2021年2月27日 (土)

今週の読書は経済書のほか文庫本の小説とややペースダウンして計3冊!!!

今週の読書は、エプシュタイン教授の現代貨幣理論(MMT)への批判的な解説書とともに、文庫本の小説2冊と、ややペースダウンしています。税金の確定申告の時期に入り、少し小説を読んでリラックスしたいと考えないでもありません。

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まず、ジェラルド A. エプシュタイン『MMTは何が間違いなのか?』(東洋経済) です。著者は、マサチューセッツ大学アマースト校の経済学の研究者であり、ポスト・ケインジアンの非主流派に属しているらしいです。本書の英語の原題は What’s Wrong with Modern Money Theory? であり、2019年の出版です。ということで、タイトルこそ勇ましくて、正面切ってMMTを批判しているように見えますが、最終章第8章の冒頭にあるように、著者は政策目標の多くをMMT派と共有しているように見えます。加えて、私は、基本的に、自分自身を主流はエコノミストと位置づけていますが、政策目標についてはよく似通っているつもりです。ただ、本書の著者は主流はエコノミストは、米国では民主党リベラルの均衡予算≅緊縮財政、物価安定、中央銀行の独立などのいわゆる新古典派経済学とみなしていて、むしろ、増税回避の観点から共和党は緊縮財政とは親和性ない、とみなしています。そして、著者が批判してようとしているのはMMT派経済学の否定ではなく、むしろ補足的な役割のような気すらします。結論として、私が重要と考える本書のポイントは、MMTが前提とする変動相場制について、ハードカレンシーを持たない途上国へのMMT派的な政策の適用が難しい、従って、MMT派の制作がかなり適用できるのはむしろ米国という基軸通貨国である、という点と、もうひとつは、これは私も同じで、政策適用の現実性、すなわち、MMT派経済政策をフルで適用すると需要超過からインフレになるんではないか、という恐れです。ミンスキー理解などの理論的な指摘もありますが、私は、この最後の財政政策だけで需要管理が適切にできるか、という疑問がもっとも大きいと考えます。現実に、多くの先進国では需要管理は金融政策に委ねられており、財政政策はファインチューニングには向かないと考えられています。むしろ、課税政策を特定の財の消費抑制に当てたり、歳出・歳入ともに格差是正に割り当てたり、という形です。というのは、本書では取り上げられていませんが、私が授業なんかで大きく強調するのは、金融政策はかなりの程度にユニバーサルである一方で、財政政策はそうではありません。すなわち、日本の場合を例にすると、九州で高速道路を建設しても関西の私の便益はそれほど大きくない可能性がありますし、保育所を建設しても一部の高齢者には迷惑施設と見なされる可能性も排除できません。ですから、金利やマネーサプライを市場を通じて操作するのは、全国一律で地域差はなく、年齢海藻屋職業別などの偏りも少ない一方で、財政政策は地域性や年齢や職業・所得階層別に細かな効果の差が生じ得ます。その意味で、マクロ経済安定化政策には私は金融政策が向いているような気がしてなりません。加えて、本書の観点では、詳しくは触れられていないものの、MMT派政策のひとつの目玉であるジョブ・ギャランティー・プログラム(JGP)はむしろ需要超過のバイアスがかかる可能性があると指摘しています。私自身は、MMT派政策を日本に適用する限り、それほどインフレの可能性が大きいとは考えませんが、米国ならそうかもしれません。いずれにせよ、私はMMT派が理論的なバックグラウンドにあるモデルの提示に失敗している現状では、何とも評価できかねるものの、実際の政策適用については、インフレの可能性については保留するとしても、金融政策よりも財政政策でマクロ安定化を図るほうが好ましいとはとても思えません。その意味で、私はまだリフレ派なんだろうと、自分自身で評価しています。加えて、本書で何度か指摘されているように、MMT派は租税回避の政策提言から富裕層、というか、超富裕層のウォール街の金融業者やシリコンバレーのGAFA経営者などの支持を取り付けています。これも、私は、ホントにそれでいいのか、と疑問に思わざるを得ません。これも、私をMMT派から少し距離を取らせている一因です。最後に本書に立ち返れば、貨幣と信用の区別なんて、ほとんど意味のない観点を持ち出してきたりして、ややMMT派経済学に対する無理解があったりして、ちょっとピンとこない点もいくつかあります。繰り返しになりますが、MMT派の背景となるモデルが不明である現時点では、私はマクロ経済安定化政策としての財政政策の適用可能性が最大の論点となると考えています。念のため。

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次に、浅田次郎『地下鉄(メトロ)に乗って 新装版』(講談社文庫) です。作者は、幅広くご活躍の小説家であり、本書はもともと1990年代半ばに単行本として出版され、本作品で吉川英治文学新人賞を受賞し、ついでながら、1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞を受賞しています。この2作品はどちらも映画化されており、『地下鉄に乗って』は堤真一主演となっています。なお、本書は単行本の後、文庫本化され、さらに、昨年2020年10月に新装版が出版されていて、私はその新装版を借りて読みました。たぶん、確認はしていませんが、中身は同じだと思います。高倉健主演で映画化された『鉄道員』は、完全なファンタジーというよりも、主人公が幻想を見るという解釈も可能なのですが、コチラの『地下鉄に乗って』はタイムスリップですので、完全なファンタジーです。戦後闇市から大企業を育て上げた立志伝中の財界人の3人の倅のうち、次男を主人公とし、この主人公が愛人とともにタイムスリップを繰り返し、高校生のころに自殺した長男の自殺を食い止めようと試みつつ、父親が満州に出征するところ、同じく父親が闇市で精力的に活動するところ、などなど、さまざまな場面を目撃し、最後は驚愕の事実に遭遇する、というストーリーです。私のように、地下鉄で通勤する人間にはそれなりに興味を持って読めました。

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最後に、佐伯泰英『幼なじみ』(講談社文庫) です。著者は、スペインの闘牛の小説などを手がけつつも、ソチラはまったく売れず、時代小説で名の売れた小説家です。この作品は、長らく双葉文庫から出版されていた「居眠り磐音」シリーズが講談社文庫に移籍し、そのスピンオフ作品の5作目にして最終作です。なお、同じく「居眠り磐音」シリーズから、磐音のせがれの空也を主人公とする「空也十番勝負」もスピンオフしているんですが、当初予定の10作に満たずにすでに終了していますので、この作品がスピンオフも含めた「居眠り磐音」シリーズの最終作ということになります。スピンオフですので、主人公は坂崎磐音ではなく、鰻処宮戸川に奉公する幸吉と縫箔師を目指し江三郎親方に弟子入りしたおそめの2人です。小さいころから、磐音の媒酌により祝言に至るまで、本編では明らかにされていなかったトピックも交えつつ、幸吉中心の第1部と遅め中心の第2部に分けて語られています。おそらく、シリーズは武者修行を終えた空也がお江戸の神保小路の道場に戻って、この先も続くんでしょうね。私は引き続き買うのではなく、図書館で借りて読み続けるような気がします。

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2021年2月20日 (土)

なかなかペースダウンできずに今週の読書も経済・経営書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、モビリティ経済に関する経済・経営書2冊に加えて、マルクス主義の新しい見方を示した話題の新書、さらに、例の女性蔑視発言に触発されて女性差別に関する新書まで、いろいろと読んで以下の計4冊です。残念ながら、今週は小説はありませんが、来週は何冊か読む予定です。

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まず、深尾三四郎 & クリス・バリンジャー『モビリティ・エコノミクス』(日本経済新聞出版) です。著者2人はよくわからないのですが、モビリティ・オープン・ブロックチェーン・イニシアティブ(MOBI)の理事と共同創設者らしいです。本書のタイトルというよりも、むしろ、副題である「ブロックチェーンが拓く新たな経済圏」の方が中身をよく表している気がします。すなわち、自動車会社、というか、モビリティ産業の視点が十分ある一方で、ブロック・チェーンやより広い意味での分散台帳技術(DLT)が、さまざまな製造や流通上のブレイクスルーを準備している現状を紹介しようと試みています。冒頭では、取引コストの上昇とEVの価格低下から、自動車産業が規模の不経済に陥っていて、本書が示す解決方法は、現在の車両生産の自動車産業からデータを資源とするモビリティ産業への移行ということになります。すなわち、車両走行時に収集したデータを収益源とすることです。ですから、例えば、最後の方の両著者の対談では、EVのテスラにどうして世界が注目するかといえば、製品価値や技術ではなく、テスラがデータ企業とみなされているからである、と解説しています。要するに、トヨタなんかもこの方向を目指すべきである、ということになります。そして、その基礎となる技術がブロック・チェーンという位置づけです。ただし、本書のタイトルになっているモビリティ産業だけではなく、より幅広い産業で応用可能な技術である点も強調されています。モビリティ産業としては、電気自動車(EV)が走る蓄電池として社会的なインフラを構成する可能性を指摘し、そのためにはブロック・チェーンによる詳細な管理が必要、という指摘がなされています。ですから、インフラという観点から、単に技術面だけでなく、コミュニティについても本書では論じています。すなわち、ノーベル経済学賞を受賞したオストロム女史の研究成果、人間中心のコモンズ管理を引いて、いわゆるハーディン的な「コモンズの悲劇」を避けるサステイナブルな互酬の精神にも触れています。ただし、1点だけ、大学に再就職する前に役所でシェアリング・エコノミーを研究して、それなりの研究成果も得ている私としては、ブロック・チェーンによりシェアリング・エコノミーとコモンズの接点が得られるとは到底思えません。シェアリング・エコノミー、特に日本語の民泊でスペースを貸そうとしているのは、純粋な利潤追求の観点しかないと私は見ています。ただ、そういったコモンズの管理からアジア的なスマート・シティへ視点を広げるのは十分理解できる部分と考えます。繰り返しになりますが、自動車産業やモビリティ産業だけでなく、ブロック・チェーン技術を用いた幅広い産業の進化に関するなかなか興味深い読書でした。他方で、ブロック・チェーンで処理されるビッグデータについても、もう少し解説が欲しかった気もします。モビリティ産業の生み出すデータはどのように活用され、利益を生み出すのでしょうか?

