2018年9月15日 (土)

今週の読書は経済書を中心に大量に読んで計8冊!

よく理由はハッキリしないんですが、今週はよく読みました。経済書、それもマイクロな行動経済学の本が多かったので、スラスラと量がはかどったのかもしれません。和歌山の経済統計学会を往復した時間的な余裕がよかったのかもしれません。その中でも、行動経済学や実験経済学の本が2冊あり、私はおそらく平均的な日本人よりも合理的だと考えていますが、やっぱり、損失回避的な霊感商法のようなセールストークが効くんだということを改めて実感しました。以下の8冊です。

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まず、ロバート J. ゴードン『アメリカ経済 成長の終焉』上下(日経BP社) です。著者は米国のマクロ経済学を専門とするエコノミストです。本書は、英語の原題は The Rise and Fall of American Growth であり、2016年の出版です。かなり注目された図書ですので、ボリュームの点から邦訳に時間がかかったのだろうと私は受け止めています。米国の生活水準やその背景となる技術水準などにつき、米国の南北戦争後の1870年から直近の2015年までを、1970年を境に2期に分割して歴史的に跡づけています。そして、さまざまな論証により、1970年以前の第1期の時期の方が、197年以降の第2期よりも、生活水準の向上や生産の拡大のペースなどが速かった、と指摘し、その原因はイノベーションであると結論しています。そして、現在の「長期停滞」secular stagnation の原因をこのイノベーションの停滞、というか、イノベーションの枯渇に近い技術水準に求めています。要するに、「低いところになっている果実を取り尽くした」というわけです。加えて、現在進行形のIT産業革命についても、生産の現場におけるイノベーションというわけではなく、国民生活における娯楽や生活様式の変化に及ぼす影響の方が大きく、生産性向上や生産の拡大にはつながりにくい、とも指摘しています。ただ、マクロにこれら生産性や生産そのものを計測するGDPについては、たとえ物価指数がヘドニックで算出されていたとしても、生活の質の向上などが正しく計測されているとは思えない、とも付け加えています。ですから、定量的なGDP水準は生活水準を過小評価している可能性が高い一方で、たとえそうであっても、生産性や成長は1970年くらいを境に大きく下方に屈折したのではないか、という結論となっています。それは本書の対象である米国経済だけでなく、我が国でもご同様と私は考えています。その意味で、本書の結論は私のエコノミストとしての直観と共通する部分が少なくありません。ちなみに、私が官庁エコノミストの先輩で現在は日銀審議委員まで出世された方と共著で分析した「日本の実質経済成長率は、なぜ1970年代に屈折したのか」という学術論文もあったりします。

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次に、イリス・ボネット『WORK DESIGN』(NTT出版) です。著者はスイス出身で、現在は米国ハーバード大学の研究者です。かなり大きなタイトルなんですが、実際は男女間の不平等を是正するための行動経済学ないし実験経済学に関するテーマが主であり、女性に限らずいわゆる多様性とかダイバーシティの問題についても取り上げています。しかし、ハッキリいって、内容はかなりありきたりです。私はかなりの程度にすでに読んだことのある中身が多かったような気がします。逆に、この分野について初学者であれば、包括的な知識が得られる可能性が高いと受け止めています。ステレオタイプやバイアスといった平易な用語で行動経済学の原理を解説し、女性に対するアファーマティブ・アクションの重要性についてもよく分析されています。次の『医療現場の行動経済学』については別途の論点があるんですが、本書では、正義の問題について考えたいと思います。というのも、p.314 でダボス会議を主催する世界経済フォーラムのシュワブ教授が「ジェンダーの平等が正義の問題」と指摘しているからで、正義の問題として考える場合と、損得として取り上げるのは少し差がある可能性を指摘しておきたいと思います。というのは、この差を多くのエコノミストは無視して、すべてを損得の問題で片付けようとするように私は受け止めており、例えば、行動経済学や実験経済学ではなく、合理的な経済人を前提しつつ、殺人について、その殺人から得られる効用と捕まって処罰される可能性の期待値の比較考量で判断する、というのがかなり標準的なエコノミストの考え方ではないかと思いますが、行動経済学や実験経済学では違う可能性を指摘しておきたいと思います。すなわち、私が殺人や窃盗をしないのは正義の問題であり、ギャンブル、例えば、競馬やパチンコをしないのは損得の問題です。伝統的な合理的経済人を前提としない行動経済学や実験経済学では、こういった正義の問題と損得に基づく選択を扱えるハズです。その意味で、もう一歩のこの学問領域の発展を願っています。

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次に、 大竹文雄・平井啓『医療現場の行動経済学』(東洋経済) です。これも行動経済学がタイトルに取り入れられていますし、医療の分野で生き死にを扱いますので、実験経済学の要素は極めて薄くなっていますが、伝統的な経済学が大勝とする合理的経済人ではない、非合理性を全面に押し出している点については、ご同様ではないかと私は受け止めています。ただ、ジェンダーの問題と異なり、医療については医師と患者の情報の非対称性の問題が避けて通れないんですが、本書ではかなり軽く扱われている気がします。その昔の医師による一方的な医療行為の決定や選択から、インフォームド・コンセントが重視され始め、今では本書にもあるようなシェアード・ディシジョン・メーキングに移行しつつあるとはいえ、また、インターネットで病気や薬について豊富な知識が得られるとはいえ、まだまだ医師や薬剤師などと患者の間には情報の隔たりがあるのも事実です。ですから、政府は医療・投薬行為を規制し、自由な市場原理に任せておくことはしないわけです。その意味で、医療行為をほぼほぼ自由な市場行為に近い医者と患者の間の取引のように本書で描写しているのは少し疑問が残ります。基本は、医師と患者の間の十分な意思疎通による医療や投薬に関する決定に基づきつつも、正当な医療行為、特に、保険で賄うのと保険外になるのとでどこが違うのか、どう違えるべきか、といった議論も欲しかった気がします。類書と異なり、本書では患者のサイドに立った選択だけでなく、医師のサイドの選択も取り上げているだけに、もう一歩踏み込んで、医療や投薬を規制する政府当局の選択についても行動経済学や実験経済学の観点から解き明かして欲しかったと考えるのは私だけでしょうか。

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次に、大前研一『世界の潮流 2018~19』(プレジデント社) です。昨年2017年12月の公演記録を基に編集されているようです。このままでは我が国はスペインやポルトガルと同じように400年間の衰退に過程に入るといいつつ、それに対する対抗策のようなものは提示されていません。その意味で、無責任といえなくもありませんが、まあ、どうしようもないのかもしれません。日本はこの先も大きなパニックに陥ることもなく、政治的な安定性を維持しつつも、かつてのような活気ある高度成長期やバブル経済期の復活はありえず、移民を受け入れることもなく、かといって、内生的な大きなイノベーションもなく、平たい言葉でいえば「ジリ貧」といわれつつも、それなりに安定して豊かな社会や生活を享受できるのではないか、という意味では、私と同じような見方なのかもしれません。生産性の高い社会という目標はいいんですが、ご同様に、そのための方策というものはなく、個々人が努力するというのが本書の著者の基本的なスタンスなのかもしれません。

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次に、ジェームズ・フランクリン『「蓋然性」の探求』(みすず書房) です。著者はオーストラリアの統計や確率などの概念史などの研究者です。英語の原題は The Science of Conjecture であり、2001年の出版です。今週読んだ本の中で最大のボリュームがあり、軽く600ページを超えます。確率論が学問として登場したのはルネッサンス後の17世紀半ばというのが定説であり、本書でもその立場を踏襲しています。なお、確率の歴史をひもとくに当たって、本書ではホイッグ史観の立場を取っています。そして、パスカルないしデカルトといった近代冒頭の数学者で本書は終わっています。歴史を詳細に見ると、やや逆説的ながら、確率理論は17世紀以前にも発達していたし、同時に、ランダムな確率論が問題となるのは資本主義の確立を待たねばならなかった、というのが本書の著者の見方です。開発経済学の他に、私の専門分野のひとつである景気循環論や経済史の見方を援用すれば、マルクス主義的な商品による商品の生産や拡大再生産の考えを待つまでもなく、近代資本主義とは資本蓄積とその資本を所有するブルジョワ階級の出現で特徴づけられますし、その近代の前の中世では資本蓄積がなく、それゆえに成長はほとんど見られず停滞そのものの時代であり、従って、キリスト教だけでなく金利徴収は成長のない中で、禁止されていたわけです。ただし、生産の成長や資本蓄積ないながらも、リスク・プレミアムの観点からの金利はあり得ると本書の著者は見ており、その確率計算のため蓋然性の概念が発達した、との考えも成り立ちます。ただ、本書では私のようなエコノミスト的な確率に近い蓋然性の議論だけでなく、英語の原題通りに、論理学的な証明や論証、それも、数学的な論理学ではなく、法廷における論証や証明に近い議論も冒頭から展開されており、そのあたりでつっかえると読み進めなくなる可能性もあります。

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次に、松本創『軌道』(東洋経済) です。本書のテーマは、2005年4月25日に死者107名と負傷者562名を出した福知山線脱線事故から、いかにしてJR西日本が収益性や上場への展望を安全重視の姿勢に転換したかであり、著者は地元神戸新聞のジャーナリストとして、その10年余りの軌跡を追っています。事故はすべて現場の運転士の責任であり、民鉄との競合の激しいJR西にあって、「天皇」とさえ呼ばれた絶対的なワンマン経営者、そして、官庁よりも官僚的とさえいわれた国鉄からの体質をいかにして、自己被害者らとともに転換したかを跡づけています。加えて、著者のジャーナリストとしての視点だけでなく、ご令室さまとご令妹さまを事故で亡くし、ご令嬢さまも重篤な負傷を負ったご遺族の淺野弥三一氏の視点も導入し、複眼的な分析を展開しています。順調な組織運営の時には目につかないながら、こういった大規模事故はいうに及ばず、何かの不都合の際に顔を覗かせる組織の体質があります。事故は個人のエラーなのか、それとも組織の体質に起因するのか、また、別の視点として、何かの功績は経営者の業績としつつも、不都合は現場の末端職員に押しつける、などなど、組織体質を考える上での重要なポイントがいっぱいでした。日本企業は一般に、「現場は一流、経営は三流」と評価されつつも、本書で取り上げられているJR西日本のように国鉄大改革の功労者として居座り続けるワンマン経営者が現場の運転士を締め付けるような組織運営をしている例外的な企業もあるんだ、ということが、ある意味で、新鮮だった気すらします。この時期に出版されたのは、私には不思議だったりします。

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最後に、湊かなえ『未来』(双葉社) です。著者はモノローグの文体も特徴的なミステリ作家であり、本書は著者の得意とする教師や学園ものと位置づけられ、デビュー作である『告白』などと同じモノローグで物語が展開します。もっとも、単なるモノローグだけでなく、手紙とか日記のような形をとる場合もあります。女性である主人公が小学生の10歳のころから中学いっぱいから高校に入学するくらいまでのかなり長い期間が収録されており、主人公以外にモノローグを語るのは、友人、小学校の担任の先生、そして、モノローグを語る中では唯一の男性である主人公の父親、などです。相変わらず、暗い文体であり、主人公やほかの登場人物には学校でのいじめをはじめとして、さまざまな不幸な出来事がこれでもかこれでもかというくらいに発生します。伝統的なミステリのように最後に一気に謎が解明されるわけではなく、タマネギの皮をむくようにひとつひとつ謎が解き明かされていきます。そして、最後には主人公を取り巻くすべてが明らかになるんですが、だからといって、主人公が幸せになるわけでもなく、じっとりと暗い思いを残したままストーリーは終局します。私のように、この作者の作品が好きならば、読んでおくべきだと思いますが、いわゆるイヤミスというほどでもなく、また、私は従来からこの作者の最高傑作はデビュー作の『告白』であると考えており、それは本書を読み終わった後でも変更の必要はありません。すなわち、やや出来もイマイチという気もします。評価は難しいところです。でも、すでに出版された次の『ブロードキャスト』も私は借りるべく予定しています。

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2018年9月 9日 (日)

先週の読書は経済書は少なくいろいろ読んで計7冊!

