2026年1月17日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、郡司大志『金融政策の効果測定』(慶應義塾大学出版会)では、1999年2月のゼロ金利から始まって、2024年3月の量的・質的金融緩和の解除と金融政策の「正常化」までの期間の金融政策の効果の測定を試みています。因果推論を活用した計測なのですが、計測対象が適切かどうかは疑問です。マルチェロ・ムスト[編著]『マルクス・リバイバル』(地平社)では、資本主義や共産主義、さらに、民主主義から始まって22のチャプターで専門家たちが最近時点でのマルクス研究の成果を紹介しています。ただ、日本人研究者は参加しておらず、マルクス研究で遅れを取っているのだろうか、と思ってしまいました。岩井圭也『真珠配列』(早川書房)では、近未来の中国を舞台に、異常な速さで進行する癌による死者が出始め、その中に有力政治家の子息が含まれていて、北京市公安局刑事偵査総隊の捜査官アーロンが、ウイグル人の遺伝子エンジニアであるマリクの協力を得て操作を進めます。麻根重次『千年のフーダニット』(講談社)では、コールドスリープした7人が1000年後に目覚めると、そのうちの1人が死んでいた、という事件について、ハウダニットとフーダニットの謎を解き明かそうと試みます。SF的な色彩豊かなミステリです。和仁かや『江戸の刑事司法』(ちくま新書)では、バーチャルお白州ということで、タイトル通りに、徳川幕府の「公事方御定書」を基に、さらに、実際の裁判記録である「御仕置類例集」などをひも解いて、徳川時代の刑事司法を紹介しています。碧野圭『凜として弓を引く 覚醒篇』(講談社文庫)は、中学を終えて名古屋から東京に引越して来て、武蔵西高校に入学する矢口楓を主人公とする弓道青春小説であり、そのシリーズ第5巻に当たる本書では、西武蔵高校弓道部は関東大会に出場し、同級生の真田善美はインターハイの個人戦で優勝します。
今年2026年の新刊書読書は先週に4冊、今週の6冊を加えると合計で10冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、瀬尾まいこ『幸福な食卓』(講談社文庫)、『千年のフーダニット』の前作である麻根重次『赤の女王の殺人』(講談社)、大山誠一郎の短編集『密室蒐集家』と『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』(文春文庫)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、郡司大志『金融政策の効果測定』(慶應義塾大学出版会)を読みました。著者は、大東文化大学経済学部現代経済学科教授だそうです。本書は、タイトル通りに、金融政策の効果を測定していますが、当然ながら主眼は四半世紀に渡った非伝統的な金融緩和政策にあります。すなわち、1999年2月のゼロ金利から始まって、2024年3月の量的・質的金融緩和の解除と金融政策の「正常化」までの期間の金融政策の効果の測定にあります。そして、もともとの著者の姿勢がどうなのかは私は存じませんが、軽く想像されるように、否定的な側面が全面に押し出されている印象があります。ただ、手法としてははやりの因果推論を用いています。というのは、しばしば金融政策分析に用いられるニュー・ケイジアン・モデルには明示的な銀行部門がないから、という理由です。ただ、冒頭第1章で、金融政策や金融政策の効果に関する定義では「はっきりしない」と結論していて、金融論は専門外の私なりにも、本書で金融政策の効果として測定している代理変数に疑問あるものもないわけではありません。例えば、第7章でETF買入れ政策で株価が押し上げられていたという結論ですが、第8章でROA/ROEを企業のパフォーマンス指標として用いると逆の結果が得られます。要するに、株価はROA/ROEを反映していない、という矛盾を不問にした分析がどこまで整合性ある結果を引き出せているかは疑問です。また、第5章のインフレーションターゲティング政策も、効果を測定する指標として企業パフォーマンスを取るのが適当かどうかも疑問です。日銀法は冒頭で、日銀は物価安定を通じて国民経済の健全な発展に貢献するという役割を負うと規定していますが、ほとんどの分析で企業が金融政策効果測定の対象になっている印象があり、国民生活への影響は無視されている、ないし、いわゆるトリックルダウン効果が前提されていると考えられます。せいぜいが、第6章の個人の借入れ意欲に対する効果くらいで、消費への効果分析をもっと前面に打ち出してもいいように思うエコノミストは私くらいで、多くのエコノミストは企業への効果に目が行くのは悲しいことかもしれません。最終第10章のテーマである金融政策に何を求めるのかの視点が、少し私とはズレている気がしました。最後に、私は黒田総裁当時の日銀の異次元緩和は失敗だったと考えています。大きな理由は物価目標を達成できなかったからです。

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次に、マルチェロ・ムスト[編著]『マルクス・リバイバル』(地平社)を読みました。著者は、カナダのトロントにあるヨーク大学社会学教授であり、マルクス研究の復権に近年多大な貢献をしてきた論者として世界的に知られる存在だそうです。実は、この編著者を招いて、今週、私の勤務する立命館大学で講演会がありました。私も出席しようかと考えなくもなかったのですが、先週に私が参加した経済学部教員の飲み会で講演会が話題になり、reprpductive/reproduction とは、私は something 不妊治療だと思っていて、普通は不妊治療も含めた生殖医療を指すのですが、マルクス研究では「再生産」という特殊な意味を持つ、と聞いて少し驚いてしまいました。少なくとも本書冒頭の資本主義を邦訳している我が同僚教員の宇野派のプリンスは、私の理解が通常の英語の理解だろうと認めてくれましたが、どうも、マルクス研究の界隈では違うようです。私は官庁エコノミストとして60歳の定年まで公務員をしていて、まさに、政府公認の経済学を持ってお仕事をしてきたわけで、マルクス研究ははるか彼方の大昔の大学生だったころで終了しています。ですので、日本語でも理解がおぼつかないマルクス研究なのに、英語の講演会では出席しても意味はなかろう、と考えて出席は取り止めました。本書も読んでみましたが、それほど理解がはかどったとも思えません。序章に続いて、冒頭の資本主義や共産主義、さらに、民主主義から始まって22のチャプターで専門家たちが最近時点でのマルクス研究の成果を紹介しています。最後の22章は、マルクス主義と題してウォーラーステイン教授が執筆しています。繰返しになりますが、冒頭章は資本主義と共産主義から始まる一方で、私がマルクス研究のもっとも興味ある経済学と歴史研究については章立てされていない点は少し不思議に感じました。まあ、好意的に考えれば、経済学や歴史研究についてはすべてのチャプターでそれぞれ言及されている、ということなのかもしれません。いくつかの章で史的唯物論というのはお目にかかった気がしますが、それでも、歴史発展の方向性や法則は私にとってはマルクス研究のもっとも重要なポイントのひとつですので、章立てしてほしかった気がします。最後に、ノーベル経済学賞に日本人がまったくウワサにもならないように、主流派経済学では日本の学界や研究者は決してトップレベルに達していません。ほど遠いといえます。本書を読むと、これまた、マルクス研究でも日本人研究者がまったく執筆に参加していません。グローバル化をテーマとする第16章執筆のチョン・ソンジン教授が慶尚北道国立大学の所属となっていて、韓国のご出身のように見えます。日本人研究者は主流派経済学だけでなく、マルクス研究でも遅れを取っているのだろうか、と少し気になってしまいました。極めて限定的な私の経験からして、日本のマルクス研究は脱成長と環境問題に重点を置いているように見えますが、AIをはじめとする技術進歩の問題にもマルクス研究の観点からの発言を期待しています。はい、大いに期待しています。

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次に、岩井圭也『真珠配列』(早川書房)を読みました。著者は、小説家なのですが、最近ではドラマの原作となった『最後の鑑定人』が人気のようです。本書の舞台は近未来の中国であり、その理由はゲノム操作の規制がもっとも緩やかな国のひとつだからであり、本書はそのゲノム操作をテーマとしています。タイトルの真珠配列とは理想的なゲノム配列を意味します。癌をはじめとする病気に罹患しにくかったり、肥満しにくい体質だったり、というような感じで、いわゆるデザーナベビーのヒトゲノム配列のようなものです。それをこれから生まれてくる生殖段階で実施するデザイナーベビーではなく、すでに生まれた後の成人などでゲノム操作をする、というものです。あらすじは、異常な速さで進行する癌による死者が出始め、特に、その死者の中に有力政治家の子息が含まれていて、北京市公安局刑事偵査総隊=犯罪捜査課の捜査官である郝一宇=アーロン・ハオが本書の主人公で、操作を担当する警察官の1人です。捜査協力者として、新疆ウイグル自治区出身のウイグル人の遺伝子エンジニアであるマリク・ヌアイマーンと協力しているのですが、ウイグル人は漢人から強く差別されており、ほとんどテロリストとみなす警察官もいたりします。例えば、アーロンが付き合っている恋人がいて、彼女の父親が警察幹部であることから、アーロンはそのコネを持って出世を期待しているのですが、その恋人の父親がウイグル人を捜査から外すように圧力をかけたりします。ということで、ゲノム操作と異常に早く進行する癌の関係をめぐって捜査が進み、真相が明らかにされます。最後に、ゲノム操作とか遺伝子関係の私の知識は極めて限定的なのですが、そういったこの界隈の情報をそれほど持ち合わせていなくても、ミステリとして十分楽しむことが出来ます。ただ、ウイグル人に対する漢人の感情については、少し日本人の想像を超えています。

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次に、麻根重次『千年のフーダニット』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家なのですが、2023年に『赤の女王の殺人』で島田荘司選 第16回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞して、作家としてデビューしています。この前作は私はすでに読んでレビューしています。本書と前作とはまったく何の関連もなく、それぞれ独立した作品として楽しむことが出来ます。本書、基本的にはミステリと考えるべきなのですが、舞台はほぼほぼ1000年後の世界です。冷凍睡眠=コールドスリープした7人が1000年後に目覚めると、そのうちの1人が死んでいた、という事件について、ハウダニットとフーダニットの謎を解き明かそうと試みます。主人公はコールドスリープした7人のうちのクランです。若くして妻を喪い失意に沈んで人類初のコールドスリープに参加します。ほかにも、イリヤ、シーナ、カイ、シモン、クロエ、マルコのさまざまな事情を抱えた男女7名は「テグミネ」という繭のような装置で長い渡る眠りにつき、1000年後に目覚めると、テグミネのなかでミイラと化したシモンの他殺体を発見することになるわけです。そして、残された6人は、結局、コールドスリープの施設の外に出て活動を始めます。最後はどんでん返しもあって、当然ながら、驚くべき真相が待っています。SF仕立てのミステリで、単行本で400ページ近くと、それなりのボリュームありますが、とてもスラスラと読めます。当然、コールドスリープや何やの基礎知識は必要とされません。ただ、コールドスリープに入るには、本人以外が装置のオペレーションをする必要がある、というのがポイントです。また、私のベタな感想では森博嗣『すべてがFになる』を思い出してしまいました。はい、この2点はギリギリながらネタバレではないと思います。最後に、私個人としては、ハウダニットとフーダニットの謎解きはいいとしても、動機にややムリを感じました。

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次に、和仁かや『江戸の刑事司法』(ちくま新書)を読みました。著者は、早稲田大学法学学術院教授であり、ご専門は近世日本法制史だそうです。本書では、バーチャルお白州ということで、タイトル通りに、徳川幕府の「公事方御定書」を基に、さらに、実際の裁判記録である「御仕置類例集」などをひも解いて、徳川時代の刑事司法を紹介しています。本書冒頭でも指摘しているように、近代以降の日本や西洋の刑事司法と違って、徳川期は理不尽な拷問をしたり、残酷な刑罰を乱発したり、といったイメージがある一方で、人情味溢れるいわゆる「大岡裁き」だって存在した、というTVドラマの影響も見逃せないところです。本書では章別に、盗みと火附といった犯罪から始まって、不倫、というか、いわゆる姦通、さらに、現時点でも決して議論がつきない処罰なのか更生なのかの議論、また、現代的な心神耗弱の前近代の表れのひとつである「物の怪」などに起因した乱心による犯罪、最後に、女の罪、のそれぞれを取り上げて歴史的にひも解いています。裁きを下す裁判官役の役人も、重罪である資材や遠島を申し渡す際には前もって幕閣の老中に確認するなど、手続き面も大いに言及されています。もちろん、近代的な三権分立の概念が成立する以前のことであり、立法権と行政権と司法権すべてを幕府が一手に握って、さまざまな配慮をしつつも、近代的な行政や司法制度と違って強権的な裁きを行っていた例があることは明らかです。その意味で、国際法を無視して独裁者的に振る舞って、勝手な利益を追求する米国トランプ政権のやり方を少し思い起こさせるものがありました。

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次に、碧野圭『凜として弓を引く 覚醒篇』(講談社文庫)を読みました。著者は、ラノベ作家であり、私が聞いたのことがあるのは「書店ガール」のシリーズです。読んだことはありませんし、渡辺麻友が主演し、稲森いずみも出演しているTVドラマ化されていたのは知っていましたが、それほど熱心には見ていません。この「凜として弓を引く」シリーズは、初巻から始まって、「星雲篇」、「初陣篇」、「奮迅篇」ときて、本書「覚醒篇」で5巻目となります。当たり前ですが、私は第1巻から第4巻まで順に読んでいます。中学を終えて名古屋から東京に引越して来て、武蔵西高校に入学する矢口楓を主人公とする弓道青春小説です。同級生の真田善美やその兄の真田乙矢に誘われて、近くの神社の弓道教室に通うようになり、かつて名門弓道部のあった武蔵西高校2年に進級して、弓道同好会として復活させて各種大会予選に出場する、というのが第4巻奮闘篇までです。この第5巻覚醒篇では、3年生に進級して同好会を弓道部に昇格させて、主人公の矢口楓は引き続き部長を務めます。西武蔵高校弓道部は関東大会に出場し、同級生の弓友である真田善美はインターハイの個人戦で優勝したりします。関東大会やインターハイの場面もあるわけですので、都内や関東に限らず弓道部のある全国の高校のライバルも何人か登場します。そして、この第5巻の最後で、主人公の矢口楓は武蔵西高校を卒業して西北大学に推薦入学により進学します。西北大学というのは「都の西北」なんですから、早稲田大学がモデルなんではないかと想像しています。当然、弓道部がありますし名門だという設定です。主人公の矢口楓や同級生の真田善美が大学生になって、まだまだ、第6巻以降に続きます。なお、私は弓道についてはまったく知識も経験もなく、本書で頻出する弓道の技術的な用語はすべてすっ飛ばして読んでいます。たぶん、そのあたりの知識や情報があった方が読書を楽しめそうですが、そこはラノベですので、窮屈なことはいわない方がいいと思います。

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2026年1月10日 (土)

今週の読書は新刊書読書少なく計4冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ヘンリー・サンダーソン『電気自動車は本当にエコなのか』(原書房)では、電気自動車(EV)などに広く用いられているバッテリー生産のために、リチウムやコバルトといった鉱物資源が自然環境や労働条件を考えることなく乱掘されており、環境破壊や労働者の健康被害を起こしている実態に着目しています。町田章『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)では、言葉が持つ機能は決してコミュニケーションだけではなく、そのバックグラウンドとなる文化や体験も含めて、人間らしい思考力を身につけるために外国語学習が必要であり、自分の生まれ育った環境以外の経験も重要と指摘しています。レオ・マレ『探偵はパリへ還る』(新潮文庫)は、フランスのハードボイルド・ミステリ小説であり、第2次世界大戦下のドイツで捕虜として収容所の病院で働く探偵ビュルマは、瀕死の男から「エレーヌに伝えてくれ、駅前通り120番地」と謎の言葉を残され、釈放後フランスへ戻ると探偵助手が死の間際に同じ住所を告げます。大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)では、赤い博物館と通称される警視庁付属犯罪資料館の館長である緋色冴子が助手の寺田聡とともに30年以上も前の事件も含めて、資料館に送られてくる事件の真相解明のために再捜査に挑みます。
今年2026年の最初の新刊書読書はこの4冊となります。これらの新刊書読書のほかに、新刊書ではないので取り上げていない年末年始の読書もかなりあります。麻根重次『赤の女王の殺人』(講談社)は同じ作者の最新作である『千年のフーダニット』への準備を兼ねて読みましたし、碧野圭『凜として弓を引く』(講談社文庫)のシリーズ計5冊も読んで、すでに、SNSでシェアしていたりします。また、本日レビューしている大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)のシリーズ前2作『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』も読んでいます。加えて、シリーズ外ながら、大山誠一郎『蜜室蒐集家』(文春文庫)も読みました。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。