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次に、デロイト・トーマツ・コンサルティング『続・モビリティー革命2030』(日経BP) です。著者のデロイト・トーマツ・コンサルティングはいわずと知れた会計事務所を基とするコンサルティング会社であり、10人を超える日本人スタッフが執筆に当たっているようです。なお、「続」のない方の『モビリティー革命2030』も同じ出版社から出ていて、私のこのブログでは2016年12月24日付けの読書感想文で取り上げています。ということで、『モビリティ・エコノミクス』よりも、より自動車産業に密着したコンサル本です。いずれにせよ、コストアップの割には製品価格の上昇が抑えられ、さらに、環境対応をはじめとしてコロナ禍もあって、自動車産業の先行きが不透明化する中で、産業としての生き残りについてコンサル的に考えを巡らせています。まず、環境をはじめとするESG投資が当然のように見なされるようになり、CO2のゼロエミッションなどの技術的なブレイクスルーが必要とされる中で、特に、私のようなシロートでも、我が国の自動車産業では川下のディーラーや川上の部品サプライヤーも含めたひざ詰めによる開発のすり合わせが、コロナ禍でどのように変化するのか、という疑問があります。加えて、MaaSによるサービス産業化がいわれて久しく、UBERはタクシーに近いサービスですので少し違うとしても、自動車のシェアリングが進む中で、モノとしての自動車の未来がとても不透明になっています。さらにさらにで、我が国でもJALやANAなどの航空産業はコロナ禍で需要が大きく減退し、輸送サービスとしても、輸送手段の自動車の販売も、新たなニューノーマルに着地するまで、どのような方向に進むのかは私ごときにはまったく判りません。ただ、本書ではラチ外のような気もしますが、自動車産業は我が国産業の中でも極めて重要なポジションを占めており、その先行きについては注目せざるを得ません。例えば、我が国産業構造は自動車産業のモノカルチャーとまではいいませんが、MaaSによって自動車交通があまりに効率的に再構成されて、その結果として、自家用車が公共交通機関に近くなれば、ひょっとしたら、自動車販売台数に影響を及ぼす可能性もあります。ただ、それにしては、産業としての重要性を無視しているとはいえ、本書の方向性はやや物足りないものがあり、海外展開とか、系列再編とか、あまりにもありきたりです。前の「続」のない方の『モビリティー革命2030』でも同じ評価を下しましたが、「迫力不足で物足りない」読書でした。

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次に、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書) です。著者は、大阪市立大学の研究者です。限られた範囲かもしれませんが、それなりに話題の書だと思います。我が家で購読している朝穂新聞に大きな広告が出ているのを見たことがあります。少なくとも出だしはとてもよかったです。外部化とか、外部経済を思わせるような用語を多用し、要するに、私が従来から主張しているように、資本主義が立脚している市場価格による資源配分が、実は、かなりの程度に外部性などによって歪んだ価格により資源配分がなされているような雰囲気を醸し出していました。第2章の気候ケインズ主義もまあ、許容範囲といえますし、第3章の資本主義を否定しないという意味で、改良主義的脱成長を批判するのもいいでしょう。しかし、第4章で未出版マルクス文書の発掘から、「晩期マルクス」に着目するあたりから話がスライスします。その後は、コモンの考え方なんかはいいとしても、史的唯物論の生産力増大の否定と脱成長なんかは、今までのマルクス主義観から大きく外れている点は著者本人も自覚しているようで、私からすればかなりOBに近いゾーンに落ちたような気がします。私は、繰り返しになりますが、資本主義社会とは市場による資源配分であり、それは価格をシグナルとしています。そして、モデルにおける価格はかなり非現実的な仮定から、現実にはあり得ないような前提が満たされる場合に、価格は効率的な資源配分を可能にします。しかし、現実には独占や外部経済により価格は大きく歪められており、ホントに社会的に正しい価格が市場で実現することはほとんどありません。エッセンシャル・ワーカーの賃金とブルシット・ジョブへの報酬が典型的です。その点は、著者が哲学の研究者であることを割り引いても、やや無理解に過ぎる気がします。その上で、私は、本書の著者の見方からすれば旧来マルクス主義なのかもしれませんが、生産力がほぼほぼ一直線に拡大する中で、商品の希少性が失われて社会主義ないし共産主義に到達するルートを無視することはできないと考えています。本書でも、ハーバー・ボッシュ法による廉価な化学肥料の大量生産が可能となり、『資本論』の指摘が当たらなかった点は認めていますし、従って、技術革新のパワーはマルクスの『資本論』でも見通せなかったことは明らかです。加えて、私が疑問に思うのは、「晩期マルクス」がどう考えていたかに、あまりに重点を置きすぎている気がします。有り体にいえば、マルクスがどういおうと、正しいことは正しいですし、間違っていることは間違っているわけです。まるで宗教の教祖の言葉を忠実になぞるようなことをするのではなく、時々の経済社会を正確に分析して把握した上で、その進むべき方向を科学的に明らかにする必要があるように思います。最後の最後に、本書では共産主義ではなく、「コミュニズム」という用語を多用しています。私の知る『ゴータ綱領批判』にある「必要に応じて」と定義される共産主義とは、異なるモノが想定されているのかもしれません。

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最後に、中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書) です。著者は、北海学園大学名誉教授の政治学の研究者です。女性差別の歴史について、第1部でイングランド、第2部で日本に、それぞれスポットを当てて、それなりに歴史的に解明しようと試みています。例の、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)の女性蔑視発言が話題になり、私の読書の手がこの本にも伸びた、というわけです。ということで、大きな枠組としてはケイト・ペイトマンのモデルが用いられています。家父長制の例でいえば、p.15にあるように、伝統的家父長制、古典的家父長制、近代的家父長制というカンジです。古典古代のアリストテレスから始まって、イングランドにおける女性差別の歴史、すなわち、ホッブズやロックの社会契約に基づいて女性の地位が低下してゆく経緯が明らかにされます。私は専門外ながら、ロックは女性君主を認めていて、それなりの男女平等論者ではなかったのか、と思っていたのですが、むしろ、無秩序な「自然状態」を考えるホッブズの方が男女平等に近い、という評価のように読めます。そして、産業革命によりミドル・クラス、すなわち、マルクス主義的に表現すればブルジョワジーが誕生し、男が外で経済活動という公的な役割を受け持つ一方で、女性は家庭を取り仕切る主婦という私的な役割が与えられることになります。それが最近まで続くわけなんでしょうが、ここでイングランドの歴史はブチ切れています。他方、日本では公と私という分類ではなく、江戸時代から家庭内の役割分担があり、家の原理である地位に基づく権限、という考え方があって、イングランドよりもある意味で男女平等だった、と評価しています。むしろ、明治維新以降の海外の民法を参照する際に、男性が生物的属性により権力を持つ、という思想が導入された、と指摘します。日本的な男女観では、福沢諭吉を引いて、かなりの平等観を示しています。さらに、日本的な家の中の役割分担は高度成長期まで残り、男性が外で稼ぐ一方で、女性は一家の財布の紐を握るという、「欧米の主婦に比べて居心地のいい立場にいた」(p.168)と指摘しています。我が家もそうです。ただ、私が決定的に物足りなく感じるのは、大きく欠落した部分がある点です。すなわち、結論として、著者は、世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数などに見る我が国の男女不平等は、欧米的な基準の見方であって間違っている、と主張したいのか、というとそうでもないようです。では、ジェンダー・ギャップ指数のような日本の女性差別があるとして、そうならば、明治期に欧米から民法を導入する前の日本に比べて、現時点では、ひどい男女不平等社会になってしまったのはなぜなのか、あるいは、欧米と日本が逆転したのはなぜなのか、という点が欠落しています。どうも、オススメできない女性差別論の読書でした。

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2021年2月13日 (土)

今週の読書は経済の学術書『日本経済の長期停滞』のほかは新書ばかりで計4冊!!!

今週の読書は、本格的な経済学の学術書のほかは新書ばかりで計4冊読みました。以下の通りです。なお、新書といえば、話題の『人新世の「資本論」』がそろそろ予約が回ってきそうで、私はマルクス主義経済学にはまったくシロートなんですが、それでも楽しみです。

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まず、小川一夫『日本経済の長期停滞』(日本経済新聞出版) です。著者は、大阪大学をホームグラウンドとしていた研究者ですが、すでに定年退職しているようです。本書は、2部構成となっており、第1部では供給サイドから、また、第2部では需要サイドから、それぞれ、タイトルである日本経済の長期停滞について分析しています。なお、決して、一般のビジネスパーソン向けの経済書や教養書ではありません。かなりレベルの高い学術書です。おそらく、学部学生のレベルを超えて大学院の教科書として採用してもおかしくない水準であると考えるべきです。ということで、第1部の供給サイドでは、企業の設備投資が停滞している原因として先行きの不透明さ、あるいは、悲観的な期待の役割が大きいとの結果が示されており、その期待形成には需要、とりわけ消費の伸びが低いことが大きな原因となっている、と指摘しています。逆からいって、巷間よくいわれるような生産性の伸びの鈍化は日本経済の長期停滞の要因としては否定されています。私のように適当な直感ではなく、本書で展開されている緻密な計量分析の結果として、供給サイドの生産性が日本経済の停滞の要因ではなく、需要、特に消費が停滞の大きな要因との分析結果を得ています。ここまではOKだという気がします。ただ、第2部の需要サイドに入って、その消費の停滞の原因として、年金の不足が原因として上げられています。第7章では家計調査のデータを基に、家計の消費行動について、その基礎となっている所得や資産・負債までスコープに入っていながら、そこから大きくスライスしてしまって、なぜか、第8章から家計が公的年金制度をどう見ているか、に分析を進めています。とても不可解です。消費を決めるのは、所得とマインドであり、その消費をダイレクトに決める要因の分析がなされて然るべきなのですが、消費の裏側で決まる貯蓄の決定要因の方に分析を進めてしまっています。おそらく、何らかの強い思い込みが基礎にあって、それに引きずられたのであろうと想像しますが、消費の低迷が設備投資の停滞の原因となり、日本経済が長期停滞に陥っているというのであれば、消費を正面から分析すべきです。そうすれば、年金なんて迂遠な原因ではなく、日々の生活費のもとになっている賃金・所得の要因が大きくクローズアップされると私は考えるのですが、その賃金・所得については分析対象とすらせず、なぜか、年金に分析を進めてしまっているのは、すでに結論を決めてからのあと付けの分析になっているような気がしてなりません。賃金・所得の要因と年金の要因の両方が分析された後の結論であればともかく、賃金・所得をパスした上で年金だけを分析対象にしたのは本書の大きな欠陥といわざるを得ません。ただ、夫婦ともに正規雇用であれば貯蓄取崩しに抵抗低いので、雇用面での政策の必要性だけはまあ、いいような気はします。年金については同意しかねます。私のような研究者には、読んでいて勉強になったことは確かです。途中までの生産性要因を否定して需要要因を分析し始めたところまではいいんでしょうが、途中から大きくスライスして、結論においてはOBゾーンに落ちてしまった気がします。クオリティの高い分析だけに、とても残念です。

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次に、野口悠紀雄『リープフロッグ』(文春新書) です。著者は、財務省出身のエコノミストであり、私なんぞよりもずっと名が売れていますので、紹介の必要もないと思います。リープフロッグとは、その名の通り、カエル跳びであり、経済的には遅れた状態から一気に歴史的な段階を経ずして先に進む、ということです。本書冒頭では中国の例を引いています。すなわち、通信においては、固定電話に必要な基地局とかをパスして、固定電話の段階をすっ飛ばして携帯電話に進んだり、あるいは、金融においては、銀行網を構築した上で決済システムを形成するという段階をすっ飛ばして、いきなり、現金流通が不十分なままの段階でキャッシュレス決済の段階に進んだり、といった点が指摘されています。我が日本では、通信も金融も歴史的に欧米先進国がたどった段階を経つつ、いわゆるキャッチアップを果たしていますが、中国やほかのいくつかの新興国などでは、日本を含む先進国のたどった経済発展段階をすっ飛ばしたリープフロッグで進んでいる場合が少なくありません。そういった歴史を、近代少し前の大航海時代のポルトガルから始まって、ラテンアメリカに大きな植民地を築いたスペイン、さらに、短いオランダの覇権を経て、英国、そして、20世紀に入って第1次世界対戦後の米国と、まあ、リープフロッグで説明できる範囲は限られているような気もするものの、経済分野に限定せずに覇権国家の変遷を歴史的に、かつ、経済的な基礎を持ってあと付けています。その上で、キャッチアップならざるリープフロッグによって、我が国経済が世界のトップに躍り出る可能性について考えています。結論として、とてもありきたりで月並みなのですが、既得権をいかに乗り越えるか、という課題があることが示唆されています。しかし、最後に私の付足しながら、これら覇権国の交代模様を見ていると、トゥキディデスの罠よろしく、ホントに戦争で決着をつけたのはアテネとスパルタ以降ではスペインと英国ぐらいのもので、米国から中国にもしも覇権が移行するとしても、武力による決着ではないような気がします。