昨日に、米国雇用統計が割り込んで読書日が1日多くなったのが影響したのか、先週は7冊を読んでいます。ほとんど経済書らしい経済書はなく、話題の小説シリーズの最新刊や新書が入っています。以下の通りです。昨日のうちに自転車で図書館巡りを終え、今週もそれなりに大量に読む予定です。

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まず、ティム・ジョーンズ & キャロライン・デューイング『[データブック] 近未来予測 2025』(早川書房) です。著者2人は英国出身であり、未来予測プロジェクトである「フューチャー・アジェンダ」の創設者だそうです。本書の英語の原題も Future Agenda であり、2016年の出版です。もっとも、本書は「フューチャー・アジェンダ」の第2段であり、第1段は2020年をターゲットにしてすでに2010年に出版されていて、本書の著者2人は2018年の現時点で約90%が達成されたと豪語しています。基本はマルサス的な人口爆発など、その昔のローマクラブのような発想なんですが、コンピュータのシミュレーションをしたような形跡はありませんし、エネルギーの枯渇はアジェンダに上っていないようです。そのかわり、といっては何ですが、覇権といった地政学、あるいは、水資源や宗教的な要素を取り入れるなど、より幅広いアジェンダの提起に成功しているような気もします。しかし、さすがに、結論を明確に提示する点についてはやや物足りない気がします。曖昧な表現で正解率が上がるのかもしれません。ただ、明確な将来像の提示を期待するよりも、そこに至る議論の過程を透明に示している点は評価されるかもしれません。

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次に、大貫美鈴『宇宙ビジネスの衝撃』(ダイヤモンド社) です。著者は宇宙ビジネス・コンサルタントだそうで、私の想像を超えているので、よく判りません。本書の冒頭に、なぜIT業界のビッグビジネスは宇宙事業に参入するのか、という問いが立てられていて、ビッグデータの処理とか、移住計画までが並んでいるんですが、IT以外のビッグビジネスが食指を動かしていそうにない現状については不明です。確かに、宇宙にはまだまだビジネスの、というか、イノベーションのシーズが眠っているような気がしなくもありませんが、ロバート・ゴードン教授にいわせれば「低いところの果実は取り尽くした」、ということなのかもしれませんので、高いところに中にある果実を取りに行くんだろうと私は理解しています。それにしては、とてもコストがかかりそうなのでペイするんでしょうか。そのキーワードはアジャイル開発で、IT業界と同じように走り出しながら考える、ということのようです。役所に勤める公務員の私の想像力には限りがあるのだということを強く実感しました。もうすぐ定年退官ですから、しっかり勉強したいと思います。

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次に、西垣通『AI原論』(講談社選書メチエ) です。著者は情報学やメディア論を専門とする研究者であり、東大名誉教授です。本書では、かつての確率論的なAIから進化した現在のAIについて、機械であるAIに心があるかとか、感情が宿るか、などを考えようとしています。私はこの問題設定は間違いだろうと考えています。すなわち、心とか、感情の定義次第であり、その定義に従った機能を機械に搭載するだけの話ですので、心があるか、とか、感情はどうだと問われれば、そのような機械を作ることができる技術段階に達しつつある、ということにしかなりそうにないんではないでしょうか。そして、現段階では心や感情については解明されておらず、従って、機械にインストールすることが出来ない、ということだと私は理解しています。蛇足ながら、心や感情が完璧に解明されて、従って、機械にインストールされれば、それが新しい人類になって現生人類は滅ぶんだろうと思います。ネアンデルタール人とホモサピエンスのようなものと、私のように理解するのは間違いなんでしょうか?

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次に、稲垣栄洋『世界史を大きく動かした植物』(PHP研究所) です。著者は農学の研究者であり、本書では歴史や世界史のサイドからではなく、植物のサイドから世界史をひもとこうと試みています。取り上げられている植物は順に、コムギ、イネ、コショウ、トウガラシ、ジャガイモ、トマト、ワタ、チャ、サトウキビ、ダイズ、チューリップ、トウモロコシ、サクラの12種であり、コショウのように大航海時代を切り開く原動力となった植物もあれば、もっと地味なものもあります。なお、冒頭のコムギについては、コムギそのものではなく穀物としてのイネ科の植物全体の特徴を取り上げています。ジャガイモの不作がアイルランドから米国への移民を促進した、というのはやや俗説っぽく聞こえますし、オランダのチューリップ・バブルが世界で初のバブルだったのはエコノミストでなくても知っていそうな気もします。職場の井戸端会議でウンチクを語るには好適な1冊ではなかろうかと思います。

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次に、畠中恵『むすびつき』(新潮社) です。この作者の人気のしゃばけシリーズの最新刊第17弾だそうです。この作者の人気シリーズ時代小説は私が読んでいる限り2シリーズあり、妖の登場するしゃばけと登場しないまんまことです。しゃばけは体の弱い長崎屋の若だんな一太郎とそれを守る2人の妖の兄や、すなわち、犬神の佐助と白沢の仁吉を中心に、さまざまな妖が登場します。この巻では、生まれ変わりとか、輪廻転生がテーマとなっていて、長崎屋の若だんなの前世ではなかろうか、という200年くらい前の戦国時代くらいの物語をはじめとし、いつもの通り、ちょっとした謎解きも含めて、色んなお話が展開されます。やや佐助と仁吉の出番が少なく、一太郎も出番も多くはありません。一太郎の両親である藤兵衛とおたえに至っては、まったく顔を見せません。活躍するのは、いつもの鳴家は別格としても、付喪神の屏風のぞきと鈴彦姫、さらに、猫又のおしろと貧乏神の銀次、などなどです。私の出版されれば読むようにしていますが、そろそろマンネリなのかもしれません。どちらかといえば、まだまんまことシリーズの方が私は楽しみです。

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次に、高槻泰郎『大坂堂島米市場』(講談社現代新書) です。作者は経済学部出身の、おそらく、経済史の研究者です。本書では、大坂の米会所が8代将軍徳川吉宗により許可され始まって、さらに、おそらく、世界で初めて先物取引や今でいうデリバティブ取引を始めた歴史を跡づけ、実際に市場における取引と絶対王政に近かった江戸期の幕府権力との関係などが歴史的に分析の対象とされています。当時の「米切手」はコメの現物の裏付けなしに発行され流通しており、その意味では、現在の管理通貨制に近いと考えることができる一方で、歴史的な背景は近代的な自由な資本制ではなく、農奴制ないし封建制の経済構造下でいかにして近代というよりも現代的な裏付けなしの証券が取引されていたのかを、現実にはレピュテーションの面から解き明かそうとしています。江戸幕府やその地方政府である藩、あるいは大坂奉行所などが、極めて現代的な中長期的な取引費用の観点から行動していることがよく理解できます。江戸時代は支配階級として武士が君臨する一方で、本書でも「コメ本位制」と呼ばれているように、武士の経済的基礎はコメであり、コメ価格を高めに維持することが支配階級から要請されており、その意味で、コメの先物取引やデリバティブ取引が位置づけられています。

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最後に、更科功『絶滅の人類史』(NHK出版新書) です。著者は、分子古生物学の研究者であり、本書では、長い長い生物の進化の歴史の中で、ヒトとしては我々ホモサピエンス1種だけが生き残り、その前のネアンデルタール人などが絶滅した要因を解明しようと試みています。決して我々ホモサピエンスの頭脳が優れていて、能力的に優れた種として生き残ったわけではない可能性を示唆しつつ、ホモサピエンスの生存戦略の合理性にもスポットを当てています。私は従来から恐竜が絶滅しなければ、この地球上の生物の王者は何だったのか、おそらく、人類ではなかった可能性も小さくない、と思っているんですが、そこまで深く突っ込んだお話ではありません。未だに、人類がサルから進化したというダーウィン的な進化論を否定するキリスト教原理主義が一定の影響力を持っていて、人種間の偏見が払拭されていない現状にあって、私はこのような進化論的な科学的見方、すなわち、決して現生人類が何らかの意味で「優れている」ために生き延びたわけではない、という観点は重要だと受け止めています。ただ、大量にたとえ話が盛り込まれているんですが、判りにくい上にややレベルが低い気がします。それだけが残念です。

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2018年9月 1日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計7冊!

今週の読者はいつも通り脈絡なく読み飛ばして、以下の計7冊です。すでに図書館を自転車で回って来たんですが、来週も同じくらいの分量を読みそうな予感です。

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まず、鷲田祐一[編著]『インドネシアはポスト・チャイナとなるのか』(同文舘出版) です。著者は一橋大学商学部の研究者ですが、学生などといっしょに執筆にあたっています。対象となる国は明らかにインドネシアなんですが、一橋大学のアジア的雁行形態論の流れの中で、先行する日本や中国との比較も大いに盛り込まれています。すなわち、日本はポストモダンの位置にあり、中国はモダンからポストモダンへの移行期にあり、インドネシアはモダンの最終段階にあることから、西洋的でまだ画一化された安価な大量生産品が売れる、といった見方です。そして、このインドネシアの歴史的な発展段階を米国マサチューセッツ工科大学のハックス教授らの提唱するデルタモデルなる戦略論フレームワークに沿って説明しようと試みています。私は商学やマーケティングは専門外なので、このあたりでボロを出さないうちに終わっておきます。

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次に、小谷敏『怠ける権利!』(高文研) です。著者は大妻女子大学の研究者であり、社会学のご専門ではないかという気がします。本書では、19世紀末に活動したフランスの社会主義者であるラファルグの考えを基本に、1日3時間労働を提唱したり、エコノミストの間では有名なケインズの「わが孫たちの経済的可能性」にも言及しつつ、「過労死」という言葉が世界的に日本語のままで通用するようになった悲しい我が国の労働事情を勘案しつつ、タイトル通りの怠ける権利や1日3時間労働で済ませる方策について考えを巡らせています。そして、最後の方でその解決策のひとつとしてベーシック・インカムが登場します。もともとそれほど勤勉ではないというのもありますが、私も命を失うくらいであれば怠ける方がまだマシな気がします。キリスト教プロテスタント的な勤労の概念に真っ向から反論する頼もしい議論です。

