2021年9月18日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!!!

今週の読書は、昨日ポストした森達也[編著]『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2021年前半』(論創社)も含めて、経済書が2冊、小説が1冊、新書が3冊の計6冊ですが、昨日1冊取り上げていますので、恒例の土曜日の読書感想文で本日紹介するのは以下の5冊となります。そして、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、昨日と今日に取り上げた5冊を含めて7~9月で59冊、これらを合計して171冊になりました。今年2021年の新刊書読書はほぼほぼ確実に200冊を超えるものと予想しています。なお、来週の読書は、経済書を差し置いて、東野圭吾『透明な螺旋』、ガリレオ・シリーズの最新巻をすでに購入してありますので楽しみです。

photo

まず、山形浩生『経済のトリセツ』(亜紀書房) です。著者は、クルーグマン教授らの著作の邦訳者として有名なんですが、他方で、本書の冒頭にもあるように、途上国や新興国の経済開発のコンサルタントでもあり、というか、ソチラが本業となっています。本書はご本人のブログ、その名も「山形浩生の『経済のトリセツ』」やその他のメディアで明らかにされてきた小論を取りまとめています。そして、エコノミストとして、というか、経済学の観点からは、本書の著者はクルーグマン教授の影響もあって、完全にリフレ派ですし、財政政策についても反緊縮の考えを展開しています。もっとも、最近のバズワードである「反緊縮」という言葉は使っていなかったように記憶しています。特に、成長と格差については秀逸な指摘があります。私は日本はまだまだ経済大国である必要があると授業などで力説するのですが、そのココロは伝統的に米国がラテンアメリカの地域利益を代表し、時に、欧州がアフリカの利益を代弁するのに対して、我が日本はアジア、特に東南アジアのまだ外交力が十分でない国に代わって国際舞台で外交力を発揮する必要があるからです。余計なお世話かもしれませんが、中国が東南アジアの利益を代弁するどころか、東南アジアに対して海洋進出をしているような現況では、まだまだ、日本が成長をストップさせて国際舞台の後景に退くべきではないと考えています。まあ、大国主義というか、覇権主義的な趣きがあるような気がするのは否定しませんが、そうだったとしても、たとえそうだったとしても、少なくとも軍事力や何やではなく、経済規模が日本のもっとも大きな外交力のバックグラウンドとなっている点は忘れるべきではありません。その点は本書でも視点を共有しているような気がします。加えて、格差についても、Googleの生産性高くてお給料も高いSEでも、自分1人で生産性を高めているわけではないと本書でも主張されています。スタバのコーヒーが生産性の基だったりしますし、時には、ジョークながら、メイド喫茶で気分転換を図るのも高生産性を支えているかもしれません。いうまでもなく、清潔で快適なオフィス環境は、おそらく低賃金なエッセンシャルワーカーが支えています。こういったスピルオーバーの大きな、というか、それだけではないにしても、生産性高くてお給料も高い人は、低賃金労働者によって支えられているわけであり、現在のような格差は私にも容認できません。その点でも秀逸な「雑文集」だという気がします。

photo

次に、ジョン・コナリー『キャクストン私設図書館』(東京創元社) です。著者は、アイルランド出身のホラー/ファンタジー小説家で、邦訳作品はかなり少ないのではないかと思います。本書の英語の原題 Night Music: Nocturnes Volume 2 はであり、2015年の出版です。英語のタイトルに"2"がついていますが、この前作の『失われたものたちの本』除くへ、というか、スピンオフ作品のようです。前作は私も読んでいて、ホラー、というか、冒険譚の色彩の強いファンタジーであるのに対して、本書はホラーの要素はそれほど強くない短編集です。特に本書のタイトルとなっている短編「キャクストン私設図書館」はフィクションである小説の登場人物が実在する図書館、あるいは、アーカイブという設定です。図書館に、アンナ・カレーニナ、オリヴァー・ツイスト、ハムレットなどが暮らしているわけです。もちろん、タイトル通りに、本にまつわるトピックが満載であり、私のような読書好き、本好き、物語好きにはとても心地よい仕上がりになっています。日本の古い物語ですが、「うらしまたろう」なんて、玉手箱を開けておじいさんになった後、どうなるのだろうか、と小さいころに気にかかった記憶がありますが、「うらしまたろう」に限らず、完璧に物語が終わることはあり得ないわけで、物語や小説の「その先」というのは常に気にかかるところです。最後に置かれた短編の「ホームズの活躍: キャクストン私設図書館での出来事」は、とても不可思議なできごとのひとつとして紹介されていて、名探偵シャーロック・ホームズを中心にした作品です。もちろん、相棒のワトソンも出てきて、ホームズとワトスンが実体化したがゆえに、図書館がピンチに陥る、というストーリーです。その間に置かれた「裂かれた地図書 - 五つの断片」はややホラー色を持っていて、それ故に、ブラム・ストーカー賞も受賞しているそうです。繰り返しになりますが、本や小説に関わる物語が多く収録されていて、それでも、決してありえないようなファンタジーないし怪奇小説の趣あるものもあり、日本の日常を離れて非日常の世界に遊ぶことの出来る短編集です。やや、とりとめなく収録されているのは気にかかりますが、短編集としてオススメです。

photo

次に、井上文則『シルクロードとローマ帝国の興亡』(文春新書) です。著者は、早大の歴史研究者です。紀元前後のローマ帝国や中国の漢も含めて、シルクロードからその興亡や歴史的な変遷を説き起こしています。歴史研究者の中には、古くからの支配層の交代の歴史を重視する向きも少なくありませんが、本書は、ある意味でマルクス主義的な観点かもしれませんが、経済や公益を重視して、それが「上部構造」である文化や政治を決める、に近い視点を持って歴史を解説しています。すなわち、当時のシルクロードの両端は、繰り返しになりますが、ローマと漢であったわけですが、通常の歴史で注目されるこの両国が当時の先進国であったわけでも何でもなく、ペルシャのような西アジアこそが当時の先進地域であり、漢の中国は先進地域に輸出するものが絹と金銀しかなく、前者はシルクロードの語源となり、後者の貴金属の流出により漢が、というか、その後の中国が経済を衰退させて、いわゆる暗黒の中世の時代に入っていった、と指摘しています。他方、ローマについては、やはり、貴金属の流出もあったとはいえ、ササン朝ペルシャの勃興により、シルクロードの交易がもうからなくなり、国家としての関税収入も減少し、傭兵に支払う年金の原資が細ったことが「蛮族」の反乱を招いた、と主張しています。本書でも触れているように、ローマ帝国の滅亡はイスラム勢力によって商業が衰退して農業に頼らざるを得ないアウタルキー経済に陥った、すなわち、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」とするピレンヌ・テーゼが有名なのですが、私は本書の指摘はそのバリエーションの一つという受け止めている一方で、著者は異なる主張のように考えているようです。いずれにせよ、イスラム勢力の関与の程度に差はあるとはいえ、ローマ帝国の興亡が、漢と同じく、シルクロードに依存していることは興味ある主張だという気がします。

photo

次に、小塩海平『花粉症と人類』(岩波新書) です。著者は、医学ではなく能楽の研究者であり、専門は植物生理学だそうです。タイトルの並列されたうちの「人類」のサイドの専門家ではなく、「花粉」の方の専門家といえます。本書は岩波書店の月刊誌『世界』の連載を新書で出版しています。ということで、私自身は15年前の40代後半に花粉症を発症して、年々重篤化して現在ではほぼほぼ通年性の花粉症、すなわち、2月から4月までのスギとヒノキに限定せずに、他の多くの植物の花粉にアレルギーを持つに至っています。知り合いの医者によれば、年齢とともに免疫作用が低下して、同時に花粉症も軽症化するといいますが、花粉症の影響を逃れるのは95歳くらい、と聞き及んでおり、そこまで私は長生きする自信がありません。歴史を振り返ると、上の画像にもあるように、ネアンデルタール人は現生人類であるホモサピエンスではないのですが、すでに花粉症を患っていた可能性を本書では指摘しています。ただ、日本では、せいぜいが1980年代から花粉症が広く認識され始めたに過ぎないようですが、ギリシア・ローマの古典古代からそれらしき症状はあった、という歴史がひもとかれています。日本ではせいぜいさかのぼっても、1961年にブタクサ花粉症、1964年にスギ花粉症が報告されているに過ぎないと本書では指摘しています。そして、歴史的な観点からは、英国が全盛期を迎えたヴィクトリア朝のころには、むしろ、貴族のステータス・シンボルとみなされていたらしく、私もそのころに生きていれば今と違って尊敬を勝ち得たかもしれないと、ついつい、考えてしまいました。花粉症リゾートを楽しんでいたかもしれません。また、我が阪神タイガースの田淵選手の引退も花粉症が原因のひとつであった、と指摘しています。そうかもしれません。

photo

最後に、加藤久典『インドネシア』(ちくま新書) です。著者は、中央大学の研究者です。我が家は2000年から2003年まで、一家4人でジャカルタの海外生活を送っていたことがあり、いろんな意味で関係の深い国であろうと考えて読んでみました。ただ、上の表紙画像にも見られるように、副題が「世界最大のイスラームの国」となっていて、ほぼほぼイスラム教の観点からだけ取りまとめられていて、とてもがっかりさせられました。インドネシアという国は本書冒頭にもあるように、とても多様性に富んだ国なのですが、その多様性を少なくとも宗教に関してはまったく無視して、イスラム教からだけインドネシアを論じていて、私から見れば、とても残念です。そして、極めて単純化すれば、イスラム教発祥の地である中東のイスラム教は、神政主義国家もあったりして原理主義に近くて、まあ、何と申しましょうかで、ある意味で、先鋭的であるのに対して、インドネシアのイスラム教はマイルドで穏健である、という結論に終止しているような気がします。それはそうでいいのかもしれませんが、インドネシアを取り上げる際の着眼点として、イスラム教の一本足打法でいいのかどうか、私には疑問です。気候や国民性、産業や日本との関係、などなど、宗教以外にも、あるいは、宗教でもイスラム教以外にも、いろんな着眼点があるにもかかわらず、イスラム教一本槍の本書は誠に残念極まりありません。

| | コメント (0)

2021年9月17日 (金)

ご寄贈いただいた『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2021年前半』(論創社)を読む!!!

photo

『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2021年前半』(論創社) をご寄贈いただきました。何人かの執筆陣の中に同僚教員が入っていて、その方からのご寄贈です。もっとも、「定点観測」と銘打っていて、その第3弾なのですが、不勉強にして第1弾と第2弾を読んでいないものですから、中途半端な理解で終わっているような気もします。ただ、経済については、第1段と第2弾についても簡単に振り返り、というか、おさらいがありましたので、その分、やたらとページ数が長くなっているきらいはあるものの、その経済編について中心に感想文を残しておきたいと思います。といいつつ、まずは、収録されている分野執筆陣については以下の通りです。