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次に、中野敏男『ヴェーバー入門』(ちくま新書) です。著者は、東京外語大学などに在籍した研究者であり、当然ながら、ヴェーバー社会学が専門です。ヴェーバー社会学を理解社会学と位置づけ、いくつかのヴェーバーの代表的な成果、すなわち、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『経済と社会』などから、少しだけ宗教社会学までスコープを広げつつ、入門書として取りまとめています。私は『プロ倫』くらいしか読んだことはありませんが、本書でも指摘されているように、大塚教授のような目的論的関連の因果関連への組みかえ、という視点しかありませんでした。本書で批判しているように、資本主義の起源論なわけです。もちろん、資本主義の精神がプロテスタンティズム、特にカルバン派の倫理にとても良くフィットしたのは当然ながら、それら市民階級の専制に寄与したという視点はまったく持ち合わせていませんし、本書を読み終えた後でもまだ疑わしく感じています。というのは、私はマルクス主義的な史的唯物論が世界の歴史にはよく当てはまり、それ故に正しいと考えていますから、経済的な土台の上に上部構造が乗っかっている、というのは、とてもよく現実を説明していると考えており、ヴェーバー的なその経済的土台と上部構造の関係だけに還元できない文化・思想領域における相対的に独立した展開は、歴史的に無視できる範囲と考えています。欧州中世の宗教戦争、もちろん、カトリックとプロテスタントとの争いの中に、こういった視点を見出そうとする向きもあるようですが、ルターがそもそも反対したのは免罪符の販売という宗教的というよりは経済的な行為に対してですし、その昔のキリスト教はいうまでもなく、21世紀の現在における新興宗教はほぼほぼ経済の原理に従って動いていると私は考えています。最後に、とても興味本位な読み方ながら、p.171に『宗教ゲマインシャフト』の構成について、ヴェバーの妻マリアンネの手になる編集に対して、本書の著者が考える構成が示されています。私くらいのシロートがどうこういう見識は持ち合わせていませんが、よく知られたようにマルクスの『資本論』は第1館飲みがマルクス本人による編集であり、第2巻と第3巻はエンゲルスによる編集です。少なくとも私の恩師は、第3巻の最終章が三大階級で終わっているので、エンゲルスの編集は正しい、と考えていたように私は受け止めていえるんですが、アノ当時はこういった形でパーツを書き散らしておいて、最後に編集するというスタイルだったのだろうか、とついつい考えてしまいました。

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最後に、坂井孝一『源氏将軍断絶』(PHP新書) です。著者は、創価大学の研究者であり、専門は日本中世史だそうです。本書では、源頼朝が開いた本格的な初めての武士政権である鎌倉幕府について、2代目の頼家と3代目の実朝が指導者としての資質に欠け、あるいは、京の公家のように蹴鞠や和歌に目が行った惰弱な性格で、源氏将軍が途絶えて、摂家将軍から親王将軍と名目的な将軍を北条執権体制が補佐する、といいつつ、実は、北条家が実質的な支配を強める、と中学校や高校の歴史では習っています。私もまったくの専門外ですので、そのような考えを持っていたりします。それに対して、本書では、蹴鞠や和歌などは京の朝廷や公家との交渉に当たるに必須の嗜みであり、決して「惰弱批判」は当たらず、実朝は武士であるとともに、治天の君である後鳥羽院の従姉妹を御台所に迎えた公家でもあることから、そもそも、実朝が自分の後任将軍に親王を要請し、後鳥羽院も実朝が後見する親王将軍の可能性を肯定していた、という視点を提供しています。逆に、実朝が暗殺されたがゆえに、後継将軍は親王ではなく摂関家から出す、ということしか認められなかったのではないか、と指摘しています。後鳥羽院が深く信頼する実朝が後見するから、京と鎌倉の二重政権になる恐れなく、親王を鎌倉に将軍として送り出すことが可能と後鳥羽院が考えたわけで、実朝なき鎌倉に親王将軍は許可できなかった、という見立てです。実朝が後継たる嫡子を得られなかったにもかかわらず、妾を取らなかったことも補強材料とみなされています。ただ、それにしては、もう少し後になれば親王将軍がでているわけですから、やや疑問が残らないわけではありません。いずれにせよ、古典古代の奈良時代や平安時代から中世をつなぐ重要なポイントにある鎌倉期については、私はまったくのシロートですが、というか、日本史一般にシロートなんですが、シロートなりにも興味を引き立てられる歴史書でした。

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2021年2月 7日 (日)

先週の読書は経済書や教養書中心に計6冊!!!

今週の読書は、一般向けといいつつもほぼ学術書に近い経済書、あるいは、トンデモ本に見えながらも至極まっとうな経済書、加えて、食に関する新書を2冊の計6冊、めずらしく、岩波書店が2冊入っていて、以下の通りです。

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まず、チャールズ・マンスキー『マンスキー データ分析と意思決定理論』(ダイヤモンド社) です。著者は、米国ノースウェスタン大学の研究者であり、部分識別と呼ばれる計量経済学の新手法を打ち出したエコノミストです。もう70歳を超えていますが、あと10年長生きするとノーベル経済学賞が回ってくるかもしれません。監訳者はマンスキー教授の下で学位を取得しているようです。英語の原題は Public Policy in an Uncertain World であり、2013年の出版です。本書は冒頭で、英語で本を書くということが述べられており、「英語で書く」ということは、インプリシットに「数式の展開はしない」ということなんだろうと私は受け止めています。本書は、その意味で、著者自身は研究者に向けた学術書ではなく、広く一般読者を意識した専門書内視鏡洋書を目指したつもりなのでしょうが、その意図は失敗しています。かなり学術書に近いと覚悟するべきです。少なくとも、それなりのレベルの大学の経済学部教授である私にすら難しいです。部分識別について議論を展開しているわけではありませんから、計量経済学の基礎的な知識は不要ですが、かなり論理的な議論について行くことを要求されます。ですから、経済学の基礎知識もさることながら、本格ミステリを読みこなすような論理性があった方がいいです。ということで、前置きが長くなりましたが、不確実な情報の下で、いかにして選択をするか、ということがメインテーマとなります。理論という語と同じ意味で使われている仮定+データから結論が導かれる、という議論から始まり、データが不足する場合に強い仮定をおいて、かなり強引に結論が導き出されるリスクを認識させられます。例えば、悉皆調査ならざるサンプル調査の統計などについても、本体は信頼区間をおいた区間推計が基本なのですが、ピンポイントで点推計をしている、といった批判であり、極めてごもっともです。従って、弱い仮定を置けば信頼区間次第では結論のレンジが大きくなり、逆に、信頼性の低い強い仮定を置けば結論はピンポイントに近くレンジは狭くなります。判りやすいので統計に例えれば、日本のGDPは約500兆円、といわれますが、かなり強い仮定をおいて点推計しているわけです。もしも、弱い仮定を置けば、例えば、100兆円から1000兆円の間、なんて結論が出る可能性もあります。でも、レンジが広すぎると政策決定をはじめとする何らかの選択をする際の参考にすらならない場合もあるわけです。もちろん、決定を下す際の評価関数についても、ベンサム的な期待厚生基準、厚生の最小値の中で一番マシな選択をするマキシミン基準、後悔が一番少ない選択をするミニマックス・リグレット基準の3つを仮定します。その上で、さまざまな実務上の選択を論じています。死刑の犯罪抑制効果、新薬の承認プロセス、税率と労働供給、犯罪者のプロファイリング、などなどです。いくつかの結論で印象的だったのは、ノーベル経済学賞も出て開発経済学でもてはやされているランダム化比較試験(RCT)の結論は希望的観測にしか過ぎない、とか、合理的期待の仮定は信頼できない、とかがあります。私が気にかかったのは、ノースウェスタン大学のからほど近いシカゴ大学の研究者が提唱したルーカス批判について、まったく触れられていない点です。合理的期待が成り立たないとすれば、何らかの政策変更で意思決定が違ったものになる可能性は許容されているのでしょうが、その点は私にはやや疑問でした。

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次に、西野智彦『日銀漂流』(岩波書店) です。著者は、時事通信やTBSテレビに所属したジャーナリストです。本書の年代的なスコープは、1998年の日銀の独立を少しさかのぼってその法制準備を進めていた1990年代半ばから始まります。その法制準備の段階も、私のような国家公務員として政府内部で働いていた官庁エコノミストですら知り得ないような事実まであって、それなりに興味深いんですが、やっぱり、日銀総裁の年代記で語られている日銀金融政策の裏側のようなストーリーだと思います。特に、独立した直後の速水総裁や現在の黒田総裁の前に白川総裁のような大外れを輩出した日銀内部の思考パターンや行動パターンがよく取材されていて、私のような門外漢にも理解できるようになっています。私は基本的に学習院大学ご出身の方の岩田副総裁、歴代の審議委員でいえば原田さんや現役の片岡くんなどと同じリフレ派だろうと思うんですが、さすがに、ここまで5年の総裁任期を超えてもまったく2%の物価目標にかすりもしないんですから、リフレ派の金融政策一本足打法には何らかの理論的あるいは実務的な欠陥があるのだろうと考えざるを得ません。その意味で、浜田先生がシムズ教授のペーパーに触発されて財政政策の有効性について宗旨替えしたのも理解できなくもありません。ただ、ここで明らかにされている中で重要なのは、速水総裁や白川総裁、あるいは、総裁の席になかった時の福井副総裁などについて、思考の中心が国民生活や金融政策の影響などではなく、あくまで日銀の独立性、特に大蔵省・財務省からの独立を勝ち取ることであって、国民生活や経済的な影響をそっちのけにする形で、いわば、権力闘争中心史観がまかり通っていた点は背筋が寒くなります。私は竹中平蔵教授については、その経済学的な主張はまったく理解できませんが、少なくとも、中央銀行の金融政策について、目的な政府で決めて、政策手段の独立性である、という点については、100%同意します。インフレ・ターゲットかどうかはともかくとして、物価安定を目標としている金融政策は国民生活や企業の経済活動に多大なる影響を及ぼすわけであり、民意から独立することは考えられません。そして、我が国では間接民主制を取っているわけで、少なくとも国権の最高機関である国会の意志から外れることはあり得ません。そして、まったく同じ意味で、執行機関である内閣の意思と中央銀行の目標がズレてることはあってはなりません。それを集団的に組織目標としている、というか、していた日銀という組織を恐ろしく思います。私は現在の菅内閣はまったくどうしよもなく無能で方向性が大きく間違っていると思いますし、もっと左派リベラルな経済政策に親近感を持つエコノミストですが、かつての民主党政権のころの記憶がまだ強く残っていて、左派政権が成立すると中央銀行の独立性を踏み違えて、旧来的な「日銀思考」の残るスタッフが、またまた「独立性」を錦の御旗に国民生活をどん底に陥れるような速水総裁・白川総裁のころの金融政策が復活する恐れが強いと懸念しています。その意味で、黒田総裁の次は雨宮総裁を待望しています。

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次に、田村秀男『脱中国、消費税減税で日本再興』(ワニブックス) です。著者は、日本経済新聞や産経新聞で活躍したジャーナリストです。ややキワモノ的な体裁の本なんですが、エコノミストの目から見て、本書の主張は、少なくとも、経済学的にはほぼほぼ正しいと思います。もちろん、中国との外交的な関係とか、政治体制的な主張は別にすれば、ということですが、経済や財政に関する主張は決してキワモノではありません。その本書の主張を考えると、まず第1に、日本経済の復活は政治に課せられた大きな責務であり、財政均衡なんて財務官僚のお題目を打破して、緊縮財政を放棄して積極財政を展開してデフレを脱却するのが重要な政治課題であり、経済学的にサポートするのがエコノミストの仕事ダルというのは、まったくその通りと私も考えます。財務官僚がいかなる意図を持って緊縮財政の推進を図っているのか、私にはまったく不明でありDNAに組み込まれている、としか考えられないんですが、経済学的には、少なくとも現在の日本経済の現状を考えれば、ほとんど意味のない主張と私は考えています。ただ、その理由は個人貯蓄が十分あるから、という本書の主張とは少しズレがありますが、緊縮財政を主張する意見などと比べれば、十分許容範囲といえます。消費税が天下の悪税であり、現在のコロナ禍の中で、税率引下げや、場合によっては、一時的に廃止する経済政策も選択肢というのもその通りです。英独をはじめとして、時限的措置も含めれば、先進国で消費成立を引き下げた例はめずらしくもありません。ただ、エコノミストとして、日本がここまでストックとしての公的債務残高を積み上げてきたにもかかわらず、それでもデフレから脱却できず、低成長を続けているのはどうしてなのか、というパズルは解いておきたい気がしますが、それでも、財政支出拡大によりデフレを脱却し、成長軌道を取り戻すことは十分可能だという議論はその通りだと思います。本書の議論で疑問あるのは、中国に関係する部分です。中国が世界的なコロナ・ショックの震源地であったにもかかわらず、涼しい顔でマスク外交やワクチン外交で途上国に攻勢をかけているのは事実でしょうし、天然資源などを狙った19世紀的な帝国主義的野心もある可能性は否定しません。米中の貿易戦争が圧倒的に中国の不利に作用しているのもその通りだと思います。ただ、地政学的なリスクという観点からすれば、どこまで中国がエゲツないことを考えているのか、という点では私には情報がありません。脱中国という日本の路線についても、対米従属からの脱却という観点からは、少し活用してみたい気がするのも確かです。まあ、そういった中国関連の見方は別にして、日本経済のデフレからの脱却、賃金上昇を通じた成長への回帰、などなど、決して見過ごすことのできない議論が本書では展開されています。