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まず、ヘンリー・サンダーソン『電気自動車は本当にエコなのか』(原書房)を読みました。著者は、ファイナンシャル・タイムズ紙のジャーナリストです。英語の原題は Volt Rush であり、2022年の出版です。私がタイトルから期待した内容と少し違って、電気自動車に限定せずにスマートフォンなどでも広く使われている蓄電池のためにリチウムやコバルトをはじめとする各種鉱物が環境負荷を考えずに乱掘されている実態を告発しています。最初に取り上げられている金属はリチウムであり、私くらいの専門外のエコノミストでもリチウム電池は聞いたことがあります。次がコバルトであり、こういった金属あるいは鉱物資源について、周囲の自然環境や労働条件を考えることなく乱掘されており、環境を破壊するとともに、労働者の健康被害なども着目しています。その上で、典型的な環境破壊・健康被害をもたらしているのが中国企業である点が強調されている気がします。たぶん、その通りなのだろうと思いますが、何分、米国でトランプ政権が成立する前の出版ですので、今後、環境問題を無視する政権下で米国企業も名を連ねる可能性がある点は忘れるべきではありません。最後に、私が期待した内容と違っている点を書きとめておきたいと思います。すなわち、私はトヨタなんぞと同じように、現在の日本では、電気自動車(EV)が輸送部門のカーボン・ニュートラルの決め手になるとは考えていません。なぜなら、EVが走行中に二酸化炭素を排出しないのは明らかであり、製造や廃棄まで含めたライフサイクル・アセスメントでもEVの二酸化炭素排出が小さい点は確認されているのですが、そもそも、EVに充電する電力が化石燃料で発電されていれば、結局、カーボンニュートラルへの貢献が限定的になるからです。資源エネルギー庁のパンフレット「日本のエネルギー」などを見る限り、水力発電を含む再エネ比率がドイツ、英国、スペインなどで40%を超えている一方で、日本の場合、まだその半分の20%そこそこにしか過ぎません。二酸化炭素を発生させない再エネで発電された電力をEVに充電するのでないと、カーボンニュートラルは進みません。発電段階で化石燃料を使って二酸化炭素を排出していたのでは何にもなりません。その意味で、本書の内容は私の期待通りではありませんでした。

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次に、町田章『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)を読みました。著者は、日本大学法学部教授であり、ご専門は認知言語学だそうです。AIを持ち出す前にも、とっても有能な機械翻訳サービスが始まっており、私自身はそれほど英語については苦労していません。ですので、本書でも指摘しているように、言葉が持つ機能は決してコミュニケーションだけではなく、そのバックグラウンドとなる文化や体験も含めて、人間らしい思考力を身につけるために外国語学習が必要、という結論なのだと思います。その点は同意します。ただし、そういった異文化体験というか、自分の生まれ育った環境以外の経験のために視野を広げるのは、本書では何ら言及ありませんが、読書やズバリ海外生活なんかも大いに役立つわけで、外国語の学習以外にも手段や方法はいっぱいあります。そのうちのひとつ、という理解で私はいいと思います。本種の著者はもっとも有効な手段のひとつ、と考えているかもしれません。加えて、機械翻訳がここまで発達すればOKなのかもしれませんが、母語をしっかり理解するという役目も、私は外国語学習に期待していて、その観点も本書では抜けています。機械翻訳が今ほど発達していなかったころ、英語に翻訳しやすい日本語で考えて表現する、という作業が重要であったのを記憶している人も少なくないものと思います。そういった外国語の表現を頭に入れて母語の表現を考える、というのも有効かと私は考えています。最後に、本書はタイトル通りに「英語」の学習に特化した観点で議論を進めていますが、お示しした観点も含めて、たぶん、英語よりもスペイン語の方が論理的で本書の視点には合致しそうな気がします。例えば、ということでいえば、スペイン語には過去形が2種類あり、一定の継続性を伴う行為を示す線過去と一時的な過去の表現をする点過去です。本書では、英語の現在完了形で have gone to と have been to で苦しい言い訳めいた違いの説明をしていますが、スペイン語であればこういった説明が不要になる可能性がある、と私は考えています。ただ、pax Britanica や pax Americana の時代が長らく続いて、英語が事実上の世界標準言語の地位をしっかり占めている現在では、やっぱり、英語学習が外国語教育の中でももっとも重要になるんだろうということは理解しています。

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次に、レオ・マレ『探偵はパリへ還る』(新潮文庫)を読みました。著者は、フランスの小説家なのですが、第2次世界大戦中に国家反逆罪で収監されドイツの収容所に送られ、フランスに帰還した後、ハードボイルド小説を書き始めています。本書のフランス語の原題は 120, rue de la Gare であり、1943年の出版です。本書は本邦初訳だそうです。主人公はフィアット・リュクス探偵事務所の所長であるネストール・ビュルマであり、私立探偵と考えるべきです。ハードボイルドなミステリなのですが、ホームズに対するワトソン役は見当たりません。ストーリーは場所により2部構成となっていて、リヨン編とパリ編に分かれます。ストーリの冒頭は第2次世界大戦下のドイツで、主人公のビュルマは捕虜として収容所の病院で働いています。その病院で、記憶を喪失し瀕死の状態の男から謎の言葉を告げられます。「エレーヌに伝えてくれ、駅前通り120番地」です。その「駅前通り120番地」がフランス語の原題となっているわけです。ビュルマは収容所から釈放されて、リヨンに着いたところで、探偵事務所の助手のロベール・コロメルが射殺されます。その際に、何と、同じように「所長、駅前通り120番地」という言葉を残して死んで行きます。なお、どうでもいいことながら、文庫本の後ろカバーや出版社の紹介文で、なぜか、この助手が射殺されるのがパリであるかのような言及がなされていますが、ドイツで釈放されてスイスを横断してリヨンに到着した矢先の出来事ですので、パリではあり得ないと思います。さらに、コトを複雑にしているのが、ビュルマの秘書がエレーヌ・シャトランという名で、メッセージを伝えるべき相手と同じファーストネームなものですから、警察は彼女を尾行したりします。そして、ビュルマはパリに帰還し、いろいろと、いかにもハードボイルドな調査を実行して謎を解明し、助手の射殺犯を突き止めます。なにぶん、1943年というドイツに占領されていた当時のパリですので、科学捜査などの時代的な制約とともに、交通の不便さもありますし、まったくドイツや占領軍批判は現れません。底意地の悪いドイツ軍将校に調査の邪魔をされる、といった場面もありません。繰返しになりますが、捜査の進め方はハードボイルドですし、謎解きはとても明快です。今まで邦訳されていなかったのが不思議なくらいです。

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次に、大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、京都大学ミステリ研究会のご出身です。今まで私はまとまった本としては、この著者の作品を読んだことがありませんでしたので、初読の作家さんといえます。ただ、短編ミステリの名手ですので、どこかのアンソロジーで短編作品を読んでいるのではないかという気がします。本書は、三鷹にある警視庁付属犯罪資料館「赤い博物館」の館長である緋色冴子警視と助手の寺田聡の2人が、すでに時効となった事件などの古い犯罪について、ほぼほぼ勝手に再捜査して真実を突き止める、というシリーズ第3作です。本書以前の『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』についても、本書に先立って読んでいて、シリーズを順番で読書しています。館長の緋色冴子はキャリアの警察官ながら、コミュニケーション能力に問題があって無愛想で、閑職に追いやられています。表情にも乏しいので、本書では時折「雪女」と表現されていたりします。助手の寺田聡は警視庁捜査1課の敏腕刑事だったのですが、捜査資料を現場に置き忘れるという大失態があって、これまた、閑職に追いやられています。シリーズはすべて短編ミステリであり、第1作の『赤い博物館』では、緋色冴子はまったく館外には出かけず、寺田聡に捜査を任せっきりにして安楽椅子探偵の役割を務めています。逆に、第2作の『記憶の中の誘拐』では、緋色冴子は必ず資料館の外部に出かけていって、寺田聡とともに捜査活動をしています。そして、このあたりが作者のシリーズの進め方の上手なところなのですが、この第3作では、とうとう公式・非公式に警視庁捜査1課から再捜査の依頼を受ける事件も出始めています。ただ、30年くらい前の事件もあ含まれていて、関係者の記憶については作者の都合で鮮やかに蘇らせることは可能としても、いわゆる科学捜査の技術的な限界があったりするのは当然です。本書に収録sれているのは6話の短編であり、まず、「30年目の自首」では、時効が成立した殺人事件の真犯人だと男が名乗り出てきます。続いて、「名前のない脅迫者」では、飲酒運転の取締りから逃走した自動車が炎上します。続いて、「3匹の子ヤギ」では、深夜のコンビニに押し入った強盗犯がウォークイン冷蔵庫で自殺してしまいます。続いて、「掘り出された罪」では、社員寮の解体の際にコンクリートからナイフが発見され、昔の殺人事件の再捜査が始まります。続いて、表題作の「死の絆」では、衆議院議員とホームレスが、多摩川沿いの小屋で野球のバットで殴り殺された未解決事件の真相に挑みます。最後に、「春は紺色」は、前日譚であり、警視庁の兵頭英介警視と寺田聡が偶然出会って、兵頭英介と同期の緋色冴子が入庁当初に警察学校に通っていたころの謎解きの思い出を語ります。私は、このシリーズ3作だけでなく、同じ作者の短編集『蜜室蒐集家』も年末年始休みに読みましたが、いずれもとてもレベルの高い短編ミステリです。ただ、なりすまし、というか、入替りがトリックに多用されているように感じました。その点で、好みが分かれるかもしれません。

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2025年12月30日 (火)

今年の Book of the Year

先日、今年の #2025年の本ベスト約10冊 ということで、経済書・専門書編と小説編で、それぞれ、約10冊をリストアップしましたが、番外編で今年2026年の Book of the Year は『ポケモン生態図鑑』(小学館)で決まりです。何といっても、フルカラー200ページ近い充実した内容ながら、税別1300円というのは抜群のコスパだろうと思います。孤島に1冊だけ持って行くとすれば、『歎異鈔』かこれか、私は大いに迷うんではないかと思います。

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最後に、ついでながら、私の見立てによる Person of the Year は、参議院選挙で当選されたラサール石井先生です。コチラは、ぶっちぎりです。

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2025年12月28日 (日)

#2025年の本ベスト約10冊

ツイッタ(現在はX)で、年末に #2025年の本ベスト約10冊 というハッシュタグが流行っています。私もマネしたいと思います。ただし、諸般の事情により、10冊程度に絞り切ることは難しく、経済書・専門書部門と小説部門でそれぞれ10冊ほど上げてみたいと思います。以下の通りです。

  1. 経済書・専門書部門
    • オードリー・タン & E. グレン・ワイル『Plurality』(サイボウズ式ブックス)
    • ジョセフ E. スティグリッツ『スティグリッツ 資本主義と自由』(東洋経済)
    • ヤニス・バルファキス『テクノ封建制』(集英社)
    • ウィリアム・ラゾニック & ヤン-ソプ・シン『略奪される企業価値』(東洋経済)
    • 森川正之『不確実性と日本経済』(日本経済新聞出版)
    • ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史』上下(河出書房新社)
    • 中野剛志『基軸通貨ドルの落日』(文春新書)
    • 橋本健二『新しい階級社会』(講談社現代新書)
    • 田中将人『平等とは何か』(中公新書)
  2. 小説部門
    • 塩田武士『踊りつかれて』(文藝春秋)
    • 伏尾美紀『百年の時効』(幻冬舎)
    • 鈴木光司『ユビキタス』(角川書店)
    • 伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)
    • 逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』(早川書房)
    • スティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』上下(文藝春秋)
    • 宮島未奈『成瀬は都を駆け抜ける』(新潮社)
    • 伊与原新『宙わたる教室』(文藝春秋)
    • 上條一輝『深淵のテレパス』(東京創元社)
    • 寝舟はやせ『入居条件: 隣に住んでる友人と必ず仲良くしてください』(角川書店)

経済書・専門書部門の表紙画像です。

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小説部門の表紙画像です。

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2025年12月27日 (土)

今年納めの読書は経済書2冊のほか計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、小峰隆夫・村田啓子『最新 日本経済入門[第7版]』(日本評論社)は、いかにも大学の年半期に使う教科書を意識した構成ながら、それ以外にも日本経済について勉強したい幅広い読者に有益であろうと思います。ただ、大学に入学したばかりの1年生には少し骨かもしれません。佐藤隆広・西山博幸[編著]『新新貿易理論とインド経済』(ミネルヴァ書房)では、メリッツ教授らによる新々貿易理論(NNTT)を数式を展開しながら解説しつつ、NNTTの分析枠組みでもってインド経済を実証的に捉えようと試みています。ただ、推計結果には少し疑問があったりはします。宮島未奈『成瀬は都を駆け抜ける』(新潮社)は、成瀬あかりを主人公とするシリーズ第3作、完結編です。京都大学に入学し理学部の1回生となった成瀬あかりは同じ学部の友人ができ、森見登美彦らの京大文学をテーマとする達磨研究会に入り、京都も極めようとします。幸村百理男『東大理三の悪魔』(宝島社)では、中学の数学の授業で「論理は1次元、理解は2次元、実感は3次元」という言葉を聞いてから、脳内で革命的変化が起きたように物事の見え方が変わり、成績を伸ばして東大理三に合格してした主人公と米国大富豪の後継者の関係でストーリーが進みます。池本大輔『サッチャー』(中公新書)では、英国初めての女性首相であり、1980年代の米国レーガン大統領とともに世界的に新自由主義的な経済政策を推し進めたサッチャー首相の伝記であり、経済政策とともに政治や外交、核兵器の廃絶などにおける英米の違いなども議論しています。辻村美月『嘘つきジェンガ』(文春文庫)では、嘘や詐欺で長らく保たれていた均衡が崩壊する時点がやって来る3話からなる短編集です。嘘や詐欺といった虚構の世界に入っていく人間の弱さといったものにも真剣に立ち向かって、何らかの解決を示している点が評価できる短編集です。背筋ほか『令和最恐ホラーセレクション クラガリ』(文春文庫)は、6話のホラー短編から編まれたアンソロジーです。人知を超えて近代科学では解明できないような奇怪な現象や怪異な存在が登場するわけではありませんが、違和感と呼ぶにはあまりにも大きな歪みを感じるホラー集です。
今年2025年の新刊書読書は1~11月に293冊を読んでレビューし、12月に入って先週までに312冊、今週の7冊を加えると合計で319冊となります。昨年に続いて、今年も年間で300冊に達しています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、小峰隆夫・村田啓子『最新 日本経済入門[第7版]』(日本評論社)を読みました。著者はそれぞれ、大正大学地域構想研究所客員教授と立正大学大学院経済学研究科教授です。現職はそういうこということなのですが、お2人とも内閣府の官庁エコノミストのご出身で、当然に、私とは面識があります。本書は第7版ということで、前回の第6版が2020年3月の出版でしたから、コロナの緊急事態宣言の直前ということで、5年余りを経過して、それなりの変更あったことと思います。15章構成で、いかにも、大学の年半期の授業を意識しているのですが、それ以外にも日本経済について勉強したい幅広い読者に有益であろうと私は考えます。ただ、大学に入学したばかりの1年生には少し骨かもしれません。私の勤務する立命館大学経済学部でも、私が日本経済論を教えていたころは、大学2年生からの配当となっていました。本書も、ミクロ経済学やマクロ経済学などの基礎を1年生で勉強してから取り組む、といった感じかもしれません。15年前の長崎大学から今の立命館大学でも、私が授業で教科書として使っている有斐閣の『新 入門・日本経済』では、長らく続いたデフレの影響からか、物価やインフレ・デフレについて章立てしていませんが、本書ではキチンと章立てしていて物価安定の重要性や需給ギャップについても取り上げています。他方で、本書では企業部門の活動がスッポリと抜け落ちていて、日本経済のエンジンとしての企業活動が把握しにくくなっています。いかにも官庁エコノミストご出身らしいともいえますが、その点で私の不満が大きく、今後も有斐閣の教科書を使うような気がします。また、本書では高度成長の終焉については、1970年代の2度に及ぶ石油危機だけが原因ではないとしていて、私の見方に一致します。私の見解は役所にいたころの共著論文で「日本の実質経済成長率は、なぜ1970年代に屈折したのか」にある通りです。ただ、日本の戦後の経済史を極めて大雑把に振り返ると、1945年の終戦から超インフレ期も含めて10年ほどの戦後混乱期、1950年代なかばから1960年代を通じての高度成長期、1970年代の石油危機によるインフレやニクソン・ショックによる固定為替制の終焉、さらに、1980年代、特に、その後半のバブル経済期、1990年代初頭のバブル崩壊から始まる長い停滞期、特に、1990年代末からのデフレ期、と進むと、1970年代の石油危機やニクソン・ショックによる高度成長の終了、というのは、判りやすいといえば判りやすく、学術的な正確性よりも授業における学生の納得感という意味では捨てがたいことも事実です。まあ、「間違ったことを教えているのか」と問われれば反省すべき点はあるかもしれませんが、50年を経た今となってはそう重要でもない気もします。

