今週の読書はマーケティングの経営書から怪しげなキワモノ健康書までいろいろ読んで計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、フィリップ・コトラー + ヘルマワン・カルタジャヤ + イワン・セティアワン『コトラーのマーケティング6.0』(朝日新聞出版)では、Z世代やアルファ世代といったデジタル・ネイティブ世代の増加に対応する没入型、あるいは、リアルとデジタルが融合するマーケティング6.0、メタマーケティングを取り上げています。中北浩爾『現代日本政治史』(有斐閣)では、終戦後の米軍占領下で非軍事化と民主化の目標を実現するための5大改革司令、すなわち、女性参政権、労働組合、教育、秘密警察廃止、経済民主化、に始まって、55年体制の成立と終了、小選挙区の導入、などなど、現在の高市内閣に至るまでの戦後政治史を取りまとめています。楊双子『四維街一号に暮らす五人』(中央公論新社)は、台湾台中市の中心街、文教地区近くにひっそりと残るシェアハウス四維街一号に暮らす5人の女性、4人の大学院生と大家さんの小説であり、『臺灣料理之栞』というレシピ本も含めて台中のローカルフードと併せて物語が展開されます。松本弥『古代エジプト人の愉快な生活』(文春新書)は、ピラミッド建設の時期などの古代エジプトの庶民も含めたエジプト人の愉快な日常生活について、欧米の資料に頼ることなく、パピルスに残された象形文字のヒエログリフを読み解くことにより明らかにしようと試みています。長尾和宏『病気の9割は自分で治せる!』(PHP新書)は、反ワクチン論者らしい著者によるキワモノと考えるべきで、前の『歩く人はボケない』を読んで、ブログやSNSでレビューするべきではない、と考えたくらいの著者の本ですので、批判的に受け止めて自分で判断できる読者にオススメしたいと思います。リチャード・デミング『絞首台のある庭』(新潮文庫)では、主人公の私立探偵マニー・ムーンをグレース・ローソン、莫大な遺産の相続人のひとりである19歳の女子大生が訪れて、死につながりかねない不可解な事件が周囲で起こっているため、ボディガードを依頼するところからストーリーが始まります。
今年2026年の新刊書読書は、1~9月で233冊、10月に入ってから先週の6冊と今週の6冊を加えて合計245冊となります。また、これらとは別に、恩田陸『三月は深き紅の淵を』(講談社文庫)も読んだのですが、新刊ではありませんから、本日の読書感想文には含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。
まず、フィリップ・コトラー + ヘルマワン・カルタジャヤ + イワン・セティアワン『コトラーのマーケティング6.0』(朝日新聞出版)を読みました。著者3人は順に、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院名誉教授、Mコープの創業者・会長、インドネシアの中心的なマーケティング・メディアであるマーケティアズのCEO、となっています。英語の原題は Marketing 6.0 であり、2023年の出版です。本書は3部構成となっていて、第1部が概論、第2部がイネーブラーと環境、第3部が体験、となっています。邦訳書の出版社ではこのシリーズは『3.0』から手がけているようで、巻末の宣伝はそうなっています。ただ、本書冒頭では、製品主導のマーケティング(1.0)、顧客志向のマーケティング(2.0)、人間中心のマーケティング(3.0)に続いて、デジタル化の象徴ともいえるドイツ政府の「インダストリー4.0」に対応したマーケティング(4.0)、日本政府の「ソサエティ5.0」に対応したマーケティング(5.0)から、本書ではZ世代やアルファ世代といったデジタル・ネイティブ世代の増加に対応する没入型、あるいは、リアルとデジタルが融合するマーケティング(6.0)、メタマーケティングを取り上げている、とされています。最初はタイプミスかと思ったのですが、「フィジタル」physital =フィジカル physical + デジタル digital というネーミングを使っています。さまざまな媒体を通じたマーケティングであるオムニチャンネル・マーケティングがさらに進化して、メタマーケティング6.0になるそうです。