今週の読書は経済書からミステリまでいろいろ読んで計6冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、コリン・メイヤー『資本主義再興』(日経BP)では、資本主義の危機の克服のためにビジネスのパーパスを重視し、問題の解決策を追い求め、それを実現することをもって行動原理とする、そのため、現実的には、会社法を然るべく改正する、という方向性を打ち出しています。トマ・ピケティ『来たれ、新たな社会主義』(みすず書房)は、フランスの夕刊紙として世界的に有名な『ルモンド』紙に、ピケティ教授が2016年から21年初頭にかけて寄稿した時評コラムから44本を精選しています。三浦しをん『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)は、ネイルサロンを経営する30代半ば過ぎの女性を主人公に、ネイルの仕事や商店街の仲間、もちろん、顧客といった周囲の人々を幸福にしようとするお仕事小説です。藤崎麻里『なぜ今、労働組合なのか』(朝日新書)は、格差が拡大し賃上げが進まない中で、カスハラ問題のクローズアップなど、職場の働きやすさの改善が進む背景としての労働組合の果たすべき役割について取材した結果を取りまとめています。ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』(新潮文庫)では、ノーベル賞作家がラテンアメリカの独裁者を取り上げて、きわめて独創的かつ幻想的な小説に仕上げています。全6章の各章は単一のパラグラフから成っています。若竹七海『まぐさ桶の犬』(文春文庫)は、タフで不運な女探偵・葉村晶を主人公とするシリーズの最新長編ミステリであり、有名学校法人創設者一族に属し、自身もエッセイストとして著名な元教師から人探しを依頼されるところからストーリーが始まります。
今年の新刊書読書は先週までの1~3月に75冊を読んでレビューし、4月に入って先週までに計18冊、さらに今週の6冊と合わせて99冊となります。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2でシェアしたいと考えています。なお、本日の6冊のほかに、田中啓文『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(ハヤカワ文庫)も読んでいます。すでに、いくつかのSNSにてブックレビューをポストしていますが、新刊書ではないと考えますので、本日の感想文には含めていません。
まず、コリン・メイヤー『資本主義再興』(日経BP)を読みました。著者は、英国オックスフォード大学サイード経営大学院名誉教授であり、早稲田大学商学学術院の宮島英昭教授が監訳者となっています。本書は資本主義の危機の解決に取り組んだ著者の三部作の締めくくりの3冊目に当たります。三部作とは、すなわち、『アーム・コミットメント』、『株式会社規範のコペルニクス的転回』と本書です。勉強不足にして、私は前の2作は読んでいません。本書の英語の原題は Capitalism and Crises であり、2024年の出版です。本書はパート1~5で構成されていて、各パートに2章ずつ配置されています。各パートのタイトルは、順に、問題、義務、方法、真の価値、コミットメント、となります。ということで、資本主義、おそらくは、18世紀後半のイングランドから始まった産業革命以降の資本主義は、先進国では経済成長が達成され、国民経済は大いに豊かになった一方で、同時に、格差や不平等の拡大、加えて、最近では、気候変動や環境悪化、社会的排除や差別など、さまざまな弊害を伴う成長であり、これらは20世紀終わりから現在まで悪化の一途をたどっていることも事実です。今世紀に入ってからでも、リーマン・ブラザース証券の破綻に端を発する大規模な金融危機と景気後退、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻などの武力衝突の激化、そして、現在 on-going で進行中の米国トランプ政権による世界経済の大規模な混乱、さらに、本書ではまったく問題ともされていないように見える途上国の経済開発の遅れ、などなど、こういった資本主義の拡大する矛盾をいかに考えて解決するかを本書、というか、一連の三部作では目指しているようです。そして、本書では、やや「お花畑」的な解決を示しているように私には見えてなりません。道徳律を修正して、企業行動の基本原理を変更する、という解決策です。いわゆる黄金律、すなわち、「自分がして欲しいと望むことを、他者にする」のではなく、「他者がして欲しいと望むことを、他者にする」に変更し、ビジネスのパーパスをミクロ経済学的な企業の行動原理である利潤の最大化ではなく、問題の解決策を追い求め、それを実現することをもって行動原理とする、そのため、現実的には、会社法を然るべく改正する、ということになります。