  • [医療]「変異株の蔓延とワクチン接種の遅れ」斎藤環
  • [貧困]「貧困の現場から見えてきたもの 3」雨宮処凛
  • [ジェンダー]「コロナ禍とジェンター 3」上野千鶴子
  • [メディア]「危機の時代のジャーナリズム」大治朋子
  • [労働]「コロナ禍の労働現場 3」今野晴貴
  • [文学・論壇]「コロナと五輪と戦争のアナロジー」斎藤美奈子
  • [ネット社会]「職場で一人の女性が死んだ」CDB
  • [日本社会]「コロナ禍中脱力ニュース(2021年前半)」辛酸なめ子
  • [日本社会「続々・アベノマスク論」武田砂鉄
  • [哲学]「コロナ禍と哲学 3」仲正昌樹
  • [教育]「子どもと学生の生きづらさ」前川喜平
  • [アメリカ]「新型コロナ日記 イン アメリカ 3」町山智浩
  • [経済]「まだまだ進むコロナショックドクトリン」松尾匡
  • [東アジア]「コロナ禍と東アジア(ポスト)冷戦 3」丸川哲史
  • [日本社会]「甘ったるくてポエジーで楽観的な未来への視点を修正する」森達也
  • [ヘイト・差別]「コロナ禍のヘイトを考える 2」安田浩一
  • [おまけ]「論創社のコロナ日記」谷川茂

ということで、タイトルの最後に「3」とあったり、「続々」がついているものは。まさに、第3段ということなのでしょうから、不勉強な私は不十分な理解で終わっていますが、前2弾のおさらいのある経済編は「コロナショックドクトリン」をひとつのテーマにしていて、まさに、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を踏まえたタイトルになっています。このクライン女史のエッセイでは、ハリケーン「カトリーナ」の被害によるニュー・オーリンズの低所得者向け住宅や公立学校の一掃に関する取材から始まって、自然災害や政変など、経済学的には不連続と見なされる微分不可能点で政策が一変され、惨事に便乗して市場原理主義的な政策に変更される手法について論じていますが、これを新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックに適用しているわけです。そして、零細企業淘汰の東京財団=アトキンソン路線を批判しつつ、大きな政府や反緊縮路線を目指す動きを紹介し、さらに、経済産業省が打ち出した「経済産業政策の新機軸 ~新たな産業政策への挑戦~」にも、批判的な観点を含めて言及しています。この経済産業省のリポートは、6月の産業構造審議会総会において公表されたものであり、明らかに「ガバメントリーチの拡張」を目指しています。リポートでは、中米欧の政策動向を同じラインにあるものと紹介したり、ロドリック教授やスティグリッツ教授などのアカデミアの議論も取り上げています。国内でも、例えば、ダイヤモンド・オンラインでも「コロナ禍の今、経済産業省が『大きな政府』に大転換した "切実な理由"」なんぞと、注目されたりもしています。
私は、半面で、産業政策的には、こういった保護主義的な産業政策や貿易政策、あるいは、食料安全保障も視野に入れた農業政策などが必要であり、そのために、大きな政府というか、財政拡大が求められており、同時に、需要を拡大させるような「高圧経済」を目指す政策、すなわち、需給ギャップを埋めるどころか、需給ギャップを需要超過に持っていくような政策が必要という点ではまったく同意します。ただ、残る半面では、格差についても目を向けて欲しい気がします。例えば、明日の読書感想文で取り上げる予定の山形浩生『経済のトリセツ』にもあるように、高所得層がすべてを自己能力や自助努力で高生産性を実現しているわけではなく、Googleに働く高所得者は、スタバの低賃金な非正規労働者が提供するコーヒーがなければ生産性が上がらない場合もあるわけですし、彼らの清潔なオフィス環境はエッセンシャルワーカーによって支えられている部分もあるわけです。そして、「自助、共助、公助」を掲げた政権は退陣するわけですし、公助を支えるのが大きな政府ではあっても、米国バイデン政権が企業や個人富裕層への増税を目指し、OECDで企業課税に関して base erosion and profit shifting (BEPS) の議論も活発になっていますので、反緊縮の財政支出拡大の一方で、歳入面を通じた分配にも目が届く政策の必要性がもっと認識されるべきであると考えています。

| | コメント (0)

2021年9月11日 (土)

今週の読書は経済書中心に充実の計6冊!!!

今週の読書は、ここ2週間ほど続けて経済書がなかった反動なのか、超主流派の重厚な経済書をはじめとして、3冊の経済書を含めて、他に小説もあり計6冊です。最初に取り上げた野口先生の『反緊縮の経済学』は、私が読んだ中では文句なしに今年一番の経済書であり、もしも、今年もどこかの経済週刊誌から今年の経済書の評価を問われれば、本書を上げる可能性が十分あります。なお、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げた6冊を含めて7~9月で53冊、これらを合計して164冊になりました。今年2021年の士官書読書はほぼほぼ確実に200冊を超えるものと予想しています。

photo

まず、野口旭『反緊縮の経済学』(東洋経済) です。著者は、私とほぼほぼ同年代のリフレ派のエコノミストであり、学界から現在は日銀審議委員に転じています。本書では、ケインズ経済学について議論を展開していて、初期の財政政策一本槍のケインズ経済学Ⅰから、金融政策をマクロ経済安定化の軸に据えたケインズ経済学Ⅱ、そして、財政政策と金融政策を統合した現時点での到達度であるケインズ経済学Ⅲまでを視野に入れつつ、現在の長期停滞論を解き明かそうと試みています。そして、その中で昨年『ニューズウィーク日本語版』で連載されていた記事を基に、とても適切に現在貨幣理論(MMT)にも触れられています。財政については、赤字タカ派(緊縮派)、赤字ハト派(反緊縮派)、赤字フクロウ派(MMT学派)とMMTに従った分類がなされていますが、同時に、謬論としての歴史的位置づけのもとで、真性手形主義や旧日銀理論などにも言及されています。非情にバランス良くマクロ経済学や経済政策について精緻な議論を展開しながらも、小難しい学術書で終止することなく、幅広く一般ビジネスパーソンにも理解しやすいように工夫されています。特に、私にとっては目新しいものではありませんでしたが、MMT学派には財市場の均衡という概念がなく、すなわち、ケインズ経済学におけるIS曲線というものが存在しない、といわれてしまうと、それだけで、とても判りやすい気がします。私もマネしようと思っていしまいました。ただ1点だけ、今年2021年2月27日付けの読書感想文で取り上げたエプシュタイン『MMTは何が間違いなのか?』(東洋経済)では、主流派エコノミストは、米国では民主党リベラルの均衡予算≅緊縮財政、物価安定、中央銀行の独立などのいわゆる新古典派経済学と見なしていて、むしろ、増税回避の観点から共和党は緊縮財政とは親和的ではない、としていましたが、本書の著者は直近のトランプ元大統領を別途すれば、ティーパーティーなどのいわゆる「小さな政府」の支持者などの支援を受ける共和党こそが緊縮財政を思考している、と指摘しています。私も少し混乱しているのかもしれません。いずれにせよ、私が読んだ中では文句なしに今年一番の経済書です。

photo

次に、小林佳代子『最後通牒ゲームの謎』(日本評論社) です。著者は、南山大学の経済学研究者です。サブタイトルが「進化心理学からみた行動ゲーム理論入門」とされていて、容易に理解されるように、ゲーム理論とか行動経済学が専門のようです。まず、どうでもいいことながら、進化心理学という学問分野は私は従来から少し誤解も含めて、要するに、子孫を残すことを最大限重視するモチベーションから人間心理を解釈する学問であり、従って、ほぼほぼセックスのことに尽きる、と考えていたのですが、少し考え直すことにしました。ということで、タイトルにある最後通牒ゲームとは、一定金額、例えば、1000円をもとに、それを手にしたAさんがとなりのBさんにいくらかを上げるというゲームで、BさんがAさんお提案を受け入れればそのとおりに分配されてOKなるも、BさんがAさんの提案を拒否すれば、2人とも何ももらえない、という結果で終わります。通常、Bさんが合理的な個人であれば、ゼロよりは効用が高いのでAさんからの提案がたとえ最少額の1円であってもOKして受け取る、というのが伝統的な経済学の見方です。でも、実際に実験でやってみると、少額であれば拒否して2人とも何ももらえない、というケースが出てきます。この最後通牒ゲームに加えて、少しだけ独裁者ゲームについても取り入れられています。それはともかく、本書では「謎」としているように、まず、Aさんがどうして1円をオファーしないのか、また、Bさんがどうして少額なら拒否して何も受け取れない結果を志向するのか、といった謎から始まって、ウェイソンの4枚カード問題から、本書で裏切り者と呼んでいて、実際の日本語的な語感からは、ズルをする人に対して、進化の過程で獲得された拒否反応について議論を進めています。すなわち、現代人にも石器人の心があり、進化の過程に動特性の基礎を見出し、お互いの協力関係が進化に役立っている、という点が強調されています。全体として、かなり学術書に近い内容が盛り込まれていて、特に、多数の既存研究がサーベイされている上に、きちんと参考文献リストも整備されている一方で、著者の父親だったか誰かの目から一般読者にも判りやすい内容に仕上がっています。

photo

次に、カリド・コーザー『移民をどう考えるか』(勁草書房) です。著者は、マーストリヒト大学の研究者であり、専門は難民問題、安全保障だそうです。本書は英国オックスフォード大学出版局から出ている A Very Short Introduction のシリーズの1冊で、英語の原題は International Migration であり、初版が2007年に刊行され、第2版が2017年の出版となっています。ということで、手短に、移民の定義や統計の不備などが明らかにされた後、国際間の移民を生じさせる要因として、人口構造、所得水準の格差、加えて、気候変動や地政学的なリスクなどが上げられています。そして、当然に移民がグローバリゼーションとどのように関係し、移民の国際送金を受ける移民送出し国の経済開発が論じられ、そして、やや私の目からはトリッキーな話題として、違法ないし非正規移民、難民まで幅広く概観されています。特に、明示的に取り上げられているわけではありませんが、移民や非正規移民とテロリズムの関係まで視野に入れているように私には見受けられました。決して、経済問題、特に、雇用や社会保障だけではなく、文化的な多様性の促進という観点も移民は担っており、多種多様な人間が暮らす現代社会の豊かさのひとつの象徴であるという気もします。他方で、都合の悪い場合は移民が外的グループの一員として取り扱われ、何らかの悪い意味で標的になったりもしかねません。コンパクトに取りまとめられている本書ですが、それなりに移民に関するさまざまなトピックを網羅しています。最後に、どうでもいいことながら、私は監訳者が役所の研究所で働いていたころを知っています。少しだけ懐かしく感じました。