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次に、ジョニー ボール『数学の歴史物語』(SBクリエイティブ) です。著者は、想像外だったんですが、コメディアンであり、テレビ司会者の仕事から数学に興味を持ったようです。ただ、惜しむらくは、確かに数学の歴史を追おうとはしているものの、数学ではない物理学や化学、あるいは、天文学などの分野が大いに紛れ込んでいるほか、ニュートンの時代くらいまでの近代レベルの数学にとどまっています。すなわち、ガウスやリーマン、あるいは、ヒルベルトなどの名前こそ触れられていますが、彼らの業績はまったくスルーされていて、リーマン積分の限界を克服したルベーグ積分については人名すら取り上げられていません。中国の数学にはホンの少しだけ触れていますが、目は行き届いていませんし、やや仕上がりが雑な気がします。

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次に、前川喜平『面従腹背』(毎日新聞出版) です。話題になったモリカケ問題の主管官庁であった文部科学省の次官経験者の半分くらいの自伝です。かなり、忠実にご自身の半生を追っていますが、間もなく定年を迎える私自身の公務員人生を振り返って、こういった人物と仕事していたら、上司であっても、部下であっても、とてもストレスが溜まったのではないか、という気がします。要するに、「面従腹背」とは私のような京都人からすれば、嘘をついている、日会員証です。でも、公務員としてのトップである事務次官まで上り詰めたわけですので、それはそれで不思議な気もします。

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次に、薬丸岳『刑事の怒り』(講談社) です。作者は売れっ子のミステリ作家であり、本書は人気の夏目刑事シリーズ最新刊です。4編の中短編から成り、それぞれのタイトルは「黄昏」、「生贄」、「異邦人」、「刑事の怒り」となっています。冒頭に収録されている「黄昏」だけは、何かのアンソロジーで読んだ記憶がありました。なお、夏目刑事は池袋から錦糸町に異動になり、表紙画像に見られる通り、スカイツリーのあるあたりをホームグラウンドにした捜査活動になります。病院での医療関係者による殺人事件など、場所には関係ないながらも、最近の社会的な事件を背景にした作品も含まれていて、相変わらず、いい出来に仕上がっています。

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次に、筒井忠清『戦前日本のポピュリズム』(中公新書) です。著者は引退したとはいえ京都大学の研究者を長らく務めた近現代史歴史学者であり、歴史社会学の方面の大家です。ここ何年かの米国のトランプ大統領の誕生や英国のBREXIT国民投票、あるいは、ドイツ以外の大陸欧州における反移民を標榜する右翼政党の進出など、ポピュリスト的な政治動向が強くなる中で、新書のタイトル通りに、戦前の我が国のポピュリズムを歴史的にひもといています。すなわち、日露戦争直後の和平を不満とする日比谷焼き打ち事件、朴烈怪写真事件、軍縮交渉に関連した統帥権干犯事件、あるいは、高校でも習うような天皇機関説などなど、最終的に国際連盟を脱退し戦争に突き進んでしまう我が国の政治的なポピュリズムの傾向を歴史的に跡づけています。

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最後に、マージェリー・アリンガム『ホワイトコテージの殺人』(創元推理文庫) です。作者は前世紀初頭の英国ビクトリ女王時代末期1904年に生まれた女性推理作家であり、この作品の舞台は1920年代後半の戦間期の英国です。1928年の出版であり、この作家のデビュー作です。とても評判が悪い、というよりも、誰からも憎まれていて殺人を犯しそうな動機ある人物が周囲にウジャウジャいる悪漢が銃で殺された犯人探しです。動機ある人物がいっぱいいますので、ホワイダニットは成り立ちそうもありませんし、テーブルクロスが焼け焦げていてテーブル上に置かれた散弾銃での殺人であってハウダニットも明らか、ということで、フーダニットだけが成り立つんですが、推理小説の初期作品で、チンパンジーだか何かのサルだかが人の入れない隙間から入り込んで密室殺人を完成させた、というのがありましたが、この作品もそれに近いです。クリスティのレベルの作品を期待して読むとガッカリします。

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2018年8月25日 (土)

今週の読書は統計学の大御所の経済書など計6冊!

今週は標準的に計6冊なんですが、1冊1冊がかなりのボリュームがあって、500ページくらいはラクにありますので、冊数だけからは計り知れない読書量だった気がします。来週はもう少しペースダウンしたいです。

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まず、竹内啓『歴史と統計学』(日本経済新聞出版社) です。東大経済学部教授を退いてもう十数年になり、竹内先生も80代半ばではないかと推察するんですが、まだ統計学の大家であり、雑誌「統計」に今春まで連載されていた50回近いエッセイを取りまとめてあります。実は、私も今週にシェアリング・エコノミーに関して雑誌「統計」から寄稿を求められており、9月半ばには原稿を提出する予定となっているわけで、竹内先生と同じ号に掲載されることはなさそうですが、なかなに光栄なことであると受け止めています。前置きが長くなりましたが、本書は、通常は近代初期とされる統計学の歴史について概観し、古代中国の人口統計や古典古代のローマ帝国の人口センサスまでさかのぼって、詳細なエッセイを展開しています。もちろん、焦点は近代的な統計学、さらには、20世紀に入ってマクロの経済統計、すなわち、GDP統計が大きな位置を占めるようになった統計学が、私のようなエコノミストには読みどころだろうという気がします。他方、統計学史の本流に沿って、前近代における統計学の源流を、国家算術、国情論、確率論の3つとし、国情論は今ではかえりみられなくなったものの、最初の国家算術はまさに人口統計たるセンサスやマクロのGDP統計などで現在にも大いに活用されているとした一方で、確率論の歴史も詳細に展開しています。ですから、本書は横書きで数式が大量に展開されています。それほど難しくはないので、私のような文系人間であっても大学の学部レベルまでキチンと数学を履修していればOKだという気もしますが、私の知り合いの何人かのように大学入試に数学がないという観点で志望校を選択していた向きには少し苦しいかもしれません。加えて、≈ は見かけなかったんですが、≃ と ≅ が区別されているんではないかと思わせる記述がいくつかありましたし、別のパートでは、≒ も使われていたりしました。私はこれらを数学的な正確さでもって区別できませんので、かなり高度な数学が使われているのかもしれません。単なるタイプミスかもしれません。

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次に、牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書) です。著者は経済学部の研究者ですから、あるいは、経済史のご専門、ということになるのかもしれません。タイトル通りの内容なんですが、特に、陸軍の秋丸機関という組織に集まったエコノミストたちを実名を大いに上げて、その人となりまで追った形で、日米英開戦と経済学者の戦争遂行能力分析の関係を考察しています。今までの理解では、秋丸機関をはじめとして、経済学者や実務家はとても冷静に米英と日本の工業品などの生産規模をはじめとする戦争遂行能力の差を定量的に、例えば、製鋼規模の差から20倍という数字がよく取り上げられますが、こういった定量的な数字も含めて、大きな戦争遂行能力の差があることから、開戦は無謀な行為であり、陸軍をはじめとする軍部が精神論で生産規模などの差を乗り越えられるというムチャな理論を振り回して専門家の意見を無視したんではないか、と考えられてきました。かなりの程度にそれは正解なんでしょうが、本書では、トベルスキー・カーネマンによるプロスペクト理論に基づく行動経済学的な損失回避行動とか、フランコ将軍の独裁下で戦争を回避したスペインと対比させつつ集団的な意思決定における集団極化ないしリスキーシフトの2点で説明しようと試みています。私自身エコノミストとして、どこまで説得的な議論が展開されているのかはやや疑問なんですが、一定の方向性が示されたのは興味深いところです。こういった見方が展開されているのは5章で、これが本書の核心たる部分で読ませどころなんでしょうが、7章の敗戦を見通しての戦後処理の政策策定過程におけるエコノミストの活躍も、私にはとても新鮮でした。連合国が戦後を見通して国連創設を決めたり、あるいは経済の分野ではブレトン・ウッズ会議でIMF世銀体制を戦争抑止力の一環として構築したりといった点は人口に膾炙しているものの、我が国で戦争終了を見越した経済政策策定がなされ、それが戦後の傾斜生産方式につながった、という歴史は不勉強な私は初めて知りました。

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次に、佐々木裕一『ソーシャルメディア四半世紀』(日本経済新聞出版社) です。著者は東京経済大学のコミュニケーション学部の研究者であり、本書はタイトル通りであれば、1990年代前半から現時点の25年間、ということになりますが、実際に重点を置いているのは2001年以降です。この点は理解できます。そして、この期間における、著者のいうところの「ユーザーサイト」の動向を歴史的に跡付けています。第1部は2001年であり、まさに、私のような一般ピープルが情報発信の場を持った、というきっかけです。それまでは、自費出版などという方法がなくもなかったわけですが、大きなコストをかけずに自分なりの情報をインターネット上で発信できるようになった、という技術進歩は大きかった気がします。我が家のようなパッとしない一家でも、2000年から海外生活を始めましたので、ジャカルタ生活の折々にちょうど幼稚園くらいのカワイイ孫の姿を私の両親などに見せるため、無料のwebサイトを借りて、これまたフリーのftpソフトでデジカメ画像をアップロードしていました。ただ、2001年は米国などでのいわゆるドットコム・バブルの崩壊があり、景気は低迷しました。第2部は2005年であり、私の記憶でも、2003年に帰国した後、2003-04年ころからmixiやGREEなどのSNSサイトが本格的にスタートし、ブログの無料レンタルも始まっています。私のこのブログの最初の記事は2005年8月ではなかったかと記憶しています。そして、この2005年の後にネットの商業化が大規模に始まります。我が国でいえば、楽天や当時のライブドアといったところかもしれません。第3部の2010年からはオリジナルの情報発信としては最盛期を迎え、その意味で、ユーザーサイトにおける情報発信は衰退が始まったと結論しています。一例として、ツイッターでのフォローに終始するケースが上げられています。第4部が2015年、そして最終第5部が2018年から先の未来のお話しですから、ユーザーサイトの運営や閲覧がパソコンからスマホに移行し、独占が寡占始まって格差拡大につながった、と指摘しています。とてもコンパクトなユーザーサイトの歴史の概観で、かなりの程度に性格でもあるんですが、ひとつだけ個人情報をマーケティングに生かすという点で、日本企業は決定的に米国のGoogle、Amazon、Facebook、Appleなどに後れを取ったわけで、エコノミストとしては、その点の分析がもう少し欲しかった気もします。

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次に、佐藤卓己『ファシスト的公共性』(岩波書店) です。著者は、メディア史を専門とする京都大学の研究者です。教育学部教授らしいんですが、私は我が母校の教育学部出身者に関しては、小説家の綾辻行人のほかには1人しか知りません。メディア史といった分野は文学部かと思っていました。それはともかく、本書のタイトルはとても判りにくくて、というか、「ファシスト」の部分はともかく、「公共性」のて定義次第であり、本書ではハーバーマスの定義を引いて「輿論/世論を生み出す社会関係」、というやや一般には見かけない定義を与えています。普通、「公共性」といわれれば、公共的という形容詞の名詞形、あるいは、公共的なること、すなわち、広く社会一般のみんなの利害にかかわる性質とか、その度合い、という意味で使うんですが、まあ、そこは学術的に定義次第です。さらに脱線気味に、本書の著者は、一般に「国家社会主義」と訳されるナチズムについて、「国民社会主義」が正しいと主張しています。ナチズムは、本来ドイツ語ですが、英語的に表現すれば、national socialism ということになろうかと思いますが、これは「国民社会主義」であり、state socialism こそが「国家社会主義」に当たる、ということらしいです。はなはだ専門外のエコノミストにとっては、よく判りません。ということで、実は上のカバー画像に見られるように、副題は『総力戦体制のメディア学』となっていて、この方がよっぽど判りやすい気もします。ただ、時期的にも長い期間に渡る著者の個別の論文や論考を取りまとめて本書が出来上がっていますので、やや統一性には難があると見る読者は少なくなさそうな気がします。細かい点では、日本語に対応する言語を付加している場合、章ごとにドイツ語だったり、英語だったりします。戦争遂行のためのメディアの役割については、米国ローズベルト大統領のラジオを通じた炉辺談話が有名なんですが、ナチス下のドイツや米国のように、積極的に戦争遂行に邁進する国民の意識の積極的な鼓舞ではなく、我が国では反戦思想を体現した表現の自由を奪うという形での消極的な取り締まり体制の強化だったわけで、その違いを浮き上がらせています。そして、著者は、理性的討議にもとづく合意という市民的公共性を建て前とする議会制民主主義のみが民主主義ではなく、ナチスの街頭行進や集会、あるいは、ラジオの活用による一体感や国民投票により、大衆が政治的公共圏への参加の感覚を受け取り、近代初頭の19世紀とは異なる公共性を創出した、と結論しています。現代のポピュリズムについて考える際にも参考になりそうな気がします。

