かと思ってしまいました。佐藤正午『熟柿』(角川書店)では、妊娠中の主人公がひき逃げ死亡事故を起こし、刑務所での服役中に長男を出産し、刑期を終えて出所すると警察官を辞職した夫に離婚を求められます。西へ西へ移動して働き、子どもとの再会を願います。でも、交通事故被害者の視点が抜けています。赤根智子『戦争犯罪と闘う』(文春新書)では、オランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)の所長である著者が、ICCと同じハーグに置かれた国際司法裁判所(ICJ)との違いを解説したりし、世界で幅を利かせつつある「力による支配」ではなく、「法による支配」の重要性を強調しています。堤未果の『すばらしい新世界』(集英社新書)は、1930年代のオルダス・ハクスリーによるディストピア小説『すばらしい新世界』を意識したものとなっていて、日本語で日本人を対象に書かれていますので、仏教の四苦である「生老病死」になぞらえた構成となっています。
今年2026年の新刊書読書は、1~8月で209冊、9月に入ってから先週の6冊と今週の6冊を加えて合計221冊となります。また、英国推理作家協会(CWA)のインターナショナル・ダガー賞(翻訳部門)を日本人で初めて受賞した王谷晶『ババヤガの夜』(河出文庫)とカーター・ディクスン『黒死荘の殺人』(創元推理文庫)も読みましたが、新刊ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。
まず、佐々木宏夫『「二つの人生」を生きるための経済学再入門』(慶應義塾大学出版会)を読みました。著者は、早稲田大学名誉教授です。ゲーム論がご専門のようです。本書冒頭では、人生100年時代が到来し、織田信長の幸若舞のような「人生50年」とは違う生き方、人生を模索する目的を表明しています。経済学などではオーバーラッピング・ジェネレーション・モデルとして現役世代が働いて、引退世代が貯蓄や年金で生活する、というモデルがあり、同時に、ライフサイクルモデルとも重なる部分があります。そして、長くなった人生に対して、必ずしも合理性ばかりではなく、生きる知恵としての常識の体系として経済学を活かす方法を本書では考えています。私は単なる呼称だけの問題のような気もしますが、「第1の現役時代」と「第2の現役時代」と本書では呼んでいます。その第1と第2のそれぞれの「現役時代」の対象表がp.11に示されています。私自身はまだ働いていて、年金生活には入っていないとはいえ、ほぼほぼ本書でいう「第2の現役時代」に入っている気がします。所得こそ年金ではなくお給料をちょうだいしていますが、子どもたちは大学を卒業して社会人となって独立していますし、本書でも強調しているように、寿命のリスクとしては死んで所得が途絶えるリスクよりも生きながらえて生活費に困窮するリスクの方が大きくなっています。ただ、本書はさすがに大学教授経験者の本らしく、決してハウツー本ではありません。「ハウツー」の基礎となっている考え方、特に経済学やゲーム論について議論を展開しています。例えば、やり直しがきかない「第2の現役時代」における人生の戦略についてゲーム論的な基礎を議論したり、市場や市場における価格から情報を読み取ったり、不動産市場から終の棲家を考えたり、といった議論が進みます。その上で、より大きな社会的な出来事について、社会選択理論を通じた意思決定、市場社会と伝統社会の異同、人口減少の光と影、さらに進んで成長なき経済社会をどう生きるか、などなど、経済リテラシーを活用した「第2の現役時代」の過ごし方について考えています。繰返しになりますが、決してハウツー本ではなく、長い人生を楽しく豊かに過ごすヒントがいくつか読み取れると思います。
次に、友寄英隆『日本経済再生への道』(新日本出版社)を読みました。著者は、労働者教育協会理事であり、同じ出版社の月刊誌『経済』編集長などを歴任しています。本書は、表紙画像にあるように、マクロ経済学の合成の誤謬をキーワードとし、新自由主義的な経済政策からマルクス主義経済学的な計画経済を志向するものです。まず、本書では新自由主義を明確には定義していません。pp.10-11に簡潔に7の視点を提示しているだけで、その点は批判あると思います。私の考えでは、新自由主義とは、1970年代に2度に渡る石油危機やニクソン米国大統領によるドルショックなどを契機に、戦後経済のいわゆる「栄光の30年」(フラスティエ著、Les Trente Glorieuses, ou la révolution invisible de 1946 à 1975 など参照)が終わり、ケインズ経済学がインフレ抑制に失敗したことから、本書でも指摘しているように、反動的な新古典派経済学が巻き戻しを図ったことにより、現在まで、日米をはじめとしていくつかの先進国の経済政策の主流となっています。