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次に、佐藤隆広・西山博幸[編著]『新新貿易理論とインド経済』(ミネルヴァ書房)を読みました。編著者はそれぞれ、神戸大学経済経営研究所教授と兵庫県立大学国際商経学部教授です。本書はタイトルからも明らかな通り、メリッツ教授らが切り開いた新々貿易理論(NNTT)を解説しつつ、NNTTの分析枠組みでもってインド経済を実証的に捉えようと試みています。ひとつお断りですが、本書では「新新貿易理論」と漢字を2つ並べていますが、このレビューでは通常の表記に従って「新々貿易理論」と表記しています。悪しからず。なお、本書は完全な学術書であり、冒頭の2章ではかなり詳細な数式の展開がなされています。ということで、3部構成のうち、前半2章では新々貿易理論(NNTT)、中盤の2章でグローバル化の中のインド経済、最後に日本企業のインド経済における活動に、それぞれ着目しています。私は今さらながらという気もしますが、メリッツ教授の新々貿易理論(NNTT)の理論展開の方に興味があり、インド経済は流し読みした程度です。これまた、今さらながらで、貿易理論は3世代あり、古典派経済学の伝統的なリカード貿易理論はいわゆる比較生産費説であり、私はこれを大学で教えています。絶対生産費ではなく国内における相対価格の優位性に基づいて貿易が行われる、というものです。ヘクシャー-オリーン・モデルとして精緻化され、国と国の間の貿易構造の説明には有効ですが、なぜ完全特化しないのか、あるいは、産業内の貿易については説明できません。戦後の経済学でデキシット教授とか、バグワティ教授が切り開いて、クルーグマン教授が完成してノーベル経済学賞を受賞したのが新貿易理論であり、規模の経済と製品差別化を導入して独占的競争貿易モデルを基にしています。産業間だけでなく産業内貿易についても説明力を有します。しかし、産業内ですべての企業が輸出を行うわけではありませんし、輸出が生産性の高い一部の企業だけであるという観察され定型化された事実を説明できません。最後の第3世代の新々貿易理論では企業に関して生産性が異なるという異質性を許容し、そのことによって輸出する企業と輸出しない企業が混在する現実経済を説明できることになりました。本書では、この新々貿易理論について、やや単純化し、例えば、貿易相手国を1国だけとして2国モデルにするとか、労働賃金をニューメレール財とするとかです。おそらく、これらの単純化によって数式の展開がかなり簡素化されているような気がします。そして、この理論展開を基にして、実際のデータを用いた実証分析がなされています。推計結果のパラメータの符号が理論値と反対だったり、統計的な有意性がなかったりして、少し疑問が残ったりはするのですが、こういうふうに実証するのかと勉強になりました。参考文献も私のような専門外のエコノミストには有り難かったです。

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次に、宮島未奈『成瀬は都を駆け抜ける』(新潮社)を読みました。著者は、小説家であり、京都大学文学部のご出身です。本書は成瀬あかりを主人公とする『成瀬は天下を取りにいく』と『成瀬は信じた道をいく』に続くシリーズ第3作、最終巻です。第1作の『成瀬は天下を取りにいく』が本屋大賞を受賞したこともあり、出版社では本シリーズの特設サイトを開設しています。本書では、成瀬あかりは膳所高校を卒業して京都大学理学部に入学しています。経済学部だったら、私の後輩だったのですが、チョッピリ残念です。6話の短編からなる連作短編集です。収録順にあらすじは以下の通りです。まず、「やすらぎハムエッグ」では、入学式で知り合った坪井さくらが視点を提供します。表紙画像は入学式に際して、おばあちゃんの着物を成瀬が着ているという設定です。坪井はほのかに思いを寄せる高校の同級生と同じ京大を目指し合格しますが、彼は東大に志望校を変更していました。しかし、京大に来て同じ理学部1回生の成瀬と知り合います。続いて、「実家が北白川」では、農学部1回生で家が北白川にある梅谷誠が視点を提供します。梅谷は、達磨研究会なる森見登美彦の京大文学をこよなく愛するサークルに入会し、成瀬と坪井もいっしょになります。サークル会長の工学部2回生の木崎輝翔からもらったガイドブックを基に成瀬は京都を極めようとします。続いて、「ぼきののか」では、私の勤務する立命館大学の学生、ぼきののか、こと、田中ののかという簿記の検定試験をテーマにした動画配信者が視点を提供します。ぼきののかは、簿記2級に落ちていたことを視聴者に正直にいえなかったのですが、北野天満宮で成瀬といっしょになり、また、視聴者から簿記2級不合格の事実を暴露されて炎上します。続いて、「そういう子なので」では、成瀬あかりの母親の美貴子がストーリーを進めます。地元のパトロール活動をしていた成瀬に、びわテレ「ぐるりんワイド」のプロデューサーから「びびっと!びわびと」への出演を依頼され、家にも取材に来て母親の美貴子もテレビに登場します。続いて、「親愛なるあなたへ」では、競技かるた高校選手権で成瀬と出会った西浦航一郎がストーリーを進めます。西浦は京都の大学、たぶん、京大ならざる京都の大学に入学し、広島を離れて下宿しているのですが、多忙を極める成瀬にはなかなか会うことがかなわず、鳩居堂のレターセットで成瀬に手紙を書いて文通しています。最後に、「琵琶湖の水は絶えずして」では、島崎みゆきが東京から成瀬に呼び出されてストーリーを進めます。すなわち、盲腸で入院したため、成瀬はびわ湖大津観光大使の仕事を篠崎かれんとともに果たすよう島崎に依頼します。この最終話では、オールスターキャストで、今までに成瀬と関わった多くの人物がズラリと登場します。最後に、本書は京大や京都の地理に詳しくなくても、それなりに楽しむことは十分可能です。主人公である成瀬あかりのキャラが眼目だからです。でも、私自身が京大OBでもあり、京大や京都の地理にそれなりに詳しいいわけで、もしもそうであればもっと楽しむことのできる小説だという気がします。鳩居堂は銀座にもありますが、寺町にもあります。達磨研究会がもっとも典拠が豊富そうな気がします。森見登美彦の小説『夜は短し歩けよ乙女』は京大文学のひとつでしょうし、達磨研究会のこたつと鍋は、明らかに、2018年2月の「京大こたつ事件」を下敷きにしています。「京大こたつ事件」を知らない読者はネット検索することをオススメします。最後の最後に、最終話は明らかに本シリーズを終了させることを目的に書かれています。ライヘンバッハの滝に主人公を突き落とすのもとってもクールな終わり方なのですが、こういったハッピーエンドも考えたものだと感心しました。

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次に、幸村百理男『東大理三の悪魔』(宝島社)を読みました。著者は、東大理三から医学部を卒業した眼科医のようです。本書は今年2015年1月の出版で、私は単行本で読みましたが、早くも上下巻に分冊して文庫本となっているらしいです。というか、そもそも、本書はAmazon Kindle版として2024年4月に発表された『東大理三の悪魔』と同じ2024年8月に発表された続編『東大病院の天使』を合冊・加筆修正し、書籍化していますので、再度、分冊して文庫化される、ということのようです。出版業界は複雑です。本書では、その第1部が『東大理三の悪魔』に、第2部が『東大病院の天使』に相当します。全体を通じて、主人公はタムラノボルであり、第1部では東大生、すなわち学生ですが、第2部では研修医になっています。タムラノボルは中学の途中まではそれほど勉強ができずに、いじめられっ子でした。しかし、中学の数学の授業で、「論理は1次元、理解は2次元、実感は3次元」という言葉を聞いてから、脳内で革命的変化が起きたように物事の見え方が変わり、メキメキと成績を伸ばしてそのまま東大理三に合格してしまいます。同じ東大理三の学生で喫煙をする仲間を得ますが、同時に、駒場にある東大教養学部の図書館で、外見は明らかに女性であるのに男性名と考えられる間宮惣一を名乗る人物と出会います。間宮惣一とは、大学入学前の東大模試で異次元の点数を叩き出した人物であり、興味を引かれるのは当然です。主人公と間宮の間で極めて難解な会話が交わされます。世界は6次元であり、オモテ3次元とウラ3次元であるとか、世界を7次元まで展開するとか、あるいは、「旧約聖書」創世記の記述と現実世界の関係、などなどです。第2部に入ると、第1部で間宮惣一だった人物がシモーネ・ウィルスという名の女性、しかも、米国の大富豪の跡取りとして登場します。主人公は東大病院の研修医として肝臓外科で研修中であり、そこに富豪一族の当主のような人物が肝臓手術のために、1フロアにある病室をすべて押さえて入院してきます。シモーネと主人公の会話ほかから、聖書の創世記に基づく世界の始まり、宇宙の真理、生物の存在などを明らかにする試みが続けられます。最後に、私の感想でもないのですが、本書については、主人公の選択は私とは大きく異なります。ですので、何ともいえませんが、私のレビューに頼ることなく、実際に読んでみることをオススメします。本書は今世紀初頭の00年代で終わっています。ですから、続編があることは明らかであり、事実、出版社のサイトでも2026年1月早々の出版が告知されています。私がこのシリーズを読み続けるかどうかは未定です。

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次に、池本大輔『サッチャー』(中公新書)を読みました。著者は、明治学院大学法学部教授です。タイトルはいうまでもなく英国の首相を務めたマーガレット・サッチャーであり、本書はマーガレット・サッチャーの伝記といえます。もちろん、眼目は英国首相の地位にあった1979-90年ということになります。私自身はエコノミストですし、1980年代の英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領、あるいは、日本の中曽根総理なども含めて、いわゆる新自由主義的な経済政策を推進して格差や不平等を拡大させた政策の実行者とみなしていますが、もちろん、政治家ですので経済政策だけではなく政治や外交、ほかに重要な政策を実行しています。もちろん、経済政策をはじめとする政策とともに、政策決定や政策実行の政治的スタイルなども論じています。私の興味ある範囲でいくつかの論点をピックアップすると、まず、経済政策については、通常の理解ではサッチャー政権では国営化されていた企業の民営化と規制緩和や労働組合運動への敵対的な姿勢が強調されるのですが、本書ではまず、資本移動の自由化を進めたのが不平等を拡大させて、同時に労働分配率を低下させ、ブルジョワジーというか資本家、企業寄りの政策であった点が強調されています。う~ん、確かにそういう面もありますが、ジャーナルにも採択されなかったIMFのワーキングペーパーなんかを根拠にしていて、やや疑問が残ります。やっぱり、国営企業の民営化、規制緩和による民間ビジネスの活動分野の拡大、さらに、本書でも強調している炭鉱ストに対する対応なんかがサッチャー政権の特徴ではなかったかという気がします。特に、炭鉱ストへの対応は、米国のレーガン政権における航空管制官の解雇と同様に大きな影響あった気がします。経済政策以外では、核廃絶に対する考えが英国のサッチャー首相と米国のレーガン大統領で大きく異なっていた、とする指摘は、私は専門外でもあって、初めて知りました。すなわち、米国のレーガン大統領は、いわゆるスターウォーズ計画でもってして、当時のソ連の核兵器を無力化し、核兵器廃絶の目標を堅持していたのに対し、英国のサッチャー首相は当時の東西の通常兵力の差を埋めるためには核兵器が必要、との立場だったということです。なるほど、という気はします。最後の最後に、現在の米国のトランプ政権が反エリートであって新自由主義から決別した、という見方がある一方で、トランプ政権の政策は新自由主義的であることは否定できない、とする見方もあります。私は圧倒的に後者の見方をしていますが、そういった米国だけでなく、米国や、もちろん、日本の政策動向を考えるうえでも参考になる読書でした。

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次に、辻村美月『嘘つきジェンガ』(文春文庫)を読みました。著者は、とっても人気の小説家です。私は『かがみの孤城』などは読んでいますが、それほどたくさんの作品を読んでいるわけではありません。本書には、短編といってもいいのでしょうが、やや長い中編くらいの3話が収録されていて、タイトル通りに、嘘や詐欺といったテーマのもと、嘘をつく方とつかれる方の両方の視点から人間というものの不安定性を浮き彫りにしています。収録順に、あらすじを紹介すると、まず、「2020年のロマンス詐欺」では、地方から東京の大学に入学して下宿を始めた途端にコロナ禍で生活が一変し、入学式も取りやめ、バイトも見つからない男子学生が主人公であり、昨今でいう「匿・流」=匿名・流動型犯罪の闇バイトほどではありませんが、ネットを通じたロマンス詐欺でアルバイト代わりに収入を得ようとします。続いて、「五年目の受験詐欺」では専業主婦が主人公で、優秀な長男に比べて、やや伸び悩み気味の次男の中学受験に際して、教育コンサルタントの特別紹介の事前受験で夫にも内密に100万円を支払った過去があり、次男が高校生になった5年後にそれが詐欺であったことを知ります。「あの人のサロン詐欺」では、崇拝する漫画原作者のふりをして20代半ばから10年に渡ってオンラインサロンでファンと交流している「子ども部屋おばさん」が主人公です。漫画原作者が漏らした近くに見える東京スカイツリーの建設の進捗から、なりすましを思いついたのですが、何と、ご本人がハレンチ罪で逮捕されてしまいます。はい。どの短編も嘘や詐欺で長らく保たれていた均衡が崩壊する時点がやって来て、やっぱり、嘘や詐欺はそう長くは続けられない、という点が強く感じられます。ただ、そういった虚構の世界に入っていく人間の弱さといったものにも真剣に立ち向かって、何らかの解決を示している点が評価できる短編集です。本書は、オチのない純文学ではありませんから、何らかのオチはあります。基本はハッピーエンドと受け止める読者も多いのでしょうが、中には、いい終わり方ではない、と考える読者もいそうな気がします。最後の最後に、本書は2022年に単行本として出版されていて、私も最初の「2020年のロマンス詐欺」は何かのアンソロジーで読んだ記憶がありますが、今年になって文庫本化された最大のポイントは直木賞作家の一穂ミチの解説ではないだろうか、という気がします。その巻末の解説まで含めて、本書はいい作品だと感じました。

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次に、背筋ほか『令和最恐ホラーセレクション クラガリ』(文春文庫)を読みました。著者は、ホラー小説家たちであり、本書は6話の短編を収録したアンソロジーです。収録順にあらすじを概観します。まず、背筋「オシャレ大好き」では、高級アパレルブランドのショップに勤める女性、その昔には「ハウスマヌカン」といっていたような気がする販売員が、お客さんと話していて急に「えっ?」となる場面がとっても怖いです。高価なファッションと消費欲望の裏に存在するある種の呪いが透けて見えます。続いて、澤村伊智「鶏」では、主人公が以前に出版社の編集者をしていたころのお話で、頼まれて深夜のオフィスで来訪者を応接し、少しオドオドした態度の男性が話し始めたのは鶏を食べることについてでした。続いて、コウイチ「金曜日のミッドナイト」では、取材でやってきたテレビディレクターが主人公で、テレビのディレクターであると同時にYouTuberでもあり、インタビュー内容が並べられているだけなのですが、取材を進めるとともに、その街全体に漂う不可解で奇妙な雰囲気、何かのズレ、などが増幅されてゆきます。続いて、はやせやすひろ×クダマツヒロシ「警察が認めた<最恐心霊物件>」では、YouTubeチャンネルに届いた連絡から、同棲を始めた女性が借りた部屋に幽霊が出て、警察に相談すると心霊物件だといわれてしまいます。続いて、栗原ちひろ「余った家」では、結婚を控えた主人公の女性が、婚約者とともに家族がナイショで所有している田園調布にある空き家を訪れると、いろいろと不可解な謎に遭遇します。主人公家族の御蔵家そのものがとってもブラックです。最後に、梨「恐怖症店」では、黒衣と助手の少年が「恐怖症」を売る店があり、プールの授業に欠席するために巨大水槽恐怖症を買ったのを皮切りに、自分の情のひとつと引換えに多くの恐怖症を買って行く少女がいたりします。はい。とっても季節外れに怪談を読んでしまいました。ひとつにはNHKの朝ドラ「バケバケ」を熱心に見ているせいかもしれません。人知を超えて近代科学では解明できないような奇怪な現象や怪異な存在が登場するわけではありませんが、違和感と呼ぶにはあまりにも大きな歪みを感じるホラー短編集でした。

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2025年12月20日 (土)