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次に、メリー・ホワイト『コーヒーと日本人の文化誌』(創元社) です。著者は米国ボストン大学の文化人類学の研究者であり、トウキョウオリンピック直前の1963年に初来日したといいますので、かなりの年齢に達しているんではないかと想像しています。英語の原題は、上の表紙画像に見られる通り、Coffee Life in Japan であり、ロナルド・ドーアの名著 City Life in Japan を大いに意識したタイトルとなっています。原書は2012年の出版です。ということで、本書は日本におけるコーヒー飲用の文化について解き明かしています。ただ、日本全国津々浦々というわけでもなく、基本的に都会限定です。しかも、ほぼほぼ東京と京都だけに限られているようで、あとはせいぜい関西圏の大坂と神戸、加えて名古屋くらいが対象とされているに過ぎません。さらに、コーヒー飲用とはいっても、家庭での飲用ではなく、お店、すなわち、カフェや純喫茶におけるコーヒー文化に焦点を当てています。本書冒頭には歴史を感じさせる写真や挿絵がいくつか収録されており、中にもかなり多くの部分は京都にあるカフェや喫茶店の写真が取り入れられています。日本のコーヒーの歴史から解き明かし、コーヒーが供される場所としてのカフェや喫茶店におけるしきたりやマナーについて、やや過剰なバイアスを持って紹介し、そのしきたりやマナーの源泉となっている喫茶店マスターについて論じ、日本のコーヒー文化について考察し、結論として、我が国ではコーヒーを供する場としての喫茶店やカフェは「公共」と邦訳されていますが、まさに、英語でいうところのパブリックな場所として位置付けられています。ですから、米国人の著者にはやや過重な期待かもしれませんが、英国のパブに当たる場所が日本の喫茶店かもしれない、という着眼点はありません。私はそれに近い感想を持っています。

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最後に、三浦しをん『ののはな通信』(角川書店) です。電子文芸誌での6年に及ぶ連載が単行本として出版されています。著者は直木賞や本屋大賞も受賞した売れっ子の小説家であり、私の好きな作家の1人でもあります。著者は横浜雙葉高のご出身ではなかったかと記憶していますが、本書では、横浜のミッション系女子高に通う2人の友人の間の、基本的には、高校の授業中に回したメモやハガキの類も含めて、アナログの手紙や電子メールのやり取りの形でストーリーが進みます。タイトル通りの「のの」こと野々原茜と「はな」こと牧野はなが主人公です。堅実ながら決して経済的に恵まれた家庭に育ったわけではないののが成績優秀で東大に通ってライターになる一方で、はなは外交官一家に生まれて海外生活を経験して、ごく平凡な大学を卒業した後に外交官と結婚します。単なる親友にとどまらず、レズビアン的な恋愛関係も芽生え、別れと出会いを繰り返しながら、最後は、はながアフリカの赴任地が内戦で帰国する外交官の亭主と離婚してまで現地に残ってボランティア活動に身を投じます。主人公2人以外は、ののの家族はほとんど出て来ませんし、はなの家族も結婚後の亭主と妹が少し登場するくらいで、とても濃密な女性2人の関係が描き出されます。やや男性には理解しにくい世界かもしれません。バブル経済を謳歌していた女子高生時代に始まって、東北で震災のあった2010年代初頭の主人公たちの40代まで、極めて長い期間を対象にした小説でもあります。ですから、私の好きな著者の青春小説、すなわち、デビュー作の『格闘するものに◯』や『風が強く吹いている』とは趣が異なります。でも、ファンは読んでおくべきだと私は思います。

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2018年8月18日 (土)

今週の読書はやや抑え気味に計5冊!

今週の読書は、やや抑え気味に、経済所や小説も含めて、計5冊、以下の通りです。来週も少し抑える予定です。

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まず、福田慎一[編]『検証アベノミクス「新三本の矢」』(東京大学出版会) です。編者はマクロ経済を専門とする東大経済学部教授であり、すでに退職した吉川教授とともにマクロ経済分析の第一人者といえます。ただ、福田教授の場合は、もともとのオリジナルのアベノミクスの三本の矢に対しては批判的な見方を展開していて、本書で取り上げている新三本の矢については、その意味ではやや肯定的な取り上げ方ではないかという気もします。どうして新三本の矢が福田教授の評価を得たかというと、要するに、福田教授の好きな構造改革に近いからです。すなわち、名目GDP600兆円の強い経済はさて置き、希望出生率1.8を目指す子育て支援、さらに、介護離職ゼロを目指す社会保障改革については、かなり構造改革の色彩が強くなる、という見方なんだろうと思います。私はオリジナルの三本の矢、特に最初の矢である金融政策を高く評価しており、かなり方向性が違います。成長戦略などの構造改革は潜在成長率を高めることにより、少し前までの日本経済に漂っていた閉塞感の打破に役立つと、素直に考える向きは少なくありませんが、現状の人手不足経済の中でどこまで有効でしょうか。私には疑問のほうが大きく感じられます。

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次に、W. チャン・キム & レネ・モボルニュ『ブルー・オーシャン・シフト』(ダイヤモンド社) です。かなり前にこの著者から『ブルー・オーシャン戦略』という本が出されていますが、その実践編、というか、続編であることは明らかです。コモディティ品で溢れて、血に泥の競争を繰り広げているレッド・オーシャンから、独自製品や新たな市場開拓による競争のないブルー・オーシャンへのシフトを眼目にしているわけですが、基本的に、ブルー・オーシャンを開拓できる企業はとても限られていると私は見ていて、ハッキリいって、本書のお題目は非現実的です。当然ながら、本書を読んだ経営幹部がすべてブルー・オーシャンにシフトできる、と考えるのは控えめに言ってもバカげています。本書のようなサクセス・ストーリーに着目したケーススタディを展開しているような経営本を読むにつけ、その反対側で数百倍、数千倍の失敗例が山を成しているという事実を忘れるべきではありません。むしろ、うまくブルー・オーシャンにシフトした例と失敗した例を並べて分析するほうが役立ちそうな気もします。現自社社会の経営幹部にとって、ほとんど何の役にも立たない本ではないか、と私は考えています。すなわち、実際の企業経営で活用するというよりも、むしろ、シミュレーションゲームのシナリオの基にする方ががまだ本書の使い道がありそうな気がします。4次元ポケットから取り出したドラえもんの道具で経営改革を進めましょう、と主張しているに近いという受け止めです。

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次に、ニック・トーマン & マシュー・ディクソン & リック・デリシ『おもてなし幻想』(実業之日本社) です。タイトルだけを見れば、我が国のおもてなしについて批判しているような見方が成り立つんですが、広い意味でそうつながらないでもないものの、本書で主として強調しているのは、カスタマーサービスを強化しても、顧客のロイヤリティは飽和点がかなり低く、カスタマーサービスの限界生産性はすぐにゼロに達する、従って、別の観点から顧客のロイヤリティを維持ないし引き上げる努力が必要、という議論を長々と展開しています。ですから、BtoBにせよ、BtoCにせよ、顧客と直接接するカスタマーサービス部門、ないし、日本的な表現をすればクレーム処理部門のお仕事に焦点が当てられており、それ以外の製造や研究開発や、もちろん、経理や人事と行った管理部門などはまったく関係がありません。そして、カスタマーサービスとして、顧客に積極的に働きかけるよりも、むしろ、顧客自身が選択を可能にするようなシステムが推奨されています。例えば、クレームとか何らかの問い合わせなどにおいては、オペレータによる電話対応ではなく、webサイトにおける決定樹などに基づくソリューションの提供などです。ただ、私自身の評価として、こういったカスタマーサービスは、日本のおもてなしが典型で、プライシングに失敗しているんではないか、という気がしています。レベルの高いおもてなしであれば、それ相応の料金をちょうだいすべきであり、無料で提供すれば効用が高まるのは当然ですから、評価も得やすくなります。顧客にどこまで評価されるかに従った価格付を放棄して無料ないし割に合わない低価格でサービスを提供しているんではないか、と私は疑っているわけです。我が国のデフレの一員である可能性も排除しません。

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次に、バラク・クシュナー『ラーメンの歴史学』(明石書店) です。英語の原題は Slurp! であり、音を立ててすすって食べる、くらいの意味かと思います。邦訳タイトル通りに、ラーメンに大きな焦点を当てつつも、日本の食文化を幅広く取り上げており、それも、家庭における食文化ではなく、外食の食文化です。ですから、実質的に、日本で料理屋などが広く普及し始めたのが江戸期のそれも徳川吉宗将軍くらいからではないかといわれていますので、それほど長い歴史をたどるわけではありません。しかも、我が国の食文化の場合、諸外国からの影響をかなり強く受けており、中国や朝鮮は言うに及ばず、てんぷらはもちろん、明治期以降のカレー、そして、本書で焦点をあてている昭和期以降くらいのラーメンもかなり外来文化の色彩を有していることは明らかでしょう。ただ、てんぷら、刺し身、寿司といった食文化の中のハイカルチャーに対して、おそらく、カレーやラーメンは、牛丼などとともにサブカルの位置を占めますから、中国由来のラーメンを取り上げるのであれば、インド由来のカレーについてももっと着目して欲しかった気もします。でも、外食のラーメンとともに、家庭食のインスタント・ラーメンに着目したのは秀逸な視点だと私は受け止めています。

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最後に、戸谷友則『宇宙の「果て」になにがあるのか』(講談社ブルーバックス) です。著者は、どちらかといえば、理論物理の専門家ですが、宇宙の果てについてかなり専門的な議論を紹介しています。もちろん、空間的な宇宙の果てだけでなく、時間的なビッグバンの始まる前の宇宙についても十分に考慮されています。それにしても、私のようなエコノミストの目から見て、100年経っても何らゆるぎを見せないアインシュタインの相対性理論というのは、とてつもなく立派な理論構造をしているのであろうと想像され、同時に、実証の結果に支えられていることも想像され、経済学なんぞという貧素な科学と対比するにつけ、物理学の学問体系の広さと堅牢さに驚くばかりです。そして、その相対性理論と量子理論に基づく現代宇宙論が本書では展開されています。ただ、ダークマターとダークエネルギーのいい加減さ、不透明さ、アドホックさについては、まだまだ物理学にして解明すべき課題が多く残されている、と感じてしまいました。

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2018年8月17日 (金)

夏休みの米国短編ミステリ集の読書やいかに?