確かに、本書の先に指摘したページで概観されている通りですが、何といっても、政府、すなわち、中央政府や地方政府を民間企業と同じような原理で運営することから始まっています。今ではもう誰も注目していないニュー・パブリック・マネジメント(NPM)と呼ばれた手法です。ですから、現在の米国のトランプ大統領が典型で、連邦政府を企業マネジメントと同じように考え、外交交渉を取引(ディール)を見なします。要するに、企業と同じ損得で考えるわけです。逆にいえば、公共財の供給という視点が希薄なわけです。ですので、市場万能主義・市場原理主義はいうまでもなく、企業経営と同じで低所得者よりも富裕層に有利で、公助よりも共助、さらに自助と自己責任が強調され、グローバル化が進んだ経済社会で、利益を上げられる場所を探してモビリティが高く、利益が出るのであれば武器輸出でも何でも手を出す、というわけです。そういった基本的理解の上で、本書で提示されている7つの観点を読むといいと思います。という前置きが長くなりましたが、本書では合成の誤謬を強調していますが、私はどちらかといえば、囚人のジレンマの方も頭においておく必要があると考えています。すなわち、例えば、労働者への賃金で考えると、他社労働者の賃上げが進む一方で、自社労働者の賃下げや賃金据置きができると、コスト削減から利益の増大が可能となります。しかし、少し前までの日本の状況のように、各社いっせいにそろって賃上げが進まないとなると、所得が停滞して消費が増加せず、景気が悪いままで推移することになりかねません。その上で、本書では戦後日本の経済計画について評価しています。はい、一定の限界あるとはいえ、私も役所の同僚とともに "Japan's High-Growth Postwar Period: The Role of Economic Plans" というリサーチ結果を取りまとめ、世銀リポートに引用されたりして、途上国の経済発展における経済計画の果たす役割や重要性を強調しています。ただ、日本は先進国ではないか、という反論もあろうかと思いますが、それほど、というか、旧ソ連的な中央政府から指令を出すがごとき計画経済ではなく、本書でも指摘しているような何らかの indicative/informative な役割を主眼とする経済計画は有益であろうと考えています。いつも私が強調するところですが、日本政府は経済計画をヤメにしてしまいましたが、おそらく、ほぼほぼすべての上場企業では毎年の経営計画、さらに、中期的な経営計画(よく「中計」と略称されるもの)を持っている、というか、作成しているのではないでしょうか。上場企業よりも規模が大きく、年間予算で100兆円をはるかに超える中央政府が、そういった経済計画を持たないのは、むしろ無責任といえます。ほかにも、私自身はマルクス主義経済学の専門性はまったく持ち合わせないので、本書をそれほど的確に評価する能力も十分ではないかもしれませんが、本書が一定の合理性ある方向を示していると評価しています。
次に、瀬尾まいこ『ありか』(水鈴社)を読みました。著者は、小説家であり、本書は2026年本屋大賞7位となっています。主人公は飯塚美空、20代半ばで工場に勤務し、幼稚園児のひかりとの母子家庭です。ひかりはこの小説の中で保育園の年中さんから年長さん、そして、小学校に進学します。飯塚奏多とできちゃった婚しましたが、結婚生活2年ほどで夫の浮気を理由に離婚して、今はシングルマザーとなっています。元夫の実弟、美空から見れば義弟の飯塚颯斗がとってもマメに育児や家事を手伝いに来てくれます。毎週水曜日は颯斗がひかりを保育園にお迎えに行き、そのまま美空の家で夕食となるのがルーティンです。いっしょに3人でクリスマスや誕生日を祝ったりもします。保育園児のひかりは素直でのびのびと育っています。颯斗は年上の男性と同棲しているLⒼBTQだったりしますが、親にはカミングアウトしていません。保育園のそらくんのママ友の三池さん、職場の同僚で年配の宮崎さんなどとともに、しっかりと人生を送っています。しかし、美空の母親、彼女も金遣いの荒い夫と離婚して、シングルマザーとして美空を育ててくれたのですが、この美空と母親の親子関係がやや生活に影を落とします。美空が20代半ばで、母親も50代前半の年齢という設定で、母親は生活費に窮して美空に無心しますが、颯斗はキッパリと断るべき、という意見です。あらすじはここまでとします。