今週の読書は文庫本を多く読んで計8冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、亀田啓悟・井深陽子[編]『「不安」の解析』(慶應義塾大学出版会)では、慶應義塾大学経済学部の嘉治佐保子研究会の門下生が、経済学の方法論に基づいて国民の閉塞感や不安について解明を試みています。3部構成となっており、企業の不安、家計の不安、政策の不安を各部で論じています。塩田武士『踊りつかれて』(文藝春秋)では、音楽プロデューサーが自分のブログで宣戦布告し、不倫報道で自殺に追い込まれたお笑い芸人の天童ショージ、週刊誌の記事としつこい取材に誘発された暴言で姿を消した歌手の奥田美月、この2人に誹謗中傷した者など93人の氏名を明らかにします。川口元気『8番出口』(水鈴社)は、世界的大ヒットゲーム「8番出口」を基にノベライズした小説であり、小説についてはホラーそのものでした。地下道を歩き回って、それでも出られない、という無限ループは、イーグルスが歌った「ホテル・カリフォルニア」と似ています。三宅香帆『考察する若者たち』(PHP新書)では、平成から令和への時代の流れの中で、ひとつの大きな変化として批評から考察、というのを捉えて、何らかの謎を解き明かし正解を得ようとする行為を令和の特徴としています。しかし、前著の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に比べて物足りない印象です。佐高信・前川喜平『だまされない力』(平凡社新書)では、評論家と元文部科学事務次官の対談集であり、タイトル通りに、だまされない力について議論しています。日本人はその昔はガバナイリティが高く、お上に従順、といわれ続けてきましたが、政府や権力に対する批判的な受け止めが必要だと感じます。高野和明『踏切の幽霊』(文春文庫)は、小田急線の下北沢3号踏切の幽霊について、新聞記者だった女性週刊誌のジャーナリストがカメラマンとともに殺された女性の正体を突き止め、その背景も明らかにします。超常現象のホラー小説と政界も巻き込んだスキャンダルという社会派ミステリが合体した小説です。ジェーン・スー『ひとまず上出来』(文春文庫)では、我々のような一般ピープルが接することの出来ない世界の情報を持ちつつも、我々一般ピープルの感覚も同時に持ち合わせている著者が、セレブの世界の覗き見趣味よりも、フツーの人々のあるある感を満足させてくれます。トピックも日常的な話題が多い印象です。柊サナカ『喫茶ガクブチ 思い出買い取ります』(文春文庫)では、美咲兄妹のうち、額装を担当する兄の伸也が2階の額縁店を切り盛りし、妹の真日留は1階のカフェにいます。高円寺にあるお店で、さまざまな絵画や写真ほかを額装して売る中で、心温まる連作短編が6話収録されています。
今年2025年の新刊書読書は~11月に293冊を読んでレビューし、12月に入って先週までに304冊、今週の8冊を加えると合計で312冊となります。昨年に続いて、今年も年間で300冊に達しています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、亀田啓悟・井深陽子[編]『「不安」の解析』(慶應義塾大学出版会)を読みました。編者2人は、それぞれ、関西学院大学総合政策学部教授と慶応義塾大学経済学部教授です。本書の編者はもちろん、執筆陣は慶應義塾大学経済学部教授を2025年3月末で退任した嘉治佐保子研究会の門下生だそうです。タイトル通り、1990年代初頭にバブル経済が崩壊してから、日本経済は長く停滞を続け、その中でいわゆる閉塞感や本書のタイトルにも取られている「不安」を多くの国民が感じている中、経済学の方法論に基づいてこういった閉塞感や不安について解明を試みています。本書は3部構成であり、企業の不安、家計の不安、政策の不安を各部で論じています。企業の不安については、カルテル・談合の課徴金減免制度とマクロ経済の不確実性を取り上げ、家計の不安では中央銀行デジタル通貨(CBDC)と富裕税と景気変動の健康への影響を論じています。しかし、やっぱり、最大の不安は政策の不安、特に、財政赤字や公的債務残高、あるいは、政府や民間における債務残高の累増ではなかろうかと思います。私は一昨年の紀要論文で "An Essay on Public Debt Sustainability: Why Japanese Government Does Not Go Bankrupt?" とのタイトルで公的債務のサステイナビリティを概観したこともありますので、政府の財政赤字=毎年のフローと公的債務残高=ストック、に焦点を絞ってレビューしておきたいと思います。まず、私自身の考えでは、日本政府の公的債務残高は着実に安定化に向かっているし、少なくとも、日本政府が国債のデフォルトに陥ることはとても可能性が低いと考えています。本書でも言及されている現代貨幣理論(MMT)的な無条件でのサステイナビリティは認めませんが、実務的にそんなことはほぼほぼあり得ないと考えているわけです。世代間で後に生まれる世代に借金がつけ送りされるとも考えていません。ただし、第1に、民間投資をクラウディングアウトする可能性は否定できません。第2に、国民のマインドや金融市場に影響する可能性です。いわゆる「野獣を飢えさせろ」Starve the Beast 的な政策運営の原因となる可能性がありますし、英国のトラス・ショックも、まだ記憶に新しいところです。第3に、可能性としては極めて小さいといえますが、財政がいわゆる「雪だるま式」に赤字を増大させて発散する可能性もなくはないといえます。ですので、私は緊縮的な財政で債務残高を縮小させるのは得策ではないと考える一方で、いくらでも赤字を垂れ流してもいいとまでは思いません。その時々の国民の判断にもよりますが、適切な範囲で財政赤字をとどめて、金融市場や国民のマインドを悪化させることのない財政運営は必要だと考えています。

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次に、塩田武士『踊りつかれて』(文藝春秋)を読みました。著者は、ミステリも含めたエンタメ小説家であり、私は前作の『存在のすべてを』を含めて、ある程度はこの作者の作品を読んでいると自負しています。簡単にストーリを振り返っておくと、後に裁判の被告となる瀬尾政夫が「枯葉」というハンドルネームで管理しているブログ「踊りつかれて」に、宣戦布告と題して、記事が投稿されます。すなわち、不倫報道がきっかっけでネットメディアやSNSで誹謗中傷を含めて批判され、自殺に追い込まれた令和のお笑い芸人の天童ショージ、さらに、週刊誌全盛の時代に、でっち上げの記事としつこい取材に誘発された暴言が原因で芸能界から姿を消した伝説の歌姫である歌手の奥田美月、この2人に対して、匿名性を隠れ蓑にネット上でバッシングした者やいいかげんな記事を書いた記者など93人の氏名はもちろん、年齢、住所、会社や学校、その他の個人情報がその罵詈雑言とともに、リストアップされた投稿です。瀬尾政夫はリストアップされたうちの1人から名誉毀損で告発されて裁判となり、京都在住の30代の弁護士である久代奏が弁護を依頼されます。その久代奏が大雑把に主人公となって視点を提供しますが、別の視点が提供される部分もいっぱいあります。要するに、久代奏が弁護士として事件の全容を調査し、その中身が小説になっているわけです。瀬尾政夫は音楽プロデューサーであり、一時は奥田美月の担当もしていたことは当初から明らかでしたが、不明だった天童ショージとの関係を解明します。そして、壮絶だったのが後半の奥田美月のデビュー前の幼少期の生活です。このあたりは読んでいただくしかありません。私が読んだ前作の『存在のすべてを』が、隠された人生のポジな要素満載であったのに対し、本作品は逆に隠されたネガな要素が満載です。最後に、今月2025年12月10日からオーストラリアで16歳未満にSNSが禁止されたこともあって、私が学生諸君にSNSや動画配信についてお話していることを書いておしまいにします。すなわち、私は30-50年先にはSNSは現在の酒・タバコのようにみなされる可能性がある、と学生諸君にお話しています。私自身の人生は残り10年くらいで、これから先20年生きる自信がないので見届けることが出来ませんが、20歳前後の学生諸君であれば、50年先のSNSの末路も経験できると思います。日本でも50年前には酒はもちろん、タバコもまったく抵抗なく喫煙していたような気がしますが、現時点でのタバコの扱いについては広く感じられている通りです。たぶん、タバコだけではなくお酒も含めて、現在のSNSはそういった見方がなされるようになる可能性が十分ある、というのが私の見立てです。まあ、何と申しましょうかで、雰囲気でご理解ください。

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次に、川村元気『8番出口』(水鈴社)を読みました。著者は、映画の制作や小説の執筆などの活動をしています。私は『世界から猫が消えたなら』を読んだ記憶があります。本書は、ゲームクリエイターであるKOTAKE CREATE氏によって2023年に制作され、累計180万ダウンロードを記録した世界的大ヒットゲーム「8番出口」を基にノベライズした小説であり、別途、実写映画化もされています。無限ループですので、あらすじはほとんどないに等しいのですが、地下鉄を降りた若いサラリーマン男性が地上に出ようと地下道を歩き回るが、8番出口が見つからず、ホームレス男性や小学生と歩き回り続ける、というものです。本書冒頭には、【ご案内 Information】として、5点、すなわち、(1) 異変を見逃さないこと Do not overlook any anomalies. (2) 映画を先に楽しみたければ、引き返すこと If you would like to experience the film first, turn back immediately. (3) 小説を先に楽しみたければ、引き返さないこと If you would like to experience the novel first, do not turn back. (4) 小説で明かされる秘密を、決して他人には言わないこと Do not reveal the secret unveiled in the novel. (5) 8番出口から外に出ること Go out from Exit 8. が上げられています。そして、ゲームそのままに歩き回っても、8番出口から外には出られないわけで、私はゲームの方も、映画の方も知りませんが、少なくとも小説については無限ループのホラーそのものでした。入ったけど出られない、というのは、イーグルスが歌った「ホテル・カリフォルニア」と同じであり、"You can checkout any time you like, but you can never leave!" なわけだと思います。

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次に、三宅香帆『考察する若者たち』(PHP新書)を読みました。著者は、私も読んだ前著の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)で話題になった評論家です。ただ、本書は、結論からして、少し物足りない読書でした。2020年から始まったコロナ禍あたりで切り替わった平成から令和への時代の流れの中で、ひとつの大きな変化として批評から考察、というのを捉えて、何らかの謎を解き明かし正解を得ようとする行為を令和の特徴としています。とても怪しいと感じるのは私だけではないと思います。本書では、例えば、映画化もされたウェブライター雨穴による小説『変な家』について、何らかの正解がある「考察小説」、あるいは、読者が考察して正解を得ることを著者が期待している、と捉えています。単独でそう考えることにムリはありませんが、平成から令和への時代の流れの中で社会の多くがそうなっていると考えるのはムリがあります。この第1章の批評から考察へ、で始まって、第2章では萌えから推しへ、第3章と第4章は飛ばして、第5章でやりがいから成長へ、となると、さらに怪しくなります。何らかのブランドや組織や行動に対するエンゲージメントから、自分の満足への目標の変化、という意味なのだろうと思いますが、そこまで日本社会は成熟していない気がします。いくつかのSNSやYouTubeなどでの動画配信がますます多様化し、本書でいうようなwebプラットフォーム上での「正解」という最大公約数を浮かび上がらせるような現象というものはまだ現れておらず、将来はともかく、現時点では社会的な分断が進んでいるだけであり、将来的なコンバージェンスに至る成熟化は、まだ見られない。と私は考えています。そして、アチコチで何度か繰り返していますが、20-30年から50年くらい先では、私はSNSや動画の配信などは現時点での酒・タバコと同じような見方をされる、と考えていて、反社会的とまではいわないものの、「決して賢い人のすることではない」あるいは、「やり過ぎず、ほどほどに」と受け止める人が少なくないような社会が到来する可能性があると考えています。ただ、それまでの長い長い期間、最大公約数的な「正解」ではなく、自分や自分が属するグループの考える「正解」を追い求める分断の方が表立って観察されるのではないか、と私は考えています。ですので、考察というよりも正解を求めるというのは、令和ではなく、令和のさらに先の時代のことかもしれません。

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次に、佐高信・前川喜平『だまされない力』(平凡社新書)を読みました。著者、というか、対談者2人は、評論家と元職ながら文部科学事務次官だった人物です。本書冒頭では、「開運! なんでも鑑定団」に出演している古美術鑑定家のお話として、ニセモノに引っかかる時というのは、欲が目をくらませる、使えるカネがある、不勉強、という3要素を上げています。そういった観点から、教育と学び、宗教と道徳、SNSなどを対談で論じています。はい、高校までの初等中等教育ではなく、大学という高等教育機関まで進学した大学生に対して、批判的な学習を勧める教員は私だけではなく、決して少なくないことと思っています。すなわち、教科書に書いてあることや教師が言ったことを鵜呑みにせずに、自らリサーチして学習する必要です。ただ、最近では、その「学習」がネット検索やAIならまだしもいい方で、YouTubeの動画の方を見るのがリサーチとなってしまって、YouTuberを大学教授よりも信頼されてはたまったものではありません。そういった「学習」っぽいメディアが溢れていて、それらの多くが無料で提供されている点を私はむしろ危惧しています。お金を出して買う本よりも、ネットに無料でアップロードされているpdfファイルに書いてあることの方に信頼を置くという学生も少なくないのではないか、と心配しています。ただ、だまされないために勉強、学習するというのはそれなりに重要なポイントであり、英国のエコノミストであったジョーン・ロビンソン女史は、"The purpose of studying economics is not to acquire a set of ready-made answers to economic questions, but to learn how to avoid being deceived by economists." すなわち、「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連のありきたりな解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされないようにするかを知ることである。」というよく引用される名言があります。私も授業中に難解とも思えない経済の真理、例えば、国債価格と金利は逆方向に動く、とか、為替の変動とはオーバーオールの国際収支尻をゼロにする方向に動く、とか、経済というよりもやや金融に近い分野の動向を説明すると、どう見ても理解しておらず、闇雲に暗記しようとする学生がいることに気づいていますが、たぶん、教員である私に騙されたような気分になっている可能性があると受け止めています。学問的な考えだけでなく、日本人はその昔はガバナイリティが高い、すなわち、お上に従順、といわれ続けてきましたが、政府見解などについても批判的な受け止めができるような成熟した態度が必要になのだろうと思います。

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次に、高野和明『踏切の幽霊』(文春文庫)を読みました。著者は、小説家であり、本書は第169回直木賞の候補作としてノミネートされています。私はこの作者の最高傑作の一つである『ジェノサイド』が大好きだったりします。あらすじは、小田急線下北沢3号踏切における深夜の都市伝説のような幽霊をめぐる物語です。舞台は1990年代なかばの東京、下北沢の踏切を中心とする地域であり、主人公は50過ぎで中年に差しかかりながら、新聞記者から女性週刊誌に転じたジャーナリストの松田です。この中年記者が若いカメラマンとともに踏切に現れる幽霊について調査を行います。怪談、というか、ホラーとしては、近代物理学では考えられないような物体が写真に写り込んだり、そもそも、死んでいるはずの若い女性が自力で殺害現場から踏切まで移動したりします。しかし、その女性が死んだ、というか、殺害されたのは心中事件であったと警察では考えていた一方で、記者とカメラマンが真実解明に立ち向かい、ついには、名前すら警察では判明できなかった死亡した女性の正体を突き止め、さらに、政界も巻き込んだスキャンダルの可能性が示唆される、という結末を迎えます。すなわち、決して近代物理学を超えた超常現象ではなく、合理的な説明がつけられる事件と、近代物理学では説明ができない超常現象とが混在します。前者の方は、社会派のミステリのような要素を強く含んでいます。単純な超常現象だけで構成されたホラーや怪談と社会派ミステリが合体している印象です。

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次に、ジェーン・スー『ひとまず上出来』(文春文庫)を読みました。著者は、ラジオパーソナリティ、コラムニストであり、本書は『CREA』ほかに連載されていたエッセイを2021年に単行本として出版され、さらに、今年2025年9月に単行本化されています。エッセイとして収録されていた雑誌の性格からして、それほど若い世代ではない女性を読者に想定しているのだと思います。したがって、著者と同じような年代性別の読者が想定されているようで、私が入らないカテゴリーかもしれない、という気はします。たぶん、あくまで、たぶん、ながら、発表順は出版順くらいでソートされていて、特にテーマ別のカテゴリーも設けられていません。ただ、著者は、もちろん、有名人だし、特別感ある人物なのでしょうが、とびっきりのセレブとかではなく、我々のような一般ピープルが接することの出来ない世界の情報を持ちつつも、我々一般ピープルの感覚も同時に持ち合わせていて、セレブの世界の覗き見趣味よりも、フツーの人々のあるある感を満足させてくれるような気がします。取り上げられているトピックも日常的な出来事が少なくなく、タイトルから示唆されているように、中身のコラムやエッセイからも肯定的な世界の捉え方を感じることが出来ます。肩肘張らず、決してセレブ的な一般ピープルにはマネの出来ない世界ではなく、地に足ついたエッセイに仕上がっている気がします。ただ、逆に、一般ピープルには接することが出来ない世界の覗き見趣味、というか、特別感が希薄なので、そのあたりに不満を感じる読者がいるかもしれません。そういった特別な情報に接したいのであれば、別のエッセイを探すことになるのかもしれません。