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お盆休みの週に、米国とカナダの短編ミステリ集を3冊ほど読みました。各巻20話を収録し2段組で600ページ近いボリュームで、収録作品は以下の通りです。

  • ジェフリー・ディーヴァー[編]『ベスト・アメリカン短編ミステリ』(DCH)
    1. 錆の痕跡/N.J.エアーズ
    2. 復讐人へのインタビュー/トム・ビッセル
    3. 勝利/アラフェア・バーク
    4. ビッグ・ミッドナイト・スペシャル/ジェイムズ・リー・バーク
    5. ビーンボール/ロン・カールソン
    6. 父の日/マイクル・コナリー
    7. かわいいパラサイト/デイヴィッド・コーベット
    8. それまでクェンティン・グリーは/M.M.M.ヘイズ
    9. 2000ボルト/チャック・ホーガン
    10. 狂熱のマニラ/クラーク・ハワード
    11. 懐かしき青き山なみ/ロブ・カントナー
    12. 俺の息子/ロバート・マックルアー
    13. フリーラジカル/アリス・マンロー
    14. 愛する夫へ/ジョイス・キャロル・オーツ
    15. お尋ね者/ニック・ピッソラット
    16. カミラとキャンディの王/ギャリー・クレイグ・パウエル
    17. 切り株に恋した男/ランディ・ローン
    18. Gメン/クリスティン・キャスリン・ラッシュ
    19. 水晶玉/ジョナサン・テル
    20. 砂漠/ブー・チャン
  • ハーラン・コーベン[編]『ベスト・アメリカン短編ミステリ』(DCH)
    1. 大胆不敵/ブロック・アダムス
    2. きれいなもの、美しいもの/エリック・バーンズ
    3. 清算/ローレンス・ブロック
    4. が俺のモンキーを盗ったのか?/デイヴィッド・コーベット & ルイス・アルベルト・ウレア
    5. パトロール同乗/ブレンダン・デュボイズ
    6. ハイエナのこともある/ローレン D.エスルマン
    7. 彼の手が求めしもの/ベス・アン・フェネリー & トム・フランクリン
    8. 人生の教訓/アーネスト・J・フィニー
    9. 単独飛行/エド・ゴーマン
    10. 運命の街/ジェイムズ・グレイディ
    11. 殺し屋/クリス F.ホルム
    12. 名もなき西の地で/ハリー・ハンシッカー
    13. 幼児殺害犯/リチャード・ラング
    14. 星が落ちてゆく/ジョー R.ランズデール
    15. ジ・エンド・オブ・ザ・ストリング/チャールズ・マッキャリー
    16. ダイヤモンド小路/デニス・マクファデン
    17. 最後のコテージ/クリストファー・メークナー
    18. ハートの風船/アンドリュー・リコンダ
    19. チン・ヨンユン、事件を捜査す/S.J.ローザン
    20. 死んだはずの男/ミッキー・スピレイン & マックス・アラン・コリンズ

  • リザ・スコットライン[編]『ベスト・アメリカン短編ミステリ 2014』(DCH)
    1. 覆い隠された罪/トム・バーロウ
    2. 細かな赤い霧/マイクル・コナリー
    3. 重罪隠匿/オニール・ドゥ・ヌー
    4. 写真の中の水平/アイリーン・ドライヤー
    5. 後日の災い/デイヴィッド・エジャリー・ゲイツ
    6. 道は墓場でおしまい/クラーク・ハワード
    7. 越境/アンドレ・コーチス
    8. イリノイ州リモーラ/ケヴィン・ライヒー
    9. シャイニー・カー・イン・ザ・ナイト/ニック・ママタス
    10. 漂泊者/エミリー・セイント・ジョン・マンデル
    11. ケリーの指輪/デニス・マクファデン
    12. 獲物/マイカ・ネイサン
    13. いつでもどんな時でもそばにいるよ/ジョイス・キャロル・オーツ
    14. 電球/ナンシー・ピカード
    15. 弾薬通り/ビル・プロンジーニ
    16. インディアン/ランドール・シルヴィス
    17. 彼らが私たちを捨て去るとき/パトリシア・スミス
    18. シナモン色の肌の女/ベン・ストラウド
    19. 二つ目の弾丸/ハンナ・ティンティ
    20. 束縛/モーリーン・ダラス・ワトキンス

ミッキー・スピレインの遺稿もあれば、マンローやオーツのような短編の名手、というよりも、ノーベル文学賞クラスのビッグネームも収録されている一方で、ほぼ新人に近いような無名の作家もいます。中身も、クイーンやクリスティのような本格的な謎解きのミステリもあれば、編者のディーヴァーの言葉を借りれば、「文学的」なミステリ、あるいは、ミステリというよりもホラーに近い作品などなど、さすがに幅広く収録されている印象です。夏場のヒマ潰しにはピッタリかもしれません。

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2018年8月11日 (土)

今週の読書は経済書を中心に計8冊!!!

今週も頑張って、経済書を中心に以下の通りの計8冊です。ただ、来週は日本的にはお盆の夏休みウィークですので、少し読書はペースダウンし、『ベスト・アメリカン・短編ミステリ』のシリーズなどの肩の凝らない読書にも手を付けたいと考えています。

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まず、ケネス・シーヴ & デイヴィッド・スタサヴェージ『金持ち課税』(みすず書房) です。英語の原題は Taxing the Riches であり、著者はどちらも米国の大学に在籍する研究者ですが、経済学を専門分野とするエコノミストではありません。政治学の教授職を務めています。ですから、効率性を考える経済学者と違って、社会的なコンセンサスの形成の観点からタイトルにあるような富裕層に対する課税を歴史的に分析しています。日本も含めて、西欧や北米などの20か国の所得税と相続税のデータベースを作った上での分析のようです。そして、大雑把に、私が読んだところの結論は、戦争や武力紛争に対する人的貢献を勘案して、貢献した層に税を免除ないし軽課して、それを逃れた層に課税する、というのが正当化されたのが、20世紀に入って第1次世界大戦前後から第2次世界大戦終了後の1950~60年代くらいまで、の歴史的な考察の結果ではないか、という気がします。もっとさかのぼれば、日本と違って、西欧では貴族とは騎士であって戦争や武力紛争の矢面に立つ階層ですから、その観点から無税の恩恵に浴していた可能性を示唆しています。そして、20世紀の大きな戦争においては国民皆兵の徴兵制が敷かれた一方で、富裕層は徴兵から逃れる確率が高く、戦争に人的貢献をしなかった階層、すなわち、富裕層への累進課税が公正と見なされて正当化された、という結論のように私には読めました。逆から見て、明記はされていませんが、ベトナム戦争が終了した後の1980年ころから現時点までの半世紀近くは、大きな武力衝突もなく富裕層への累進課税の正当性が弱まった、という見方なのかもしれません。そして、この累進課税の正当性の弱体化を背景に不平等や格差の広がりが見られる、という結論を導こうとしているようにすら見えます。確かに、1980年前後は英米でサッチャー政権やレーガン政権が成立した時期であり、現在までの不平等や格差の広がりの起点と考えるエコノミストも少なくないんですが、私の見方からすれば、少し疑問なしとしません。

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次に、武者陵司『史上最大の「メガ景気」がやってくる』(角川書店) です。著者は大和総研からドイツ証券のエコノミストを務めた経験があり、ご本人は本書の中で経済予測を当てたと自慢していますが、個別には指摘しないものの、外した経済予測もかなり多いと私は認識しています。本書では、人生100年株価10万円をキャッチフレーズに、我が国経済、というよりも我が国株価の黄金時代が来ると予測しています。もちろん、経済学らしい科学的な予測ではなく、希望的観測も含めた著者ご自身の直感的な予測です。ですから、検証は可能ではありませんし、逆から見て反論も難しい、という面があります。ただ1点だけ、企業が溜め込んだ利益=キャッシュを生産性に応じて従業員に還元する、というのが日本株価の黄金時代を迎える1つの条件になっているんですが、それには私も同意します。悲しくも、能力低い館長エコノミストとして、それを実現する政策手段を見出だせないだけです。本書について、ある意味では偏った見方、と受け止める向きもあるでしょうし、宗教的な信仰の対象のように有り難い見方と考える投資家もいそうで、私には評価の難しいところですが、すでに一線を引退したエコノミストですから、激しくポジション・トークを展開しているようにも思えず、ただ、タイトルに典型的なように、一般読者の目に止まりやすいような工夫は見受けられます。さすがに、「キワモノ」とまではいいませんが、角川書店の出版物って、こんなでしたっけ、というのが私の感想です。図書館で借りて、1時間半から2時間くらいの時間潰しには有益そうな気もします。新幹線で東京と大阪の片道相当の時間です。大きさもかさばらずに手軽に持ち運べます。

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次に、ジャック・アタリ『新世界秩序』(作品社) です。著者はご存じの通り、現在の世界のトップクラスの頭脳の1人であり、フランスのマクロン大統領の生みの親、とまで称されているエコノミスト、有識者です。私の記憶が正しければ、ミッテラン社会党政権期に頭角を現したので、やや左派系ではないか、という気もしますが、それほど自信はありません。ということで、中世の終了から第交易期ころから歴史的な見方を交えて、世界的な秩序や権力あるいは統治機構に関する見方を披露し、先行きの方向性を示唆しています。19世紀は大英帝国によるパクス・ブリタニカ、20世紀は米国によるパクス・アメリカーナが支配的であった一方で、最近では、欧米におけるポピュリズムの台頭、典型的には英米でのトランプ政権の成立とBREXIT国民投票の成立、フランスでの国民戦線の台頭などが見られ、経済的にはグローバル化が急速に進んで国境を超えた経済活動を行う多国籍企業を民族国家の政府が制御しきれず、米国の孤立化や内向き政策とともに紛争地域でのテロ集団の跋扈が見られたり、などなど、カオス化とまで表現すると行き過ぎかもしれないものの、世界の経済社会の不安定性が増しているように見えるんですが、それに対して、世界的な秩序の形成や権力あるいは統治機構のあり方などを本書で歴史的な見方も交えながら展開しています。前著の『2030年ジャック・アタリの未来予想』などでもそうだったんですが、底流には世界政府の建設への流れなどが設定されているように感じられてなりません。現時点ではかなり空想的な構想としか受け止められませんが、世界政府の実現とそのガバナンスによってしか世界の秩序が保たれない、というのはやや米国の力を過小に見ているような気がします。何かの本で読んだ記憶がありますが、西アフリカでエボラ出血熱が発生した際、10億ドル単位の予算を当てて3,000人の軍隊を派遣し、その鎮圧が出来るのは米国くらいしか私は思い浮かびません。その米国の地位が低下して中国やあるいは他の国がこういった世界秩序の維持に取り組めるとは、私にはとても思えないんですが、単なる想像力が貧困なのかもしれないと反省も同時にしています。