photo

次に、川上弘美『わたしの好きな季語』(NHK出版) です。著者は、私と同世代の芥川賞作家であり、本書では俳句の趣味も披露しています。ということで、春夏秋冬に新年を加えた俳句の季語を集めた歳時記です。96の季語を収録しています。すなわち、春が、日永/海苔/北窓開く/絵踏/田螺/雪間/春の風邪/ものの芽/わかめ/針供養/すかんぽ/目刺/朝寝/木蓮/飯蛸/馬刀/躑躅/落とし角/春菊/入学/花/春愁、夏が、薄暑/鯉幟/そらまめ/豆飯/競馬/アカシアの花/新茶/てんとう虫/更衣/鯖/黴/こうもり/ががんぼ/蚯蚓/業平忌/木耳/李/半夏生/団扇/雷鳥/夏館/漆掻/雷/青鬼灯、秋が、天の川/西瓜/枝豆/水引の花/生姜/残暑/つくつくぼうし/燈籠/墓参/瓢/月/良夜/朝顔の種/新米/案山子/鈴虫/夜長妻/濁酒/柿/秋の空/蟷螂/小鳥/きのこ狩/文化の日/花野、冬が、時雨/神の留守/落葉/大根/切干/たくわん/銀杏落葉/冬鷗/河豚/枯枝/ストーブ/炬燵/冬羽織/おでん/鳰/蠟梅/つらら/探梅/春隣、そして、新年が、飾/去年今年/歌留多/福寿草/初鴉/七草となっています。どうでもいいことながら、本書に収録されていないとても現代的な季語に「運動会」があり、私の知る限り、秋の季語です。しかしながら、我が家の子供達が通っていた青山の小学校では、5月に運動会をやっていました。他方で、その小学校というのは中村草田男先生の母校でもあり、「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」との句碑が正門を入ったところにあったりしました。8月5日にお亡くなりになっていて、「草田男忌」はこれまた俳句の季語になっています。作者の幼少時の東京杉並の風物などもしのばれて、とてもいい作品に仕上がっています。

photo

次に、松井玲奈『累々』(集英社) です。著者は、SKE48などでアイドルをしていました。作家としてのデビュー作は『カモフラージュ』であり、私もこの機会に読んでみました。短編集という点ではデビュー作と本作は同じなのですが、前作デビュー作と異なり、本作では一貫して小野小夜という女性が、必ずしも、主人公ないし視点を提供する登場人物ではないにしても、何らかの形で登場しており、いわば、連作短編集の形になっているといっていいかと思います。特に、最後の方の短編では主人公というか、視点を提供した記述者の役割を果たしています。アイドル出身にしては、というか、逆に、アイドル出身だからこそなのかもしれませんが、かなり、生々しいセフレやパパ活や結婚についても、適度にサラリと触れられており、それなりに構成力や表現力も感じさせます。描写はかなり具体的かつ精緻に、しっかりとなされており、決して、おろそかにされていません。逆に、プロット的には、私とは年齢的な開きがあるのも事実ですから、それなりに、現代のアラサーの生活は理解しがたい部分もあるとしか思えませんでした。いずれにせよ、男女のかなり艶めかしい生活実態をとても上手に表現していて、作家としての実力を感じさせるものがあり、次回作が楽しみな気がします。アイドルのお遊びではなく、単に、知名度を生かしただけの駄作ではない作品と私は受け止めました。

photo

最後に、藤岡陽子『メイド・イン京都』(朝日新聞出版) です。著者は、最近の作品では集英社文庫から出版された『金の角持つ子どもたち』でも有名な小説家です。主人公は30歳を少し超えた美大出身の女性であり、年下の京都のレストランチェーンの御曹司が東京で銀行勤務をしているときに付き合い始め、父親が亡くなって京都のレストラン事業を引き継ぐ際に上京し、結婚式を待つばかりという段階で破局し、デザイン力を生かしてTシャツの制作に取りかかり、1枚1万円近い高付加価値作品を生み出して起業に成功する、というハッキリいって、かなりありきたりなストーリーです。いかにも京都の古い体質を批判しつつ、東京の美大出身者のデザイン力と京都的なテイストの入ったTシャツが起業アイテムとして、どこまでビジネスになるのかという疑問が残りますが、まあ、この小説についても、東京の人には受けるのかもしれません。私は決してオススメしません。

| | コメント (0)

2021年9月 4日 (土)

今週の読書はまたまた経済書なしで新書が多く計4冊!!!

今週の読書も、またまた、経済書なしで教養書と3冊の新書の計4冊だけでした。新書は経済学のテーマのものを含みますが、まあ、学術書ではありません。来週は少し「経済書」と呼べるものを読もうと予定しています。なお、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げた4冊を含めて7~9月で47冊、これらを合計して158冊になりました。

photo

まず、大塚英志『「暮し」のファシズム』(筑摩書房) です。著者は、国際日本文化研究センターの研究者であり、漫画原作なども上げられています。本書では、現在進行系のコロナ下の「新生活様式」のお話ではなく、先世の近衛内閣のもとでの大政翼賛会によるファシズムの国民生活への浸透について取りまとめています。各章の構成として、「暮しの手帖」の編集者として著名な花森安治、太宰治の「女生徒」、ミニマリスト詩人の尾崎喜八、長谷川町子の「サザエさん」、ガスマスクを装着した女学生、など、国民生活の暮しを担う女性からファシズムの進行について深く掘り下げています。それを、コロナ下の「新生活様式」と同じで、戦争に向かう生活上の方向性を示すプロパガンダとして表面に現れるのではなく、生活上の利便から望ましい姿として提示されるという形が取られています。例えば、今では断捨離となるのかもしれませんが、国民も巻き込んだ総力戦に備えて、簡素で節制を心がけた慎ましい生活、郵便局で国債を買うように勧めるとか、国民生活を戦争に適した形に形作る方向性が示されています。現在のコロナ下の生活についても考えると、マスクの着用やソーシャル・ディスタンスの確保などだけでなく、いわゆる「自粛警察」の活動まで含めて、強力な同調圧力への服従と従わない者への非難と強制が戦前のファシズム体制形成の際のカギカッコ付きの「運動」につながるものであるといえます。今でも、多人数での会食の自粛とか、默食とか、日常生活の細部に至るまで国家の強制ないし強力な推奨が入り込んでいるのが大きな特徴です。しかも、そういった強制ないし推奨が家庭生活を取り仕切る女性を利用したことにも特徴を見出しています。酒を提供する店の閉店、飲食店の営業時間の短縮、テレワークの推進なども、コロナ蔓延防止には効果的なのかもしれませんが、そうであっても、かなり強烈な同調圧力とともに推し進められている印象があり、「コロナ蔓延防止」の掛け声がかかれば何でもアリという気もします。国民の自由が奪われていく方向性を許容すべきではない、という点をしっかりと自覚したいと思います。最後に、表紙にも見えるガスマスクなんですが、何のアイコンなのか、私にはよく理解できませんでした。

photo

次に、岩田規久男『「日本型格差社会」からの脱出』(光文社新書) です。著者は、日銀副総裁まで努めたリフレ派エコノミストです。ということで、日本経済が誤った日銀金融政策のせいでデフレに陥って、賃金が上がらず国民生活が貧しくなった点から説き始め、お決まりの雇用の流動化の必要性を示し、でも、最後にアベノミクスにかけていた所得再配分の必要性を論じています。私はこの著者にかなり近いと考えていたのですが、やっぱり、本書で「雇用の自由化」と称している雇用の流動化、特に、正規職員の解雇規制の緩和については、私は強烈に反対です。非正規雇用が拡大したのは、小泉政権などで強力に進められた人材派遣の規制緩和や半拡大などではなく、デフレが原因と決めつけていますが、デフレのネガなインパクトを軽視するつもりはありませんが、同時に派遣を拡大したのも非正規雇用の増加につながった点も忘れるべきではありません。特に、最近、メキシコ、人材派遣を原則禁止に」とのタイトルで日経新聞で報じられた記事にもあるように、人材派遣業がロビー活動を通じて労働市場を歪めていることは私の目から見ても明らかです。デフレがもたらした経済格差という面は否定しませんが、ネオリベな政策が格差を許容する方向で作用したことは明らかですし、賃金などの待遇で極端に格差がある上に、雇用の安定性にも大きな違いがあり、社会保障のサステイナビリティを低下させている点は黙殺されています。リベラルな野党の主張はほぼほぼ否定されるだけで、アベノミクスの礼賛で終始しています。

photo

次に、朝日新聞取材班『自壊する官邸』(朝日新書) です。著者は、そのまんまで官邸をはじめとする朝日新聞の取材班です。安倍内閣のあたりから始まった強い官邸、あるいは、強すぎる官邸の政治シーンの中で、官僚だけでなく政治家も鑑定に対する忖度が募り、友と敵を二分する思考が蔓延し、権力が官邸に集中していく過程をよく分析しています。特に、政治やいわゆる行政だけでなく、国会はもちろん、準司法的な権力である検察まで含めた強力な権力が官邸に集中されています。そのひとつの側面として、ヤンキー政治とか、反知性主義の政治としてクローズアップされています。また、これを支える小選挙区制についても目が行き届いています。そして、オリンピックとパラリンピックを経て、現在の菅政権がコロナのパンデミックに対処できなくなり、ことごとく対応を誤っているために、実際に本書のタイトル通り、官邸が自壊していく過程が始まっている気がします。もっとも、このように官邸権力が強力になる少し前に私は公務員を定年退職しましたし、そもそも、公務員としてさっぱり出世しませんでしたので、官邸に対して距離があったため、それほど「一強」の実感はありません。よく知られたように、安倍内閣のころは、森友学園での国有地払い下げや加計学園の獣医学部特別認可などにおける忖度、あるいは、その他のスキャンダルがあっても、経済の下部構造が強力に国民から支持されて、選挙で連戦連勝したことは明らかですし、その選挙の洗礼を受けていない現在の菅政権に対する審判がどのように下されるのか、政権選択選挙であるだけに私は大いに興味を持って先行きを注視していたのですが、昨日、菅総理が事実上の退陣を表明したことは広く報じられている通りです。

photo

最後に、田中周紀『実録 脱税の手口』(文春新書) です。著者は、共同通信やテレビ朝日で取材にあたったジャーナリストです。芸能人や起業した会社経営者などが、単なるムチから7日、かなり粗暴な手段で脱税を試みて失敗した事例を多く集めています。基本的に、経費の水増しが多い気がするのですが、繰り返しになるものの、手口がかなり「粗暴」です。ですから、上の表紙画像にあるように「こんなスキームがあったのか?」というのは、やや誇大広告ではないのか、と感じてしまいます。逆に、というか、それだけに、ハッキリと笑えるものも少なくありません。その昔の無記名債券で政治家が脱税、というか、隠し金を作っていたころから、それほど手口は「進化」していないような気がします。ただ、願うべくは、デジタル化やインターネットの普及などに伴う脱税はほぼほぼ含まれていませんし、脱税に従ってイタチごっこのように徴税当局が税制変更を適用していくあたりも、あまり取り上げられていません。それだけに昔ながらの「粗暴」さが際っだっているわけですが、そのあたりをもう少し充実させるのも一安価、という気がしました。でも、そうせずに昔ながらの手口の紹介というやり方もアリだという気もします。

| | コメント (0)

2021年8月28日 (土)

今週の読書は経済書なしで歴史書や小説とともに出来の悪い新書まで計3冊!!!