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次に、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』(岩波書店) です。著者は、ニューヨーク生まれの文化人類学者・アクティヴィストであり、現在は英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究者です。私はこの著者の『負債論』を約4年前の2017年2月17日の読書感想文で取り上げています。英語の原題は Bullshit Job であり、2018年の出版です。ということで、やりがいがなくて、社会的にも無益ないし有害ですらある仕事を「ブルシット・ジョブ」と呼んでタイトルにしています。最終的な実用的適宜は本書のp.27で与えられています。第2章では、そのブルシット・ジョブをカテゴリー分けされていて、(1)取り巻き: だれかを偉そうにみせたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけに存在している仕事、(2)脅し屋: 雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事、(3)尻ぬぐいの仕事: 組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事、(4)書類穴埋め人: 組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事、(5)タスクマスター: 他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブをつくりだす仕事、に分けていますが、いくつかの重複はあり得る、としています。その上で、マフィアの殺し屋なんかのモロに反社会的な仕事であってもブルシット・ジョブではないケースなども上げています。ということで、前半からは基本的にケーススタディになっていて、私のようなエコノミストが興味を示すスピルオーバーとか外部経済などについては6章から始まります。1月4日に東洋経済オンラインの記事「人のために働く職業ほど低賃金」な根深い理由から引用して、本書に触れた部分なんかがそうです。ただ、本書の眼目は私のように外部性から考えたり、あるいは、東洋経済オンラインのような視点で、ホントに必要とされているエッセンシャルワーカーなどの待遇を議論したり、といったことではなく、むしろ、ブルシット・ジョブに従事している労働者本人が精神的な負担となったりして、よろしくない、という観点です。そして、そういった無駄な仕事を減らすことにより、労働者の労働時間をもっと短縮できないか、というのが重要視されています。ケインズの「我が孫たちの経済的可能性」で論じられた週3日労働に近い印象です。しかし、ここで私が考えておきたいのは、確かに労働時間の短縮は望ましいとはいえ、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の感染拡大のためのロックダウンなどで、改めて思い知ったのは、ブルシット・ジョブやそういったムダな仕事、あるいは、小池東京都知事が連呼したような「不要不急」のお出かけなんかで経済が支えられている、という事実です。よく、「無駄のない筋肉質の経済」なんて表現をしたりしますが、ホントに必要な財・サービスしか生産・供給しないとすれば、あるいは、労働時間が短縮できるかもしれませんが、それ以上に生活に遊びや潤いといったものがなくなりはしないか、と懸念する向きも少なくないような気がします。私もその1人です。本書の第6章にあるように、仕事の社会的価値と体化としての賃金が転倒しているのは、私も是正されるべきとは考えます。でも、COVID-19の感染拡大でやり玉に上げられたホストクラブとか、最近も国会議員のスキャンダルめいた報道で見かけた銀座のクラブでの接待とか、あるいは、ゲームもそうかもしれませんが、こういった社会的な価値に疑問があり、国民生活に大きな必要なく、なくても構わない部分も、それなりの効用を社会にもたらしているような気がするのは私だけでしょうか。

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次に、井出留美『食料危機』(PHP新書) です。著者は、よく判らないんですが、食品ロス問題に関するジャーナリストだそうです。ですから、いろんな専門家にインタビューしているにもかかわらず、食料危機を回避するための最大の方策が食品ロスの削減、という結論になってしまいます。まず、本書で指摘するように、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックで食糧不安や飢餓が増えたのは誰にでも理解できる事実だろうと思います。そして、食料危機は、おそらく、需要の増加か、供給の減少か、流通の停滞か、食料価格と所得の乖離か、この4つの原因で生じるわけで、第2章では冒頭で食料が公平に分配されないのが食料危機の原因と指摘しているにもかかわらず、バッタや何やで、生産減少に目が行ったり、議論がいろいろと意味不明な蛇行を見せます。1943年のベンガル器機については価格と所得の関係であるとセン教授が指摘しているのはいいとしても、食品ロスが分配の問題にどこまで関係しているのかの分析はまったく見られません。最後まで、著者の思い込みで食品ロスで終始します。だったら、タイトルをそうすればいいのに、と私は思ってしまいました。私の目から見て、食料危機はまさに分配の問題から生じており、もっとも大きな原因は資本主義の根幹である市場による資源配分が食品については非効率であるからだと考えるべきです。もちろん、食品ロスが何の影響もないと主張するつもりはありませんが、エコノミストの目から見て、最大の問題は価格だけをシグナルとして食料を市場の資源配分に任せている点にあると考えるべきです。すなわち、動学的な視点も含めて、私的な価格である市場価格と社会的な価格の乖離が食料についてはかなり大きいと考えられます。FAO駐日連絡事務所のポリォ所長が何度も「食料システムの健全性」(p.126)を主張しているにもかかわらず、それを著者は食品ロスに矮小化しているわけです。一方で、p.172で行動経済学のナッジを持ち出しているのは、直感的な理解が少し進んだためなのかもしれません。また、第4章で取り上げられている中国の「光盤運動」はまさに、社会主義的、というか、権威主義的に市場を乗り越える形で食料の分配を政府が決めているわけで、もしも、この運動が食料危機の解決に有効であると考えるなら、市場により食料の資源配分を是正する方法を考えることが必要です。ということで、繰り返しになりますが、大きなタイトルながら、あまりに食品ロスに限定、矮小化した議論で私は困り果ててしまいました。

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最後に、金田章裕『和食の地理学』(平凡社新書) です。著者は、我が母校の京都大学の名誉教授の大御所であり、専門分野は歴史地理学や人文地理学だそうです。北陸のご出身で、当然ながら、京都生活も長い、ということで、私の興味範囲からしても京都周辺の食べ物についつい目が行ってしまいました。宇治茶とか、京都の漬物、すぐき菜、千枚漬け、しば漬けなどです。ただ、京野菜に関してはそれほど着目していないのが、やや不思議でした。千枚漬けの材料となる「聖護院カブ」くらいしか出てきません。京壬生菜、九条ネギ、賀茂ナス、エビイモ、堀川ごぼう、伏見とうがらし、それから、聖護院かぶとは少し違う聖護院だいこんなどなどです。私が生まれ育ったのが今も住んでいる京都南部の伏見から宇治にかけてですので、伏見のお酒と宇治のお茶についてはもう少し詳しく取り上げて欲しかった気がします。飲物ということで章を立てるくらいの扱いを勝手に希望しておきます。宇治橋通りの茶商で中村藤吉本店の写真がp.76に見えますが、何となく、あくまで、何となく、なんですが、私は上林が代表なんではないかと考えないでもありません。お茶に関しては、抹茶味のスイーツについて、飲むべきお茶として茶葉を製造しているにもかかわらず、スイーツになることを嫌っているかのごとき茶農家の意見が紹介されていて、私の目から少し鱗が落ちました。私の周囲でも、ばあさんはもちろん、私の母も季節になれば茶摘みのアルバイトにいそしんでいたのを記憶しています。小学生のころからの疑問で、本書にもあるように、お茶には日照時間が短いのがよくて、覆いをかけたりもするところ、静岡はミカンもお茶もどちらもある一方で、静岡と同じように日当たりのよさそうな和歌山にはミカンしかない、というのは不思議な気がします。宇治が近いので和歌山には地理的な不利があるのかもしれませんが、60歳を超えてもいまだに謎です。それから最後に、干し柿についてワインとのマリアージュをp.118で指摘していますが、干し柿の場合はお酒一般と合わせるのが京都の常識です。というのは、あまり正確には知りませんし科学的ではないかもしれないのですが、干し柿は悪酔いを防ぐと信じられているからです。私が大学生になって、正月の機会などに酒を飲む時、ばあさんが干し柿を持ってきて、そのように何度も繰り返したのを記憶しています。繰り返しになりますが、科学的根拠は専門外にて私にはよく判っていません。

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2021年1月30日 (土)

今週の読書は経済書に歴史書にミステリに新書といっぱい盛りだくさん!!!

今週の読書は、経済書に歴史書にミステリに新書といっぱい盛りだくさんです。でも、そろそろ、多読を終えようかと考えています。

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まず、レベッカ・ヘンダーソン『資本主義の再構築』(日本経済新聞出版) です。著者は、英国出身で現在は米国ハーバード・ビジネス・スクールの研究者です。本書の英語の原題は Reimaging Capitalism であり、2020年の出版です。現在の世界を見渡して、我が国をはじめとして、いわゆる先進国はほぼほぼ例外なく政治的には民主主義、経済的には資本主義のシステムを基本としています。政治的には、言論や集会結社の自由がなかったり、野党指導者が帰国すると空港で逮捕されたりといった形で、民主主義ならざる権威的な体制を取っている国は、先進国以外では見かけなくもないですが、他方で、おそらく、経済的に市場における資源配分を基本とするという意味で資本主義以外の、例えば、中央司令経済のような社会主義とかのシステムを取っている国は、先進国はもちろん、途上国や新興国も含めて、私は寡聞にして知りません。まあ、世界のどこかにはあるのかも知れませんが、私は知りません。ということで、本書では、その世界にほぼほぼ普遍的な経済システムとして普及している資本主義について再考を促しています。その理由として本書冒頭で3点上げられており、環境破壊、経済格差、社会の仕組みの崩壊、です。ただし、経済学的に成長を意図的に抑制することにより、これらの課題を達成しようとするのではなく、経営学的に企業行動を変化させることを眼目としています。企業行動の変容を求める論調は決してめずらしくありませんが、かなり包括的で取りまとめているという意味では私には目新しい、というか、初めての読書でした。ESG投資という言葉があり、本書でも取り上げられていますが、決して、伝統的な経済学の見方である企業が利潤を最大化するという経済主体であることを外すことなく、利潤の最大化≠株主価値の最大化である、との観点からの議論を進めています。ついでながら、企業活動の目的を「株主価値の最大化」であるという考えを広めたのは、フリードマン教授であると本書では指摘されています。そして、資本主義の欠点としても3点上げており、外部生の価格づけの失敗、機会の自由を活かすスキルの欠如、企業によるルールの書き換え、を指摘しています。ただ、その昔のバブル経済期に日本企業の強みとしてあげられていた長期的な視点というのは、それほどの力点は置かれていません。リプトンのサステイナブルな紅茶の成功、ナイキのスウェットショップへの批判、あるいは、繰り返しになりますが、投資家のESG投資の重視による金融経済の変容、などなど、本書で展開されている資本主義をよりよくするための萌芽はアチコチに見られます。本書がとても優れているのは、これらについて、共有価値の創造、共通の価値観に根差した目的(purppose)・存在意義主導によるマネジメント、会計・金融・投資の仕組みの変革、個々の企業の枠を越えた業界横断的な自主規制、中央及び地方政府と企業の協力、などなどが必要であることを説き、しかも、必要性を強調するだけではなく、こうした企業行動が結局は企業収益にプラスになるという意味で十分な経済合理性があることを明らかにしている点です。ただ、物足りないのは、現在の資本主義で何が悪いのか、という現状分析が不足している点です。加えて、些末な点で著者が悪いわけではありませんが、p.272のシティズンズ・ユナイテッド判決の訳注は、明らかに問題があります。最後に、本書に触発された私の希望なのですが、1930年代の世界恐慌の中で、当時としては極めて新しいケインズ経済学が現れたのと同じように、現在の21世紀の閉塞感の中で、誰かケインズと同じような才能と意欲にあふれるエコノミストが新しい経済学を提案してくさないものかと期待しています。現在の経済はいわゆる「長期不況」secular stagnation にあり、そういったブレイクスルーが必要な段階に達しているような気がしてなりません。