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次に、柊サナカ『喫茶ガクブチ 思い出買い取ります』(文春文庫)を読みました。著者は、作家なのですが、10年以上も前に「このミス!」大賞・隠し玉として、『婚活島戦記』でデビューしているらしいです。私には初読の作家さんでした。舞台、というか、喫茶ガクブチがあるのは東京は高円寺であり、父親の跡を継いだ美咲兄妹が主人公です。額装を担当する兄の伸也が2階の額縁店を切り盛りし、妹の真日留は1階のカフェにいます。さまざまな絵画や写真ほかを額装して売るわけです。もちろん、持ち込んだご本人が買う場合もあります。6話の短編が収録されています。順にあらすじは、まず、第1話の「旅の空と今日の空」では、大学卒業後に就職もせずに海外旅行を楽しみながらも、今は親の介護に明け暮れている50台女性が旅の写真を持ち込みます。続いて、第2話の「最初で最後の写真展」では、夫をなくした妻が残された写真20枚を額装して写真展を開催することになります。写真展に集まった人から、亡き夫の意外な面を知らされます。さらに、第3話の「ポイ捨ての果てに」では、使い終わったカップが喫茶ガクブチの前にポイ捨てされるようになり、妹の真日留が犯人を突き止めようとします。続いて、第4話の「婚活UFO」では、婚活成功のために相手女性の意図に従って処分しようと、男性が古いブリキのおもちゃのUFOを持ち込みます。続いて、第5話の「夜歩く息子」では、兄妹の叔父の離婚後に高校生の従兄弟が引きこもりになって、一般家屋への覗きで補導された後、真黒く塗られた15センチ角くらいの紙を叔父が発見します。最後の第6話の「おじいちゃんの絵」では、中学生の男子生徒が祖父の絵を額装して欲しいと持ち込んできます。第5話には、少しだけミステリのような謎解きの要素がありますが、それ以外はミステリの要素はほとんど感じられません。さまざま思い出を基に額装し、心温まる連作短編集に仕上がっています。

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2025年12月13日 (土)

今週の読書は来年度の1-2年生向け授業を意識し計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。来年度に1-2年生向け授業を担当しますので、それを意識した計5冊となります。
まず、一橋大学経済学部[編]『新・教養としての経済学』(有斐閣)では、一橋大学経済学部の教授・准教授陣が、大学経済学部の初学者、あるいは、相当にアドバンスな意識の高い高校生を対象に、経済学とはどういう学問かをやさしく解説しています。宮田庸一・阿部俊弘『実践のための統計学』(アイ・ケイ コーポレーション)では、章別に、1変数=ユニバリエイト、2変数=バイバリエイト、単回帰、重回帰、と順を追って解説が加えられた後、本格的に確率や統計の方に展開し、確率分布、標本分布、統計的推計、仮説検定などと統計学の学習を進めます。川本真哉・齋藤隆志・水落正明『データ分析を使ったレポート・論文ハンドブック』(中央経済社)は、データ分析を用いた論文やリポートの内のデータ分析部分だけではなく、そもそものテーマの探し方などから始めて、最後の論文の内容や体裁などまで、詳細なガイドブックとなっています。青柳碧人『乱歩と千畝』(新潮社)では、タイトルから容易に想像されるように主人公は江戸川乱歩と杉原千畝です。その主人公2人のパーソナル・ヒストリーを追い、2人の人生に邂逅する横溝正史や松岡洋右、あるいは、ほかにも名の知られた数多くの小説家や政治家・外交官が登場します。似鳥鶏『みんなで決めた真実』(講談社)では、近未来の日本を舞台に、刑事事件、特に殺人事件については情報公開が進んで、いわばエンタメ化してテレビ放送として裁判が実況中継され、その裁判では名探偵が登場してテレビ局のシナリオに沿ってトリックを暴いて謎解きを披露する、というCase Documentar=CDが一般化しています。
今年2025年の新刊書読書は1~11月に293冊を読んでレビューし、12月に入って先週の6冊も含めて299さつ、今週の5冊を加えると合計で304冊となります。昨年に続いて、今年も年間で300冊に達しています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、一橋大学経済学部[編]『新・教養としての経済学』(有斐閣)を読みました。編者については、今さら私ごときが言及する必要はないと思います。本書は2013年に出版された『教養としての経済学』の改訂版であり、大学経済学部の初学者、あるいは、相当にアドバンスな意識の高い高校生を対象に、経済学とはどういう学問かをやさしく解説しています。私も、一応、経済学部生ではなく他学部生のしかも1年生を相手にする授業がいくつかあり、そもそも経済学とはなにか、についても必要に応じて教えています。最適化や均衡といったいくつかのキーワードを基に、新たな価値が付加されたり、あるいは、保存されたりし、最後に、使い尽くされる財やサービスを労働や資本を用いて生産し、分配し、輸送したりする経済活動をシステムとして理解し、あるいは、解明しようと試みる学問である、と教えています。まあ、判ったような、判らないような定義です。本書では、第Ⅰ部で日本・世界経済の現状を概観した後、環境問題、データ分析、理論モデル、マクロ経済と金融、歴史、数学と統計学を各部で詳述しています。私自身はマクロ経済学が専門なのですが、本書では、マクロ経済についてはほとんど言及なく、マクロ経済とは景気循環や財政ではなく金融が大きな部分を占める、といわんばかりの扱いになっているのは少し残念です。GDP統計や成長とか、失業とか、もう少しマクロ経済のトピックが欲しかった気もします。極めて多数の教員や研究者が執筆に当たっていますので、精粗まちまちで、難易度もまちまち、参考文献も大量にあったりなかったり、というのは仕方ないものと考えるべきですが、いずれにせよ、こういった試みはそれほど多くないので、大いに参考になります。

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次に、宮田庸一・阿部俊弘『実践のための統計学』(アイ・ケイ コーポレーション)を読みました。著者は、高崎経済大学経済学部の准教授と法政大学経済学部の教授です。どちらも経済系の研究者と考えてよさそうです。章別に、1変数=ユニバリエイト、2変数=バイバリエイト、単回帰、重回帰、と順を追って解説が加えられた後、本格的に確率や統計の方に展開し、確率分布、標本分布、統計的推計、仮説検定などと統計学の学習を進めます。基本的には、経済系のデータを分析するのに必要かつ十分な内容であり、ほかにも心理学、社会学、医学薬学なんかにも役立ちそうです。ただ、あくまで統計学であって、計量経済学とは違います。ですから、私なんかが決定的に不足していると考えるのは時系列データの分析です。すなわち、おそらく、マクロ経済学だけだという気はしますが、経済データは多くの場合、時系列で並んでいます。GDPは四半期で分析したり、年データとして扱ったり、失業率や物価指数は毎月発表される、といった具合です。年々や月々の変動を問題にするわけで、その変動は、GDPだと成長率、物価指数だとインフレ率、などと呼ばれるわけです。失業率が上昇するか、低下するかで、内閣支持率も上がったり下がったりする可能性があるわけです。そのあたりの、マクロ経済データを時系列として扱う分には少し不満が残ります。でも、統計学のテキストとしては、繰り返しになりますが、必要にして十分な内容となっていると感じました。ただし、私大文系の学生にはややもすれば欠ける要素として、高校レベルの数学的な素養が必要です。すなわち、数式は詳細に展開されており、実際の数値例も豊富に収録しています。微積分や三角関数、ましてや、虚数なんてのは出てきませんが、繰返しになりますが、高校レベルの数学力は必要です。しかも、これも繰返しになりますが、私の経験では、この「高校レベルの数学力」を十分身につけている経済学部生は決して多くありません。

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次に、川本真哉・齋藤隆志・水落正明『データ分析を使ったレポート・論文ハンドブック』(中央経済社)を読みました。著者は、立教大学経済学部教授、明治学院大学経済学部教授、関西大学経済学部教授です。すなわち、すべて経済学部の教員であり、本書も経済系の内容と考えてよさそうです。データ分析を用いた論文やリポートの内のデータ分析部分だけではなく、そもそものテーマの探し方などから始めて、最後の論文の内容や体裁などまで、詳細なガイドブックとなっています。ただ、私の勝手な感想ながら、私自身が探しているのが1-2年生向けのデータ分析の解説書でしたので、やや難易度が高い気がします。私の勤務校である立命館大学のように、卒業論文を提出する必要のある4年生向け、ないし、大学院修士課程初年度性向けとしての用途なのではないか、という気もします。ただ、義務教育段階とは違って、大学まで至ればレベルは千差万別であって、本書のレベルは1-2年生向けと考える大学もあるのかもしれません。

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次に、青柳碧人『乱歩と千畝』(新潮社)を読みました。著者は、エンタメ小説家であり、『むかしむかしあるところに、死体がありました。』で第17回本屋大賞にノミネートされ、『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』などのヒット作があります。本書は、大正期から昭和の戦争を挟んだ時期というかなり長いタイムスパンを持つ小説であり、タイトルから容易に想像されるように主人公は江戸川乱歩と杉原千畝です。小説ですので、あくまでフィクションであり、どこまで歴史的な事実に基づいているのかは別にして、主人公2人は5歳違いで同じ愛知5中と早稲田の同窓であり、著者も早大ご出身ではなかったかと思います。早稲田近くの食堂でカツ丼を食べる際に主人公2人がいっしょになったあたりから小説が始まります。後は、極めて有名な2人ですので、江戸川乱歩は「二銭銅貨」でデビューしてミステリ作家になり、杉原千畝は外交官となります。その主人公2人のパーソナル・ヒストリーを追い、2人の人生に邂逅するミステリの編集者・作家である横溝正史や戦前期に外務大臣を務めた松岡洋右、あるいは、ほかにも名の知られた数多くの小説家や政治家・外交官が登場します。終戦後に江戸川乱歩は明智小五郎シリーズ、特に、少年探偵団のラジオドラマなどで有名になりましたし、世界大戦中に杉原千畝は本省の意向に沿わない形で、ヒトラーのドイツを逃れたユダヤ人に日本の通過ビザを出して、多くのユダヤ人を救っています。互いの人生が交差してラストに進みます。

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次に、似鳥鶏『みんなで決めた真実』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、2006年に『理由あって冬に出る』で第16回鮎川哲也賞に佳作入選してデビューしています。アンソロジーに収録されている短編を別にすれば、単行本や文庫本としては初読の作家さんかもしれません。本書はミステリであり、最後は謎解きや事件真相の解明となりますが、舞台は近未来の日本であり、刑事事件、特に殺人事件については情報公開が進んで、いわばエンタメ化してテレビ放送として裁判が実況中継され、その裁判では名探偵が登場してテレビ局のシナリオに沿ってトリックを暴いて謎解きを披露する、というCase Documentar=CDが一般化しています。ですので、犯人は適当にしつらえられて役割が割り振られ、無実であるにもかかわらず有罪を宣告されたりしてしまいます。しかし、そこはエンタメ化しているため、執行猶予のついた判決を得て、逆に、犯人としての立場からCDの放送でコメンテータを務めたり、本を出版したりするようになっています。そして、本書の主人公は法学部に通う大学生の貞末悠人であり、主人公がたびたび訪れる介護施設に入居している芳川昭は、すでに引退していますが、血縁でもない主人公から「じっちゃん」と呼ばれて慕われており、かつての名探偵で現在のCDで名探偵が披露する謎解きの間違いを指摘します。そして、同じ施設の老女の孫がJAXAの宇宙飛行士を目指して2次選考まで通過していながら、CDで犯人にされてしまいます。この裁判でじっちゃんの芳川昭が真実を解明して、しかも、徹底的にCDエンタメを根底から成り立たないような活躍をします。

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2025年12月 6日 (土)

今週の読書は経済書2冊のほか計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ケネス・ロゴフ『ドル覇権が終わる時』(日経BP)では、国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストも務めた著者が、ドル覇権の歴史を振り返りつつ、将来の米ドルの地位に対するチャレンジとして、対抗する国の通貨ではなく、米国自身のインフレや政府債務の積み上がりを指摘しています。井手英策『令和ファシズム論』(筑摩書房)では、昭和初期の高橋財政を評価しつつ、ファシズムを防止するため、国民生活を圧迫する緊縮財政も、債務を積み上げる放漫財政も排して、中庸な財政運営を提唱していますが、逆に、本書のような中道がファシズムへの道となりかねない点が危惧されます。伏尾美紀『最悪の相棒』(講談社)では、犯罪被害者家族心理分析班なる新組織が警視庁の捜査一課に新設され、子どものころからの因縁ある広中承子と潮田格の2人の刑事が相棒となって、交番の警官とともに花園団地の事件の解明と解決に当たります。江原慶『資本主義はなぜ限界なのか』(ちくま新書)は、マルクス経済学の視点をもって、蓄積をストップする脱成長市場経済から蓄積も利潤もストップさせる脱成長コミュニズムを展望しています。マルクス経済学に何ら見識ない私には、経済学というよりも歴史発展の観点で疑問が残りました。稲村悠『謀略の技術』(中公新書ラクレ)では、諜報のひとつの形態である人的情報源からの情報収集、すなわち、ヒュミントのさまざまな手法や実例などを収録し、まさに、米国のCIAや英国のMI6、あるいは、旧ソ連のKGBといったスパイ組織の活動について映画を見ているようでした。藤井敏嗣『富士山噴火』(岩波新書)では、富士山はいつ噴火してもおかしくないとの認識のもと、火山噴火の基礎知識から富士山の歴史に残る噴火の事実など、さまざまな観点から富士山の噴火、さらに、噴火に備えた火山政策などについて幅広く解説を加えています。
今年2025年の新刊書読書は1~11月に293冊を読んでレビューし、12月に入って今週の6冊を加えると合計で299冊となります。今年も年間で300冊に達するのはほぼほぼ確実と受け止めています。また、これらの新刊書読書のほかに、桃野雑派『星くずの殺人』と続編の『蝋燭は燃えているか』(講談社)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、ケネス・ロゴフ『ドル覇権が終わる時』(日経BP)を読みました。著者は、米国ハーバード大学教授であり、ご専門はマクロ経済学、金融経済学です。今世紀初頭の2001-03年に国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストも務めています。私の予想ではノーベル経済学賞にもっとも近いトップテンに入るエコノミストの1人だと思います。本書の英語の原題は Our Dollar, Your Problem であり、今年2025年の出版です。英語の原題も日本語タイトルも、いずれも定義がややあいまいな「基軸通貨」という用語を用いていない点は少し注意して読み進んだ方がいいと思います。本書の中でも必要に応じて「基軸通貨」と表現していますが、本書の趣旨はあくまで日本語タイトルに正確に表されている「ドル覇権」なのだろうと私は思います。思い起こすべきは、フランスのジスカール・デスタン大統領に由来する「とてつもない特権」="exorbitant privilege" ではないかと思います。本書では軽く、調達金利が低い点だけが印象的ですが、米ドルにはほかにも特権がいっぱいあります。そういった国際金融の歴史を冷戦期から振り返っています。しかも、英語タイトルにも日本語タイトルにもあるように、著者は国際金融史のインサイダーであり、著名なエコノミストとして、そして、もちろん、IMFのチーフエコノミストとして、私のような並のエコノミストでは接することが出来ない情報にもアクセスしてきています。米ドルの覇権については本書第1章序論にあるように、現時点で世界のGDPの25%を占める米国の通貨である米ドルは、外貨準備の60%、原油取引の80%、商品貿易の40%が、それぞれドル建てとなっていることに現れています。広く知られているように、米ドルの前の覇権は英国のポンドだったったわけですが、20世紀初頭の第1次世界大戦を経て通貨覇権は米ドルに移行しています。ですから、本書でも米ドルの覇権は永遠ではないと指摘し、その背景となる条件ほかについて分析しています。主要には私は2点読み取りました。軍事力と金融市場の発達です。いずれも、前の通貨覇権国である英国も裏付けとして十分な軍事力と発達した金融市場を持っていたことはいうまでもありません。そして、これまた、ドル覇権に対するチャレンジは、決して中国の人民元や欧州のユーロ、もちろん、絶対に日本円ではなく、そういった海外からのチャレンジではなく、むしろ、米国自身のインフレによる低金利の終焉、政府債務、そして、その政府債務に対するアカデミズムの軽視、があると強調しています。すなわち、サマーズ教授なんかが主張し始めた "secular stagnation"=長期停滞は永遠に続くわけではなく、AIの活用などにより成長率が上昇する可能性があって、成長率が上昇して低金利の時代が終わる可能性を指摘しています。そして、現代貨幣理論(MMT)などをはじめとしたアカデミズムの「政府債務はフリーランチ」という志向や政治面でのバイアスからインフレが高進する可能性も指摘しています。はい、そうかもしれません。最後に、私は40年前のバブル経済期であれば、米国に取って替わる勢いのあった日本経済を背景に、ドル覇権の終了は日本経済にはひょっとしたらチャンスになるかもしれない、と考えた可能性がありますが、現時点ではドル覇権が終了に至らないまでも、もしも弱体化したりすれば、日本経済は米国とともに沈んでいく可能性の方を憂慮すべきか、と考えています。最後の最後に、さすがにロゴフ教授も70歳を超えて自分のパーソナル・ヒストリーを振り返ると、かなり自慢話が多くなっている印象を受けました。意識的に避ける努力をしなければ、私もたぶん自慢話が多くなるんだろうと思います。