今週の読書は、経済書なしで歴史書と小説と新書の3冊だけでした。新書は経済学のテーマですが、まあ、学術書ではありません。しかも、出来が悪いです。新刊書以外にいろいろと肩のこらない小説を読んだのと、紀要論文の取りまとめで大量に経済学の文献を読んだため、読書がはかどらなかったような気がします。特に、昨年もそうだったんですが、紀要論文は2週間ほどのヤッツケで仕上げていますので集中力には自信がつきました。もっとも、私のことですから読んでおいて忘れてしまったのかもしれません。あり得ます。なお、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げたものを含めて7~8月で43冊、これらを合計して154冊になりました。

photo

まず、高田貫太『アクセサリーの考古学』(吉川弘文館) です。著者は、国立歴史民俗博物館の研究者です。新羅・百済・大加耶に高句麗を加えた朝鮮半島の4国に、もちろん、我が国の当時の呼び名である倭と5か国の交流についてアクセサリーとともに解明を試みています。当時のアクセサリーは垂飾付きの耳飾り、冠、飾り帯、飾り履、首飾り、腕輪、指輪などです。現代人にとっては、最後の3点、すなわち、腕輪=ブレスレット、首輪=ネックレスないしペンダント、指輪=リングが中心になりますが、本書が対照としている4~6世紀の朝鮮半島と日本では少し様相が異なります。実は、私も基本的にアクセサリーは身につけます。左手薬指の指輪、ネックレスとブレスレットはほぼほぼ毎日です。これも基本的に光りものなんですが、汗をかくことが十分予想されている時など例外的にシリコンゴムのアクセサリーを選ぶ時もあります。何と申しましょうかで、そこまでしてアクセサリーを身につけたいわけです。なお、首にするのは、男ですので、基本的にペンダントヘッドのないチェーンのネックレスなんですが、時折、ペンダントヘッドのあるペンダントもします。プールで泳ぐ時はシリコンの指輪を左手薬指にして泳ぎます。おそらく、男性として圧倒的にめずらしいと自分自身で考えているのは、夏場のサンダル着用時限定ながら、アンクレットを身につけることです。光りものもありますが、ミサンガのような紐を左足の足首につけることが多いです。時折、イヤカフスもします。ということで、自分のアクセサリー趣味はいいとして、朝鮮半島の国々が圧倒的に我が国よりも先進国であった古典古代の時期において、和戦両用の国際交流をにらみつつ、アクセサリーを通じた国際関係の解明が本書では楽しめます。それなりに、オススメの教養書・歴史書です。

photo

次に、木内一裕『小麦の法廷』(講談社) です。著者は、ほぼ私と同年代の小説家ですが、不勉強にして、私はこの作者の小説を読むのは初めてでした。弁護士になったばかりの若い女性を主人公に、東京の殺人事件と横浜の暴行傷害事件、さらに、九州の遺産相続案件と3件の依頼がひとつに収束して、最後は見事な結末を迎えるというミステリ、といっていいんだろうと思います。もっとも、ミステリとしても、いわゆる倒叙型であって、謎解きがメインになっているわけではありません。主人公は高校時代はレスリングに打ち込んでいて、オリンピック代表まで狙える位置にあったという設定ですので、急に弁護士になるとか、ましてや父親も実は弁護しながら、悪事を働いて弁護士資格を剥奪されたとか、やや、通常ではありえないような小説らしい設定となっています。でも、ネタバレながら、横浜の暴行傷害事件で有罪になることを目指し、それをアリバイにして東京の殺人事件の無罪を狙う、というそのスジの男性に対して、実に明快に水掛け論を法廷で展開し、勧善懲悪の結果に持って行っています。いろんな設定が出来すぎで、いかにも事件を望ましい方向で解決するためにムリをしている気もしますが、まあ、小説とはそういうものかもしれません。

photo

最後に、柿埜真吾『自由と成長の経済学』(PHP新書) です。著者は、経済学の研究者のエコノミストです。本書の目的は明確であり、斎藤幸平『人新世の「資本論」』を批判して、論破しようと試みています。私はこの目的は基本的に失敗していると受け止めています。最大の理由は、地球温暖化に対する疑問ないし否定を含んでいることです。この科学的な根拠満載の地球温暖化や気候変動を否定するのであれば、そもそも、『人新世の「資本論」』への反論はそれだけで済みます。後は、ソ連型社会主義や中国型社会主義への、一部に偏見も含めた否定があればそれでOK、ということになります。格差や貧困の拡大を中心的な論点として、現在の資本主義の行き詰まりを論じるエコノミストが多いにもかかわらず、産業革命以降くらいの長い時間的なスパンで考えれば、資本主義が工場法制定前から現在まで大いに自由をもたらし、成長を実現してきたのは当然で、本書で教えてもらうまでもありません。その資本主義が格差や貧困から行き詰まっている点を認識できないのが本書の弱点です。これらを認識し、科学的な根拠がいっぱいある地球温暖化や気候変動を現実の問題としてアジェンダに上げつつ、その上で、どのような解決策があるのかを論じられなければ、本書の失敗の二の舞を踏むことになると私は想像します。

| | コメント (0)

2021年8月21日 (土)

今週の読書は米国経済の格差の暗黒面をえぐる経済書をはじめ計5冊!!!

今週の読書は、経済書のほか、小説と気楽なエッセイ、さらに、社会心理学の新書など、以下の通りの計5冊です。これらの中でも、特に、万城目学『ヒトコブラクダ層ぜっと』上下は大学の生協で買い求めました。東野圭吾の『白鳥とコウモリ』以来ではないかという気がします。なお、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げたものを含めて7~8月で40冊、これらを合計して151冊になりました。

photo

まず、アンガス・ディートン & アン・ケース『絶望死のアメリカ』(みすず書房) です。著者はどちらも米国のエコノミストであり、ディートン教授はノーベル経済学賞を受賞しています。英語の原題は Deaths of Despair and the Future of Capitalism であり、2020年の出版です。一言でいえば、米国における死のエピデミックについて論じています。すなわち、中年の白人アメリカ人の自殺率が急速に増えていることから、先進国では、というか、世界を見渡しても考えられないように、米国の中年白人の平均寿命が低下している事実を分析しようと試みています。そして、その原因は自殺、薬物、アルコール、クオリティの低い医療制度、そして、何よりも貧困や格差の拡大があると指摘しています。米国における経済的な不平等は、私の理解によれば、金持ちが一層金持ちになっていくことで拡大した一方で、日本では低所得層がさらに低所得に陥ることで拡大している、との定説を受入れてきたのですが、本書では、低所得層を犠牲にした形で高所得につながっていると指摘されています。加えて、巨大デジタル企業による独占の進行、語ローバル化による移民の受け入れなどについても論じられています。そのうえで、最終第16章で医療制度の改革、労働組合とコーポレートガバナンス、累進税制とユニバーサルなベーシックインカムの導入、反トラスト政策の推進、レントシーキングの防止策、教育制度の改善、などについていくつかの例を示しています。私も大学に来て愕然とさせられたのですが、格差の上の方にいる人は成功すればすべて自分の能力に起因すると考えて、逆に失敗すれば運が悪かった、ということになるわけですので、格差の上の方にいる人に格差是正を進めようというインセンティブはまったくありません。反対に、私のような格差の下の方にいる人間は成功すれば運がよかった結果で、失敗すれば実力通りとみなされ、格差の上の方にいる人たちに対して反旗を翻して格差是正を進めるパワーは生まれようはずもありません。私のように、役所でも大学でも格差の最底辺にいる人間は、格差の上の方の人間から自慢話を聞かされたり、エラそうにアレせいコレせいと指示を受けたり、そういった対象としかみなされていません。自己責任と能力主義、ひょっとしたら、この2つがガンだと思い始めている今日このごろです。

photo

photo

まず、万城目学『ヒトコブラクダ層ぜっと』上下(幻冬舎) です。著者は、私の後輩に当たる京都大学出身のエンタメ作家です。従って、というか、何というか、京都・奈良・大阪・琵琶湖などの関西圏を舞台とする小説が多かったのですが、この作品ではとうとうメソポタミアに進出します。しかも、メソポタミアの神話の世界だったりします。主人公は榎土3兄弟、というか、3つ子の梵天、梵地、梵人です。この3人には特殊能力があります。少し省略して、3人が自衛隊に入隊してイラクのPKO活動に従事し、神話の世界に入り込んでミッションを成し遂げる、ということなのですが、何せ、上下巻で総ページ数がラクに900ページに達するにもかかわらず、ストーリーの展開がまったく想像を超えた万城目ワールドを形成していて、大いに引き込まれて一気に面白く読めてしまいます。イラクでのPKO活動ですから、当然に自衛隊の上司の士官が登場し、それも女性の広報担当3尉がオリンピックに挑戦しようかという射撃の名手だったりし、同時に、米国海兵隊のツワモノも登場します。そして、メソポタミアの姉妹神、ライオンを従えた神のミッションに挑戦させられ、成し遂げます。成し遂げたからには、それなりのご褒美もあったりします。この作者の作品らしく、ファンタジーの要素がかなり大きく、タイトルにある「ぜっと」はゾンビのzだったりして、砂漠に古代メソポタミアのゾンビ兵も現れます。そこに、超近代的なドローンやロケットランチャーなどで偵察・通信したり、攻撃したりするわけです。本書は、私にしてはめずらしく買い込みました。でも、その値打ちはあったと思います。

photo

次に、酒井順子『ガラスの50代』(講談社) です。著者は、『負け犬の遠吠え』で有名なエッセイストです。Webマガジン「ミモレ」に連載されていたのを単行本化しています。いつもの通り、よく下調べされたていねいなエッセイと私は受け止めています。本書は、更年期に関する体調の変化など、女性にかなり話題が限定されているものの、少なくともカミさんを理解しようとする場合には役立ちそうな気もしました。50代の女性として、何と申しましょうか、がんばるべきところと、がんばり過ぎるとイタくなるところ、特に女性のそういった部分に関しては、私にはなかなか判断が難しいのですが、実に明快に指摘されています。若くありたいという男女を問わず人間誰でも感じる欲望と、逆に、年齢相応に、という大人の対応と、私はすでに60代に突入してしまいましたが、50代というのはそのあたりの分岐点なのかもしれません。同年代の女性を理解する手がかりとして、あるいは、年配女性の理解を深める手段として、またまた、単なる暇つぶしに、この著者のエッセイはいつでも役に立ちます。

photo

最後に、藤田政博『バイアスとは何か』(ちくま新書) です。著者は、関西大学の社会心理学の研究者です。心理学には、私の知る限り、マイクロな臨床心理学とマクロな社会心理学があるのですが、本書は後者の社会心理学であり、経済学とも接点が深く、本書ではツベルスキー&カーネマンの理論を中心に取り上げています。バイアスというテーマですが、私が感じた限りでは、広く認識論まで及んでいて、余りにバイアスについて論じていると不可知論まで陥ってしまいそうな気もしましたが、新書ですのでそこまでの深みはありません。ただ、本書で特徴的なのは、そういったバイアスを学問的、というか、理論的に明らかにするだけでなく、どうすればバイアスを回避できるのか、あるいは、バイアスを回避できないとすれば、どのように共存するのか、付き合っていくのか、といった点が最後のパートに含まれていることだと思います。しかも、よくある年寄の感想や実感めいたものではなく、キチンと学問的に検証された方法が明らかにされており、巻末の参考文献も役に立ちます。

| | コメント (0)

2021年8月14日 (土)

今週の読書はマルクス主義経済学の経済書のほか計4冊!!!