リアルかバーチャルかという二項対立を超えたメタマーケティングだそうです。経済学の隣接領域の経営学とはいえ専門外ですので、そのあたりは読んでいただくしかありません。そのマーケティング6.0を可能にするイネーブラーが5つ列挙されており、すなわち、データ収集のためのモノのインターネット(IoT)、データ処理のための人工知能(AI)、体験をモデル化するための空間コンピューティング、インターフェース拡張のためのARとVR、そして、インフラのためのブロックチェーンとなります。詳細は第2部第5章で取り上げられていますので、そのあたりについても読んでみてのお楽しみです。ただ、この5項目のイネーブラーのうち2点だけ少し詳しく見ておくと、空間コンピューティングとは、第1部で言及されている範囲では、コンピューティングというほどのレベルではなく、自動ドアのようなセンサー技術かと思っていたのですが、衣類のスマート試着室とかの例が上げられており、さらには、SNSの将来形としてのメタバースまで拡張されうるマーケティングと考えられます。また、AR=拡張現実とVR=仮想現実だけではなく、MR=複合現実も合わせて、エクステンデッド・リアリティ=XRを提唱しています。ただ、他方で、3人に1人がデジタル疲れ=digital fatigue を感じているというコンサルの指摘にも言及されており、視覚と聴覚というデジタルで可能な範囲だけでなく、五感のうちの視覚と聴覚以外の嗅覚、味覚、触覚も含めた五感を魅了するマーケティングの重要性も強調されています。最後に、こういった方面に詳しくない私の理解では、没入型のマーケティングとして、本書でも言及されているポケモンGOを思い浮かべました。ポケモンGOに触覚とか嗅覚、さらに、可能な範囲で味覚を加えるようなマーケティングである、ということなのかもしれません。まあ、専門外もいいところなので、誤解していたり、理解が不足していたりするところはご容赦下さい。
次に、中北浩爾『現代日本政治史』(有斐閣)を読みました。著者は、中央大学法学部教授であり、ご専門は日本政治史、現代日本政治論だそうです。まずは、そのあたりの第一人者ではないか、と私は考えています。本書は、タイトル通りに、戦後から最近の高市内閣までの日本の政治史を取りまとめています。ただ、出版社からして学術書か、といわれれば、必ずしもそうではなく、本書冒頭でも大学での1セメスターの講義向けに13章構成としている旨が明記されていて、初学者や一般向けにも十分適用できるのではないかと私は考えています。まず、終戦直後の日本の政治の特徴については、これは高校くらいでも教えているのではないかという気がしますが、占領主体は連合軍というよりも、ほぼほぼ米軍が単独で担っていて、しかも、直接の軍政、沖縄のような軍政ではなく間接統治であった、という点が上げられています。前者の米軍単独占領に比較対象されるべきは、同じ敗戦国のドイツであり、ドイツの場合はソ連軍も占領に加わり、東西ドイツに分割して統治されたのは広く知られている通りです。その米軍占領下の日本統治では、非軍事化とそのための民主化の目標を実現するため、5大改革司令が出されています。すなわち、女性参政権、労働組合、教育、秘密警察廃止、経済民主化、ということになります。そして、私も大学の授業で取り上げている経済改革としては、この5大改革司令にやや重複するものの、本書では財閥解体、労働改革、農地改革の順で指摘しています。ただ、日本の占領下での政治については、東西冷戦の激化、特に、中国における共産党政権の成立などの影響もあり、いわゆる「逆コース」が進められた、占領軍だけでなく、独立後の保守政権下でも「逆コース」が進んだ、という理解が一般的ではないかと思うのですが、本書では憲法改正が出来なかったことなどを根拠に、逆コースは失敗であった、と結論しています。その後、いわゆる55年体制の成立、すなわち、左右の社会党が合同し、自民党が結成される、というのは広く知られている通りです。このあたりの1960年くらいまではまさに戦後政治史の激動の時期ではないか、と専門外のシロートながら、私は考えています。なお、1980年代前半には私はすでに国家公務員として政府部内でお仕事を始めています。