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次に、三菱UFJトラスト投資工学研究所『実践金融データサイエンス』(日本経済新聞出版社) です。ネット検索でヒットしなかったんですが、この投資工学研究所からはその昔にも何冊か、あるいは、1冊だけこういった本が出ていて、私は地方大学に出向していた折に入手して読んだ記憶があります。中身はすっかり忘れました。本書ではビッグデータが利用可能となった現時点で、その膨大なデータをテキスト・マイニングも含めて、いかに投資情報として活用するか、という観点で編まれています。すなわち、資産運用や金融におけるリスク管理や金融マーケティングなどのデータ分析業務がビッグデータの利用可能性の高まりにより、どのように変わってきたのかを概観しつつ、これらのデータを活用することでどのような知見が得られ、どのように金融に活用できるのかを解説しています。具体的には、有価証券報告書のテキストからデータを抽出し、企業間の関係情報をビジュアル化する手法、ある企業に生じた何らかのショックが取引先のみならず幅広い関連企業の株価に与える影響の速度の分析、米国連邦公開市場委員会のステートメントなどの文書が何を話題にしているのかを機械にテキスト分析させ米国金融政策の今後の方向性などの見通しをスコア化する手法、政府・中央銀行・マスメディア・民間エコノミスト・市場関係者に加えて、一般人も含めて各種の市場関係者が発信する多種多様なデータを統合し、ナウキャスティングなどのマクロ経済分析、すなわち、経済環境のリアルタイム評価を行う手法、などなど金融工学的な手法の紹介や、その実践も含めて、かなり平易に解説を加えています。もっとも、冒頭に各章別の難易度のグラフがあり、第6章の難易度が高いのが見て取れます。

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次に、渡辺由美子『子どもの貧困』(水曜社) です。著者はNPO法人を主宰しており、特に、子供達の学習教育に大学生などのボランティアを動員して無料塾タダゼミの活動を行っているそうです。本書にもある通り、まず、現代の貧困は社会一般から見えにくくなっていることに注意が必要です。普通のオシャレな服装でスマホを持ってマクドナルドで友達と外食している子供が貧困家庭かもしれない、という現実があります。昔のようにボロを着ておなかを空かせているわけではない、ということです。従って、貧困バッシングや自己責任論のはびこる温床があります。スマホを諦めて教育費の足しにすればいいんではないか、という議論です。それを本書の著者は否定しています。社会的に必要な最低限の生活に含まれる可能性が示唆されている、と私は考えています。続いて本書では、著者の活動の背景にある我が国の教育予算の少なさを指摘します。すなわち、本書の読者の疑問は、貧困家庭の子供に対してタダゼミなどの活動で応えるんではなく、学校教育の充実が本筋ではないか、と考える読者は少なくないかもしれません。でも、我が国教育予算が先進国の集まりであるOECD平均よりも、GDP比で▲1%超も少ないわけですから、巷間指摘されている通り、先生方は大忙しで子供に十分対応する時間的な余裕もなく、学校教育を補完する何らかの学習機会を提供することは十分に意味あることだと私は理解しています。そして、貧困の連鎖、すなわち、親から子へと貧困が受け継がれるのを防止するには教育が決定的に重要な役割を果たします。それほどボリュームのないパンフレットのような本書ですが、子どもの貧困や学習による貧困からの脱出などを考える上で、多くの方に手に取って読んでもらいたくなる良書です。

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次に、北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房) です。著者は高校の世界史教師から、現在は大学の研究者になっています。タイトルにもなっているグローバル・ヒストリーとは、個別の地域や国を独立に取り上げるのではなく、ネットワークでつながった世界全体を対象とする歴史の見方です。ですから、現在の通常の歴史書でもそうかもしれませんが、コロンブスに発見されるまで米州大陸は登場しませんし、アフリカも欧州諸国に植民地化されるまで、歴史に出現することはほとんどありません。私の高校時代は社会科では日本史と世界史に歴史は分かれていましたが、グローバル・ヒストリーでは通史となっています。ネットワークという観点からは交易が重視されますから、例えば、その昔は大航海時代と称していた大交易時代、すなわち、中世末期ないし近代からの歴史に重点が置かれているきらいはありますが、それ以前のモンゴルによる世界帝国成立などもしっかりと把握できるように考えられています。そして、十字軍は宗教的な意味合いを薄れさせ交易のネットワーク拡大の機会と見なされたりします。確かに、コンスタンチノープルに攻め込んだ第4回十字軍などはその通りでしょう。最後に、私の直観では、その昔に「極東」という言葉がありましたが、日本は世界の極東に位置する島国なんだということが実感されます。高校レベルで読める教養書です。

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次に、ジョン・チェニー=リッポルド『アルゴリズムが「私」を決める』(日経BP社) です。著者は米国の大学の研究者であり、デジタル市民権、アイデンティティーとプライバシー、監視社会などの研究を専門としています。それから、最後に先週の読書感想文で取り上げた『さよなら、インターネット』の著者である武邑教授が解説を寄せています。英語の原題は We Are Data です。ということで、私も含めて我々人類の一員は、何らかの属性を有しており、それをデータであるということも可能です。例えば、個人情報を羅列して、氏名、生年月日、住所、電話番号、血液型、といったデータがあれば個人を特定できるでしょうし、DNAが判ればさらにバッチリです。ただ、こういった個人情報は決定論的な情報=データであり、本書で取り上げているようなGoogleやFacebookといったネット企業が保有しているビッグデータをはじめとした個人情報は、もっと確率的です。本書にもある通り、ネットに対してかくかくしかじかの接し方をする個人は男性である確率が80%、ということです。性別が判りやすいので例に取ると、女性用の下着をネットショップで買ったり、最新の口紅の流行色を検索したりすると、女性と判断される確率が高まる、といったことです。ただ、先週取り上げた『さよなら、インターネット』と本書が違っているのは、武邑教授がネット企業が個人情報を企業の収益最大化に用いていて、本来、というか、別の向きであるソーシャル・キャピタル、あるいは、グラミン銀行のようなソーシャル・ビジネス向けに活かされていない、という観点が本書では希薄です。もっぱら、プライバシーの保護という、私にとってやや疑問の残る観点からの議論に終始しているような気がします。もちろん、デジタルな個人情報は、アナログな個人情報が本とかプリントアウトされた紙媒体となって、図書館などの隅っこで朽ち果てることなく、いつまでもネット上に残って、放りおかれる権利や忘れ去られる権利が十分でない、という指摘は私もその通りだと思います。

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最後に、海保博之『心理学者が教える読ませる技術聞かせる技術』(講談社ブルーバックス) です。心理学の大御所が冒頭に皮肉っぽく引用した判りにくい文章や言語表現を示しつつ、どうすれば判りやすくなるか、について認知心理学の知見をフル活用して解説しています。基本は取扱説明書の判りやすさを基にしているんでしょうが、それにとどまらず、会議での提案、学会発表、講演、道の案内板、上司の指示、コンピュータからのメッセージ、大学の教科書などなど、さまざまな例題、あるいは、質問も盛り込まれており、親切で丁寧な仕上がりになっています。私のような一般ピープルでも、このようなブログなどで情報発信の機会が持てるデジタル社会で、巷にあふれるかえる情報の中で、自分の発信する文章をどうしたら読んでもらえるか、あるいは、言葉を聞いてもらえるか、に対する大きなヒントになりそうです。でも、頭では判っていても、実際に実践するのは難しいかもしれません。私も反省の毎日です。

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2018年8月 5日 (日)

今週の読書は歴史書を中心に計7冊!

先週は、それほど経済書は読まず、話題の歴史書を中心の読書でした。以下の7冊です。今週も昨日の日経新聞の書評欄で取り上げられていた『金持ち課税』など、経済書を中心に数冊借りて来ています。また、そろそお盆休みですので、夏休みには『ベスト・アメリカン・短編ミステリ』のシリーズを読もうと、すでに手元に借りて来たりしています。

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まず、関辰一『中国経済成長の罠』(日本経済新聞出版社) です。著者は日本総研のエコノミストであり、中国出身のようです。本書では、中国経済の現状を日本のバブル期と極めてよく似た状況と分析し、日本のようなバブル崩壊とは表現していませんが、p.46にて「中国で5年以内に景気失速が見られる可能性は40%」としています。私はブレマー称するところの国家資本主義であろうとも、5年以内の中国の景気後退入りならもっと確率が高そうな気もしますが、繰り返しになるものの、決して「バブル崩壊」という表現は使っていません。日本ではモラル・ハザードもさることながら、いわゆる「土地神話」によりユーフォリアが形成された面があるんですが、中国では国営企業に対する救済措置の存在がモラル・ハザードとなって過剰なリスクテイクを生じる可能性を本書では指摘しています。ただ、解明されていない点もあり、それは、中国のような国家資本主義に関して先進国と同様な資本主義観で評価していいのかどうか、という点です。著者は無条件で先進国並みの資本主義観、例えば、モラル・ハザードや中央銀行の独立性などを肯定しているように私には読めましたが、国家資本主義の中国で同じ評価基準が適用できるのかどうか、そこはもう一度振り返って考える必要があるかもしれません。

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次に、ジャレド・ダイアモンド & ジェイムズ A. ロビンソン『歴史は実験できるのか』(慶應義塾大学出版会) です。歴史学や社会科学については、ランダム化比較試験(RCT)を行うことが出来ないか、極めて困難なため、いわゆる自然実験のようなケースを利用することがありますが、本書は歴史学だけでなく、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学など幅広い専門家たちが、それぞれのテーマに基づいて自然実験の手法により比較史を分析した論文を集めています。すべてが興味深い研究成果なんですが、特に、ダイアモンド教授による第4章のイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国の比較、さらに、アセモグル教授等による第7章のドイツにおけるナポレオンによる制服地域と非征服地域の比較が、私のようなエコノミストから見て判りやすかった気がします。もちろん、それ以外の論文についてもかなりの水準に達しており、別の観点から、これだけ多彩な研究内容を、自然実験というテーマで横ぐしを刺して統一感を持たせ、一冊の読み物としてまとめあげた編者の力量には恐れ入ります。出版社から考えても、完全な学術書です。読みこなすには歴史学などのそれなりのリテラシーが必要です。

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次に、デイヴィッド W. アンソニー『馬・車輪・言語』上下(筑摩書房) です。著者は米国の考古学者であり、原著は2007年の出版です。本書では、基本的に前文明史の考古学について、日本語のようなウラル・アルタイ系の言語ではなく、印欧語族というグループを分析の中心に据えて、ポントス・カスピ海ステップから青銅文明が東西両脇の中国とギリシアに漏出した、という歴史を跡づけています。同時に、世界最古の文明のひとつであるメソポタミアについても、農耕文明以外に産出がないことから、ステップからの資源の持ち込みを想像させ、逆方向の拡散も言語によって確認されており、馬や車輪による世界、とはいわないまでも、ユーラシア規模の交易の可能性を示唆しています。本書も基本的に学術書な上に、歴史言語学の説明において見慣れない印欧祖語の横文字が頻出するので、一見読みにくい本なんですが、文字を追うのではなく、豊富に挿入されている図版を追うことにより、理解はかなり捗るような気がします。もちろん、印欧語という共通のルーツで一括りにしていますから、中国まではいいんでしょうが、その先の日本は域外の蛮族、という扱いなんだろうか、という気にはさせられます。