今週の読書は、なぜか、専門外のマルクス主義経済学の経済書2冊と新書2冊の計4冊です。マルクス主義経済学の本はそれほど馴染みがないため、自分でもどこまで理解できたかは自信がありません。今週は京都を離れて大都会まで出向いたため、移動に要した時間を読書に当てましたが、マルクス主義経済学の経済書を軽く読み飛ばすことすら出来ずに、その気もないのにじっくりと読み込むハメになって、理解がはかどらず通常以上の時間がかかった気がします。一応、辞書的にその後の調べ物などの対応には役立ったのではないかと思います。毎週お示ししております読書量なのですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げたものを含めて7~8月で35冊、これらを合計して147冊になりました。すでに8月の夏休みに入っており、実は、万城目学『ヒトコブラクダ層ぜっと』上下をすでに買い込んでありますので、この先の夏休みはのんびりと軽い読書を考えています。

photo

まず、基礎経済科学研究所[編]『時代はさらに資本論』(昭和堂) です。著者は、マルクス主義経済学の学会であり、実は私も会員となっています。会員資格は、所員・所友・研究生とあるのですが、私はフル資格を得られる所員ではなく、所友という会員です。役員なんかにはなれないんだろうと思いますが、他方で、会費は少し安くなっているんではないかと思います。いずれにせよ、大学の研究費で支払っています。会員ですから、会費の範囲で無料で配布を受けています。タイトルはいうまでもなく、マルクスの『資本論』に由来しており、中身としても、『資本論』全3巻の構成に準じて、ではないとしても、3部から成っています。実は、10年余前にこの学会は『時代はまるで資本論』という本を出版しています。残念ながら、私は読んでいません。その当時は私はまだ国家公務員として働いており、研究所の会員ではありませんでした。終章ではベーシック・インカムを取り上げています。第1部では労働に焦点を当て、第2部では『資本論』の中心部分をなす商品と資本蓄積、資本の再生産に着目し、第3部で利潤率の傾向的低下や経済の金融化などから資本主義の終わりとその先を見据えた議論を展開しています。私の理解は十分ではないと思いますが、おそらく、広く一般向けではないと受け止めています。それなりに、経済学の基礎知識ある学生やビジネスパーソン向けであろうと思います。興味あふれる内容ながら、専門外の私は十分に理解したとは思えませんので、読後の感想はこれくらいにしておきます。

photo

次に、松尾匡[編著]『最強のマルクス経済学講義』(ナカニシヤ出版) です。著者は、立命館大学の研究者であり、私の同僚です。本書も松尾教授からご寄贈いただきました。誠に申し訳ないながら、あまりに専門外ですので研究費でも買おうとは思わなかったかもしれません。とうか、ご寄贈いただくまで、知りもしませんでした。本書も前の『時代はさらに資本論』と同じように3部構成となっています。資本論体型、数理マルクス経済学、経済史から成っています。400ページを超えるマルクス主義経済学のテキストであり、「妥協しない本格的マル経教科書」を標榜しています。私は、『資本論』全3巻は読んでいて、役所の採用面接の際にもそれを明言して採用された記憶があるのですが、赤道を挟んだ海外勤務2回を含む何度かの引越しのため、なぜか、『資本論』は散逸していたりします。本書に即していえば、今までまったく知りもしなかった第2部の数理マルクス経済学のモデル分析と実証分析が、私の専門分野にやや近いという気もしました。ただし、実証研究については、基本的に、産業連関分析が中心となっており、動学的な時系列分析にはマダ踏み込んでいません。その分、というか、何というか、第3部がごく短いながら経済史となっていて、長期の動学的な変動という意味の歴史を取り上げています。ただし、マルクス主義的な歴史、特に経済史というのは、生産関係の変更に基づく発展段階説ですので、同じ資本主義的生産における動学的な変動が分析対象になっていないのは、私の専門分野との大きな違いかもしれません。おそらく、私が認識していないだけで、産業連関分析やクロスセクション分析という静学理論と超長期の経済発展論の間を埋める理論体系がどこかにあるんだろうと思います。これまた、十分な理解からはほど遠いかもしれませんが、読後の感想でした。

photo

次に、西井開『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書) です。著者は、臨床心理学の研究者です。どうでもいいことながら、私が知る限り、心理学は臨床心理学と社会心理学があり、前者が経済学におけるミクロ分析、後者がマクロ分析なんだろうと、ほのかに認識しています。ということで、世の中にはフェミニズムや女性学というのは、それなりに、一定の認知を受けているのですが、男性学というのは女性学よりは社会的に認められていないような気もしますし、加えて、「非モテ」から男性学を解き明かそうという試みは私は初めてでした。ただし、あくまで臨床心理学的な観点からの男性学ですので、テクニカルに「非モテ」を脱して、女性にモテるようになるための指南書ではありません。男性というホモソーシャルな集団の中で、高校生くらいから「非モテ」はからかいや緩い排除の対象とされ、自己否定を深めていくプロセスが見られるわけですが、おそらく、何らかの集団の中で、明確なシグナルをもって差別されるのではなく、こういった緩い差別を受けることに関しては、職業生活の中でもあり得ると私は受け止めています。私の場合も、東大卒がかなりの多数を占めるキャリアの公務員の中で京大卒でしたし、今の大学では大学院教育も受けていなければ、学位も持っていないと、ひどく見下されてイヤな思いをしています。しかも、「非モテ」と同じで、ほぼほぼすべてが「自己責任」で処理されています。本書では何ら指摘されていませんが、「非モテ」の生き辛さも「自己責任」による場合が多いと私は認識しています。加えて、私の場合は、ひょっとしたら、生物学的に男性として欠陥があるような気がしていたりします。例えば、著者自身も認めているように、他者に優越することを目指したり、いわゆるマウンティングを目指す男性的志向は私の場合はほとんどありません。特に、年齢を経てこの傾向が著しくなった気がします。ただ、「非モテ」の経済的なバックグラウンドには「自己責任」を強調された上で、低所得や、その典型としての非正規雇用などがあるような気がする一方で、私の場合は経済的には格差の真ん中へんないし上にあったですし、体格的には男性性が決して低くないので、リア充とはいわないまでも、「非モテ」にはならなかったのかもしれません。特に、30歳前後でバブル経済の派手な生活の経験を持っていますので、バブル期にはみんなが遊び回っていた記憶があり、「非モテ」はいなかった、ないし、少なかったのかもしれません。

photo

最後に、古谷敏・やくみつる・佐々木徹『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(集英社新書) です。著者は、ウルトラマンのスーツアクター、漫画家にして大相撲他のマニアック分野の専門家、そして、週刊誌などでプロエスや音楽の記事を配信しているライターの3人です。集英社新書プラスのサイトの連載記事「ウルトラマン不滅の10大決戦 完全解説」を基に出版されています。10大決戦は、10番目から始まって以下の通りです。第10位 ゼットン、第9位 アントラー、第8位 ケロニア、第7位 ギャンゴ、第6位 ザンボラー、第5位 ジラース、第4位 ジャミラ、第3位 シーボーズ、第2位 ゴモラ―、第1位 ダダ、となっています。選ばれている基準は本書を読むしかないのですが、まあ、ウルトラマン世代に近い私なんかには理解できる気もします。本書冒頭の3ページほどに、これら10大決戦ほかのカラー図版が収録されています。まあ、何と申しましょうかで、判る人には私なんぞから中途半端な解説や書評は不要でしょうし、判らない人には何ページ費やしても判らないと思います。ご興味ある人にはたまらない企画かもしれませんが、ネットでかなりの部分が利用可能ですので、図書館で借りるのが吉ではないでしょうか。

| | コメント (0)

2021年8月 7日 (土)

今週の読書は興味深い経済書をはじめとして『枝野ビジョン』まで計5冊!!!

今週の読書は、格差問題を専門とするエコノミストが資本主義について論じた学術書や慶應義塾大学の研究者のエネルギーに関する学術書をはじめとして、立憲民主党の枝の代表の著書まで、幅広く経済に関する読書にいそしみました。以下の通りの計5冊です。
毎週お示ししております読書量なのですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げたものを含めて7~8月で31冊、これらを合計して143冊になりました。すでに8月の夏休みに入っており、先週の段階ではのんびりと軽い読書を考えないでもなかったのですが、実は、大学の同僚教員などから、何と、まったくの専門外ながらマルクス主義経済学の経済書を2冊ほどちょうだいしています。専門外なので軽く読み飛ばすか、あるいは、じっくりと取り組むか、いかなる結果になるかは予測不能ながら、少し京都大学のころにやらなかったわけでもないマルクス主義経済学について勉強を試みようかと考えています。でも、ムリかもしれません。

photo

まず、ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』(みすず書房) です。著者は、世銀のエコノミストを経て不平等の研究で有名なルクセンブルク所得研究センター(LIS)の研究者をしています。私は世銀エコノミストのころの『不平等について』や『不平等』を読んでいて、このブログの読書感想文にもポストしています。後者の『大不平等』でエレファント・カーブが表紙にあしらわれていたと記憶しています。英語の原題は Capitalism, Alone であり、2019年の出版です。ということで、本書は不平等や格差の問題も念頭に置きつつ、歴史的な発展段階説を考察しています。冷戦が集結して、ソ連東欧的な共産主義が消え去った後ながら、アジア的、というか、中国やベトナムのような市場経済を導入しながらも、社会主義や共産主義と自称する経済システムは残っていることを背景に、マルクス主義的な歴史発展説に修正を加えて、資本主義から社会主義、そして、共産主義に至る歴史発展、すなわち、西洋的な発展過程において共産主義が最終的な経済システムとなる考えではなく、むしろ、資本主義が最終的な経済システムであり、中国やベトナムのような社会主義・共産主義においては、その発展段階において市場の欠落というマイナスよりもインフラ整備などのプラス面の方が大きく、一定の経済発展を経た上で市場を導入して資本主義に至る、という経路が想定されて然るべき、という議論を展開しています。すなわち、本書で「第3世界」と呼ばれている発展途上段階にある諸国では、マルクス主義的な見方でいうところのブルジョワジーが果たすべき資本蓄積やインフラ整備を社会主義政府が代替する、という歴史観です。なかなか示唆に富んでいる気がします。ただ、本書の議論の中心的な論点は、米国を代表とするリベラル能力資本主義と中国を代表とする政治的資本主義を対置して、後者が所得の増加とともに前者に収斂する、という歴史観です。所得水準の収斂についてはバロー教授の研究成果などから、一定のコンセンサスがあると私は考えています。他方で、本書の著者はトマス・フリードマンの『レクサスとオリーブの木』に示されたようなマクドナルドの世界展開による戦争の抑止力、すなわち、グローバル化による相互依存関係の深化が平和を必要とする、あるいは、平和を促すという効果は明確に否定しています。逆から見れば、資本主義が帝国主義に転化し、先進国が途上国を植民地にするという形でグローバル化が進む中で、第1次世界大戦が生じたことから、こういった資本主義や帝国主義が戦争をもたらすというマルクス主義的な見方を、少なくとも否定するわけではない、ことが示唆されていると私は受け止めていますし、付録Aにも明記されています。ただ、マルクス主義は北欧に代表されるような社会民主主義的な資本主義の可能性を軽視、ないし、無視しているという指摘も、そうかもしれないと思います。しかし、私の共産主義に対する考えは、後の方の大澤真幸の『新世紀のコミュニズムへ』で明らかにするつもりです。ともかく、情けないながら、よく判らない部分がいっぱいです。私の勤務する大学では、我が母校の京都大学をはじめとする旧制の帝国大学の経済学部のようにマルクス主義経済学が無視し得ないウェイトを占めていて、いくつかそういった経済学の本をもらったりしているので、少し夏休みに勉強しておこうかと思わないでもありません。