私が経済企画庁に就職した際は、中曽根内閣の下で河本副総理が経済企画庁長官でした。ですから、本書第10章では転換点が1989年であるとしていますが、1990年前後の動き、すなわち、経済的には消費税の導入、政治的には小選挙区制などは政府内部から見ていますし、専門外とはいえ、それなりの情報には接してきたつもりです。1994年から約1年半に渡って社会党の村山内閣が活動していた時期には、経済企画庁の政務次官も社会党からお迎えし、夏休みの時期のご外遊を手配した経験もあったりします。そして、今世紀に入ってからの小泉内閣における新自由主義的な経済政策、竹中大臣の下で経済政策については、郵政民営化こそ横から眺めていただけですが、それなりに見知っている部分も少なくありません。もっとも、本書は政治史といいつつも、もちろん、経済政策の部分も少なくなく、例えば、p.120図表5-2にあるような戦後日本の経済計画一覧、とか、予算編成プロセス、労働慣行、などなど、エコノミストにも勉強になる内容も多く含まれています。ただ、補章の天皇制に関しては異論を持つ読者もいそうな気がします。
次に、楊双子『四維街一号に暮らす五人』(中央公論新社)を読みました。著者は、台湾の作家であり、本書の前に日本で出版された『台湾漫遊鉄道のふたり』が話題となっていると思います。私は未読ながら、できれば読んでみたいと考えています。本書の中国語の原題は『四維街一号』であり、2023年の出版です。タイトル通りに、台中市の中心街、文教地区近くにひっそりと残るシェアハウス四維街一号に暮らす5人の女性の小説です。訳者のあとがきによれば、「百合小説」だということですが、初老に差しかかった男性の私にも楽しい読書でした。著者や訳者のあとがきによれば、タイトルは実在の建物、1938年に建てられた「四維街日式招待所」だそうで、もう少し住所を書き加えると、台中市西区四維街一号となるそうです。「四維街」は通りの名であり、「一号」が番地、ということになります。よく知られたように、日本語の「市」に当たる中国語は「城」です。この小説では、全5章でシェアハウスに住む5人の女性が取り上げられていて、その住人の1年の物語となっています。大家さんのほか4人はすべて大学院生です。1階には郭知衣と廬小鳳の2人が、また、2階には徐家樺と蕭乃云、それに、大家の安修儀の3人が、それぞれ暮らしています。章別に取り上げられているのは、第1章が蕭乃云であり、大学院修士課程に入ったばかりで、人見知りして恥ずかしがりやですので、ほかの入居者などとのお付き合いはそう得意ではありません。第2章は徐家樺であり、小説では家家と呼ばれています。同じく大学院修士課程1年生で、苦学生ながら大柄な陽キャです。第3章は廬小鳳で、大学院修士課程2年生、人柄も気遣いもよくできる良家のお嬢様です。第4章の郭知衣も、大学院修士課程2年生、男言葉で会話し、仙女のように浮世離れし、BL作家として連載を持っていたりもします。最終章は大家さんの安修儀、将軍を輩出した家柄ですのでお金持ちなんだろうと想像できます。一時は台湾政情を危惧して米国ロサンゼルスに留学して大学院博士課程まで進んだ30代女性ですが、叔母の死により四維街一号のシェアハウスを相続し、博士号取得を中断して帰台しています。大家の安修儀をのぞく4人の大学院生は台中から見て東西南北の四方の出身者であり、中には、台湾最大のエスニックグループである 閬南人や客家人もいます。ストーリーとしては、この5人の居住人が織りなす1年間の生活について、話題となっている『台湾漫遊鉄道のふたり』と同じように、食事、というか、台中のローカルフードと併せて展開しています。実在のレシピ本らしいのですが、『臺灣料理之栞』という1912年発行の日本語の本も含めて、四季折々のお料理やスイーツを作ったり、買ってきたり、みんなで楽しんでいます。本書の読ませどころですし、私がまったく不調法な部分ですので、このあたりは読んでみてのお楽しみです。