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次に、浅川雅嗣『通貨・租税外交』(日本経済新聞出版) です。本書は、財務省キャリア官僚として次官級の財務官まで上り詰め、昨年からアジア開発銀行(ADB)の総裁に就任した著者に対して、日経新聞の記者がインタビューをした口述記録という形で取りまとめられています。とても異例な回顧録です。文章を書くのは官僚のお仕事の重要な部分を占めますので、著者の方で文章が苦手であるということは考えられませんので、新たな試みか、何らかの意図があるのであろうと想像しています。財務官の在任は本書にあるように4年に及びましたが、キャリアの官僚としては極めて異例の長さといえます。比較するのに適当な例ではないものの、私の場合、海外勤務では3年間が通常としても、国内勤務では内閣官房の官邸スタッフで3年、統計局勤務で2年半あまり、というのが長い方です。ただ、著者の場合、前任の山崎財務官(当時)がアジアインフラ投資銀行(AIIB)への英国をはじめとする欧州諸国の参加を見誤った懲罰人事で、急遽財務官に上がったとの誠にまことしやかな説がありますから、もしもそうだとすれば、前任者の任期も含まれてしまったのかもしれません。ということで、タイトル通りに通貨=為替と租税の大きな2部構成で、全8章構成のうち前半5章が通貨に当てられ、後半3章が租税に当てられています。ただし、通貨=為替については、日々刻々のニュースで取り扱われて、最新情報が明らかにされる一方で、水面下の交渉の経緯などはまったく明らかにされませんから、それなりに私は興味を持って読み進んだのですが、さすがに、「口が堅い」というか、いくつか、交渉のカウンターパートの固有名詞が明らかにされたり、SDRに中国の人民元を組み込む比率について、中国がやたらと高い比率を持ち出した、といったことくらいで、特に、為替市場介入については、聞き手の方で各章の最後に置かれている部分で、官邸とのやり取りが憶測で語られているだけで、目新しさはありませんでした。逆に、租税についてはアジアから初めてのOECD租税委員会議長に就任したということをはじめとして、リポートがいっぱい出版されていますし、制度論なんかも複雑で説明の甲斐があるのか、かなり内容が豊富です。特に、デジタル課税にも対応したOECDのBEPS(Base Erosion and Profit Shifting)については、私のこのブログでも昨年2020年10月15日付けの記事で、OECDとG20の共同提案を取り上げていますが、とても詳しく紹介されています。税の世界は制度をはじめとしてホントに専門家でないと理解が及ばない場合が少なくないわけで、なかなかに興味深い内容でした。ただ1点だけ、私の知りうる範囲で補足すると、GAFAのホームグラウンドである米国がデジタル課税にやや不熱心、という趣旨の記述がありますが、他方で、米国の国外軽課税無形資産所得合算課税(GILTI)制度については何ら言及がなく、やや片手落ちな気もしなくもありません。最後に、通貨=為替については、エコノミスト的な解説はいくらでも出てくるような気がしますが、著者はそのエコノミスト的な見方はほとんど示していません。例えば、最近の日本ではかつてと違って円高に振れにくい状況になっているといわれていますが、その要因については、p.82で一般的によく上げられるいくつかのポイントに言及しているだけで、こういった点にはやや物足りないと感じる読者もいるかも知れません。でも、本書はそういうエコノミスト的な見方を展開する目的は持っていない、と考えるべきです。ですから、悪くいえば、新聞記者の提灯記事を拡大したものとの見方もあり得ようかという気はします。

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次に、森安孝夫『シルクロード世界史』(講談社選書メチエ) です。著者は、長らく大阪大学に在籍した歴史の研究者です。本書では、ご専門のシルクロードの中でも中央アジアに関する歴史をひも解いています。そして、本書のタイトルは、著者によれば、前近代のユーラシア大陸を中心に見た世界史、ということになります。その上で、歴史学としては近代的な西欧中心史学を否定し、アジア・ユーラシアこそが世界の中心であって、4大文明や古典古代のギリシア・ローマすら中央アジアからすれば周辺、ということになるようです。そして、この「周辺」という概念は、もちろん、ウォーラーステイン流の近代世界システム論から取られています。私は歴史については、基本的に、マルクス主義的な歴史観=唯物史観に立脚して、エコノミスト的に生産力中心主義であり、原始共産制、奴隷制、農奴制(中世)、資本制(近代)、といった発展段階を取るものと考えています。もっとも、その先が社会主義・共産主義に進むかどうかは、少なくとも現時点では実証されていません。これに対して、著者はp.42で展開するような8段解説、すなわち、(1)農業革命、(2)4大文明の登場、(3)鉄器革命、(4)騎馬遊牧民集団の登場、(5)中央ユーラシア型国家優勢時代、(6)火薬革命と海路によるグローバル化、(7)産業革命と鉄道・蒸気船(外燃機関)の登場、(8)自動車・航空機(内燃機関)と電信の登場、を取っています。地域的には、まさに、中央アジアというのは(4)や(5)の時代における中心的な役割を果たすわけです。また、この地域で中心になるのは、民族としてはウイグルとソグド、宗教としてはマニ教になります。本書でも指摘されている通り、いわゆる史料として現在に伝わる文書は、権力者あるいは政府や統治者の残した行政記録、宗教の記録、そして、公益というか商業の記録が主です。そして、著者の指摘に従えば、中央アジアは乾燥しているがゆえに紙や木簡・竹簡といった文書の記録媒体の保存状態がいいということらしいです。そうかも知れません。民族のウイグルとソグドについては、中国の元朝で「式目人」として重用されたわけですし、マニ教は今ではすっかり消滅した宗教ですが、ローマ初期にはキリスト教の最大のライバル的な勢力があり、カレンダーの日曜日を赤くするのはマニ教の影響ではないか、と指摘されたりしてます。お恥ずかしいことに、私の知らないことばっかりでした。最終章では、シルクロードと日本、と題して我が国をシルクロードの終着点と位置づけ、前近代の日本文化では、中国から伝わった稲作と発酵食品と漢字を別にすれば、青銅器・鉄器も、車輪も馬も、仏教はいうまでもなく粉食文化も、すべてシルクロードによって中国に伝わり、それが中国から直接あるいは朝鮮半島を通じて日本にもたらされた、と指摘しています。私自身がそれなりに歴史の興味あるとはいえ、分野も地域も不勉強で、知らないことがいっぱい詰まったいい読書だった気がします。

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次に、ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』(文藝春秋) です。作者は、どんでん返しのミステリで有名な米国人のベストセラー作家です。本書の英語の原題は The Nevew Game であり、2019年の出版です。この作者の作品では、ニューヨークを拠点とするリンカーン・ライムを主人公とする物的な微細証拠を集めまくるのと、カリフォルニア州警察に所属してキネクシスというボディランゲージ分析を駆使する人間嘘発見器のキャサリン・ダンスを主人公とするシリーズを中心に私は読んでいて、特に、この作者を代表する前者のリンカーン・ライムのシリーズはすべて読んでいると思います。ということで、この作品はそのどちらでもなく、懸賞金ハンターを職業とするコルター・ショウを主人公としています。新しいシリーズです。というのも、通奏低音となっているのが、この主人公の家族、特に、15年前に亡くなった父親であって、警察では自殺とされたんですが、おそらく、何らかの陰謀が進んでいた結果の謀殺ないし殺人ではないか、と強く示唆されていて、主人公のところにその証拠を隠滅するためにゴロツキが送り込まれてきたりするわけです。ですから、本来のゲームに見立てた事件の解決も、それなりに面白くはあるんですが、この父親の事件の解決というのが、ひょっとしたら、永遠に終わらないテーマなのかもしれません。「エール」でやっていた「君の名は」で主人公の男女が永遠に出会えないのと同じです。それはさておき、私はやっぱりリンカーン・ライムが魅力的に見えます。ダンスの尋問も魅力的なんですが、どうしようもない個人的な能力で事件を解決するのに対して、ライムの方はさまざまなハードウェアを駆使しつつ地道に事件解決を図るからです。その上、私自身の人生経験と照らし合わせて、年齢とともに酒が飲みたくなるなんてのは、実に理解がはかどります。それから、作者のディーヴァーといえばどんでん返しのツイストな謎解きなんですが、段々と加害者、というか、犯人の方からのミスリードではなく、作者自身が勝手にミスリードされているようなストーリーが増えた気がします。その意味で、私はこの作者の作品の中では、『ウォッチ・メーカー』が最高傑作だった気がします。その後は必ずしも作品として質が上がったかどうかは疑問です。加えて、犯罪としてとても手が込んでいるのは認めますが、現実味が薄れていってきている気がしないでもありません。作家としては手の込んだプロットを考えて努力しているのには違いないのですが、現実からますます離れていって、地に足のつかないストーリーになっています。日本では綾辻行人の館シリーズのうちの『時計館』がもっとも壮大なトリックだったのですが、現実にはあり得ません。私が年取ったのだろうという気もしますが、もう少しライトなミステリに興味が移りつつあるのを実感しています。

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次に、菅義偉『政治家の覚悟』(文春文庫) です。著者は、流石に紹介するまでもなく、我が国の総理大臣です。私は単行本ではなく、上の表紙画像にあるように、文春新書で読みましたので、時事通信のニュースなどで指摘されているように、例の民主党政権時の東日本大震災対応に関係した公文書の重要性を指摘する記述は削除されています。その代わり、といっては何ですが、前の安倍内閣の時の官房長官として受けたインタビューがいくつか収録されています。どうでもいいことながら、私は京都府立図書館の公立図書館横断検索で前の2012年出版の単行本バージョンの『政治家の覚悟』を検索してみましたが、文春新書は13館が所蔵している一方で、旧版は何と所蔵はゼロでした。ついでに、使い慣れた東京都の公立図書館横断検索も試みましたが、ヒットしたのは都立図書館の1冊だけで、区立や市立の図書館からは一掃されているようです。ご参考まで。ということで、副題は「官僚を動かせ」となっています。私は政治家の経験はありませんが、公務員であれば定年まで長らく勤めていました。本書では、当然のことながら政治家の視点ですから、完了は新規の提案に否定的で、それを政治家として実現した、しかも、スピード感を持って実現した、というお話がオンパレードになっています。ですから、なかなか興味を引き立てるものがありません。おそらく、インタビューの内容を文章化したのではないか、と想像しますが、少なくとも、口述筆記そのままの印象が強く、それを基にそれなりのゴーストライターがまとめれば、もう少し読者の興味を引き立てる内容に取りまとめてくれるのではないか、という気すらします。おして、私の興味を引き立てない一因は、他の読者は違う観点を持つ可能性は否定しないものの、官僚を動かすやり方がほぼほぼムチを使っていることです。通常、「アメとムチ」と対にして使われますが、ほぼほほことごとくムチで官僚を動かそうとしているような例ばかりが取り上げられています。典型は、第6章 「伝家の宝刀」人事権の章であり、冒頭に総務大臣のころにNHK担当課長をう更迭したことを自慢話として書いています。というか、全編自慢話ばかりのつもりなんでしょうが、読む人が読めば背筋の寒くなるような強権的な行政運営であると受け止める向きもいっぱいある可能性を私は否定できません。その、「伝家の宝刀」を抜きまくって内閣総理大臣として人事権を官僚だけでなく閣僚にまで及ぼしているのですから、S.キングのホラー小説よりも怖い話です。公務員をバッシングしておけば国民の支持を得られるというのは、その昔の民主党政権の末路に示されているように私は考えるのですが、公文書の保管が十分でないので忘れ去られているのかもしれません。