photo

次に、野村浩二『日本の経済成長とエネルギー』(慶應義塾大学出版会) です。著者は、慶應義塾大学のエコノミストです。昨年菅内閣が打ち出した「2050年カーボンニュートラル」も見据えながら、本書はエネルギー政策や環境政策に関するほぼ教科書的な分析を提供しています。ただし、出版元から考えても、かなり純粋な学術書といえます。まず、いくつかの期間に渡る我が国のエネルギー生産性向上(EPI)を見ても理解できるように、需要に基づく生産の拡大ほどにはエネルギー消費は増加しているわけではありません。すなわち、本書でいうところのエネルギに対する労働の浅化と資本ストックの深化により、最終生産物や付加価値に対してエネルギー消費が大きくならない、というか、エネルギー効率生が高まっているといえます。産業構造の変化とともに、本書で指摘するように、エネルギーを別の財に姿を変えて輸入するという場合もあります。例えば、本書では触れられていませんが、日本ではアルミ生産がかなり前に放棄されているのは、ボーキサイトからアルミを精錬するコストは電力コストが極めて大きな部分を占め、その競争力がなくなったからです。ですから、私がジャカルタにいたころに、インドネシア国内のアルミ精錬工場の見学に行きましたが、ダムを建設して水力発電で電力を確保した上での工場建設でした。このアルミを輸入するということは、電力エネルギーを輸入する部分も決して無視できないわけです。エコノミストとして、ついつい、何らかの比率を固定的に考える場合があり、典型的には貨幣数量説を念頭に、リフレ派の金融政策を取っている現在の黒田総裁下の日銀が、サッパリ、インフレ目標を達成できなかったりするわけですが、特に、専門外の私なんぞが考えるエネルギーについてはその傾向が強いと私は考えています。産業構造の変化を別にするとしても、生産が拡大するにつれてエネルギー消費が増加し、それが化石燃料が大元にあるエネルギーであれば二酸化炭素排出も増加する、と考えるわけです。ですから、齋藤幸平『人新世の「資本論」』のように、脱成長を目指すことでしか地球環境問題への対応はできない、と考えてしまうのですが、それはエネルギー消費の生産性やその基本となる技術の問題を無視ないし軽視しているように見えます。私は逆U字型の環境クズネッツ曲線を推計した結果を前の長崎大学の紀要論文に取りまとめたことがありますが、この環境クズネッツ曲線はほぼほぼまやかしに近くて、産業構造の変化とか、形を変えたエネルギーの輸入によると考えるべきですが、ホントの技術革新による省エネルギーや二酸化炭素排出の減少も今後はできる可能性が十分あります。ただし、何度かこのブログで示したことがあるように、現在の資本主義的な市場ではエネルギーの価格付けが正しく行われていないのではないか、と私は危惧しています。ですから、本書で指摘するように、日本の戦後の歴史の中で政府規制ではなく市場価格によりエネルギー消費が抑えられてきた点を強調しすぎると、やや逆効果な気がします。過去の実績あるエネルギー消費の抑制と同じ手法で二酸化炭素排出の抑制を実施できると考えるのは、現状の地球環境の変化に対しては楽観的すぎるような気が私はしており、より強力な直接的規制もしやに入れリ必要あるのではないか、と考えています。

photo

次に、白井聡『主権者のいない国』(講談社) です。著者は、京都精華大学の研究者であり、政治学が専門のようです。私はこの著者の本は『永続敗戦論』や内田樹との対談集『属国民主主義論』を読んでいます。ですから、基本的なこの著者の立ち位置は、マルクス主義、あるいは、左翼と私は受け止めています。そして、本書では、タイトルの意味するところは終章(p.314)にあり、「標準的日本人は、『政府も政権もダメだ』と思っているにもかかわらず、どういうわけか選挙になると正反対の投票行動を示す。」という謎の解明にあるようです。巻末の初出一覧にあるように、各種媒体で既出の論考を集めたものですので、かなり重複もあるわけですし、逆に、矛盾しかねない難解な記述も散見されます。ただ、決定的に不足しているのは、経済政策の解明です。つまり、本書では前の安倍政権と現在の菅政権の政策について、コロナ対策についてはPCR検査の抑制やワクチン接種の遅れなど、どうしようもない劣悪な実態を明らかにするとともに、国体という観点からも指示し難い政策を列挙しています。特に、対米従属の正当化の観点から、アジアにおける北朝鮮の存在をもって、アジアでは冷戦が終わっておらず、朝鮮戦争が終結を迎えるくらいなら、もう一度戦闘行為がある方を選びかねない保守派の見方を紹介していて、それはそれなりに解釈のあり方なんでしょうが、経済政策で国民を引きつけているという視点がまったくありません。もちろん、福島第一原発の処理を巡っても、民主党政権の政策対応のまずさは際立っていますが、同時に、経済政策では「事業仕分け」という名の緊縮財政に走り、日銀の独立性を余りに重視した緊縮金融政策の容認とともに、国民生活を経済面から苦しめた点が忘れられています。私が、特に前の安倍政権下におけるアベノミクスで評価するのは雇用の拡大です。もちろん、非正規雇用による格差の拡大とか、賃金上昇の不足とか、いろんな論点はありますが、雇用がここまで拡大し、不本意非正規雇用がそれほどでないという事実は忘れるべきではありません。政策的なアベノミクスだけでなく、政策とは関係なく人口減少下での人手不足という要因も大きいことながら、雇用の拡大に対する支持が決して無視できない点が本書では大きく抜け落ちています。ですから、5年ほど前の2016年5月に取り上げた松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』の世界をもう一度思い起こすべきです。政治的には改憲を目指すウルトラ右派な安倍政権が、かなりリベラルで左派的な政策を推進したと私は考えており、こういった国民生活を見据えた経済政策を左派リベラルが提案しないと、ホントに自由と民主主義が奪われかねない、と危惧しています。立憲民主党と共産党が左派連合を組んで、最初に取り組む経済政策が緊縮財政による予算均衡の達成だったりすると、2009年の「政権交代」の失敗の二の舞になることは明らかです。経済政策で国民の支持を取り付けるという発想が欠けると、そうなりかねない危険があることを強く指摘しておきたいと思います。

photo

次に、大澤真幸『新世紀のコミュニズムへ』(NHK出版新書) です。著者は、社会学者であり、専門は理論社会学ですから、エコノミストではありません。ですから、キュブラー・ロスによる死の受容5段階なんてのが出て来たりします。ただ、現在のコロナ禍が人新世の環境変動の一環として理解されるというパースペクティブは私も、ハッキリいって、初めてで、それなりに新規な見方であると感じました。エコノミストの発想ではないような気がします。ということで、コロナ禍の経済的帰結として、もっとも重要なもののひとつが格差の拡大であるという点は、私も十分認識しており、このブログでも何度か主張してきましたし、大学の授業においても取り上げています。この格差拡大を階級間の格差拡大と捉え、その上で、国際的か普遍的な連帯を放棄して、水際対策などと称して、むき出しの国家エゴに走る姿を重ね合わせて、資本主義から新たな経済システムを遠望する、という形の論考となっています。さらに、進んで、ユニバーサルなベーシックインカムについても論じ、その財源として、ポズナー&ワイル『ラディカル・マーケット』において導入が主張されている共同所有自己申告税(common ownership self-assessed tax=COST)を候補として上げています。そして、ハーディン的な「コモンズの悲劇」の逆を行って、コモンズを拡大する方向を志向します。そして、齋藤幸平の『人新世の「資本論」』と同じように、脱成長に基づくコミュニズムにより地球環境問題の解決も同時に視野に収めています。エコノミストの私としても、第4章の途中まではかなりの程度に理解できる、というか、合意できるんですが、第4章の最終節から先については、コモンズの形成に関する部分も含めて、私の理解を超えてしまいました。私は、どちらかというと、というか、絶対的に加速主義の左翼なのであろうと自覚しています。ですから、生産性がさらにさらに向上し、すべての商品が希少性を失い、そのために価格がなくなり市場メカニズムが崩壊するの段階、がコミュニズムだと考えています。その前段階で、基礎的な衣食住などの商品の希少性が失われるのが社会主義なのかもしれない、と考えています。コチラは違うかもしれません。それらの段階では、誠にご都合主義的なのですが、技術進歩により、決して環境クズネッツ曲線的でなく、環境負荷が劇的に減少する段階に至る、と考えています。まあ、私のマルクス主義経済学に関する知識はそんなもんです。

photo

最後に、枝野幸男『枝野ビジョン』(文春新書) です。著者は、ご存じ、立憲民主党の代表です。ということで、2009年に政権交代を成し遂げた民主党が希望の党に合流する際に、合流から排除された国会議員で始まった立憲民主党ですから、さぞ左派、リベラルを任じているのではないかと思いましたが、ご本人は保守であり、むしろ、戦後自民党の保守本流であった吉田内閣、あるいは、池田内閣、佐藤内閣、などの流れに立憲民主党を位置づけています。確かに、今世紀に入ってからの小泉内閣以来、特に前の安倍内閣や現在の菅内閣は、エコノミストの私から見てもネオリベそのものですから、ひょっとしたらそうではないかという気すらします。ということで、本書で著者は、日本の歴史をひもといて、水田耕作を効率的に勧めるために、自由競争ではなく地縁血縁による共同作業を重視するとの観点から、「支え合い」と「助け合い」をキーワードにしたビジョンを力強く示しています。特に、主流派経済学でも情報の非対称性などから市場が成り立たないと考えられている医療や教育については、財政赤字のためにネオリベな観点から効率化を求められ、コロナ禍もあって、システムとしては崩壊していると断言し、もしも崩壊していないとすれば、これらの仕事に携わる個々人の使命感に支えられたことを理由に上げています。私も大いに合意するところです。過度の自己責任を否定し、「支え合い、分かち合う」精神で、経済政策においても効率性よりも所得再配分政策をより重視する姿勢を打ち出しています。そして、高齢者の過剰貯蓄、というか、過小消費については、将来不安を理由に上げるのは当然としても、結論として年金の増額ではなく、医療をはじめとする社会保障の現物給付に重点を置く姿勢を際立たせています。確かに、所得を積み増しても将来不安のために貯蓄される割合が高まる可能性も十分あり、傾聴に値する意見かもしれません。もちろん、こういった財源論をはじめとして、国際収支の黒字を保つとか、ツッコミどころはいっぱいあって、現時点で完成した次期政権交代へのビジョンとして受け止めるのはまだ雑な部分が多く残されていますが、今年は必ず政権選択選挙である総選挙がある年ですから、ひとつの提案として真面目に議論するに値する気がします。いずれにせよ、現在のネオリベな格差社会というのは、おそらく、その昔の表現でいえば「勝ち組」、すなわち、格差の上の方にいる人には居心地がいいんでしょうね。私なんぞは、学卒で働き始めて役所を定年で退職して大学教員になったわけですので、大学院教育は受けていませんし、博士号などの学位もありません。そういった私のような資格や能力ない教員が大したサポートもなく、自己責任だけ強調されてアップアップで苦しんでいるのに対して、スイスイと授業や研究をこなしている教員も多いわけで、うまく格差社会の波に乗っている人は気分いいのは判る気がします。その上、ひょっとしたら、私のようなアップアップの姿を上から目線で見下すのは、見下される方からはたまったものではありませんが、見下す方は気分よかったりする可能性も否定できません。コチラは、私には判りません。判らないながら、授業や研究などの仕事の話はヤメにしようといっているのに、どうしても私相手に仕事の話をしたがる同僚教員もいますから、気分いいのかもしれないと思ったりします。しかしながら、本書の立場ではありませんが、見下されて虐げられる者は革命を志向するような気もします。

| | コメント (0)

2021年7月31日 (土)

今週の読書は興味深い経済書をはじめとして計5冊!!!