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次に、井手英策『令和ファシズム論』(筑摩書房)を読みました。著者は、慶應義塾大学経済学部の教授であり、ご専門は財政社会学です。本書は、かなり過激なタイトルですが、タモリの「新しい戦前」におそらく触発されて、現在の日本の経済社会をおおっている薄らぼんやりとした不安の背景を解明すべく、そして、ファシズムに行き着くことなく日本の自由と民主主義を守るという目的で書かれているようです。ただ、その目的は明らかに失敗しています。その失敗は最後に振り返るとして、取りあえず、本書の構成を見ておくと、冒頭4章までで日本とドイツの第1次世界大戦後の財政史を後づけて、財政史の観点からいかに両国がファシズムと戦争に行き着いてしまったかを概観しています。それらは8点に取りまとめられて、終章のpp.300-304にリストアップされています。私が重要と考えるポイントについては、要するに、(1) 生活不安がありながらも、(2) 社会保障が不十分で、(3) 中央銀行に国債を引き受けさせ政府債務を発行することに経済政策運営が頼り、ひとつ飛ばして、(5) 雇用創出から軍備拡張に政策が変化し、(6) 予算が議会による民主的な統制から外れ、以下2点省略、ということになります。日本では、井上蔵相による旧平価での金解禁に高橋財政が対比されつつ、でも、高橋財政では財政赤字は放置されることなく、好況期には増税により赤字削減が図られた点が、本書では強調されています。そして、5章で現在のトピックに重点が置かれるようになり、財政規律が緩んで政府債務に依存した経済運営になっている点が批判的に取り上げられています。その矛先は政府与党だけでなく、「日本財政の大きな不幸は、共産党や社会党が徹底して『反消費税』路線をとってきたことである。」(p.274)と、野党左派にも及んでいます。そして、最後には終章のタイトルは「エクストリーミズムをのりこえる」となっていて、エクストリーミズム=極端主義ではなく中道の財政、すなわち、財政収支の均衡を目指した緊縮財政ではなく、かといって、政府債務に依存した経済運営のような放漫財政でもなく、分断を回避するような中庸の政策の必要性を主張しています。まず、本書では用語としては現れませんが、おそらく、ハーベイロードの前提=Harvey Road presumption が強く認識されているように感じました。ただ、議会による民主的な財政/予算の策定も強く主張されています。でも、国民の要求に沿った財政運営は、ともすれば、ポピュリズムとラベリングして批判的な見方を示していますし、どちらかといえば、ハーベイロードの前提の方が背景としては強力に意識されている印象です。まあ、やや誇張すれば、ポピュリズムを排して賢人が予算を策定して運営すれば、財政が大きな赤字を出すことはない、という見方なんだろうと思います。賛否は分かれるでしょう。次に、極端を避け、ファシズムに行き着くことなく日本の自由と民主主義を守るという本書の目的は明らかに失敗しています。本書は、分断を乗り越える「中道」と自称しつつも、また、エクストリーミズムを排するといいつつも、実は、先日読んだ酒井隆史・山下雄大[編著]『エキストリーム・センター』(以文社)の格好の例となっています。すなわち、「左右両極のポピュリズムを排するといった志向から、実は、エキストリーム・センターは極右に甘く、場合によっては共謀すらしかねない存在」とは、まさに、本書のような主張であると考えるべきです。

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次に、伏尾美紀『最悪の相棒』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家なのですが、2021年に第67回江戸川乱歩賞を受賞した『北緯43度のコールドケース』でデビューしています。博士号を持つ異色の警察官の沢村依理子を主人公とするデビュー作のシリーズには続編として『数学の女王』があり、私はどちらも読んでいます。加えて、最新刊の『百年の時効』が話題になって読んでみて、改めて、さかのぼって本書を読んでみた次第です。博士号を持つ沢村依理子のシリーズ2作は札幌が舞台でしたが、本書と次作の『百年の時効』は東京の警視庁が舞台となっています。本書では、警察官を父に持つ警視庁刑事の広中承子が主人公です。相棒となるのは潮崎格となりますが、2人には深い因縁があります。すなわち、2人が知り合ったのは子どものころであり、潮崎の姉がストーカーに殺害されたときに、犯罪被害者支援室に勤務していた広中の父がケアしていました。しかし、弘中の父は潮崎に対する異常な心遣いから、燃え尽き症候群のように体調を崩し、病気になって死に至ります。少なくとも、広中の記憶ではそうなっていて、したがって、潮崎は父の死に責任ある恨みの対象ということです。潮崎の方は仕事仲間から「犯罪被害者家族心理分析官」とまで呼ばれていて、犯罪被害者に強く寄り添う姿勢を持っています。ですので、犯罪被害者家族心理分析班なる新組織が警視庁の捜査一課に新設され、そこで2人がコンビを組むことになります。こういった過去の振返りは別として、ストーリー上では、現在の事件は都内の花園団地で起こります。私の知る限りでは、「限界団地」という表現もあったように記憶していますし、足立区の花畑がイメージされます。本庁の相棒2人に加えて、所轄署の交番勤務の警察官も事件解明に加わります。自宅で子ども2人をビニールプールで遊ばせていたところ、当時3歳の弟の方が溺死した事案で、5歳の兄の目撃証言を基にした再捜査など、いくつか事件が起こるのですが、最大のハイライトは団地に住む母子家庭の母娘殺害事件です。捜査当初は、DVで離婚した母娘の元夫・父親である競技自転車の選手が容疑者として浮かびますが、広中と潮田のコンビが、というよりも、潮田が交番勤務の警察官の協力も得つつ、事件の全容解明を行います。相変わらず、デビュー作の『北緯43度のコールドケース』と同じで、いろんな物を詰込み過ぎの印象です。『百年の時効』では、その詰込み過ぎが好評だったのだろうと思いますが、この作品ではそれほど評価できるとは思えません。この作家には、『百年の時効』のように、時間的に超長期か、地理的にだだっ広い範囲を取り込むようなミステリが適している気がします。

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次に、江原慶『資本主義はなぜ限界なのか』(ちくま新書)を読みました。著者は、立命館大学経済学部の准教授であり、ご専門は社会経済学、マルクス経済学です。はい。ですから、私の同僚ということになります。今年4月の採用ではないかと思います。「宇野派のホープ」とか、「宇野派のプリンス」と呼ばれるやに聞き及んだことがありますが、私には詳細は不明です。私は長い人生で「ホープ」とか、ましてや「プリンス」なんて呼ばれたことがありません。面識はありませんでしたが、キャンパスにある研究棟で、本書の最後にある著者近影と同じ人相風体の人と出くわしたので、「ちくま新書を読みました」とご挨拶しておきました。自分でもミーハーだと思います。それはさておき、本書では、表紙画像の副題にも見られる通り、脱成長の経済学をマルクス経済学の観点から展開しています。ですので、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)と同じ主張なのだろうと思います。本書冒頭では、ごく簡単に経済学説史をひも解いた後、近代経済になって資本蓄積が始まって成長が当然視されるようになった歴史を振り返ります。地球環境や気候変動について概観し、私も授業で取り上げている Planetary Boundaries の議論にも言及しつつ、脱成長の基本構造について解説を加えています。その上で、現在の資本主義が継続される脱成長市場経済は蓄積を止めるだけである一方で、脱成長コミュニズムは利潤と蓄積の両方をストップするということらしく、二段階の脱成長を論じています。私はマルクス経済学については、大学時代にしか接したことがありませんので、50年近い時間を経過して大きな発展を遂げていることとは思います。でも、私の知る限り、宇野派はかつての労農派の一段階革命論ではなかったか、と記憶している一方で、講座派的な二段階脱成長論が本書では論じられています。マルクス主義の深さを実感します。それはさておき、私自身は経済学は別としても、マルクス主義的な歴史観、唯物史観については相当の信頼を置いています。ですので、資本主義の次には社会主義ないし前期共産主義が来て、さらにその次には共産主義ないし後期共産主義が来る、可能性は十分あると思います。要するに、現在の資本主義が永遠に続くわけではないというのは明らかです。ただ、その歴史を動かす主要な要因は生産力と生産関係の矛盾であり、資本主義的な生産関係のままでは生産力の限界があるので資本主義が終わる、すなわち、私の雑な理解では成長を続けるために資本主義を終えて社会主義になり、ゆくゆくは共産主義では生産力が超絶すごいことになって希少性が失われて、希少性に応じた価格付けを基礎とする市場が成り立たなくなる、というのが私の歴史感です。その私の雑な歴史観に大きく反して、マルクス主義こそが脱成長、という結論には少し違和感を覚えます。それから、共産主義というのはソ連や中国で悪いイメージを持つ人が多いので、コミュニズムと表現する方がファッショナブルなのかもしれませんが、逆の印象を持つ読者もいるような気がするのは私だけでしょうか。

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次に、稲村悠『謀略の技術』(中公新書ラクレ)を読みました。著者は、警視庁にて公安部捜査官として諜報活動の捜査に従事した経験を持ち、現在は日本カウンターインテリジェンス協会代表理事です。諜報活動やサイバー攻撃に関する警鐘活動に従事している、とのことです。本書では、いわゆる諜報活動を5種類に分類していて、p.28にある通りです。どうしても、オープンソースから情報を得るオシントが、ベリング・ザ・キャット=Belling the Catの活動などから注目されやすいのですが、本書でも指摘しているように、ヒュミント、あるいは、ヒューミントと呼ばれる対人接触を基に人的情報源から得る情報というのが、たぶん、もっとも価値あるんだろうという気がします。一般に、情報収集は専門家しかやっていないわけではなく、多くの人が何らかの情報収集活動を行っていると思います。ただ、本格的な諜報活動となれば、人には知られたくない情報を取得しようと試みるわけですので、私なんかが経済統計をウォッチしているのとは違います。もちろん、私も長らく公務員でしたし大使館勤務の経験がありますから、まずは公開情報から初めて、場合によっては先方政府の情報源に当たって情報を入手する、というヒュミントの活動をする場合もあります。本書では、私がやっていた経済情報などの収集というチャチい情報収集活動ではなく、米国のCIA、英国のMI6、あるいは、旧ソ連のKGBのスパイ、いかにも映画に出てきそうなスパイがやっている諜報活動について、多くの事例を上げて警鐘を鳴らしています。ただ、一般的な出版物などからのヒュミントの例ですので、政策的なセキュリティ・クリアランスといった生臭いお話は、それほど多いわけでは決してなく、むしろ、読み物的に実例を豊富に収録している印象です。ただ、そうとはいっても、私なんぞの一般ピープルには知り得ない内容が多く含まれていることは確かですから、警鐘活動には十分です。最後に3点、私の感想です。繰り返しになりますが、第1に、ホントのインテリジェンス活動、諜報活動というのは、こういった一般向けの出版物には収録できないのだろうと考えるべきです。その意味で、諜報活動には、特に本書で着目しているようなヒュミントには、もっと奥深いものがいっぱいなんだろうと思います。第2に、本書で着目しているのは情報を入手する諜報活動なのですが、それと同等にその背後で情報を分析する活動というのも重要だと私は考えています。決して秘匿されていない、どころか、新聞にデカデカと掲載される「長期金利1.9%」の数字から何を読み取るのかがエコノミストの能力だと考えるのと同じです。第3に、最後に、私自身深く自覚しているところですが、本書で取り上げられているヒュミントの手法のうち、私はたぶんハニートラップに弱いと思います。まあ、そんな誘惑を受けたことはありませんが、たぶん、イチコロだと思って用心しています。

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次に、藤井敏嗣『富士山噴火』(岩波新書)を読みました。著者は、東京大学の名誉教授であり、東京大学地震研究所の所長もご経験されています。ご専門はマグマ学、火山学、火山防災政策だそうです。タイトル通りの本であり、冒頭で、富士山は最近の休止期間が異常に長く、いつ噴火してもおかしくない、という警告から始まります。もちろん、富士山に限らず、火山一般についての解説も豊富に収録されています。噴火の規模の表し方にVEIというのがあり、たぶん、Volcanic Explosion Index あたりではないかと思うのですが、これは噴火の際に噴出する軽石や火山灰などの噴出物=テフラの量に基づいて決定されるので、テフラが少なくて溶岩流ばっかりの噴火の場合には過小評価される可能性を指摘しています。そういった火山に関する一般的な基礎知識を基に富士山噴火を考え、特に、歴史的には3大噴火があるそうで、800-802年の延暦噴火、864-866年の貞観噴火、1707年の宝永噴火を概観しています。貞観噴火は2018年ハワイのキラウエア火山の噴火と酷似しているらしいです。もちろん、古い時代の史料には限界があり、科学的とはとても思えないような記述も紹介されています。火山がどうして噴火するかといえば、私のようなシロートでも理解しているように、地下に溜まったマグマが何らかの原因で地上に爆発的に噴出するわけです。火山学の専門家でなくても、「マグマが溜まる」というのは、マグマ=フラストレーションの意味で比喩的に使うことはあると思います。ただ、富士山の場合はマグマ溜まりが地下20キロ以上と深く、現在の観測技術ではマグマ溜まりの膨張などに基づく噴火予知は出来ない、という結論だそうです。私の専門分野である経済学では、経済見通しや予測が当たらないという世間一般の評価なのですが、たぶん、気象や地震予知、あるいは、火山の噴火予知なんかも経済の先行き見通しと、正確性の点に関して大きな差はないのではないか、と思っていしまいました。いずれにせよ、富士山が噴火したりすれば、テフラは東の方に飛ぶ、というか、流れるわけで、噴火の規模によっては首都圏が被災する可能性が十分あります。首都圏直下型地震とともに、東京を首都のままにして大丈夫かという疑問は残ります。さりとて、維新が与党に加わって注目されている大阪か、というのも、さまざまなな意見がありそうです。最後に本筋を離れますが、私の感想を2点上げておくと、富士山は日本でもっとも高いという標高だけでなく、その姿かたちの美しさからも評価されているわけで、美術的に宝永噴火で生じた宝永火口や宝永山を無視した富士山を描くことがあるそうです。例えば、横山大観先生は宝永山は絵に描く必要はないとの説だったと紹介されています。第2に、富士山火山のハザードマップの作成が風評被害を懸念する周辺市町村や観光協会の反対意見で中断された経緯を取り上げています。まあ、そういった意見も出るかもしれません。

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2025年11月29日 (土)