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最後に、高嶋哲夫『「首都感染」後の日本』(宝島社新書) です。著者は、フィクションのパニック小説を数多く出版している小説家であり、本書のタイトルから用意に想像される以前の作品の『首都感染』は2010年に出版されています。当時の感染症の主たる注目だったH5N1などの鳥インフルエンザを取り上げています。コロナ前には3万部あまり売れた一方で、コロナ後は14万部あまり売れたと本書で紹介されています。私のこのブログでも2011年5月29日付けの読書感想文で取り上げています。ついでながら、本書でも触れられている『首都崩壊』も私は読んでいます。首都圏直下型地震に備えて、首都移転を模索する人々の心理や活動を描写しています。2014年3月21日付けの読書感想文です。ということで、タイトルに入っている『首都感染』を現在の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックと関連させつつ、実は、著者の主張の主眼は『首都崩壊』にあるんではないか、と感じさせたりもする内容です。というのも、ノッケからコロナ禍よりも、次なる災害、すなわち、首都圏直下型地震と南海トラフ地震であると高らかに宣言されており、少なくとも、昨年2020年4~5月の緊急事態宣言によるロックダウンは過剰であったといった趣旨で書き始められています。著者の主張も、私からすれば、もっともな部分もあります。それは、あまりに東京中心の視点でCOVID-19パンデミックが取り沙汰されている点です。まあ、判らないでもないですし、私も長らく役所に努めて東京に住んでいましたから、その時点では東京に特化した視点は特に違和感なかったんですが、京都に移り住んだ今となっては、日本人の残りの大部分は東京中心の視点を疑問に思っているかもしれません。例えば、日々のテレビニュースでは、東京については時系列のグラフで感染者数がプロットされているのに対して、そういった扱いを得ているのはほかには大阪府くらいのもので、京都府については日本地図で本日の感染者数のみが数字で示されるに過ぎません。その点から、著者が首都移転、あるいは、首都機能分散を危機管理の一環として主張するのも、パニック作品を多く手がけてきた作家らしいと感じてしまったりします。ただ、私自身はパーマネントな首都移転は問題の解決にならないような気もします。というのは、移転先は地震のリスク低い場所を選ぶとしても、東京の密さ加減が新首都に移ってしまえば、結局、感染症のリスクはそれほど変化ないことになるからです。その点で、私は東京が機能不全に陥った場合の首都機能の受け皿を形成することこそが必要そうな気がしています。更地に新首都を建設するのではなく、おそらく、実際的には大阪と名古屋くらいしか候補がなさそうですが、東京の機能をスムーズに受け継ぐことができる都市機能の整備が必要ではないでしょうか。ただし、本書の主張とは違って、それは大阪都構想ではなさそうに私は受け止めています。

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2021年1月23日 (土)

今週の読書は経済書をはじめとしてミステリも含めて計5冊!!!

今週の読書は、経済書と教育に関する専門書、さらに、ミステリに新書まで含めて、以下の通りの計5冊です。大学の方の授業は今週で終わりましたが、まだまだ、次第では入試が始まったりして、時間的な余裕はできません。

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まず、竹森俊平『WEAK LINK』(日本経済新聞出版) です。著者は、慶應義塾大学の経済学の研究者であり、政府の経済財政諮問会議の民間議員も務めるエコノミストです。タイトルから明らかな通り、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックにさらされた世界、特に、経済について論じています。私は、当初、著者の専門分野が国際経済学ですから、グローバル・バリューチェン(GVC)の切断のお話かと想像していたんですが、それほど狭い分野に限定したわけではありません。すなわち、米国、欧州、中国、そしてもちろん日本も、それぞれの経済社会における切れやすい弱い輪=Weak Linkについて議論を展開しています。そして、それぞれ国や地域の弱い輪がCOVID-19パンデミックにつながっていると指摘しています。まず、序章で総括的な世界システムの概観をしてその想像と崩壊を見た後、第1章からは、スペイン風邪のパンデミックの歴史を振り返り、COVID-19との異同を論じるところからお話が始まります。事前予防のワクチンや事後治療の特効薬といった「決め手」がない中で、結局、ソーシャル・ディスタンシングに頼るしかない現状からの考察が始まります。本書ではないんですが、「ソーシャル・ディスタンシング」を単に1.5ないし2メートルの距離を保つという狭い意味ではなく、より広い意味で捉え、隔離やロックダウンも含めている文献がいくつかありました。本書もややそれに近い印象を私は受けました。そして、何より本書にいて、世界のCOVID-19対応の間違いの元ともいえる要因として、自信過剰(Hubric)が上げられます。もっとも、私のような唯物論者はこういった観念論はやや苦手だったりしますが、類書との差別化として判らなくもありません。そして、もうひとつの本書の特徴は中国が世界の「弱い輪」である可能性を示唆している点です。ただし、この「中国弱点論」は類書でもいっぱい見られます。例えば、パニック小説作家の高嶋哲夫の『「首都感染」後の日本』という宝島社新書を借りたんですが、タイトルに入っているパニック小説の『首都感染』で中心となる新型インフルエンザもFIFAワールドカップ開催中の中国の首都北京から世界に感染拡大する、という展開になっています。現在のCOVID-19の感染震源地が中国の重慶であることは広く報じられているとおりです。その上で、ソ連が崩壊して米国一強の世界が出現したことも、冷戦が終了したことも終章で否定しています。私はこの点は理解できませんからパスします。そして、本書が書かれた昨秋の時点では、山中先生の「Xファクター」ではありませんが、何らかの未知の要因で日本はCCOVID-19パンデミックにうまく対応していると考えられていたような気がしますが、本書では日本の対応についてかなり厳しい評価が下されています。いずれにせよ、私なんぞの凡庸なエコノミストは、経済外要因であるCOVID-19次第といいつつ、結局、先行き見通しに取り組むことを放棄しているんですが、さすがに一流エコノミストは先行きについて考えるべきヒントを与えてくれています。その点で、自信過剰(Hubric)という観念論を別にすれば、優れた論考であると私は受け止めています。

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次に、川口俊明『全国学力テストはなぜ失敗したのか』(岩波書店) です。著者は、教員養成大学の研究者であり、まさに、教育学などが専門のようです。本書では、2007年度から始まった、というか、再開された全国学力テストが失敗であると結論し、その理由は学力調査の基本的な設計ミスであると指摘しています。すなわち、「指導のためのテスト」と「政策のためのテスト」は違うと指摘し、現状を正確に把握するという観点が欠けていることを理由に上げています。加えて、官僚機構に起因する遠因として、現状を正確に把握して欠点を改善するという発想がなく、無謬主義に陥っている可能性を示唆しています。教育者ながら、私自身は全国学力テストについては詳しくありません。全国学力テストは義務教育の生徒や児童を対象にしているわけですので、大学教員の私からすれば、やや縁遠い関係です。ただ、本書で上げているように、テストには何種類かあるんですが、「指導のためのテスト」と「政策のためのテスト」のほかに、「選抜のためのテスト」があります。まさに先週末の大学入学共通テストをはじめとする受験のためのテストであり、20年ほど昔に私は公務員試験委員に併任されて、当時の国家公務員Ⅰ種経済職試験委員として、公務員試験を作成したことがあり、こういった「選抜のためのテスト」は一部の医大で男女間の不正操作があったとはいえ、国民の間でかなりの信頼を得ていると私は考えています。ただ、本書で取り上げている全国学力テストについては、経済協力開発機構(OECD)が主催するPISAのようなしっかりした設計がなされておらず、どのような能力=学力を計測しているのかがサッパリ判らない、という点につきます。ただ、直感的に判りやすい表現を本書から取ると、「指導のためのテスト」であれば、テスト結果だけでもって判断でき、全員が満点に近ければそれで十分なのですが、「政策のためのテスト」であればテスト結果だけでなく、親の学歴をはじめとする社会的属性といった生徒や児童の学力の背景にある要因を把握する必要があり、しかも、全員が満点であれば困ったことになり、適度に散らばった結果が好ましいといえます。ちなみに、私の経験した「選抜のためのテスト」であれば、学力の背景は不要で、テスト結果だけが重視されるべきなのですが、他方で、全員が満点だと選抜に困るので適度な散らばりがあるように設計する、という中間的なものとなります。いずれにせよ、全国学力テストは本来の目的である教育政策の改善にはまったく役立たず、むしろ、得点競争をあおって、例えば、大阪のようにこの得点を持って学校や教員を評価する、という誤った使われ方をしている弊害の方が大きい、との議論が余すところなく展開されています。

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次に、千田理緒『五色の殺人者』(東京創元社) です。著者は、新進のミステリ作家であり、この作品で本格ミステリの第30回鮎川哲也賞を受賞しデビューしています。ということで、高齢者介護施設のあずき荘が殺人の舞台となり、あずき荘で働く20歳代半ばの女性が主人公です。タイトル通りに、目撃者が逃走する犯人の着衣を赤・緑・白・黒・青のバラバラの5通りの色で証言し、その謎解きから始まります。しかも、凶器が見つかりません。高齢者介護施設ですので、当然のことながら、認知症患者も証言者に含まれており、警察の事情聴取も進みませんし、なかなか犯人探しは難航します。そこで、主人公ともうひとりの同じ年代の女性の介護職員が協力して犯人探しに取り組み、もちろん、最終的には謎が解き明かされる、というストーリーになります。ただし、5色の違いが一般的な方法で解消されたといえるかどうかは、ややビミョーなところです。東野圭吾のガリレオのシリーズほどではないものの、やや高齢者の色の見え方に関する専門的な知識が必要とされるような気がします。その点で、ノックスの十戒をクリアしているかどうかはビミョーですが、詳しく解説していますので、あるいは、OKなのかもしれません。色の誤任に加えて、人の誤任も少し反則のような気がします。これは色の誤任よりも反則度が大きいのですが、詳しく展開することは控えます。菅総理の答弁を控えると違って、ミステリですのでネタバレを避けたいと思います。もうひとつは、キャラの設定はそれなりに立っているわけで、まあ、高齢者ですから、ここまでワガママなことをいう人もいるのだろうとは想像しますが、謎解きに関連することがバレバレな場合もあって、その点は未熟な描写ともいえます。ただ、謎解きに関するキャラとそうではないキャラを、うまくごまかしながら設定するのであれば、ミスリードにはうってつけかもしれません。いずれにせよ、色の誤任も、人の誤任も、言葉のトリックである点は同じで、うまくミスリードされたと感じる読者がどこまでいるかは不明です。おそらく、言葉のトリックに対しては、作品の評価低くなる可能性の方が高そうな気もします。第2作が期待できるかどうかについては、ぞうも、私は次回作はパスするのではないか、と思います。