今週の読書は、副業という今までになかった経済学的な観点からの研究所をはじめとして、新書に至るまで、大なり小なり経済的な観点を取り入れた本ばかり、以下の通りの計5冊です。なお、毎週お示ししておりますところ、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、今日取り上げたものを含めて7月で26冊、これらを合計して138冊になりました。来週、というか、この先8月の夏休みシーズンに入ります。大学教員になって、何がうれしいかというと夏休みがもっともうれしいわけで、昨年は赴任初年でがんばって短い学術論文を書いて紀要に投稿したんですが、今年はのんびりと過ごしたいと考えています。読書も気軽なものに切り替え、ペースも少し落とそうと予定しています。

photo

まず、川上淳之『「副業」の研究』(慶應義塾大学出版会) です。著者は、東洋大学の経済学研究者です。タイトルにある「副業」がどうしてカッコに入っているのか私には不明なんですが、通常、副業といえば本業に対応したサイドビジネスで、本書の指摘するように、追加的な所得を得る目的で、あるいは、趣味に近いものまで、いろいろとあり、特に最近では、政府の働き方改革のひとつの項目にすら取り入れられています。単に雇用者が別の仕事を持つ場合だけではなく、経営者が事業を多角化する場合も含めて、さまざまな分析が可能です。もちろん、私が定年まで働いていた公務員という職業は副業が許容されておらず、私も当然に副業の経験ないことから、実感としては副業について読後の現時点でもまだ理解がはかどらないものがあります。本書で展開しているように、特に、2章の労働経済学によるモデル分析とともに、どういう属性の人が副業をしているのかというのは、定量的な観点からは興味深いのですが、所得が低いなどの極めて想像しやすい結果が出ているだけだという気もします。それ以外に、第6章以降で副業が本業のパフォーマンスを高めるか、イノベーションへの影響があるかないか、あるいは、幸福度の観点からの副業の研究もいくつか見るべきものがあります。こういった心理学的な要因も今後は大いに注目されていいのではないかと感じました。中でも、印象に残ったのは、専門外の経営学の分野ながら、第6章で展開されている「越境的学習」と呼ばれるフレームワークを用いて、副業のスキル向上効果を検証している部分です。経営学で注目されているそうであり、通常の職場の外での経験が学習効果を持つという考えで、政府の働き方改革の議論の中で、副業が注目された要素のひとつもともいわれています。いわゆる learning by doing を進化させたようなスキルを高める効果を認める考え方であり、私の方で十分に理解したとはいえないかもしれませんが、とても興味深い研究です。今後、必要に応じて勉強を進めたいと思わせる内容でした。

photo

次に、鶴光太郎『AIの経済学』(日本評論社) です。著者は、官庁出身で現在は慶應義塾大学の研究者です。本書では、AIをインプットからアウトプットを予測するという観点から定義し、ディープラーニングによる暗黙知の領域の能力の獲得、資格表現された大勝への拡大などの特徴を備えていると指摘していま。その上で、AIがどのような経済的な影響を持っているかについて、労働市場、スキル形成、企業・産業、政策、あるいは、コロナとの関係などなど、基本的に、ポジティブな影響をケール・スタディにてさまざまな例を上げています。ジャーナリスト的なケース・スタディですので、当然、別の取材をすれば逆の例もあると思いますが、現時点までは成功例がもてはやされるんだろうと私は理解しています。ただ、AIの利用可能性という根本問題については、まったく考慮されていないように見受けられます。おそらく、今後、AIの利用可能性が大きく拡大し、私のような一般ピープルにでも手軽に低額で利用可能になる方向にあることは事実なんでしょうが、現時点での利用可能性には大きな格差があると考えるべきです。ですから、マイクロな市場におけるダイナミック・プライシングなんかでは、AIの利用可能性に差があって、企業がおそらく大部分の消費者余剰を吸い上げる形での価格付けを可能にし、AIの利用可能性の高い経済主体、例えば企業が、そうでない家計などから所得移転を受けるという格差を拡大する方向で利用される可能性が高いことは認識すべきです。教育や広い意味でのスキル形成などについても、ご同様に、個々人感での格差を拡大する方向に利用される可能性が極めて高いと考えられます。逆に、AIを格差縮小に利用できる例のあるんではないか、と私なんかは考えるんですが、そういった方向に本書は目が向いていません。私の専門外ながら、マルクス主義経済学なんかでは資本主義的な生産様式での固定資本利用の限界、で切って捨てそうな気がしないでもないんですが、もう少しエコノミストが知恵を出すべき観点だという気はします。

photo

次に、ニコラス・レマン『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』(日経BP) です。著者は、『ニューヨーク・タイムズ』、『ワシントン・ポスト』、『ニューヨーカー』などで活躍したジャーナリストです。英語の原題は Transaction Man であり、2019年の出版です。英語の原題も邦訳タイトルも、私にはよく理解できないのですが、本書では、良き社会を形作るために、いかに経済を組織化するか、というテーマで書かれています。もっとも、実際には20世紀初頭からの米国経済の歴史書として読むことが私のオススメです。そして、いくつかの時代ごとに xx Man などを典型的な章別タイトルにしつつ、それとの関連深い歴史上の人物を章ごとに取り上げています。第1章の組織人間はアドルフ・バーリ、第2章の組織の時代はピーター・ドラッカー、第3章の取引人間はマイケル・ジャンセンであり、第3章のタイトルだけでなく本書の英語の原題となっています。第4章と第5章の取引の時代がアラン・グリーンスパンとジョン・マック、第6章のネットワーク人間がリード・ホフマン、といった具合です。最初のバーリは政府に経済的な権限を集中して経済運営を改善することであり、独占的な大企業を適切に規制して、中小企業の利益を守ることと分析されています。この段階では消費者はまだ現れません。刑事足掻的にはスミス的な完全競争市場の時代といえます。その次に、GMなどを典型とする大企業が成立してドラッカー的な経営システムにより生産性を向上させ、ジェンセンらから生まれたエージェンシー理論が企業の利害関係、すなわち、プリンシパルたる株主の利益をいかにエージェントである経営者に伝えるかが分析されます。そして、レーガン-サッチャー期に製造業から金融業に経済の重心が移り、米国の中央銀行であるFEDのグリーンスパン、あるいは、投資銀行の経営者が経済の表舞台に立つようになります。そして、最後は現在進行中のネットワーク社会の成立となります。デジタルをキーワードにしてもいいかもしれません。この時代を代表させているホフマンはLinkedInの創業者です。製造業のいわゆるメインストリームから金融業、そしてネットワーク産業へと米国経済の中心が移行するに従って、企業だけではなく消費者などがいかに経済行動を変容させていったか、という点を著者はていねいに追っています。ただし、そこはジャーナリストですので、エコノミストのようにバックグラウンドに何らかの経済モデルを想定することなくファクトを並べているだけ、という批判はあり得ます。

photo

次に、藤井彰夫『シン・日本経済入門』(日経文庫) です。著者は、日経新聞のジャーナリストです。出版は日経文庫なんですが、大きさからして新書の扱いかという気がします。ということで、第1章で、クロノロジカルでなく平成から令和の日本経済を振り返った後、デジタル経済、地球温暖化対策、人口減少と少子高齢化、金融財政政策、グローバル経済と日本経済そのものを中心に日本を取り巻く経済社会環境まで含めて議論を展開しています。私は、エコノミストとして、平成経済、特に、バブル崩壊後の日本経済は圧倒的に需要不足が問題であり、その需要不足は人口減少に起因するわけではない、と考えていますが、やや私の考えとは違うラインで議論が進められている気がします。特に、私は何らかの係数が構造的に一定に近いという議論が混乱を招いている気がします。典型例は、人口規模が経済にどのように影響を及ぼすかについては、時々で異なる議論があるわけで、マルサス的な窮乏化論もあれば、現在のような人口減少が需要減退を引き起こすという議論もありえます。GDPの付加価値と二酸化炭素排出に一定の比率があるように見えることから、地球環境問題の解決には「脱成長」が必要と考えるエコノミストも少なくなく、そのために、晩期マルクスを「発見」した『人新世の「資本論」』なんて本が話題になったりしました。デフレ脱却のために貨幣数量説に基づいてマーシャルのkの安定性に依拠して貨幣供給を増加させれば物価上昇が生じるとの日銀の異次元緩和は今のところ不発に終わっています。ここに上げたあたりは、議論が雑な気がしますが、本書でもご同様であり、新書という手軽なメディアですから許容されるとはいえ、ここまで需要サイドを無視した議論の展開は、少し疑問が残ります。

photo

最後に、本間正人『経理から見た日本陸軍』(文春新書) です。著者は、防衛装備庁に長らく勤務した経験を持つ研究者です。タイトル通りの内容で、「予算がなければ戦争ができない」という明白なテーゼを検証しています。エコノミストの私から見れば、高橋財政によって国債の日銀引受から財源を作り出して、その一定の部分が軍備に回ったわけですし、私が勤務していた官庁なんぞとは違って、軍隊には極めて多額の予算が投入されていたのであろうことは軽く想像できます。私の使っていたノートPCに比べて、戦車や戦闘機や軍艦はメチャクチャに高いんだろうという気がします。しかも、そういった装備品については、外部の企業から買ってきた部分も少なくないんでしょうが、兵器廠というのがあるわけですから軍隊内部で製造していた部分もあって、その原価計算の詳細なども興味あるところです。もちろん、装備品といった固定資産的な部分だけでなく、本書では、一般の興味も引きそうなお給料とか、食事とか、酒保と呼ばれる売店での価格とかも豊富に収録しています。ただし、海軍に比較して作戦展開のやや狭い陸軍が対象なので、その点からすれば、もっと広い地域で展開する海軍の経理も知りたかった気がしないでもありません。最後に、私の目を引いたのは、やっぱり、お給料の格差です。現在では米国の経営者と新入社員の格差が数百倍などと報じられていますが、陸軍においては徴兵されて衣食住を支給されるとはいえ、初年兵のお給料はスズメの涙であり、高級将校とは100倍近い差があった、というのはまあ、そんなもんかという気がします。戦地で実力を行使して、無理やりに物資を調達した場合も少なくないんでしょうが、経済学に則って市場で調達したケースもいっぱいあるわけで、まあ、軍隊や戦争というテーマには私は違和感覚えなくもありませんが、市場や経理の側面から軍隊を観察するのもアリかという気も同時にします。少し前に話題になり映画化もされた『武士の家計簿』みたいなところもあります。

| | コメント (0)