今週の読書は経済統計の本をはじめ計8冊

今週の読書感想文は以下の通りです。来年度に2回生向けの授業を何と初めて担当するので、いろいろとデータ処理系の教科書として使えそうな本を買って読んでみて、ついついたくさんの本を読むハメになってしまいました。
まず、櫻本健[編著]『経済系のための情報リテラシー』(実教出版)は、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1年生で初めて経済学や統計学を学習する学生を読者に想定していて、大学初学年の最初のセメスターでパソコン操作やデータ処理を学ぶため教科書として書かれています。櫻本健[編著]『経済系のための経済統計分析』(実教出版)は、初学者向けの『経済系のための情報リテラシー』の続編と位置づけられています。ですので、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1-2年生で経済学や統計学を学習する学生を読者に想定した統計情報分析の教科書です。角川総一『経済統計はウソをつく』(三和書籍)では、経済分野に限らず、データ分析をする際に見落としがちな点を投資家やアナリストの視点から取り上げています。政府統計の盲点、あるいは、意図的ではないにせよ、フェイクっぽい部分の指摘もあります。伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)は、作家デビュー25周年を記念した書下ろし長編ミステリであり、ヒトの脳に寄生し本来の性格を増幅する役割を果たすジャバウォックをめぐって起こるさまざまな事件を解明・解決することになります。伊与原新『藍を継ぐ海』(新潮社)は、第172回直木賞受賞作で、5話からなる短編集であり、この作者独自の視点が示されています。人間とは、宇宙とはいわずとも、地球の中でもちっぽけな存在であり、ヒトを大きく超える自然の流れを通して、科学によって知りうる範囲の大きさを実感させられます。朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮社)は第171回芥川賞受賞作品であり、結合双生児として生まれた姉妹が主人公ですが、そもそも、父親が兄の体内に胎児として胎児内胎児として兄から遅れて1年半後に出生しています。読んでいて、自分と他人の境界について、また、生と死ついて、考えさせられます。田中世紀『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)では、男女間賃金格差に対するメルカリの是正アクションをモチーフにして、男女の賃金格差に限定してさまざまな角度から問い直しています。幅広い範囲の議論ながら、差別と格差の関係に関する議論など、雑な印象を受けました。瀧浪貞子『藤原摂関家の誕生』(岩波新書)では、平安期初期の桓武天皇や平城天皇のころの皇位継承にまつわって、皇太子の地位や役割、また、有力貴族の間での合意形成などから、藤原家北家が権力を握って、古典古代の日本における摂関政治につながる端緒を的確にひも解いています。
今年2025年の新刊書読書は1~10月に261冊を読んでレビューし、11月に入って今週までに24冊、今週の8冊を加えると合計で293冊となります。今年も年間で300冊に達するのはほぼ確実と受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、櫻本健[編著]『経済系のための情報リテラシー』(実教出版)を読みました。編著者は、立教大学経済学部の准教授です。編著者以外のチャプター執筆者6人のうち半分の3人も立教大学経済学部の教授・准教授となっています。本書は、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1年生で初めて経済学や統計学を学習する学生を読者に想定しています。大学初学年の最初のセメスターでパソコン操作やデータ処理を学ぶため教科書として書かれており、4編13講の構成となっています。冒頭第1編では、経済学や統計学ではなく、そもそも、Windows11のOSの下でOffice2021をベースにして、基本的な操作ができるように工夫されています。たぶん、Office2021をバージョンアップしたMicrosoft36にも応用できるだろうと思います。ワープロソフトのWord、表計算ソフトのExcel、プレゼンスライドを作成するPowerPointのそれぞれの基本的な操作が取りまとめられています。第2編のマクロとミクロの経済を分析する、では、企業や家計、さらに、国内総生産(GDP)などの統計データを取り上げています。第3編の利子と価格の変動を計る、では、ごく簡単な金利のシミュレーションをはじめ、価格や為替レートの変動をデータとして捉える方法を論じています。最後の第4編のデータを整理し集計する、では、政府が提供している地方データのRESASの活用も含めて、幅広いデータの活用に及んでいます。編著者の在籍している立教大学経済学部と私の勤務する立命館大学では、学生の学力的にはそれほど大きな差はないものと思いますが、私の担当する2年生向けの教科書としては、さすがに「初学者向け」を標榜する本書は少し物足りないかもしれない、と受け止めました。最後に、同じ編著者が同じ出版社から本書の続編として、1年生後期ないし2年生向けに『経済系のための経済統計分析』も出版しています。

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次に、櫻本健[編著]『経済系のための経済統計分析』(実教出版)を読みました。編著者は、立教大学経済学部の准教授です。編著者以外のチャプター執筆者7人のうちの3人も立教大学経済学部の教授・准教授となっています。本書は同じ出版社、同じ編著者の初学者向けの『経済系のための情報リテラシー』の続編と位置づけられています。ですので、経済学部、経営学部、商学部などの大学の経済系の初学者、1-2年生で経済学や統計学を学習する学生を読者に想定しyた統計分析の教科書となっています。大学初学者の後期のセメスターである秋学期や2年生の最初のセメスターに向けた5編14講の構成となっています。第1編でワープロソフトやプレゼンテーション向けのスライド作成ソフトの応用的な解説をした後、第2編では経済分野への活用として、経済成長、環境指標、消費、不平等度を取り上げ、第3編では経営や会計分野への応用として、企業活動、損益分岐点分析、債権価値の変動、さらに、第4編では、人口と地域経済の分析のため、人口データ、GIS=地理情報システム、そして、なぜか、季節調整に注目しています。季節調整がどうし、この第4編で取り上げられているのかは謎でした。最後の第5編では、財政や政策の応用として、財政や社会保障とともに、そういった政策の波及効果についても考えています。繰り返しになりますが、同じ編著者の同じ出版社からの『経済系のための情報リテラシー』の続編となっており、1年生後期ないし2年生向けのテキストなのですが、両者の間に少しギャップがあるように感じます。1年生前期向けの『経済系のための情報リテラシー』はやや易し過ぎ、1年生後期ないし2年生向けの本書はやや難しい印象です。

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次に、角川総一『経済統計はウソをつく』(三和書籍)を読みました。著者は、証券関係専門誌を経て、(株)金融データシステムを設立し、我が国初の投信データベースを開発・運営している、と紹介されています。本書では、経済分野に限らず、データ分析をする際に見落としがちな点を投資家やアナリストの視点から取り上げています。政府統計の盲点、あるいは、意図的ではないにせよ、フェイクっぽい部分の指摘もあります。ただ、経済データというのはかなり特殊な部分があり、それなりの注意を払う必要があることは確かです。本書では何ら言及されていませんが、通常、経済データ、特に、投資家やアナリストが注目している経済データは時系列と呼ばれるものであり、通常は定期的かつ継続的に公表されています。GDP統計は毎四半期、また、失業率や物価指数は毎月、といった公表頻度です。その意味で、本書で取り上げている中で私が注目したのは、前年比という指標の見方です。季節調整は本書ではそれほど重きを置かれていませんが、もともと、消費者物価指数(CPI)などは、季節調整値が公表されているものの、原系列の前年同月比で見るのが、ほぼほぼ世界でデフォルトになっています。ですから、本書でも指摘しているように、その1年間で動学的にどのようなパスを通ったかは無視されますし、1年前に何らかのイレギュラーな要因があった可能性も無視されます。このあたりは重要なポイントです。もうひとつは、経済データに限らず、平均値を用いた誤解があり得るケースです。本書のこの指摘ももっともです。ひとつは分布が無視されるおそれが大きいです。ですので、平均値とともに中央値など集団を代表する他の指標も見ておく必要があります。ただ、本書で章を立てて説明しているものの、実質値と名目値は、まあ、いいんではないかという気もします。最後に、大学の授業でテキストとして用いるには、少し勇気が要りそうです。

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次に、伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)を読みました。著者は、日本でももっとも人気のあるミステリ作家の1人です。本書はデビュー25周年を記念する書下ろし作品となっています。まず、タイトルにあるジャバウォック=Jabberwockとは、ルイス・キャロルによる『鏡の国のアリス』に登場する、というか、正しくは小説の中の書物の詩で言及されている架空の生物であり、ドラゴンのような形で挿絵に描かれたりする怪物です。はい、私の無教養をさらすと『ふしぎの国のアリス』だと思っていました。私は『ふしぎの国のアリス』は読んでいますが、『鏡の国のアリス』は読んでいません。本書では、ヒトの脳に寄生し本来の性格を増幅する役割を果たす、とされています。あらすじを考えると、主人公は夫の転勤にしたがって仙台に引越した量子であり、翔という幼稚園児の息子とともに3人で暮らしています。しかし、転勤と時を同じくして夫のDVが始まり、とうとう流れで量子は夫を殺害してしまいます。その時、量子の大学時代のサークルの後輩である桂凍朗が現れ、2人で死体を山奥まで運んで処理します。そのあたりで量子の記憶が不確かになり、絵馬と破魔矢と名乗る若い夫婦に起こされます。他方、別の流れのストーリーがあって、斗真がマネージャーをしているミュージシャンの伊藤北斎がいて、かつてSNSでの発言が炎上して活動を長らく停止していたのですが、いろいろあって、活動を再開してコンサート準備を始めます。この量子のパートと斗真のパートが、交互ではないにしても2つの流れを作り出して、もちろん、最後にはいっしょになったりするわけです。ミステリですので、あらすじは適当に切り上げますが、私の気になっているところで、本書で何度か登場する「キャンパス」は、『魔王』だったか、『モダンタイムス』だったかの播磨坂中学校に相当するんだろうか、と考えたりしました。

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次に、伊与原新『藍を継ぐ海』(新潮社)を読みました。著者は、科学の視点などを基にした小説を書き続けている作家であり、私はテレビドラマ化もされた『宙わたる教室』を読んでいます。本書により第172回直木賞を受賞しています。本書は5話からなる短編集となっていて、この作者独自の視点が示されており、宇宙とはいわずとも、地球の中でも、人間とはちっぽけな存在であり、ヒトを大きく超える自然の流れを通して、科学によって知りうる範囲の大きさを実感させられます。収録順に各話ごとのあらすじは以下の通りです。すなわち、「夢化けの島」では、地質学の研究者であり、大学の助教をしている30歳過ぎの久保歩美を主人公に、山口県最北端で朝鮮半島にも近い見島を舞台に、江戸期からの伝統ある萩焼の土を探している陶芸家の三浦光平の人となりや行動を描きます。「狼犬ダイアリー」では、東京でうまくいかずに奈良県東吉野村に逃げるように移住して来て、webデザイナーをしている主人公のまひろなのですが、大家の息子の拓己が狼を見たといっていることから、狼の歴史や伝承に興味を持ち、狼という孤独な存在や協力関係の構築などに思いを馳せます。「祈りの破片」では、長崎県長与町の役場に勤める小寺が、空き家から光が漏れているという苦情を聞きつけて調査をすると、長崎への原爆投下後に収集された膨大な量の瓦、石、ガラスの破片といった謎めいた収集物をを発見します。「星隕つ駅逓」では、主人公の信吾は北海道遠軽町白滝地区で郵便局員として働いており、先代が勤めていた野知内駅逓の取壊しが決定した矢先、近くに隕石が落ちたと知って、妊娠していた信吾の妻の様子が少しおかしくなり、隕石の発見場所を偽ったりします。最後の表題作「藍を継ぐ海」では、漁師をしている祖父に引き取られて徳島県阿須町で暮らしている沙月は、浜で産卵したウミガメの卵を盗んで育てようとしますが、カナダの先住民ハイダ族の血を引く青年ティムと出会って、ウミガメと潮の流れ、遠く離れた土地と命の連鎖に思いを馳せます。

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次に、朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮社)を読みました。著者は作家であり、本書により第171回芥川賞を受賞しています。本書の主人公は、濱岸杏と濱岸瞬の姉妹なのですが、この2人の主人公は結合双生児として生まれ、瞬は誕生後5年を経過してから「発見」されます。それまでは、杏だけが両親とかの周囲に認識されていたわけです。ひとつの身体を共有しつつも、それぞれが別の意識と人格を持っているわけで、外から見れば1人だけれども、内側では2人が共存している、といった複雑な存在として描かれています。パート・パートによって2人の視点が入れ代わり、「私」と「わたし」の主語で区別されています。 実は、この姉妹の父親も双子であり、同様に、複雑な出生の経緯があります。すなわち、父親の濱岸若彦は兄の濱岸勝彦の体内に胎児、正確には、胎児内胎児としてどまっていて、兄から遅れて1年半後に出生します。兄の濱岸勝彦が病弱であったのに対して、姉妹の父親の濱岸若彦は健康に問題ありません。姉妹は、看護関係の大学を出ていますが、今は両親とは別のところに住まいし工場で働いています。そして、タイトルに関連して、姉妹の叔父である濱岸勝彦が亡くなり、その49日をめぐる時間をきっかけにして、濱岸杏と濱岸瞬の姉妹は自分たちの存在、意識、生死、片方の1人が死んだらどうなるのか、といった問題を深く考えたりします。読んでいて、自分と他人の境界は決して自明ではないとか、生きることや死ぬことについて、いろいろと考えさせられました。

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次に、田中世紀『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)を読みました。著者は、オランダ王国フローニンゲン大学助教授であり、ご専門は政治学や国際関係論だそうです。本書では、日本で根強く残されている男女の格差について、メルカリが2023年11月にwebサイトで明らかにした「『説明できない格差』を埋めてより良い社会にしていきたい - 男女間賃金格差に対する、メルカリが考える是正アクション」の記事をモチーフにして、男女の賃金格差に限定してさまざまな角度から問い直しています。タイトルからして経済、所得や賃金以外のさまざまな格差を論じていると期待していたのですが、その点はやや期待外れでした。男女の賃金格差だけに焦点を当てるのであれば、もっとふさわしいエコノミストを何人も私は知っています。ただ、女性に対するアファーマティブアクションとして、さまざまな場面でのクォータ制、あるいは、身近な女性専用車両に対する反対意見、副作用や社会的な分断などについて論じているところは目新しく感じました。私のようなエコノミストから考えると、まず、格差すべてが悪いというわけではありません。ただ、本人の責任範囲外の要因に基づく格差はできる限り排除すべきであり、そのもっとも大きな要因のひとつは性的な格差です。もちろん、人種や親ガチャなどもそうです。他方で、本人の努力による格差はある程度は許容される、とも考えるべきです。勉強したのでいい成績が取れて、いい学校に進学できて、いい就職先で高収入を得られる、などです。もちろん、この格差も程度問題であって、社会的に容認できないほどの大きな格差は是正されるべきといえます。もうひとつの視点は、本書でも最後の方で言及されている点であり、格差が差別に結びついているかどうかです。統計的差別は本書では言及されていませんが、差別的な何かが格差を生じている原因であれば、それは是正されるべきだと多くのエコノミストは考えていると思います。そのあたりの差別と格差の議論が本書ではややゴッチャにされているような気がして、とても幅広い範囲の議論ながら、少し雑な印象を受けました。

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次に、瀧浪貞子『藤原摂関家の誕生』(岩波新書)を読みました。著者は京都女子大学の名誉教授であり、ご専門は日本古代史です。平安京や桓武天皇などに関するご著書がいくつかあって、そのあたりがご専門家という印象があります。本書では、タイトル通りに、日本の古典古代の平安期に絶大なる勢力を誇った藤原北家の摂関政治がどのように形成され、制度化され、その支配構造を固めていったのかについて歴史的に跡付けています。要するに、一言でいえば、当時は天皇の即位に3つの条件があり、第1に、天皇の即位と皇太子の立太子がセットであって、皇太子が決まっていないと即位できず、第2に、その皇太子は一定の年齢に達していることが必要で、天皇を補佐する能力があるとみなされなければならず、第3に、天皇家だけの意向では即位できず、貴族層のそれなりの広範な合意を必要とした、ということです。加えて、皇后は天皇家出身者に限定されていたようです。その上で、桓武天皇が亡くなって皇太子の平城天皇が即位する際に、平城天皇が後継として即位することは既定路線であった一方で、桓武天皇は平城天皇が皇太子を選ぶように選択を任せたにもかかわらず、なかなか選べずに、結局、藤原氏の権力を大きくさせたわけです。すなわち、平城天皇の皇太子に嵯峨天皇が立太子した際に、藤原内麻呂の次男である藤原冬嗣が東宮亮となり、その後も権力を振るった、ということです。アッサリ表現するとこうなりますが、実際のところは読んでみてのお楽しみ、ということになります。専門外の私の知る限りでも、日本の古典古代の中でも平安初期の桓武天皇から次の次の嵯峨天皇のあたりは天皇の権限が強かった時期です。でも、そのころに、藤原摂関家の勢力勃興の兆しが生じ始めていたのは興味深いところでした。私のような古典古代の歴史に興味ある向きはぜひオススメです。

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2025年11月22日 (土)

今週の読書は経済書のほか計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、D. ヒュー・ウィッタカー『新しい日本のつくり方』(東洋経済)では、人口減少と高齢化が進み成熟した日本経済について、現在の停滞を突破し変化する方向性について、金融化、コミュニタリアン、新たな開発国家、の3つを示していますが、「絵に描いた餅」になる可能性も私は感じました。山本英弘[編著]『現代日本の政治的不平等』(明石書店)では、政治参加の不平等と政治代表の不平等に着目し、2020年から何度かのウェブ調査や郵送調査を繰り返しており、とてもサンプル数が小さいので代表性に難点がありそうな気もしますが、それでも大胆に定量的な分析を試みています。恩田陸『珈琲怪談』(幻冬舎)では、中年男性4人、すなわち、音楽プロデューサーの塚崎多聞、作曲家の尾上、外科医の水島、検事の黒田が、京都、大阪、神戸といった関西に加えて、東京や横浜を回って怪談を持ち寄り、仕事上が行き詰まった際にインスピレーションを与えられたりしています。藤岡陽子『僕たちは我慢している』(COMPASS)では、東京にある全国屈指の進学校、男子単学で中央6年間一貫制の進学校の野球部を舞台に、同級生だけでなく、部活の先輩後輩も含めた仲間との友情、家庭における親との微妙な関係、成長期にある個人としての大人への道のりや成長、などが感じられます。菊池正史『自壊する保守』(講談社現代新書)では、戦後政治を吉田内閣から歴史的に振り返り、いわゆる吉田ドクトリンとして語られる対米依存の強い「軽武装と経済重視」であった宏池会こそが保守本流と指摘し、「反戦意識」も含めて、安倍内閣から保守が自壊したと捉えているようです。田所昌幸『世界秩序』(中公新書)では、グローバリゼーションをさらに進めた世界の統合について考え、4条件を示しています。すなわち、構造、権力、制度、文化や規範、であり、将来のシナリオを4つ示すとともに、最後に、仲間を増やして敵を減らし、自立しつつ生き残る日本を模索しています。
今年2025年の新刊書読書は1~10月に261冊を読んでレビューし、11月に入って先週までの18冊と今週の6冊を加えて合計285冊となります。今年も年間で300冊に達する可能性があると受け止めています。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。