私は最後のこういった一連の結論で完全に拍子抜けしてしまいました。巻末の解説では、従来から議論されているような企業活動の負の外部性ではなく、いかにして正の外部性を発揮させるかが重要と指摘しています。それはそれとして、私が重要と考えるのは、資本主義の矛盾を解決する根本的な経済主体が企業である点を指摘しているという事実です。解決策としては大いに「お花畑」的ではあるのですが、従来の解決策が政府に重きを置き過ぎていて、したがって、選挙をがんばりましょう、政権交代しましょう、ばかりだったのに対して、資本主義の諸問題を解決する本丸が企業活動にあるのであって、企業に政府が介入するのも結構だが、企業行動に対して何らかの直接的な影響を及ぼす可能性が暗示的に示されている点を私は評価します。ドイツ的な労使による経営協議会、あるいは、私は全く詳しくないのですが、北欧的な労働の経営参加、などなど、選挙や政権交代ばっかりではなく、労働者代表がいかに企業行動に影響を及ぼすことができるか、そういった方向の議論が進むことを本書は示唆しているように感じられてなりません。まあ、本書の本筋とは違う読み方かもしれません。はい、その点は理解しています。
次に、トマ・ピケティ『来たれ、新たな社会主義』(みすず書房)を読みました。著者は、10年ほど前の著書『21世紀の資本』で格差に対する警鐘を鳴らしたフランスのエコノミストであり、パリ経済学校やフランス社会科学高等研究院の経済学教授を務めています。本書は、フランスの夕刊紙として世界的にも有名な『ル・モンド』紙に、ピケティ教授が2016年から21年初頭にかけて寄稿した時評コラムから44本を精選しています。時系列的に3部構成としていて、第Ⅰ部が2016-2017年、タイトルは「グローバル化の方向性を転換するために」、第Ⅱ部が2017-2018年、タイトル「フランスのためにはどんな改革をすべきか?」、第Ⅲ部が2018-2021年、タイトル「欧州を愛することは欧州を変えること」となります。当然、フランスの夕刊紙へ寄稿されたコラムですのでフランスや欧州のトピックが多くなっています。表紙画像でも見られるように、明らかにトリコロールのフランス国旗を意識している、といえます。しかも、タイトルで標榜しているのが社会主義ですので、やや敬遠する向きがあるかもしれませんが、ピケティ教授は「社会国家」という用語で、おそらくは、「福祉国家」と似たような意味を持たせていますので、社会主義がマルクス主義的な概念とは限らず、少なくとも、旧来型の旧ソ連や現在の中国における社会主義とはまったくの別物と考えるべきです。したがって、何よりも、本書で重視しているのは経済的格差の是正、そして、経済面に限定せずに、男女間、民族間、などなどの格差や差別に対する是正、そして、ひいては、参加型の民主主義や循環型の経済の実現、何より一言でいえば、社会的正義の実現を目指していると考えるべきです。逆にいえば、現在の日本や欧米先進国はもとより、世界の多くの国でこういったピケティ教授の目標が達成されていないわけで、ひとつひとつのコラムは当然にそれほど長くもなく、一般紙のコラムですので難解でもなく、分量としても内容としても一般読者に読みやすくなっています。加えて、綿密に構成された書籍ではなくコラムを時系列的に並べているだけ、といえば、まあ、そういうことですので、どこから読み始めてもいいですし、適当に興味あるトピックだけを拾い読みすることも出来ます。話題になった『21世紀の資本』が大部の専門書でしたので、本書の興味あるトピックを追うことにより、ピケティ教授の主張に触れておくのもいいんではないかと思います。
次に、三浦しをん『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)を読みました。著者は、直木賞も受賞した小説家です。私のもっとも好きな作家の1人です。タイトルや表紙画像から読み取れるように、主人公はネイリストです。すなわち、弥生新町駅前の商店街でネイルサロン「月と星」を経営する30代半ば過ぎの月島美佐が主人公です。サロンの名前は、月島美佐ご本人とともに、同じ専門学校に通っていた同級生であり、かつて、いっしょにサロンを経営していた星野江利にも由来しています。今では、2件の棟割長屋でサロンを開いていて、どちらも1階が店舗で2階が住宅という造りです。もう1軒は居酒屋「あと一杯」が入っています。大将は松永という中年男性で、1人で居酒屋を切り盛りしています。中年男性らしく、チャラついたネイルに軽い偏見を持っていますが、巻き爪を施術により矯正してもらってからは、ネイルについての理解が深まります。その「あと一杯」の常連客で、大将である松永の煮付けをこよなく愛している酔っ払いが大沢星絵となります。ネイルをオフする時の摩擦熱が強烈だったり、一部の技術に未熟さが残っていますが、月島美佐は大沢星絵をネイリストとして雇うことを決めます。