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次に、エノ・シュミットほか『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』(光文社新書) です。基本的に、ベーシックインカム(BI)に関する本なんですが、ほとんど、というか、まったくのように経済学のお話は出てきません。一部に直接民主制を取るスイスに置いてベーシックインカムを求める国民投票が実施されましたが、著者代表で上に名前を上げたシュミット氏はその国民投票を実現させた1人であり、スイスのアーティストです。ということで、経済学的な意味ではなく、ベーシックインカムをどのように捉えているかというのが本書のタイトルとなっています。昨年暮れの2020年12月27日に、ご寄贈いただいた松尾匡『左翼の逆襲』(講談社現代新書) を取り上げましたが、その帯に「人は生きているだけで価値がある!」と記されており、かなり近い物があると私は受け止めています。ベーシックインカムについては単に左派だけでなく、政府介入のミニマイズという観点から、リバタリアンや右派からも支持があります。昨年、ツイッターで竹中平蔵教授がベーシックインカムに賛成するツイートをしたのを見た記憶が私にもあります。ただ、その直後に、共産党の志位委員長がベーシックインカム反対のツイートをしたのには失望させたれました。共産党の内部でどこまでベーシックインカムについて議論されているのか私はまったく知りませんが、委員長のツイートに忖度する党員はいっぱいいそうな気がして、やや心配です。それは別にして、「働かざる者食うべからず」という昔からの道徳律に反して、人間としての能力を全面的に開花させるための所得の基礎という意味で、私はベーシックインカムに賛成ですし、今までのいくつかの社会実験の結果からもベーシックインカムが勤労意欲を大きく損じることはないと証明されています。ただ、我が国では、というか、世界各国でも同じなんでしょうが、財政収支に関する誤った懸念から、財源問題を解決した上でないとベーシックインカムが実現できないと考える向きは少なくないものと想像しています。本書はその懸念に応えるものではなく、財源よりもベーシックインカムの効果の方に着目しているわけですが、広くベーシックインカムに関する議論が展開されることは私も大賛成です。願わくは、私のように財源論を無視してでもベーシックインカムを採用する見方も広がって欲しいものです。いずれにせよ、経済的な観点ならざるベーシックインカム論も、とても面白いと感じました。

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最後に、スティーブン・グリーンブラット『暴君』(岩波新書) です。著者は、米国の大学のシェークスピア研究者であり、その分野における世界的権威であると紹介されています。英語の原題は Tyrant であり、2018年の出版です。邦訳タイトルはこの英語の原タイトルの直訳のようです。ということで、本書では、シェークスピアの暴君に関する疑問、すなわち、国民の利益ではなく私利私欲に走る暴君に、どうして多くの国民が屈服するのか、どうして、リチャード3世やマクベスのような暴君が王座に上るのか、という疑問です。もちろん、こういった暴君にまつわるシェークスピアの疑問が解き明かされるわけではありません。そうではなく、基本的人権とか、ましてや、言論の自由が確立されていない世界で、暴君に対する批判や避難は命を失うことにもなりかねない社会情勢の中で、シェークスピアがいかにシニカルかつ暗喩に満ちた劇作を続けてきたのか、という点に焦点が当てられています。直接に暴君を批判したり、避難したりすることができないというのは、日本でも同じことであった時代があるわけで、やっぱり、文学作品の中でも劇作に残されています。例えば、あまりにも有名な赤穂浪士の討ち入りは歌舞伎などの伝統劇で残っていますが、時代や登場人物をビミョーに現実とは異なるもので構成し、赤穂浪士の切腹という幕府の仕置きを避難するような雰囲気を漂わせつつ、赤穂浪士の義挙を称賛するような仕上げになっているわけです。他方、シェークスピアの劇もそうですし、赤穂浪士の劇もそうなんですが、本書が見落としているのは、そういった暴君をはじめとする権威筋への批判は、単に劇作家が持っていただけでなく、おそらく、世間一般、国民すべてではないまでも、それなりの影響力ある階層が権威への批判的な見方を支持していた可能性が高いと私は考えています。ですから、そういった暴君や権威筋への批判の雰囲気を持つ劇が大衆から支持され、客の入りもよかったんではないか、と私は想像します。シェークスピアの作品を作家のシェークスピアだけで完結させるのはムリがあります。その劇を楽しんだ客、たぶん、一般大衆ではなく、中間層から少し上のアパーミドルかもしれませんが、そういった芝居の客層も含めて、暴君や権威筋への批判や避難を考える必要があります。その意味で、少し物足りない論考だった気がします。

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2021年1月16日 (土)

今週の読書は通常通りの計4冊!!!

今週の読書は、経済書に教養書・専門書、さらに、学生諸君への参考のために新書まで含めて、以下の通りの計4冊です。

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まず、クラウス・シュワブ, & ティエリ・マルレ『グレート・リセット』(日経ナショナルジオグラフィック社) です。著者は、もうすぐ始まるダボス会議を主催する世界経済フォーラム(WEF)の会長とオンラインメディア『マンスリー・バロメーター』の代表です。英語の原タイトルは COVID-19: The Great Reset であり、2020年の出版です。本書では、タイトルから容易に想像されるように、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の後の世界について、それまでの世界がリセットされる、という印象で議論を進めています。視点は、マクロ、産業と企業、個人の3つなんですが、圧倒的なページ数がマクロに割かれています。そのマクロも、経済、社会的基盤、地政学、環境、テクノロジーとなっています。当然です。特に、資本主義のリセットが念頭に置かれている印象で、その目指す先はステークホルダー資本主義とされています。その昔に「勝ち組の集まり」と揶揄されたダボス会議の主催者とは思えないほどに、ネオリベな経済政策を反省し、リベラルな政策手段で格差を是正し、大きな政府が復活する可能性を論じています。特に印象的なのは、命と経済の間でトレードオフがあるのは別としても、命に圧倒的な比重を置いていて、命を犠牲にしてでも経済を守る姿勢を強く非難している点です。やや、私には意外でした。もっと、ポイントを絞った効率的な政策によって財政赤字が積み上がらないように、といった視点が飛び出す可能性を危惧していただけに、コロナがいろんなものの変容をもたらした、ということを実感させられました。少なくとも、現在の日本の菅内閣よりもずっと立派な視点だという気がします。いずれにせよ、世間一般で、リベラルな中道左派が描きそうな未来図ですから、特に、メディアで示されているメインストリームな未来像と大きな違いはないという気がします。おそらく、何が何でもオリンピックをやりたくて、「自助」を真っ先に持って来る日本の内閣の方が世界標準からして異常なんだろうという気がします。

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次に、ジャック・アタリ『命の経済』(プレジデント社) です。著者は、欧州を代表する有識者といえます。その昔のミッテラン社会党政権のブレーンだったわけですから、社会民主主義的な色彩の強い方向性が打ち出されています。フランス語の原題は L'Économie de la Vie であり、2020年の出版です。舷梯はされませんが、当然ながら、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)を中心とした議論が展開されています。感染対策として、中国が強く避難されるとともに、韓国が称賛されています。すなわち、中国の場合、事実誤認、というか、曲解や恣意的な解釈も含めて、初動に大きなミスがあり、そのため、権威主義国家らしく強権的なロックダウンに頼った感染拡大防止を図った一方で、韓国では検査・追跡・隔離といった科学的な手段が取られて感染拡大を防止した、と評価されています。その意味で、政府だけでなく企業や個人も含めて、「真実を語る」ことの重要性が何度も強調されています。ただし、その昔の「ジャパン・パッシング」よろしく、日本に関する評価、どころか、ほとんど記述すらありません。日本では、山中教授いうところの「ファクターX」があって、科学的方法論では解明しきれない要因により感染者数や死者数が抑制されてきたという説もあるようですから、科学的な一般化は難しいのかもしれません。でも、年末から年明けにかけて、ハッキリと欧州などと歩調を合わせる形で感染拡大が観察されますから、日本だけがファクターXによりCOVID-19の例外、というわけにいくハズもありません。国家や企業や国民のあり方について、スケールの大きな議論が展開されている一方で、決して難解ではなく、むしろ、心に響くような新鮮さを感じました。類書の中で、ここまでマスクの重要視を強調しているのは初めてでした。また、次のランシマン『民主主義の壊れ方』共関連して、「闘う民主主義」の5原則も興味深いものがありました。

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次に、デイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方』(白水社) です。著者は、英国ケンブリッジ大学の政治学教授であり、世界的な権威ある政治学の研究者だそうです。英語の原題は How Democracy Ends であり、2018年の出版です。どうでもいいことながら、同じ2018年の出版で How Democracies Die という学術書が米国ハーバード大学のレヴィツキー教授とジブラット教授により出版されていて、私はまったく読んでいませんし、専門外ながら、ソチラのほうが有名なんではないか、という気がしないでもありません。ということで、本書では、クーデタを始めとする暴力、災害などの大惨事、そして、テクノロジーの3つの観点から民主主義が終わる可能性について論じています。たぶん、米国トランプ政権の成立が本書のモティーフのひとつになっている気がしますが、最近の議事堂占拠なんて米国の暴力はスコープに入っているハズもありません。もう少し長い期間を考えていて、大惨事も不可抗力っぽい気がしますし、テクノロジーが主眼に据えられている印象で、例えば、「トランプは登場したが、いずれ退場していく。ザッカーバーグは居続ける。これが民主主義の未来である。」といったカンジです。デジタル技術は直接民主主義への道を開くと論ずる識者がいる一方で、本書のように民主主義を終わらせる可能性もあるということです。本書でも指摘されている通り、古典古代のギリシアにおける民主主義は終了を迎えました。原題の民主主義はヒトラーやファシズムといった暴力で覆されるとはとても思えませんが、新たに出現した民主主義への驚異はテクノロジーに限らず、いっぱいありそうな気がします。ですから、何もしないでノホホンとしていて民主主義が守れるとは限りませんし、アタリのように「闘う民主主義」を標榜しつつ、しっかりと自由と民主守護を守る姿勢が大事なのであろうと思います。いずれにせよ、哲人政治ならぬエピストクラシーと衆愚に陥るかもしれないデモクラシーと、どちらがいいかと問われれば難しい回答になります。最後に、センテンスが短い訳文は好感が持てるのですが、そもそも、章が長くて節とか、小見出しがいっさいなく、それなりに忍耐強くなければ読み進むのに苦労させられます。ご参考までのご注意でした。

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最後に、三浦佑之『読み解き古事記 神話篇』(朝日新書) です。著者は、古事記研究の碩学であり、三浦しをんの父親です。その昔の三浦しをんデビュー時は「三浦佑之の娘」と紹介されていた記憶もありますが、今ではどちらも同じくらいのウェイトか、あるいは、人によっては直木賞作家である三浦しをんの方をよく知っていたりするのかもしれません。ということで、古事記の神話編を歴史学というよりも、文学的かつ民俗学的に解釈した解説となっています。日本書紀と古事記には少し違いがあるようですが、私のような専門外の読者にはよく判りません。まあ、国作りの物語とか、出雲と伊勢の暗闘透とかはよく知られたところです。本書でもヤマタノオロチが出てきますし、因幡の白うさぎも登場します。中国で奇数が陽数とされるのに対して、日本では対になりやすい偶数が好まれ、三種の神器も、実は、剣と鏡は銅製であるのに対して、玉は翡翠製なので違うんではないか、という意見も表明されたりしています。そうかもしれません。常識的には知っているお話が多くて、ひとつだけ、神様のお名前が極めて何回、というか、現代日本人からすれば長ったらしいので覚えにくいんですが、それ以外は常識的な日本の教養人であれば、見知っていることと思います。でも、こういった碩学の本で改めて読み返すと有り難みがあるのはいうまでもありません。

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2021年1月11日 (月)

木元哉多「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ7巻を読み終える!!!

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昨夜、「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ全7巻を読み終えました。小説というよりは、NHKのドラマ、中条あやみ主演で一部に話題になっていたような気がします。ドラマは見ていないのですが、いかにもドラマにしやすそうな短編、かつ、安楽椅子探偵ミステリです。もっとも、それは5巻までで、しかも5巻には沙羅の日常が挿入されていたり、あるいは、犯人当てが成功しなかったりと、少しバリエーションをもたせています。最後の6巻と7巻は長編で、似通ったテーマで、いかにも種切れをカンジさせる微笑ましい終わり方です。閻魔堂沙羅という警察ならざる超越存在が裁いていますので、物証ではなく論理性が重視されているという意味で、それなりに本格ミステリに仕上がっています。

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2021年1月10日 (日)

年末年始からの読書は2週間かかってもわずかに6冊か?