はい、このあたりから、瀬尾まいこの小説を読んでいたつもりが、町田その子の小説と間違えたのだろうか、という勘違いすらしました。とても重い雰囲気の小説になっています。この作者の小説は、それほどどんでん返しはありませんが、最後に近づくにつれて、何か大きな「ちゃぶ台返し」が待っているのではないか、と思いつつ読み進んだりしました。実際に、どんでん返しがあるかどうかは、読んでみてのお楽しみです。最後の最後に、私が数年前まで公務員をして働いていた東京に対して、関西圏、特に今住んでいるところは関西は関西でも京阪神ではなく、県庁所在市ですらありませんから、やや東京の考えやスタイルにタイムラグを持っている印象があります。さすがに、最新ファッションや流行語なんかはタイムラグ短く伝わるような気がしますが、例えば、マンションのオートロック、ダブルでオートロックになっているマンションは東京ではめずらしくありませんでしたし、実際に、我が家はそういったダブルのオートロックにマンションに住んでいましたが、引越しで家探しをしていた経験から、関西圏では京都市内ですらそういったダブルのオートロックのマンションは見かけませんでした。この小説に即していえば、三池さん、そらくんママのサングラスにそういったものを感じます。1980年代後半バブル経済期の東京では、すでにサングラスには何の偏見めいた見方もありませんでしたが、40年を経て、関西圏在住の作者にはサングラスに対する偏見とまではいいませんが、少し派手めのファッションと組み合わせて、サングラスにやや特殊な役割を期待するようなところが感じられます。はい、私は町中を歩いていてもフツーにサングラスをするのですが、たしかに、関西の片田舎では東京と比べると、異常なくらいにサングラス着用者は少ない気がします。
次に、佐藤正午『熟柿』(角川書店)を読みました。著者は、小説家であり、本書は2026年本屋大賞次点の2位となっています。主人公は市木かおり、離婚して旧姓に戻っています。元夫は田中哲也、警察官です。この夫婦の住まいは千葉です。ストーリーはこの夫婦が離婚する前の2008年から始まります。すなわち、少し変わり者で庭の柿の木や実を大切にしていた大叔母の晴子の葬式が千葉ではない栃木かどこかの北関東であり、主人公はすでに妊娠しており、夫はその祝い気分でお酒を勧められ、妻の親戚縁者の葬式の場でありながら、酒を断れず酔いつぶれてしまい、帰り道は妻のかおりが運転することになります。帰路でかおりは人身事故を起こしたことも気づかず、結果としてひき逃げ死亡事故を起こしてしまいます。刑務所での服役中に長男の拓を出産し、刑期を終えて出所すると警察官を辞職した夫が待っていて、離婚届に署名し子どもの親権は、当然のように、元夫が持つことになります。その後、拓が保育園を卒園する際に、かおりは卒園式にふさわしいいでたちで拓に会おうとしますが、拓と同級生で同じ保育園児の久住呂咲から拓を連れて来るといわれながら、別の園児を間違って連れ去ってしまいます。久住呂咲の母親の久住呂百合が一応の事情を把握していて警察にも必死で弁明してくれ、逮捕や裁判は免れたものの、子どもとの接見を禁じられ、追われるように各地を流れてゆくことになります。この久住呂親子は最後までかおりの味方になってくれるキーパーソンでもあります。母親の久住呂百合は生命保険会社勤務で、かおりは子どもの拓を受取人にして多額の生命保険に入ります。犯罪歴を隠して西へ西へとかおりは移動して働き、必死になって保険金を支払い続けます。もちろん、そう平坦な道であるはずもなく、刑務所出所後、約15年、子どもの拓が久住呂咲とともに高校生になった時点で、小説はラストを迎えます。重くてしんどい小説です。でも、ラストまで読めば救われたと感じる人もいそうです。私自身は当然にラストまで読みましたが、決して救われたとは思えませんでした。加えて、交通事故の被害者や遺族の視点がまったく欠落しているのにも大きな違和感を感じました。主人公が交通事故死させた被害者に思いを馳せるシーンも少なかった気がします。その意味で、それほど評価できる小説かどうか、私はやや疑問に感じました。