基本的に、お仕事小説ですので、ネイルサロンやネイリストの活動がストーリとして展開されて行きます。赤ちゃんの子育てに忙殺され、ネイルをしたいが、チャラついた母親と思われるのではと気に病む主婦、国民的な有名俳優などがサロンを訪れたり、さらに、子連れ客への利便性を高めようと保育士を雇ってキッズコーナーを店舗内に設けたり、商店街の中では隣接した居酒屋だけでなく、八百屋の奥さんとの交流があったり、さらには、老人施設にボランティアに赴いたりと、いろいろとあります。中でも、華やかなセンスを持った大沢星絵の才能を伸ばすために、かつてのパートナーだった星野江利のサロンに修行に行かせるところが、ひとつのハイライトとなります。主人公の月島美佐自身は丁寧で正確な施術が得意なのですが、独創的なセンスを持つ大沢星絵のためを考えての武者修行です。主人公は、30代半ば過ぎの独身女性で、「仕事に忙しく、恋の仕方は忘れてしまった」なんて部分もありますが、いかにも小説にありがちな展開で、ある日突然運命の人に出会って大恋愛に発展した、なんてところが微塵もなく、結婚や恋愛の要素はまったく欠落した小説です。それはそれで、この作者らしいともいえるかもしれません。最後に、ネイルに関して、私はネイルについてはまったく知りません。そこは典型的な中年男性である点は自覚していますし、本作に登場するネイルの施術や器具などにつてもまったく無知です。その点はレビューとしては割り引いて下さるようにお願いします。ただ、私自身の運動習慣として週3日はプールで泳いでいて、気が乗れば1時間ほどかけて2,000メートル泳ぐ日もありますので、爪はボロボロです。何とかしたいと考えなくもありませんが、何もしていません。
次に、藤崎麻里『なぜ今、労働組合なのか』(朝日新書)を読みました。著者は、朝日新聞のジャーナリストです。朝日新聞のGLOBEの連載を新書にい取りまとめています。4部構成であり、3部までが日本、4部が米国となっていて、日本の各部は現場、政策提言、労働組合の可能性、ときわめて意識高い系のタイトルとなっています。逆から見て、上から目線を私は感じましたが、ジャーナリストですので、私のような一般庶民はついついそう感じるのかもしれません。昨今の物価高で賃上げが進み、昨年2024年春闘では賃上げ率5%を超えて、33年ぶりの高い伸び率になったと報じられています。ただ、実際には物価上昇が賃上げを上回って、実質賃金はマイナスが続き、国民生活がますます貧しくなっていることは周知の通りです。正規職員と非正規職員の格差は一向に是正される気配もなく、労働組合の組織率は長期的に低下の一途をたどっていることは、これまた、広く知られている通りです。しかし、他方で、本書冒頭でも取り上げられているように、かつては神さまだった客からのカスハラの問題などがクローズアップされて、職場が働きやすい方向にわずかなりとも進んでいる実感もあります。私自身は、役所ではキャリア公務員らしく早々と管理職になって組合からは離れましたが、大学に再就職してヒラ教員となり再び労働組合に所属しています。実は、昨今の賃上げ獲得やカスハラ是正などの労働条件の改善に、労働組合が果たした役割が大きいとは私はまったく考えていません。むしろ、典型的に使用者側からのおこぼれに労働側があずかっている、という印象しか持っていません。ですので、本書の指摘にはやや違和感がありますが、欧米で労働組合がそれなりの役割を果たしている点については、まったく異存ありません。フランスなんかでは、労働組合の組織率は日本よりも低いにもかかわらず、影響力は日本より大きくすら見えます。しかし、本来、労働組合というものは、労使のアンバランスな力関係をわずかなりとも是正する目的で、労働側に有利な扱いを認めているわけですが、少なくとも日本では、そういった労働側に有利な点を活かした活動を進めようとする意図が、私には感じられません。特に、1980年代後半の3公社の民営化、特に国鉄の分割民営化により国労が消滅してからは、労働組合の力量が大きく低下したことは明らかだと私は考えています。現在の連合の芳野会長にしても労働者間の分断を志向するかのような反共の姿勢は明らかですし、何といっても、日経連の『新時代の「日本的経営」』に対する対抗軸を見いだせずに、「失われた30年」で実質賃金が一向に上がらなかった責任の一端は明らかに労働組合にあると考えるべきです。ただ、タイミングの問題として本書では取り上げられていませんが、朝日新聞の記事「フジテレビ労組、組合員が急増 専務が労組とのやり取りで辞意表明」などで報じられたように、職場や雇用のピンチには労働組合とは一定の役割を果たすべき存在であることは明らかです。労働者から頼りにされているともいえます。その意味で、まったく活動が目立たず奮わない日本でも労働組合の重要性を認識させようとするこういった試みは重要だろうと、私も考えています。