年末年始の2週間に読んだ読書です。ただし、この年末年始の読書は、「鬼滅の刃」のコミック全23巻が中心で、また、中条あやみ主演のNHKドラマで話題になったことから、最近まで『閻魔堂沙羅の推理綺譚』の原作全7巻も読んでいましたので、それとは別枠の通常読書ということになります。このお正月は初詣に出かけることすらなく、ほぼほぼ家で引きこもっていましたから、私の場合、かなり大量の読書をこなしたように思います。ハッキリいって、以下に取り上げた数冊のうちの専門書や教養書については、それほど印象に残るいい読書をした気もしませんから、まあ、すでに忘れ始めているものもあり、簡単なコメントで済ませておきたいと思います。ただし、定評あるミステリ作家の東野圭吾と伊坂幸太郎によるエンタメ小説2冊は面白かったです。コチラは2冊とも大学生協の本屋さんで1割引きで買い求めたもので、買ったかいがありました。

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まず、日本経済新聞社[編]『これからの日本の論点2021』(日本経済新聞出版) です。日本経済、日本企業、世界の3章に渡って、日経新聞の記者が23の論点を取り上げて、先行きの見通しなどをリポートしています。もっとも、脱炭素とか、ジョブ型の雇用とか、どうも誤解、というか、曲解に基づくリポートも見受けられます。第3章の世界の今後については、何分、米国大統領選挙の行方が判然としない段階だったものですから、決定的・断定的な結論が下せていません。バイデン大統領の就任後もしばらくはそうなのかもしれません。でも、米中関係が画期的に改善することもないのだろうという結論は、それなりに受け入れられやすい気もします。何といっても、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックの先行きが誰にもわからないものですから、日本も世界も、経済も政治も社会も、今年2021年がどのようになるかはハッキリしません。もっとも恐ろしいのは、現在の菅内閣がCOVID-19パンデミックについて、ほとんど何も理解していないようにすら見える点です。おそらく、無知や無理解に基づく対応の誤りなのではないかと、私自身は善意に受け止めているんですが、尾身先生がついていてすらこうなのですから、悪くいえば反知性的な対応を取っているようにすら見えかねません。尾身先生ですらダメなのですからどうしようもないこととは思いますが、別の誰かが、ちゃんと科学的な見方を教えてあげればいいのに、とすら思えてしまいます。

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次に、冨山和彦『コーポレート・トランスフォーメーション』(文藝春秋) です。これも、どうしようもなくありきたりなコンサルの見方を示しているだけで、何の目新しさもありません。データ・トランスフォーメーションのDXにならって、コーポレート・トランスフォーメーションをCXとしているだけで、プレゼンコトコンサルらしくてお上手なんですが、ほとんど何の中身もないと私は見ました。それから、これもコンサルですから仕方ありませんが、上から目線で、今の日本企業の欠陥をあげつらっているだけです。詳しい人からすれば、こんなこと、まだいってるの、というカンジかもしれません。前の『コロナショック・サバイバル』の続編であり、前作がそれなりに面白かったので図書館で借りて読んでみましたが、本編たる本書は決して出来はよくありません。買っていれば大損だったかもしれません。

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次に、ケネス B. パイル『アメリカの世紀と日本』(みすず書房) です。本書も、日本の対米従属を解き明かす鍵があるかと思って読んだのですが、ボリュームほどの内容の充実はありませんでした。日米関係史ではなく、あくまで米国史の中に日本を位置づけているわけで、その意味で、読ませどころはペリーによる開国の要求ではなく、むしろ、第2次世界対戦からコチラの現代史につながる部分なんだろうと思いますが、その中で、第2次世界大戦が終結する前に、米国は明確に「無条件降伏」による戦争の終わり方を目指していた、という下りには目を啓かれるものがありました。ただし、その後の戦後処理から現在に至るまで、米国のサイドから軍事を起点に、外交・政治、経済・社会、そして最終的に生活や文化に至るまで、いかに日本の対米従属を進めたか、そして、日本のエリート支配層がそれをいかに受け入れていったか、といったあたりにはやや物足りないものが残りました。もちろん、経済史ではなくあくまでプレーンな歴史学の研究成果でしょうから、仕方ないのかもしれません。

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次に、東野圭吾『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』(光文社) です。父親が殺されたアラサーの主人公の視点によるミステリです。なぜか、それほど面識ない叔父、すなわち、殺された父親の弟が事件解決に乗り出します。米国で手品師として成功しただけに手先の器用さや誘導尋問をはじめとする心理戦には強く、ややミステリとしては反則な気がしますが、科学的知識の「ガリレオ」シリーズほどの反則ではありません。いずれにせよ、「ガリレオ」シリーズと違って、ノックスの十戒に反しているわけではないと私は受け止めています。

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次に、伊坂幸太郎『逆ソクラテス』(集英社) です。短編集です。「逆ソクラテス」、「スロウではない」、「非オプティマス」、「アンスポーツマンライク」、「逆ワシントン」の5篇からなっており、私はタイトルにもなっている最初の「逆ソクラテス」は読んだ記憶があり、教員になって改めて「褒めて伸ばす」教育方針の重要性を認識させられています。ほかも、主人公は基本的に小学生、あるいは、せいぜいが中学生といった少年少女の視点からの小説です。バスケットボールや教師の磯憲などでつながりある短編も見受けられますが、すべての短編がつながっているわけではありません。でも、著者独特の正義感が感じられて、私はとても好きです。

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最後に、林望『定年後の作法』(ちくま新書) です。著者は、私にはよく判りません。本書の中で、自分で自ら「ベストセラーを書いた」旨を書いていますので、文筆業なのかもしれません。タイトルからしてそうなのですが、上から目線の押し付けがましい内容です。それを受け入れられる人にはいいのかもしれませんが、そうでなければ迷惑に感じそうな気すらします。本書ん冒頭から男女の枠割分担のような観点がポンポンと飛び出し、さすがに後半ではエディターのご注意があったのか、かなり減りますが、ここまで男女の枠割分担を明確にしているのは最近ではめずらしいかもしれません。ほかにも、定年後は1日2食でいいとか、大丈夫かね、エディターはちゃんと見てるのかね、と思わせるヘンな部分満載です。何よりも、定年前の50歳で早期退職したと自ら定年を迎えたことがないことを明らかにしているにも関わらず、こういった本を書かせるエディターの真意を測りかねます。年末年始で最大のムダな読書でした、というか、ここ10年でもまれに見るムダな時間の潰し方だった気がします。

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2021年1月 3日 (日)

今さらながらに年末年始の読書案内???

もう、明日から通常通りのお仕事が始まろうというサラリーマンも多いことでしょうが、今さらながらに、学生諸君にお示しした年末年始の読書案内は以下の通りです。私は、一応、目を通しているんですが、書評的な紹介文は出版社のサイトから引用しています。以下の6冊はすべて新書です。うち、5番目の伊藤先生のご専門はマルクス主義経済学です。東大経済学部で宇野先生の後を引き継いだ大先生が、日本経済についてマルクス主義経済学の視点から解明を試みています。私の専門分野はマルクス主義経済学ではないんですが、学生諸君の中にはそういった専門分野のゼミに所属している場合もあることを考慮しました。

  1. 吉川洋『人口と日本経済: 長寿、イノベーション、経済成長』(中公新書)
    (出版社のサイトから) 人口減少が進み、働き手が減っていく日本。財政赤字は拡大の一途をたどり、地方は「消滅」の危機にある。もはや衰退は不可避ではないか――。そんな思い込みに対し、長く人口問題と格闘してきた経済学は「否」と答える。経済成長の鍵を握るのはイノベーションであり、日本が世界有数の長寿国であることこそチャンスなのだ。日本に蔓延する「人口減少ペシミズム(悲観論)」を排し、日本経済の本当の課題に迫る。
  2. 伊藤周平『消費税増税と社会保障改革』(ちくま新書)
    (出版社のサイトから) 消費税増税で経済が急速に冷え込むさなか、新型コロナで私たちは痛めつけられた。そもそも消費税増税の理由は嘘ばかりで、社会保障は後退し続けているし、年金・医療・介護・子育てすべてにおいて、高負担低福祉状態にあり、疫病の流行で、その危機は一層深まった。いっぽう大企業の法人税や高額所得者への所得税は減税が強行される。日本の税制と社会保障はいまどうなっているのか。今後どうすれば建てなおすことができるか。
  3. 福田慎一『21世紀の長期停滞論: 日本の「実感なき景気回復」を探る』(平凡社新書)
    (出版社のサイトから) 21世紀型の長期停滞は、本来の実力より低いGDP水準に加え、「低インフレ」「低金利」状態が長期にわたって続くという特徴を持つ。
    日本では、アベノミクス以降、雇用関連など力強い経済指標は存在するが、賃金の上昇は限定的で、物価上昇の足取りも依然として重い。さらに、少子高齢化や財政赤字の拡大など懸念が増す一方である。
    日々高まる経済の現状への閉塞感から脱却するためにも、その原因を丁寧に検証し、根本的な解決策を探る。
  4. 坂本貴志『統計で考える働き方の未来: 高齢者が働き続ける国へ』(ちくま新書)
    (出版社のサイトから) 年金はもらえるのか?貯金はもつのか? 「悠々自適な老後」はあるのか? それとも、生活していくために死ぬまで働かなければいけないのか? 現在、将来の生活や仕事に対し、多くの人が不安を抱いている。しかし、本当に未来をそんなに不安に思う必要などあるのだろうか?本書は、労働の実態、高齢化や格差など日本社会の現状、賃金や社会保障制度の変遷等を統計データから分析することで、これからの日本人の働き方を考える。働き方の未来像を知るのに必読の一冊。
  5. 伊藤誠『日本経済はなぜ衰退したのか: 再生への道を探る』(平凡社新書)
    (出版社のサイトから) いま日本経済は、資本主義市場経済の内部から生じた世界恐慌の打撃に苦しみ続けている。この低迷をどう打開すればいいのか? アベノミクスで本当によくなるのか? 直すべき課題を明らかにする。2008年のサブプライム金融危機は、新自由主義を推進してきたアメリカ経済の内部から生じた自己崩壊だった。この危機はユーロ圏へと連鎖反応を引き起こし、ソブリン危機による新たな世界経済危機へと連なっていく。本書では、日本の経済成長に大きな打撃を与えてきた近年の世界恐慌に分析と考察を加え、日本経済は、今後どうあるべきか、直すべき課題を明らかにしていく。
  6. 浜矩子『「共に生きる」ための経済学』(平凡社新書)
    (出版社のサイトから) 経済活動とはなにか、どうあるべきか――。その問いに著者は、人間による人間のための営みである以上、人間を幸せにできなければ、その名に値しないと述べる。そして、まともな経済活動のあり方と共に生きる社会のあり方は、ほぼぴったり二重写しになるというのである。第三次グローバル化時代に一国主義と排外主義が台頭する中で、異なるもの同士は、いかにして真の共生を築けばいいのか。エコノミストの観点から問題点をあぶり出し、その解決策を探る。

それから、新書以外で、ということで、以下の2冊を2019~2020年の話題の書として示しておきました。ここでも、ご参考まで。

学部生、特に1~2回生には少し難しい内容を含んでいそうな気がしますが、私が接した学生諸君の中には十分読みこなせそうな勉強熱心な学生もいるように感じています。年明けからは、2週間ほどで入試シーズンの春季休暇に入りますので、ややタイミングが遅くなりましたが、このブログでも取り上げておきたいと思います。

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