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次に、武邑光裕『さよなら、インターネット』(ダイヤモンド社) です。著者はドイツ在住のメデイア美学者であり、今年2018年5月にEUで施行された「一般データ保護規則(GDPR)」をひとつのキーワードにしつつ、ビッグデータの名の下に個人情報を縦横無尽に活用して収益を上げるインターネット企業を断罪し、真に民主的な個人情報の扱いについて論じています。ただ、私の見方なのかもしれませんが、本書ではプライバシーは1種類しか考えておらず、私はプライバシーや個人情報は何種類かあると理解しており、典型的には市場へ参加する際、すなわち、市場からの調達と労働力としての投入の際には、私はプライバシーは決してフルで認められるべきではないケースがあり得ると考えています。他方、市場参加とは関係のないベッドルームのプライバシーは、個人としての尊厳の観点を含めて、保護される必要があります。前者のプライバシーについては、市場経済への参加だけでなく、公衆衛生の観点からの伊藤計劃の『ハーモニー』のような世界、と考えることも出来ます。ですから、無条件のプライバシーを基本にした本書の見方には疑問を感じないでもありません。すなわち、EUのGDPRとかのプライバシー保護をもって、GoogleやFacebookの個人情報収集活動に何らかの規制を加えようとすると、大義名分、というか、目的が不十分で失敗する可能性が高まるような気がします。より広範な経済社会に通底する理由をもって個人情報を基に利益を貪り続けるインターネット企業への何らかの、あるいは、広い意味での規制が経済学的に必要であることを、キチンと正面から主張することが必要だと思います。

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次に、佐藤順子[編著]『フードバンク』(明石書店) です。その名の通り、フードバンクに関する教養書です。場合によっては学術書と受け止める読者がいるかもしれません。本書にもある通り、我が国のフードバンクは米国に本部のあるセカンド・ハーベストの支所(?)として2000年に活動を開始したのが始まりのようですが、その源流はさらに20年ほどさかのぼって、1980年前後に英国サッチャー内閣や米国レーガン政権をはじめとして、いわゆる新自由主義的な右派経済学の実践が始まり、格差が急速に拡大したことを背景としています。経済社会全体の格差拡大や貧困の増加に政府による社会福祉政策が追いつかず、チャリティ精神が旺盛な英米社会でその受け皿的にフードバンクの活動が始まっています。ですから、政府の役割を軽視しかねない、という意味でフードバンクに批判的な目を向ける向きも少なくありません。もちろん、逆サイドの食品廃棄やフードロスを減少させようとする試みとともに車の両輪を形成しています。チャプターごとの執筆ですので、単なる活動報告的な章から学術的で分析内容豊富な章まで、精粗区々という気はしますが、私のようなシロートにも判りやすく解説してくれています。

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最後に、吉野精一『パンの科学』(講談社ブルーバックス) です。著者は辻製菓専門学校の製パン特任教授だそうで、ブルーバックスから出版されている点で理解可能なように、かなり理系の内容の本でありながら、最後の方はおいしく食べるためなど、一般向けにもなっています。コメを炊いたご飯と小麦粉をイーストの発行も利用しつつ焼いたパンの大きな違いは、勝手ながら私はメイラード反応の有無ではないかと考えていて、例えば、少しくらい時間がたった後でも、焼きオニギリにすると風味がよくなると感じる人は少なくないような気がします。ということで、コメのご飯を擁護するつもりは毛頭なくて、私も朝食は手軽なパン食で済ませています。本書は、大昔の大学生のころに女子大の、それも家政学部なんぞの食物科に在席していたガールフレンドが、新しいお料理などに夢中になっておしゃべりしてくれた、でも、私は半分も理解できなかった、青春時代を思い起こさせてくれる面もあります。基本的に、私は美食家でも食いしん坊でも何でもないんですが、ファッションの衣には何らセンスなく、住の方もウサギ小屋とまで称された日本の住居についても見識なく、衣食住のうち残るのは食だけですので、ブルーバックスでもビールやパンやといった本を読んでいたりします。

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2018年7月28日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!

今日はどうも台風で1日中雨らしく、することもなく読書にいそしんでおります。午後から、ひょっとしたら、いつものようにプールに行って泳いで来るかもしれません。今週の読書はいろいろとバラエティ豊かに以下の通りの計6冊です。今日は自転車で図書館を回るのはムリなので、明日の午後からでも出かけられれば、やっぱり、来週の読書に向けて5~6冊ばかり借りてこようと計画しています。

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まず、トム・ヴァンダービルト『好き嫌い』(早川書房) です。著者はジャーナリスト、というか、サイエンス・ライターであって、研究者ではありません。行動経済学にも関連して、好みや好き嫌いについてのエッセイです。結局のところ、トートロジーの循環論法でしかないんですが、人間というのは関心あるものに目が行ったり聞こえてしまったりで、そのように認識の内側に入ったものに関心が向く、ということなんだろうという気がします。特に、合理的なホモ・エコノミカスを前提とするような伝統的な経済学では好みの問題は説明できない、としか考えません。というか、そこで思考停止します。ただ、特に生産的とも思えない芸術の好き嫌い、例えば、私の父親はいわゆるクラシック音楽のドイツ・ロマン派が好きでしたが、私はモダン・ジャズが好きです。ただ、高校生や大学生のころはコルトレーンのサックスが特に好きだったんですが、寄る年並みとともに、もっと静かなピアノ・トリオの演奏が好きになりました。もっとも、私はサックスは吹けませんが、ピアノは習っていたことがありますので、当然の好みの変化かもしれません。そして、私自身でも不思議なのが、阪神タイガースに対する好みの問題です。昨夜も東京ヤクルトにボロ負けしたにもかかわらず、タイガースへの愛情だけは一向に衰える気配がありません。まったく、不思議なことです。

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次に、康永秀生『健康の経済学』(中央経済社) です。著者は東大医学部教授であり、本書の表題を私のようなエコノミストの視点からではなく、医者の視点から解明しようと試みています。高齢化が進む日本の経済社会において、いかにして医療費の増加を抑制するか、という観点から議論が進められています。ということで、最終章で、結論として、質を犠牲にするか、費用を犠牲にするか、アクセスを犠牲にするか、の3択を著者は提案しています。医療費抑制が本書の眼目なんですから、2番めの費用を犠牲にして、多額の財政リソースをつぎ込む選択肢はもともとあり得ません。ですから、医療の質を犠牲にするか、現在のフリーアクセスを放棄してアクセスを犠牲にするか、という2択になります。そして、著者は医学研究者らしく医学の進歩を止めて質を犠牲にすることなく、アクセスを制限して英国型の医療を提案します。私はエコノミストとして、やや逆説的ではありますが、もうここまで平均寿命が伸びたんですから、医学の進歩も停滞させていいんでないかという気がして、質を犠牲にするのも一案ではないかと考えています。私のようなシロートから見ても利幅の大きな老人向け医療よりも、小児科とか子供や若年者向けの医療の充実や質の向上を目指すティッピング・ポイントに差しかかっている気がしてなりません。その意味で、本書の結論のひとつで明確に間違っているのは、子供向け医療費の無料化が子育て費用の軽減を通じて有効な少子化対策になる点を見逃していることです。「医療費無料」にのみ過剰に反応している気がしてなりません。

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次に、朝日新聞取材班『権力の「背信」』(朝日新聞出版) です。合せて「モリカケ」と称された森友学園と加計学園に関する報道ないしスクープの現場をメイキング調で明らかにしたノンフィクションです。森友学園の国有地取得に関する不透明な手続き、さらに、加計学園の獣医学部創設にまつわる総理の意向とその忖度のあり方、そういった行政の中立性や透明性に関する疑念を生じかねないスキャンダルについて朝日新聞記者が、どのような取材活動を行い、国民にメディアを通じて伝えたかを跡付けています。第1部で森友学園を取り上げ、第2部で加計学園に焦点を当てていますが、さまざまな報道がなされた上で、もちろん、内閣支持率への影響もあったこととは思いますが、結局のところ、本書にもある通り、昨年の総選挙では現政権に圧倒的な信任が示されたわけですし、それを影響力絶大とはいえ個人の「排除」発言ですべてを論じるのもムリがあるような気がします。また、森友学園と加計学園で結果として前者が学校理事長夫妻の逮捕とか、学校開設の断念とかで終ったのに対して、後者が今年4月に獣医学部を創設し、それなりの倍率の入試で学生を集めてスタートを切ったのと、かなり差が大きいように私は受け止めているんですが、この差が何から生じたのか、個別に2つの事案を取り上げるだけでなく、総合的な評価も示して欲しかった気がします。でも、極めて緊迫感や臨場感あふれるルポで、400ページ余りでかなり小さい文字のボリュームにもかかわらず、一気に読ませる迫真のリポートです。今年一番の読書でした。

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次に、キャシー・オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(インターシフト) です。著者は数学の博士号を持つデータ・サイエンティストです。上の表紙画像に見られるように、英語の原題は Weapon of Math Destruction であり、普通は、"Math" の部分に "Mass" が入って、「大量破壊兵器」と日本語に訳されるわけです。ということで、数学的なモデルの普遍性、例えば、三児の母親である著者が夕飯の献立を考える、といった実に実践的な人間行動においても数学的なモデルが背景にあるということを本書では解説しつつ、そういった数学モデルが経済的な効率性にのみ奉仕し、正当性とか、倫理性を放棄している現状を批判的に議論しています。そして、こういった数学モデルを用いたスコアの測定、例えば、オンライン広告の極めて倫理観の欠如した売り込み、就職の時の適正スコアに対する疑問、サブプライム・バブル崩壊時にも疑問視されたクレジット・スコアの適正さに対する疑問、などなどを実に理論的に取り上げ、現在のAIを活用し、ビッグデータを取り込んだデータ解析のあり方を批判的に取り上げています。ただ、視点としては理解できるものの、現状分析としては、その通りなのかもしれませんが、そういった憂慮すべき現状に対する処方箋が物足りない気がします。でも、マルクス主義的に考えると、そこがまさに資本主義の限界なのかもしれません。でも、そこで思考停止するのも問題のような気がします。

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次に、マーチン・ファン・クレフェルト『新時代「戦争論」』(原書房) です。著者はオランダ生まれで、イスラエルの歴史研究者です。こういった戦争論や兵法でいえば、中国の孫子やクラウゼヴィッツによる『戦争論』が有名なんですが、本書の英語タイトルは More on War であり、クラウゼヴィッツを強く強く意識しているようです。というのは、最後の解説でも示されている通り、クラウゼヴィッツ『戦争論』のドイツ語のタイトルは Vom Kriege であり、英語に直訳すると On War ということになります。本書はそれに More をつけているわけです。ということで、孫子やクラウゼヴィッツには、なぜか、海戦が取り上げられていない点や、あるいは、その後の技術的な進歩による宇宙戦やサイバー戦はいうに及ばず、大量破壊兵器が実戦で使われるようになったり、また、戦争を開始する主体が国王という君主から議会という国民の代表、さらに、国連決議に基づく戦闘行為といった変遷を遂げた現在までの新しい時代における戦争について論じています。もちろん、私は専門外もいいところなんですが、従来説である「戦争は政治や外交の延長」という見方が必ずしも成り立たない現在の戦争について、要するに、戦争プロパーについて戦略のみならず兵站まで含めた戦争に焦点を当てています。孫子やクラウゼヴィッツに代わる新たなスタンダード、とまでは決して思いませんが、私のようなシロートにもなかなかタメになりそうな気がします。