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まず、D. ヒュー・ウィッタカー『新しい日本のつくり方』(東洋経済)を読みました。著者は、英国オックスフォード大学日産現代日本研究所の教授です。本書の眼目として、人口減少と高齢化が進み、成熟しきった日本経済について、現在の停滞を突破し変化する方向性を示そうと試みています。その方向性は3つあり、金融化、コミュニタリアン、新たな開発国家、となります。歴史的に戦後日本経済を振り返り、企業と政府と社会が相互補完的に発展を目指す日本型システムが存在したことを確認しつつ、バブル経済の崩壊とも時期的に一致した1990年代からのグローバル化の進展や人口減少に転じる時期なども重なって、日本経済が停滞に陥った事実を明らかにします。その上で、デジタル化やグリーン化の方向性を考え、人口減少下でのスマートシティなどの地域経済を取り上げ、企業構造を論じます。私が印象的であったのは、日本では米国タイプのスタートアップ企業による創造的破壊ではなく、有機体的な形での代謝的刷新に基づくイノベーションが有効、という点です。確かに、その昔は、画期的な新製品を生み出すプロダクト・イノベーションよりも、日本はプロセス・イノベーションの方に優位性がある、といわれていたこともあり、何となく理解できる点だと感じました。また、企業ガバナンスも新自由主義的な株主優位ではなく、ステークホルダー資本主義のいいところを伸ばす方が確実性が高い、との指摘は私も同じように感じています。ただ、雇用については、戦後日本経済の大きな特徴のひとつである安定した雇用、例えば、長期雇用と年功賃金を見直す必要を論じており、私としてはやや疑問に感じます。企業金融でのメインバンク制の崩壊と雇用の安定性の喪失が日本経済の長期低迷につながり、まさにそれが新自由主義的な経済システムへの移行の本質であった、と私は考えています。最後に、本書では、やや小難しいところながら、コントロールされた不均衡を持ち出し、諸制度が米国的な置換えや消耗ではなく、日本では積重ねと切換えのプロセスをたどる、と指摘しています。この指摘と雇用の安定性の見直しとは明らかに矛盾しています。最後に、本書では岸田内閣当時の「ソサエティ5.0」を高く評価しており、それはそれで理解できるのですが、このままではまさに「絵に描いた餅」状態なわけで、政府や経営者団体が方向性を示すことができるのと実際に実行されるのでは大きな差があることを実感します。私の実体験としても、15年ほど前に長崎大学経済学部教授をしていたころ、長崎経済同友会で組織した都市経営戦略策定会議に参加して「みんなでつくろう元気な長崎」という提言を取りまとめたことがあります。しかしながら、その後、長崎経済が元気になったというお話は、不勉強にして聞き及んでいません。

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次に、山本英弘[編著]『現代日本の政治的不平等』(明石書店)を読みました。編著者は、筑波大学人文社会系教授です。編著者以外の各チャプターの著者も筑波大学人文社会系の教員や出身者が多くを占めている印象です。タイトル通りに、政治的不平等をテーマにしている本書は2部構成となっていて、第1部で政治参加の不平等、第2部で政治代表の不平等をそれぞれ取り上げています。本書の特徴としては、何度かのウェブ調査や郵送調査を2020年から繰り返しており、とてもサンプル数が小さいので代表性に難点がありそうな気もしますが、それでも大胆に定量的な分析を試みている点です。私はエコノミストですが、経済的な不平等、例えば、所得の不平等と政治的な参加や代表の不平等は、お互いに密接に関係していることは明らかであり、互いに原因や結果になってグルグルと回っているように考えています。ですので、一方的な因果関係を考えることはそれほど意味ないと感じています。経済的な不平等は貧困とともに国民生活を直撃しており、ひどい場合には生活が成り立たないケースも見受けられる一方で、政治的な不平等は国民の間での分断を引き起こしかねない危うさがあります。すなわち、国民は生産や消費といった経済活動に何らかの形で関わっている一方で、政治的には安定した民主主義社会が運営されているように見えて、実は、参加や代表といった政治へのアクセスが、政治的な無関心にも支えられる形で、ごく限られた一部の国民だけに集中し始めているように見えます。本書でも年代別の投票率の差が大きい点を指摘していますし、若年層や低所得者層は政治的にある意味で不利な立場に置かれている、それも、自己責任が主張される各個人の自由な選択の下で、そういった不平等なシステムが大きな抵抗も受け入れられていくように見えます。私が興味深かったもうひとつの点は、こういっ政治的な不平等が政治プロセスの結果として生み出される政策にどのように反映されるか、という点です。政治的に無関心で投票にも行かないと、政策的に不利な影響を受けかねないわけで、その点を鋭く突いているのが「日本人ファースト」というスローガンだと私は考えています。そして、繰り返しになりますが、単純で一方的な因果関係ではなく、年齢や所得などのグループで政治的な不平等をこうむっている国民が、結局のところ、政策面でも不利な立場に置かれる危険があると考えるべきです。高齢者には手厚い社会保障も、子育てや家族には冷たい印象がありますし、政治参加の差が政策の不平等につながり、場合によっては、それらが悪循環を形成するおそれすらあります。政治的な不平等は経済的な、例えば、所得の不平等などと違って定量的に把握しにくく、いわば見えない不平等がある可能性も高いわけですから、本書のような定量的な分析が必要になる、と私は強く感じました。

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次に、恩田陸『珈琲怪談』(幻冬舎)を読みました。著者は、ミステリなどのエンタメ小説の作家です。2016年に『蜜蜂と遠雷』で直木賞を受賞しています。本書は、塚崎多聞のシリーズらしいのですが、私は不勉強にしてよく判っていません。登場人物は中年男性4人であり、主人公的な役割をしているのが塚崎多聞であり、音楽プロデューサーをしています。ほかの3人は、作曲家の尾上、外科医の水島、検事の黒田、となります。時折、黒田が欠けたりするんですが、この4人で各地を回って怪談を持ち寄ります。全国各地とはいえ、6話からなる連作短編集となっている本書では、順に、京都、横浜、東京、神戸、大阪、そしてふたたび京都、となります。東海道新幹線のほぼ両端、ということになるわけです。あらすじも何もなく、タイトルも番号になっていますので、季節と繰り返しになる場所は、「珈琲怪談Ⅰ」が真夏の京都なのですが、黒田は欠席しています。それから数か月後の「珈琲怪談Ⅱ」が寒風吹きすさぶ横浜、その次のゴールデンウィーク明けの「珈琲怪談Ⅲ」が東京の神田神保町、「珈琲怪談Ⅳ」は深まる秋の小春日和の神戸で、それから間をおかずに、「珈琲怪談Ⅴ」は大阪の梅田や中之島、そして、最後に、「珈琲怪談Ⅵ」では晩秋の京都、となります。一応、基本は珈琲怪談なのですが、コーヒーではなくビールを飲んで麦酒怪談になったり、最後の京都御所近くの老舗和菓子店の喫茶室では抹茶怪談になったりします。怪談はとりとめのないものですが、尾上の創作活動が行き詰まった際にインスピレーションを与えてくれたり、あるいは、黒田が難事件を解決するきっかけになったりします。このイベントのきっかけがそもそも尾上の気分転換から始まっているようです。それぞれ、生々しく現実的なものから、しばしば「これは怪談ではないかもしれないが...」で始まる怪談もどき、あるいは、はっきりしたオチのないお話など、さまざまです。ただ、怪談自体はほぼ実話であり、作者が体験したものであったり、人から聞いたものであったりする、とあとがきに記されています。同時に、立ち寄るお店もモデルがあるということです。怪談を楽しむ、というよりも、気のおけない間柄が想像される登場人物4人の軽妙なおしゃべりの語り口の方が楽しめるような気がします。

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次に、藤岡陽子『僕たちは我慢している』(COMPASS)を読みました。著者は、小説家です。本書は、昨年2024年に旗揚げした文藝復興の出版を目指すCOMPASS社の記念すべき第1弾です。舞台は東京なのですが、全国でも有数の進学校、中高一貫校の征和学院高校の野球部を舞台にしています。東京の山手線の新橋から20分ほど北ということですし、巣鴨や麻布と並ぶご三家の一角だそうですから、明らかに、開成をモデルにしています。関西の進学校として灘にも言及されています。ほかに、女子校の雙葉や桜蔭なども登場しますので、「征和学院高校」以外の高校はほぼほぼ実名だったりします。もちろん、東大・京大をはじめ大学名はすべて実名だと思います。ということで、主要な登場人物は生徒が4人と教師が1人で、まず、千原道人は中学のころは野球部のエースピッチャーでしたが、高校では部活を辞めて勉強に専念します。中小企業経営の父は白血病で入退院を繰り返して健康がすぐれません。穂高英信も野球部員で、曽祖父の代から続く総合病院の院長と小児科医の父母のもとに生まれ、弟も同じ征和学院高校に通う秀才ながら、兄として跡継ぎとなることを期待されています。中森輝一は高校でエースとなり野球部のキャプテンも務めましたが、3年生最後の夏の地方大会を終えて部活を2年生に引き継いだ後、受験勉強に身が入りません。香坂淳平は野球部ではありませんが、これら3人と深く関わりを持ちます。中学から学年400人のトップの成績を維持しています。クラス担任の関先生は数学の教師で、生徒たちの悩みに応えたり、重要な役割を果たします。我が家では、私自身が関西ではそこそこのレベルの中高一貫の男子進学校に通っていましたし、男の子2人は東京でやっぱり中高一貫の男子進学校に通っていましたので、何となくこの小説の雰囲気は理解できます。ただ、本書では4人とも家の跡取りを期待されているのですが、私の場合は父が完全なワーキングクラスでデスクワークなんかほとんど経験もなく、私にはホワイトカラー職についてくれればそれでいい、という感じでしたし、私は国家公務員でしたので、子どもたちが後を継ぐような家業というものがありませんでした。本書では、病気の父親に役立つことをしようとしたり、部活を熱心にやるあまり受験勉強が少し後回しになったり、実に私や子どもたちの世界の出来事になぞらえる事のできる世界観を感じます。また、思春期の難しい時期で、かつ、地理的にもほかの意味でも、一気に世界が広がる年代ですから、同性の男の間での友情などなど、同級生だけでなく、部活の先輩後輩も含めた中学と高校の仲間との友情、家庭における親との微妙な関係、そして、何よりも成長期にある個人としての大人への道のりや成長、そういったものが強く感じられ、今だけでなく将来をいいもの、豊かな方向として捉えられ、大学受験という大きな転機を乗り越え、先に進む意欲を感じる良い小説でした。はい、最後の最後に、こういった我慢する高校時代を経て、私なんぞが教えている大学に入るわけですので、大学ではもっとのびのびと過ごして欲しいと思います。

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次に、菊池正史『自壊する保守』(講談社現代新書)を読みました。著者は、日本テレビの政治部のジャーナリストであり、2005年から総理官邸にある記者クラブのキャップも経験しています。最近、裁判が始まった安倍元総理の暗殺事件から3年を経て、今年2025年は東京都議選で「手取りを増やす」をスローガンにした国民民主党が得票を伸ばし、参議院選では「日本人ファースト」を掲げた参政党が躍進しましたし、自民党の総裁選の結果を受けて、政治とカネの問題から公明党が連立与党から離脱し、日本維新の会が連立に加わった、というあたりの政治情勢はまだ記憶に新しいところです。自民党を中心とする連立与党が大きく変容するとともに、参政党という右派ポピュリズム政党の一定の力を持つに至っています。そういった現在の政治情勢を本書では、タイトル通りの「自壊する保守」と考え、さまざまな角度から分析を試みています。その前提に、実に2020年9月まで7年9か月に渡って一強政権を作り上げた安倍内閣を対象に、保守の岩盤支持層の役割を重視しています。現在の高市内閣にもこの岩盤支持層が戻ってきているという報道もあるだけに、この考えは高市政権の将来を考える上にも必要な視点であろうと私は考えています。ただ、その安倍内閣が政権を下りた後、菅内閣は短命でしたし、岸田内閣こそ3年続きましたが、その後の石破内閣も1年という短命でした。本書では、日本の保守政権が長らく継続してきたのは「バラマキポピュリズム」に依拠する部分が小さくなく、その負の遺産が政治とカネという形で表面化し、国民の批判にさらされてきたと指摘しています。そのうえで、戦後政治を吉田内閣から歴史的に振り返り、いわゆる吉田ドクトリンとして語られる対米依存の強い「軽武装と経済重視」であった宏池会こそが保守本流と指摘します。これに関連して、本書では「反戦意識」も重視されています。ですので、岸内閣での安保改定は保守本流ではない内閣での典型のひとつとして取り上げられ、逆に、田中内閣での日本列島改造こそバラマキの保守本流として位置づけられています。21世紀に入って、小泉内閣からの新自由主義的な経済政策が「右派ポピュリズム」台頭の兆しと指摘し、そのあたりから「軽武装と経済重視」を旨とする保守本流の崩壊が始まるという分析です。2009年の政権交代による民主党政権時代が左派ポピュリズムかどうかは別にして、安倍内閣は2つのポピュリズム、すなわち、従来のバラマキポピュリズム、さらに、戦前回帰も想起させかねない保守的なイデオロギーに根ざした右派ポピュリズム、に支えられて来たと主張します。保守本流ではないわけです。その上、これまた、この両方のポピュリズムとも現在の高市内閣に引き継がれている感があります。特に、経済重視ではなく軍事費のGDP比2%を目指す現在の高市内閣は、本書の視点からして、保守の自壊を進めているのだろうと私は考えています。

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次に、田所昌幸『世界秩序』(中公新書)を読みました。著者は、防衛大学校教授を経て、長らく慶応義塾大学教授を務め、現在は名誉教授となっています。本書は、副題にあるようにグローバル化を考え、その先の世界統合を考えています。ただ、本書冒頭では国際通貨基金(IMF)のゲオルギエバ専務理事の論文を引きつつ、2008-21年あたりからグローバリゼ^ションの逆転が起こっている可能性も指摘しています。その上で、本書ではグローバル化、あるいは、世界の統合の4条件を示しています。すなわち、、(1) 技術や自然環境などの構造、(2) 国家などの権力基盤、(3) 国際法や通貨制度といった共通ルールとしての制度、(4) 文化や規範、例えば、共通の価値観や宗教など、となります。そして、古典古代のローマ帝国から停滞の中世ヨーロッパを経て、世界を制覇したモンゴル帝国など、近代にいたる前近代の広域秩序の拡大・統合、そして、その後の分解のダイナミクスをたどりますが、何といっても詳しい考察の対象となるのは近代に入ってからの大英帝国と米国です。大英帝はやや軽めに取り上げられ、約100年前の第1次世界対戦後、世界の覇権を握り、帝国となったのは米国こそが中心となる対象です。すなわち、第2次世界大戦後、米国は戦勝国として、国際経済や安全保障や文化などでさまざまな国際制度を構築し、自由民主主義と市場経済を軸に世界を統合しました。しかし、そのグローバル秩序は21世紀に入って限界に近づき、テロの挑戦を受けたり、リベラリズムの理想と現実の矛盾も浮き彫りになる、と指摘しています。そして、広く知られている通り、トランプ政権の登場となるわけです。その上で、世界秩序としては4つの将来シナリオを提示します。(1) 1つの世界では再グローバル化、(2) 3つの世界では米中の新しい冷戦の世界とグローバルサウスからなる3つの世界、(3) 多数の世界では再近代化のような各地域ごとの秩序が近代国家ベースで分散する世界、(4) 無数の世界になってしまうと新しい中世となる可能性すらあります。そして、最後には、日本について考えます。すでに日本は大国ではなくなり、もちろん、小国でもないわけですので、どのようにして仲間を増やし、敵を少なくしていくか、そして、いかに自立して生き残るか、を戦略的に考える必要があると指摘します。もちろん、日本が生き残るために必要となる国家アイデンティティや外交ビジョンなどに示唆に富む方向性が示されていますが、そのあたりは読んでみてのお楽しみです。

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