次に、松本弥『古代エジプト人の愉快な生活』(文春新書)を読みました。著者は、日本オリエント学会正会員ということなのですが、私の理解ははかどっていません。本書は、タイトル通り、通常は王や政府代表者などの高位高官の動向で綴られる歴史について、特にピラミッド建設の時期などの古代エジプトの庶民も含めたエジプト人の愉快な日常生活について、欧米の資料に頼ることなく、パピルスに残された象形文字のヒエログリフを読み解くことにより明らかにしようと試みています。時代としては約5000年前から3000年間の時代、ということです。巻頭数ページに渡ってカラーで絵文字が解読されています。その後、本文に入ってからも、カラー印刷も含めて、きわめて多くの図版とそこに収録されている文字の現代日本語訳が収録されていて、確かに、実に楽しげな古代エジプト人の生活を垣間見ることが出来ます。ただ、私の想像ながら、この時代にこういった何らかの文字で時代の雰囲気を残すことができたのは、おそらくきわめて限られた上層階級の人々だけであったでしょうから、それほどご政道の批判めいたものは現れません。というか、本書では取っていないだけかもしれません。本書の構成としては、冒頭の第1章でエジプト文字を簡単に解説した後、第2章から第7章でさまざまなシーンに応じてエジプト人の書き残したものが紹介されています。最初の方は、お仕事編であり、出勤簿から「サソリに咬まれたので休みます」といったものがあったりします。エジプト版の『鳥獣戯画』が紹介されるとともに、ペットとの暮らしについては、エジプト人のネコ好きが明らかにされていて、侵攻してきたペルシア軍がネコを前線に置いたところ、エジプト軍が総崩れになったらしいです。本書にはありませんが、ネコはエジプト発祥だったような記憶もあります。もちろん、酒を飲んで騒いだり、恋を語ったり、といったところは本書でもハイライトとなりますので、読んでみてのお楽しみです。また、最後の方の第6章と第7章では、古代エジプト人の医学と死についてもうかがい知ることが出来ます。まじめに生死を考えている様子だけではなく、亡くなった妻に対して「もう化けて出ないで」、という懇願も含まれていたりします。絵文字の部分は飛ばして読んでもいいですし、じっくりと取り組むのも一案ですし、いずれにせよ、タイトル通りに、肩の凝らない読書ができると思います。
次に、長尾和宏『病気の9割は自分で治せる!』(PHP新書)を読みました。著者は、医学博士の開業医のようです。その昔に、私は同じ作者の同じPHP新書で『歩く人はボケない』という本を読んだのですが、歩くことによりタイトル通りにボケないどころか、ガンも治るという "One size fits all" 的な健康法で、私自身が感心しないと受け止めましたので、あえて、ブログやSNSでレビューしないことに決めた記憶があります。本書についても、いくつかのSNSで見かけて、怪しげな内容であるかもしれないと感じましたが、まあ、そういうのも含めての読書、レビューなんだろうと思って読んでみた次第です。まず、本書については、ハッキリいってキワモノと考えるべきです。私が読んだ以前の『歩く人はボケない』(PHP新書)と同じで、歩くこと、特に太陽光を浴びて歩くことを推奨しています。私はこの点については大きな異論はありません。ただ、本書の中心となるのは第4章であろうと思います。すなわち、糖尿病、リウマチ、認知症、片頭痛、慢性腰痛、便秘、胃炎、肝炎、肺炎、気管支ぜんそく、不眠症、高血圧、脂質異常症、自律神経失調症、はては、がんまで、章のタイトルが「自分でできる病気の直し方」となっていて、まさか、これを信じ切ってそのまま実践する人はいない、とは思いますが、ちょっと気にかかるところです。というか、批判的な読書が必要とされるような気がします。私は大学生を相手に授業をするのが重要な業務のひとつとなっていて、何度いっても新入生に理解されにくいのは、批判的な学習です。高校までは先生が正解を持っていて、その先生が持っている正解にたどり着くのが生徒の努力だったのですが、大学では先生は正解にたどり着く努力の仕方を教えるのが役割であって、正解そのものを与えるのが仕事ではありません。私は期末リポートなどではオープンクエスチョンを出題することがしばしばあります。例えば、日本の食料自給率は40%を下回っていて、先進国でも最低レベルですが、この食料自給率を引き上げた方がよいか、それとも引き上げる必要はないか、といったリポートテーマを出します。高校までであれば、食料自給率引上げの必要あり、あるいは、必要なし、でどちらかが正解で100点、どちらかが不正解で0点、だったのですが、大学ではキチンと論理立ててリポートすれば単位を与えます。