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最後に、渡淳二[編著]『ビールの科学』(講談社ブルーバックス) です。数年前の同名のブルーバックスをカラー版として豪華に再編集したものだそうで、かなりの程度にアップデートもされているようです。編著者をはじめとして、サッポロビールの面々が本書の製作に当たっています。ブルーバックスですから、かなり理系の本です。大昔に食物科の女子大生の友人から聞いたようなお話だと感じてしまいました。なお、我が家では、上の倅は私以上に酒飲みなんですが、20歳過ぎの大学生ということもあって、ビールなんぞの低アルコール酒よりは、より男っぽい、というか、何というか、スピリッツ系のウィスキーなどを好む一方で、私は酒が強くもないので、もっぱらナイター観戦のお供のビールで済ませています。阪神が弱いのでビールもおいしくないんですが、私は違いの判らない男ですので、本書で詳細に解説されているようなビールと発泡酒と第3のビールについては、少なくとも味の違いは判りかねます。もっぱら値段の違いで買い別けています。ただ、本書ではビールの本場ドイツには着目しているものの、圧倒的な消費量を誇る米国のビール事情が少し足りないような気がします。私が米国連邦準備制度理事会(FED)のリサーチ・アシスタントをしていた1980年代終わりころには、すでにクアーズがロッキーを超えていて、高所得層はクアーズ、低所得層はバドワイザーといった雰囲気がありました。また、ちょうど発売が始まったのか、輸出が始まったのか、米国でキリンの一番搾りが飲み始められたころで、「キリン・イチバン」と称されていて、「イチバン」がそのまま英語化していたような気がします。ジャズを聴きに行くと、ピアニストのハロルド・メイバーンが「イチバン・メイバーン」と紹介されていたのを思い出します。

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2018年7月21日 (土)

今週の読書は経済書中心に計7冊!

今週もまずまずよく読んで、経済書中心に以下の7冊です。

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まず、嶋中雄二『第3の超景気』(日本経済新聞出版社) です。著者は民間金融機関である三菱UFJモルガンスタンレー証券の景気循環研究所の所長を務めるリフレ派のエコノミストであり、私と同じく景気循環学会の会員だったりもします。本書では、名目設備投資がGDPに占める割合の偏差をバンドパス・フィルターを通すことにより景気循環のサイクルを抽出する手法を取っています。すなわち、univariate なアプローチであり、ある意味で、どマクロな方法論ですから、右派の経済学、例えば、リアル・ビジネス・サイクル(RBC)で論じられているように、経済主体の最適化行動といったマイクロな基礎付けはまったく考慮されていません。その上で、キチンの短期循環、ジュグラーの中期循環、クズネッツの長期循環、コンドラチェフの超長期循環の複合循環を論じています。すなわち、これらすべての4サイクルがそろって上向くゴールデン・サイクル、短期ないし中期循環のうちのひとつが欠けながらも長期及び超長期循環とともに3サイクルが上向くシルバー・サイクル、長期と超長期の2サイクルが上向くブロンズ・サイクル、といったふうです。そして、通常は政府の景気循環日付は短期のサイクルで見ていたりするんですが、著者は長期と超長期のサイクルを重視し、この2つの複合循環であるブロンズ・サイクルこそが短期と中期の景気循環を超越した存在として、本書のタイトルである超景気と呼べるものと位置づけ、直近では2011年を大底に超景気が始まり、その景気のピークが足元の2017~18年に到来し、いったん2021~22年に厳しい景気後退期に見舞われるものの、2024~25年には再び次のの好景気がやってくると予測しています。また、補論で人口動態を超える景気サイクルのパワーを論じています。とても大胆な分析と予測であり、なかなか興味深い読書でした。

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次に、ジェレミー・リフキン『スマート・ジャパンへの提言』(NHK出版) です。著者は2016年1月23日付けの読書感想文でも取り上げた『限界費用ゼロ社会』の著者でもあり、こういった分野の権威とも目されています。本書は来日した際のインタビューなどを中心に、我が国への『限界費用ゼロ社会』の適用について議論を展開していますが、もちろん、日本への我田引水に満ちています。我が国経済社会は高度な技術を持つとともに、インフラも整っていて、第3次産業革命への備えはバッチリ、ということになっていますが、別稿ではインフラの整っていない途上国でもリープ・フロッグのように次の段階にすっ飛ばすことが出来るので、インフラの整った先進国よりも第3次産業革命に進みやすい、なんて議論もあったりします。やじ馬的に、とても参考になるのは、小谷真生子がインタビューした「いまの産業革命は第3次なのか、第4次なのか?」と題するコラムです。ダボス会議を主催する世界経済フォーラムのシュワブ教授の第3次産業革命が累積して行って速やかに第4次産業革命にいたる、という、まるで、我が国戦前の講座派のような歴史観を真っ向から否定し、現在のデジタル化の進展が第3次産業革命であり、最後の産業革命である、といい切っています。なかなかの見識だという気がします。

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次に、ナイアル・キシテイニー『若い読者のための経済学史』(すばる舎) です。著者は英国のエコノミスト、ジャーナリストだそうで、本書は上の表紙画像に見られるように、Yale University Press Little Histories の1冊です。タイトル通りに、経済学史をひも解いているわけですが、古典古代の哲学者による経済学的な要素の検討から始まって、アダム・スミスによって古典経済学が樹立される前夜の重商主義や重農主義の経済学、そして、スミスによる古典派経済学の開闢とリカードらによるその完成、加えて、これ他の古典派経済学を基礎としつつも、階級闘争理論も加味したマルクス経済学、もちろん、その後の新古典派経済学から現代経済学への流れも的確に解説されています。私の専門分野に引きつけて論じれば、ノーベル経済学賞を授賞されたルイス教授やセン教授の令名があらたかなんでしょうが、開発経済学についても大いに取り上げられています。少なくとも、私が在学していたころの京都大学経済学部には開発経済学の授業はなかったように記憶していますので、新たな学問分野なのかもしれません。繰り返しになりますが、マルクス経済学までを視野に収めた極めて幅広い経済学の歴史を収録しています。そして、タイトルに沿って、かなり平易に解説を加えています。ひょっとしたら、かなりレベルの高い進学校の高校生なら読みこなすかもしれません。同時に、経済学にそれなりの素養あるビジネスマンでも物足りない思いをさせることもありません。

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次に、山口真一『炎上とクチコミの経済学』(朝日新聞出版) です。著者は国際大学の経済学研究者で、ブリニョルフソンらの研究に基づいて、消費者余剰の計測を行った論文を私も読んだことがあります。本書ではネット上のいわゆる「炎上」について数量的な分析を加えて、炎上とクチコミという「ネット上での情報発信」の実態を明らかにすることを目的にしています。例えば、炎上参加者には「年収が高い」「主任・係長クラス以上」が多い、とか、また、炎上の参加者はネット利用者のわずか0.5%であり、ネット世論は社会の意見を反映してはいるわけではない、といった主張を展開しています。さらに、炎上を早期に小規模で食い止めたり、あるいは、逆方向に利用したりした実例を豊富に取り上げ、炎上を過度に恐れずに、ビジネスでソーシャルメディアを最大活用する方法について論じています。同時に、第4章で「炎上対策マニュアル」を示し、最後の第5章でフェイクニュースの拡散とか、最近のネットの話題を解説しています。私は個人でしかSNSを利用しておらず、ビジネスでソーシャルメディアを活用するような役割は担っていませんが、そういう立場になくても、例えば、最終的には炎上にはメディアで取り上げられるケースが多いなど、それなりに参考になるネット事情に関する情報だという気がします。

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次に、山本芳明『漱石の家計簿』(教育評論社) です。著者は学習院大学の文学研究者だそうですが、夏目漱石が一時期つけていた家計簿や印税に関する資料などを参照しながら、漱石の家計事情や作品への影響などにつき、漱石の生存中と死後に分けて論じています。すなわち、文学者、というか、明治期の作家がかなり経済的に恵まれない境遇にあった一方で、漱石は英国留学を経験した上に教職について十分なお給料をもらっていたり、あるいは、教員を辞めた後には朝日新聞のお抱え作家として、さらにいいお給料を取っていた月給取りだったんですが、それでも、明治大正期の格差の極めて大きな経済社会では、三菱や三井といった大財閥のとんでもない金持ちがいて、漱石もその時期の清貧に甘んじる文学者・作家らしく金持ちを批判する姿勢を示していたわけです。特に、漱石が金持ちを嫌った背景として、報酬は労力に見合って支払われるべきであり、投資などの「金が金を産む」システムを嫌ったという倫理的側面が強調されていたりもします。ただ、夏目家の家計の実際は妻の鏡子が握っていて、漱石個人は小遣いをもらって使っていたようで、大正バブル期で株でかなりもうけたとか、漱石の死後には人造真珠会社に手を出してスッカラカンになってしまったとか、いろいろな漱石文学とは違った観点からの論考が明らかにされています。本書でも指摘されているように、『吾輩は猫である』とか、『坊ちゃん』で読み取れる漱石の文学は明るくのんきでユーモアたっぷり、といったところかもしれませんが、その背景にはしっかりと定期的なそれなりの収入があった、という点も忘れるべきではないのかもしれません。

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次に、辻村深月『青空と逃げる』(中央公論新社) です。著者はご存じ今年の本屋大賞受賞『かがみの孤城』の著者であり、私も大好きな作家のひとりです。本作は読売新聞連載を単行本に取りまとめており、ストーリーとしては、日本各地を逃避行する母子、子どもは小学5年生の男子、の2人の物語です。小学5年生の男の子の両親は劇団員のいわば職場結婚で、母親は劇団を辞めて、パート勤務はしているものの、ほぼほぼ専業主婦となっていて、父親がまだ劇団の俳優をしているんですが、その売れない劇団員の父親が有名女優の運転する自動車に同乗して事故にあい、ヤバい筋もからんだ有名女優のプロダクションから逃げ回ります。高知、瀬戸内海の家島、別府、仙台、そして、北海道で父親と再会を果たします。いろんな要素が盛り込まれている上に、母親の1人称の語り、小学5年生男子の子供の語り、はたまた、3人称での語りと、各節ごとに極めてテクニックを弄しているような気もしますし、読みこなすのにムリはありませんが、ホントに深く読むことが出来るのはそれ相応の読み手でないと難しい気もします。でも、私のように、この作家のファンなら読んでおくべきでしょう。

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最後に、葉室麟『青嵐の坂』(角川書店) です。昨年亡くなった人気時代小説作家の扇野藩シリーズの最新刊です。というか、作者が亡くなっていますので、事実上、4巻目の本作はこのシリーズの最終巻といえます。扇野藩シリーズは江戸時代の譜代大名で京大坂の上方と江戸の間のどこかにある扇野藩を舞台に、重臣たちがお家騒動を繰り広げる、私の考える典型的な時代小説なんですが、本作では城下の家事を起因として財政がひっ迫する扇野藩の立て直しのために藩札発行を目指す中老とその上位者である家老との確執を取り扱っています。私はこの扇野藩シリーズの中では、赤穂浪士の討ち入りを絡めた第2話の『はだれ雪』が好きだったりする一方で、この第4話『青嵐の坂』は特にいい出来とも思えませんが、扇野藩シリーズの第2話である『散り椿』が今秋封切りで映画化されていますので、読んでおいて損はないかもしれません。

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