次に、赤根智子『戦争犯罪と闘う』(文春新書)を読みました。著者は、名古屋出身の元検事にして、現在はオランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)の所長を務めています。広く報じられている通り、先月2026年8月に、米国財務省外国資産管理局(OFAC)は、大統領令14203号に基づき、赤根所長を米国の制裁対象者リストであるSDNリストに追加しています。本書はその制裁前の時点で執筆公刊されています。本書での記述順とは少し異なりますが、同じくオランダのハーグにある国際司法裁判所(ICJ)と赤根所長の国際刑事裁判所(ICC)のちがいはp.80の図2にある通りで、ざっくりいって、ICCは国連機関であり、すべての国連加盟国がメンバーとなっていて、国家間の紛争を国際法に基づいて解決すべく活動し、裁定を行っています。ですから、対象は国です。他方で、赤根所長のICJは国際条約であるローマ規定加盟国をメンバーとし、中核犯罪、すなわち、ジェノサイド犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪の4つのきわめて重大な罪を犯した個人、ロシアのプーチン大統領とかの個人を裁きます。はい、専門分野が違うとはいえ、私は初めて知ることが出来て勉強になりました。そして、こういった4つの中核犯罪=core crimesで裁かれようとしている中には、国家元首、あるいは、元国家元首がいたりするわけです。一例として、本書でもフィリピンのドゥテルテ前大統領が上げられます。こういった中核犯罪の裁きの原点は、第2次世界大戦後のニュルンベルク裁判と東京裁判だそうです。そのあたりは専門外の私にも想像できます。ICJの組織や詳細な活動内容、あるいは、活動実績などはお読みいただくしかありませんが、本書で強調されている点は、何といっても、軍隊の武力などを背景にした「力の支配」ではなく、「法の支配」の優先を強調していることです。世界の警察という公共財を提供してきた米国が、現在のような「力の支配」の側につく恐ろしさは多くの市民が感じているところでしょうが、本書を読めば、ロシアがウクライナに対して行っている戦争行為、また、米国やイスラエルの中東での戦争などが、いかに理不尽で「法の支配」に反するものであるかが理解できます。また、こういったICJが行っている中核犯罪に対する国家レベルでの活動が欧州の大国、例えば、ドイツでも行われていて、日本はそういった法整備や行政上の体制整備がまったく進んでいないことにも驚かされます。まあ、GDP規模で追い抜かれても仕方ない、といったところかもしれません。
次に、堤未果の『すばらしい新世界』(集英社新書)を読みました。著者は、国際ジャーナリスト、と本書では紹介されています。タイトルをどう表記すればいいのか判らないのですが、出版社のサイトに従っています。学術論文を書く私のセンスからすれば、堤未果『堤未果の『すばらしい新世界』』(集英社新書)と二重カギ括弧がダブるような気もします。タイトルから用意に想像できるように、約100年前1930年代のオルダス・ハクスリーによるディストピア小説『すばらしい新世界』を意識したものとなっています。ただ、日本語で日本人を対象に書かれていますので、仏教の四苦である「生老病死」になぞらえた構成となっています。第1章「生」では、デザイナーベビーという言葉こそ使っていませんが、遺伝子操作された赤ちゃん、さらに最先端を行く優秀な受精卵の売買、ペットのクローン作成、などに焦点を当てています。第2章「老」では、老化が遺伝子コピーのバグであることは、それはその通りなのですが、いろんな最先端医療技術などにより150歳までの寿命を達成したり、若返りの人体実験を自ら試行したり、果ては、肉体が死んでもデジタルで生き続ける方法などが取り上げられています。第3章「病」ではハクスリーの『すばらしい新世界』における万能薬のソーマを持ち出して、現時点の抗うつ薬ブロザックを論じています。埋込み型の監視カメラが食生活までコントロールする世界とか、AIが人間を監視・監督する会社なども当然のように注目されています。第4章「死」では安楽死から始まります。私はよく知らなかったのですが、カナダでは20人に1人が医師の手で死んでいるらしいです。著者自らの叔母ががん治療を拒否して死んでいくのにも、少し怖い気がするのは私だけではないと思いますが、同時に共感する読者もいそうです。はい、私もこの分野にはそれほどの知見を持ち合わせませんから、詳細はお読みいただくしかありません。しかし、他方で、劇症だったり致死率の高い伝染病であれば社会的な課題となりますが、本書で取り上げている範囲では、確かに個人の選択の問題であるとするレベルの問題が少なくない気もします。ですから、第1章「生」が典型ですが、神の分野かヒトの分野か、というのは宗教に近い気もします。いずれにせよ、本書で議論しているのは容易に結論が得られるテーマではありません。ですので、読者がそれぞれ熟慮して解決を図るべき問題であろうかと思います。
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