次に、ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』(新潮文庫)を読みました。著者は、中南米文学の最高峰の作家の1人であり、この作品に先立って出版された『百年の孤独』でノーベル文学賞を受賞しています。スペイン語の原題は El Otoño del Patriarca であり、1975年に出版されています。日本では今年2025年2月に新潮文庫から新装再刊されています。この作品は中南米の独裁者をテーマにした小説であり、同じように独裁者を主人公に据えたマリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』を私は読んだ記憶があります。『チボの狂宴』はドミニカ共和国のトルヒーヨ将軍という実在した独裁者をモデルとしている一方で、本書『族長の秋』ではそういった特定のモデルではなく、架空の国の独裁者であり、ヘルニアの巨大な睾丸を持っている大統領を中心とするストーリーです。ただ、『百年の孤独』の主人公であるブエンディア大佐のなれの果てではないか、とする解釈もあったりします。6章から構成されているのですが、各章は単一のパラグラフから成っています。すなわち、パラグラフひつとで各章を構成しています。そして、ほぼほぼすべての章が独裁者である大統領の死から始まっています。その意味で、この作者独特のとても幻想的な雰囲気を感じることが出来ます。大統領のほかの登場人物は以下の通りです。すなわち、ロドリゴ・デ=アラギルは、大統領の腹心の将軍でしたが、野菜詰めにされてオーブンで丸焼きにされます。ベンディシオン・アルバラドは大統領の母であり、元娼婦で父の不明な子を産んだとされています。マヌエラ・サンチェスは、美人コンテストの優勝者で大統領の恋の相手ですが、日食の日に姿を消します。パトリシオ・アラゴネスは、街のチンピラでしたが、大統領と外見がそっくりなため、影武者としての役割を与えられます。レティシア・ナサレノは、修道女でしたが誘拐されて大統領の妻となります。ということで、ストーリーらしいストーリーは、なかなか明確には読み取れませんが、大統領府にハゲタカが群がり、牛が徘徊したりして、異常を感知した国民が大統領官邸に押し寄せ、無惨に殺害された大統領の死体を発見します。章ごとに視点を切り替えつつ、独裁者であった大統領のとんでもない数々の残虐かつ冷酷な行為を羅列し、母や妻や恋人との関係を描写し、独裁者としての孤独な心情を描き出しています。私は傑作や名作というよりも、カオスに満ちた怪作ではなかろうかと考えていますが、この『族長の秋』を『百年の孤独』よりも高く評価する人が決して少なくないことも知っています。
次に、若竹七海『まぐさ桶の犬』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家です。本書は、タフで不運な女探偵・葉村晶を主人公とするシリーズの最新長編ミステリであり、出版社によると5年ぶりの出版だそうです。文春文庫オリジナルの書下ろしです。ということで、主人公の葉村晶は着実に年齢を重ねて50代となり、老眼に悩まされるようになっていますが、相変わらず、吉祥寺のミステリ専門書店 MURDER BEAR BOOKSHOP でアルバイトをしつつ、白熊探偵社のただ1人の調査員として、非情なオーナー富山の下でこき使われながら働いています。なお、老眼のほかにも、更年期障害、五十肩、花粉症に加えて歯も悪くなるなど、年齢とともに体にはアチコチ無理が来ています。タイトルの意味は本書のp.141にありますが、イソップ寓話に由来するようで、「自分には役に立たないが、誰かがそれでいい思いをするのを邪魔するため、その『自分には役に立たないもの』を手放さずに意地悪や嫌がらせをし続ける」人を指しています。犬はまぐさを食べないのですが、牛に食わせないようにまぐさ桶に陣取って邪魔する、というわけです。本書では、ストーリーの冒頭は人探しで始まります。すなわち、東京多摩地区にある有名私立大学とその付属校から成る魁皇学園の創設者一族、というか、創設者の孫であり、学園の元理事長を務め、エッセイストとしても有名なカンゲン先生こと乾巌から、絶対に秘密厳守で「稲本和子」という女性の行方を捜すよう葉村晶が依頼を受けます。一見、殺人事件とかではなさそうなのですが、殺人ではないにしても過去の死亡事件に加えて、複数の死者が出ます。その意味で、立派に「ノックスの十戒」に則ったミステリです。葉村晶が調査を進めるうちに、創設者である乾一族の何ともいえない複雑怪奇な人間関係とともに、リゾート開発に欲が募っていたりして、実にドロドロした人間関係が複雑に絡み合っていることが判明します。このシリーズでは、葉村晶の傷や痛みなどのダメージが累積されていくうちに、少しずつ謎が解き明かされる展開であり、そのプロットは実に巧みといえます。ひょっとしたら、ラストに不満を感じる読者がいるかもしれませんが、ストーリーの展開と謎解きは実にいい出来だと思います。
最近のコメント