教科書に書いてあること、先生が教えたことが無条件に真実かどうか、自分自身でリサーチすることを求め、いろんなことを批判的に理解することを大学では学びます。本書も同じことで、本書に書いてあることを丸ごと事実として実践する読者にはオススメできません。なにぶん、繰返しになりますが、私は前の『歩く人はボケない』を読んで、ブログやSNSでレビューするべきではない、と考えたくらいの著者の本ですので、本書に書いてあることを、批判的に受け止めて自分で判断できる読者にオススメしたいと思います。最後に、p.212以降を読むと、この著者は反ワクチンのお考えをお持ちのようです。その点も考慮して、本書を読むか読まないかを判断できる人にオススメします。
次に、リチャード・デミング『絞首台のある庭』(新潮文庫)を読みました。著者は、米国のハードボイルド調のミステリ作家であり、同じハードボイルド作家として日本でも有名なロス・マクドナルドと生没年がともに同じらしいです。邦訳は2冊目となります。前作も新潮文庫から出版されており、日本独自編集の短編ないし中編集の『私立探偵マニー・ムーン』です。私はこの前作も読んでいます。本書は作者の初めての長編であり、英語の原題は The Gallows in My Garden であり、1952年の出版です。舞台は明示されていないものの、状況からミズーリ州のセントルイスであると推測されています。主人公は前作と同じで私立探偵のマンヴィル(マニー)・ムーンです。古い表現ながら、マッチョでハードボイルドなタフガイ探偵です。戦時中は軍隊で軍曹をしていて、負傷したため片足が義足です。脇を固めるのは、地元警察署で殺人課のトップを務めるウォーレン・デイ警視と部下のハネガン警部補、さらに、ジョージ・チェスター署長は戦時中はムーンと同じ歩兵部隊の少佐でした。警察以外は、前作でオーナーが亡くなって「エル・パティオ」を引き継いでカジノからレストラン&バーに業態転換したファイスタ・モレノはファシスト国家のイタリアから米国に逃れて、ムーンの婚約者だったこともあり、現在でも恋仲に近い感じです。その「エル・パティオ」の警備をしているモウルディ・グリーンは戦時中はムーン軍曹配下の二等兵だったようです。前置きが長くなりましたが、この作品では、初夏の7月半ばに、ムーンの事務所兼自宅を19歳の女子大生グレース・ローソンが訪れてボディガードを依頼するところからストーリーが始まります。グレース・ローソンは兄のドン、というか、ドナルド・ジュニアなどとともに、ドラッグストアのチェーンで財を成したローソン家の遺産相続人であり、1年ほど前に自動車事故で亡くなった父親のドン・シニアから、21歳になるまで結婚しないことを条件に、莫大な遺産相続の権利を示されています。でも、最近、もうひとりの遺産相続人である兄のドン・ジュニアが失踪し、グレースには乗馬の際の馬の腹帯に切れ込みが入れられていたり、ミルクに毒が入っていたり、大きな植木鉢が落下してきたり、と死につながりかねない不可解な事故か事件が起こっているため、ボディーガードの依頼です。しかも、グレースがムーンの事務所兼自宅を去った後に、2人組のギャングがムーンを襲ったりします。ローソン家にはドン・ジュニアとグレースの継母であるアン・ローソンとアンの叔母で画家のアビゲイ・ストルツが住んでいます。そういった家族とは別に、週末ごとに、グレースのフィアンセのアーノルド・テート、亡くなったドン・シニアの弟でドン・ジュニアやグレースから見て叔父に当たる医師のダグラス・ローソン、ローソン家の顧問弁護士のジョナサン・マナリング、ドン・シニア亡き後にドラッグストア・チェーンの経営を担っているジェラルド・カッシングがやって来ます。また、使用人も女中頭のマギー・サリヴァンほか、数人います。こういったローソン家にいる、あるいは、やって来る10人あまりの、いわば容疑者がいるわけで、マニー・ムーンが見事にその謎を解き明かします。ミステリの謎解きですので、背景説明はタップリするとしても、あらすじは簡単に終わっておきます。はい、いかにも米国的なハードボイルドで、謎解きも本格的で楽しめます。



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