2021年7月22日 (木)

今週の読書は経済書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、いつもは土曜日にポストするんですが、今週だけは変則的な4連休になりますので、連休初日の本日にお示ししておきたいと思います。ですから、いつもはおおむね4~5冊あるんですが、今週だけは特殊条件で3冊です。逆に、来週は多めになろうかという気がします。というのは、私はもともと東京オリンピック・パラリンピックには反対ですし、特に現在のような新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミック第5波の中で開催するのは強烈に反対しますから、それほど、世間一般よりはオリンピック報道を見ないと考えられるからです。ということで、毎週お示ししておりますところ、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月で56冊、今日取り上げたものを含めて7月で21冊、これらを合計して133冊になりました。来週、というか、今週これから先を含めて、すでに手元に、慶應義塾大学出版会の『「副業」の研究』などを借りて来ており、オリンピックに熱中することなく読書の時間を確保したいと考えております。

photo

まず、大橋弘『競争政策の経済学』(日本経済新聞出版) です。著者は、東京大学の教授です。タイトル通りに、幅広く競争政策について、バックグラウンドにあるモデル、計測、実証まで議論を展開しています。4部構成となっており、順に、競争政策や産業組織論、産業分野、需要停滞期の競争政策、デジタル市場の競争政策、を主眼としています。冒頭で競争政策のアプローチを論じ、基本的なモデルの提示と計測について示されています。その後の残る3部が産業ごとやデジタル化の進む経済での課題や解決のための政策論などが展開されています。基本的には学術書だと考えてよさそうなのですが、それにしては物足りない部分もあり、一般ビジネスパーソン向けも意識したのか、やや中途半端な出来上がりという気もします。市場の競争、というか、独占の弊害について、市場占有率などの市場構造のアプローチとともに、マークアップ率の計測など、いわゆる「実害」についても併せて論じており、逆に見れば、市場占有率が高くても、限界生産費価格付けに近い企業行動であって、不当な市場支配力の行使がなければOK、ということなのかもしれません。そういう意味で、潜在的な市場支配力ではなく企業行動に即した判断が必要との立場のように見えます。従って、本書の用語に即していえば、ブランダイス学派なのではなく、シカゴ学派なのかもしれません。第2章の結論のように、市場シェアの集中化だけが判断材料となるわけではない、と明記していたりします。ですから、八幡・富士製鐵の合併、新日本製鐵の成立については、1968年の多くのエコノミストによる反対意見の表明とはまったく逆の方向で、生産性工場も考慮した動学的な効率化の含めれば、合併用人の見方を明らかにしています。製剤的な独占力の構築には目を向けず、その独占力の行使だけを問題にする立場のように見えて、私にはやや疑問が残ります。ただ、参考文献に本文で引用されている大橋ら(2010)が見当たらないので、何ともいえません。加えて、同じコンテクストで、過剰供給と過当競争についての見方についても、人口減少下での需要不足と、そのコインの反対側となる供給過剰の解消に競争政策がどのような役割を果たすのか、少し曖昧な気もします。産業別に公共調達における談合、携帯電話市場におけるアンバンドリングの効果、、電力自由化の中での再生エネルギー政策の展開と競争政策のあり方、については、どうも従来から見かけることの多い結論に終止しているようですが、デジタル経済における競争政策、特に、プラットフォーム企業に対する見方については、私もそれほど見識ないことから、ある程度は参考になります。特に、GAFAに対しては分社化という構造的規制、あるいは、透明性確保と説明責任を問う行動的規制など厳格な対応が必要という結論には私も同意する部分が多いと感じました。しかしながら、パーツ・パーツではおかしなところもいっぱいあり、例えば、人口減少局面=需要停滞期に企業合併を違う視点から見ようというのは、競争政策の名に値するかどうか、やや疑問です。市場メカニズムにおける競争均衡は効率的な資源配分に役立つのはいうまでもありませんし、そのための競争政策の重要性も当然認識されて然るべきですが、リザルト・オリエンテッドな視角だけでなく、構造的、あるいは、潜在的な市場占有力の軽視は疑問です。

photo

次に、マシュー C. クレイン & マイケル・ぺティス『貿易戦争は階級闘争である』(みすず書房) です。著者は、ジャーナリストと在中国の金融研究者です。英語の原題は Trade Wars Are Class Wars であり、2020年の出版です。よくわからない取り合わせですが、本書の基本的なスタンスは極めて明確であり、「国家間の貿易戦争を激化させるのは、国家の内部で進行する不平等の拡大だ」(p.8)ということになります。もう少し判りやすくいえば、バックグラウンドとなるモデルはシンプルなマクロの投資貯蓄バランスであり、不平等が高所得層での低消費と過剰貯蓄を生み出し、この過剰な貯蓄を解消するために輸出で過剰生産の不均衡を解消すべく貿易戦争が勃発する、という考え方です。「階級闘争」というネーミングを別にすれば、かなりまっとうな経済モデルであり、ある程度は主流派エコノミストにも受け入れる余地あるような気がします。ただ、私の知る限り、マルクス主義的な「階級闘争」は Class Struggles ではなかったか、と記憶しています。記憶は不確かですし、自信もありません。いずれにせよ、国内の不平等を体外不均衡と結びつけるのはムリのないところです。基本的に、どちらの面から見るかによりますが、現時点でのサマーズ教授命名の長期停滞もそうですし、現代経済の停滞は需要の不足、あるいは、その逆から見て、供給の過剰から生じます。ですから、ケインズ経済学はその需給ギャップを埋めるべく政府支出を拡大することを主眼にしていますし、その極端なのがMMT学派ともいえます。マルクス主義経済学では、極めて単純化すれば、供給の方をコントロールして需要の範囲内に収めて供給過剰を生じないようにする、そのために生産手段を国有として中央司令経済で生産を管理する、というものです。どちらも需給ギャップを埋めることを主目的としている、と私は考えています。もちろん、その背景にある考え方は大きく違っています。本書では、貯蓄投資バランスを経済モデルとして考え、国内経済における需給ギャップを政府支出ではなく輸出によって解消するという方向が貿易戦争であり、その基礎は国内の階級闘争である、という理解です。貯蓄投資バランス式は事前的にも事後的にも成り立つ恒等式ですから、経済モデルの基礎とするには決して不都合ではありません。ただ、ケインズ的な乗数効果をどこまで盛り込むかについては、本書では特に取り上げられていません。いずれにせよ、近代初期には我が国の歴史をかえりみても、完全自主権が不平等条約により認められていませんでしたし、20世紀前半ではブロック経済化により貿易が差別的になされていました。従って、本書のような議論は判りやすいと思います

photo

次に、北川成史『ミャンマー政変』(ちくま新書) です。著者は中日新聞・東京新聞のジャーナリストで、バンコク駐在員の経験もあり、その際に、ミャンマーの現地取材もしているようです。冒頭で、かなり最近時点までのミャンマーの現状、すなわち、クー・デタからその後の国軍により残虐行為などが明らかにされます。第2章では、独立の英雄であrアウンサン将軍の娘であり、事実上NDL政権のリーダーであるアウサンスーチー女史と国軍の関係、かなり、ビミョーな関係が明らかにされます。その国軍の暴走、というか、アウンサンスーチー女史が黙認したのか、止め切れなかったのか、ロヒンギャ問題の詳細が取材の基づいて展開されます。ロヒンギャはバングラから渡ってきたイスラム教徒であり、仏教徒が90%を占めるミャンマー国民から蔑視・差別されている実態は広く報じられているところですが、多民族国家としてほかに、ワ自治管区なるものがあるそうです。中国と国境を接して麻薬の原料となるケシの栽培で有名な黄金の三角地帯にあり、ミャンマー語よりも中国語の方がよく通じて、じんみんげんがりゅつうしているそうです。最後に日本を含む国際社会の対応を検証し、日本政府はODAの停止をしないばかりか、日本ミャンマー協会という団体はクー・デタ容認というあり得ない態度を取っている点が浮き彫りにされています。私は専門外もはなはだしいんですが、今年2021年4月11日にはミャンマー民主化闘争連帯の集会+デモにも参加しましたし、ミャンマーの民主化を進める観点から注視していることも事実です。本書は、ジャーナリストらしく取材したことをはじめとして事実をいっぱい並べていて、国軍のクー・デタに対して、アウンサンスーチー女子の方もロヒンギャではひどかった、と両論併記というか、喧嘩両成敗のような記述が見られるわけですが、私の目から見て、丸腰の国民を虐殺する武装され訓練された軍隊というのは、まったく許容し難いといわざるを得ません。我が国政府がアジアの一因として明確な態度を示すことをはじめ、強い圧量を持って臨むべきであると考えますし、そこからミャンマーの民主化が進むことを願ってやみません。

photo

最後に、香原斗志『東京で見つける江戸』(平凡社新書) です。著者は、歴史評論家・音楽評論家だそうです。本書はタイトル通り、現代の東京で見られる「お江戸」をカラー写真とともに取り上げています。『GQ Japan』のweb版に連載していたのを新書化しています。構成としては、江戸城、すなわち、現在の皇居周辺から始まって、武士の街を象徴する部分、神社仏閣、水道などの土木遺産、そして、最後に、江戸城に戻っています。明らかに理解できるように、上野浅草など庶民の下町は対象外、というか、お江戸は残っていないようです。まあ、関東大震災とか、戦災とか、いろいろとありましたから、下町の庶民の江戸は今の東京には引き継がれていないのかもしれません。何度か言及されている通り、江戸はその性格上武士階級の比率が高く、しかも、武家屋敷はそれなりに贅沢、というか、ゆったりと作られていることから、現在とそう変わらない人口密度だったようですが、庶民の町民はかなり人口密度高く、ギュウギュウ詰めで生活していたようです。1000円そこそこのお値段で、これだけ豪華なカラー写真をいっぱい含む新書ですから、かなりお買い得な気がします。私は東京生活も長かったですし、しかも、自動車ではなく、自転車でかなり隅々まで東京の街を走り回った記憶があり、それなりに感慨深いものがありました。東京を離れて1年半近くたち、生まれ育った京都に戻ったとはいえ、ひょっとしたら、東京にホームシックを感じているのかもしれません。いずれにせよ、豪華図版を眺めるだけでもお値打ち品ですし、オススメです。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